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2011年11月

シャコの頭

11月28日(月)

「今日、先生がこちらにおいでになったので、お酒をご一緒しました」北国に住むYさんからの携帯メールである。

「先生」とは、私の師匠のことである。Yさんは、私が師匠と出会うはるか以前から、師匠のことをよく知っていた。

「先生はMさんのことばかり喋っていましたよ。少し酔われたのかな、と思いました」

「Mさん」というのは私のことである。愚鈍な弟子のことを気にかけていただいているらしい。まことに不肖の弟子である。だいぶ酔われたのだな、というのが想像できた。

たしかに最近、師匠とお酒をご一緒すると、お酒に弱くなったのではないかな、と思うことがある。

「先生が福井の黒龍とシャコの頭の写真をぜひMさんに送るようにと言われたので、写真を送ります」

Dscn4058見ると、ぐい飲みに日本酒が入っている写真と、シャコの頭の写真が添付されていた。

福井の黒龍は、師匠とお酒をご一緒するときによく飲む日本酒である。ただ、この写真からだけでは、このお酒が福井の黒龍なのかどうかは確認できない。

Dscn4057それにシャコの頭、というのも、よくわからない。

師匠はなぜ私に、シャコの頭の写真を送ろうと思われたのだろう?

そのココロは?

どうもよくわからない。

うーむ。まだまだ私は修行が足りないようだ。

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韓国版「青春の門」

11月27日(日)

ソウルでの資料調査が無事に終わった。

今回の旅は、知り合いと会食をする、といった予定を入れていないので、仕事が終われば、自由に時間を過ごすことができる。

久しぶりに、映画館で映画を見ることにした。

候補は2つである。

L_201110161610360664 1つは、キム・ユンソク主演の「ワンドゥギ」。もうひとつは、オム・テウン主演の「捜査本」である。

「ワンドゥギ」は韓国でベストセラーになった小説を映画化したものである。タイトルの「ワンドゥギ」とは、主人公の高校生の名前であるワンドゥクの、親しみを込めた呼び方である。

出演者の豪華さからいえば、オム・テウン主演の「捜査本」の方である。なにしろ、主演のオム・テウンはもちろん、ソン・ドンイル、チョン・ジニョン、キム・ジョンテといった、いま注目の個性派俳優も勢ぞろいしているからである。それに、たぶん予算のかけ方もこちらの方がすごいのだろう。

それに対して、キム・ユンソク主演の「ワンドゥギ」は、いたって地味な出演者である。だが私は、「チェイサー(追撃者)」「亀、走る」以来、キム・ユンソクの大ファンなのである。

私より早くソウル入りしていた妻は、すでに映画館で「ワンドゥギ」を見ていた。

「たぶん、『ワンドゥギ』は気に入ると思うよ」

「ということは、ハートウォーミングな内容ってこと?」

「まあね。私の趣味には合わないけど、でもさすがキム・ユンソクだね。面白かった」

ということで、「ワンドゥギ」を見ることにした。

地味な出演者ばかりだが、やはり私のツボにはまる映画であった。主演の高校生をつとめたユ・アインの演技が達者である。そしてもちろん、教師役のキム・ユンソクがめちゃくちゃすばらしい。ほぼ満席の映画館では、ずいぶん「笑い」をとっていた。

キム・ユンソクは、やさぐれた中年男、さえない中年男を演じさせれば、右に出る者はいない。いまや、ソン・ガンホは偉大になりすぎてしまったので別格とすれば、次に私が注目している俳優は、ほかならぬこのキム・ユンソクなのである。

さて映画の内容は、韓国版「青春の門・自立篇」といった感じである。といっても、「青春の門」のような艶っぽさや暗さは微塵もない。

ただ、「青春の門」を彷彿とさせるシーンがある。

それは、主人公の高校生・ワンドゥクが、キックボクシングをはじめる場面である。そこでワンドゥクは、強面で無愛想なコーチと出会う。コーチ役は、韓国映画の名脇役、アン・ギルガンである。

「青春の門・自立篇」でも、主人公の大学生・信介がボクシングジムに通う場面がある。そこでやはり、強面で無愛想なコーチと出会うのである。浦山桐郎監督版(1977)では、主人公の大学生・伊吹信介役が田中健、そしてコーチ役が高橋悦史であった。

Photo このアン・ギルガンと高橋悦史は、雰囲気がそっくりである。つまり、典型的な「ボクシングのコーチ」顔といえよう。

主人公が、ボクシングに自分の生き甲斐を見いだすところや、対戦相手にコテンパンにやられるところ、それを無愛想ながら温かく見守るコーチの姿、なども、「青春の門・自立篇」を彷彿とさせる。

そもそも、周囲のクセのある人たちに支えられながら主人公が成長していく姿は、まさに韓国版「青春の門」と呼ぶにふさわしい。

こういう、カッコいい人や美しい人がひとりも出ない、地味だけれどもおもしろい映画こそが、韓国映画の底力である。

そしてキム・ユンソクこそ、私がめざすところの「さえないオヤジ」なのである。

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ポンコツ、ソウルに行く

11月25日(金)~28日(月)

午前中の仕事を終え、夜、羽田からソウルに向かう。今年4度目の韓国である。

数日前から、また、左足の親指のつけ根が痛くなった。

火曜日に病院に行き、先日の血液検査の結果を聞く。

「おかしいですねえ。数値は正常なんですが。どうやら今回の痛みは数値とは関係ないようですねえ」

ということは、原因不明の痛みということか。そっちの方が恐い。

とうとう、数値の高低とは関係なく、足が勝手に痛み出した。これはまさに「左足の反乱」だな。

原因が「数値の高さ」でないとすると、もはや原因は過労によるストレス以外には考えられない。

あるいは、お釈迦様が孫悟空のヘアバンドを締め付けるがごとく、何か悪いことをすると、見えない力がはたらいて私の足を痛めているのか?

「そうやって痛い痛いって言って、他人の気をひこうとしているんじゃないの?」と妻がからかう。

冗談じゃない。本当に痛いのだ。どのような痛みかというと、左足の親指のつけ根の部分の、皮膚と骨との間に小石がはさまって、その小石が四六時中、皮膚や骨を圧迫しているような痛みである。

たしかに、あんまり「痛い痛い」と書くと、「そうやって心配してもらおうとしているんだろう」と言われかねないので、本当はあまり書きたくないのだ。

その「痛み」をかかえたまま、ソウルに行く。今回の目的は、資料調査である。現地で、やはり資料調査をしている妻と合流する。

ソウル滞在中、ずーっと足が痛くて、足を引きずって歩く。歩くスピードも、すこぶる遅い。

もはやこの姿は「ポンコツおやじ」である。

足が痛くなると、ふだん以上に、すべてにおいてマイナス思考になる。

「ああ、こんなに痛いんなら、死んだ方がマシだ」

「痩せたら全部解決するんじゃないの?」

相変わらず反論の余地がない妻の言葉。

果たして、ポンコツのままこの忙しい12月を乗りきれるのか?

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幽霊が法廷に立つ話

むかし、アイスランドのあるところに、トロッドという男がいた。ある日、海難事故にあって、部下の者たちとともに溺死してしまった。その後、船は浜辺に打上げられたが、溺死者の遺体はついに発見することができなかった。

トロッドの妻と息子は、この地方の慣習にしたがって、近隣の人々を招いて葬式を行った。

葬式の日のことである、日が暮れて暖炉に火を点ずると、トロッドとその部下たちが、全身ずぶぬれで忽然と現れ、暖炉のまわりに座りはじめたのである。葬式に集っていた客人たちは、この幽霊を歓待した。やがて火が消えると忽然として立ち去ってしまった。

翌晩にも、また彼らは同じ時刻にあらわれて、暖炉のまわりに集まるようになり、これが毎夜続くようになった。ついには召使の者たちが恐怖を抱き、だれ一人暖炉のある部屋に入ろうとしなくなってしまった。

しかしそれでは炊事に差支えてしまう。そこでトロッドの息子は、別室に火を焚くことにして、幽霊専用の部屋をつくったのである。

おかげで炊事には差しつかえないようになったが、しかしそれからというものは、家に不幸が次々と訪れるようになった。しまいには死者も出る始末である。息子はすっかり困ってしまい、法律家である伯父に相談したところ、「幽霊を相手取って訴訟を起こそう」ということになった。

なんと、息子を含めた7人が原告、幽霊が被告になり、裁判が開始された。罪名は、家宅侵入及び傷害致死。

ここに、幽霊が法廷に立つ、という前代未聞の珍事がはじまったのである。

裁判所は、通常の裁判と少しも異なることなく、証拠調べ、弁論などの手続きを経て、幽霊ひとりひとりに判決を言い渡してゆく。すると判決を受けた幽霊は、ひとりひとり起立して立ち去り、その後、再びあらわれることはなかったという。

…この話は、穂積陳重の『法窓夜話』(岩波文庫)の中で紹介されているエピソードで、もとはジェームス・ブライスの「歴史および法律学の研究」の中に書かれている話であるという。

むかしの北欧の人たちは、幽霊に対しても現実の法律を適用するくらい法的秩序を重んじていたのに対し、今の「文明法治国」の人たちの方が、むしろ法律を蔑ろにしたりするのは不可思議だ、と穂積は最後にまとめているが、それはともかく、この話、なかなか面白い。なんか、映画になりそうだなあ。

この話を学生にしたところ、

「それ、『ステキな金縛り』ですねえ」という。

「『ステキな金縛り』?」

「三谷幸喜監督の最新作の映画ですよ」

そうだ。そういえばそうだった。最近、テレビをまったく見ていないので、すっかりそういう情報に疎くなってしまったが、たしかにそんなタイトルの映画だったことを思い出した。

私が学生のころは、三谷幸喜主宰の劇団の芝居を毎回見に行くくらい、三谷作品をチェックしていたものだが、映画「ザ・マジックアワー」以降、すっかり三谷作品に対して冷めてしまったことも、この方面に疎くなった原因である。

「『ステキな金縛り』って、そんな内容の映画?」

「ええ。落ち武者の霊が法廷に立って証言する話です」

おいおい、ネタバレじゃないのか?

ところで、法律学を専攻した人なら当然、この『法窓夜話』はみんな読んでいるだろうから、この話は、日本でも広く知られた話であるに違いない。

ひょっとして三谷監督は、この穂積陳重の『法窓夜話』を読んで、着想を得たのか?

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泣ける中華料理屋

11月23日(水)

朝、学会に参加するため、隣県に行く。現地で、ダブルKさん(ダブル浅野的な意味で)たちと合流した。

お昼、会場の近くの「サイカ」という名の中華料理屋に案内された。

「この中華料理屋は、泣ける中華料理屋なんですよ」世話人代表のKさんが私に言った。

「泣ける中華料理屋?」

「ええ。むかし、私がまだこの地で学生だった頃、よくこの店に食べに来たんですが…、ほら、僕らの学生のころって、土曜日が半ドンだったでしょう」

私たちが学生のころは、土曜日は午前中まで授業があって、午後からが休みだった。これを「半ドン」といった。いまから20年以上前の話である。

「土曜日のお昼にこの店に食べに来ると、この店の娘さんが当時高校生で、『ただいまー』って言って、お店の中に入ってくるんです」

「勝手口とかではなくて、お店の入口から入ってくるんですか?」

「ええ。で、高校の制服を着たその娘さんが、店の奥に入ったかと思うと、ものの1分もたたないうちにかっぽう着に着替えて店の奥から出てきて、『いらっしゃいませ~』と言って、お店の手伝いをはじめるんです。休む間もなく」

「ほう」

「それを見ていたら、なぜか涙がとまらなくなってしまって」

「なるほど、たしかに泣ける話ですね」

「僕はその泣ける光景を見るために、土曜日のお昼にここに通いつめたものです」

「ほう」

「いま、その娘さん、どうしているかなあ」

お店に入ると、実直そうな男性が「いらっしゃいませ」と言った。

「あの人は、たぶんこの店の主人の息子さんですね」

「どうしてわかるんです?」

「だって、『いらっしゃいませ~』の言い方が、店の主人にそっくりですもん」Kさんは、自分が通っていたころの店の主人の「いらっしゃいませ~」のモノマネをしてみせた。

その息子さんとおぼしき人が、注文を聞きに来た。

「このお店のおすすめは何です?」私はKさんに聞いた。

「やっぱり、サイカ定食でしょう。何たって、ボリュームがあります」

「じゃあそれにします」

「ご飯を大盛りにすることもできますよ。大盛りは、普通盛りと値段が一緒です」

「いや、普通盛りでいいです」

すると、その場にいた1人が、「じゃあ、俺、大盛りにします」と言った。

しばらくして、「息子さん」が、サイカ定食を運んできた。

「おまたせしました~。サイカ定食です。こちらが普通盛り、で、こちらが大盛りです」

「大盛り」を見て驚いた。

Photo本当に「大盛り」ではないか!「大盛り」というか、「山盛り」である。

大盛りにしなくてよかった、と心底思った。

食べ終わって店を出ようとすると、店の主人が私たちに近づいてきた。そして、さきほど大盛りを食べた人に、

「足りましたか?」

と聞いてきた。大盛りを食べた人は

「ええ、足りました」と答えた。

「そうですか。それはよかった」と言って、店の主人は厨房に戻った。

「一体どういうことです?」いまの会話の意味が全くわからない私は、Kさんに尋ねた。

「この店は、ご飯を大盛りにした人だけ、おかわりが自由なんです」

「普通盛りの人は、おかわりしちゃダメなんですか?」

「ええ、そういうことです」

「ええぇぇぇっ!!それ、おかしいでしょう。普通盛りの人に『足りましたか?』と聞くならまだわかるけど、何で大盛りを食べた人だけに『足りましたか?』って聞くんです?ふつうは逆でしょう」

どう考えても、あの大盛りを食べた人だけが「おかわり自由」である、というルールが解せない。この店の主人は、世の中の人間を「大食い」と「それ以外」に分類しているのだろうか。

謎を残したまま、店を出た。

「謎な店ですねえ」と私。

「謎でしょう。…あっ!いま、ブログのいいネタができた、て思ったでしょう」Kさんは勝ち誇ったように私に言った。

悔しいが、その通りである。

午後は満腹になったせいで…、Zzzzzzz

夕方、研究会が終わった。またしても世話人代表のKさん。

「さあ、夕食は餃子を食べに行きましょう。皿一杯に並べられた円盤餃子が、ボリュームがあっておいしくて、このあたりの名物なんです」

Photo_2 「まだ食べるんですかっ!?」

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メッセージ

11月21日(月)

「映画監督の山田洋次さんは、東日本大震災によせて「貧弱な想像力を懸命に働かせて、被災地の人たちを思い続けたい。そうすることでつながっていたい」と語りました。いま私たちに大切なのは、被災地に対する想像力を持ち続けることです。

しかし残念ながら、私たちの想像力は、山田監督が言うように、実に貧弱なものです。震災から時がたてばたつほど、被災地に対する想像力は失われていきます。

ではどうすれば、想像力が持続するのでしょうか。私はその答えが、被災資料クリーニング作業にあるような気がします。毎週、少しずつでも刷毛を動かし、被災資料にふれることによって、たとえ被災地から離れた場所であっても、そのことを忘れずに思い続けることができるのです。それは同時に、「私たちにできること」でもあるのです。

さあみなさん、「私たちにできること」を、少しずつ、そして息長く、進めていきましょう。それがたとえわずかな力であったとしても、被災地を思い続ける想像力となりうるのであれば、私たちは誇りをもって、この作業に関わることができるのではないでしょうか。一緒に頑張りましょう。」

先日、頼まれてこのようなメッセージを書いたことがある。日の目を見たのかどうかはわからない。

今日、職場の夕方クリーニング作業に、新人さんが2人やってきた。UさんとIさんである。

お二人とも、仕事もあるし、家庭生活もあるし、お忙しいだろうと想像するが、なんとかやりくりをつけて来てくださったのだろう。

「いま、職場でパネル展をやっているでしょう。あれを見て、参加したいと思いました」とIさん。

これには、私も、4年生のT君もおどろいた。自分が関わっておきながら妙な話だが、私は心のどこかで、パネル展をしたところで、それがどれほどの宣伝効果があるのか、半信半疑だったのかも知れない。私はそう感じていたことを恥じた。

だが、あのささやかなパネル展が、少なくとも一人の心を動かしたのだ。

おそらく、このことにいちばん感激したのは、パネル展の準備に最も活躍した4年生のT君だったのだろう。

「この作業、いつ始まったんですか?」とIさん。

7月です

「ええぇぇ!そんな前からやっていたんですか。ちっとも知らなかった。知っていれば、もっと早くから参加したのに」

いたって地味な作業なのだが、Iさんの琴線にふれたらしい

「こういうことって、大事ですよね。これだったら、被災地に行ってお手伝いできないような人でも、被災地のお手伝いに関わることができます」Iさんは続けた。

どうやら私たちは、アピールがまだまだ不足していたらしい、ということに気づく。

一人でも多くの人たちの琴線にふれるようにするためには、これからもメッセージを出し続けなければならないのだ。

それはとてもしんどい作業だが、まだ続けていく価値は十分にある。

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クリスマスにはまだ早い

古い邦画の話ばかりで恐縮だが。

中学生の時の思い出の映画といえば、

そう!「戦メリ」である。

「戦メリ」…。ご存じない?

大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」である。

私が中3の時に、友だちのヤマセ君と劇場に見に行った。

当時の中、高校生は、みんな劇場に見に行ったのではないだろうか。

なぜなら、当時絶大な人気を誇っていた坂本龍一やビートたけし、それに、デビッド・ボウイが出演していたからである!

とくに私は、当時YMOに心酔していたから、当然、教授(坂本龍一)の音楽目当てに、見に行ったのである。一緒に見に行ったヤマセ君もまた、YMOに心酔していた。

もちろん私は、当時男子中学生のほとんどが聴いていたという「ビートたけしのオールナイトニッポン」の一リスナーでもあった。

なによりビックリするのは、かつて「日本のヌーヴェルバーグの旗手」といわれた、難解な映画を作ることで有名なあの大島監督の映画を見に、中、高校生たちが劇場まで足を運んだ、という事実である。これは1つの、社会現象であった。

「映画、よかったなあ」

たぶん、中学3年の2人にとって、映画の内容は難解だったと思うのだが、我々からすれば、教授の音楽が聞ければそれで満足だったのである。

「戦メリ」はその後しばらく、クリスマスが近づくとテレビの「○曜ロードショー」といった番組で放映されて、一種の風物詩となった。

「戦メリ」のサントラも、当時、高く評価された。

サントラのレコードが発売されてからしばらくして、教授自身が編曲、演奏したサントラのピアノ・ヴァージョンの「カセットブック」が発売された。これもまた、話題になった。

私はこのテープを何度も何度も聞いた。

その後、今度はサントラのピアノヴァージョンの楽譜、というのが発売された。私が高校1年になってからのことである。

私は、「戦メリのテーマ」が弾けるようになりたい、と思って、楽譜を買って、練習することにした。

といっても私は、ピアノの素養があるわけではない。小学校低学年の頃、少しだけ、エレクトーン教室に通ったことがあるくらいである。

私は、小学生の時に使っていたエレクトーンを引っぱりだして、「戦メリ」を練習することにした。

ところが「戦メリ」の楽譜を見て驚いた。

フラット記号が5つもあって複雑すぎる上に、教授は左利きのせいか、左手の演奏部分がやけに難しく、それに加えてヘ音記号である。

(こりゃあ、ダメだな)と思いつつも、楽譜と格闘しながら、毎日何時間も練習した。

好きなものに対する情熱、というのは、すさまじいものである。最初は全然ムリだろうと思っていたものが、独学で練習を重ねていくうちに、だんだんと弾けるようになってくる。ついには、つっかえつっかえしながらも、最初から最後まで通すことができるようになったのである。

(今度、吹奏楽部の練習の時に、音楽室のピアノで弾いてみようかな。みんな、ビックリするだろうなあ)

そんなことを思っていた高1のある日、吹奏楽部の練習が始まるので音楽室に向かっていると、音楽室から「戦メリ」のメロディが聞こえてきた。

なんと、私と同期のO君が、じつになめらかに、「戦メリ」を弾いているではないか!

O君だけではない。W君もやはりなめらかに「戦メリ」のメロディを奏でているぞ!

うーむ。やはりみんな、練習していたのか。

…と、つまりそれくらい「戦メリ」の音楽は、当時の中、高校生に影響を与えたのである。

さて、それほど、中、高校生(とくに男子生徒)の心をガッチリわしづかみにした「戦メリ」だが、最近あらためて見返してみると、作品の完成度としては、じつはそれほど高くない。演出や演技も、必ずしもいいとはいえない。

とくに教授をはじめとする出演者の滑舌の悪さはひどく、何を喋っているのか、まったく聞き取れない部分もある。唯一、ビートたけしの演技だけは、出色の出来である。とくにラストシーンには、不覚にも泣かされる。この映画は、このラストシーンのためだけにあるような映画である。

当時、この作品がカンヌ映画祭に出品されたとき、私は本気で「これはグランプリ間違いなしだな」などと思っていた。だがこの時にグランプリを受賞したのは、今村昌平監督の「楢山節考」だった。

そのとき、なぜ「戦メリ」ではなく「楢山節考」がグランプリなのか、不思議でならなかったのだが、おそらく、「楢山節考」の方が、演出も丁寧で、映画としても完成度が高かったんだろうな、と、今にしてみれば思う。もっとも、「楢山節考」を見ているわけではないのだが。

そう、あのときボクたちは、「戦メリ熱病」に冒されていたのだ。

いまの私には、ピアノを弾いたことのない私が「戦メリ」のテーマ曲を必死で練習していたあの頃と、それまで「演じる」経験のなかった教授が必死にセリフを喋っている姿が、ダブってみえるのである。

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回転ずし

11月19日(土)

久しぶりに両親が来たので、夜、回転ずしに連れていった。

回転ずし、といっても、回っているのはベルトコンベアだけで、その上にすしが乗っているわけではない。実際には、板前さんに注文をして握ってもらうのである。

なんとも妙な感じだが、その店はネタがいいので、週末になるとお客さんがひっきりなしにやってくる。

夜7時すぎ、その店に行くと、やはり狭い店内は客であふれている。順番を待っている人もいる。

「名前をお書きください」

店員さんに言われ、名前を書き、カウンター席の後ろの椅子に座って待つことにした。

(早く席が空かないかなあ)

なにしろ3人とも、お腹がぺこぺこなのである。

だが、なかなか席が空かない。

カウンター席を観察していると、大学のサークルの仲間、とおぼしき女性たちが数名、すしを食べている。いずれも、ものすごく気取った感じの、小洒落た女性である。いや、男性も1人、そのグループにまじっているようである。

(うちの職場の学生かなあ。…いや、うちの職場の学生に、あんな気どった、小洒落た女子学生はいないしなあ。それともOL(死語?)だろうか)

ずーっと観察していると、彼女たちがほとんどおすしを食べていないことに気づく。

気取っているからなのか、全然、おすしを注文しないのである。

カウンター席に積んである皿を見ると、3皿くらいしか食べていないではないか!

にもかかわらず、ダラダラと座り続けている。

(うわぁぁぁ。いっちばん嫌いなタイプだ)

なにしろ私は、回転ずしに来て、気取って3皿くらいしか食べない人が、いちばん嫌いなのだ。

まわりに、自分はぜんぜん大食いではない、というところをアピールしたいのか?

だったら回転ずしに来るなよ!

(ああいう人たちとは、絶対につきあいたくないよなぁ…)

実際、私の妻は、回転ずしの食いっぷりがいいのだ。

…そんなことを考えていると、「3名様!カウンター席が空きましたのでどうぞ」と店員さんの声。

カウンター席に座るなり、母が小声で言った。

「何なの?あの子たち」

「何が?」

「3皿くらいしか食べてないじゃない。…といって、注文するわけでもなく、じーっとしているし。気どっているんじゃないかね」

なんと!母も待っている間、私と同じところを観察し、同じことを考えていたのだ。

私の観察眼は、間違いなく、母親譲りである!

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ツッパリが死語ではなかった時代・2

ツッパリが死語ではなかった時代

11月17日(木)

「今日は、ボジョレー・ヌーボーの解禁日ですよ!」

「ワイン好き」を自認する人たちは、解禁になったボジョレー・ヌーボーを味わいに、ワインバーに行ったりするらしい。そしてワイングラスを片手に、小粋なトークをするのだろうか。

むろん、私はそのような小粋な人たちの集まりに誘われることはない。

「ワインと思い出は、寝かせるにかぎる」

ということで、ボージョレー・ヌーボーの解禁日は、ワインの栓ではなく、昔の「恥ずかしい思い出」の蓋を開けることにしている。

中学2年の1年間、生徒会長をやらされた、という話は前に書いた

私の通っていた中学校は、札付きの問題校で、総番、裏番、スケバンと、まるで不良中学生の見本市みたいな学校だった。

不良中学生たちのイタズラをざっとあげると、つぎのようなものである。

・授業中、火災報知器のボタンを押して非常ベルを鳴らす。

・廊下に消化器の消化剤を噴射する。

・休み時間に、トイレやベランダでタバコを吸う。

・ガラスを割る。

・校舎の外から、2階の職員室にめがけて生卵を投げる。

・午前中に給食室に忍び込んで、準備してあったみんなの給食を平らげてしまう。

・校庭に大きな穴を掘って、生徒たちが下校したのを見はからって全校生徒の上履きをその穴に埋める。

最後の「上履き事件」になると、それだけの労力を使って一体何をやりたかったのか、よくわからない。

厄介なことに、当時のツッパリたちは、それほど「中学校」に対して反抗していながらも、1日も欠席することなく、学校に通い続けていたのである。おそらく、ヒマだったのだろう。

何か事件がおこるたびに、私がかり出される。

「おまえ、生徒会長だろ?何とかしろよ」

生徒会長だから、見て見ぬふりはできない。休み時間、渋々と、ベランダでタバコを吸っている連中のところに行く。

「おい、いいかげん、やめろよ」

「よう!会長。おまえも一服どうだい」

「冗談じゃないよ!」

「ま、カタいこと言うなって」

ツッパリは私のことを、いちおう敬意を表して「会長」と呼ぶ。というか、たんにバカにされていただけかもしれない。ツッパリ連中の中には、私の幼なじみたちも多くいて、「生徒会長」と「ツッパリ」という関係が、何となく妙な感じだった。

火災報知器がイタズラされ、校内に非常ベルが鳴り響いたときは、その都度授業が中断され、体育館に全校生徒が集められる。先生のお説教と、犯人捜しが始まるのである。

「生徒会長からも呼びかけなさい」と、教頭先生が言う。

仕方がないので、壇上に立って、全校生徒700人の前でマイクで呼びかける。

「火災報知器を鳴らした人は、名乗り出てください!」

「名乗り出てください」と言って、名乗り出るヤツはいないだろう、と思いながらも、仕方なく叫び続けるのである。というか、犯人は、あの連中に決まっているのだ。

(あ~あ。なんで俺がこんなコトしなくちゃいけないんだ?)

私の前任の生徒会長が、金八先生に出てくるような、熱血生徒会長だったのに対して、私のやる気のなさは、教頭先生も見ぬいていたらしく、(こいつはダメだな)と、思っていたようである。

(こうなったら、「生徒会長」の地位を、徹底的に貶めてやろう)

私に妙な考えが浮かんだのは、中2の終わり、「3年生を送る会」という行事の準備が始まったころのことである。

全校生徒が体育館に集まって、卒業する3年生のために、1,2年生の各クラスが出しものをする、という行事である。

私のクラスは、演劇をやることになった。

演目は「白雪姫」。私は、「生徒会長だから」という理由で、一番最後に出てくる「王子様」役をやることになってしまった。

「普通に終わるんじゃつまらないよ」と私は、舞台監督のクロサワさんに言った。

「じゃあどうするの?」

「最後、白雪姫に口づけしようとしたら、変態と間違われてビンタされて、さめざめと泣く、というところで、幕を下ろすってのはどう?」

結局、私の提案が取り入れられた。

その瞬間から、「白雪姫」は、「コント白雪姫」に変わったのである。

本番の舞台。

「髭男爵」みたいな珍奇な衣装に身を包んだ、私こと王子様が、白雪姫を抱き上げて、口づけをしようとすると、突然、白雪姫が目覚める。

「何すんのよ!」

ビシッ!

白雪姫役のキタさんは、思いっきり私の横っ面をビンタした。その音は、体育館中に響き渡った。

そして私は、声を上げてわんわん泣く。思いっきりぶざまな姿で。

そこで幕が降りた。

幕の向こう側、つまり観客側は、ひと呼吸おいて、大爆笑になった。

当然、ツッパリ連中も、大爆笑していた。

(あの生徒会長、バッカじゃねえの)

誰もが、そう思ったに違いない。

私はそのとき、恥ずかしかったというよりも、なぜかホッとしたのである。

(つづく)

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映画的余韻

映画「男はつらいよ 寅次郎夢枕」は、シリーズの中では、とくに名作、というわけではない。

だが、この映画の中で、寅次郎が甲州の山里(映画の設定では信州だが)を歩く場面は、シリーズ中、私が最も印象に残っている場面である。

なんといっても、撮影地となった甲州の秋の景色が素晴らしい。

甲州を旅する寅次郎が、ふと立ち寄った旧家の軒先で、お昼ご飯をごちそうになる。

すると、その旧家に住む老婦人(田中絹代)が、寅次郎に次のような話をはじめる。

以前、この家に「伊賀の為三郎」と名のるテキ屋が訪れていた。為三郎は、旅の途中にしばしばここに訪れては、旅先での面白い話を家の主人に聞かせ、楽しませていた。家の者たちは、為三郎の面白い話が聞けるのを、いつも楽しみにしていた。

あるとき、為三郎がひょっこりとこの家に訪れて、軒先に腰を下ろして、いつものように旅のよもやま話を聞かせていると、急に具合が悪くなり、動けなくなってしまった。家の者は裏の座敷に床をとって為三郎を休ませたが、3日後に、為三郎は眠るように息を引き取ったのである。

「伊賀」と名のるのを手だてに、人を走らせ、身寄りを探したが、結局見つけることはできず、この家で、お弔いを出したのだという。

その話を聞いて、寅次郎の箸が止まる。

テキ屋稼業は、いつ、どこで倒れるかわからない。そしてそのとき、身内に連絡する手だてもない。

為三郎のようなことが、いつ、寅次郎の身の上にふりかかるかも、わからないのである。

「…ご親切にしていただきまして、ありがとうございました。ずいぶんとご迷惑をおかけしたんでしょうねえ」寅次郎は、テキ屋仲間の死をまるで我が事のように受けとめ、老婦人に礼を述べる。

「もしお時間があれば、お仲間のためにお線香をあげていただけますか」と老婦人。

このあと、寅次郎と老婦人がお墓参りする場面に変わる。

甲斐駒ヶ岳をバックに、お墓参りをする二人のシルエット。そしてそれに続いて、老婦人に別れを告げて、夕暮れの田舎道をとぼとぼと帰る寅次郎の姿は、身震いするほど美しい場面である。

映画の本筋とは関わりのないエピソードだが、私はなぜかこの場面が、ずっと目に焼きついて離れないのである。

映画のよさとは何だろう、と時折考える。

緻密なストーリー展開、その筋を追うことだけが、映画の面白さではない。

スクリーンに時折あらわれる、身震いするような場面。ぞくぞくするような場面。

つまり「映画的余韻」こそ、映画の本質である。

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3次会な日々・その2

11月12日(日)

地元の研究会で、研究発表をした。

例によって、発表のあとは軽く死にたくなる感じになったのだが、嘆いていても仕方がない。

夕方、研究会が終わり、地元の老先生方と一緒に1次会に参加する。

1次会がおわり、老先生お二人と、私を含めた同世代の男性4人の、計6人で、2次会に行くことになった。地酒が飲める居酒屋である。

私と同世代の3人の方は、これまでほとんどおつきあいがなく、気心の知れた関係、というまでには至っていない。

いろいろ話していくと、Sさんは私と同い年、Aさんは少し上、Hさんは少し下、ということが判明した。いずれにしても同世代である。この中で、SさんとAさんは昔からの友人で、よく一緒に飲みに行っているという。

「そうですか。私と同い年ですか」とSさん。「じゃあ、一緒にガンダム・トークができますね」

「何ですか?ガンダム・トークって」

「Aさんと2人で飲むときには、いつもガンダム・トークをしているんですよ。だって、われわれ、ガンダム世代じゃないですか」

「はあ」

「そうだ!3次会は、いつも行くショットバーでガンダム・トークをしましょう。ぼくら、いつもそこでガンダム・トークをしているんです」

さあ困った。じつは私は、子どものころに『機動戦士ガンダム』を一度も見たことがない。だから、ガンダムについては、まったく知識がないのだ。

(困ったなあ。これでは話の合わせようもない)

もともと座持ちが悪い上に、話を合わせることができないとなると、もうどうしていいかわからなくなる。

といって、「ガンダムをまったく知りません」とカミングアウトするのも恥ずかしい。

やがて、老先生お二人がお帰りになった。

「さあ、残っているお酒を飲み終えたら、場所を変えてガンダム・トークをしましょう!」とSさん。

これはまずい。勇気を持って言うことにした。

「あのう、…じつは私、ガンダムを見たことがないんです」

「え?でもぼくらの世代って言ったら、ガンダムでしょう?」

「はぁ。でも、なぜか私は、ガンダムにまったくハマらなかったんです」

顔から火が出るようなカミングアウトである。

「え?え?じゃあ、当時は何を見ていたんですか?○○ですか?××ですか?」と、今度はAさんが私に聞くのだが、その「○○」とか「××」というアニメのタイトルが、マニアックすぎて私にはわからない。

「いえ…、それも見ていません」

「わかった!勉強ばっかりしていたんでしょう!」とSさん。「これだから困っちゃうよなあ」

「いいえ。そういうわけでは…」

まさか、「横溝正史シリーズ」とか「特捜最前線」にハマってました、とは言いづらい。

「地味な話ですけど、私は意外と『ああ三河島・幻の鯉のぼり!』が好きなんです」

とか、

「『裸の街Ⅱ・最後の刑事!』は、北林谷栄、大滝秀治、日色ともゑという『劇団民藝』の3人による夢の顔合わせでしたな」

といった話だったら、いくらでもできるのだが。

すると今度はHさんが、

「じつは私も、ガンダムを一度も見たことがないんです」

なんと、同じ「ガンダム世代」のHさんもカミングアウトしたぞ!これは心強い。

(よかったあ。俺だけじゃなかったんだ)

「それはじつに勿体ない話です」とAさん。「ぜひ一度、第1話を見てみてください。絶対にのめり込みますから」

「はぁ、そうですか…」

そういえば、似たようなことをつい最近も言われたような気が…。

思い出した!以前学生に、

「『ワンピース』は絶対読んだ方がいいですよ!あれを読むと人生のすべてが学べます」

と言われたっけなあ。

ということで、3次会は、SさんとAさんが気を遣ってガンダム・トークを封印してくださった。

せっかくのガンダム・トークの機会を奪ってしまって申し訳ないことをしたなあ、とひどく落ち込んだ。

私のこの「座持ちの悪さ」は、なんとかならないものか。

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3次会な日々・その1

11月11日(金)

午後、鉄道で「前の職場」に向かう。

今日の夕方は、日ごろの「クリーニング作業」の慰労の意味を込めて、「前の職場」の学生たちが中心になって「大きな鍋で芋を煮てみんなで食べる会」を行う日である。

数日前、前の職場の同僚であるKさんから、「ぜひ来てください」とわざわざ電話をいただいたので、行くことにしたのである。

夕方4時過ぎ、少し早く着きすぎたかな、と、駅前の喫茶店でコーヒーを飲んでいると、4年生のT君からメールが来た。

「先生、いまどちらですか?」

「駅前の喫茶店で休んでいるところです」と返事をすると、

「いま、会場に着いたのですが、建物のどこに行けばいいのかわかりません。男性一人がうろうろするのも気が引けますし…」

と返事が来た。

なるほど。そう言われてみれば、前の職場は女子大だった。私はすっかり慣れていて何とも思わないが、4年生のT君からしてみたら、女子大の敷居をまたぐ、というのは、かなり勇気がいることなのだろう。

ほどなくして、前の職場の同僚のKさんから電話が来た。

「いま調理中で、もうすぐはじまります」

「あいにくの雨ですね。場所はどこでやるんですか」

「食堂でやります」

「そうですか。いまちょうど、4年生のT君が到着したそうなんですが、場所がわからなくて門のところにいるそうです」

「わかりました。じゃあ迎えに行きます」

T君はKさんと連絡がとれ、無事会場についたようである。

私も遅れて到着した。到着すると、すでにKさんが忙しく動きまわっている。

「わざわざ来ていただいてありがとうございます」とKさん。「今日は『ポッキーの日』ですので」と、手に持っていたポッキーの小袋を私にくれた。

そうか。今日は「ポッキーの日」か。

韓国に滞在しているとき、11月11日は「ペペロデー」といって、この日は「ペペロ」という名前のポッキーを買って友だちにプレゼントする風習がある。そういえば、そんな風習は日本にはないよなあ、とその時は思っていたが、最近は日本でも「ポッキーの日」が定着してきたのだろうか?よくわからない。

やがて、世話人代表のKさん、卒業生のT君、「丘の上の作業場」の若手リーダー・K君が次々と到着した。

「大きな鍋で芋と肉を煮たやつ」が完成した。

全部で30人くらいいるだろうか。そのほとんどが「前の職場」の学生たちである。

調理風景や食事風景をデジカメで撮影していると、

「また、このことをブログに書くんでしょう」と、世話人代表のKさんがからかう。

「まさか…、そう何でも書くわけじゃありませんよ」と私。

ま、実際こうして書いているわけだが。

夜7時すぎに、「大きな鍋を囲む会」は終わった。

その後、場所を変えて、2次会、3次会と続く。

私は2次会で帰るつもりだったが、卒業生のT君が、

「私の車でお送りしますので、終電は気にしなくてけっこうです」

という。T君は、アルコールを一滴も飲まずに、最後までつきあうつもりらしい。

2次会、3次会の雰囲気は、じつによかった。

(そういえば、前の職場の雰囲気は、こんな感じだったよな…)

じつに久しぶりに、その感覚を思い出した。

「謎ですよねえ」と、3次会の席で、横にいた世話人代表のKさんが言う。

「何がです?」

「この活動が続いていることが、ですよ。こんなに続くなんて誰が予想したでしょうね。この学生たちに作業を続けさせている原動力って、いったい何なのでしょう」Kさんは、目の前でキャッキャとはしゃいでいる学生たちを見渡しながら言う。

そもそもこの活動の言い出しっぺであるKさんがわからないのだから、私にその謎が解けるはずもない。

「結局、…あれじゃないですか。『コトセン(琴線)』」と私。

「そう!『コトセン』としか言いようがありませんね」Kさんも、「コトセン」という言い方が気に入っているらしい。

気がつくと深夜1時である。とっくに終電はなくなっている。

「ヤバイヤバイ!もう帰らないと!」と私。「いまから帰ると、家に着くのが午前2時になってしまいますよ。明日は研究会で発表しなければならないんですから」

「私も朝6時台の新幹線で東京に行くんです」と世話人代表のkさん。

ようやく3次会が終わり、卒業生のT君の車に乗り込む。カーラジオから、「オールナイトニッポン」のテーマ曲、「ビター・スイート・サンバ」が流れてきた。

「わざわざ遠回りしてもらって悪いね」

「いえ、かまいません。1時間もあれば着くと思います」

「明日は何か用事があるの?」

「じつは明日から1泊2日で会社の慰安旅行があって、朝6時に集合しなければならないんです」

「えええぇぇ!?じゃあほとんど寝られないじゃない」

「ええ。まだ荷造りもしていないんで、このまま寝ずに行きます」

はたしてT君は無事、慰安旅行に参加できたのか。

あの日からちょうど8カ月。

そういえばあの日も、金曜日だった。

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二文字入魂

11月7日(月)

職場で、例のクリーニング作業のパネル展を開催することになった。「前の職場」でも先日パネル展を行ったが、それと同様のパネル展である。

この企画は、今の私たちの活動をたくさんの人に知ってもらおうと、ふだんの活動をパネルに紹介して展示するというものである。この日の夕方、同僚のSさんと4年生のT君を中心に作業が進められ、3年生のO君、Aさん、Uさん、Fさんが手伝ってくれた。

作業が終わった6時からは、いつものクリーニング作業である。「社会人チーム」のリーダー、私と同い年のUさんが、ほぼ毎週来てくれている。

「オレ、Mさん(私のこと)に負けたくないんっすよ」とUさん。「Mさんがやってるんだったら、オレも負けられねえ、と思って、来てるんです。だって、Mさんがこの作業もやって、仕事もふつうにしているんだったら、なんか悔しいじゃないですか」

実は私も同じ気持ちである。同い年のUさんには、負けられないのだ。

なるほど。「意地の張り合い」だな、これは。

Uさんは、しばしば会話の中で、「コトセンにふれる」という言葉を使う。正しくは「琴線(きんせん)にふれる」だが、私はなぜか、このUさんの「コトセンにふれる」という言い方が、気に入っている。

そうだ。この地味な作業に目を向けるかどうかは、「琴線にふれる」かどうかだ。もちろん、「琴線にふれる」ものは、人によってさまざまだから、「琴線にふれない」人は、どんなに身近な存在でも、気づかなかったり、通りすぎてしまうことが多い。

だが、ひとたびそれが琴線にふれると、やがてそれらは共鳴し、ひとつの力になる。

さしずめ私とUさんは、琴線にふれ、共鳴しあっているということなのだろう。

今回のパネル展も同じである。

同様のパネル展は、「前の職場」だけでなく、「丘の上の作業場」でも行われた。

これも、琴線にふれた者どうしが、共鳴しあって、いくつもの場所からメッセージを発信しているということである。

さて、話をパネル展の準備作業にもどす。

ある提案がなされた。

「看板の文字を、色鉛筆でひとり2文字ずつ、書いていきましょう」

「前の職場」のパネル展でも、同じ方法で看板を作っていた。それに倣って作ってみよう、というわけである。

たしかにあのとき、私はあの看板を見て、琴線にふれたのだ。そしてそれに共鳴して、負けじとこちらも、同じやり方で看板を作ることにしたのである。

ただ、こっちは作業している人数が少なく、ひとり1文字ずつ、というわけにはいかなかったのが少し残念である。

「先生も書いてくださいよ」

「私もですか?」

ということで、私も色鉛筆を使って、看板の文字を書いた。

久しぶりに色鉛筆なんぞをつかうと、なんか、楽しいね。

多くは望まない。このパネル展を見て、たったひとりでもいいから琴線にふれる人が出てくれるといいのだが。

Photo さて最後にクイズです。

この中で、私が書いた文字が2つあります。それはどれとどれでしょう。

1つ正解すると20点。2つとも正解すると、50点をさし上げます。

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お菓子な1日

11月7日(月)

まったく極端な話である。

昨日は、前の職場の同僚であるKさんと電話で喋ったのが、人と会話した唯一の機会だったのだが、今日は、お昼過ぎからずっと、いろいろな人と喋っている。今日は結局、人とお喋りしていて一日が終わってしまった。

午後、所用で職場内のあるところに行くと、

「お茶をどうぞ。それから、もらい物ですけど、美味しいタルトもありますので食べてください」

と、職員さんが小さなタルトが8つほど入った箱を出してきた。手のひらに乗るくらいの小さなタルトである。カラフルで甘そうなトッピングがほどこされている。

「美味しそうですね」

「どうぞどうぞ。小さいですから絶対に2つは食べてくださいよ」

「ふ、2つですか…」

言われるがままに、2つ食べた。

研究室に戻ると、同僚が来た。

「これ、北海道のレーズンバターサンドです。よかったらどうぞ」

レーズンバターサンドを3つくれた。

「美味しそうですね」と私。

「ただ1つ問題が…」

「何です?」

「じつは賞味期限が昨日までなんです」

包み紙を見ると、たしかに賞味期限は11月6日となっている。

「『消費期限』ではなく、『賞味期限』ですから、たぶん大丈夫だと思うんですけど…。私もさっき食べてみましたし」

「消費期限」は、「食べても安全な期限」をいい、「賞味期限」は「美味しく食べられる期限」のことをいう。「賞味期限」がすぎたからといって、食べられなくなるわけではない。

「1日くらい全然気になりませんよ。いただきます」ありがたくいただいた。

しかし、冷静に考えてみる。

(1日1つ食べたとして、3つめのレーズンバターサンドを食べるのは9日になってしまう。賞味期限から3日もすぎてしまう、というのはさすがにどうだろう)

何となく気持ちの問題として、早めに食べた方がよいのではないか。

(よし!今日のうちに3つ食べてしまおう)

しかし、ついさきほど甘いタルトを二つも食べたばかりである。

いくら甘い物が好きだとはいえ、この上レーズンバターサンドを3つ食べるのは、いくらなんでも甘いものが続きすぎる。

(少し時間をおいて食べることにしよう)

さて夕方、いつものクリーニング作業をしていると、参加している同僚が、

「これ、先日九州に行ってきたときのおみやげですので、あとでどうぞ食べてください」

と、作業をしているみんなに福岡の辛子めんたいこせんべいを持ってきてくれた。

作業が終わったあと、せんべいをありがたくいただいた。

研究室に戻り、レーズンバターサンドと、辛子めんたいこせんべいを食べることにする。

レーズンバターサンド3連チャン、となるとかなりキツイが、あいだに辛子めんたいこせんべいを挟むことによって、甘さと辛さがちょうどよい感じになり、どちらも完食できたのであった!

甘さと辛さを交互に味わう。お菓子とは、まるで人生そのものではないか。

結論!北海道のレーズンバターサンドと、福岡の辛子めんたいこせんべいは、よく合う!

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文化の日リベンジ

10月6日(日)

この1週間は、本当にタイヘンだった。

いつもの休日であれば、一歩も外に出られなくなるほど体が動かなくなるのだが、昨日があれほど気の重い仕事だったにもかかわらず、今日は、奇跡的に右膝の裏が痛くない。

そうだ、3日前に棒にふった「文化の日」を、取りもどそう。

折しも今日は、見たいと思っていた美術展の最終日である。

ということで、車で、50㎞離れた博物館に行くことにした。

途中、大雨が降りはじめる。

(なんだよ、こっちはせっかく、「3日遅れの文化の日」としゃれ込んで、休日を前向きに過ごそうと決めたばかりなのに…)一気にテンションはガタ落ちである。

博物館に到着すると、駐車場は、すでにいっぱいである。大型観光バスも、何台もとまっている。博物館周辺は公園になっていて、この町の観光の中心地なのだ。

ようやく、公園のはずれの駐車場に、1台だけ駐車スペースを見つけた。

(幸運というべきか…)車をとめ、傘をさして博物館に向かう。

傘を、入口の、…あれ、何ていうの?鍵をかける傘立て…。よく公共施設に置いてあるやつ。「鍵つき傘立て」とでもいうのか?とにかくそこに、傘をあずけて、展示を見ることにした。

すばらしい。「文化の日リベンジ」にふさわしい展示である!

大満足で見学を終え、外に出ると、雨足は相変わらず強い。

鍵つき傘立てから自分の傘をとろうと、鍵を開けるが、この「鍵つき傘立て」が、中途半端にオシャレというか、機能的というか、とにかく傘と傘との間隔がひどく狭いので、隣の傘が、私の傘に引っかかってしまっていた。

どうやっても取れないので、エイヤ!と、むりやり引っぱると、バキッという音がした。

見ると、私の傘の、傘布の骨が1本、折れてしまった。隣の他人様の傘は、無事であった。

ホネが折れ曲がってしまった傘ほど、差していて間抜けにみえる傘はない。

(つくづく傘運がないなあ。「傘運がない」という歌でも作るか…)

だが、不幸中の幸いで、今日持ってきた傘は、以前学生たちから誕生日プレゼントでもらった傘とは別の傘であった。

次に、隣町の博物館に向かう。ここでも特別展が行われているのである。

だが雨の影響なのか、客は私しかいなかった。

(じつにどうも寂しいな…)

ひっそりとした展示室で展示を見ていると、携帯電話が鳴った。

前の職場の同僚のKさんからである。「ダブルKさん」(ダブル浅野的な意味で)のうちのお一人である。

「こんどの金曜日、こちらにいらっしゃいますか?」とKさん。

こんどの金曜日、例のクリーニング作業の慰労の意味をこめて、「前の職場」で「大きな鍋で芋を煮て食べる会」を行うことになっていた。

「ええ、行きますよ」と私。

「ブログ、読みましたよ」とkさん。「京都で行ったお寺というのは、○○寺でしょう」

「その通りです」

「あと、何ですか、『ダブル浅野的な意味で』って。意味がよくわかりません」

ことわっておくが、「ダブルKさん」は、二人とも男性である。

そんなとりとめのない話をして、電話は終わった。

考えてみれば、Kさんから電話が来なければ、今日は誰とも話をしなかったことになるなあ。

そんなこんなで、1日が終了。

今日はいい日だったのか?悪い日だったのか?

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とんだ文化の日

11月3日(木)

前日(2日)が、まー、忙しい1日だった。というより、いろいろな意味で、精神的重圧が大きい1日だった。

夜8時、ようやく仕事から解放された、と思ったら、例によって右膝の裏が疼きだした。

(まいったなあ)

いったいどういうワケで、右膝が痛くなるのか?これまで、右膝が痛くなったときのことをふり返ってみた。

すると、あることに気づく。

それは、「気が重い仕事」が終わった直後から、右膝が痛みだす、という法則である。

不思議である。気が重い仕事のことを考えると憂鬱になり、右膝が痛みだす、というのならわかる。しかしこの場合、その逆である。気が重い仕事から一時的にでも解放されると、とたんに痛みだすのである。

どうなっているんだ一体?これは、これまでにない新種の病気か?

「その痛みは、完全にメンタルなことが原因ですな」と妻。「治療法はただ1つ。『気が重い仕事』を引き受けなければよい」

なるほど。それはそうだ。

「それと、不摂生な生活をやめることですな」

これにも反論の余地はない。

だが、そう簡単にいかないのが、人の世の常、である。

翌3日、文化の日。

痛みはひかない。こういう場合は、何もせずに横になってじっとしているしかない。

ということで、この日はどこにも行かず、ただひたすら、痛みがおさまるのを待って、じっとしているよりほかはなかったのである。

うーむ。世間は「文化の日」だというのに、まったく何てこった。

ベレー帽をかぶって、美術館に行って過ごしたりするのが、「文化の日」の正しい過ごし方じゃないか。映画「男はつらいよ」の中で、あのタコ社長もそうやって過ごしていたぞ(また始まった)。

というわけで、今年の「文化の日」は、文化とはまるで無縁な1日を過ごしたのであった。

だがそのおかげで、翌日にはすっかり痛みがひいた。

まったく、とんだ「文化の日」である。

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不遇と共感

映画「男はつらいよ」シリーズの中で、しばしば、旅回りの大衆演劇の一座と寅次郎のふれあいを描いたエピソードが登場する。本編とは関係のないサイドストーリーだが、私が好きなエピソードのひとつである。

寅次郎が旅をしていると、旅先で、旅回りの大衆演劇の一座と出会う。同じ、旅に生きる者どうしである。

この旅回りの一座は、どこか不運である。彼らの立つ舞台は、劇場と呼べるようなところでは決してなく、雨漏りがするような文字通りの小さな芝居小屋である。しかも旅先で折からの長雨にたたられて、客足もさっぱり途絶えてしまったりする。

しかし彼らは、お客さんを少しでも楽しませようと、精進することを厭わない。芝居をすることが好きな座員たちは、座長の厳しい指導のもと、絶えず稽古にいそしみ、どんな場所にあろうとも、お客さんの前で恥ずかしくない芝居をしようと、努力を惜しまないのである。

いわゆる「ドサまわり」の劇団である。華やかなスポットライトを浴びる機会など、一度も訪れることはないまま、つまり、日の目を見ることもないまま、それでも、目の前のお客さんが楽しんでくれることだけを励みに、好きな芝居を続けていくのである。

そして寅次郎は、そんな一座をあたたかい眼差しで見守り、応援することを惜しまない。なけなしの金をはたいてでも、彼らを援助しようとする。そこには、同じ旅に生きる者どうしの、強い「共感」が存在している。

(実は同じ関係性は、寅次郎とリリー(浅丘ルリ子)との間にも見られる。キャバレーを転々とする歌手、リリーもまた、決して日の目を見ることはないが、寅次郎は、歌手としての彼女の価値を、誰よりも認めているのである)

山田洋次監督は、この、寅次郎と旅回りの一座とのふれあいのエピソードを、実に丁寧に演出している。座長を演じる吉田義夫や、看板女優を演じる岡本茉莉が、旅回りの一座の悲哀をうまく表現している。これ自体が、一編の映画のようである。こういうエピソードを撮らせると、山田監督の右に出る者はいない。

決して日の目を見ることはないが、自分たちの信じる芝居を続ける旅回りの一座。

そしてそれに共感し、温かい眼で見守り、応援することを惜しまない寅次郎。

「不遇」であることを嘆く必要はない。

「共感」する人がいるならば、それだけで、幸福というべきである。

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5箱のダンボール

11月1日(火)

今週はやたらと忙しいが、それでも夕方のいつものクリーニング作業には顔を出すことにしている。

今日は、「丘の上の作業場」での作業である。

仕事が長びき、作業の終了間際に到着すると、世話人代表のKさんが言う。

「そういえば、そちらで預かっていただいている資料のクリーニングがそろそろ終わりますね」

私の職場の作業場では、「丘の上の作業場」から被災資料を少しずつお預かりして、クリーニング作業を進めている。以前お預かりしたダンボール何箱分かの被災資料のクリーニング作業が、そろそろ終わりそうなのである。

そうなると、また新たに、「丘の上の作業場」から、被災資料の入ったダンボールをお預かりしなければならない。

「これから職場に戻られますか?」とKさん。

「ええ」と私。

「じゃあ、持っていってもらいましょう。ダンボール5箱分くらいですかね」

ダンボール5箱を、私の車に運んだ。いずれも、けっこう重い。

「大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫です」

職場に戻れば、誰か学生がいるだろうから、運ぶのを手伝ってもらえるだろう、と思ったのである。

夜8時前に作業が終わり、職場に戻った。

車からダンボールをひと箱取りだし、両手に抱えて建物の中に運ぶ。

だが、夜8時を過ぎると、職場の建物の玄関は閉まってしまう。カードキーを使って開けなければならない。

ダンボールを持ったまま、ポケットからカードキーを出して、玄関を開ける。

暗い、真っ直ぐの廊下を歩いて、ふだん学生がいるはずの部屋にダンボール箱を運ぶ。

だが、なぜか今日は学生が1人もいない。真っ暗である。

(なんだよ。こんな時にかぎって、学生が1人もいないのかよ)

仕方がないので、5箱すべてを1人で運ぶことにした。

再び車にもどり、ダンボールをひと箱取りだし、両手に抱え、玄関のところでカードキーを差し込んで玄関を開け、また、真っ暗で直線の廊下をトボトボと歩いて、部屋にダンボール箱を入れる。

これを2回、3回とくり返すうちに、

(俺、いま、1人でダンボールを抱えて、何やってんだろう?)

という気持ちになってきた。

真っ暗な廊下を、重いダンボール箱を両手に抱えながら、トボトボと歩く。

(これ、誰も見てないんだよなあ。誰も見ていないところで、俺、ひとりで何やってるんだろう)

だんだん切なくなってきた。

それでなくても、今日は朝から、ツイてないことばかりが起こっているのだ。

(いったい、俺の人生って、何なのだろう)

そして最後の5箱めのダンボール箱を抱えて、トボトボと歩きながら思った。

結局、私はずっと、こんな風に生きていくんだろうな、と。

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