ローマの祭り
9月21日(水)
朝、高校時代に吹奏楽部で一緒だったワタナベからメールが来た。同期の何人かに送ってきたメールである。
「突然のメール失礼します。近況報告=演奏会の宣伝です。
細々と楽器は吹いていて、半分幽霊団員のようなものですが、たまに演奏会に出ています。
今年は、個人的には念願の「ローマの祭り」を吹けるのが、ちょいとうれしくて、
誰かに自慢?したかったので、先日のOB楽団の件もあったので、メールしました。
ローマの祭り、楽しいです。出来はかなりやばいですが。
このオケは、たいしてうまくもないくせに、難しい曲ばかりやる勘違いしている団体ですが、 今回はチケット無料なのでご容赦ください。
整理券がないと入れませんが、ご希望あればいくらでも用意できます。
ホールも新しいところだし、3連休、暇をもてあましていたら、ご連絡ください」
追伸に、
「先日ブログ見ました。『ブラックサム』のことが書いてあって、ちょっと気恥ずかしいですね」
とあった。
ワタナベらしい書き方だなあ、と思い、ついうれしくなって、お叱りを受けるのを覚悟でそのまま引用させていただきました。
「ローマの祭り」か…。また高校時代のことを思い出したぞ。
高校になってから吹奏楽部をはじめた私にとって、レスピーギのいわゆる「ローマ三部作」(「ローマの松」「ローマの噴水」「ローマの祭り」)は、全然知らない曲だった。というか、私は吹奏楽部に所属していながら、音楽的な知識がほとんどなかったのである。
高校1年、私が吹奏楽をはじめたばかりのころ、ホルンを吹いていた同期のワタナベやSは、音出しの時に、いつもあるフレーズを吹いていた。そのフレーズは、とてもかっこいいものだった。
(いいなあ…)
ワタナベもSも、初心者の私とは違い、中学時代からホルンを吹いているので、そのフレーズをそうとう吹き込んでいる様子がうかがえた。私はいつも、羨望のまなざしで、それを見ていた。
そのフレーズが、レスピーギの「ローマの祭り」の一節であることを知ったのは、それからしばらくたってからのことである。
やがて私も、「ローマ三部作」を聞くようになった。
いつしか同期の連中の間では、「いつか『ローマの祭り』に挑戦したいな」と、「ローマの祭り」が、「悲願の曲」となっていった。
結局、高校時代にその夢はかなわなかった。あまりにも難しい曲だったからである。
だが高2の時だったか、記憶が定かではないが、「ローマの松」の中の一部分、「アッピア街道の松」というところだけ、演奏会で演奏したことがある。
私たちにとって、その曲を演奏したことが、「ローマの祭り」にいちばん近づいた瞬間だったのである。
卒業後に結成されたOB楽団でも、「ローマの松」の全曲を演奏したことはあっても、「ローマの祭り」は演奏していないんじゃないかな。
それほど、「ローマの祭り」は、私たちにとって「見果てぬ夢」の曲だったわけである。
ちなみに私のiPodには、クラッシック音楽はほとんど入っていないが、この「ローマ三部作」は、ちゃんと入っている。
だからワタナベが、「念願の「ローマの祭り」を吹けるのが、ちょいとうれしくて、誰かに自慢したかった」と書いたのは、とてもよくわかるのである。だって悲願だったんだもの。
…そんなことを思い出していたら、同じホルンのSから、ワタナベのメールに対する返事が来た。Sはご存じ、「ミヤモトさんサミット」の議長をつとめた男である。
そこにはやはり、「ローマの祭り」に対する思いと、高校時代の思い出話が綴られていた。
とくにホルン奏者の2人にとって、「ローマの祭り」は格別な思いがあるのだろう。
追伸には、次のようなことが書いてあった。Sも私のブログを読んでくれたらしい。
「『ブラックサム』を聞くと、あの頃を思い出すよね。
卒業やら進級やらM(ミヤモト)さんの引越しやら(嘘)、感謝の気持ちや切ない気持ちなど、高校生活の様々な思い出がよみがえる、
そんな素敵なメロディそして編曲でした。
ナベさんの家でマイケルとか何人か集まって明け方まで聞き倒したこともあったよね。
S(自分)はどう転んでもW(ワタナベ)にはなれないけど、同じ時期に張り合ってホルン吹いていたことは自分の誇りです。
いずれにしても、思いきり吹ききってください」
オッサンになっても、こんなことを言い合える友情って、いいなあ。
ちょっと泣けたよ。
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