なつかしい卒業生
8月8日(月)
お昼過ぎ、携帯電話が鳴った。
「2004年に卒業したSといいます。覚えていらっしゃいますでしょうか」
「おぅ!S君。覚えてるよ」
「実はいま、生徒たちを連れて、この大学に見学に来ているんです。先生、いまの時間はお忙しいですか?」
「2時までなら大丈夫だよ」
「そうですか。研究室にうかがってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「そうですか、じゃあ、すぐにうかがいます」
S君は、私がこの職場に移ってからの、実質的な最初の指導学生である。この学年は4人ほど受け持ったが、卒業してからは、そのうちの誰とも会ったことはなかった。
ほどなくしてS君がやってきた。
「お久しぶりです。先生」
「久しぶりだなあ」
大学時代、ロックバンドをしていたS君だったが、いまは髪も黒く、黒縁の眼鏡をかけて、スーツを着ている。県内の高校で教師をしているS君に、大学時代のラフなスタイルの面影がないことに、少しばかり時の流れを感じた。
「大学、けっこう変わりましたね」とS君。「でも先生の研究室は、ちっとも変わっていない」
「あいかわらず散らかっているだろう」
いまは連れてきた生徒たちの自由時間だというので、椅子に座ってしばらく話をすることにした。
「大学時代、もっと勉強すればよかったなあって、後悔しているんです」
椅子に座るなり、S君は言った。
いまだから書けるが、S君は同期の中で、いちばん卒論の出来が悪く、最後まで私を手こずらせた。卒論発表会の席で、私は彼に、かなりきつい質問を浴びせた記憶がある。S君は私の質問に答えることができず黙り込んでしまい、ちょっと言いすぎてしまったかなと、後々までそのことが、心に引っかかっていた。
だがS君は、その後高校の教師となって、大学時代に専攻していた分野を教えているというのだから、人生というのは、本当にわからない。
「誰だって卒業したら、そう思うものだよ。私だって大学時代、ほとんど授業に出てなかったし」と私。大学時代、授業にほとんど出なかったのは、本当の話である。
「オレ、授業をやるたびに、自分はなんてダメなんだろうって思うんです。こんなことしか教えられない、とか、オレみたいな人間が生徒に教える資格なんかあるんだろうか、とか」
「授業をやると、自分の不十分さが身に染みてわかるだろう。私だって、毎回そう思っているよ。毎回授業が終わったあとは、軽く死にたい気持ちになるもの」
「先生もそうですか」S君は笑った。
「そうだよ。でも、そう思っているくらいがちょうどいい。ヘンに自分に自信を持つようになったら、それこそ終わりだ」
「オレ、…本当は先生に電話しようかどうしようか迷ったんです」
「どうして?」
「いまのオレは、先生に合わす顔がないんじゃないか、って」
「……」
「でも、思いきって来てみてよかったです。今度は先生のお時間のあるときにまたおうかがいして、じっくりお話ししたいです」
「お酒でも飲みながらね」
次の予定があるというので、S君は研究室を出た。
それにしても、今年は本当に、なつかしい卒業生たちによく会う。
死期が近いのだろうか?
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