テーマは再会・その3
9月11日(日)~18日(日)
仕事で訪れた札幌でも、じつに多くの人と再会した。
私を札幌に呼んでくれたH氏、そして同じ講座のO氏、T氏とは、学生時代からの旧知の間柄である。
とくに大学時代の後輩であるH君が、私のことを覚えていてくれて、ぜひにと呼んでくれたことは、ふだん同業者からあまり相手にされていない私にとっては、とてもありがたかった。
講座のスタッフ6人は、いずれもいい方ばかりで、期間中、とても親切にしていただいた。愚鈍な私がこれほど歓待を受けたことは、これまでになかったことである。講義の合間の昼食や、終わってからの夕食の時も、自然と話がはずんだ。
ほかに、大学時代のサークルの先輩のYさんや、元同僚のNさんとも再会する。はじめて訪れた場所とはとうてい思えないような居心地のよさである。もう、ここのうちの子になっちゃおうかな。
…と、再会した方たちやはじめてお会いした方たちを指折り数えていくと、いまの私の職場よりも、「話のできる仲間」が多いことに気づき、思わず苦笑した。
震災の影響を受けて隣県のM市から札幌に避難したYさんとも再会した。
Yさんが地元のM市から避難を余儀なくされ、未知の土地である北海道で生活を始めてから体験したさまざまな出来事、そしてそこで起こった小さな「奇跡」…。この半年の間に体験したYさんのお話に、私はただただ耳を傾けることしかできなかった。
「いろいろなめぐり合わせで、いまここにいらっしゃるんですねえ」と私。
「ええ、本当にそう思います」
「私がこうして、今年たまたま札幌に来たのも、何かのめぐり合わせかも知れませんよ」
「そうかも知れませんねえ。そうでなければ、こうしてお会いできませんでしたものねえ」
私は、韓国人が好んで使う「因縁」という言葉を思い出した。
そしてもう1人、再会した人がいる。数年前に私の職場の学生だったN君である。
N君は、2年生の時まで私の職場の学生だったが、地元に戻って教師をめざしたいという強い思いから、いまの大学に3年次編入した。私の授業では常に一番前の席に座っていたので、とりわけ印象深い学生だった。
今年の3月で大学は卒業したのだが、大学に在籍したまま教師になるための勉強を続けたいということで、この4月に大学院に進学した。
もし彼が、大学院に進まずにそのまま卒業していたら、今年の私の授業は受けられなかったわけで、やはり人の縁というのは面白いものである。
私の職場の学生だったころは、どことなく鬱屈しているようにみえたが、今の彼はじつに生き生きとしていた。同じ講座の学生たちの中で、中心的な存在となっていた。
「彼は、私のゼミの幹事をやってくれてますよ。なくてはならない存在です」彼のいまの指導教員であるS先生がおっしゃった。
そのN君が、すべての授業が終わったあと、私のところに挨拶にやってきた。
「先生、ありがとうございました。久しぶりに先生の授業が聞けて、とても懐かしかったです」
「こちらにきて、うまくやっているようで安心しました。私のところにいたときよりも、生き生きとしているね」
冗談交じりに私が言うと、N君は苦笑いした。「おかげさまで、みなさんによくしてもらっています」
「やはりあなたの選択は間違ってなかったと思うよ。あなたにとって、最高の環境だと思う。どうか、夢を実現してください」
「ありがとうございます」
この夏は、旅先でじつに多くの人たちと再会した。
ひょっとすると、かつて出会った人とふたたび出会うために、人は生き続けるのかも知れない。
テーマは「再会」。いやこれは、私の後半の人生そのもののテーマである。
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