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不遇と共感

映画「男はつらいよ」シリーズの中で、しばしば、旅回りの大衆演劇の一座と寅次郎のふれあいを描いたエピソードが登場する。本編とは関係のないサイドストーリーだが、私が好きなエピソードのひとつである。

寅次郎が旅をしていると、旅先で、旅回りの大衆演劇の一座と出会う。同じ、旅に生きる者どうしである。

この旅回りの一座は、どこか不運である。彼らの立つ舞台は、劇場と呼べるようなところでは決してなく、雨漏りがするような文字通りの小さな芝居小屋である。しかも旅先で折からの長雨にたたられて、客足もさっぱり途絶えてしまったりする。

しかし彼らは、お客さんを少しでも楽しませようと、精進することを厭わない。芝居をすることが好きな座員たちは、座長の厳しい指導のもと、絶えず稽古にいそしみ、どんな場所にあろうとも、お客さんの前で恥ずかしくない芝居をしようと、努力を惜しまないのである。

いわゆる「ドサまわり」の劇団である。華やかなスポットライトを浴びる機会など、一度も訪れることはないまま、つまり、日の目を見ることもないまま、それでも、目の前のお客さんが楽しんでくれることだけを励みに、好きな芝居を続けていくのである。

そして寅次郎は、そんな一座をあたたかい眼差しで見守り、応援することを惜しまない。なけなしの金をはたいてでも、彼らを援助しようとする。そこには、同じ旅に生きる者どうしの、強い「共感」が存在している。

(実は同じ関係性は、寅次郎とリリー(浅丘ルリ子)との間にも見られる。キャバレーを転々とする歌手、リリーもまた、決して日の目を見ることはないが、寅次郎は、歌手としての彼女の価値を、誰よりも認めているのである)

山田洋次監督は、この、寅次郎と旅回りの一座とのふれあいのエピソードを、実に丁寧に演出している。座長を演じる吉田義夫や、看板女優を演じる岡本茉莉が、旅回りの一座の悲哀をうまく表現している。これ自体が、一編の映画のようである。こういうエピソードを撮らせると、山田監督の右に出る者はいない。

決して日の目を見ることはないが、自分たちの信じる芝居を続ける旅回りの一座。

そしてそれに共感し、温かい眼で見守り、応援することを惜しまない寅次郎。

「不遇」であることを嘆く必要はない。

「共感」する人がいるならば、それだけで、幸福というべきである。

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