幽霊が法廷に立つ話
むかし、アイスランドのあるところに、トロッドという男がいた。ある日、海難事故にあって、部下の者たちとともに溺死してしまった。その後、船は浜辺に打上げられたが、溺死者の遺体はついに発見することができなかった。
トロッドの妻と息子は、この地方の慣習にしたがって、近隣の人々を招いて葬式を行った。
葬式の日のことである、日が暮れて暖炉に火を点ずると、トロッドとその部下たちが、全身ずぶぬれで忽然と現れ、暖炉のまわりに座りはじめたのである。葬式に集っていた客人たちは、この幽霊を歓待した。やがて火が消えると忽然として立ち去ってしまった。
翌晩にも、また彼らは同じ時刻にあらわれて、暖炉のまわりに集まるようになり、これが毎夜続くようになった。ついには召使の者たちが恐怖を抱き、だれ一人暖炉のある部屋に入ろうとしなくなってしまった。
しかしそれでは炊事に差支えてしまう。そこでトロッドの息子は、別室に火を焚くことにして、幽霊専用の部屋をつくったのである。
おかげで炊事には差しつかえないようになったが、しかしそれからというものは、家に不幸が次々と訪れるようになった。しまいには死者も出る始末である。息子はすっかり困ってしまい、法律家である伯父に相談したところ、「幽霊を相手取って訴訟を起こそう」ということになった。
なんと、息子を含めた7人が原告、幽霊が被告になり、裁判が開始された。罪名は、家宅侵入及び傷害致死。
ここに、幽霊が法廷に立つ、という前代未聞の珍事がはじまったのである。
裁判所は、通常の裁判と少しも異なることなく、証拠調べ、弁論などの手続きを経て、幽霊ひとりひとりに判決を言い渡してゆく。すると判決を受けた幽霊は、ひとりひとり起立して立ち去り、その後、再びあらわれることはなかったという。
…この話は、穂積陳重の『法窓夜話』(岩波文庫)の中で紹介されているエピソードで、もとはジェームス・ブライスの「歴史および法律学の研究」の中に書かれている話であるという。
むかしの北欧の人たちは、幽霊に対しても現実の法律を適用するくらい法的秩序を重んじていたのに対し、今の「文明法治国」の人たちの方が、むしろ法律を蔑ろにしたりするのは不可思議だ、と穂積は最後にまとめているが、それはともかく、この話、なかなか面白い。なんか、映画になりそうだなあ。
この話を学生にしたところ、
「それ、『ステキな金縛り』ですねえ」という。
「『ステキな金縛り』?」
「三谷幸喜監督の最新作の映画ですよ」
そうだ。そういえばそうだった。最近、テレビをまったく見ていないので、すっかりそういう情報に疎くなってしまったが、たしかにそんなタイトルの映画だったことを思い出した。
私が学生のころは、三谷幸喜主宰の劇団の芝居を毎回見に行くくらい、三谷作品をチェックしていたものだが、映画「ザ・マジックアワー」以降、すっかり三谷作品に対して冷めてしまったことも、この方面に疎くなった原因である。
「『ステキな金縛り』って、そんな内容の映画?」
「ええ。落ち武者の霊が法廷に立って証言する話です」
おいおい、ネタバレじゃないのか?
ところで、法律学を専攻した人なら当然、この『法窓夜話』はみんな読んでいるだろうから、この話は、日本でも広く知られた話であるに違いない。
ひょっとして三谷監督は、この穂積陳重の『法窓夜話』を読んで、着想を得たのか?
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コメント
法窓夜話は初めて知りましたが、青空文庫に入っていますね。早速すんぎゅ(Lifetouch noteのこと)に入れて「青空読手」アプリで読んでおります。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000301/card1872.html
やはり法学専攻が全員読む本と言えば、イェーリングの「権利のための闘争」の「法の目標は平和であり、そのための手段は闘争である」という書き出しが格好いいですな。これって、フジテレビとかで深夜番組にしたらいいのに。法廷セットで毎週模擬裁判とかして。そうだなあ、タイトルはチャンネル名から「第八法廷」とかどうかなあ(笑)。
あ、「素敵な金縛り」には、最後の最後に大泉洋が静止画で出ますよ。
投稿: 権利のためのこぶぎ | 2011年11月25日 (金) 17時15分
「第八法廷」、いいですね。私は「法廷(裁判)劇にハズレなし」と思っていて、ドラマ「特捜最前線」に「少年はなぜ母を殺したか!」というエピソードがあるんですが、これが、最初から最後まで法廷の中で話が進む、異色の傑作でした。…といっても、わかる人はいないでしょうね。そういえば、模擬裁判の季節です。
投稿: onigawaragonzou | 2011年11月28日 (月) 23時56分