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2011年7月

発見の週末

7月30日(土)

年に1度の、「職場公開」というイベントである。高校生に職場を公開する、というお祭り。私は、「お前がいたら印象が悪くなる!」という理由で、今年は担当からはずれていた。もちろん、これは被害妄想である。

この日に何の担当もないと、昼の弁当も出なければ、休日の振り替えもない。つまり担当者以外は職場に来るな、ということか?職場をあげてのイベントなのに。

ということで、あまのじゃくな私は、何の役割もないのに職場に行くことにした。

構内をうろうろと歩き回っていると、同僚とすれ違った。

「お疲れさんです」と同僚。

「いや、私、ただ遊びに来ただけです」

「あ、そう。じゃ、昼の弁当は?」

「担当じゃないので、私の分はありません」

「担当でもないのに、わざわざ来るなんてえらいねえ」

同僚は、こいつ変わってるな、という目つきで去っていった。

図書館で展示をやっている、というので見に行く。とても面白い展示だったので、食い入るように見ていると、職員の人が説明してくれた。

「本当は、展示しているもの以外にも、いろいろあったんですよ。これはごく一部です」

「へえ、ぜひ見てみたいですねえ」

そういうと、職員さんは、私をとある場所に案内してくれた。

「へえ、こんなにあるんですかあ」

「古いものばかりでねえ。これまで誰も見向きもしなかったものばかりなんです」

いろいろと見ていると、あるものを発見。

「こ、これは…、まさか…」私の顔色が変わった。

「どうしたんです?」

「ひょっとしてこれは、…○○ですよ!」

「それは、どういうものなんですか?」

私は早口で説明したが、たぶん、わかりにくい説明だっただろう。

「何でこんなものがここに…?とにかく、これをじっくりと見せてください」私は興奮して言った。

「わかりました。でもまあ落ちついてください。いまちょうどお昼ですから、お昼休みのあとに見てみましょう」

ということで、午後1時半、職員や同僚の立ち会いの下に、それを見ることになった。

話を聞きつけた学生たちや職員さんたちが代わる代わる見に来た。

「これは大発見なんですか?」

「大発見かどうかはこれから調べてみないとわかりません」次第に興奮もおさまり、私は少し冷静になった。

「犬も歩けば棒に当たる」というが、さまざまな偶然が重なって、ここに導かれたとしか言いようがない。

日々、面白いことを求めて歩くことは、決して無駄ではないのだな、と痛感した。

結局、午後は「職場公開」どころではなく、気がついたら汗だくだった。

7月31日(日)

地元の老先生3人と、朝から資料調査である。最近私のライフワークになりつつある「あるもの」を調べに、I町とK町にいくことになったのである。老先生のIさんが、「先生の探しているものを見つけに行きましょう」と誘ってくれたのである。

1台の車に3人の老先生と私が乗って、田園の中を走る。ちょいとしたロードムービーである。3人の老先生のお話はマニアックすぎてわからないところもあるが、それがまた面白い。

私が年をとっても、こういう仲間がいるだろうか、と、うらやましくも思う。

さて、ここでも新たな発見があった。

「来てよかったですねえ」「大収穫です」

1日かけた調査は、無事に終了した。

「この2日間、発見の連続だったよ」妻に言うと、

「じゃあ、誰かさんの向こうを張って、記者発表しなくちゃね」とからかわれた。

バカヤロウ。この大事な発見は、記者発表みたいに安っぽく売るようなものではないんだぜ。

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青春のかたち

7月29日(金)

午後、とある用事で、2007年に卒業したIさんが研究室にやってきた。6月4日に結婚式をあげた2人の卒業生のうちの1人である。

「先日の結婚式では、メッセージをありがとうございました」

私は、Iさんと同期のZ君(このブログでは「江戸川」としてコメントを書いている)に頼まれて、披露宴当日に読み上げるようにと、サプライズメッセージを託したのであった。

で、そのとき、江戸川君たちが大学時代の思い出の写真を「ニュー・シネマ・パラダイス」風に、まるで一篇の映画のように編集して、披露宴で公開したところ、Iさんが感極まって涙を流したと、江戸川君はあとで教えてくれた。

「これ、そのときにみんなが編集してくれた映像です」Iさんは1枚のDVDを私にくれた。「先生の写真も入っているので、ぜったいに見てください」

家に帰って、もらったDVDを見る。

スピッツの「空も飛べるはず」にのせながら、大学時代の彼らの写真が次々と映し出される。

(こりゃあ、泣くわな)

めくるめくような、大学時代の仲間たちとの楽しそうなスナップ写真。私は、ほんのちょこっと写っているにすぎない。

私がこれまで受け持ってきた学生の中で、これほど男女の仲がよかった学年はなかった。不思議でならないのは、個性がバラバラな彼らが、どうしてかくも仲がよくなったのか、ということである。

楽しそうにお酒を飲んでいる写真、公園のシーソーに乗ってはしゃいでいる写真。カラオケに行ってバカみたいに盛り上がっている写真、卒業旅行と称して県内の高級温泉旅館にみんなで泊まりに行ったときの写真…。どれもみな、絵になっている。

(なるほど、これが青春か…まるで「ザ青春」だな)

見ていてそう思った。青春とはドラマの世界だけかと思っていたが、身近なところにもあったのだな。

少しうらやましくなった。私が大学生のときにはまったくありえなかったことである。

それで思い出した。

3カ月ほど前のことである。妻から連絡があった。

「私たちのサークル、廃部になったらしいよ」

私が大学時代に所属していたサークルが、昨年度をもって廃部になったらしい。妻も、偶然にも同じサークルだったが、私よりもはるか下の後輩なので、学生時代に一緒に活動していた、というわけではなかった。

「それで、大学のサークル部屋を新しいサークルに明け渡して欲しいから、サークル部屋にあるものを片づけてくれって」

1986年に設立されたサークルが、約25年たって廃部になった。これも時代の流れなのだろう。ちなみに私は、1988年に入部したので、3期生である。妻はたしか9期生。

我がサークルの廃部の知らせは、たちまちOBに広まり、在京のメンバーで、大学のサークル部屋の整理を行うことになった。

なかでも思い出深いのは、サークルで発行していた雑誌、サークル部屋に置いてあった連絡ノート、それにスナップ写真である。今でも残っているのだろうか。

在京の妻が、逐一報告してくれた。

「Iさんが、『ノートだけはぜったいに見せられない』といって、見せてくれないのよ」

「Iさん」とは、私と同期のIである。やはり在京メンバーのため、我がサークルの「遺品」の整理を担当していた。

「そりゃあ、そうだろう」と私。

私の時代は、前後2世代を含めて、ほぼ全員が男子、という構成で、集まればかならず「ガスト会議」となっていたのだ。そのノートはいわば、「ガスト会議」の議事録である。早い話が、陰々滅々とした男子学生たちが書きなぐった、たぶんサイテーのノートである。そんなもの、とてもではないが他人に見せられるものではない。

「でも写真はあったよ」

そういって、妻は私の携帯に写真を送ってきた。

毎年夏休みになると、山でテント生活をしながら調査をする、というのが、我がサークルの主な活動だった。その年の調査が無事終わった日に撮った集合写真のようである。たぶん私が大学3年生の時。

Photo 携帯の画像がえらく小さいが、たしかにそこには、私が写っていた。

私は大学時代の自分の写真を一枚も持っていないので、たぶんこれが、唯一の写真である。

どうだい、私にだってスマートだった時期があったんだぞ。

これが私の青春、なのか?

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節電川柳解説

7月29日(金)

こぶぎさんから、久しぶりにコメントをもらった。

あんなに長いコメントを書くんなら、自分のブログに書きゃいいのに、と思うのだが、どうもここのコメント欄の方が、筆が進むらしい。さながら他人のコメント欄を使った「やどかりブログ」ともいうべきものである。

その中にある「節電川柳」に興味を持ち、調べてみると、県主催の「節電川柳コンクール」のようで、入選作品は、こぶぎさんのものもふくめ、なかなかユルい感じのものばかりである。

そこで私も「節電川柳」なるものに挑戦することにした。といっても私はそもそもが無粋な人間なので、川柳だの俳句だのといったものを作ったことがない。すでにコメント欄に載せているが、あらためて解説を書くことにする。

汗だくで ナイフとフォークで ハンバーグ」 鬼瓦

これは私の実体験である。節電のレストランで、小太りのオッサンが汗だくでナイフとフォークを使ってハンバーグを食べている絵は、まわりから見たら滑稽なのではないか、と想像する。

冷タオル 首に巻いたら 汗疹(あせも)でき 」 鬼瓦

これも私の実体験である。水に濡らすだけでヒンヤリするタオル、というのを買って首に巻いていたら、汗がたまって汗疹ができた、という話。

私見て 溺れたのかと 妻が聞く」 鬼瓦

これまた私の実体験である。大汗をかいて外から戻ってきたら、「どこかで水に溺れたの?」と妻に聞かれた。「外は大雨だったの?」と聞かれたこともある。

だからここは、

我を見て 外は雨かと 妻が問い」 鬼瓦

とすると、ちょっと粋な感じになるかも知れぬ。

ん?ここまでは、「節電川柳」というよりも、「汗川柳」といった方がいいのか。

節電で あおぐ団扇に 髑髏の絵」 鬼瓦

これは実体験ではないが、節電のせいで職場でも団扇(うちわ)を使う人が増えているのを見て、その絵柄に髑髏(どくろ)の絵が書かれていたら面白いだろうなあ、と想像したのがこの句である。

「節電で」の部分を、「会議中」「授業中」「教授会」などと置きかえてもよい。

本当に 節約すべきは 天下り」 鬼瓦

これは歌丸師匠が好きそうな政治風刺川柳。笑点だったら座布団1枚もらえるかも知れぬ。

ここまでくると、もう「節電川柳」だかなんだかわからない。次の句なんて、「野菜川柳」というジャンルだもんね。

野菜カレー デブには御法度 食べ過ぎる」 鬼瓦

これは、私のような太った人間が、野菜をたくさんとろうと思って野菜カレーを作ったら、かえって食べすぎてしまって太るからやめた方がいい、という意味。野菜を使ってカレーを作ろうとするこぶぎさんへの警鐘の意味もある。

台風も よけて過ぎ去る 暑さかな」 鬼瓦

最後は俳句っぽく作ってみたが、今年の台風6号が大幅に進路を変えて、日本列島から離れていったさまを詠んだつもり。これだと「過ぎ去る」が「台風」ではなく「夏」にかかると思われる可能性もある。「台風も よけるくらいの 暑さかな」の方がわかりやすいかも知れない。いずれにしても、たいした句ではない。

…いかん!こんなくだらないことを考えている暇はないのだ!

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野菜との競走

7月28日(木)

日曜日のバーベキューで余った野菜をもらってきた。

キャベツ1玉、しいたけ1パック、玉ねぎ1個、エリンギ1パック、ナス6本。健康診断の結果に愕然として以来、野菜を食べることにつとめているため、願ったりかなったりである。

さて問題は、どうやってこれを食べるか、である。これだけの野菜があると、ひとり暮らしの身ではかなりもてあましてしまう。それに、そもそも今月は野菜を食べることに力を入れているため、もともと冷蔵庫の中には、レタス、トマト、キュウリ、にんじんなども入っているのである。

少しずつ食べ始めたが、時期が時期だけに、傷みだすのも早い。ナスなんて、あっという間に傷んじゃうんだね。

なんとか傷む前に、傷みやすいものから順々に消費しなくてはならない。そこで手はじめに、麻婆ナスを作ってみる。すると、ビックリするくらいの量の麻婆ナスができあがった。

(傷む前に食べなくては…)と、必死になって食べる。

毎日自炊できればよいが、そういうわけにもいかない。昨日は突発的に、韓国から来た先生の講演会を聞きに行って、その流れでその講演会の打ち上げに参加したりしたので、昨晩は野菜を使った自炊料理が作れなかったのである。

ほかの先生方が歓談している最中も、(冷蔵庫のナス、傷んでいないだろうか…)と、そのことばかりが気になって仕方がなかった。

そして今日。疲れていたこともあり、早めに帰って自炊することにした。今日こそは、できるだけ野菜を使わなければ。

野菜が傷むのが早いか、私が口にするのが早いかの競走である。

効果的な野菜のとり方として、「キャベツと豚肉の蒸し煮」がいい、と、先日同僚が教えてくれたことを思い出す。鍋の中にキャベツと豚肉を交互に敷いて、ふたをして蒸す、という簡単な料理である。キャベツ自体から水分がでるので、料理酒をちょこっとたらせばいい、と教わった。

実は先日から何度か試みているのだが、そのときに使っている土鍋が、いつもビックリするくらい焦げるのである。そのたびに、こびりついた焦げを落とさなければならず、それが、私を憂鬱ならしめていた。

どうしよう。

そうだ!焦げない鍋を買えばいいのだ!

そもそも私は、同じ鍋やフライパンを10年以上も使っている。フライパンなんか、表面が剥げて地金が出ちゃっているし。そろそろ買いかえても文句は言われないだろう。

ということで、近所のホームセンターに行った。最近、食料品売場はなくなってしまった、あのホームセンターである。

そこで、深手で焦げつきにくいタイプのフライパンを買った。深手のフライパンであれば、焼くことも煮ることも蒸すことも可能である。

さっそく、その深手のフライパンを使って、「キャベツと豚肉の蒸し煮」を作る。ついでだから、傷みかけたナスも入れちゃえ。

すると…

焦げてなーい(ヒゲそりのCM「切れてなーい」風に)。

なあんだ。もっと早くフライパンを買っておけばよかった。おかげでこれからは「キャベツと豚肉の蒸し煮」を作るテンションも上がるというものだ。やはり「形から入る」ことは重要なのだ!

…というわけで、「オッサンが新しいフライパンを買ってキャベツと豚肉の蒸し煮を作ったら美味かった」というお話でございました。

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韓国熱再び

7月27日(水)

昼、職場の食堂で、久しぶりにK先生にお会いした。

K先生は韓国の方で、私が韓国に留学する前に一度お話ししたことがある。帰国後、実に久しぶりにお会いしたのである。

K先生は、指導学生2人を連れて食事をしていた。2人とも、この9月から韓国に留学するのだという。

私もその席に加わらせていただき、自分の韓国留学体験をひとしきりお話しする。

話しているうちに、久しぶりにいろいろなことを思い出してきた。自分の中の韓国熱がまたふつふつと沸いてきた。

「実は今日の夕方、うちの学部で講演会があるんです」とK先生。「韓国の大学から研究員としていらしている先生の講演会なんですけど、もし時間があったら聞きに来ていただけませんか」

聞くと、とても面白そうな内容である。ちょうど夕方は予定もなかったので、参加することにした。

夕方5時、講演会場に着くと、さっそく講演者のY先生にご挨拶する。韓国語で挨拶をするのは、実に久しぶりである。

いろいろうかがってみると、昨年8月から隣県の大学に在外研修で来ておられたのだが、3月11日の震災で直接の被害にあってしまい、今年の5月からこちらの客員研究員として移ってこられたのだという。

そして8月には韓国に帰られるという。今日、偶然にもk先生に久しぶりにお会いして、この講演会の存在を聞いたのも、なにかの縁なのだろう。

講演がはじまった。Y先生のお話を、k先生が通訳しながら進んでいく。私にとっては、韓国語による講演を聴き取る勉強にもなるし、内容も興味深いものばかりである。私は聞きながら、メモをとったりしていた。実に刺激的な講演である。

はっ!

こういう時こそ、「録音ができるボールペン」が必要だったのか!

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録音ができるボールペン

7月26日(火)

仕事が進まないいちばんの原因は、この日記であることに気づいた。

ということで、これからあまり日記に力を注ぐことはやめることにした。

今日も、さして面白いことがあったわけではない。職場で仕事をこなし、夕方は「丘の上の作業場」で黙々と作業をする。そんな感じであっという間に1日が過ぎてしまうのである。

最近、出入りの業者が、やたらと海外直輸入の新製品を勧めてくる。kindleを買ったりしたせいかもしれない。

今日持ってきたのは、米国製の「録音ができるボールペン」である。

「以前、チラシをお持ちしましたけれど、今日は実物をお持ちしました」と、出入りの業者のTさん。

「これが、録音ができるボールペンです」

見ると、ずいぶん太くて不格好なボールペンである。ICレコーダーが内蔵されているから、仕方がないのかもしれない。

「ただ単に録音ができる、というだけではありません。あとでメモをしたところにペン先を当てると、そのメモを書いていたときに録音されていた内容を自動的に再生してくれるのです」

そういうと、Tさんは実演をしてみせた。

まず、喋りながらメモを書く。すると、喋っている内容が録音される。

メモ用紙はなんでもよいというわけではなく、特製のメモ用紙を使わなければならないようである。

いったん、録音機能を止める。

「では今度は、書いたメモに、ペンを当てていきます」

するとあら不思議、「メモ」「パソコン」「iPod」など、断片的に書いたメモにそれぞれペンを当てていくと、確かにそのメモを書いたときに喋った部分が、再生されるのである。

「どうですか。すごいでしょう」

うーん。どうもよくわからない。

「アメリカの大学生はみんな使ってますよ。大学の講義の録音をとりながら、メモをとって、あとで復習するのに便利なようです」

たしかにそれはそうかも知れないが、わざわざ録音してまで聴きなおす価値のある講義など、この職場に存在するとは思えない。

「あと、会議でも大活躍です」

これも説得力がない。録音する価値のある会議など、この職場には存在しないからである。

「記者の人なんかは、インタビューをするときに重宝しているそうです」

だが有能な記者なら、わざわざメモした部分にペン先をあてて該当部分を再生するなどといった、親切すぎる機能は必要ないだろう。こういう機械に頼るようでは、有能な記者といえないのではないか。

「…必要ないですね」と私。少なくとも私にとっては、ジョークグッズとしか思えなかった。

「あぁ、そうですか…。では、また面白い商品があったら紹介にまいります」

Tさんはうなだれて研究室を出ていった。

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月曜日はいつもどしゃ降り

7月25日(月)

午後、授業をしていると、雷が鳴り出した。

授業が終わる4時過ぎに、どしゃ降りになる。

(またか…)たしか、先々週の月曜日の同じ時間も雷と土砂降りがひどかった。なぜ覚えているかというと、先々週の月曜、大雨のために夕方の「被災資料のクリーニング作業」が、室内に変更になったからである。

しかも、ゲリラ豪雨ともいうべき雨である。

教室のある建物と研究室のある建物が別棟であるため、どしゃ降りの中を戻らなければならない。先々週のことを考えれば、傘を持ってくるべきだった。まったく教訓が生かされていない。

(まいったなあ…濡れて帰るか…)

すると後ろから「先生」とよぶ声がする。

ふり返ると、2年ほど前に卒業していまは別の部局の大学院にいるKさんだった。

「傘はお持ちですか?」

「いや、あいにく持っていなくってね」

「これから友達を迎えに行くんですけど、そのための傘が1本ありますから、どうぞこれを使ってください」

おかげで、研究室のある建物まで、濡れずに移動することができた。

「ありがとう。助かりました」やはり持つべきものは、卒業生である。

夕方5時からは例の作業である。雨なのでもちろん、室内での作業となった。

今回は、沿岸の町の博物館で被災した資料をクリーニングする。本についている砂が、被害の様子を物語っていた。

見ると、博物館で所有している古い雑誌がほとんどである。

私が手にしたのは、「ACTA ARACHNOLOGICA」と題する、クモ学の雑誌である。「東亜蜘蛛学会」なる学会が発行している。昭和13年6月発行の、第3巻第2号とあった。雑誌についた砂を刷毛ではらいながら、つい内容に目が行ってしまう。

最初から最後まですべて、クモに関する内容である。クモの分類や、各地で観察されるクモの記録、クモに関する文献目録、「クモ」の名がついている動物の話、クモに関する方言に至るまで、さながら「クモ尽くし」といった趣である。

クモに対する思い入れが、そこかしこにみられる。たとえば、三重県の師範学校につとめるT先生が書いた「伊勢神宮々域の蜘蛛類」という調査報告の書き出しは、次のようである。

私の蜘蛛の研究は全くの一年生です。其の動機は昭和12年秋大演習のみぎり神宮の粘菌類を採集すべく休暇の毎日を神域・宮域に過しました。其の際私を苦しめたものは蚊と蜘蛛の巣でした。其の蜘蛛の巣を見ると色々の種類が活動して居るに気がつき、一つ採ってみやうと云ふのに始ったのです。そしてこれを植村先輩にお送りして同定を願ったのです。所が約100種を得て私の心は躍った。これが神宮生物の一として天覧に供すべく標本の製作へと進んだのです所が不幸にして事変のためこの事がなかったが、これを動機として今後蜘蛛類学二年生・三年生に進級したいと思って居ります。諸君のご指導を願う次第です

文中にみえる「事変」とは、1937年にはじまる日中戦争のことをさしているとみられる。クモにのめり込んでいく動機が、くわしく書かれていて微笑ましい。

クモに関わるエッセイもある。東京の石神井にお住まいのKさんの、「みだれかご」という連載エッセイである。

此の頃は毎朝深い霧が立ちこめて、森や林の緑色が灰色の薄絹に包まれてしまふ。細かい霧の粒の流れを縫って庭先に出て見ると、至る処の木の繁みや枝の間に張り渡された、クサグモの網棚やヤマシロオニグモの丸網が、或は絹の風呂敷を拡げたやうに、或は真珠の首飾りをつなぎ合わせたやうに、美しく飾られて居る。とりわけ丸網に露の玉を宿した姿は又となく美しいものである。

やがて霧がうすらいで太陽が射し初めると、七彩の光を輝かせ乍ら間もなく消えて行く。

   大掃除 オホヒメグモに 暴風雨(あらし)かな

クモの巣をこれほど美しく表現した随筆が、これまであっただろうか。しかもクモを詠んだ俳句まである。

クモに対するなみなみならぬ思いが伝わってきて、クモ学の奥の深さが知られる。

巻末の「報告及消息」の欄には、会員諸氏の近況について書かれている。

N幹事が出征なさったことは既報の通りですが氏の御実家より2月23日附次の来信に接しました故御披露いたします

と、学会のN幹事が出征された折にご家族に宛てた手紙を紹介している。それによると、満州のハルピンに配属になったようである。

これに対して学会は、「会員諸賢にしてN氏を識る御方は折々は是非慰問文を差上げる様にして下さい。本会よりは4月15日内容豊富な慰問袋をお送りしました」と会員に呼びかけている。会員の結束の固さを感じさせる文面である。

そして最後に、3月27日に軍事郵便で学会宛に届けられたというN幹事からの手紙の一節を紹介している。

ただいまは軍務之あるのみ、何事も考へませんが蜘蛛を見る度に昔の思い出を新に致します。現在までサソリ類には出くはして居りません

N幹事は、過酷な軍務の合間に、クモを見ては昔を思い出し、思いを新たにしているらしい。まことにクモこそが、生きる糧になっているのである。

時代の雲行きがあやしくなるこの時期に、いやこの時期だからこそ、クモに魅せられ、クモを生きる糧としていた人々が、こんなにもいたのだということに、私は思いを致した。

私たちはなぜ、被災した書物を未来に残さなければならないのだろう。

それは、これまでそれを残してきた人たちの思いだけではなく、そこに書いている人たちの思いも一緒に、未来に伝えていかなければならないからである。

たとえそれが、一期一会の出会いであったとしても。

「そろそろ終わりにしましょう」と、4年生のT君の声。

時計は7時近くになっていた。

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イカの大団円

7月23日(土)

20 午前中、イカが届く明日のバーベキューのために、海の近くの街に住む、世話人のTさんからの差し入れていただいたのである。

開けて見てみると、20杯のイカの姿はやはり壮観である。もうこれだけのイカには拝めないだろうな、ということで、記念写真を撮った。

午後は、この週末にやろうと思っていた仕事をまったくする気が起こらず、いつもの通りのやる気のない1日であった。

7月24日(日)

午前9時、職場の正門に集まった。

今日のバーベキューは、この2カ月以上にわたって行ってきた被災した資料のクリーニング作業のメンバーの、初めての慰労会である。会場になる河川敷はうちの職場から近いところにあるので、今回は、うちの職場のメンバー(卒業生と現役学生)がバーベキューの準備をすることになったのである。

当初の午前11時集合という予定を早め、午前9時に集合したのは、金曜日の「イカ会議」の際に、早めに準備をするに越したことはない、という結論になったからである。集まったメンバーは、「買い出し班」と「イカさばき班」に分かれて、作業を進めることになった。買い出し班は、私と、卒業生のT君と、4年生のN君の3人。イカさばき班は、4年生のT君、Tさん、Mさん、Sさん、3年生のKKさんの5人で、Tさんのアパートで行われた。

私たちは近くのスーパーに買い出しである。4年生のT君が用意してくれた「買い物リスト」をたよりに、買い物かごに次々と野菜や肉を入れてゆく。

途中しばしば、テンションの上がった卒業生のT君が「鍋も借りてきたので芋煮をしましょう」とか、「カレーを作りましょう」とか、「パスタをゆでるのもいいですね」とか言い出して、ともすればそうした材料をそろえようとするので、「野外でバーベキューをやる、という本来の目的を忘れるな!」と諫めつつ、気がついたら買い出しだけで1時間半もかかってしまった。

午後11時近く、買い出した材料のうち、野菜をあらかじめ切ってもらうためにTさんのアパートに向かう。するとすでに、イカはさばかれていた。

「イカはすべてさばきました」

「いやあ、ご苦労様。皮をむくのが大変だったでしょう」

事前にいろいろな人から、「イカは皮をむくのがとても大変だ」と、私はずいぶんおどされていたのである。

「いえ、皮はむきませんでしたよ。だって、焼くんでしょう。ぽっぽ焼だったら、皮をむく必要はないです」

なるほど、そうだったのか。私はイカ料理について、何も知らなかったことを恥じた。

とりあえず野菜以外の材料を会場となる河川敷にもっていき、ふたたびTさんのアパートに戻ると、すでに野菜は切り終えていた。

「Tさんは参加しないの?」

「地デジへの移行の瞬間を、テレビで見たいそうです」

そうか、今日の昼12時に、テレビは地デジに完全移行するんだった。

Sさんも、用事があるので参加できないという。

イカさばきや野菜切りに尽力してくれたTさんとSさんに申し訳ないと思いつつも、野菜を車に積み、ふたたび河川敷に向かう。

会場は、河川敷の橋の下である。「週末の河川敷は、バーベキューをする人たちで押すな押すなの騒ぎですから、前日から場所取りをしておいた方がいいです」という卒業生のT君の提案で、学生たちが頑張って場所取りをしてくれた。だが、当日来てみると、河川敷の橋の下には、バーベキューをする団体はうちの団体しかなく、ほかにはひとっこひとりいないではないか。これが、T君の提案どおり前日に場所取りをしたおかげなのかどうかは、判然としない。

Photo 12時ごろから、人が集まりはじめた。当初の予定の20人をこえ、25人くらいの人たちが集まっている。

予想以上に人が集まってきたようだったので、買ってきた肉が足りなくなるのではないか、と急に心配になり、慌ててスーパーに肉を買い足しに行くことにした。それから、自分の車を自宅に置きに戻り、タクシーで会場に着いた頃には、すでに午後1時をまわっていた。

Photo_2 「イカが焼き上がりましたよ」と、さっそく学生が私にイカのぽっぽ焼を皿に盛ってくれた。

すがたかたちも、まさしくぽっぽ焼である。「いただきまーす」と、さっそく食べてみる。

これがピックリするほど美味しい!!

さすが、新鮮なイカである。

あまりに美味しいので、ぽっぽ焼を2つも食べた。ということは、誰かぽっぽ焼にありつけなかった人がいたのかも知れない。

Photo_3 「げそも焼きましょう」

げそもいただく。こちらも美味しい。イカを運ぶ係をした甲斐があったなあと、数日前からの「イカ騒動」を思い出しながら、げそを噛みしめた。

イカのぽっぽ焼だけではない、カルビ、牛タン、スペアリブ、豚キムチ、豚トロ、じゃがバター、焼きそば、果てはマシュマロ焼と、じつに多彩なメニューであった。

世話人代表のKさんは、食い意地の張った私を見かねたのか、

「いったん座りましょう。まあ落ちついてください」と諫める。考えてみれば私は、ずっと鉄板のまわりをうろうろしていたのであった。

午後4時過ぎ、準備していた食材や、用意していた生ビール19リットルがほぼなくなり、撤収作業をはじめた。

学生たちの手慣れた撤収作業で、橋の下はあっという間に原状回復した。

「みんなで写真を撮りましょう」集合写真を撮る。その顔は、どの人も満足げである。

世話人代表のKさんや、今回のバーベキュー主催者である卒業生のT君の挨拶で、バーベキューは無事、終了した。

それにしても、学生たちのテキパキとした作業には頭が下がる。

私はといえば…、

ただイカを運んだだけである!

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イカ会議

7月22日(金)

「今日はぜったいにこの仕事を終わらせるぞ!」と、1日のはじめに予定を立てる。「この仕事を今日終わらせられなかったら、人として失格だ」と自分に言い聞かせる。

そういってうまくいったためしがないのだが、今日ばかりは本気だぞと、午前中の授業が終わってから、その仕事を始める。

だが連日の疲れで、午後になると急激に仕事のペースが落ちる。というか、眠くなるのである。なんとかこの眠くなる時間を乗り越え、夕方になり、ようやく目が冴えてくる。

さあこれからペースを上げるぞ、というところに、立て続けに来客がある。楽しいのでつい話し込んでしまうと、時計の針はもう午後7時である。

ええぇぇぇぇ!!もう夜の7時かあああぁぁぁぁ!!

来客だけではない。電話も入った。海の近くの町に住むTさんからである。

「予定通り、イカを20杯送りました。明日の午前中に届くと思いますので、よろしくお願いします」

今度の日曜日のバーベキューの差し入れにと、世話人の一人のTさんがイカを送っていただいたのであった。私はそれを受けとって会場に持っていく係である。

それにしてもイカが20杯って、実はけっこうな量なのではないだろうか。どのくらいの箱に入ってくるのだろうか。想像もつかないなあ、などと思いをめぐらせていると、4年生のT君が研究室にやってきた。

「あのう、イカの件なんですけど…」

T君によれば、もしイカがそのまま送られてくる場合、イカをさばくのに、相当な手間と時間がかかるのではないか、というのである。それを、河川敷のバーベキュー会場でするのはかなり面倒なので、あらかじめ、イカをさばいた上で、それをバーベキュー会場に持っていったらどうか、という提案である。

「ワタや骨を取りのぞかなければなりませんし、皮もむかなければいけません。それに水洗いも必要です。それを河川敷でやるのは、ちょっと…」

そうなのか。全然知らなかった。もっと簡単にできるのかと思っていたが、そうではないらしい。

そこで、たまたま大学に残っていた4年生のTさん(お笑いサークルの元会長)やMさんも交えて、急遽「イカ会議」がはじまる。

「私の父がイカをさばくのをよく見てましたけど、かなり大変ですよ」とTさん。「洗うための水も必要ですし」たしかに河川敷には、イカを洗うための水道はない。

話し合いの末、Tさんのアパートで、イカをさばいてもらうことにした。Tさんは、昔からお父さんがイカをさばいている姿を見ていたので、今回、見よう見まねで、イカさばきに挑戦してくれるという。

「あと、野菜もあらかじめ切って持っていった方がいいですよ。野菜を切るのにも相当時間がかかりますから」

Tさんによって、バーベキュー計画の甘さが次々と明らかにされてゆく。

「11時ごろに材料を買ったら、12時には始められると思ったんだがねえ」と私。すでに参加者には、12時ごろから焼きはじめます、と通知してしまったのだ。

「そんなのぜったい無理ですよ!前の日から仕込んでおくくらいでないと」とTさん。

ええぇぇぇ!!前の日から準備を始めるのだけは、勘弁してほしい。

ということで、日曜日の朝10時半集合、といっていたのを、急遽、朝9時集合に変更することになった。スーパーが開店すると同時に食材を買ってきて、Tさんのアパートでイカをさばく作業と野菜を切る作業をすることになったのである。これにはMさんも手伝ってくれることになった。

なんか、おおごとになってきたなあ。20杯のイカをさばくなんて、想像もつかない。

さてこの「イカ騒動」、どういう結末を迎えるか。

今日終わらせるはずの仕事?もうすぐ日付が変わるが、まだ半分しか終わっていない。

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「薩」に弱い人

7月21日(木)

この2日間はグッタリであった。

その理由のひとつは、先週末に眼鏡を買いかえたためである。

レンズの度数を少し上げたため、新しい眼鏡をかけて歩くとふわっふわっした感じになり、どうにも疲れやすい。

それに、眼鏡を変えたことに誰も気づいていないってどういうことだ?!

気づいたのは、4年生のT君ただ1人である。

これでまたグッタリである。

この2日の過ごし方も、グッタリの理由である。

20日(水)。午前中2コマの授業のあと、昼休みに会議が入る。1時過ぎに昼食を食べようとすると、学生が卒論の相談に来た。終わって、急いでお昼を食べて、2時40分から会議に出て、5時40分頃に会議が終わり、そのまま、5時45分に職場からバスに乗って、6時からホテルの宴会場で職場の同僚たちとの暑気払いである。

夏バテに加え、午後の会議あたりから、どんどん気が滅入ってくる。そして暑気払いがはじまったころにはそれが最高潮に達する。「ああ、オレは本当に非社交的な人間だ」と、職場の飲み会に行くと必ず感じる「例の思い」にとらわれ、終わるやいなやそそくさと会場を出て、一人とぼとぼと歩いて家路についた。

こういう日には、この日記に映画の話題を書くことにする。つまり私が映画の話題を書いているときは、気が滅入っているときである。

21日(木)。昨日とはうって変わって、肌寒い天気である。午前中、午後の会議の資料作りをする。お昼休み、ちょっとした打ち合わせのあと、午後1時から演習である。

このとき、思わぬ出来事が起きた。

「菩薩」の「薩」の字が、全く書けなくなってしまったのである。

黒板に「菩薩」と書こうとしたところ、どう思い出そうとしても「薩」の字が出てこない。最終的には、学生に「薩」の字を書いてもらう始末。

もともと私は、「菩薩」の「薩」の字に弱い方なのだが、ここまで全く出てこないとは恐れ入る。おそらく、このところの暑さと忙しさで、脳の一部が溶けだしてしまったのだろう。

それか、先祖が「薩摩藩」の恨みを買って、「薩」の字が書けない呪いがかけられているかの、どっちかである。

疲労しているので、ただでさえ悪い滑舌もさらに悪くなる。(いま私を喋っていることを、学生たちはまったく聞きとれていないのではないか)という妄想にとらわれる。

授業が終わると、ひと息ついて会議である。会議が5時50分に終わると、休む間もなく今度は6時から「丘の上の作業場」に行く。

作業中の風が、今日は冷たい。というか、かなり寒い。

作業をしながら、3年生のKKさんが言う。「私、飲み会とかで人とどうやって話していいのかわからないんです。あんまり友達もいないし、何を話そうかな、と考えているうちに飲み会が終わってしまうんです。だから、親しい人がいない飲み会にはあまり参加したくないんです」

「それはよくないよ」と私。「あまり知らない人ともお話をしていかないと、社会に出てから大変だよ」

「じゃあどうすればいんですか」

「それはね…」と、私は「飲み会で会話をはずませる方法」を、得意げに伝授しはじめた。

「なるほど…。そうすればいいんですね」とKKさん。

ひととおり話し終え、冷静に考える。とても私は、「飲み会で会話をはずませる方法」など人に伝授できる立場ではないのである。

「だったらお前、昨日の職場の暑気払いで、ちゃんといろんな人と話せよ!お前、一人でポツネンとしていて、全然喋ってなかったじゃないか!」

昨日の自分が、私に懇々と説教をした。

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師弟の因縁

映画「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」(第27作、1981年公開)は、東京の喜劇と大阪の喜劇が融合した、不思議な名作である。

あらためて見返してみて、6代目笑福亭松鶴が出演していることに気づいた。映像で松鶴師匠の姿を見ることができるのは、今となってはかなり貴重である。

そして山田洋次監督の映画「おとうと」(2010年公開)には、松鶴の弟子の笑福亭鶴瓶が出演している。つまり、山田監督は、落語家・笑福亭松鶴を起用した約30年後、今度は弟子の笑福亭鶴瓶を起用しているのである。

この「おとうと」は、出来の悪い弟(笑福亭鶴瓶)を堅実な姉(吉永小百合)が見守るという物語で、「男はつらいよ」における、出来の悪い兄(渥美清)と堅実な妹(倍賞千恵子)の関係を逆にしたような話である。

作品自体も、「寅さん」をかなり意識して作られていると思う。とくに、前半の結婚式のシーンで、酒に酔った弟(鶴瓶)が、坂田三吉の物語を語り出すシーンは、「男はつらいよ」の作品に欠かせない「寅のアリア」を彷彿とさせる。山田監督は、笑福亭鶴瓶に渥美清をみていたのではないか。

対して鶴瓶は、かつて自分の師匠を起用したことのある山田監督の作品に、ある感慨をもって出演したのではないか、とも想像する。

ま、勝手な私の思いこみだが。

思いこみついでにいうと、この「浪花の恋の寅次郎」では、大阪の芸者・おふみ(松坂慶子)と、その弟のエピソードが盛り込まれている。ここでもまた、「姉と弟の悲しい別れ」がモチーフになっているのである。

「姉と弟の悲しい別れ」というモチーフ、そしてそこにかかわる、松鶴と鶴瓶の師弟。このふたつの作品が、不思議な因縁で結ばれていると考えるのは、あいかわらず私の悪い癖である。たぶんこんなことを考えているのは、世界で私だけかもしれない。

最後に、「浪花の恋の寅次郎」で印象的な寅次郎のセリフ。

「ま、オレみてえに、ガキの頃から悪いことばかりしている奴ぁ、どうせ大人になったって、ろくな人間になるわけはねえんだけど、…そんなオレがこうやって生きていて、まじめで将来性のある青年が早死にをする。…うまくいかねえなぁ世の中は」

この作品には、寅次郎の「人間に対する共感」が溢れている。

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イカを運ぶ係

7月19日(火)

相変わらずの夏バテで仕事が進む気配がまったくないが、とりあえず火曜の夕方になったので、いつもの「丘の上の作業場」に向かう。

今日も井戸端会議をしながらの作業である。

「この週末に、隣県に行ってきたんですよ」とMさん。

この団体はおもに、「実際に被災地に行って資料をレスキューする」と、「レスキューされた資料をお預かりしてクリーニングする」という2つの活動を行っている。私はもっぱら後者の活動に参加するのみである。理由は、たぶん現地に行っても足手まといになるだけだし、なにより今は本業をこなすだけで精一杯だからである。

Mさんは週末などを利用して、頻繁に被災地のボランティア活動に参加している。

「そしたら、一緒に行ったUさんの車が、高速道路を走行中に火をふいて爆発したんです」

「ええぇぇぇぇ!ホントですか!?」

「すいません。ウソです。本当は車から煙が出て、止まってしまったんです」

話題に出たUさんは、Mさんの職場の同僚である。私はUさんとは職場は違うが、同い年ということもあって、親しくさせてもらっている。少し風変わりな人だが、義理人情に厚く、真っ直ぐな性格で、私が信頼を寄せている友人のひとりである。

Uさんの車はそうとうな年代物らしく、「爆発した」というウソも、まんざらありえないことではない、と、その場の人たちは思ったのである。Uさんの車に関するエピソードが次々と披露される。

「以前は、大雨の日にワイパーが故障した、なんてこともありましたからね」

「そういえば、前にUさんに『Uさんの車は何CCなんですか?』って聞いたら、『うーん。ガソリンが何リッター入るのか、正確にはわからねえ』と答えてました。排気量を聞いたのに、ガソリンの入る量のことだと思っていたようです」

どうやらUさんは、車に対して無頓着らしい。それにしても、この場に居合わせないUさんの話でこれほど盛り上がるのだから、Uさんはみんなに愛されている、というべきであろう。

さて、今度の日曜日に、この作業に関わってきた人たちでバーベキュー大会を行おう、ということになった。

これまで学生たちを中心に、全くのボランティアでやってきたこの活動。ここらでひとつ、労をねぎらう意味で焼き肉でもして親睦を深めるとともに、さらにこれから頑張っていこう、という趣旨で行われる。

作業に並行して、何人くらい集まるだろうかとか、お肉は何人前必要かとか、予算はどのくらい必要かなど、世話人代表のKさんは計算に余念がない。このバーベキュー大会をいちばん楽しみにしているのは実はKさんなのかもしれない。この4か月間、八面六臂の活躍でこの団体をここまで成長させたのは、ほかならぬKさんなのであるから、それは当然のことである。

「ひとつお願いがあるのですが」Kさんが私に言った。

「何でしょう?」

「Tさんが、この日どうしても来られないそうなんです」

Tさんとは、この団体の世話人の一人である。Kさんは続けた。

「で、その代わりにバーベキューの差し入れとして、イカを送ってくれるというんです」

「イカですか!?」

「イカです」

Tさんは、ここから100㎞ほど離れた、海の近くの町に住んでいる。そういう事情から、「自分は行けないが、せめてイカでも…」と思ったのであろう。

「刺身用のイカと、焼く用のイカを送ってくれるそうです」

「はあ」

「そこでお願いなんですが…イカを受けとってもらいたいんです」

「…というと?」

「バーベキュー大会当日の朝にイカが届くように、宅配便で送ってもらうことにしますから、それを当日の朝受けとってもらって、バーベキュー会場まで運んでいただきたいんです」

つまり、イカの受け取り先を私の家にしてもらい、それを当日、私がバーベキュー会場まで運ぶというわけである。

「お安い御用ですよ」

というわけで、私は「イカを運ぶ係」を仰せつかったのであった。

Photo 「夕焼けがきれいですよ!」誰かが言った。その声でみんなが一斉に西の空の方を向いた。

「最近は、すっかり日が短くなりましたねえ」

こんなことを実感するのは、週に2回、夕方に丘の上で風にあたりながら作業をしているからである。

今年ほど、夕方の日の入りの変化や風の心地よさを実感する日々はない。

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ガスト会議

7月16日(土)~18日(月)

夏バテはするし、暗い話題ばかりだし、どうも気が滅入って、やる気が出ない。

上京したときの最近の唯一の楽しみは、妻に録画してもらっている、韓国KBS放送のバラエティ番組「1泊2日(イルパクイイル)」を見ることである。

12 「1泊2日」は、韓国で怪物的な人気を誇るバラエティ番組である。

6人の男性タレントが、1泊2日で韓国の各地を旅しながら、ディレクターのくり出すミッションを次々とクリアしていかなければならない、という番組。旅番組でもあり、お笑い番組でもあり、ドキュメンタリー番組でもある。

私が心待ちにしているテレビ番組は、いまやこれしかない。

この番組がすばらしいのは、6人の出演者のキャラクターがそれぞれ明確であるということである。

カン・ホドン(韓国を代表するMC)は、見た目もふるまいも親分肌のリーダー。

イ・スグン(ギャグメン)は、お笑い担当のムードメーカー。芸達者で、何でも器用にこなす。

イ・スンギ(歌手・俳優)はルックスもよく、頭もよく、運動神経も抜群で、面白く、礼儀正しい、と5拍子そろった人気者。韓国では「オムチナ」(オンマ(母)のチング(友達)のアドゥル(息子)の略。「母親の友達の息子」は理想的に見えることからそう言われているらしい)とか、「国民の弟」などといわれている。

ウン・ジウォン(歌手)は、知性は小学生並だが悪知恵がはたらく憎めない男。

キム・ジョンミン(歌手)は、何をやっても中途半端なダメ人間。

オム・テウン(俳優)は、純情で物静かな2枚目。

それぞれが、番組の中で持ち味を発揮している。番組の本筋は、ディレクターがくり出すミッションをクリアできるかどうか、という点だが、それよりもその過程で見え隠れする人間ドラマの方に釘付けになる。

この週末に見たのは、韓国を代表する6人の女優をゲストに迎え、6人のレギュラー陣といっしょに旅をするという「女優特集」であった。その中には、チェ・ジウや、キム・ハヌルといった日本でもよく知られた女優もいた。レギュラー陣は、女優と一緒に旅行するということで、かなり舞い上がってしまう。

もちろん、女優6人を迎えての1泊2日の旅も、過酷なミッションが待っているのだが、私がとくに印象に残ったのは、というか、腹を抱えて笑ったのは、そんなところではない。

夜、旅先で寝付かれない男性レギュラー陣たちが、部屋で語り出す、というシーンである。

リーダーのカン・ホドンは、「キム・ハヌルは、自分に気があるのではないか」と言い出す。「さっきのゲームで、ハヌルさんがオレのこと好きだ、みたいなこと言っていただろう」

するとおとなしいオム・テウンが、「たしかにホドンさんは女性から見たらセクシーに見えるんですよ。うちの姉も言ってました」と、ホドンをおだてる。ホドンは、元力士の巨漢で、お世辞にもセクシーとは言えない。

だがそれを聞いたホドンは、悪い気がしない。「おいみんな、ここに座れ。みんなでオレの魅力について語ろう」みんなが車座になる。

「でもハヌルさんは、車中ではホドンさんのことなんかひと言も言ってませんでしたよ」と、こういうときには冷静なウン・ジウォン。

「ひょっとして、カモフラージュではないですか?他に好きな人がいるのを隠すために、わざとホドンさんが好きだ、て言ったんじゃないですか」ダメ人間のキム・ジョンミンがたたみかける。

「そんなことはない。相手はプロの女優さんだぞ」とホドン。「なんだ?じゃあ本当に好きな相手は、オレじゃなくてお前だってことか?」

「そうだと思います」とジョンミン。「だって昼間、川に飛び込むときにボク、上半身裸になったでしょう。そのとき、ハヌルさんは、じっとボクの体を見つめていましたよ」

「みすぼらしい体だからじゃないか?」とジウォン。

…とまあ、こんな話が延々と続くのである。

このシーンを見て、思い出す。これって、いわゆる「ガスト会議」ではないか?

思春期の高校生たちが、ガストに集まって妄想会議をするという、例のアレである。男子なら、誰でも身に覚えがあるだろう。ガストに限らず、修学旅行とか、合宿とかの寝る前に、布団の上で車座になって話し合う妄想会議であるといってもよい。

このブログにも、かつて「ミヤモトさんサミット」というエピソードを紹介したことがあるが、まさにあれを彷彿とさせるやりとりである。

なるほど、韓国にも「ガスト会議」があるのだな、と、このシーンを見て爆笑した。しかも30代から40代のオッサンが真剣に話し合っているのだからなおさら可笑しい。

さらに重要なことは、この何でもないやりとりのシーンを、オンエアしているということである。つまりこのシーンを、韓国でも「あるあるネタ」として見ているのである。

「ガスト会議」は、万国共通なのか。欧米の男子学生たちもするのだろうか。実に興味深い問題である。

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夏バテにつき

7月15日(金)

どうやら夏バテである。私はバテると、ふだんでさえ悪い滑舌が、さらに悪くなる。声も張らなくなるのである。

今日、授業その他で私の話を聞いた人は、何を喋っているかまったくわからなかっただろうなあ、と落ち込む。

その一例。

午後の演習で、「佳」の字を説明するのに、「にんべんに、藤圭子の圭です」と学生に説明したのだが、この「藤圭子」が聞き取れなかったらしい。

「なんですか?」

「だから藤圭子」

「フジケ…?」

「藤圭子。宇多田ヒカルのお母さんの」

「ああ」

といっても、学生は「藤圭子」という字が思い浮かばないらしい。そもそも、藤圭子を知っているかどうか自体もあやしい。つまりはこんな説明を口走った私に問題があるのだ。

説明の仕方を変えて「にんべんに土ふたつですよ」というと、

「ああ、佳作の佳ですね」という。

そうか。最初から「佳作の佳」と説明すればよかったのか…。自分のダメさ加減に、ひどく落ち込んだ。まったく、何においても人として失格だな。

このところ、調子に乗ってフザけた日記を書き続けているバチが当たったのかも知れない。

ということで、少し慎もう。

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サマーコンサート

7月14日(木)、夕方。

「今日は早めに作業を切り上げましょう」と代表のKさん。

いつものように「丘の上の作業場」に来ていたが、今日はこの大学の食堂で、夜7時半から大学のブラスバンド部によるサマーコンサートが行われるという。

おととい作業しているときに管楽器の音が聞こえていたのは、今日のための練習だったのだな。

「せっかくですから聞きに行きましょう。無料ですし」と、何かと「無料」にこだわるKさん。袖すり合うも多生の縁、というところか。

Photo 7時半に作業を終え、手早くあとかたづけをして大学の食堂に向かうと、すでに演奏ははじまっていた。食堂は、演奏を聴きに来た学生たちであふれている。

演奏者はみな、男子学生は甚平、女子学生は浴衣である。「サマーコンサート」とよぶにふさわしい。

私は高校時代から15年間吹奏楽をやっていたこともあり、どんなブラスバンドでも無条件に応援することにしている。このブラバンの演奏は、荒削りなものばかりだが、聞いていて、なぜか生きる勇気や希望がわいてくる。吹奏楽には、演奏する側にも聞く側にも、「勇気」とか「希望」を与える力があるらしい。

とくにアンコールの曲がよかった。

「アンコールの曲がよかったね」帰りの車中で、4年生のT君に言うと、

「あれはサザンオールスターズの『希望の轍』という曲ですよ。いい曲です」

そう言うと、T君は歌の一節を口ずさんで歌詞を説明した。

どちらかと言えば、T君よりも私の方が「サザン世代」なのだが、というより、ドストライクの世代なのだが、なぜか私は、サザンにそれほどはまらなかった。といって、避けていたわけでもない。韓国の語学学校でみんなの前で歌った歌は、「いとしのエリー」だったし。

「1990年くらいの曲ですよ」とT君は説明した。

ということは、演奏した学生たちが生まれたころの曲、ということか。例えていえば、私にとっての「ブルーライト・ヨコハマ」みたいなもんだ。

若者たちが、自分が生まれたころの曲を支持しているのは、考えてみればすごいことである。タイトル通り「希望」を感じさせる曲だからかも知れない。

吹奏楽、やっぱりいいなあ。久しぶりに演奏する側にまわってみたいと思った夕べでありました。

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逆ピタゴラスイッチ

7月14日(木)、昼休み。

授業がはじまる20分ほど前、2年生のSさんが次の時間の演習のレジュメの原稿を持ってきた。

「印刷お願いします。すいません。12枚になってしまいました」

「ずいぶん力を入れたねえ」

「マズかったでしょうか」

「いや、多いぶんには全然かまわないよ」

授業開始まであと20分しかない。原稿を受けとり、さっそく印刷室に向かう。

印刷室の前まで来ると、印刷機がガンガンまわっている音がする。

(すでに先客がいたか…)

お昼休みなので、この時間は印刷室が混み合うのだ。しかも印刷機は1台しかない。

先客の同僚は、最速の印刷スピードで、大量のプリントをガンガン印刷していた。

「終わりました、どうぞ」

そう言って、先客の同僚は大量の印刷物を持って印刷室を出た。

今度は私が印刷をはじめると、ほどなくして止まった。

「マスターがいっぱいになりましたので捨ててください」

やれやれ、と印刷機の中にたまっていたマスターを捨て、再び印刷をはじめようとすると、

異常を知らせる表示が。

「リセットボタンを押してください」

リセットボタンを押すと、次に別の表示が出た。

「スタートボタンを押してください」

スタートボタンを押すと、印刷機から異音がなり始めた。すると今度は、

「復旧しない場合は、リース会社にご連絡下さい」という表示。

どうなってんだ?こういうときは、いちど電源を切って、もう一度つければ大丈夫な場合がある。そこで、いったん電源を切って、再びつけると、また

「リセットボタンを押してください」という表示である。

リセットボタンを押すと、また「スタートボタンを押してください」と出た。スタートボタンを押すと、また異音がなり始め、「リース会社に連絡を」と。

うーむ。一体どうなってんだ。授業がはじまる時間が刻々と近づいている。

おそらく、先客が、最速のスピードで大量印刷したから、印刷機が暑さでやられちゃったんだな。

それにしても、どうしていつも、印刷機運がないのだろう。しかも授業直前の急いでいるときに限ってこんなことが起こる。さらにはこういうときに限って印刷枚数が多い。すべてのタイミングが悪すぎる。

タイミングの悪いことが重なることを、「逆ピタゴラスイッチ」と呼ぼう。

職員のNさんに、「印刷機が壊れたみたいです」というと、「ではリース会社の人に来てもらいましょう。それまではすいませんが、コピー機を使ってください」と言われた。

仕方がないので、もったいないけれどコピー機を使うことにした。

すでに授業開始の時間だが仕方ない。大量の原稿をコピーした。

ちょうどコピーし終わった頃、印刷機の動作確認をしていた職員のNさんが言った。

「あれ?直ったみたいですよ」

「ええぇぇぇぇぇ?!」何というタイミングだ。

サウナのような印刷室を出て、大汗をかきながら研究室に戻り、授業に必要な資料をととのえて教室に行こうとすると、ドアをノックする音がした。3年生のN君である。

「先生どうしたんですか?授業時間はじまってますよ」

「ごめん。印刷機の調子が悪くってね」

「てっきり暑さで干からびてしまったんじゃないかと思いました」

暑さに弱い、と思われているんだな。その通りなんだが。

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12年前の教え

いまから12年ほど前、まだこちらに来る前の話である。

週に1度、東京から特急で片道2時間ほどかかる大学に、非常勤講師として1年間通っていた。

駅をおりると、周囲には何もなく、ただ大学だけが、ポツンとあるような、寂しいところである。

授業のない時間には非常勤講師控室にいるのだが、そこには、やはり東京から2時間ほどかけて通ってきたTさんという非常勤講師の先生が1人いた。本職は企業コンサルタントだとか言っていた。そもそもその大学は、経営系の大学なので、実利的な科目がほとんどで、私のような非実用的な科目を教える人はいなかった。

T先生は、人のよさそうなおしゃべり好きのおっちゃん、という感じで、毎回、私にいろいろと話しかけてきた。私には全く畑違いの方のお話なので、新鮮な気持ちでT先生の話を聞いていた。ちょいちょい、自分の自慢話を差しはさんでくるのがやや鼻についたが、まあそれはご愛嬌である。

その中で、いまでも印象に残っている話が2つある。

一つは、「お礼状の書き方」である。

「何かのときに、お礼状を書く必要にせまられることがあるでしょう。でも、書くのが億劫になるときってありますよね」とT先生。

「ええ。私なんかいつもそうです」

「そういうとき、どうすればいいかわかりますか?」

「さあ」

「私はまず、封書でもハガキでも、お礼状の中身からではなく、まず宛名から書きはじめるんです」

「はあ」

「しかも、どっしりとした、大きな字で書くんです」

「ほう」

「そうすると、お礼状を書かなきゃ、という気になるんですよ」

「はあ、なるほど」

するとT先生は、カバンから封書を取り出した。

「ほら、こんなふうに」

なんと、T先生は、それを実践しているという証拠を、私に見せてくれたのである。

たしかに、堂々たる字で宛名が書かれている。

「すばらしい字ですね」と私が言うと、

「私、書道をやっていましたから」と答えた。

なあんだ、結局、字がうまいことを自慢したかったのか。

それはともかく、そのときは、なるほどなあと思って聞いていたのだが、その後、私がそれを実践することはなかった。

もう一つは、「会社での仕事の交渉術」についてである。

「最近、電子メール、なんてのが流行ってますでしょう」

「ええ」12年前、PCメールが普及しはじめた時期である。

「最近は会社でも、みんな電子メールですませようとする。あれはいけません」

「そうですか」

「あれは顔が見えませんからね。電子メールでやりとりをしていると、そのうちにおたがい顔が見えないもんだから、激昂したりなんかして、まとまる話もまとまらなくなる、なんてことがあるんですよ」

「へえ、そうですか」

「おたがい顔を合わせて話をすれば、何てことないことなんですけどね。電子メールだと、話がこじれるなんてことがよくあるんです」

「なるほど」

「ですから、面倒でも、直接出向いていって、顔を見て話をすれば、すんなりまとまることが多いんです」

「ほう」

そのときは、アナログ世代のやっかみからきているんじゃないか?とも思ったが、いまになってみると、思いあたることが多い。

私の知り合いが本を執筆していたとき、編集者からメールが来るたびに、その理不尽な要求に腹を立てていた。

「でも、実際に会って話をすると、憎めない人なんだよねえ」

とその知り合いは言っていた。

なるほど、編集者が著者と直接会って話をするというのは、実は大事なことなんだな、と、その話を聞いて実感した。

考えてみれば、いまの職場でもそうだ。つい、メールですませてしまいがちだが、何でもかんでも業務命令が一斉メールで送られてくると、だんだん腹が立ってくる。

できるだけ直接会って、顔を見ながら話をする、ということが、やはり大事らしい。

二つめの教えは、いまでも十分実践できそうだ。

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蚊帳の効果か

7月12日(火)

夕方、今年3月に卒業したA君(元局長)がたずねてきた。

見ると、腕のひじから下の部分が真っ赤である。あと顔も。

「どうしたの?」と聞くと、

「被災地支援のために派遣されて、側溝の泥をかいていたら、日に焼けました」という。

色白のA君は、日に焼けると肌が赤くなるらしい。今は遠くに住んでいるA君は、被災地での作業を終えて、大学に寄ってくれたとのことだった。

「ブログでクリーニング作業の話、読みました」

「今日もこれからあるよ。参加してみる?」

「ええ。実は期待してました」

ということで、夕方6時前、「丘の上の作業場」に向かう。

それと学生2人もはじめて参加する。4年生のTさんと、3年生のKKさんである。

KKさんは、「前から参加したかったんです~」という。

「ブログを読んで参加したいと思いました」

「読んでたの?」

「ええ、あれを読んだら、ぜったい参加したいって思いますよ」

「そうかねえ。自分ではわからないけど」

「私、いま友達に宣伝しまくっているんですよ」

「作業のことを?」

「いえ、ブログをです」

「ぜひ作業の方を宣伝してよ」

弱ったな。こっちはひっそりと書いているんだが。でもクリーニング作業に興味を持ってくれたのだから、この役立たずのブログも、少しは役に立ったということか。

「あのう、今日いらしているAさんって、あのラムネ事件の方ですよね」とKKさん。

「そうだよ。あの事件の犯人だよ」

どうやら毒ラムネ事件は有名らしかった。

「丘の上の作業場」に到着。やはり丘の上は涼しい。

次々と人があらわれた。今日は最多の人数かもしれない、と、代表のKさんはおっしゃった。

しばらくして、卒業生のT君が息を切らしてやって来た。

「蚊帳を持ってきました。蚊帳!」

昨日の居合いの胴着とはうって変わって、クールビズに革靴である。

昨日に引き続き、みんなの前で颯爽と蚊帳を広げるが、みんなの反応はいまひとつである。T君自ら、クールビズで革靴のまんまで蚊帳に入って作業をはじめるが、その姿はやはりシュールである。なにより、大勢の人が作業している中で、ひとりポツネンと蚊帳の中で作業をしている姿は、目立ってしょうがない。

作業をしていると、見慣れない女性が私たちのところにやってきた。

Photo_2 「あのう、…これは何をしているんでしょうか」

大勢の人間が刷毛で本をなぞっている姿は、たしかに不審である。挙動不審な団体と思われて調査されているのか?と、一瞬身がまえた。

代表のKさんが一通り説明すると、

「私、ここの職員なんですが、私も来週から参加してもよろしいでしょうか」という。

「もちろんですとも」

「何か特別な技術は必要でしょうか」

「いえ、何も必要ありません。はじめて来た人も、こうして作業してますし」と、Kさんは、A君やTさんを紹介しながら言った。

こうして、作業の仲間が増えていく。しかし、私たちの作業の様子を見て、興味を持って参加しようと思うとは、そうとうめずらしい。

ひょっとして蚊帳の効果かもしれないな、と私は思った。

「さあ、そろそろ片づけましょう」と代表のKさん。

T君がA君と二人がかりで蚊帳を、やはり悪戦苦闘しながらたたみはじめる。

「昨日よりずいぶん早くたためられたね」と私。

「ええ、たぶん1分は切ったと思います」

T君は誇らしげに答えた。

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広げた蚊帳はたためない

7月11日(月)

朝から、原稿を書くぞ!と勇んで職場に行くが、なにしろ暑くて、何もできやしない。

ぐったりしたまま、午後、授業をしていると、雷が鳴り出し、大雨が降り出した。

今日は夕方から例の作業なのだが、これでは屋外での作業はとてもムリである。

ということで、急遽、建物の中で作業を行うことにした。

3 夕方5時、作業している部屋に行ってみると、すでに数人の学生が作業をはじめていた。看板もすでにできあがっている様子である。さすが、仕事が早い。

学生たちはすっかり手慣れた感じで、井戸端会議に花を咲かせている。

たしかに井戸端会議はストレスを解消する効果があると書いたが、それにしてはよく喋る。もう少し慎んでもいいんじゃないか、とも思ったが、仕事の手が止まっていないのがすごい。

携帯電話が鳴った。前の職場で同僚だったKさんからである。

「いま雨ですよね」

「ええ」

「今日の作業は中止ですか?」

「いえ、建物の中でやってます」

「それはよかった」

「…ひょっとして、こちらにいらっしゃるんですか?」

「まさか、50キロも離れているので行けませんよ。ちょっと心配になったもので電話したんです」

「それはどうも。おかげでうちでも無事にはじまりました」

前の職場では、Kさんの指揮の下、、数週間前からすでに作業がはじまっていた。うちの職場が、最も後発である。

「メールを読みましたが、うれしさが伝わってくる内容でした」

「そうですか」

「がんばってください」

「ありがとうございます」

Kさんはエールを送ってくれたのだな。気にかけていただいていることに感謝した。

作業している部屋に戻ると、少しずつ、人が増えてきた。総勢10名となり、先週の金曜日とほぼ同じ人数になった。

もうすぐ7時になろうか、というとき、卒業生のT君が息を切らせながら、部屋に入ってきた。

「蚊帳を買ってきました!蚊帳!」

居合いの胴着を着たT君は、片手に真剣、そして片手に蚊帳を持っていた。

「すいません。これから居合いの練習なんです」

そういうと、T君は新品の蚊帳を袋から出して広げだした。居合いの胴着を着て蚊帳を広げる姿は、なかなかシュールである。

Photo 「どうです。大きいでしょう」

人が2人くらい入ることができるくらいの大きさである。屋外作業中の虫対策は懸案事項だったが、これで少なくとも2人くらいは、虫に悩まされなくてすむ。

ただ残念なことに、今日は建物内での作業だったので、蚊帳の出番はなかった。

「残念だけど明日の作業で正式にお披露目した方がいいな」

ということで、蚊帳をたたむことにしたが、いったん広げてしまった蚊帳は、なかなかたためない。3人がかりで四苦八苦して、なんとかもとの通りにたたむことができた。たたみ方も、徐々に慣れていくだろう。

かくして午後7時、本日の作業は終了した。

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対談は人なり

『向田邦子全対談』(文春文庫)を読んでいたら、私が大学2年の時に習った英語の先生が向田邦子の対談相手の1人として登場していた。

その先生は、シェークスピアの翻訳でとても有名な先生で、マスコミにもしばしば登場する有名人であった。授業はとても面白く、その先生の雑談は、聞いていて飽きないものであった。今から20年以上も前の話である。

ところが向田邦子との対談を読んで、私はショックを受けた。

対談は、その先生から口火が切られている。

「今、輝いている女優さん、というと、名前を挙げていきましょうか。思いつくままに」

そしてその先生は、次々と時の女優の名前をあげていった。

どうもその先生は、「女優」というテーマで向田邦子とお話をしたいらしかった。

それに対して向田邦子は、あまりそのテーマに乗り気ではなさそうである。それもそのはずである。ドラマの脚本家が、「この女優は輝いている」とか「この女優はそれほどでもない」などとうっかり評価しようものなら、その先の仕事に支障をきたすからである。だから、脚本家の口から、特定の女優についての評価をあれこれすることは、慎むべきものなのである。

だがその先生は、そんなことはお構いなしに、どんどんと女優の名前を出していっては、評価をしていく。そればかりでなく、自分がその女優をよく知っているということを、自慢げに話すのである。

なんというデリカシーのない人なんだろう。これでは単に、自分がいかに女優のことを知っているかということを自慢しているにすぎない。読んでいてとても不愉快になってきた。

そういえば、大学2年の時に受けた授業の時も、「昨日も(井上)陽水と麻雀をしたんだけれども…」とか、自分が芸能人と親しいことをさりげなく自慢していたことを思い出した。

当時は、すげえなあと授業を聞きながら思っていたが、いま冷静に考えてみると、たんに自慢したかったから話していたにすぎないのではないか、と思えてきた。

というわけで、その先生に対する私の評価が、20数年ぶりに正反対になったのであった。

他の人との対談を読むと、その違いが際だつ。他の対談では、こんなえげつないテーマで話してはいないからである。もっぱら食べ物の話とか、お酒の話とか、他愛もない話がほとんどである。だが、だからこそ面白い。それこそが、対談の真骨頂なのである。

とりわけ、倉本聰さんとの対談は秀逸で、倉本さんが最初に、

「今日は弁当箱と履物の話をしたいんだけど、弁当箱について、ちょっと言いたいでしょう」

と話をふると、向田邦子は、

「言いたい、言いたい。(笑)」

と、その話に飛びつく。このあたりの関係性がすごくいい。

水上勉との食べ物をめぐる対談や、吉行淳之介との数字をめぐる対談も、読んでいて心地よい。

まさに「対談は人なり」である。

それにしても、向田邦子は、なぜかくも多くの人に愛されたのだろう。

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恒例のぐったり週末

7月10日(日)

この週末は、暑くて身体が鉛のように動かなかった。平日とのギャップが激しい。

さて、健康診断の結果は、予想通りであった。

「お前、今のままの生活をしてたら、研究者生命より前に、生命が危ういぞ」的な結果である。もちろん、そうは書いていないが。

不思議である。お酒だってほとんど飲んでいないし、最近はスポーツクラブにも足繁く通っているのだ。

「一体オレが何したっていうんだよ!」

寅さんがよく言うセリフである。

「寅、お前、胸に手を当ててよーく考えてみろ!」

こっちは、おいちゃんのセリフ。

で、胸に手を当てて考えてみると、生活が不規則で、食事が偏っている。

どうもそれが原因らしい。

「バランスをとれた食事を!」というが、これが難しいのだ。

韓国にいた頃は、黙っていても、野菜を多くとっていたよなあ。それが日本に帰ったとたん、野菜不足になったのだ。身体とは、正直である。

野菜をいかに多くとるか。これが、今月の課題である。

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初回2時間半スペシャル

7月8日(金)

この日記も、だんだん作業日誌みたいになってきたなあ。

夕方4時半、いよいよ、うちの職場で、作業開始である。

これまでは、市内の別の大学の作業場まで行って作業をしていたが、なにぶん丘の上にあり、学生たちにとっては、通うのが少し面倒だった。

そこで、いつもの作業場から、被災した資料を少しだけお預かりして、うちの職場でも試しにクリーニング作業をやってみよう、ということになったのである。

作業スペースにしたのは、図書館の玄関前に置いてあるテーブル。私が以前、毒ラムネを飲まされた場所である。

あまり集まってくれないのではないか、と心配したが、2年生から4年生までの、なんと10人が集まってくれた。あらかじめ買っておいた刷毛も、足りなくなってしまった。

2 図書館前のテーブルをすべて占拠して、クリーニング作業がはじまる。

それにしても暑い。丘の上の作業場は、やはり涼しかったなあと実感した。

私は、「水に濡らすだけで首もとに巻くとヒンヤリするタオル」というのを首に巻いていたが、それでも暑い。

だが、学生たちはときに黙々と、ときに井戸端会議をしながら、作業を続けてくれた。

人通りの多い場所で、ひたすら本を刷毛でこすっている作業をしているから、前を通る人たちも、一体何をしているのかと不審に思う人が多い。

「看板があったほうがいいですね」とリーダーのT君。

「そうだね。せっかくだから、こういう活動もあるのだということを、多くの人に知ってもらった方がいいしね」と私。

「昨年の学園祭のときに作った看板を使いましょう」

昨年の看板とは、学園祭で「キョスニムと呼ばないで!」というお店を出したときの看板である。

「さすがにそのまま出してはダメだろう。そのまま出したところで、なんだかわからないよ」

「そうですね。では、タイトルのところを変えて出すことにします」

ということで、近々看板もお披露目する予定である。

この作業は、見た目はとても地味だが、作業をしている人たちにとっては、いくつかのメリットがある。

ひとつは、本についた砂を刷毛や竹ぐしを使ってひたすらはらい落とす、という作業が、邪念を払い、心を中を無にする、という効果をもつ。いってみれば、写経のようなものだ。

心の中を無にすることによって、日々のイヤなことを忘れることができる。

二つめは、喋りながら作業ができるので、人と話すことによって、さまざまな刺激を受けたり、ストレスを解消したりできる。つまり、井戸端会議の効果である。

三つめは、この地味な作業が、確実に、被災地のお役に立っている、ということである。

つまり、「一石三鳥」なのである。他人様のお役に立つばかりでなく、自分の心の健康にもよいのだ。

かくして初回の本日、午後7時に、2時間半の作業が終了した。

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七夕の夕刻

7月7日(木)

午後、暑くて仕事にならない。頭がボーッとする。

夕方、いつものように作業場のある大学に向かう。4年生のT君も一緒である。

6時から作業をはじめると、次から次へと人が集まってきた。

「今日は人が多いですねえ」

はじめて参加する人も数人いた。社会人が増えてきたのである。

いつものように、井戸端会議をしながら作業をしていると、1時間くらいたった頃、雨がポツリポツリと降ってきた。

「ちょっと早いですけど、撤収しましょう」と、この作業を取り仕切っておられるYさん。

作業スペースが建物の外なので、雨が降ってくると、作業をやめなければならない。いつもなら1時間半くらい作業をするのだが、こればかりは仕方がない。

作業用の机や椅子をしまい、雨が小降りになるまで待機する。

「せっかく今日はたくさんの人が来たのに、1時間で終わりなんてもったいないですねえ」

「ま、こんな日もありますよ」

そうこうしているうちに、雨がほとんどやんでしまった。

建物の外に出ると、浴衣をきた女子学生が4人ほどやってきた。ふだんは作業に参加している学生たちだが、今日はなぜか浴衣を着ている。

「今日はお祭りか何かですか?」と聞くと、

「今日は七夕ですよ」という。

そうか。今日は七夕だったか。

七夕に降る雨を、催涙雨という。織姫と彦星が流す涙だという。

「じゃあ、七夕のお祭りか何か?」

「いえ、今日、浴衣を着て登校すると、アイスが100円で買えるんです」

「ええぇぇぇっ!それだけ?」

「はい」

アイスがタダになるわけではなく、100円で買えるというメリットだけなのか…。そのためだけに浴衣を着てくるとは、かえってコストがかかるんじゃないだろうか。

「せっかくですから、一緒に写真を撮ってもらったらどうです?」この活動の世話人代表のKさんが私に言った。

「いいですよそんな…」私は断った。汗だくのおじさんが浴衣姿の女子学生に囲まれて写真を撮るなんて、キモいと思われるだけである。

「でもこんな機会、今日くらいしかありませんよ。私、カメラ持ってきてますから」Kさんはすでにカメラを構えていた。私はしぶしぶ浴衣の4人組の真ん中に立った。

「ハイ、じゃあ撮りまーす。お、いいですねえ。まんざらでもないって顔してますよ。浴衣姿につられて、こちらの職場に転職しようなんて考えちゃいけませんよ」Kさんは私をからかった。

「何をバカな…」

パシャッ。

撮り終わって、恥ずかしくなり急いでその場から離れると、その様子をずっと見ていた4年生のT君が私に言った。

「先生、今までに見たことのない笑顔でしたよ」

「……」

そんな七夕の夕刻。

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映画には因縁が宿る

7月6日(水)

久しぶりに小泉堯史監督の映画「博士の愛した数式」をDVDで見直した。

最初、劇場で見たときはそれほどでもなかったのだが、今回は号泣した。

小泉堯史監督の作品は、どれも、とても地味である。

だが、くり返し見るうちに、じわじわと来る。

主演の寺尾聰は、原作の小説で読んだ「博士」のイメージからすると、少し若いかな、という印象がある。むしろ、原作のイメージに近いのは…、

そう、宇野重吉だ!

それにしても、寺尾聰の演技は、どんどん父親(宇野重吉)のそれに近づきつつある。遺伝子、という言葉は嫌いだが、やはり「博士」の役は、寺尾聰しか考えられないのかも知れない。

小泉監督の2作目の「阿弥陀堂だより」は、いろいろな意味で私の大好きな作品だが、印象的なのは、北林谷栄と、宇野重吉の息子である寺尾聰が共演していることである。

北林谷栄は、宇野重吉とともに「劇団民藝」を立ち上げ、戦後の新劇界をリードしてきた。いわば2人は「戦友」である。

「阿弥陀堂だより」の製作当時、90歳だった北林谷栄にとって、その「戦友」の息子と共演することは、どれほど感慨深かったことか。

製作発表記者会見で、北林谷栄は述べている。

「おそらく自分にとって最後の作品で、一度会いたいと思っていた聰ちゃんと一緒に仕事ができることを幸せに思っています。人生の最後に、聰ちゃんと仕事ができて、聰ちゃんのことを考える日が、やっと来たんだな、そのチャンスを、神様が最後に与えてくれたんだな、と思います」

横で聞いていた寺尾聰の目には、涙があふれていた。

映画以上に映画的な記者会見である。

もちろん、このような因縁めいた話は、映画の本編とは、本来何の関わりもない。だが、こうした役者どうしの不思議な縁が、目に見えない力となって映画に生命を吹きこんでいるのではないか。そんな気にすらなってくる。

小泉堯史監督の作品は、どれも地味である。

だが、これからもくり返し見るだろう。「雨あがる」といい、「阿弥陀堂だより」といい、「博士の愛した数式」といい、そこにはさまざまな因縁が宿っているように思えてならないからだ。

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紙魚(しみ)は生きていた

7月5日(火)、夕方。

うちの職場で大々的に行っている震災ボランティアの活動報告会があるというので、聞きに行く。毎週末、市内の大学の学生が主体となって、バスで被災地に行って活動をしている、と聞いていたので、どんな活動をしているのか、興味があったのである。

会場に行くと、スーツでビシッと決めた、主催者、というか、仕掛け人の「先生」のお話が始まる。このスーパークールビズのご時世に似つかわしくないくらいの、格好いいスーツ姿である。

パワーポイントを使って説明するのだが、それがまるで、企業のマーケティング戦略のプレゼンを聞いているようで、およそボランティアの活動報告とは思えない。

…と思ったら、その方はマーケティングがご専門の方だという。なるほどねえ。

ボランティア活動をするにあたって、派手な記者会見を何度もしたり、東京の有名な企業と提携したり、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルネットワークサービスと連動したり、と、この「被災地ボランティアプロジェクト」が、いかにすばらしいかをよどみなくお話になる。まるで一企業のプロジェクトを説明しているがごとくである。

どうしてだろう。聞いているうちに、だんだんムカムカしてきた。

「僕たちは、被災者のニーズに合わせて…」

「被災地へのアプローチは…」

「フィジカルな活動だけではなく…」

横文字を多用する話を聞きながら思った。

しゃらくせえ!

たぶん、ものすごく善意でやっているのだと思うし、すごく前向きにとりくんでいるのだろうな、とも思う。まじめにとりくんでいる学生にも敬意を表している。

だけど、後ろ向きで心が歪んでいる、この「うす汚れた心」の私からすれば、

別にオレはいいです。

という感じになってしまうのはなぜだろう。

たぶん、ボランティアにはいろいろな形がある。イベント感覚で前向きに活動するのが好きな人もいれば、そういうことになじまない人もいる。問題は、「そういうことになじまない人」が活動できるような受け皿も必要である、ということではないだろうか。前向きな人ばかりでなく、私のような後ろ向きの人もできるようなボランティアがあってもよいのではないだろうか。

そんなことを思いながら、途中退席し、3年生のN君といつもの作業場に向かった。

やはりいつもの作業場は落ち着くなあ。例によって、井戸端会議をしながら、津波で泥をかぶってしまった本を、刷毛でクリーニングする。

同じテーブルで作業していた学生のSさん。Sさんは、この作業場のある大学の3年生で、この作業の中心的な役割をはたしている女子学生である。そのSさんが言った。

「先日クリーニングしていた本の中に、紙魚(しみ)がいたんです」

紙魚(しみ)とは、和紙などを食う虫のことである。

「こちらでお預かりしてから本の中に入ったのではなく、どうも、被災地から運ばれてくる前から、本の中に潜んでいたようなんです」

「…ということは、その紙魚が本の中にいたときに、津波にあって、それでも本の中で生き残って、ここまで運ばれてきた、ということ?」と私。

「たぶん、そうだと思います」

「ずいぶんたくましいねえ。まるで『ラストエンペラー』に出てくるコオロギみたいだ」

「そうですね。あの津波の中を生き抜いてきたんですね」

紙魚の生命力の強さは、この作業を通じてしかわかりえないことだろう。

今日は、新たなメンバーも加わった。

「先生お久しぶりです」

数年前にうちの大学を卒業したKMさんである。市内で働いているKMさんは、知り合いからこういう活動があると聞き、初めて参加してみたという。

「私のような者が参加してもよろしいのでしょうか」とKMさん。

「もちろんだよ。ぜひこれからも参加してよ」

「はい。来週もまた来ます」

この活動が、こういう思いをもっている人々の受け皿になっていることを、誇りに思う。

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メール

7月4日(月)

先生。

先週金曜日の研究会ではお世話になりました。

そのときにお話しいただいた、実際に被災地をまわられての資料救済活動のお話は、私にとっても勇気づけられるものでした。

いまこちらでも、Kさんを中心に、被災した資料の救済活動が行われています。

もっぱらこの活動は、Kさんの献身的な努力によるところが大きいのですが、「既存の組織や学会にしばられない、しがらみのない活動をしたい」ということで、特定の機関に事務局を置くことをせず、Kさんを事務局として、志をともにする人たちと一緒に進めています。

現在は、被災地から要請があった場合の救済活動と、救済された資料をこちらでお預かりして、修復やクリーニングをする活動をしております。後者は週2回、市内の大学の学生たちを中心に、社会人の方を交えて、2時間ほど作業をしています。毎回、10人程度の人たちが集まってくれています。また、県南の大学でも、学生たちを中心に週1回の作業が行われています。

私自身、被災地での活動に参加したことはまだありませんが、週2回の作業には参加するようにしています。

まったくしがらみのない組織ですが、それゆえに、いまのところ県内の3つの大学がうまく連携しあいながら、おたがいができる範囲のことを進めているように思います。

今回の作業で、多くの学生が協力してくれていることが何と言っても大きいです。大学という枠を越えて、多くの学生が、全くの無償で参加してくれています。その中には、被災している沿岸地域出身の学生もいます。そういった学生たちが、思い入れをもって、この作業を進めてくれているように思います。なんとか、地元の学生が継続してこの活動に参加できる体制をととのえたいと思っています。

これからの課題は、いかにしてこの活動を継続していくか、ということです。先の見えない作業が続きますが、それぞれができる範囲で力を出しあいながら、継続できる体制を作りたいと思います。

長文、失礼いたしました。ご教示いただいた件についても、こちらで実践できるか、仲間たちに相談してみたいと思います。

では、失礼いたします。

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自由席地獄

7月3日(日)、午後。

東京からの帰りの新幹線の席がまったく取れず、自由席に座るために、ホームに1時間並ぶことにした。

日中の、しかもいちばん気温が高い時間帯なので、尋常ではないくらい暑い。立っているだけでじわじわと汗が出てくる。

1時間後、新幹線がホームに入り、無事、一番乗りで窓側の席に座ることができた。

すると、次から次へと乗客が入ってくる。自由席は、あっという間に埋まっていく。

しばらくすると、「すいません、隣、空いてますか?」という声がした。

見上げると、私と同じ体格で、私と同じ年格好の、つまり、太ったおじさんが、私が持っているリュックよりも、さらにでかいリュックを背負って、…リュックだけではない、両手に重そうなカバンを持って、汗だくで立っているではないか。

「え…、ええ。空いてますよ」

「そうですか。じゃあ失礼します」

そういうと、私にそっくりなそのおじさんは、リュックだのカバンだのを上の棚に上げて私の隣の席に座り、汗だくになりながら、ペットボトルの炭酸飲料をゴクゴクと飲み始めた。

(またかよ…)

私がそう思ったのは、ちょくちょくこんなことがあるからである。

昨年の11月1日のことである。高速バスに乗ったとき、やはり窓側に座っていると、途中の停留所から乗ってきた客が、「隣、いいですか?」と聞いてきた。

見上げると、屈強そうな、マッチョなおじさんである。

「え、…ええ」

ただでさえ狭いバスの座席である。そこに、太った私と、マッチョなおじさんが並んで座るのは、いかにも窮屈である。私よりもさらに横幅のあるその人のために、私の頭は座席横の窓にビッタリとくっついた。さらに悪いことに、私はそのとき、長期の旅行に出るために大荷物だったため、そのすべての荷物を膝の上に置かざるをえなくなった。つまり私は、マッチョなおじさんと、自分の大荷物にガッチリとはさまれて、まったく身動きができない状態だったのである。

よりによって、どうして私の隣の席には、そういう人ばかりが座るのか?

綺麗で小柄の女性が座ってほしい、とは言わない。せめて、もうすこしバランスを考えて席を選んでくれないものか。

ただ、その太ったおじさんの気持ちもわかる。通路側の席しか空いていないとき、窓側に座っている女性の隣に座る勇気はないだろう。汗だくで荷物が多い姿を見て、キモいと思われるに決まっているからである。

自分と同じような人間が窓側に座っていたら、「おお、同志よ!」といった感じで、温かく受け入れてくれるのではないか。

そう思って、あえて私の隣の席を選んだのだろう。

だが、それは間違いである。暑苦しい2人が並んで座ることは、私にとってはかなりの迷惑なのだ。

そのことを、新幹線の中から妻にメールで報告すると、

「隣の人だって、同じ気持ちだと思うよ」と。

なるほど、こちらも暑い中を汗だくで1時間も新幹線を待っていたのだ。向こうにしても、止むに止まれぬ、最悪の選択だったのかも知れない。

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モバイル地獄

7月1日(金)

夕方、上京。

私の背負っているリュックは、いつも重い。

「いったい何が入っているんですか?尋常な重さじゃありませんよ」とよく言われる。

筆記用具、手帳、ノートパソコン、外付けハードディスク、iPod、デジタルカメラ、電子辞書、携帯用のラジオ、乾電池、そして折りたたみの傘。さらに、500mlのペットボトルの水。

最近はこれに、もうひとつ加わった。Kindleである。 

英語の勉強をはじめようと一念発起して、英語の電子書籍を読むための専用端末を買った。それがkindleである。

まわりの同僚にも聞いてみると、かなり多くの人が買っている。いまうちの職場では、ものすごい勢いでKindle が売れているらしい。

いろいろ試してみると、日本の電子書籍も、Kindle仕様で読むことができることを知った。で、結局、英語の本ではなく、もっぱら日本語の小説を読む端末となってしまった。

だが、これ1冊あれば、長距離移動の際にも時間を有効に使うことができる。

ということで、これもリュックに入れた。

あ、そうだ。読んでない文庫本があった。いい機会だから、この週末に読むことにしよう。

ということで、文庫本を2冊、リュックに入れた。

…これでは、何のためにKindleを買ったのかわからない。そもそも荷物を軽くするために、文庫本の代わりになるKindleを買ったのに、これではKindleの分だけ、さらにリュックが重くなっているではないか。

このほかにも、以前友人に勧められて買った携帯用ワープロ「ポメラ」というのがある。そもそも、ノートパソコンが重いので、その代わりに携帯用として「ポメラ」を買ったのだが、結局はノートパソコンを持ち歩くことが多くなり、あまり携帯する機会がなくなってしまった。今回もリュックに入れようと思ったが、迷ったあげく、断念した。

この上、義理の妹に借りているニンテンドーDSも、リュックに入れようと思ったが、たぶん使わないだろうと思い、断念した。

私のリュックに入っているのは、どれも「携帯に便利」という理由で買ったものがばかりだが、これだけのものが揃うと、リュックは尋常ではない重さになる。鉄の塊をかついでいるようなものである。もはや持ち運ぶのに便利なのかどうかもよくわからない。

結論。携帯に便利なものを寄せ集めると、携帯に不便である。

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