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2011年12月

年賀状の憂鬱

12月30日(金)

年末でいちばん憂鬱なのが、年賀状作りである。

今年は29日まで仕事が立て込んでいたため、年賀状作りが30日になってしまった。

妻の実家にある年賀状作成ソフトで作成し、送付先を確認しながら、インクジェットのプリンタで1枚1枚印刷していく。200枚もあるから、これがかなり時間がかかる。

おもに妻がデザインを考え、私は印刷担当である。

「インクジェットのプリンタなので、印字された年賀状を重ねたらダメ。インクがにじまないように、しばらく1枚1枚を乾かすように」と、妻に言われた。

言われたとおりに、1枚1枚プリントアウトされてくる年賀状をとりだし、重ならないように部屋の床に並べていくことにした。

しばらくして、妻が部屋に入ってきた。大きなため息をついて言った。

「まったく、計画性がない並べ方だねえ」

「え?」

「そんなに1枚1枚の間隔をあけて並べたら、たちまち床一面が年賀状でいっぱいになるでしょう。200枚あることを考えれば、もっと間隔をつめて並べなきゃダメでしょう」

そして、「私だったらこうする」と言って、私が並べたよりも、間隔をつめて、きれいに並べなおしたのである。

「こういう、後先を考えずに年賀状を並べるような人は、決してお金なんか貯まらないね」

なんと、妻は年賀状の並べ方ひとつで、私を「計画性のないお金の使い方をする人間」と決めつけたのである。すいぶんな言われようである。

妻が部屋から出ていき、今度は妻の並べたとおりに、印字された年賀状を並べていく。

部屋の床が年賀状でいっぱいになったころ、今度は妻の妹が部屋に来た。

「何してるんです?」

「いや、その…、年賀状のインクが別の年賀状につかないように、1枚1枚並べて乾かしているんだ」

「あのう…、最新のインクジェットのプリンタは、乾かさなくても大丈夫なんですよ」

「え?」

「ですから、最新のインクジェットのプリンタは、プリントアウトしたものを乾かさなくても大丈夫なんですよ」

義妹は噛んで含めるように私に言った。

「そうなの?ということは、重ねたままでも大丈夫ってこと?」

「そうですよ。むかしの『いも版』じゃないんですから」

なんだよ!これではまるで、「いも版やプリントゴッコ世代のオッサンが、最新のプリンタ事情も知らずに、必要もないのに年賀状を乾かしていた」ことになるではないか!

まったく、妻には年賀状の並べ方で「金運がない」とののしられるし、義妹には「最新の技術に乗り遅れているオッサン」だと思われるし、もう散々である。

だから、年賀状作りは憂鬱なのだ。

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俺は「かまってちゃん」か?

俺はチャラ男か?

12月29日(木)

中国に出発する前の日(22日)の夜、高校時代の吹奏楽部の1年後輩のモリカワさんからメールが来た。

「29日の夜に新宿で忘年会をしますので、先輩もぜひ来てください」

ここのところ忙しく、それにこれから中国出張ということもあり、精神的にかなりピリピリしていた私は、このノーテンキなメールに、なぜか少し腹が立ってしまった。

そこで私は、

「多忙きわまりないのですが、コバヤシが参加するんだったら、私も参加してもいいかなと思います」

と、例によってまどろっこしい返事をした。

このブログにもしばしば登場する同期のコバヤシは、高校時代の親友である。現在福岡にいるので、年末に東京に呼び出すというのは、かなりの無理難題である。

「いいですか。コバヤシをちゃんと説得してくださいよ」私はモリカワさんに念押しのメールをした。

さて、中国出張は無事に終わり、27日の夜に羽田空港に着き、28日の午後に勤務地にもどった。そして翌29日はお昼ごろまで職場で仕事をして、午後の新幹線で、ふたたび東京に向かう。

午後6時半に新宿駅に行くと、すでに数名の仲間が集まっていた。

「どうだった?コバヤシをちゃんと説得した?」私はモリカワさんに聞いた。

「それが今日、東京に来ていることは来ているそうなんですが、ご家族と食事の約束があるとかで、来られそうにないっていうんです」

「俺はちゃんと来たんだからね。ちゃんと説得してもらわないと」私はわざと、モリカワさんを困らせるようなことを言った。

「そのことなんですが、コバヤシ先輩にそのことを伝えたら、『幼稚園の子どもじゃないんだから、○○君が来ないなら僕行かない、みたいなしょうもない駄々をこねるな、と伝えてくれ』と、長々と先輩に対してダメ出しする内容のメールが届いたんです」

「ほう」

「それから、『あいつのしょうもない発言は長年聞き続けて慣れているので、このメールをとくに気にせず転送してもらってかまわない。私の返信も含めて、飲み会のネタにでもしてやると、ブツブツ言いながらも、まんざらでもないような反応をすると思う。数日後には彼のブログにアップされることだろう』という返信も来ました」

さすが、その通りだ。私はヘンに感心した。

「というか、先輩が直接コバヤシ先輩と連絡をとってくださいよ!何で私がこんなことをしなきゃならないんですか!」

間に入ったモリカワさんは、いい迷惑、という感じだった。

さて、新宿の雑居ビルの居酒屋で忘年会が始まる。

集まったのは、私の同期から3学年下の後輩まで、10人ほどである。全員がすでに40歳の大台に乗っていた。

私は、学生や同僚や研究仲間などの前では、いちおう気を遣ったりしているが、高校時代から知っている彼らの前では、「わがまま」で「扱いにくい」「厄介者」で「メンドウくさい人間」なのである。いつも彼らには、言いたい放題である。

やれ店が狭いだの、美味しい酒が無いだの、もういい大人なんだからもっといい店を予約すればよかったのにだの、とにかく文句を言う。まわりの仲間たちは、呆れ顔である。

同期のフクザワが言う。

「お前、実はうさぎちゃんだろう」

「なんだいそれ?」

「バニーちゃん」

「だから何だよ?」

「ほら、うさぎって、かまってもらえないと病気になったりするだろう。つまりは『かまってちゃん』だ」

「かまってちゃん?」

この私が、かまってちゃんなのか?

すると、まわりの後輩たちも、次々とその意見に同調しだした。

「そうそう。先輩は昔から『かまってちゃん』だったんですよ!」

こうなるともう、「かまってちゃん」の大合唱である。

それからは、延々と私に対する「ダメ出し」が続いた。

年の瀬に、何でこんなに非難されなければならないのだろう。

どうやら私は、彼らにとっては「扱いにくい厄介者」だったようである。

でも考えてみれば、言いたい放題に言える場は、もはやここしかないのかもしれない。私の「ダメさ加減」をイジってもらえる場も、ここだけである。だから、彼らに「扱いにくい厄介者」だと思われようとも、これからも言いたいことを言い続けよう。

ハイボールを何杯も飲みながらしゃべり続けているうちに、時間があっという間に経ってしまい、終電で家路についたのであった。

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めげない生き方

12月23日(金)~27日(火)

今回の中国出張で、はじめてお会いしたのが、中国人研究者のKさんである。

Kさんは中国の大学の先生だが、日本に何度か留学されており、いまも東京の私立大学に留学していて、日本に滞在中である。私より少し若い。

Kさんは、調査団の一員であるTさんと以前から親しく、そのご縁で、今回の資料調査に通訳兼コーディネーターとして、同行してもらうことになったのである。

23日。

羽田空港で「はじめまして」と挨拶すると、

「あなたの論文は以前から読んでいますよ。よく知っています」

と言われた。はじめて会った気がしないくらい、気さくな人である。

「今回は私が全部コーディネートしますから、まかせてください。大丈夫です」

Kさんは自信たっぷりに言う。

「ずいぶん大きな荷物ですね」

「はい。この中に、中国で買ったノートパソコンが2台入っています」

「2台も?」

「はい。2台とも壊れていて、中国に行ったついでに修理しようと思いまして」

「日本ではダメなんですか?」

「日本で修理すると高いでしょう。中国だと安いです」

「2台ともというのは、たいへんですね」

「はい。ひとつは画面の液晶部分が壊れていて、もうひとつは、キーボードの部分が壊れているんです。で、もしどちらも直らなかったら、壊れていない方の液晶画面と、壊れていない方のキーボードをくっつけて、一つのパソコンにしてもらうつもりです」

「え?そんなことができるんですか?」いや、できるはずがない。

「わかりませんが、何とかなるでしょう」

「行きつけの電気屋さんか何かがあるんですか?」

「いえ。なにしろ、これから行くK省C市ははじめてですから」

どうにも疑問だらけだが、Kさんが自信たっぷりに言うので、それ以上追求しなかった。

私たちは、北京空港から国内線に乗り換えて、夜9時、C空港に着いた。

ここで、一つの事件がおこる。

預けた荷物がかなり乱暴にあつかわれていたようで、ベルトコンベアで運ばれたスーツケースを見ると、なぜか泥が付着していたり、傷がついていたりしている。

さらにひどいことに、Kさんの大きなスーツケースの下についている4つの車輪のうちの一つがなくなっているのである。おそらく、乱暴にあつかったために、車輪の一つがとれてしまったのだろう。

ただでさえ重いスーツケースなのに、車輪が一つ欠けてしまっては、持ち運ぶのに不便である。

「これはヒドイ…。買ったばかりのスーツケースなのに」Kさんは落ち込んだ。

「日本で買ったんですか?」

「いえ、中国です」

なるほど、中国製か。車輪がとれた原因の何%かは、スーツケースの「ヤワな作り」にあったのではないだろうか。

「ちょっと、事務室に文句を言ってきます」

「文句を言ったってどうしようもないでしょう」

「いや、とれた車輪をつけてくれるかも知れません」

そう言うとKさんは、空港の事務室に行ってしまった。

しばらく待っていると、Kさんが戻ってきた。

Kさんは、壊れた大きなスーツケースのほかに、もうひとつ、それよりやや小さめのスーツケースを手に持っていた。

「それ、どうしたんです?」

「スーツケースが壊れたことを文句言ったら、『弁償します』といってお金を払おうとするから、『お金よりも、今すぐこのスーツケースが必要だから、直してほしい』と言ったら、このスーツケースをくれたんです」

「でもそのスーツケース、ペコペコですよ」どう見ても、作りがヤワである。「ペコペコな大きなスーツケースが二つになっちゃって、どうするんです?お金の方がよかったんじゃないですか?」

「これから考えます」

結論を先送りして、宿に向かった。宿に着いた時には、夜10時をまわっていた。

翌24日。調査1日目。

この日は、クリスマスイブの影響で、調査が午後2時に終わってしまった。

遅い昼食をとったあと、Kさんは「パソコンを直しに行ってきます」と言って、どこかへ行ってしまった。

夜7時。Kさんが戻ってきた。

「パソコンはどうなりましたか?」

「1台だけ直りました」

「よく店が見つかりましたね」

「はい。さがしましたから」

「でも、タクシーがつかまらなかったでしょう」クリスマスイブなので、夕方以降はタクシーはつかまらない、と言われていたのだ。

「はい。そのせいで、往復で100元もかかりました」

なるほど。「タクシーではないタクシー」に乗ったらしい。

翌25日。

朝、Kさんは車輪が1つとれた大きなスーツケースを調査場所に持ってきた。

「そのスーツケース、どうするんです?」

「修理屋さんに行って、車輪をつけてもらうんです」

「でも、空港でもらったスーツケースがあるじゃないですか」

「このスーツケース、買ったばかりですから」

まだあきらめていないらしい。

Kさんは、午後、調査を抜け出して、スーツケースを持って修理屋さんを探しに行った。

Kさんは夕方近くになってもどってきた。スーツケースの車輪がしっかりとついていた。

「よかったですね。修理してもらえたんですね」

「いえ、自分で車輪をつけました」

「どういうことです?」

「修理屋さんに行ったことは行ったんですが、修理屋のおじさんが、『こんなの面倒くさくて直せない』と言うので、仕方がないので車輪だけ買って、自分でつけたんです」

まったく、たくましい人だ。

結局Kさんは、このC市にパソコンとスーツケースを修理しに来たようなものだった。

26日。

午前中で調査が終わり、いったん滞在先のホテルに戻る。ここから中国の旅行代理店が用意した車に乗って、C空港に向かい、国内線に乗って北京に戻るのである。

当初の出発時間は1時半だったが、1時ごろに集合場所のホテルに戻ると、すでに運転手がロビーで待っていて、「道路が渋滞するから、早めに出発しなければダメだ。早く乗れ」という。

たしかに中国は車が多く、いつも道路が渋滞している。私たちは運転手の言葉を信じて、早めに車に乗り込んだ。

だが、Kさんが待てど暮らせど来ない。どこかお店に立ち寄っているらしい。

1時半になって、ようやく姿を見せた。

「どうしたんです?道が渋滞するから早く出発すると運転手さんが言ってましたよ」

「ああ、大丈夫ですよ」Kさんは余裕の表情である。

「どうしてです?」

「あれは、自分が早く仕事を終えて帰りたいものだから、そう言っているのです。この時間だったら、そんなに渋滞はしません」

うーむ。

道路が渋滞するからという理由で出発時間を早めようと主張する中国人運転手。

運転手が仕事を早く終えたがっていることを見透かして、余裕綽々とバスに乗り込む中国人観光客。

はたしてどちらを信じればよいのか?

Kさんの言ったとおり、道路は渋滞していなかった。車は予定より早くC空港に到着した。軍配は、Kさんにあがったのであった。

だが、C空港でまたアクシデントが起こる。

Kさんの実際のパスポート番号と、旅行代理店を通じて航空会社に登録したKさんのパスポート番号が全然違っているため、飛行機のチケットが発券できない、というのだ。どうやら、間に入った中国の旅行代理店が、kさんのパスポート番号を間違えて航空会社に申告したらしい。

もしチケットが発券されなければ、Kさんは北京には行けず、大きなスーツケースを2つかかえたまま、C市にとどまらなければならないことになる。

「どうしましょう。私、北京に行けないかも知れません」さすがに、Kさんの交渉力をもってしても、こればかりはどうにもならないようである。

「それにしても不思議ですねえ。行きの国内線はまったく問題なく乗れたのに」

どうやら行きの国内線では、パスポート番号が違っていることに、航空会社も空港関係者も気づかなかったようである。まったく、いいかげんなものである。

Tさんの機転で、日本の旅行代理店に連絡をとり、そこから中国の代理店に連絡してもらって、正しいパスポート番号を登録し直してもらい、事なきを得た。

「さあ、もう大丈夫です。あとは私にまかせてください」チケットが発券されたあとのKさんは、意気揚々と飛行機に乗り込んだ。

27日。北京での朝。

ホテルのフロントに集合すると、Kさんの雰囲気がちょっと違う。

「昨日、散髪してきました」とKさん。

そう言われてみると、髪が短くなっている!

しかしおかしい。昨日は夜8時過ぎに北京のホテルに着き、それから北京のある先生と会食をして、解散したのが夜10時頃である。ということは、そのあと、散髪屋さんに行ったということか?

「Kさんの生き方には無駄がない。いや、無駄な時間を作ろうとしないんだよ」

昔からKさんのことを知っているTさんは、Kさんの散髪した頭を見ながら、そう言った。

…とまあ、今回の中国出張は、Kさんの身のまわりに起こるさまざまな出来事が面白くて、十分に楽しませてもらった。Kさんはいろいろなアクシデントに見舞われながらも、持ち前の明るさと交渉力で、それを乗り切っていった。

「Kさんは、決してめげないんですね」

「そうでなければ、中国で生きていけません」

Kさんは、笑って答えた。

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じょう・じえるん、調査団を走らす

12月27日(火)

中国・K省C市での調査が終わり、26日夜、北京に戻った。北京最大の繁華街である「わんふーちん」にあるホテルに泊まり、翌27日(火)の午後、北京空港に向かった。夕方の飛行機で、日本に戻るためである。

今回の調査旅行では、ひとつ、妻に頼まれたお土産があった。

それは、「じょう・じえるん」という歌手のニューアルバムを買ってきてほしい、という依頼である。調査出張に、自由時間がほとんどないことを知っている妻は、「もし空港で自由時間があれば」という条件付きで、このお土産を依頼してきたのである。

「じょう・じえるん」は、中国では知らない人がいないというほど有名な、男性歌手である。日本でも、女性を中心にファンが多い。

今回の調査団のひとりである、中国人研究者のKさんにこの話をすると、「ああ、知ってますよ。中国人で知らない人はいません」という。

研究仲間のTさんにも話すと、「ああ、知ってる知ってる。とうふ屋の映画に出ている人でしょう。私の奥さんもCDを何枚か持ってますよ」という。

とうふ屋の映画?

まあそれはいい。とにかく、それほど有名なのである。

北京空港で出国手続きを済ませ、40分ほど時間があったので、空港内のお店でCDを探すことにした。

ところが、CDがどこに売っているのかよくわからない。ほかのお土産を買ったりしているうちに、時間がどんどん過ぎてゆく。

困ったなあ、と思っていると、中国人研究者のKさんと研究仲間のTさんが近づいてきた。

「どうしたんです?」

「いや、その…。妻に頼まれたCDを探しているんです」

「ああ、そうでしたねえ。見つかりませんか?」

「ええ、どこに売っているのかわからなくて」

「じゃあ一緒に探しましょう」

ということで、KさんとTさんが一緒に探してくれることになった。

そこに調査団のボスがやってきた。

「どうしたの?」

「実は、妻に頼まれたCDを買おうと思っているんですが、見つからないんです」

「そうか。じゃあ私も手伝おう」

ということで、調査団のボスまでも、くっついてくることになった。

だが調査団のボスは、「じょう・じえるん」はおろか、中国語も全くわからないのである。一緒に探すといっても、戦力になるわけではない。何のことはない。ひとりでいると寂しいのでついてこられたのだろう。

かくして、超大物の先生を巻き込んで、「じょう・じえるん」のCD探しが始まったのである。

しかし、超大物の先生に中国のアイドル歌手のCD探しにつきあわせるのは、どうも気がひける。というか、落ち着いて探すことができない。

1軒目のお店にないことを確認したところで、たまらず調査団のボスに言った。

「あのう…、あとは私たちが探しますんで、先生はどうかお座りになって休んでいてください」

「そうか」

調査団のボスは、寂しそうに搭乗口の方へ歩いていった。

ふたたび、KさんとTさんを巻き込んでの大捜索である。空港中を探しまわるが、結局、見つけることはできなかった。

「仕方がないですね。あきらめましょう」と私。

「こんなことなら、『わんふーちん』で探しておけばよかったですね」と研究仲間のTさん。「わんふーちん」は、昨日私たちが泊まったホテルがあった繁華街である。たしかに「わんふーちん」ならば、お店もたくさんあるので、目当てのCDを手に入れることができたのかも知れない。

「そうですよ。ほら、午前中に私たちが行った『わんふーちん』の本屋さんにも、CDが置いてあったでしょう。あそこに行けば買えたかも知れません。中国では、CDは本屋さんに売っているんです」と中国人研究者のKさん。

そうだったのか。本屋では自分が買いたい本を買うのに夢中で、CDのことなどすっかり忘れていたのである。つくづく、「わんふーちん」で探さなかったことが悔やまれた。というか、Kさん、それをもっと早く言ってくれよ!

結局、手に入れたのは、私自身が聴きたいと思って買った「でん・りーじゅん(テレサ・テンの中国名)」のCD1枚だけである。

うーむ。結局、自分が買いたいものだけを買ってしまったことになるのだが、しかたがない。これは素直に謝るしかない。

「どうだった?」搭乗口付近で待っていた調査団のボスに聞かれた。

「結局ありませんでした。妻には見つからなかったといって謝ります」

「いいじゃん。テレサ・テンのCDでごまかせば」

そういう問題ではないんだが。

結局、調査団のボスは「じょう・じえるん」と「テレサ・テン」の区別もあまりわかっておられないようだった。

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遠いところからメリークリスマス!

12月24日(土)

メリークリスマス!

私はいま、中国のある地方都市に来ています。

前日(23日)の朝7時20分に、羽田空港近くのホテルを出発。9時40分発の飛行機で北京に行き、そこから国内線に乗りついで、夜10時(日本時間の夜11時)、目的地のK省C市に着きました。

私が泊まっているホテルは、かなり古いホテルで、私の部屋はカードキーを差し込んでもドアが開かないことがしばしばあります。机の電気スタンドも電球が切れていたりして、だいぶガタがきている感じなのですが、まあ、地方都市のホテルはこんなものでしょう。

今日は朝から、タクシーに乗って某所で調査をはじめたのですが、「午後2時までに調査を終わらせないと、タクシーがつかまらないから、ホテルに戻れなくなりますよ」と言われました。

そう、今日はクリスマスイブで、市内は大変な混雑なのです。

そればかりではありません。タクシーの運転手さんも、今日は早々と営業を終わらせてしまうというではありませんか。

中国では、日本以上にクリスマスは大イベントなのです。

Photo 2時すぎ、ホテル付近に戻ったあと、遅い昼食をとり、今度はホテル付近の某所で調査を行い、5時に終了。少しホテルで休憩したあと、7時から夕食です。もちろん、中華料理です。

(あ~あ、今日はクリスマスイブなのになあ)

もともと日本にいても、クリスマスイブなんて関係ないのですが(昨年はたしか、吉祥寺の焼鳥屋で焼き鳥を食べました)、それにしても、調査団7名と、中国の地方都市でクリスマスイブを迎えるというのは、なんとなく複雑な思いです。

夕食が終わったあと、調査団の団長が言いました。

「今日はクリスマスイブだろう。せっかくだからケーキを食べよう」

というわけで、調査団7名が、喫茶店に入りました。

Photo_2 日本のようなクリスマスケーキなどはなく、ベルギーワッフルで、かろうじてクリスマスの雰囲気を味わった、という次第です。

考えてようによっては、例年以上にクリスマスイブらしい過ごし方だったといえるのかも知れません。

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終わりと始まり

12月22日(木)

4日間のイベントが終わりました。

見に来てくださった方々、お手伝いしてくれた方々、本当にありがとうございました。伝わる人にだけ伝わった展示だったと思います。足を運んでくれた人たちは決して多くはなかったけれど、僕はそれで満足です。

気持ちを切り替えて、明日からは中国です。

私が尊敬する人たちと、みっちりと「実のある調査」をしてきます。

恥ずかしながら、中国はこれで2度目。1度目は観光でした。

準備もそこそこで、はたしてどのような旅になるのか、見当もつきません。

足が痛くならないことを、祈るばかりです。

では、ごきげんよう。

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首はつながった

12月21日(水)

昨日のイベント、100人集まったかって?

受付で記帳していただいた名前を数えてみた。

…全部で85名である。

ちょっと待て。記帳しなかった人が、私が確認しただけで4名いる。いずれも職場の上司である。

これで89名。たぶん、このほかにも、記帳せずに会場に入った人が何人かいただろう。

そして今日、

「講演会、昨日だったんだね。行こうと思っていたんだけど、日にちを勘違いしちゃって」

と言ってくれた同僚がひとり。よく、社交辞令でこのように言う同僚は多いが、私が日ごろ信頼しているこの同僚に限ってはそんなことはない。そのくらいの違いは私にだってわかる。

たぶんほかにも、行こうと思っていたけれども不測の事態で参加できなかった人が数名いただろう。

…ということで、たぶん、100名は超えていたと思う。いや、そう思うことにしよう。

役所の職員とか職場の職員とかを動員することなく、平日の夕方、という中途半端な時間にこれだけの人が来てくれた、というのは、やはり貴重である。だって私には、人を動員する力なんて、ないもん。私にできるのは、せいぜい学生に泣きつくことくらいだ。

本当にみんな、好きで集まってきてくれた人たちなのだ。

そのことだけは、私のひそかな誇りである。

今朝、同僚のSさんと廊下で会った。Sさんは昨日、いちばん前に座って講演を熱心に聞いてくれていた。

「昨日はありがとうございました」と私。

「とってもおもしろかったですよ。T先生のお話にすっかり聞き惚れてしまいましたよ」

尊敬するSさんにそう言ってもらえただけでも、このイベントは成功である。

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メイン・イベントの日

12月20日(火)

午前中、職場の廊下を歩いていると、すれ違うたびに、

「今朝のテレビ、見ましたよ」

と言われる。どうやら昨日の取材がニュースで放映されたらしい。

でも、何度も言うように、テレビをいくら見ていても、それが講演会の集客につながらなければ、まったく意味がない。選挙にたとえれば、浮動票のようなものである。

(あ~あ。もうダメだな…きっと誰も来ないな。お客さんが来る気がしない)

例によってマイナス思考が始まる。

展示の受付をしてくれている2年生のNさんに、つい、弱音を吐いた。

「たぶん、今日の夕方の講演会は、お客さんが誰も来ないんじゃないだろうか」

「そんなことありませんよ。少なくとも身内である私たちは行きますから」

Nさんに励まされるとは、なんとも情けない。

こうなったら仕方がない。知っている学生とすれ違うたびに、声をかけることにした。

「夕方の講演会、もし時間があったら来てくれないだろうか」と。

まるで「ドブ板選挙」である。

さて、午後。

会場の設営もしなければならないし、お招きするT先生を駅までお迎えに行かなければならないし…と、講演会本番までに、ひとりでやることが多すぎる。

困ったので、「人手が足りないのです。助けてください」と、学生たちにSOSのメールを出した。会場の設営をお手伝いしてもらおうと思ったのである。

午後3時半、T先生を駅から職場へお連れしたあと、設営のために会場に行くと、学生が10人近く集まってくれていた。私のSOSメールを見て、駆けつけてくれたのだ。

(ありがたいなあ。こんな私にも、味方がいるんだなあ)

夕方4時半。講演会が始まった。

大きな教室は、お客さんでほぼいっぱいになった。

ふと後ろの方を見渡すと、よく知った顔が…。

こぶぎさんだ!

こぶぎさん、どんだけ私のファンなんだ!?たぶん、ここ数日のブログで、「フラグ」が立ったのだろうか(「フラグ」の使い方、これで合っているのか?)

仕事が忙しいだろうに、わざわざ片道50㎞かけて来てくれたこぶぎさんの友情に感謝した。

見渡すと、ほかにも日ごろお世話になっている人の顔がちらほらと見えた。もちろん、東京から応援に来てくれた妻も、そのひとりである。

あらためて、いろいろな人に支えられていることに、感謝した。

さて、講演会は、T先生の力のこもったお話で、予定していた2時間があっという間に終わった。

「自分の(マニアックな)話に、まさかこんなに多くの人が関心をもって聴いてくれるとは思わなかった」T先生も、とても満足しておられたようだった。

この企画をして、本当によかった、と思った。

講演会終了後、T先生を囲んで、数人でささやかな懇親会をした。

T先生のお話は止まらず、それから2時間半ほど続いたのだった。

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テレビに出た!らしい・その2

12月19日(月)

イベント1日目。

朝9時半と、午後1時半に、ローカル局の取材を受けた。

このうち、朝9時半に来た放送局は、お昼のニュースでさっそく流してくれたらしい。

「出てましたよ」と何人かに言われるが、見ていないのでわからない。

これで、大学祭の公開放送で「たまたま映ってしまった」ときに次いで、2度目のテレビ出演である。

そんなことはどうでもよい。

問題は、明日のメイン・イベントの客の数である。

上司には、「お客さんなんて、そんなに来るわけないでしょう(笑)」と言われ、(やっぱりそうだよな…)と、かなり落ち込む。

こんな歌はどうだろう。

「客が少ない」

テレビでは

ある国の将来の問題を

誰かが深刻な顔をしてしゃべってる

だけども問題は明日のイベント

客が少ない

…なんてね。この歌詞の意味、わかるかな?

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稼業三年の患い

12月18日(日)

寅さんの啖呵売に、次のようなセリフがある。

「さあ、これで買い手がなかったら、わたし、稼業三年の患いと思ってあきらめます」

この「稼業三年の患いと思ってあきらめます」という言いまわしが、なんともよい。

月曜からのイベント。私がこの職場に来て、はじめてやる気を出した仕事である。やるからにはいいものにしようと、これまで周到に準備を進めてきた。

火曜日には、T先生をお招きしてのイベントもある。

この火曜日のイベントには、たくさんの人に来てもらいたい、と思う。

「私が関わると集客率が低い」というジンクスを、この日ばかりは返上したい。

学生たちの前では、「火曜日のイベントにお客さんが100人集まらなかったら、『重大な決意』をする」と、なかば冗談、なかば本気で言った。

寅さん流に言えば、

「さあ、これでお客さんが来なかったら、稼業三年の患いと思ってあきらめます。浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)じゃないけど、腹切ったつもりであきらめちゃうからね!」

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ハンカチ刑事

ラジオを聞いていたら、鈴木ヒロミツの歌「でも、何かが違う」が流れてきた。

私と同世代のラジオDJが、「子どものころに、刑事ドラマのエンディングで流れていた歌だが、今でもたまにこの歌が頭の中で流れることがある」といって、かけた曲である。

これを聞いて、ビックリした。

私も、今でもたまにこの「でも、何かが違う」という曲が、頭の中で流れることがあるからである。

すげえ懐かしいなあ。35年くらい前の歌だ。

そのラジオDJは、「ヒロミツさんの歌は今聞いてもいい歌が多い。それがあまり評価されなかったのは、顔で損をしていたからではないか」と言っていたが、なるほどそうかも知れない、と思う。

日本の正統派ロックのヴォーカルとして稀有な存在だったと思うのだが、お世辞にもかっこいいとはいえない。どちらかと言えば、「味のある」存在である。

「でも、何かが違う」という歌は、「夜明けの刑事」というドラマのエンディングで流れていた。私は小学生のころ、この「夜明けの刑事」と、その続編ともいうべき「明日の刑事」が、大好きだった。

ちなみに「明日の刑事」のエンディングではやはり鈴木ヒロミツの「愛に野菊を」という歌が使われた。こちらも名曲である。当時はこちらの方が好きだったが、いつまでも脳内に残り続けたのは、なぜか「でも、何かが違う」の方だった。

当時は刑事ドラマブームで、多くの子どもたちは「太陽にほえろ!」が好きだったのだと思うが、私は「太陽にほえろ!」をほとんど見ていない。それは、同時刻に裏番組で「新日本プロレス」の中継をやっていて、プロレスが好きだった祖母が、この時間だけはチャンネルを独占していたからである。だから私は「金八先生」も見ていないのだ。

そんなことはともかく、私はこのかなり地味な「夜明けの刑事」「明日の刑事」のシリーズが好きだったのである。

このシリーズの主演は坂上二郎、そして、その脇を鈴木ヒロミツがつとめていた。今から思えば、じつに地味なコンビである。

坂上二郎演ずるたたき上げの人情派刑事、鈴木ヒロミツ演ずる不器用でぶざまな若手刑事、という組み合わせは、どう考えても地味である。

私が今でもそういう人間に憧れるのは、どうやら、子どものころに見たこのドラマが影響を与えているらしいことに気づく。

そう思うと今、むしょうにこのドラマを見たくなってきた。

だが、残念なことにこのドラマはソフト化されていない。そこで、インターネットで流れている動画を探してみると、オープニングやエンディングの映像だけは、探すことができた。

そうそう、これこれ。思い出したぞ!

「愛に野菊を」も、久しぶりに聴いたなあ。

…などと思い出に浸りながら見ていると、あることに気づいた。

ドラマのオープニングやエンディングで、坂上二郎が歩くシーンがある。というか、このオープニングとエンディングは、二郎さんのプロモーションビデオか!と思うくらいに、二郎さんをフィーチャーしているのだが、そこで二郎さんは必ず、片手にハンカチを握っていて、常にそれで顔の汗を拭きながら、歩いているのである。

それで思い出した。

ドラマの中で、二郎さんはいつも大汗をかいていて、聞き込み捜査のときも、片時もハンカチ離さずに、常に顔の汗を拭いながら歩いていた。

刑事ドラマに出てくる刑事で、これほど汗かきの刑事は見たことがない。ふつう、刑事ドラマの刑事は、ハンカチで顔の汗を拭ったりしないのだ。なぜなら、かっこわるいから。たぶん、この当時の価値観として、「いい男が、ハンカチで顔を拭うなんてみっともない」というヘンな美学のようなものがあったのかも知れない。「ハンカチ王子」などといって、ハンカチで顔を拭う男子が絶賛されるようになるのは、最近になってからである。

だが二郎さんは、ビックリするくらいに、遠慮なく顔の汗をハンカチで何度も拭っているのである。つまり、元祖「ハンカチ王子」ならぬ、「ハンカチ刑事」である。

たぶんこんなところに目が行くのは、私自身が、ビックリするくらい汗かきだからであろう。

(二郎さんわかるよ。聞き込み捜査で歩きまわると、汗が止まらなくなるもんだよな…)

「汗かき」は、「汗かき」の気持ちがわかるのである。

それでまた気づいた。

二郎さんが歩きながら顔の汗を拭う仕草は、今の私そのものである。

私をよく知る人はご存じの通り、私は無類の汗かきである。夏場には、常に片手にハンドタオルを持ち、顔の汗を拭いながら歩いているのだ。まさに、「夜明けの刑事」「明日の刑事」の二郎さんと、同じ仕草である。

そうか。今の私は、あのときの二郎さんなのか。

やはり私の原体験は、「夜明けの刑事」「明日の刑事」なのだ。

ますます、ドラマを見てみたくなった。

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空と海をこえて

12月15日(木)

むかし、後藤久美子主演の「空と海をこえて」という単発ドラマがあった。

たぶん覚えている人って、ほとんどいないだろうなあ。

私が大学時代に、本放送を一度見たきりで、DVD化もされていない。

でも、すごく面白かったんだよなあ。

脚本は、これまた私が好きな佐々木守である。

内容は、離れ小島で食中毒にかかってしまった子どもたちを救うため、パソコン通信を駆使して、多くの人の連係プレーによって子どもたちを助ける、という話。まだインターネットなどなく、パソコン通信がようやく注目され始めた時代である。

ストーリーだけ書くと、あまり面白くないように思えるかもしれないが、3時間ドラマの中で丁寧に描かれる人びとの連係プレーの姿は、感動的ですらあった。

何でこんなことを思い出したのかというと、来週うちの職場で開催される、私が手がけているイベントが、今まさに、いろいろな人の連係プレーによって実を結びつつあるからである。

イベントの主人公は、ひとつの古びた「資料」である。

古びた「資料」を、渾身の技術でフィルムにおさめようとする写真家

古びた「資料」にできた傷を丁寧になおしてゆく修復の専門家。

古びた「資料」をよりよく見せようと工夫を凝らす展示の専門家。

宣伝用ポスターのレイアウトにセンスを光らせる事務スタッフ。

それぞれの連係プレーで、古びた「資料」がよみがえってゆく。

私は真ん中で、その連係プレーをボーッと見ているだけなのだが、それでも、間近にそれを見ることができただけで、幸福である。

そして何より、

古びた「資料」に価値を見いだし、生命を吹きこんだT先生

来週のイベントでは、T先生をお招きして「資料」にまつわるお話をうかがうことになっている。T先生は、その「資料」の第一人者である。

夕方、T先生のお宅にお電話した。

「来週、楽しみにしております」

私がそう言うと、

「何を言うんです。私の方があなたより2倍くらい楽しみにしているんですよ」

とうれしそうにおっしゃった。

その言葉で、今までの苦労がすべて報われた気がした。

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テレビに出た!らしい

12月11日(日)

午後、仕事関係のイベントに参加する。

休憩時間に、仕事の関係で顔を合わせることのあるTさんに話しかけられた。

「お久しぶりです」

「どうも、お久しぶりです」

「この前、テレビに出てましたね」

「えっ?!」

身に覚えがない。

「『今夜は○○○ナイト』ですよ。大学祭の公開録画で、映ってましたよ」

思い出した。地元の方言を取りあげるローカル番組である。大学祭のとき、地元の放送局が、公開録画に来ていたのだ。知っている学生が出ているというので、見に行ったのだった。

「どんな風に映ってたんです?」私は心配になってTさんに聞いた。なにしろ私は、地デジに完全移行してからというもの、テレビをまったく見ていないのだ。

「司会者が『今夜はぁ!』とかけ声をかけると、会場にいた人が、「○○○ナイトぉ!」って、声を合わせて叫んでましたよね。あの場面です」

Tさんは「○○○ナイトぉ!」と言ったときに、右手のこぶしをまっすぐ伸ばすような仕草をした。「エイ、エイ、オー」の仕草である。

つまり、たとえて言えば、長さんが、

「8時だよ!」

というと、会場の子どもたちが

「ぜんいん、しゅうごおおおおう!」

と声を合わせて叫ぶがごとく。あるいはタモさんが、

「明日も見てくれるかな?」

と言うと、観客が

「いいともぉぅ!」

と声を合わせて叫ぶがごとく、である。

覚えていないが、私も一緒になってやっていたらしい。

そして右手のこぶしをまっすぐに伸ばして、「○○○ナイトぉぅ!」と叫んでいる私の姿が、バッチリと放送されてしまったようなのである。

なんかスゲエ恥ずかしい。

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10年目の初対面

12月10日(土)

首都圏のある場所で、カルチャースクールの1日講師をつとめることになった。連続講座の1回分を担当することになったのである。

新幹線と在来線を乗りついで、約4時間かけて目的地に到着する。

首都圏には、星の数ほど同業者がいるだろうに、わざわざ時間とお金をかけて遠くから呼ぶに値する人物か?俺は。…と考え出すと、だんだん落ち込んできた。だが、師匠から頼まれた仕事なので、引き受けないわけにはいかない。

カルチャースクールで講師をつとめることは、嫌いではない。というより、やったらやったで楽しいのだが、自分の親の年齢ほど離れた人生の先輩たちの前で講釈をたれる、というのは、やはりどこか後ろめたい感じがする。

それに私が話すことといえば、まったく地味な内容のものばかりで、集客力が異常に弱いのだ。

会場に着き、事務担当のOさんとご挨拶する。

「今日は何人くらいの方が聞きにいらっしゃるのでしょうか」私はOさんに聞いた。

「20数名、といったところです」

「はあ」

20数名、という数が、多いのか少ないのかわからないので、考えあぐねていると、それを察してか、Oさんが続けた。

「うちの教室では多い方ですよ。最近は、お客さんを集めるのに四苦八苦しているのです。でもこの分野は愛好家の方が多いですから、わざわざ他県から講座を聴きに来る人も多いんです」

「あちこちのカルチャースクールを渡り歩いているというわけですね」

「そうです。ですから、耳が肥えている方が多いです」

「そうでしょうね」そのカルチャースクールは、首都圏に広く展開している老舗なので、常連さんが多いことは容易に予想できた。それだけに、なおさらプレッシャーがかかる。

「そうそう、先ほども、おひとり電話をいただいたんですよ。先生がわざわざ来られるなら、ぜひ講座を聞きに行きたいと」

「私の話をですか?」

「ええ。電話では横浜の方だとおっしゃっていましたが、お心当たりはありませんか?」

「さあ。…そもそも私は、首都圏ではまったく無名な人間ですからねえ」

なにしろ、首都圏のカルチャースクールで講師をつとめるのは、これがはじめてなのだ。

午後3時半、講座開始。

因果なもので、話しはじめると、だんだん調子づいていく。2時間の講座は、あっという間に終わってしまった。

終わったあとも、何人かの方から質問ぜめにあう。やはり、熱心な方たちばかりだ。

質問が終わると、ひとりずつ教室を出ていかれるのだが、お一人、みんなの質問が終わるまで、じっと教室で待っている老紳士がいた。

こぎれいなスーツを着た、まさに「老紳士」というにふさわしい方である。

最後の人の質問に答え、その方が教室を出ると、その老紳士が私のところに近づいてきた。

「先生。今日はありがとうございました」

老紳士は深々と頭を下げたあと、私に名刺をさしだした。

名刺には、「社会保険労務士」の肩書きと、見覚えのある名前が書いてあった。

「Yさん!」私は思わず声をあげた。

「覚えていらっしゃいましたか」

「もちろんです」

いまから10年ほど前、ほとんど目につかないような雑誌に論文を書いたとき、Yさんはどこからか、私の論文の存在を知って、読んだ感想を長い手紙に書いておくってくださった。そこには、過分の褒め言葉が書かれていた。

それから数年ほどして、私はそれまでの研究をまとめた専門書を出した。業界ではあまり相手にされず、なかには冷ややかな批評をする者もいた。

本が出たあと、Yさんは、本の感想を書いて送ってくださった。やはりそこにも、過分の褒め言葉が書かれていた。

自信を失いかけていた私は、そのお手紙にずいぶんと励まされたのである。

「ようやくお会いできました。先生がこちらの講座でお話しなさることを知って、横浜からかけつけました」

横浜…。さっきの電話の主は、Yさんだったのだ。

親子ほど年の離れていると思われる私のことを、Yさんは折り目正しく「先生」と呼んだ。

「先生、この本」

そういうと、Yさんはカバンから1冊の本を取り出した。私が数年前に書いた専門書である。

「この本、もう何度読み返したことか…。私が独学でコツコツ勉強していく上で、この本にどれだけ励まされたことか」

私は面はゆかった。私は本を出してから、自分の本を読み返していない。自分にとっては、未熟で、不本意で、恥ずかしくて、二度と読みたくないものなのだ。

おそらく、私よりYさんの方が、私の本の内容に詳しいのかも知れないな、と思った。

「いえ、励まされたのはこちらの方です。お手紙をいただいて、勇気づけられました」

「今日はお話が聞けて本当によかったです。…このあと時間がございますか?」

「いえ、じつはこのあと、すぐに新幹線で帰らないといけないのです」

「そうですか。少しお話でも、と思ったんですが…。この次においでのときは、ビールでも飲みながらお話をしましょう」

「そうですね。ぜひ、そうしましょう」

「今日は本当にありがとうございました」

老紳士のYさんは、何度も深々と頭を下げて、教室を出ていった。

「お知り合いの方だったんですか?」事務担当のOさんが、教室に入ってきた。

「ええ。10年ほど前にお手紙をもらった方で、今日はじめてお会いしたんです」

「そうでしたか。あの方が横浜の方だったんですね」

「そうです」

「今日はみなさん、とても満足そうな顔で教室を出ていかれてましたよ」

「そうですか」

「また機会がありましたら、ぜひよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

外に出ると、すっかり日は暮れていた。在来線に乗って、東京駅に向かう。

私はじつに久しぶりに、缶ビールを買い込んで、新幹線に乗り込んだ。

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モギ裁判のカタルシス

12月9日(金)

昨年見に行った、学生たちによるモギ裁判がけっこうよかったので、今年も見に行くことにした。

すべて学生たちによる手作り、というのがすばらしい。

セリフ回しはやや大仰な感じがするが、はっきりとしゃべっているので聞き取りやすい。歌舞伎のセリフ回しのようだと思えば、違和感はない。演技も、話が進むにつれて、尻上がりによくなっていく感じである。

それにつけても気になるのは、メイクである。

20歳そこそこの大学生が、上は60代から下は16歳までを演じるので、それなりに年相応のメイクをしなければならない。

昨年ショックを受けたのは、私とほぼ同い年くらいの役柄を演じている学生のメイクが、皺だらけだったということである。

学生からは、40代はあんな感じに見えているのか?

昨年のアンケートには、「メイクが老けすぎのように思います」と書いた。

今年は、昨年と比べると、メイクがかなり抑えた感じになっている。

「昨年と比べると、学生たちのメイクはかなり抑え気味ですね。昨年よりも皺は少ないみたいです」休憩時間に、同僚に言うと、

「そうでしょう。私、昨年の公演が終わったあと、学生に言ったんですよ。『あのメイクを見て、大人たちはみんなショックを受けてたよ。あなたたちから見て、30代や40代はあんなふうに映っているの?』って。そしたら学生たち、ウケてました」

なるほど、それを聞いた学生たちは、少し気を利かせて、メイクを抑え気味にしてくれたのかも知れないな。

このモギ裁判では、最後の「判決」の言い渡しが、最もカタルシスを感じる場面である。

それまでのすべての場面の積み重ねが、最後の「判決」に集約されるからである。

この「判決」を聞くために、モギ裁判を楽しみにしている、といっても過言ではない。

裁判長役の学生も、ひと言ひと言、噛みしめるように判決文を読んでいた。

それだけで、なんか泣けてくる。

すべてが終わり、昨年と同様、スクリーンにエンドクレジットのスライドショーが流れる。出演者とスタッフの写真が、槇原敬之の歌とともに次々と映し出されてゆく。それが終わると、終演を伝える影マイクが入った。

だが、欲をいえば、カーテンコールをしてほしかった。

いったん幕が下がり、エンドクレジットのスライドショーが流れる。それが終わると、再び幕が開き、出演者とスタッフ全員が、舞台に立って観客に挨拶する。

そうすると、最後は盛り上がると思うんだけどなあ。

…ということをアンケートに書いたんだが、はたして目にとめてくれるかどうか。

客席には、こぶぎさんも来ていた。

前に会ったのが、震災前の3月1日だったから、実に久しぶりの再会である。

お互い時間がなかったが、公演が終わってから、「いつもの場所」で夕食をとることにした。

「最近、ブログの更新が滞っているねえ。そうとう忙しいとみた」

「その通り!」

などと、よもやま話がはじまる。

「このあいだ、ダブルKさん(ダブル浅野的な意味で)のうちの、世話人代表のKさんが、差し入れだっていうんでうちの職場に柿を持ってきてくれたんですよ」とこぶぎさん。

「ほう」

「それをうちの職場のKさんが受け取って、洋梨と一緒に箱に入れておいたら、柿がドロドロになっちゃって」

「へえ」

「柿をそのまま食べるわけに行かないし、捨てるわけにもいかないんで、柿ジャムを作ろうってことになって、職場でKさんと二人で柿ジャムを作ることにしたんですよ」

「柿ジャムですか」

「ドロドロになった柿を鍋に入れて二人でかき混ぜながら、40(しじゅう)すぎたオッサンふたりが、何で柿ジャムなんか作っているんだろう、と思うと、悲しくなりました」

そんなよもやま話。

というわけで、時間がなくて文章はあまり練れてませんが、更新しましたぜ。こぶぎさん。

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紅葉に間に合う

12月3日(土)、4日(日)

年に一度、200人近くの同業者が集まる恒例の「同業者祭り」である。私と妻が、1年のうちでいちばん気が重い2日間。

新幹線を乗りついで、7時間かけて、会場に向かう。

昼間の「お勉強」のあとは、例によって立食形式の会食である。

久しぶりにお会いした、ある先生と話しているうちに、とめどなく汗が流れてきた。

「ずいぶん汗をかいていますね。どうして冬なのにそんなに汗をかいているんです?」

マジメな話をしていたのだが、どうも私の大汗が気になったらしい。

「いつものことです。汗っかきなので、どうかお気になさらずに」

そうは言ってみたものの、たぶん相手の先生からすれば、気にせずにはいられないくらいの、尋常じゃない汗のかきかただったのだろう。

体調のことを考えて、あまりお酒を飲まず、1次会で帰ろうと思っていたのだが、案の定、師匠に誘われて、3次会までおつきあいすることになる。当然、日本酒もご一緒した。

なんとか2日目の午前中までをやり過ごし、2日目の午後、妻と二人で京都で途中下車をした。

「このままでは気が重いばっかりなので、京都で何か美味しいものでも食べて帰ろう」ということにしたのである。

私がふと思いつく。「せっかくだから、S寺に行こう」

「S寺?いいねえ」

S寺は、10月の実習の、京都自由行動の際に、私が訪れた寺である。「S寺がいいんじゃないの?」とすすめたのは妻だった。ただ肝心の妻は、まだそのS寺を訪れたことがなかったのである。

昼食もそこそこにすませ、駅からタクシーに乗り、S寺に向かう。

S寺のまわりは、まだ紅葉が残っていた。おそらく今日は、紅葉を楽しむ、最後の週末であろう。先日来たときとはうって変わって、今日は観光客でごった返している。

考えてみれば、紅葉の季節に京都に訪れるのは、はじめてではないだろうか。

S寺の隣にあるU院もまたすばらしい。庭園の紅葉は、まるで一幅の絵のようである。

このところ、ずっと忙しい。

たまにはこんな時間を過ごしても、許されるだろう。

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職人技

12月1日(木)

10日ほど前、プロの写真家の仕事に立ち合う機会があった。3時間ほどの作業であった。

そのとき撮影された写真が先日送られてきた。すばらしい仕上がりである。

今日、その写真家をよく知る人と話をした。

「あの方、見た目は、なんというか、ぽわっとした感じの方でしょう」

「そうですね」と私。

韓国語で言うと、「부드러운 남자」というニュアンスがピッタリの写真家であった。日本語に訳すと難しいが、「物腰柔らかな男性」といった感じか。

「でも、あの方はすごい方なんです」

なんでも、歴史に残るような仕事を数多く手がけてこられた方らしい。

「失礼ですけど、とてもそんな感じには見えませんでしたよ」と私。

「そうでしょう」

「だって、3時間も近くで見てましたけれど、ほとんど何もしていなかったみたいでしたよ」

「そうそう。私たちにはそう見えるんですよ。でもあの仕事、ふつうの人では3時間では終わりませんよ。1日かかっても終わるかどうか」

「へえ、そうなんですか」

「あの限られた時間で、あれだけの仕事ができる人は、そうはいません」

数多くの写真技師を見てきた人が言うことなのだから、間違いないのだろう。

それにしても、シャッターを押すのはわずか数回。それも、一瞬のことである。

ハタから見れば、たかが一瞬、シャッターを押すだけのことではないか、と思うのだが、プロはその一瞬のために、おそらく私などが想像もつかないような集中力をはたらかせるのだろう。

しかも、私たちが気がつかないくらい、ごく自然に、である。

私は、職人とか、職人技というものに憧れる。

それは、決して自分にはまねのできないことだからである。私の祖父は大工だったが、私は祖父に似ず、不器用な人間だった。だからなおさら、職人というものに憧れているのかも知れない。

本当の職人は、その技術をさりげなく見せる。ハタ目にはわからないくらいに、さりげなく、である。

たぶん私には、それができない。

なにしろ、何をやるにしても、さりげないどころか、大汗をかいてしまうからだ。

まったく困ったものである。

今日も体調がイマイチなので、この辺で。

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