夕食難民
8月17日(水)
午後、車で50㎞離れた「前の職場」に向かう。
昨日の火曜日から今週の土曜日まで、ここで「夏季集中クリーニング」が行われている。被災資料のクリーニング作業を、朝9時から夕方4時まで、集中的に行う、というものである。「集中講義」ならぬ「集中クリーニング」。このネーミングがまたいい。
なぜこの時期に、ここで集中クリーニングが行われるのか。いきさつを説明すると長くなるが、数年前にここを卒業したAさんが、職場の夏休みを利用して、ぜひクリーニング作業をしたい、と言ってきたのだという。現在勤務している東京から、夏休みを利用してはるばるクリーニング作業のためにこの地にやって来るというのだ。その心意気に打たれた元同僚のKさんが、Aさんの滞在中に朝から夕方までクリーニング作業を行う「夏季集中クリーニング」をすることを思いついた、というわけである。
ただ問題なのは、この時期、現役の大学生たちは帰省していて、ほとんどここには残っていないということである。それでも卒業生のAさんは、1人になってもかまわないからクリーニング作業をしてみたい、というのだから、筋金入りである。
私は、卒業生のAさんと、元同僚のKさんに敬意を表して、本日の午後、少しだけ、クリーニング作業をお手伝いすることにしたのである。
前の職場に到着すると、作業をしていたのは、KさんとAさんを含めた3人。やはり人数は少なかったようだ。
それでも、Aさんは今回のクリーニング作業のために、汚れを落とすためのより効果的な方法を模索していて、それが私にはたいへん勉強になった。
夕方、作業が終わったあと、KさんやAさんと話をしているうちに、いつの間にか午後6時近くになっていた。「夕飯を食べに行きましょう」とKさんが提案する。
「何がいいでしょうかねえ」
「おそばにしましょうか。ここから山の方に行ったところに、美味しいおそば屋さんがあるそうです」とKさん。
「場所は知ってますか?」運転手は私である。
「むかし連れていってもらったことがあるくらいで、詳しくはわかりません。たぶん、行ってみれば場所を思い出すと思います」
ということで、とりあえず、私の車で、Kさんの言うそば屋に行くことにした。
だが、気がかりなことがひとつあった。
道がわからないこともさることながら、このあたりのそば屋はたいてい、午後の2時か3時くらいで店じまいしてしまい、夜は営業していないところが多いのである。いまから10年ほど前に、この地に2年半ほど住んでいたので、よく知っていた。
「まだ開いてますかねえ。このあたりは昼だけしか営業しない店が多いですよ」と私。
「そうかも知れませんねえ。ま、とりあえず行くだけ行ってみましょう」
なんとかKさんの記憶をたよりに、目的地のそば屋に着いた。かなりうら寂しい場所である。だがその店には「水曜定休日」という札がかかっていた。
「定休日ですかあ」営業時間を云々する前に定休日だったとは…。いま来た道を戻り、町の方に向かう。
「どうしましょうか」車中であれこれと店の候補をあげるが、どれもぱっとしない。
私が思い出した。
「そういえば、ここをまっすぐ行くとM駅の方に行きますよね」
「ええ」
「たしかその駅前に、美味しいラーメン屋さんがありましたよね」
「ああ、ありましたありました。S亭ですね」
「そこにしましょうか」
「そうしましょう」
しかし、カーナビも地図もないので、やはり記憶をたよりにM駅をさがし、周辺をぐるぐる回りながら、ようやくM駅に着いた。
「おかしいですねえ。たしかこの辺にあったと思うんだが」
「聞いてきましょう」Aさんが車を降りて、犬の散歩をしていたおばさんのところに走った。
ほどなくしてAさんが戻ってきた。
「たしかにここにはS亭がありましたが、数年前に、隣県に移転したそうです」
えええぇぇぇぇぇっ!!移転!?
振り出しに戻る。
ビックリすることに、この町は、午後7時になると、たいていの食堂が閉まってしまうのである。すでにもう6時45分である。
車であてもなく走ってみるが、たしかにめぼしい食堂は、みな閉まっていた。
「どうしましょうか」
「近くにNというそば屋さんがあります。そこならまだ営業しているはずですから、そこにしましょう」
「そうしましょう」この時点で、テンションはだいぶ落ちていた。こうなったら、もうどこでもよい。
おそば屋さんに到着。看板に「そばと割烹」とあり、お酒と、ちょっとした小料理も食べられるそば屋、ということらしい。こぎれいな店である。
「小さい店なのに、ずいぶん混んでますねえ」お店の駐車場は、ほぼ満車だった。
お店に入ると、やはりお客さんで賑わっている。お盆の休みのせいかも知れない。カウンターの内側には、店の主人とおぼしきおじさんと、おかみさんとおぼしきおばさんがいた。夫婦で切り盛りしているお店のようである。
テーブル席に座り、そばの注文をしようとすると、店のおかみさんらしき人が私たちに言った。
「すいません。今日、お客さんが多いもので、お出しするのに少々お時間がかかりますが、それでもよろしいですか」
「私たち、そばを注文するだけですけど…、どのくらい時間がかかりますか?」
「そうですねえ…。30分くらいかかると思います」
えええぇぇぇぇっ!!!さ、30分!
そばを食べるのに30分待つのか…。
「どうしましょう。やっぱり出ましょうか?」とKさん。
「でもここを出てもあてがないでしょう」ということで、待つことにした。
ところが、待っている間、AさんやKさんとのお話がことのほか面白く、すっかり時間を忘れてしまった。
「お待たせいたしました~」
話に夢中になっていると、おかみさんがそばを持ってきた。
ふと時計を見ると、7時50分。
この店に入り、席に着いたのがちょうど午後7時だったから、50分も待たされたことになる。
そばを食べるのに50分も待たされたのは、近年にない記録である。
AさんやKさんとのお話に夢中になって時間を忘れていたことが救いだった。
午後8時45分。思いのほかお話が盛り上がり、おそば屋さんを出た。
お二人とお別れして、帰り道の車の中で、久々に思い出したことがあった。
10年前、2年半ほどこの町に住んでいて、どうしてもなじめなかったことが二つあったことを。
ひとつは、食堂の多くが夜7時になると閉まってしまうこと。
そしてもうひとつは、注文をしてから品物が出てくるまで、30分以上待たされることがとても多かったこと。
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