映画には因縁が宿る
7月6日(水)
久しぶりに小泉堯史監督の映画「博士の愛した数式」をDVDで見直した。
最初、劇場で見たときはそれほどでもなかったのだが、今回は号泣した。
小泉堯史監督の作品は、どれも、とても地味である。
だが、くり返し見るうちに、じわじわと来る。
主演の寺尾聰は、原作の小説で読んだ「博士」のイメージからすると、少し若いかな、という印象がある。むしろ、原作のイメージに近いのは…、
そう、宇野重吉だ!
それにしても、寺尾聰の演技は、どんどん父親(宇野重吉)のそれに近づきつつある。遺伝子、という言葉は嫌いだが、やはり「博士」の役は、寺尾聰しか考えられないのかも知れない。
小泉監督の2作目の「阿弥陀堂だより」は、いろいろな意味で私の大好きな作品だが、印象的なのは、北林谷栄と、宇野重吉の息子である寺尾聰が共演していることである。
北林谷栄は、宇野重吉とともに「劇団民藝」を立ち上げ、戦後の新劇界をリードしてきた。いわば2人は「戦友」である。
「阿弥陀堂だより」の製作当時、90歳だった北林谷栄にとって、その「戦友」の息子と共演することは、どれほど感慨深かったことか。
製作発表記者会見で、北林谷栄は述べている。
「おそらく自分にとって最後の作品で、一度会いたいと思っていた聰ちゃんと一緒に仕事ができることを幸せに思っています。人生の最後に、聰ちゃんと仕事ができて、聰ちゃんのことを考える日が、やっと来たんだな、そのチャンスを、神様が最後に与えてくれたんだな、と思います」
横で聞いていた寺尾聰の目には、涙があふれていた。
映画以上に映画的な記者会見である。
もちろん、このような因縁めいた話は、映画の本編とは、本来何の関わりもない。だが、こうした役者どうしの不思議な縁が、目に見えない力となって映画に生命を吹きこんでいるのではないか。そんな気にすらなってくる。
小泉堯史監督の作品は、どれも地味である。
だが、これからもくり返し見るだろう。「雨あがる」といい、「阿弥陀堂だより」といい、「博士の愛した数式」といい、そこにはさまざまな因縁が宿っているように思えてならないからだ。
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