職人技
12月1日(木)
10日ほど前、プロの写真家の仕事に立ち合う機会があった。3時間ほどの作業であった。
そのとき撮影された写真が先日送られてきた。すばらしい仕上がりである。
今日、その写真家をよく知る人と話をした。
「あの方、見た目は、なんというか、ぽわっとした感じの方でしょう」
「そうですね」と私。
韓国語で言うと、「부드러운 남자」というニュアンスがピッタリの写真家であった。日本語に訳すと難しいが、「物腰柔らかな男性」といった感じか。
「でも、あの方はすごい方なんです」
なんでも、歴史に残るような仕事を数多く手がけてこられた方らしい。
「失礼ですけど、とてもそんな感じには見えませんでしたよ」と私。
「そうでしょう」
「だって、3時間も近くで見てましたけれど、ほとんど何もしていなかったみたいでしたよ」
「そうそう。私たちにはそう見えるんですよ。でもあの仕事、ふつうの人では3時間では終わりませんよ。1日かかっても終わるかどうか」
「へえ、そうなんですか」
「あの限られた時間で、あれだけの仕事ができる人は、そうはいません」
数多くの写真技師を見てきた人が言うことなのだから、間違いないのだろう。
それにしても、シャッターを押すのはわずか数回。それも、一瞬のことである。
ハタから見れば、たかが一瞬、シャッターを押すだけのことではないか、と思うのだが、プロはその一瞬のために、おそらく私などが想像もつかないような集中力をはたらかせるのだろう。
しかも、私たちが気がつかないくらい、ごく自然に、である。
私は、職人とか、職人技というものに憧れる。
それは、決して自分にはまねのできないことだからである。私の祖父は大工だったが、私は祖父に似ず、不器用な人間だった。だからなおさら、職人というものに憧れているのかも知れない。
本当の職人は、その技術をさりげなく見せる。ハタ目にはわからないくらいに、さりげなく、である。
たぶん私には、それができない。
なにしろ、何をやるにしても、さりげないどころか、大汗をかいてしまうからだ。
まったく困ったものである。
今日も体調がイマイチなので、この辺で。
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