12月23日(金)~27日(火)
今回の中国出張で、はじめてお会いしたのが、中国人研究者のKさんである。
Kさんは中国の大学の先生だが、日本に何度か留学されており、いまも東京の私立大学に留学していて、日本に滞在中である。私より少し若い。
Kさんは、調査団の一員であるTさんと以前から親しく、そのご縁で、今回の資料調査に通訳兼コーディネーターとして、同行してもらうことになったのである。
23日。
羽田空港で「はじめまして」と挨拶すると、
「あなたの論文は以前から読んでいますよ。よく知っています」
と言われた。はじめて会った気がしないくらい、気さくな人である。
「今回は私が全部コーディネートしますから、まかせてください。大丈夫です」
Kさんは自信たっぷりに言う。
「ずいぶん大きな荷物ですね」
「はい。この中に、中国で買ったノートパソコンが2台入っています」
「2台も?」
「はい。2台とも壊れていて、中国に行ったついでに修理しようと思いまして」
「日本ではダメなんですか?」
「日本で修理すると高いでしょう。中国だと安いです」
「2台ともというのは、たいへんですね」
「はい。ひとつは画面の液晶部分が壊れていて、もうひとつは、キーボードの部分が壊れているんです。で、もしどちらも直らなかったら、壊れていない方の液晶画面と、壊れていない方のキーボードをくっつけて、一つのパソコンにしてもらうつもりです」
「え?そんなことができるんですか?」いや、できるはずがない。
「わかりませんが、何とかなるでしょう」
「行きつけの電気屋さんか何かがあるんですか?」
「いえ。なにしろ、これから行くK省C市ははじめてですから」
どうにも疑問だらけだが、Kさんが自信たっぷりに言うので、それ以上追求しなかった。
私たちは、北京空港から国内線に乗り換えて、夜9時、C空港に着いた。
ここで、一つの事件がおこる。
預けた荷物がかなり乱暴にあつかわれていたようで、ベルトコンベアで運ばれたスーツケースを見ると、なぜか泥が付着していたり、傷がついていたりしている。
さらにひどいことに、Kさんの大きなスーツケースの下についている4つの車輪のうちの一つがなくなっているのである。おそらく、乱暴にあつかったために、車輪の一つがとれてしまったのだろう。
ただでさえ重いスーツケースなのに、車輪が一つ欠けてしまっては、持ち運ぶのに不便である。
「これはヒドイ…。買ったばかりのスーツケースなのに」Kさんは落ち込んだ。
「日本で買ったんですか?」
「いえ、中国です」
なるほど、中国製か。車輪がとれた原因の何%かは、スーツケースの「ヤワな作り」にあったのではないだろうか。
「ちょっと、事務室に文句を言ってきます」
「文句を言ったってどうしようもないでしょう」
「いや、とれた車輪をつけてくれるかも知れません」
そう言うとKさんは、空港の事務室に行ってしまった。
しばらく待っていると、Kさんが戻ってきた。
Kさんは、壊れた大きなスーツケースのほかに、もうひとつ、それよりやや小さめのスーツケースを手に持っていた。
「それ、どうしたんです?」
「スーツケースが壊れたことを文句言ったら、『弁償します』といってお金を払おうとするから、『お金よりも、今すぐこのスーツケースが必要だから、直してほしい』と言ったら、このスーツケースをくれたんです」
「でもそのスーツケース、ペコペコですよ」どう見ても、作りがヤワである。「ペコペコな大きなスーツケースが二つになっちゃって、どうするんです?お金の方がよかったんじゃないですか?」
「これから考えます」
結論を先送りして、宿に向かった。宿に着いた時には、夜10時をまわっていた。
翌24日。調査1日目。
この日は、クリスマスイブの影響で、調査が午後2時に終わってしまった。
遅い昼食をとったあと、Kさんは「パソコンを直しに行ってきます」と言って、どこかへ行ってしまった。
夜7時。Kさんが戻ってきた。
「パソコンはどうなりましたか?」
「1台だけ直りました」
「よく店が見つかりましたね」
「はい。さがしましたから」
「でも、タクシーがつかまらなかったでしょう」クリスマスイブなので、夕方以降はタクシーはつかまらない、と言われていたのだ。
「はい。そのせいで、往復で100元もかかりました」
なるほど。「タクシーではないタクシー」に乗ったらしい。
翌25日。
朝、Kさんは車輪が1つとれた大きなスーツケースを調査場所に持ってきた。
「そのスーツケース、どうするんです?」
「修理屋さんに行って、車輪をつけてもらうんです」
「でも、空港でもらったスーツケースがあるじゃないですか」
「このスーツケース、買ったばかりですから」
まだあきらめていないらしい。
Kさんは、午後、調査を抜け出して、スーツケースを持って修理屋さんを探しに行った。
Kさんは夕方近くになってもどってきた。スーツケースの車輪がしっかりとついていた。
「よかったですね。修理してもらえたんですね」
「いえ、自分で車輪をつけました」
「どういうことです?」
「修理屋さんに行ったことは行ったんですが、修理屋のおじさんが、『こんなの面倒くさくて直せない』と言うので、仕方がないので車輪だけ買って、自分でつけたんです」
まったく、たくましい人だ。
結局Kさんは、このC市にパソコンとスーツケースを修理しに来たようなものだった。
26日。
午前中で調査が終わり、いったん滞在先のホテルに戻る。ここから中国の旅行代理店が用意した車に乗って、C空港に向かい、国内線に乗って北京に戻るのである。
当初の出発時間は1時半だったが、1時ごろに集合場所のホテルに戻ると、すでに運転手がロビーで待っていて、「道路が渋滞するから、早めに出発しなければダメだ。早く乗れ」という。
たしかに中国は車が多く、いつも道路が渋滞している。私たちは運転手の言葉を信じて、早めに車に乗り込んだ。
だが、Kさんが待てど暮らせど来ない。どこかお店に立ち寄っているらしい。
1時半になって、ようやく姿を見せた。
「どうしたんです?道が渋滞するから早く出発すると運転手さんが言ってましたよ」
「ああ、大丈夫ですよ」Kさんは余裕の表情である。
「どうしてです?」
「あれは、自分が早く仕事を終えて帰りたいものだから、そう言っているのです。この時間だったら、そんなに渋滞はしません」
うーむ。
道路が渋滞するからという理由で出発時間を早めようと主張する中国人運転手。
運転手が仕事を早く終えたがっていることを見透かして、余裕綽々とバスに乗り込む中国人観光客。
はたしてどちらを信じればよいのか?
Kさんの言ったとおり、道路は渋滞していなかった。車は予定より早くC空港に到着した。軍配は、Kさんにあがったのであった。
だが、C空港でまたアクシデントが起こる。
Kさんの実際のパスポート番号と、旅行代理店を通じて航空会社に登録したKさんのパスポート番号が全然違っているため、飛行機のチケットが発券できない、というのだ。どうやら、間に入った中国の旅行代理店が、kさんのパスポート番号を間違えて航空会社に申告したらしい。
もしチケットが発券されなければ、Kさんは北京には行けず、大きなスーツケースを2つかかえたまま、C市にとどまらなければならないことになる。
「どうしましょう。私、北京に行けないかも知れません」さすがに、Kさんの交渉力をもってしても、こればかりはどうにもならないようである。
「それにしても不思議ですねえ。行きの国内線はまったく問題なく乗れたのに」
どうやら行きの国内線では、パスポート番号が違っていることに、航空会社も空港関係者も気づかなかったようである。まったく、いいかげんなものである。
Tさんの機転で、日本の旅行代理店に連絡をとり、そこから中国の代理店に連絡してもらって、正しいパスポート番号を登録し直してもらい、事なきを得た。
「さあ、もう大丈夫です。あとは私にまかせてください」チケットが発券されたあとのKさんは、意気揚々と飛行機に乗り込んだ。
27日。北京での朝。
ホテルのフロントに集合すると、Kさんの雰囲気がちょっと違う。
「昨日、散髪してきました」とKさん。
そう言われてみると、髪が短くなっている!
しかしおかしい。昨日は夜8時過ぎに北京のホテルに着き、それから北京のある先生と会食をして、解散したのが夜10時頃である。ということは、そのあと、散髪屋さんに行ったということか?
「Kさんの生き方には無駄がない。いや、無駄な時間を作ろうとしないんだよ」
昔からKさんのことを知っているTさんは、Kさんの散髪した頭を見ながら、そう言った。
…とまあ、今回の中国出張は、Kさんの身のまわりに起こるさまざまな出来事が面白くて、十分に楽しませてもらった。Kさんはいろいろなアクシデントに見舞われながらも、持ち前の明るさと交渉力で、それを乗り切っていった。
「Kさんは、決してめげないんですね」
「そうでなければ、中国で生きていけません」
Kさんは、笑って答えた。
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