紙魚(しみ)は生きていた
7月5日(火)、夕方。
うちの職場で大々的に行っている震災ボランティアの活動報告会があるというので、聞きに行く。毎週末、市内の大学の学生が主体となって、バスで被災地に行って活動をしている、と聞いていたので、どんな活動をしているのか、興味があったのである。
会場に行くと、スーツでビシッと決めた、主催者、というか、仕掛け人の「先生」のお話が始まる。このスーパークールビズのご時世に似つかわしくないくらいの、格好いいスーツ姿である。
パワーポイントを使って説明するのだが、それがまるで、企業のマーケティング戦略のプレゼンを聞いているようで、およそボランティアの活動報告とは思えない。
…と思ったら、その方はマーケティングがご専門の方だという。なるほどねえ。
ボランティア活動をするにあたって、派手な記者会見を何度もしたり、東京の有名な企業と提携したり、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルネットワークサービスと連動したり、と、この「被災地ボランティアプロジェクト」が、いかにすばらしいかをよどみなくお話になる。まるで一企業のプロジェクトを説明しているがごとくである。
どうしてだろう。聞いているうちに、だんだんムカムカしてきた。
「僕たちは、被災者のニーズに合わせて…」
「被災地へのアプローチは…」
「フィジカルな活動だけではなく…」
横文字を多用する話を聞きながら思った。
しゃらくせえ!
たぶん、ものすごく善意でやっているのだと思うし、すごく前向きにとりくんでいるのだろうな、とも思う。まじめにとりくんでいる学生にも敬意を表している。
だけど、後ろ向きで心が歪んでいる、この「うす汚れた心」の私からすれば、
別にオレはいいです。
という感じになってしまうのはなぜだろう。
たぶん、ボランティアにはいろいろな形がある。イベント感覚で前向きに活動するのが好きな人もいれば、そういうことになじまない人もいる。問題は、「そういうことになじまない人」が活動できるような受け皿も必要である、ということではないだろうか。前向きな人ばかりでなく、私のような後ろ向きの人もできるようなボランティアがあってもよいのではないだろうか。
そんなことを思いながら、途中退席し、3年生のN君といつもの作業場に向かった。
やはりいつもの作業場は落ち着くなあ。例によって、井戸端会議をしながら、津波で泥をかぶってしまった本を、刷毛でクリーニングする。
同じテーブルで作業していた学生のSさん。Sさんは、この作業場のある大学の3年生で、この作業の中心的な役割をはたしている女子学生である。そのSさんが言った。
「先日クリーニングしていた本の中に、紙魚(しみ)がいたんです」
紙魚(しみ)とは、和紙などを食う虫のことである。
「こちらでお預かりしてから本の中に入ったのではなく、どうも、被災地から運ばれてくる前から、本の中に潜んでいたようなんです」
「…ということは、その紙魚が本の中にいたときに、津波にあって、それでも本の中で生き残って、ここまで運ばれてきた、ということ?」と私。
「たぶん、そうだと思います」
「ずいぶんたくましいねえ。まるで『ラストエンペラー』に出てくるコオロギみたいだ」
「そうですね。あの津波の中を生き抜いてきたんですね」
紙魚の生命力の強さは、この作業を通じてしかわかりえないことだろう。
今日は、新たなメンバーも加わった。
「先生お久しぶりです」
数年前にうちの大学を卒業したKMさんである。市内で働いているKMさんは、知り合いからこういう活動があると聞き、初めて参加してみたという。
「私のような者が参加してもよろしいのでしょうか」とKMさん。
「もちろんだよ。ぜひこれからも参加してよ」
「はい。来週もまた来ます」
この活動が、こういう思いをもっている人々の受け皿になっていることを、誇りに思う。
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