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2011年10月

最終日が初日

10月29日(土)、実習最終日。

例年なら京都市内を数カ所見学して夕方解散だが、今年は少し、変則的である。

というのも、この実習のメインイベントである、奈良で行われる特別展が、29日(土)から開催されるからである。

例年は実習の2日目の奈良市内見学にこの特別展見学を含めるのであるが、今年は日程の都合上、そういうわけにはいかなくなった。そこで、予定を変更して、最終日は京都からいったん奈良に行き、特別展を見学したあと、再び京都にもどり、東寺を見て解散、ということになった。

まあ、そんな事情など、どうでもよい。

奈良から京都に戻る電車の中で、2年生のTさんが聞く。

「先生、昨日の京都の自由行動はどこに行かれたんですか?」

「秘密です」

「ええぇぇぇ!何でですかぁ」

「知りたいですか?」

「ええ」

「じゃあ、ヒントを出します」

昨日書いたようなことを、ヒントとして出した。

「イニシャルがSではじまるお寺で、学生が誰も行かなかったところで、3時間くらいかけてまわるようなお寺で、京都タワーが展望できるような高台にあって…、ほかにヒントはないんですか?」

「ヒント、ほしいですか?」

「お願いします」

「じゃあ特別にもうひとつ、ヒントを出します。前期の私の授業、出てましたよね?」

「ええ」

「そのときに、1度だけそのお寺について話題にしたことがあります」

「授業の時に話題に出たお寺ですか!」

Tさんは必死に思い出そうとするが、

「すいません。思い出せません」という。

私の話したことが、聞き流されていたんだな。それはそれでショックである。

Tさんはガイドブックを駆使して必死に調べ、ひとつの結論に達した。

「先生、ひょっとしてそのお寺は、S○寺でしょうか?」

「ファイナルアンサー?」

「え?」

「一度答えたら、もう答える権利はありませんよ」

「ち、ちょっと待ってください!もう少し考えてみます!」

それ以降、Tさんからの答えは聞いていない。

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…さて、無事に実習は終わりました。

実習というより、修学旅行といった感じでしたが、これは私の力不足によるものです。私なりに考える、この実習のいちばんの目的は、「これでもか」というくらいに、国宝級の、というか国宝を見せて、「本物」でお腹いっぱいにすることでした。

あとは、各自が感性を磨くのみです。

実習の2日目、「先生、脳の処理速度が追いつきません!」と、興福寺の国宝館から出てくるなり、2年生のTさんが言っていたのが印象的でした。あまりに多くの国宝を見過ぎて、脳がピックリしてしまったようです。

この4日間、脳と体をフル稼働させることができたならば、この実習は、成功です。

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奈高京低

10月28日(金)、実習3日目

昨年あたりから、私の中で「奈高京低」という事態が起こっている。

この時期、奈良には見るべき特別展が多いのに対し、京都はどうも、ぱっとしない。もちろん、あくまでも私の中で、である。

実習3日目は、自由行動の日なのだが、学生たちのテンションが上がっているのに対して、こちらのテンションは今ひとつである。

「先生は、京都の自由行動ではどこに行かれるのですか?」と、前日にいろいろな学生から聞かれたのだが、そのたびに「まだ決まっていない」と答えた。

「京都なんて、見るべきところ、たくさんあるじゃないですか!」と、学生たちは口をそろえて言うが、今さら観光客でごった返すところに行ってもなあ、という思いがある。

昨年は近江八幡を歩いて、かなり気に入ったのだが、今年も同じところに行くというわけにもいかない。

最初の2日間がかなりハードで、足も痛いし、喫茶店で一日時間をつぶそうかなあ、とも思ったが、それもまた、もったいない話である。

妻に電話で相談したところ、S寺に行ったらどうかという。

S寺か…。たしかにそこはよい。まだ行ったこともないし、実はほかの寺とは違う、特別な寺である。それになによりここは、絶対に学生が来ることはない、ノーマークの場所である。

というわけで、行き先はS寺に決定!

午前中は例によって、例の喫茶店で本なんぞを読みながら過ごす。毎年思うことだが、平日の昼間っから喫茶店でユルいトークをしているおじさんおばさんたちって、いったいどういう人たちなのだろう?

ま、自分もハタから見れば同じなのかもしれないが。

午後、S寺を3時間ほどかけて見学する。

やはり来て正解だった。雰囲気もいいし、なにより人がほとんどいないのがいい。修学旅行のコースには、なかなか組みこまない場所だろう。

もっとも、人が少ないのは、まだ紅葉には早いからかもしれない。このお寺の木々の葉が赤く色づく頃には、多くの人でごった返すに違いない。

Photo さて問題です。私はどこに行ったのでしょうか。正解した方には、30点さし上げます(写真は、S寺付近から展望した京都市内)。

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きっぷの買い方教えます

10月27日(木)、実習2日目。

私が極度の心配性だ、ということと、基本的に他人を信用しない性格なので、この実習では、宿の手配から、各所でのお金の支払いに至るまで、すべて私がひとりで行っている。

勉強のためにも、少しは学生に任せた方がいいのではいいのではないか、と思われるかも知れないが、性分なのだから仕方がない。

だから宿で支払いをするときも、少し恥ずかしい思いをする。

「センセ!学生がやらんと、センセが全部やらはるんですか!」と、宿のおじさん。

「はい」

「へぇぇ、近頃のセンセはタイヘンですねえ。ワタシらの頃なんか、学生が全部準備して、センセにはただ来ていただく、てなもんでしたケドね」

「近頃はそういうわけにもいかないんです」

「へぇぇぇ、ホンマタイヘンやなあ」

まさか、極度の心配性なもので、とはいえない。

恥ずかしい思いといえば、もうひとつある。

それは、実習の2日目、奈良での見学を終えて京都の宿に向かうときに、近鉄奈良駅の切符売場の前で、大声で切符の買い方を学生たちに説明しなければならないことである。

多くの学生が、「会社の違う私鉄を乗りつぐ」という経験をしていないと思われるため、自販機で間違いのないように切符を買うように、最初にしっかりとレクチャーしなければならないのである。

それも、会社帰りの人たちでごった返す夕方の時間に、である。

まず、切符の自販機の前に13人の学生を集め、大声で説明する。

「いいですかぁ、みなさん!これから切符の買い方を説明しま~す!」

これだけでもすでに恥ずかしい。行き交う人びとは、「なんだ、切符の買い方も知らないのか」と、私たちの方を振り返るのである。

「買い方を間違えたら、大変なことになりますから、注意してくださいよ~」

学生たちはその言葉に反応して、真剣な眼差しに変わる。

「まず、画面の端にある『連絡きっぷ』というボタンを押します!」

「れんらくきっぷ…」学生たちが小声で復唱する。

「押すと画面が変わりますから、次に『近鉄丹波橋のりかえ』というボタンを押します!」

「きんてつたんばばしのりかえ…」

「するとまた画面が変わりますから、『860円』というボタンを押します」

「はっぴゃくろくじゅうえん…」

「わかりましたかぁ?『連絡きっぷ』『近鉄丹波橋のりかえ』『860円』の順ですよー」

「はーい」

帰宅ラッシュでごった返す駅の改札付近でこれをやるのは、かなり恥ずかしいのだが、もはや私の中では風物詩となっている。

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ミッション!鬼を見つけ出せ

10月27日(木)、実習2日目。

奈良の某寺でのことである。

実習に先がけて行った勉強会のときに、某寺について調べたM君が、発表の最後で次のようなことを言った。

「このお寺には、京都に住む現代の芸術家が、境内のどこかに5体の小さな鬼の石像を置いたそうです。どこに置かれたのか、探してみましょう」

実習の趣旨と関係ないじゃん!と思いながらも、まいっか、と聞き流していた。

さて当日。

学生たちは、その寺の境内に入るやいなや、眼を皿のようにして、5体の鬼の石像を探しはじめたのだ!

見学時間が終わり、門のところに集合する。

「先生!」

「どうしましたか」

「どうしても4体しか見つかりません!」

「え?」

「あと1体が、どうしても見つからないんです」みんなが口をそろえて言う。「先生は、5体全部見つけられましたか?」

あのねえ。ここはそのために来たんじゃないの!

「このお寺の見学ポイントは、○○と××ですよ。ちゃんと見ましたか?」

「はい、見ました」そのあたりは、ぬかりのない彼らである。

私も反撃に出なければならない。

「ではみなさんの中で、5体全部見つけたという人は、いたんですか?」

誰も手をあげない。

「じゃあ全員、失格です!」

「失格!?どういうことですか先生!」

「マイナス20点です」

「マイナス20点???」

「みなさんの持ち点から、20点を減点します!」

「持ち点」が何点なのかもよくわからないのだが。

「ええぇぇぇ!20点は大きすぎます」学生たちも、「持ち点」が何点なのかわからないまま反論する。

さて、ところ変わって、ある博物館にて。

学生たちが言う。

「先生!先生が授業でおっしゃっていた資料が、展示されてましたね」

「見ましたか?」

「はい、しっかりと見ました」

ハイ、プラス20点!

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サバイバルクイズの挫折

10月26日(水)

恒例の、秋の実習である。

実習前日、例によって右膝が痛み出した。

(よりによってこんな時に…)

もし明日以降、激痛が走るようになったら、アウトである。

アサイチの授業を終えてすぐ、かかりつけの病院に行き、薬をもらった。

あとは実習中、右膝の爆弾が爆発しないことを祈るばかりである。

さて、実習初日。例年と同様、朝9時に飛鳥駅に現地集合である。

学生たちがあまりにルンルン気分(死語か?)なのが、なんとなく面白くない。

これは実習である!少しでも多くのことを学んでもらいたい。ここは少し、キビしく接した方がいいのではないか。

そこで学生たちに提案する。

「むかし、『アメリカ横断ウルトラクイズ』っていうクイズ番組があったの、知ってる?」

「何です?それ」

「アメリカを横断しながら、土地土地でクイズを出していって、クイズに答えられなかった人が、その時点で日本に帰らなきゃいけない、ていう番組。で、クイズに勝ち残って、ニューヨークまで行けた人が優勝するんだ」

「へえ」

「この実習でも、それをやりましょうか」

「どういうことです?」

「つまり私が見学場所に関するクイズを出していって、それに答えられなければ、その時点で実習から脱落して、地元に帰らなければならない」

「ええぇぇぇぇ!そんなのイヤですよ」

当然の反応である。

実習初日は、飛鳥駅で自転車を借り、明日香村一帯をまわる、という行程である。

「鬼の雪隠」というところで、試しにクイズを出してみた。

「さて、ここで問題です。答えられないと飛鳥駅に戻ってもらいますよ」

一瞬、学生たちに緊張が走った。

「さてこの『鬼の雪隠』、もともとは何だったでしょうか?」

「すいません先生!」

「何ですか?」

「『雪隠』って、どういう意味ですか」

ええええぇぇぇぇぇっ!そこから説明しなきゃいけないのか!?

「雪隠とは、トイレのことです」

「トイレのことを雪隠というんですか!」

「そうです。さあ、答えてください」

「すいません。わかりません」

ほぼ全員が、答えられなかった。

これでは、『ウルトラクイズ』は成立しない。

ということで、この企画は即刻中止となったのであった。

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「キョスニムと呼ばないで!」セカンドシーズン閉店

10月23日(日)

大学祭2日目。

2 午前中、構内で、前の職場の同僚のKさんとお会いした。いま、一緒にクリーニング作業を進めている「ダブルKさん」(「ダブル浅野」的な意味で)のうちの1人である

「来てくれたんですか」

「ええ、チヂミを食べにね」Kさんは、片道50㎞の道のりを、チヂミを食べに来てくれたのだ。

チヂミやホットケーキを食べながら、ひとしきりお話しする。

「これが等身大人形ですか。よくできてますね」

「そうでしょう」

「それにしても学生さんはみんな、ホントよくやってますね」

「勉強もこれくらい熱心にしてくれるといいんですがね」

「いや、こういうことの方が大事ですよ」

Kさんは別れ際、「私が来たこと、ブログに書かないでくださいよ。…あ、いや、『私が来たこと、ブログに書かないでくださいよ』って言ったことも、ブログに書かないでくださいよ」と言った。

これは学生が言うところの、「私が来たことをブログに書いてくれ」という「フラグ」というものなのか?と思い、ここに書かせていただきました。

Photo さて午後、大学祭のステージ上では、地元の放送局との共同企画による、「方言クイズ」をやっていた。面白いので、つい1時間ほど見入ってしまった。

プロのアナウンサーとうちの女子学生が、掛け合い漫才のような司会をするのだが、その女子学生がビックリするくらい司会進行が上手い。そして、私はこの土地に10年も住んでいるのに、この土地の方言をまったく知らないことに気づく。

終わって屋台に戻ってからも、3年生のCさんと方言談義がつきない。Cさんは、隣県の出身である。

「『いずい』って、わかりますか?」

「『いずい』?わからないなあ」

「ほら、よく洋服の襟の後ろについているタグが肌にあたってむずがゆくなったりするでしょう。あの感覚が『いずい』です」

「『むずがゆい』とは違うの?」

「違います。『いずい』は『いずい』としか言いようがありません」

「ほう」

「あと、『きょっぽり』は?」

「『きょっぽり』?何それ?」

「よく靴の中に水が入ってグチョグチョになったりすることがあるでしょう。あの感覚が『きょっぽり』です」

「ずいぶん限定的な使い方だね。…とすると、『きょっぽり』は、靴に水が入ったときにしか使わない言葉、ってこと?」

「ええ、そうです」

うーむ。方言は奥が深い。

そんな話をしていると、この3月に卒業したSさんが陣中見舞いにやってきた。Sさんは、昨年の大学祭で「キョスニムと呼ばないで!」を実現したリーダーである

「焼きそばを買ってきたので、チヂミを売り終わったら鉄板で焼いて食べましょう」

なるほど、「まかない」というわけか。

Photo_2 午後3時過ぎ、チヂミを売りつくした。今度はチヂミを焼いた鉄板で「まかない」の焼きそばを作る。

大量に作ったが、あまりの美味しさに、あっという間になくなってしまった。やはり労働のあとの「まかない」は、美味いものなんだな。

屋台の片付けをして、すべて終わったのが午後5時過ぎである。すでに外は真っ暗である。

「おかげさまで売り上げは、黒字になりました」と今年のリーダーである3年生のN君。彼がいなければ、2年目は実現しなかった。

「みんなで記念撮影をしましょう」

カシャッ!

これにて、閉店!

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「キョスニムと呼ばないで!」セカンドシーズン

10月22日(土)

大学祭1日目。

2 チヂミ屋台「キョスニムと呼ばないで!」は、無事開店した

すでに学生たちの役割分担ができているようで、こちらの心配することではなかったようだ。

「韓国に詳しい先生の監修による、本格的なチヂミでーす!」3年生のN君が大声をはりあげて宣伝している。

「おいおい、まだ味見すらしていないぞ」と私。

「じゃあ、味見してみてください」

Photo_5 食べてみると、昨年とはだいぶ雰囲気が違っているが、これはこれで十分に美味しい。

例によって私が屋台にいてもなんの役にも立たないので、ぶらぶらと出かけることにする。

まず向かった先は、私が顧問をしている手芸サークルの、ホットケーキ屋さんである。

Photo_4 クマの形をしたホットケーキは、さすが手芸サークルらしく、かわいらしく仕上がっている。

せっかくなので1つ買って食べることにするが、いい歳をしたオッサンがこのホットケーキを汗をかきながら食べている姿は、たぶん外から見ていてかなりキモチワルイのではないか、と、また被害妄想にとらわれた。

次に向かった先は、音楽サークルのライブ会場である。

昨日の金曜日、授業が終わったあと、2年生のAさんが私のところに来た。

「これから明日の大学祭の準備なんです」

「何のサークル?」

「バンドです」

「じゃあ、ライブやるの?」

「ええ、先生も来てください。明日は11時頃にうちのバンドの演奏がはじまります」

「わかった。聞きに行きます」

ということで、聞きに行くことにしたのである。

ライブ会場に行くと、入口のところには、ビジュアル系バンドのような格好をした若者たちがたくさんいた。というか、ここはそういう若者たちが来る場所で、私のようなオッサンが来る場所ではない。

扉のところに、バンド出演のタイムテーブル表が貼ってあったが、Aさんのバンドの名前がわからない。

困ったなあ、と思って扉の前に立っていると、ビジュアル系の若者が話しかけてきた。

「どうぞ、中にお入りください」

「あのう、…いまどのバンドが演奏しているんですか?」

「これです」と、その若者はタイムテーブル表に書いてあるバンド名を指さした。「どれかお目当てのバンドでもあるんですか?」

「えーっと…、Aさんが出ているバンドはどれですか?」

「Aさん?…ああ、Kちゃんのことですね。それだったら、○○というバンドです。本当だったらいまそのバンドが演奏しているはずなんですが、いま、1時間押しで進んでいるので、演奏はまだですね」

「1時間押しですか…。とすると、そのバンドは1時間後に演奏する、ということですね」

「はい」

「わかりました」そう言って、私はライブ会場をあとにした。

あの若者は、私のことを何者だと思っただろう?とちょっと心配になった。ビジュアル系の若者たちが集う場に、なぜか汗をかいているオッサンが1人でやってきて、Aさんの出演時間を名指しで聞いてのを見て、Aさんにつきまとうオッサンストーカーだと思ったのではないか、と、またまた被害妄想がふくらんだ。

(どうにも入りづらいなあ)

しかし、約束は約束である。

1時間後に行こうと思ったが、つい話し込んだりしていて、ふたたびライブ会場に着いたのは1時すぎになってしまった。

例によってライブ会場の入口に行くと、ビジュアル系の若者たちがたくさんいた。

「どうぞ中にお入りください」

「あのう、…いまどのバンドが演奏しているんですか?」

「これです」と、その若者はタイムテーブル表に書いてあるバンド名を指さした。「どれかお目当てのバンドでもあるんですか?」

「○○というバンドなんですけど」

「あ、それもう、終わっちゃいましたね」

「ええぇぇ!終わっちゃったんですか!?」

「はい」

なんともタイミングが悪い。

仕方なくまたライブ会場をあとにした。

(あの若者、絶対オレのこと、Aさんにつきまとうヘンなオッサンだと思っているだろうな)

そう考えると、どんどん落ち込んだ。

というか、大学祭でウロウロと歩きまわっている私の姿は、どう見てもヘンである。

歩いていると、知っている学生に声をかけられ、そのたびにその店の食べ物を買うはめになる。おしるこ、肉まん、バーベキュー、クレープ、ラーメン…。すでにお腹いっぱいになってしまった。

午後、チヂミ屋台に戻ると、韓国からの留学生たちが、チヂミを焼いたり、呼び込みをしてくれたりして、手伝ってくれていた。

「チヂミイッソヨ!チヂミイッソヨ!」と、3年生のN君が大声で呼び込みをしている。

「チヂミイッソヨ」とは、韓国語で「チヂミあります」という意味である。

「どうしたの?急に」

「さっき、留学生の女の子に教えてもらったんです。チヂミイッソヨ!チヂミイッソヨ!」

「いま、留学生の女の子にチヂミを焼いてもらっているんですけど、焼き方がとっても上手なんですよ。やっぱり本場は違いますねえ」と、今度は3年生のUさん。

「明日、留学生たちがキンパプ(のり巻き)の屋台を出すそうだよ」

「ホントですか。じゃあ、絶対買いに行かなくちゃ」

ごく自然に、日韓の学生たちがとけこんでいる姿。

これこそが、私の望んでいた姿である。

夕方4時前に、今日準備していた分が売り切れた。

「今日はどうにか赤字にはなりませんでしたが、儲けはなかったですね。明日は、儲けが出るようにがんばりましょう」

3年生のN君が言った。

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波紋2

10月21日(金)

「えええええぇぇぇぇぇっ!!!こ、これは…」

Photo 見ると、ダンボールで作った、私の全身像パネルである。しかもコスプレをしている。

等身大、とまではいかないが、実によくできている。

「どうしたの?これ」

「先生がブログに書いておられたでしょう。今日あれを読んで、これって『等身大の人形を作れ』というフラグなのかな、と思って、午後、Oさんと2人で急遽作ることにしたんです」とCさん。

「フラグ」って何だ?

それはともかく、どうやら私の書いたブログが、波紋を呼んだらしい。

軽はずみで書いただけなのに、実に悪いことをした。

「それにしても実によくできてるねえ。これ作るの、大変だったでしょう」

「いや、そうでもなかったですよ。2時間くらいでできました。先生がこちらに戻ってくるまでに仕上げてしまおうと思って」

「に、2時間?」私は驚いた。この私を、たった2時間で作ったのか?

それはそれでちょっとショックである。

「…ということは、私はたった2時間でできあがる程度の値打ちしかない人間、てことかな?」

「違いますよ!何言ってるんですか!」Cさんは、相変わらずの私の被害妄想ぶりに、呆れた様子だった。

それにしても、申し訳ないことをした。

これではまるで、ブログを通じて私が学生に、等身大の私の人形を作るように、圧力をかけたようなものではないか!それは私自身が、最も嫌悪すべき行為である。

やはりうかつに書くものではない。筆は慎まないといけない。これからは、あまり余計なことは書かないようにしよう、と深く反省した。

「記念撮影用に、もう一つ、顔の部分をくりぬいて、顔をはめ込んで写真が撮れるようにした全身像があった方がいい」

とか、

「今度は本当に等身大の立体人形があった方がよい」

とかは、絶対に書くべきではないのだ。

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波紋

10月21日(金)

午前の授業を終え、4年生5人とバスに飛び乗る。隣県にある某所を見学するためである。

午後2時半過ぎに到着し、某所を見学させてもらう。とても充実した見学会だった。

それにつけても気になるのは、明日の大学祭の準備状況である。

「準備、大丈夫かなあ」

「どうでしょうねえ。僕たちだけ見学に来たのはちょっと後ろめたいので、準備をしているN君たちに何かおみやげを買って帰らないといけませんね」

4年生のT君の提案で、準備をしている学生たちにおみやげを買って帰ることにした。

「ところで、先生のブログが波紋を呼んだようですよ」

波紋??どういうことだろう。

5時ごろに見学会が終わり、鉄道とバスを乗り継いで職場に戻る。職場に着いたのは、午後7時半だった。

すでに構内は真っ暗である。屋台のテントも、ほぼ設営準備が終わっていて、人もまばらであった。

「もう準備が終わって帰っちゃったのかな…」

構内を歩いていると、「先生!」と呼ぶ声がする。3年生のCさんと、N君である。

「先生にお見せしたいものがあるんです。こっちに来てください」

言われるがままについていくと、私たちのお店の前まで来た。すると、どこからともなく、開店準備をしていたほかの学生たちも集まってきた。

「これを見てください」とCさん。

暗い中、目を凝らして見ると、驚くべきものがそこにあった。

「えええええぇぇぇぇぇっ!!!こ、これは…」

(つづく)

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店は開くのか

10月20日(木)

今週末は大学祭である。

今年も去年同様、「キョスニムと呼ばないで!」の屋台を出すことになったそうなのだが、私のところには、その情報がまったく入ってこない。

今年のリーダーは3年生のN君である。N君は、こういうことに長けているので、大丈夫だろうとは思うのだが、それにしても、まったく音沙汰がない、というのもヘンである。

午前中の授業で、4年生たちが口をそろえていう。

「私たち、大学祭の屋台のこと、まったく知らされていないんです。ひょっとして、蚊帳の外に置かれているんでしょうか?」

「いや、そんなことないと思うよ」と私。「だって私だって、何も知らされていないんだもの」

午前の授業が終わり、教室を出て歩いていると、3年生のCさんとOさんに会った。

「大学祭の屋台、どうなってるの?4年生が心配してたよ」と私。本当はいちばん心配しているのは、この私かも知れないのだが。「N君から何か聞いてない?」

「じつは私たちも何も聞かされていないんです」

えええぇぇぇぇっ!N君に最も近いと思われる、OさんやCさんすら、何も聞かされてないのか!?

「ええぇぇっ!?、じゃあ、誰が知ってるの?」

「たぶん、誰も知らないと思います。ヤツの頭の中にしかないんだと思いますよ」とOさん。N君の性格や行動パターンをいちばんよく知るOさんだけに、説得力がある。

うーむ。ますます謎である。

そこへ偶然、N君が通りかかった。うわさをすれば影、韓国語のことわざでいえば、「トラも自分の話をすればやってくる」だ。

「どうしたんです?」

「いまあんたの話をしてたところだ。屋台、大丈夫なのか?」と私。

「大丈夫っすよ。まかせてください」とN君。

Oさんは、またはじまった、とばかりに呆れ顔である。おそらくこれまで何度も同じことがあったのだろう。

OさんとN君の間で、少しばかり口論がはじまる。

「まあまあ」と私。「看板とかはどうするの?」

「看板は、去年のを使いまわします」N君は潔く言った。

本当のところ、今年あたりは、カーネルサンダースばりの私の等身大人形が飾られるのではないか、とひそかに期待していたのだが…。ま、期待する方が悪い。

そういえばバブルの頃、原宿とか清里とか軽井沢とか嵐山とかに、タレントショップがやたらとできて、オーナーであるタレントの等身大人形が店の前に飾られていたが、ああいう時代を知らない世代なんだな。

あの人形たちは、いまどうなっているのだろう。

そんなことはともかく。

「大丈夫っすよ」とN君は何度も繰り返した。その言葉、信じていいのか?

はたして、チヂミ屋台は無事に営業できるのか?

ぜひ、当日に来てお確かめ下さい。

そうそう、私が顧問をつとめる手芸サークルも、ホットケーキの店を出すそうだ。それも、ビックリするくらいかわいい形のホットケーキだそうである。

こちらの方も、楽しみである。

ただし、両方とも味の監修はしておりません。

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明洞(ミョンドン)の笑笑

10月14日(金)

夕方6時。いろいろと不十分なことばかりだったが、シンポジウムはひとまず終了した。

いつもそうなのだが、韓国では学会やシンポジウムが終わると、余韻にひたる余裕もなく、すぐに会場を追い出され、会食会場へ向かわなければならない。

「早く出てください!早く早く!」

せかされるように会場をあとにする。向かった先は、近くのサムギョプサルチプ(焼き肉屋さん)であった。

焼き肉屋さんに着くと、すでに多くの人が所狭しと座っている。

シンポジウム会場にはいなかった人たちも多くいる。会食にだけあらわれるという人が多いのも、韓国の学会の特徴である。いや、日本も似たようなものか。学会が、いかに人脈を大切にする世界かを思い知らされる。

そこで多くの韓国の知り合いの方たちと再会した。はじめてお会いした方たちとも、話が盛り上がった。

1次会が終わり、2次会はソウル随一の繁華街・明洞(ミョンドン)のスルチプ(居酒屋)である。店の前にテーブルをならべ、夜空の下で、日韓入り乱れての、15人くらいのにぎやかな宴会が始まる。

その2次会も、10時過ぎにお開きとなった。

ホテルに戻ろうとすると、日本から来たある先生が言う。「締めに麺が食べたい」

「麺ですか?」

「だって、酒を飲んだあとは麺だろう。何でもいいんだ。麺なら」

締めに麺を食べる習慣なんて、韓国にないのになあ、と思いながら、日ごろお世話になっている先生の希望なので、おろそかにするわけにもいかない。

明洞を探しまわると、中華料理屋を見つけた。

「あそこの中華料理屋に入りましょう」

「ラーメンがあるか?」

「韓国の中華料理屋は、ジャージャー麺かチャンポンと、相場が決まっています。ジャージャー麺は好き嫌いがあるでしょうから、少々辛いですがチャンポンの方がいいと思いますよ」

「じゃあそうしよう」

先生と私、そして日本から来た研究仲間2人の、計4人で中華料理屋に入った。

韓国の中華料理屋といえば、主なメニューは酢豚、ジャージャー麺、チャンポンの3つくらいしかないのだが、この店は、ややメニューが豊富である。

「あ、小龍包や水餃子がありますね。しかも美味しそうですよ」まわりの客が食べているのを見て、私が言った。

「じゃあ麺を食べる前に、それを頼もう」

小龍包と水餃子を食べながら話をしているうちに、「もう閉店ですよ」と、店の主人の声。

時計を見ると11時である。いつの間にかまわりの客も帰っていた。

結局、麺にたどりつけないまま、店を追い出された。

それでも先生は、麺を食べることをあきらめない。

「どこかほかにないかね」

ソウル随一の繁華街とはいえ、明洞は11時を過ぎると、とたんに寂しくなる。飲食店の多くが閉まり、賑やかだった屋台も店じまいして引き払ってしまうのである。

困ったなあ、と思いながら探し歩くと、「笑笑」の看板を発見した。日本の居酒屋チェーン店の「笑笑」である。

この「笑笑」の看板を韓国で見ると、まるでハングルのようにみえる。「笑」という漢字が、韓国語で「花」を意味する「꽃」になんとなく似ているのだ。

そんなことはともかく。

多くの飲食店が閉まっている中で、「笑笑」だけは開いていた。しかも店先のメニューを見ると、うどんの写真がある。

「先生!うどんがありますよ!」

ようやく探しあてた麺類である。

「よし、じゃあここにしよう」

ということで、「笑笑」に入ることになった。何でソウルまで来て、「笑笑」に入らなければならないんだろう、と思いながら。

店に入り、さっそく注文する。店員は、韓国人である。

「生ビール4つと、かき揚げうどん4つください」韓国語で注文する。

すると店員さんが韓国語で答えた。

「ご注文を繰り返します。生ビール4つと、かき揚げうどん4つですね」

韓国の食堂ではほとんどみられない「注文の復唱」である。このあたりのマニュアルは、日本の居酒屋と変わりない。

まわりの客は、ほとんどが日本人である。メニューも、日本のそれとさほど変わらない。

「まるで日本にいるみたいだな」と先生。そりゃそうだ。日本の居酒屋なんだもの。

30分ほどたって、ようやくうどんが来た。せっかちな韓国人にしては、ずいぶんとのんびり作ったたものだ。

うどんの味は「普通」だった。

シンポジウムの反省などしながら、ビールを飲み、うどんを食べているうちに、気がつくと深夜1時半をまわっていた。

「さ、帰ろう」ようやく「笑笑」を出て、ホテルに戻った。

長い1日だった。

…と、ここまで書いて気がついた。

焼き肉、ビール、焼酎、小龍包、水餃子、うどん…。

これだけ食べれば、そりゃあ、帰国後に右膝の痛みが再発するわな。

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続・携帯電話の文化論

10月14日(金)

さて、そのシンポジウムでの出来事。

各人の発表が終わり、後半は発表者や討論者が壇上にならんで、討論をすることになっていた。

私の席は、客席から向かって右から二番目の席である。一番右の席、つまり私の左隣の席には、今回の一連の行事の主催者の1人であるイさんが座っている。イさんは、私とほぼ同世代の研究者であり、彼とは長いつきあいである。

イさんは、今回の一連の行事の一切をとりしきりながら、かつ、シンポジウムの発表者(パネラー)としても名を連ねていた。ふつうはこういった場合、裏方の仕事が忙しいので、同時に研究発表をすることなど不可能なのだが、直前になって韓国側の発表予定者がキャンセルとなったので、急遽、イさんが代打をつとめることになったのである。それでなくても今回の一連の行事で忙殺されているイさんにとっては、かなりの負担である。

(ちなみにこういうシンポジウムの場合、韓国側と日本側で、発表者の人数を同数にしなければならない。今回は、両国から3人ずつ発表者を出すことになっていて、韓国側で発表者が1人キャンセルした場合、人数合わせのために必ず誰か代打を立てなければならないのである)。

さて、シンポジウムの討論も中盤にさしかかったころ、驚くべきことが起こった。

壇上では熱心な討論が続いている。

ふと気がつくと、私の左隣に座っているイさんが、身をかがめている。

何をしているんだろう?と、イさんの方をチラッと見て驚いた。

なんと、携帯電話で誰かと通話しているではないか!

ええええぇぇぇぇぇっ!!!

しかも、声を出さずに、ヒソヒソ声で通話しているぞ。

というか、そんなヒソヒソ声で話を聞かされてる相手も、「すいません、あとでかけ直します」とか、「シンポジウムが終わってから電話ください」とか、言わないのだろうか??

いくらイさんが忙しいからといって、シンポジウムの真っ最中に、パネラーとして座っている壇上で、携帯電話で通話することはないだろうに。

なにより、壇上で身をかがめてヒソヒソ声で電話している姿は、どう考えても客席から見て目立っている。

以前、韓国滞在中に、韓国人の携帯電話文化について書いたことがあるが、この一件は、それを上回る驚きである。

韓国の映画ではよく、刑事に追いかけられて全力疾走している犯人が、かかってきた携帯電話に出て、走りながら通話する、なんていう場面がよく見られる。

そう考えると、どんな場合でも携帯電話の通話が優先されるのかも知れない。

果たして「携帯電話が鳴っても出られない状況」は、存在するのか?

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はるか、まるか

10月12日(水)~15日(土)

「はるか、まるか」とは、韓国語で「しようか、するまいか」という意味である。

この期間、シンポジウムでの研究発表とそれに合わせての資料調査で、韓国のソウルに行った。13日が資料調査、14日がシンポジウムである。

10月初頭に日本語文の発表原稿をメールで送ったが、例によって主催者側から何の音沙汰もない。原稿が無事着いたのか、着いたとして、翻訳が間に合ったのか、などが皆目わからないのである。

それより何より、このシンポジウムでは、各人がどんなテーマで発表するのかすら明らかになっていない。

いつものこととはいえ、やはり不安である。

実は、1週間ほど前からの足の痛みは、この不安が原因だったのではないか、と思う。

シンポジウム前日、主催者のひとりであるイさんに「打ち合わせをしましょう」と提案する。どうやら、主催者側では打ち合わせも念頭になかったらしい。

打ち合わせの席上で、はじめて発表者の原稿が配られ、他の方が何について発表するのか、その全貌が明らかになった。私の日本語文も、韓国語に翻訳されていて一安心した。

日本から来たI先生と私に、主催者の先生が質問した。

「明日は日本語で研究発表されますか?それとも韓国語でされますか?」

まずI先生が答える。

「どうしようか迷っています」

ベテランのI先生は、韓国語での発表を何度も経験されているのだが、正確を期するためには日本語で発表したほうがいいのではないか、とお思いになっているようである。

次に私の番である。

「私も迷っています」

そう答えると、主催者の方々は口をそろえて、

「日本語で発表されたほうがよろしいのではないですか?聴衆は、韓国語の翻訳文を読めば発表の内容は理解できますし、それに発表時間も短いですからねえ」

と言う。

うーむ。やはりそうか。

打ち合わせが終わった後、資料調査に居合わせていた韓国人の友人に相談すると、やはり、

「私の個人的な考えでは、日本語で発表されたほうがいいと思います」

と言う。

うーむ。本当にどうしよう。この時点で、私の頭には二つの選択肢が浮かんでいた。

1.日本語の原稿をそのまま読み上げる。

2.韓国語の翻訳文を読み上げる。

夜、ホテルの部屋に戻り、さっそく韓国語の翻訳文を音読してみた。

すると、つっかえつっかえになってしまって、とてもではないが読み上げることができない。

やはり、他人が翻訳した文章を読んでもダメだ、という結論に達した。

といって、今から自分で韓国語の原稿を作る時間的余裕もない。

そこで、3番目の選択肢が浮かんだ。

3.日本語の文章を見ながら、その場で即興で韓国語に翻訳して発表する。

さて翌朝。

韓国語が堪能なHさんに聞いてみた。

「他人が翻訳した韓国語の原稿を読みながら発表するのと、自分が書いた日本語の原稿を見ながらその場で韓国語に翻訳しながら発表するのとでは、どちらがやりやすいでしょうか」

「後者のほうがやりやすいかもしれませんね。他人の翻訳した文章は読みにくいことが多いですから」とHさん。

ここで、選択肢は1と3に絞られた。

午後1時半、いよいよシンポジウムが始まった。

この時点で私は、日本語で発表するか、韓国語で発表するかをまだ決めていない。

(さてどうしよう…)

相変わらずの優柔不断ぶりである。発表の時間は刻々と迫っている。

プログラムに記された発表の順番をみると、私の前が、日本から来たI先生である。

(そうだ!こうしよう)

もし仮に私の前のI先生が日本語で発表されたら、私も日本語で発表することにしよう。逆に、I先生が韓国語で発表されたら、私も韓国語で発表することにしよう。

かくして運命の選択は、I先生に委ねられたのである。

緊張のあまり、トイレに行きたくなった。

席をはずしてトイレに行く途中も、日本語で発表すべきか、韓国語で発表すべきかが、頭から離れない。

(はるか、まるか。はるか、まるか。はるか、まるか。はるか、まるか…)

心の中で繰り返しこの言葉をつぶやいた。

トイレから戻ると、ちょうどI先生の発表が始まるところだった。

さあ、I先生はどちらを選ぶのか???日本語か?韓国語か?

…………

「クンバン ソゲパドゥン…イムニダ」

韓国語だ!

ということで、私も韓国語で発表することになった。…というより、自分で勝手にそういうルールを作っただけのことなのだが。

I先生の発表がおわり、次は私の番である。

日本語の原稿を目で追いながら、即興で韓国語に翻訳して発表していく。

どれだけ伝わったかはわからないが、とりあえず30分の発表を終えた。

発表が終わり、休憩時間となった。例によって椅子に座ったまま放心状態になっていると、後ろから私を呼ぶ声がする。

振り返ると、私が大学院生の時に韓国から日本に留学していたクォンさんであった。いまは韓国の地方都市の大学で、日本語を教えていらっしゃる。

「ご無沙汰しています」とクォンさん。

「久しぶりですねえ。5年ぶりくらいでしょうか」

「韓国語、すごく上手になりましたねえ。あのときは、まったく喋れなかったじゃないですか」

「伝わりましたか?」

「ええ、十分に伝わりました」

ま、お世辞でもそう言ってくれるだけでありがたい。なにより言葉とは、何かを伝えようとする意思こそが重要なのである。

私は、韓国語で発表されたI先生に、心から感謝した。

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代官山デビュー

10月9日(日)

前日の晩、東京の家に到着。

またいつものように3連休を何もせずに終わってしまってはいかんと思い、今日は思いきって代官山に行くことにした。

「なぜ代官山?」と妻は驚いた様子。

そりゃあそうだ。代官山といえば、オシャレな町である。私とはまったく縁がない。行く必然性がないのである。

私の好きなドラマのひとつに、子どものころにやっていた「ちょっとマイウェイ」というドラマがあって、たしかその舞台となった町が代官山であった。ただし、代官山でロケをしたというわけではなく、スタジオのセットで撮られたドラマだった。

私の代官山知識は、そのていどのものである。

ではなぜ行こうと思ったのか?

それは、私がいま少し関わっている被災資料救済活動に関する展示が行われる、と、先日ある方から聞いたからである。

「ちょうどいまの時期に東京で展示が行われています」

「どこでですか?」

「よくわかりません。たしか代々木だとか…、なんかそんな感じのところです」

たったこれだけのあやふやな情報である。

だがインターネットとは便利なもので、断片的な手がかりをもとに調べてみると、なんとその展示は、「代々木」ではなく「代官山」で行われていることが判明した。

「代」の字が共通していたので、その方が勘違いされたのだろう。あやうく代々木をさまようところだった。

バスと電車を乗りついで、代官山に向かう。はじめての代官山である。

代官山駅に着くと、噂には聞いていたが、道行く人がみんなオシャレである。

道行く人たちばかりではない、その人たちが連れている犬も、着ている服がビックリするほどオシャレである。

「ちょっとちょっと…。あの犬の着ている服、絶対ブランド物だよ。私たちが着ている服よりきっと高いよ」

「ほんとだ」

私たちは、わずか数分で、オシャレな代官山に完全にやられてしまったのである。

展示が行われているという建物に到着。この建物も、とてもオシャレである。というか、町全体がオシャレなのだ。

Photo それにしてもなぜ、こんなオシャレな場所で、こんな地味でまじめな展示をしているのだろう、と、ちょっと不思議な感じになる。もちろん、こういう場所でやることは、とてもいいことだとは思う。

展示自体は、とてもよいものだった。自分も少しだけ関わっているだけに、思いもひとしおである。

じっくり見ながら、妻にあれこれと説明していると、横の方に、熱心に見ている紳士風のおじさんがいた。

その紳士風のおじさんの格好を見て驚いた。

50代半ばF30790009 くらいの、ロマンスグレーでスラッとした紳士なのだが、タキシードを着て、顔には、仮面舞踏会でよくつかう、仮面(マスク)をつけているではないか!(写真は資料画像)

思わず、コントでいうところの「二度見」をしてしまった。

その紳士風のおじさんは、仮面舞踏会などでつかう華やかな仮面(マスク)をつけながら、その地味でまじめな展示を熱心に見ていたのである!決しておふざけではなく、である。

いったいどういうわけで、そのような格好でこの展示を見ているのだろう。仮面舞踏会を途中で抜け出して見に来たとしか考えられない。

建物の外に出て、まわりをキョロキョロと見渡すが、仮面舞踏会をやっている様子もない。あるいは、どこか秘密の場所で、仮面舞踏会が行われているのか?

それとも、日曜日の昼下がり、ジャージではなく、タキシードを着て仮面舞踏会でつかう仮面(マスク)をつけて町を歩くのが、代官山の休日のお父さんのスタイルなのか?

謎は深まるばかりである。

うーむ。代官山は奥が深い。私の手にはおえないほどのオシャレな町である。

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痛い時に医者(あなた)はいない

10月8日(土)

足の痛みがまだとれないので、朝、かかりつけの医者に診察の予約をする。たしか、土曜日は午前中だけ開いているはずである。

「今日、診察の予約をしたいんですが」

「すいません。本来ですと土曜日の午前中は診察日なんですが、今日は先生が学会に出ておられまして、休診日なのです」

そうだった。今は学会シーズンだった。

「え!?じゃあ、診てもらえないんですか?」

「ええ」

「急を要するんですが…」

「そうおっしゃられましても…。次の診察日は来週の火曜日です」

えええええぇぇぇぇぇぇ!!!

そうか。3連休だから、次の診察日は来週の火曜日なのか。

「せめて、薬だけでももらえませんかね」

「通院されている方ですか?」

「いえ、いまは通院していませんが、前にかかったことがあるもので…」

「あいにく診療をお受けいただかないと、処方もできません」

「でも、いまこの時点で痛くて、急を要するんですよ」

「急を要するんでしたら、ほかのお医者さんをあたっていただけないでしょうか…」

ほかのお医者さんったって、また一から自分の病気のことを説明しなければならないのか?そんな面倒なことはしたくない。

「わかりました。じゃあいいです」

といって電話を切った。

前にも同じようなことがあったな

つくづくこの病院とは、相性が悪い。

だが家からいちばん近い病院なので、ほかにかえる気にもならない。

というわけで、ふて寝である。自分ではどうにもならないことが起こったときは、ふて寝をするにかぎる。「果報は寝て待て」というではないか。

そんな3連休の初日。例によって3連休を棒に振る予感。

(ちなみに今日のタイトルはむかしのトレンディドラマのタイトルのパロディです)。

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感性と技術

10月7日(金)

秋は学園祭のシーズンである。

その学園祭に合わせて、日ごろやっているクリーニング作業の成果をパネル展示して、活動を広く知ってもらったらどうだろうか、と、世話人代表のKさんが提案したのが、1カ月ほど前のことであった。

パネル作りを担当することになったのが、うちの職場の同僚のSさんと、4年生のT君である。同僚のSさんはその道の専門家である。

パネル展示をする最初の学園祭が、10月8日(土)に、私の「前の職場」で行われる大学祭である。そのことに気がついたのは、5日前の10月3日(月)のことであった。

あと1週間もないではないか。

急いで展示パネル作成がはじまった。4年生のT君が6枚のパネルの原稿を考え、それを同僚のSさんが大型印刷機でポスター大にプリントアウトしたのが今日、すなわち金曜日の午前であった。

パネル原稿の出来は申し分がなかった。この間、私は何もしなかったが、わずか5日間で仕上げた2人の連携作業には、ただただ驚嘆するほかなかった。

午後、プリントアウトしたパネル原稿を、Sさんが50㎞離れた「私の前の職場」まで持っていく。そこで、パネルの飾りつけを行うのである。

私もその様子が少し気になったので、6時に職場の会議が終わってから、かけつけることにした。

夜7時半。車で1時間ほどかけて到着すると、まだ展示の準備作業が続いていた。

同僚のSさんのほかに、「前の職場」の同僚のKさん、世話人代表のKさんの「ダブルKさん」(「ダブル浅野」のような言い方だが)、さらには学生が15人ほどいて、作業をしていた。

「言ってみるもんですねえ」と世話人代表のKさんは感慨深げである。「まさかこんなちゃんとしたものになるとは思いませんでした」

「Kさんが軽はずみに提案したばっかりに、T君とSさんはえらく苦労したんですから」私は冗談交じりに言った。「何でも言ったことが実現するなんて思っちゃいけませんよ」

「すいません。ドラえもんの四次元ポケットのように、何でも実現できると思ってました」と、Kさんは頭をかいた。

それでも集まった学生たちは、次々と展示の工夫を凝らし、それをSさんはプロの技術で仕上げてゆく。

その連携が、見ていて実にすがすがしい。

午後10時ごろ、ようやく展示が完成した。

Photo Sさんがライティングを工夫してくれたおかげで、6枚のパネルは、まるで美術作品のような趣をみせる。

見せ方ひとつで、こうも違うものか。なるほど、これがプロの技か、と感嘆した。

「すごいですねえ。ここまでできるんですねえ」世話人代表のKさんが感激して言った。「この次は映画を撮りましょう。私たちの活動をドキュメンタリー映画にしたらいいと思うんだけどなあ」

「だから軽はずみに提案するのはやめてくださいよ!」と私。うっかりKさんの軽はずみな提案にのるべきではないのだ。

「ささ、帰りましょう」

展示室を出て、大きな看板に目をやった。

Photo_2 学生たちが作った、手作りの看板である。

「いいですねえ」

「これ、いいでしょう。この手作り感がいいんです。こういう展示の場合は、ただ洗練されているだけではダメなんです」

「なるほど。ひとりひとりが一文字ずつ書いているのが、クリーニング作業を象徴しているみたいでいいですね」

洗練されたプロの技術だけでは人の心は動かせない。感性を尊重する心がないと、人の心を揺さぶることはできない、ということなのだろう。

明日1日限りの展示に、果たしてどのくらいの人が見に来てくれるかはわからない。だが少なくとも、今日のこの展示作業に参加してくれた学生たちの心を揺さぶることはできたのだろうと思う。

それだけでも、この展示を行った意味は十分にあったといえるだろう。

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ポンコツまっしぐら

10月6日(木)

今日も足がものすごく痛い。昨日より痛い。

この痛みは、誰にもわかるまい。

朝、悶絶しながら起き上がる。ちょっと動くだけでも一苦労である。

痛み止めの錠剤を飲むが、どうも喉に引っかかったような違和感がある。

錠剤が痰に引っかかったような感じである。まあよくあることではあるのだが、どうも気になる。

(ここはいったん薬を吐き出そう)

と思い、洗面所で

ウガー、ウガー

と何度も声をあげるが、薬は吐き出されない。

ウガー、ウガー

そういえば幼い頃、朝起きると、近所に住んでいるおじいさんの、

ウガー、ウガー

という声が毎朝聞こえてきたが、あれはこういうことだったのか?

顔を洗うにも、トイレに行くにも、シャワーを浴びるにも、一苦労である。

まったく、不便な体である。

やっとの思いで家を出て、職場に到着した。

今日は、午後に授業1コマと、3時過ぎに来客がある。

一歩一歩歩くごとに激痛が走るので、廊下をそぉーっと歩くことしかできない。まるで若さが感じられない歩き方である。

ソローリ、ソローリ

だが、職場の廊下とかで、足を痛そうにして歩くことは、なんとしても避けたい。

まわりの、たとえば同僚とかに「足、どうしかしたんですか?」とか聞かれて、「痛風ですから」と答えるのがイヤだからである。

「ははあん、贅沢病ですね。どうせ、美味しいお酒をたくさん飲んだんでしょう」的な眼で見られるに決まっているのだ。

だが、私はふだんお酒をほとんど飲まない。だから、お酒の飲み過ぎでしょうと言われるのは、心外なのである。

まったく、厄介な性格である。

ソローリ、ソローリ

やっとのことで教室に到着した。

さて、午後の授業は演習形式だったので、座って話をしていたのだが、途中、私の腰のところで、

パチン!

と音がした。

さほど気にせずにいたのだが、授業が終わって、自分の腰のところを見て驚いた。

ズボンのベルトが切れてしまっている。

ズボンのところから、切れたベルトがダラーンと垂れ下がっているではないか!

こんなことってある?こんなこと、漫画でしか見たことがないぞ!「お前は太りすぎだ」と、ベルトに言われているようなものだ。

ウガー、ウガー

ソローリ、ソローリ

パチン!

これでは、私は完全にポンコツオヤジである。

私がめざしている「ナイスミドル」や「ちょい悪オヤジ」からは、どんどん離れていくではないか!

少なくとも「ナイスミドル」や「ちょい悪オヤジ」は

ウガー、ウガー

ソローリ、ソローリ

パチン!

とはならないだろう。

落ち込むなあ。福山雅治と同い年なのに。

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激痛避難訓練

10月5日(水)

朝起きると、右膝の裏が猛烈に痛い。

正確にいうと、昨晩おそくから右膝の裏が疼きだし、夜寝ているとき、右膝が猛烈に痛くなる夢を見た。そして朝起きると、その通りに右膝の裏が痛くなっていた。

立ち上がろうとすると、あまりに痛くて立ち上がることができない。ちょうど、立ち上がるときに体重を支える部分が、猛烈に痛いのである。やっとのことで左足を軸にして立ち上がると、今度はあまりに痛くて歩くことができない。

これは例の病気だな、と思った。

ここ最近、忙しさのあまり不健康で不摂生な生活が続いているから、例の発作が起きるのは当然だろう。ただ、いつもだと左足の親指の付け根あたりが痛くなるのだが、今回は右膝の裏である。あまりの激痛に立ち上がるのもままならない、というのは、はじめてである。

今日は午前に授業1コマ、そして午後に会議がある。うーむ困った。これではとても職場に行くことなどできない。行くとすれば、匍匐(ほふく)前進で行くしかない。

私はこの11年間、体調不良を理由に授業を休講にしたことは一度もないが、というより、体調不良でもむりやり授業をしてきたのであるが、今回ばかりは、職場までたどり着けないので、やむをえない。

とりあえず痛み止めの薬を飲んでギリギリまで様子をみて、もしダメだったら、職場に電話して休むことにしよう。

痛み止めの薬をふだんの1.5倍の量飲んで、痛みよ止まれ!とひたすらお祈りした。

すると、なんとか立ち上がることができ、かなり痛いが歩けるようになった。

かなり痛いので、気力はまったく失せてしまっているが、とりあえず職場に行くことにし、なんとか授業時間に間に合った。

授業をしていると、突然大きな音で館内放送が流れた。

「今日は避難訓練です。建物内で火事が起こったので急いで避難してください」

ええええぇぇぇぇぇ!ひ、避難訓練!?

「急いで建物の外に出て、グランドに避難してください!」

なんでこんなに足が痛いときに限って、避難しなきゃならないんだ!?

仕方なく、痛い足を引きずりながら避難をはじめる。

4階から階段を一段一段、手すりにしがみつきながら、

痛いタイタイタイタイタイタイタイ!!

と心の中で叫びながら降りてゆく。

やっとの思いでグランドに到着すると、人がほとんど集まっていない。

「ご苦労さまでした。終わりでーす」

避難訓練はあっけなく終わった。

こんな痛い思いまでして避難したのに、これで終わりかよ!

痛いタイタイタイタイタイタイタイ!!

一歩踏み出すごとに激痛が走る足を引きずって、建物に戻った。

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丘の上の再会

10月4日(火)

夕方、久しぶりに「丘の上の作業場」に行く。新学期が始まり、「丘の上の作業場」も作業再開である。

仕事が長びいたので遅れて駆けつけると、作業場はすでにたくさんの人で賑わっていた。

(なんだよ…。昨日とはえらい違いだ)

昨日はうちの職場で同じ作業をしていたにもかかわらず、来てくれた人はわずか5人。だが今日は20人近くはいるぞ。

(やっぱりみんな、「丘の上の作業場」の方がいいんだな。オレは人望が全くないんだな)

と、例によってマイナス思考の世界へ入ってゆく。

ま、いつものことなので気にすることはないのだが。

今日は100キロ離れた町から、5人の方が参加した。初めての参加である。

5人のうちの1人、大柄なYさんは、社会人チームのリーダーであるUさんと小学校時代の同級生だということが判明した。ということは、私とも同い年ということである。

「小学校1、2年と、5、6年の時に同じクラスでした」とYさん。

「でも中学校は別々だったんで、小学校卒業以来です」とUさん。

つまり、30年ぶりの再会、というわけか。もちろんしめしあわせたものではなく、全くの偶然である。

「そういえばむかし、こいつは俺たちの野球チームで監督みたいなことをやってたんですよ」とUさんが私に説明した。だんだん小学校の頃のことを思い出したらしい。

先日私は、中学校の同級生とリムジンバスの中で27年ぶりに再会したが、それを上回る記録である。

つくづく人間のつながりとは、不思議なものだと思う。

夜8時前、作業が終わった。Uさんと私、それに「丘の上の作業場」の総責任者であるYさんが、5人を駐車場までお見送りする。

「これから帰ると、向こうに着くのは10時過ぎになりますね」

「どうかお気をつけて」

「またお目にかかります」

5人は1台の車に乗り、100㎞離れた町へと出発した。

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俺はチャラ男か?

9月30日(金)

お昼過ぎ、東京での仕事が終わり、新幹線に乗って地元に帰る。

今日は、うちの学生が主催する、「大きな鍋を使って牛肉と芋を煮てみんなで食べる会」である。毎年恒例のこの行事は、この時期、職場の近くの河原で行われている。

主催の学生に「4時すぎに戻るんだけど」とメールすると、「ああ、もうその時間だと片づけている時間ですね」と返事が来た。

なあんだ。とっておいてくれないのか。

しかたがないので、駅前の居酒屋で行われる2次会に参加することにした。

どういう話の流れか、私の大学時代の思い出話になった。最初は周りの数人の学生たちに話していたのだが、気がついてみると、全員が私の話に耳を傾けていた。

話が終わると、ある学生が言った。

「先生は、大学時代チャラかったんですね」

チャラい?どういう意味だろう。

ひょっとして「チャラ男(お)」ということか?「チャラ男」という言葉なら、聞いたことがあるぞ。最近テレビを観ていないのでどういう意味なのかはわからないが、先日ラジオを聞いていたら、小太りの無名若手芸人が「ぼく、昔チャラ男だったんですよ」と話していた。

試しに使ってみることにした。

「そうです。私も昔はチャラ男だったんですよ」

そう言うと、

ギャーッハッハッハッハッハッハ!

と、学生たちが手をたたいて大爆笑した。

何が可笑しいんだろう?

その後も、私が「昔チャラ男だったんです」というたびに、

ギャーッハッハッハッハッハッハ!

と学生たちが手をたたいて大爆笑する。

うーむ。どうもよくわからない。「チャラ男」っていう言葉がそんなに面白いのか?

ところで、「チャラ男」って、どういう意味だ?

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続・ライスカレーは裏切らない

9月29日(木)

2日間の東京出張である。

会合が始まるのが午後1時。その前に昼食をとらなければならない。

思いついたのが、水道橋と神保町の間にあるライスカレー屋さんである。

すでにこの日記には2度ほど登場している。私が大学生の時によく食べに行っていたが、東京を離れてからは、なかなか行く機会がなかった。

前回訪れたのが昨年の7月だから、ほぼ1年ぶりということになる。

1年前に訪れたとき、オヤジさんが20年前と変わらず厨房ではたらいている姿を見て、ちょっと感動した。

(まだあるかなあ、あの店…)なにしろこの界隈は、飲食店の出入りが激しいのだ。

少し不安に感じながら、大通りから路地を入ると、果たして店があった。20年前からまったく変わらない店構えである。この店は、厨房を取り囲むような形で、15人ほどが座れるカウンターがあるだけの、狭い店である。

まだ12時前だというのに、席はほぼ埋まっていた。

この店の客のほとんどは、学生や若いサラリーマンの男性である。味はむかしのライスカレーそのものといった感じで、いってみればB級グルメである。しかも値段が安くて量が多い。それが男性たちに人気なのである。

席についてカウンターの中を見渡すが、オヤジさんの姿はない。

代わりに20代くらいの若い青年3人が忙しく働いていた。1年前には見なかった3人である。

「いらっしゃいませ。何にいたしましょう」

「カツカレーをお願いします」

すると、みごとな手際のよさでカツカレーが出てきた。味も量も、前とまったく変わっていない。

カレーが出てくるのも手際がよければ、それを食べる客たちの手際もよい。客たちは食べ終わると、食べた皿やコップをカウンターの机の上に置きっぱなしにするのではなく、カウンターと厨房の間を仕切っている一段高いところ(この説明でわかるかな?)に乗せるのである。厨房の中にいる店員が食器を片付けやすくするための配慮である。

「ありがとうございます。助かります」若き店員が言う。客はサッとお金を出して、席を立って出ていく。

そして空いた席に、次のお客がサッと座る。

このくり返しである。

このあたりの呼吸が、じつにみごとである。

いや、実は店員と客とのこの呼吸は、オヤジさんがいるころからずっと続いている。若い店員たちは、それを受け継いでいるのにすぎないのである。

そう言われてみると、若き3人の店員たちの、カレーを盛る手さばきから、物腰や言い回し、おつりの出し方に至るまで、オヤジさんがいたころとひとつも変わらない。

オヤジさんが、みっちりと教えたのだろうか。

いや、あるいは彼らは、もともと常連客だったのではないか、という気がしてきた。

学生時代、この店のカレーが好きで、常連客として食べていた3人。

オヤジさんが「年齢も年齢だし、そろそろ引退したい。店じまいでもしようか…」とつぶやく。

そのとき、この3人が「俺たちが続けますよ」という。彼らは、毎日のようにオヤジさんの働く姿を見ながらカレーを食べていたから、オヤジさんの手さばきや物腰、口癖を、よく見て知っていた。

こうして、客だった若者3人は、引退したオヤジさんの代わりに厨房に立つ。彼らはまるで実直なオヤジさんが乗り移ったかのように手際よくカレーを出し、客に物腰低く対応する。

店員が変わっても、味も量も変わらず、そして客の層まで変わらないのは、そんなオヤジさんの精神が受け継がれているからではないだろうか。

…なんてことを妄想している間に、カツカレーを食べ終わった。

食べ終わった皿やコップを、カウンターと厨房を仕切る、一段高いところに乗せた。

「ありがとうございます。助かります。600円です」

千円札を渡すと、手際よくおつりの400円が返ってきた。

席を立って店を出る。振り返ると、すでに次の客が私の座っていた席に座っていた。

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