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月曜日はいつもどしゃ降り

7月25日(月)

午後、授業をしていると、雷が鳴り出した。

授業が終わる4時過ぎに、どしゃ降りになる。

(またか…)たしか、先々週の月曜日の同じ時間も雷と土砂降りがひどかった。なぜ覚えているかというと、先々週の月曜、大雨のために夕方の「被災資料のクリーニング作業」が、室内に変更になったからである。

しかも、ゲリラ豪雨ともいうべき雨である。

教室のある建物と研究室のある建物が別棟であるため、どしゃ降りの中を戻らなければならない。先々週のことを考えれば、傘を持ってくるべきだった。まったく教訓が生かされていない。

(まいったなあ…濡れて帰るか…)

すると後ろから「先生」とよぶ声がする。

ふり返ると、2年ほど前に卒業していまは別の部局の大学院にいるKさんだった。

「傘はお持ちですか?」

「いや、あいにく持っていなくってね」

「これから友達を迎えに行くんですけど、そのための傘が1本ありますから、どうぞこれを使ってください」

おかげで、研究室のある建物まで、濡れずに移動することができた。

「ありがとう。助かりました」やはり持つべきものは、卒業生である。

夕方5時からは例の作業である。雨なのでもちろん、室内での作業となった。

今回は、沿岸の町の博物館で被災した資料をクリーニングする。本についている砂が、被害の様子を物語っていた。

見ると、博物館で所有している古い雑誌がほとんどである。

私が手にしたのは、「ACTA ARACHNOLOGICA」と題する、クモ学の雑誌である。「東亜蜘蛛学会」なる学会が発行している。昭和13年6月発行の、第3巻第2号とあった。雑誌についた砂を刷毛ではらいながら、つい内容に目が行ってしまう。

最初から最後まですべて、クモに関する内容である。クモの分類や、各地で観察されるクモの記録、クモに関する文献目録、「クモ」の名がついている動物の話、クモに関する方言に至るまで、さながら「クモ尽くし」といった趣である。

クモに対する思い入れが、そこかしこにみられる。たとえば、三重県の師範学校につとめるT先生が書いた「伊勢神宮々域の蜘蛛類」という調査報告の書き出しは、次のようである。

私の蜘蛛の研究は全くの一年生です。其の動機は昭和12年秋大演習のみぎり神宮の粘菌類を採集すべく休暇の毎日を神域・宮域に過しました。其の際私を苦しめたものは蚊と蜘蛛の巣でした。其の蜘蛛の巣を見ると色々の種類が活動して居るに気がつき、一つ採ってみやうと云ふのに始ったのです。そしてこれを植村先輩にお送りして同定を願ったのです。所が約100種を得て私の心は躍った。これが神宮生物の一として天覧に供すべく標本の製作へと進んだのです所が不幸にして事変のためこの事がなかったが、これを動機として今後蜘蛛類学二年生・三年生に進級したいと思って居ります。諸君のご指導を願う次第です

文中にみえる「事変」とは、1937年にはじまる日中戦争のことをさしているとみられる。クモにのめり込んでいく動機が、くわしく書かれていて微笑ましい。

クモに関わるエッセイもある。東京の石神井にお住まいのKさんの、「みだれかご」という連載エッセイである。

此の頃は毎朝深い霧が立ちこめて、森や林の緑色が灰色の薄絹に包まれてしまふ。細かい霧の粒の流れを縫って庭先に出て見ると、至る処の木の繁みや枝の間に張り渡された、クサグモの網棚やヤマシロオニグモの丸網が、或は絹の風呂敷を拡げたやうに、或は真珠の首飾りをつなぎ合わせたやうに、美しく飾られて居る。とりわけ丸網に露の玉を宿した姿は又となく美しいものである。

やがて霧がうすらいで太陽が射し初めると、七彩の光を輝かせ乍ら間もなく消えて行く。

   大掃除 オホヒメグモに 暴風雨(あらし)かな

クモの巣をこれほど美しく表現した随筆が、これまであっただろうか。しかもクモを詠んだ俳句まである。

クモに対するなみなみならぬ思いが伝わってきて、クモ学の奥の深さが知られる。

巻末の「報告及消息」の欄には、会員諸氏の近況について書かれている。

N幹事が出征なさったことは既報の通りですが氏の御実家より2月23日附次の来信に接しました故御披露いたします

と、学会のN幹事が出征された折にご家族に宛てた手紙を紹介している。それによると、満州のハルピンに配属になったようである。

これに対して学会は、「会員諸賢にしてN氏を識る御方は折々は是非慰問文を差上げる様にして下さい。本会よりは4月15日内容豊富な慰問袋をお送りしました」と会員に呼びかけている。会員の結束の固さを感じさせる文面である。

そして最後に、3月27日に軍事郵便で学会宛に届けられたというN幹事からの手紙の一節を紹介している。

ただいまは軍務之あるのみ、何事も考へませんが蜘蛛を見る度に昔の思い出を新に致します。現在までサソリ類には出くはして居りません

N幹事は、過酷な軍務の合間に、クモを見ては昔を思い出し、思いを新たにしているらしい。まことにクモこそが、生きる糧になっているのである。

時代の雲行きがあやしくなるこの時期に、いやこの時期だからこそ、クモに魅せられ、クモを生きる糧としていた人々が、こんなにもいたのだということに、私は思いを致した。

私たちはなぜ、被災した書物を未来に残さなければならないのだろう。

それは、これまでそれを残してきた人たちの思いだけではなく、そこに書いている人たちの思いも一緒に、未来に伝えていかなければならないからである。

たとえそれが、一期一会の出会いであったとしても。

「そろそろ終わりにしましょう」と、4年生のT君の声。

時計は7時近くになっていた。

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