俺は「かまってちゃん」か?
12月29日(木)
中国に出発する前の日(22日)の夜、高校時代の吹奏楽部の1年後輩のモリカワさんからメールが来た。
「29日の夜に新宿で忘年会をしますので、先輩もぜひ来てください」
ここのところ忙しく、それにこれから中国出張ということもあり、精神的にかなりピリピリしていた私は、このノーテンキなメールに、なぜか少し腹が立ってしまった。
そこで私は、
「多忙きわまりないのですが、コバヤシが参加するんだったら、私も参加してもいいかなと思います」
と、例によってまどろっこしい返事をした。
このブログにもしばしば登場する同期のコバヤシは、高校時代の親友である。現在福岡にいるので、年末に東京に呼び出すというのは、かなりの無理難題である。
「いいですか。コバヤシをちゃんと説得してくださいよ」私はモリカワさんに念押しのメールをした。
さて、中国出張は無事に終わり、27日の夜に羽田空港に着き、28日の午後に勤務地にもどった。そして翌29日はお昼ごろまで職場で仕事をして、午後の新幹線で、ふたたび東京に向かう。
午後6時半に新宿駅に行くと、すでに数名の仲間が集まっていた。
「どうだった?コバヤシをちゃんと説得した?」私はモリカワさんに聞いた。
「それが今日、東京に来ていることは来ているそうなんですが、ご家族と食事の約束があるとかで、来られそうにないっていうんです」
「俺はちゃんと来たんだからね。ちゃんと説得してもらわないと」私はわざと、モリカワさんを困らせるようなことを言った。
「そのことなんですが、コバヤシ先輩にそのことを伝えたら、『幼稚園の子どもじゃないんだから、○○君が来ないなら僕行かない、みたいなしょうもない駄々をこねるな、と伝えてくれ』と、長々と先輩に対してダメ出しする内容のメールが届いたんです」
「ほう」
「それから、『あいつのしょうもない発言は長年聞き続けて慣れているので、このメールをとくに気にせず転送してもらってかまわない。私の返信も含めて、飲み会のネタにでもしてやると、ブツブツ言いながらも、まんざらでもないような反応をすると思う。数日後には彼のブログにアップされることだろう』という返信も来ました」
さすが、その通りだ。私はヘンに感心した。
「というか、先輩が直接コバヤシ先輩と連絡をとってくださいよ!何で私がこんなことをしなきゃならないんですか!」
間に入ったモリカワさんは、いい迷惑、という感じだった。
さて、新宿の雑居ビルの居酒屋で忘年会が始まる。
集まったのは、私の同期から3学年下の後輩まで、10人ほどである。全員がすでに40歳の大台に乗っていた。
私は、学生や同僚や研究仲間などの前では、いちおう気を遣ったりしているが、高校時代から知っている彼らの前では、「わがまま」で「扱いにくい」「厄介者」で「メンドウくさい人間」なのである。いつも彼らには、言いたい放題である。
やれ店が狭いだの、美味しい酒が無いだの、もういい大人なんだからもっといい店を予約すればよかったのにだの、とにかく文句を言う。まわりの仲間たちは、呆れ顔である。
同期のフクザワが言う。
「お前、実はうさぎちゃんだろう」
「なんだいそれ?」
「バニーちゃん」
「だから何だよ?」
「ほら、うさぎって、かまってもらえないと病気になったりするだろう。つまりは『かまってちゃん』だ」
「かまってちゃん?」
この私が、かまってちゃんなのか?
すると、まわりの後輩たちも、次々とその意見に同調しだした。
「そうそう。先輩は昔から『かまってちゃん』だったんですよ!」
こうなるともう、「かまってちゃん」の大合唱である。
それからは、延々と私に対する「ダメ出し」が続いた。
年の瀬に、何でこんなに非難されなければならないのだろう。
どうやら私は、彼らにとっては「扱いにくい厄介者」だったようである。
でも考えてみれば、言いたい放題に言える場は、もはやここしかないのかもしれない。私の「ダメさ加減」をイジってもらえる場も、ここだけである。だから、彼らに「扱いにくい厄介者」だと思われようとも、これからも言いたいことを言い続けよう。
ハイボールを何杯も飲みながらしゃべり続けているうちに、時間があっという間に経ってしまい、終電で家路についたのであった。
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