喜劇と悲劇が交錯する
1月7日(土)
さて、まったくもってさびしい誕生日に、仕方がないので、夜、閉店間際のケーキ屋さんに駆け込んで、自分のためにショートケーキを買うことにした。
オッサンがひとりで、自分のためのショートケーキを買うことほど、ミジメなものはない。
奇しくもこの日、DVDマガジン「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」が入荷されていたので、書店でさっそく購入する。
誕生日に入荷されるとは、まさにこれは自分への誕生日プレゼントだな。
世にいう「傑作」と、自分の中の「ベスト」が異なる、というのは、よくあることである。
たとえば、作家の小林信彦氏は、黒澤明監督の映画で自分の中のベストをあげるとすれば「野良犬」である、と書いている。「七人の侍」ではなく、である。
それと同じで、「男はつらいよ」シリーズの中で、私の中のベストをあげるとすれば、この「寅次郎純情詩集」なのである。
一般には、「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」か、「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」が、シリーズ中のベスト、と考えられているだろう。私もこの2作は、たしかに傑作だ、と思う。
だが、個人的なベストをあげるとすれば、この地味な「純情詩集」なのである。
「相合い傘」が恋愛劇、「夕焼け小焼け」が人情劇だとすれば、「純情詩集」は悲劇である。
寅次郎は、自分より10歳ほど年上の、旧家の「お嬢様」(京マチ子)に恋をする。
ところが、この「お嬢様」は、余命幾ばくもない。
映画の中盤で、「お嬢様」の娘(壇ふみ)が、寅次郎の妹・さくら(倍賞千恵子)にこの事実を打ちあけることで、映画の観客も同時に知ることになる。だが本人はもちろん、寅次郎やその他の人たちにも、このことは知らされない。
つまり、「お嬢様」の娘、さくら、そして観客だけが、このことを知っているのである。何も知らない寅次郎は、「お嬢様」を元気づけようと、バカな話をして笑わせたりする。
いつもなら笑えるのだが、観客は、このあと起こるであろう悲劇を予想しているので、寅次郎の語る笑い話が、よけいに悲しく思えてくる。
つまりここで、観客は、妹のさくらに感情移入して、寅次郎を眺めることになるのである。
かくして、シリーズ中で最も悲しい結末を迎えることになるのだが、前半部で劇中劇として登場する徳富蘆花の「不如帰」がその後の展開を暗示させるなど、喜劇と悲劇が交錯する演出は、山田監督の真骨頂である。
そう、喜劇と悲劇は紙一重なのである。
そして私がこの作品をベストにあげるもうひとつの理由は、旅の一座である「板東鶴八郎一座」がここでも登場するからである。
長野県の別所温泉で、寅次郎は偶然、旅の一座と再会する。寅次郎は、彼らの芝居「不如帰」を見たあと、金もないのに、座員たちにごちそうをふるまい、彼らを勇気づける。
一晩かぎりの再会。翌朝早く、旅の一座は次の公演先に移動する。トラックの荷台に乗った座員たちが、旅館の2階にいる寅次郎に別れの挨拶をする。
旅館の窓から寅次郎が手をふってさけぶ。
「しっかりやれよ。またいつか日本のどこかで、きっと会おうな」
お互い、どこの誰かもよくわからない。次はいつ会えるのかもわからない。
たぶん、誰にでもそんな人はいるだろう。
だから私は、このささやかなエピソードに共感してしまうのだ。
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