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映画的余韻

映画「男はつらいよ 寅次郎夢枕」は、シリーズの中では、とくに名作、というわけではない。

だが、この映画の中で、寅次郎が甲州の山里(映画の設定では信州だが)を歩く場面は、シリーズ中、私が最も印象に残っている場面である。

なんといっても、撮影地となった甲州の秋の景色が素晴らしい。

甲州を旅する寅次郎が、ふと立ち寄った旧家の軒先で、お昼ご飯をごちそうになる。

すると、その旧家に住む老婦人(田中絹代)が、寅次郎に次のような話をはじめる。

以前、この家に「伊賀の為三郎」と名のるテキ屋が訪れていた。為三郎は、旅の途中にしばしばここに訪れては、旅先での面白い話を家の主人に聞かせ、楽しませていた。家の者たちは、為三郎の面白い話が聞けるのを、いつも楽しみにしていた。

あるとき、為三郎がひょっこりとこの家に訪れて、軒先に腰を下ろして、いつものように旅のよもやま話を聞かせていると、急に具合が悪くなり、動けなくなってしまった。家の者は裏の座敷に床をとって為三郎を休ませたが、3日後に、為三郎は眠るように息を引き取ったのである。

「伊賀」と名のるのを手だてに、人を走らせ、身寄りを探したが、結局見つけることはできず、この家で、お弔いを出したのだという。

その話を聞いて、寅次郎の箸が止まる。

テキ屋稼業は、いつ、どこで倒れるかわからない。そしてそのとき、身内に連絡する手だてもない。

為三郎のようなことが、いつ、寅次郎の身の上にふりかかるかも、わからないのである。

「…ご親切にしていただきまして、ありがとうございました。ずいぶんとご迷惑をおかけしたんでしょうねえ」寅次郎は、テキ屋仲間の死をまるで我が事のように受けとめ、老婦人に礼を述べる。

「もしお時間があれば、お仲間のためにお線香をあげていただけますか」と老婦人。

このあと、寅次郎と老婦人がお墓参りする場面に変わる。

甲斐駒ヶ岳をバックに、お墓参りをする二人のシルエット。そしてそれに続いて、老婦人に別れを告げて、夕暮れの田舎道をとぼとぼと帰る寅次郎の姿は、身震いするほど美しい場面である。

映画の本筋とは関わりのないエピソードだが、私はなぜかこの場面が、ずっと目に焼きついて離れないのである。

映画のよさとは何だろう、と時折考える。

緻密なストーリー展開、その筋を追うことだけが、映画の面白さではない。

スクリーンに時折あらわれる、身震いするような場面。ぞくぞくするような場面。

つまり「映画的余韻」こそ、映画の本質である。

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