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市外バスの喧騒

8月23日(火)

朝8時、携帯電話の呼び出し音がけたたましく鳴った。

電話をとると、ソウルの博物館に勤める友人のイさんからである。

イさんとは、25日の午前中に博物館でお会いしましょうと約束していた。

「いま、メール拝見しました。無事到着したようですね」

イさんには、韓国に到着した昨日の晩、職場のPC宛てにメールを送ったところだった。ということは、朝8時にはすでに出勤しているということである。

イさんはこの7月末まで日本に1年間滞在していたが、日本語の勉強をみっちりしたわけではないので、私との会話は韓国語である。

「こちらでの予定はどうなっていますか?」

「今日はこれからプヨ、そして明日はコンジュで調査です」と私。

「いまはどこに泊まっているんですか?」

「大田(テジョン)です」

テジョンは、韓国のほぼ真ん中に位置する中核都市で、私たちがこれから行こうとするプヨやコンジュに行くには便利な位置にある。

イさんは、プヨやコンジュで見るべき資料や、そのアクセス方法などを丁寧に教えてくれた。

「それから、プヨやコンジュだけではなく、イクサンにも行くといいですよ。いま、ふだん見られない資料を見ることができます」

説明を聞いてみると、たしかに興味深い資料である。

ということで、私たちは急遽、イさんのアドバイスにしたがって予定を変更して、この日にプヨとコンジュに行き、翌日にイクサンに行くことにした。かなりのハードスケジュールである。

「じゃあ25日にお会いしましょう」

電話を切ったあと、妻が言った。

「寝起きに韓国語で通話させられるなんて、まるで『起床ミッション』だね」

「起床ミッション」とは、韓国KBS放送のバラエティ番組「1泊2日」を意識した言葉である。この番組の中で、旅先での朝、起床時間に音楽で起こされたタレントが、ディレクターの考えたミッション(指令)をクリアしないと、朝ごはんが食べられない、というお決まりの場面があるのだが、…ま、こんな説明をしたところで、たぶん誰もわからないだろう。

だがふりかってみると、今回は結果的にイさんが考えたミッションを私たちがクリアする、という旅になってしまっただから、やはりこの電話は「起床ミッション」だったのだ。

さて、あわてて身支度をして、バスに乗って最初の目的地、プヨに向かう。

テジョンからプヨまでは、バスで1時間半ほどである。韓国では、路線バスや長距離高速バスのほかに、町と町を結ぶ「市外バス」というものがある。日本でいえばさしずめ「都市間バス」にあたるものだろう。

テジョンとプヨを結ぶ市外バスには、韓国滞在中も何度か乗ったことがあるので、よく知っていた。

バスに乗って30分くらいたったころであろうか。バスの運転手(アジョッシ)と、一番前の席に乗っていたおばさん(アジュンマ)が、口げんかをはじめた。

それも、バス中にひびきわたるような大きな声で、である。

ケンカの発端はよくわからないのだが、どうやら運転手が乗客のおばさんに不用意な発言をしたらしい。私が聞き取れたのは、

「アジョッシに私の何がわかるのよ!」「それが客に対する言い方なの!?」

というアジュンマの怒鳴り声と、

「こっちはアジュンマのことを思って言ってやってんだ」という運転手の反論である。

しかもビックリすることに、どちらも引き下がらないのである。ふつうこういう時は、運転手が客の文句に対して、たとえ非がなくとも「すいません」とかなんとか言って、その場をおさめるべきだと思うのだが、運転手も頭に血がのぼっているのか、つい、アジュンマに対して反論してしまうのである。

そんな激しい押し問答がもう30分も続いている。バスの中では30分間、怒号が飛び交っているのである。

「私たち、プヨにちゃんと着けるかなあ」と妻が心配した。

「どうして?」

「だってこのままだと、運転手がバスを止めて『オモテへ出ろ!』と言いかねないよ」

たしかに、そうなりかねないような雰囲気である。

すると、後方の座席に座っていた別のおばちゃんが前の席の方に歩いてきた。二人のケンカを見かねて、仲裁に入ったのである。

「あんたたち、みっともないからやめなさい!」

おばちゃんの仲裁により、なんとか休戦する。

それにしても不思議なのは、アジュンマはあれだけ運転手に悪態をついているのに、決して一番前の席から移らない、ということである。ふつう、あれだけ怒っているんだったら、運転手と口も聞きたくないはずだから、後方の座席に移りそうなものだが、何食わぬ顔をして一番前の席に座り続けている。

「不思議だなあ」私が言うと、

「ケンカ慣れしているんじゃないの」と妻が言う。

たしかにそうだ。よくもまあ30分も次から次へと相手を罵倒する言葉が出てくるものだ。日ごろからケンカ慣れしているからかも知れない。

バスの中にようやく平和が戻ったそのとき、今度は通路をはさんで私の隣に座っていたヨボヨボのおじいさんが、私に話しかけてきた。

「あのう…、これなんだが」

おじいさんはそう言うと、病院の診察の時の領収書明細を私に見せた。

「この明細の見方がよくわからないんだが…、これだと、本人が払う金額ってのは、いったいいくらになるのかね」

そんなもん、外国人の私が見てわかるわけがない!だいたい、韓国の医療制度自体をよく知らないのだ。

「外国人なのでわかりません」と答えると、

「えっ!?耳が遠いもんでねえ。もっと大きな声で言ってくれないか」

「外国人なのでわかりません!」

するとおじいさんは、今度は前の方に歩いていって、運転手の真後ろの席に移った。

「運転手さん、この明細なんだが…」運転手にも同じ質問をした。

「じいさん!運転中に話しかけないでくれませんか。…それにいまは、気が立っているんで、そんなものに答えられないね!」運転手もご立腹の様子。それはそうだろう。

だがおじいさんもめげない。

「じゃあ運転手さん、ちょっと回り道して、保健所で下ろしてくれないかい」

「ダメです!」

まるで志村けんの老人コントのように、ヨボヨボながらも傍若無人なおじいさんである。

昨日のリムジンバスとはえらい違いである。

そんなこんなで、バスは予定通り1時間半後に、無事、プヨに到着したのであった。

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