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2012年1月

謎のタカダさん

1月30日(月)

久しぶりにお会いしたNさんのことを書いていて、思い出したことがあった。

大学時代の夏休みの「山中での調査」の参加者で、ひとり、明らかに学生でない「おじさん」がいた。タカダさんというおじさんである。

おそらく当時、30代半ばくらいだったのだと思うが、大学1年の私からすれば、ひどく「おじさん」に見えた。痩せぎすで、ヒゲをはやし、髪はボサボサで、わかりやすいたとえでいうと、俳優の草野大悟みたいな感じの人だった(といってもわからないか?)。どことなく、「住所不定」という雰囲気の風体をただよわせていた。

タカダさんは、最初から最後までずーっと、熱心に「山中での調査」に参加していた。夜になるとベロベロになるまで酒を飲んだ。私たち学生も、タカダさんに負けじと、酒をたくさん飲んだ。つまり私の「お酒」は、タカダさんやNさんに鍛えられたのである。

いろいろな先輩の話を聞いているうちに、タカダさんの素性が、おぼろげながら見えてきた。タカダさんは、美大出身の芸術家であるという。だが、芸術だけではメシが食えないので、ふだんは、小学校の夜間警備の仕事をしているらしいとのことだった。「山中での調査」に参加しているのは、こういう調査が好きでたまらないから、仕事の休みを取ってきているのだという。

机に向かって勉強ばかりしていた私にとっては、これまでお目にかかったことのないようなタイプの人だった。調査に参加した私たち学生たちはみな、その人間味あふれるタカダさんを慕っていたのである。

タカダさんとお会いするのは、「山中での調査」の時だけである。「山中での調査」が終わると、タカダさんと会う機会はなくなった。

ところがそれから数年後、たしか私が大学院に入ったばかりのころだったと思う。「山中での調査」で一緒だった人から、連絡が来た。

今度、タカダさんが銀座のギャラリーで個展を開くという。そして、その個展が終わったら、東京の住まいをひきはらって、故郷の九州にもどり、そこにアトリエを作って芸術活動に専念するらしい、というのである。

私は、「山中での調査」で一緒だった友人数人と、タカダさんの個展を見に行くことにした。差し入れには、タカダさんの大好きな日本酒の一升瓶を買っていった。

はじめて見る、タカダさんの作品である。

山奥で、きったねえ格好をして飲んだくれている姿しか知らない私たちにとって、それは意外な感じがした。

しばらくすると、奥からタカダさんが出てきた。

一升瓶を渡すと、「このあと、飲みに行こう」とタカダさんが言う。私たちは、銀座の安い居酒屋で、タカダさんと酒を飲んだ。

タカダさんは、いつものようにベロベロに酔っぱらった。正体がなくなるまで飲むというタカダさんの姿は、やはり以前と同じだった。

店を出るときも、かなり足もとがおぼつかない。

「大丈夫ですか?帰れますか?」個展は明日が最終日なのだ。

「大丈夫だ。心配するな」酔っぱらいが必ず言うセリフである。

「おい」ふらつきながら、タカダさんが私を呼んだ。

「おい、明日あいてるか?」

「えっ?」

私は一瞬逡巡した。明日もこのおじさんにつきあって飲まされるのだろうか、と思ったのである。

「ちょっとの時間でいいんだ。個展に顔を出せるか?」

「ええ。夕方なら大丈夫です」

「そうか。じゃあ悪いが来てくれ。きっとだぞ」

酔っぱらいの戯れ言だろうか、と思った。それに、なぜ私にだけ「来い」と言ったのか、謎である。

不安を感じながら、翌日の夕方、ひとりで個展の会場に向かった。

すでに個展も終わり、作品の片づけ作業が慌ただしく行われていた。

「おお、来てくれたか」タカダさんが私に気づいた。「ちょっと待っていてくれ。わたしたいものがある」

そういうと、いったん奥の部屋に入り、何かをとってもどってきた。

「これをわたそうと思って」

それは、1本のカセットテープだった。

私が不審に思っていると、タカダさんが説明した。

「これは、うちのカミさんが自主製作したものでね。カミさんが歌っているんだ」

見ると、カセットテープのジャケットには、きれいな浜辺の写真と、タイトル、そして、タカダさんの奥さんの名前がレイアウトされていた。美大出身のタカダさんがデザインしたものだろうか、と想像した。

それにしても、突然のことで、何が何だかわからない。

政治活動とか宗教への勧誘か何かだろうか、などと、一瞬そんな考えもよぎったが、そういうものではなかった。

「これを、僕に…ですか?」

「うん、ぜひ聴いてもらいたいと思ってな」

ますますわからない。だいいち私は、タカダさんの奥さんには会ったことすらないのだ。

「ありがとうございます。帰って必ず聞きます。タカダさん、いよいよ東京を離れるんですね」

「ああ」

「どうかお元気で」

「お互いにな」

そして慌ただしく、ギャラリーを後にした。

家に帰って、もらったテープをさっそく聴いてみた。

みずみずしい歌詞と、透明感のある歌声がとても印象的だった。歌詞カードによれば、歌はすべて奥さんの自作のもので、ジャケットのきれいな写真は、やはりタカダさんが撮影したものだった。

くり返し聞いてみたが、それにしてもよくわからなかった。

タカダさんはなぜ、このカセットテープを私にだけくれたのだろう?

なぜ、わざわざ私を呼び出してまで、渡そうとしたのだろう?

謎である。

いま、タカダさんはどうしているのか。いまも、故郷の九州で芸術活動に専念しているのだろうか。

ふたたび会う機会は、あるだろうか。

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酒豪先輩

1月28日(土)

午後、東京のある場所で、同業者100人あまりが集まる会合である。私がいちばん苦手とする集まりである。

山崎豊子のドラマに出てくるような、権威的な感じのする会場で、偉い人たちが挨拶をはじめた。

挨拶が終わると、しばしの間、顔合わせをかねた立食形式の昼食である。その後、各グループに分かれて会議をすることになっていた。

会場を見渡すと、懐かしい人たちがたくさんいたので、少し安心した。

学生時代にお世話になったNさんもその1人である。

大学時代、私は悶々とした時間を過ごしていたが、唯一、「青春」っぽい時間を過ごしたのが、夏休みに参加した「山中での調査」である。

この時の思い出については、以前に書いた

Nさんは、この時の調査で中心的な役割を果たした先輩で、私が大学1年の時、ある大学の大学院生をしていた。

この調査は苛酷だった。電気も水道もない山中にテントをはり、そこで生活をしながら調査をするのである。2週間、いや、長い人は1カ月間も滞在した。

昼間の調査が終わると、当然、何もやることがないので、お酒を飲むか、アカペラで歌を歌うくらいしか楽しみがない。私の「お酒」は、この時に鍛えられたといってよい。

調査を主導するNさんは、当時から「酒豪」として有名であり、この調査にはまさにうってつけの存在だったのである。

当時1年生だった私は、右も左もわからなかったが、Nさんをはじめとする先輩方に、とてもお世話になった。そのご縁で、他大学の、しかもまったく専門分野が違うにもかかわらず、その後もいろいろな調査に連れていってもらったりしていた。といっても、私は調査ではまったく役に立たないから、もっぱら夜になると調査先の民宿でお酒を飲んでいたくらいである。

卒業後はほとんどお会いすることがなかったが、広い意味での「同業者」として、ごくたまに、お会いすることがあった。昨年も、久しぶりにみんなで集まって飲もうと電話をいただいたが、私の方の事情により、その集まりには参加しなかった。だからお会いするのは数年ぶりである。

「久しぶりねえ」とNさん。

「ほんと、久しぶりです」

「今日の出席者の名前を見たら、懐かしい人の名前が多くて嬉しくなっちゃって」

これから会議だというのに、立食形式の昼食にはビールが並んでいた。

ビールを注ぎながら私が言う。

「今でも酔っぱらうとTさんのところに電話をするんでしょう?」

Tさんというのは、やはり学生時代に一緒に調査をした仲間である。Nさんは、酔うと電話をかけるクセがあるらしい。

「何で知ってるの?」

「昨年の夏、Tさんの職場で仕事をしたんですよ」

「ああ、聞いた聞いた。そのときT君からメールが来たのよ。『いま、M君がうちの職場に来ています』って。うらやましいなあって思って」

Tさんもこの仕事のメンバーだったが、今日は都合で来られなかった。

「でも、あのとき飲んだくれていた私たちが、こうしてここまで来たんだねえ。さっきもSさんとそんな話をしていたのよ」

Sさんというのも、その調査の中心メンバーだった先輩である。

私は、いろいろな理由から、今日のこの仕事にあまり気乗りしていなかったが、Nさんのような感慨は私にも許されるだろう、と思った。

立食形式の昼食が終わり、今度はグループに分かれてマジメな会議である。それが2時間ほど続き、午後4時過ぎに会合はお開きになった。

このまますぐに帰るのももったいないので、知り合い数人と、近くの店でビールを飲むことにした。

ビールを飲みながら話をしていると、携帯電話が鳴った。Nさんからである。

「いま、どこにいるの?」

明らかに、酔っている様子である。

「○○○の地下の店です」

「じゃあ飲んでいるのね。それならよろしい」

よろしい、の意味がわからない。

「どちらにいらっしゃるんです?」

「私もね…どっかの建物の地下!」

Nさんは、Nさんのグループで集まって飲んでいるのだろう。

「さっき、ちゃんと挨拶できないまま終わったんで、挨拶しようと思って」とNさん。

「そうですか。また今度、一緒に飲みましょう」

「そうね。絶対だよ」

「わかりました」

電話を切る。時計を見ると、もう帰らなければならない時間である。今日は妻の実家で夕食を食べると宣言していたのだ。

一緒に飲んでいたメンバーと別れ、お店を出ようとすると、「あああああぁぁぁぁ!!!」という声がした。声のする方を見ると、Nさんが私を指さしている。

なんとNさんたちのグループも同じ店にいたのである。Nさんだけではない。そのグループには、懐かしい人たちがたくさんいた。

「なあんだ。同じ店にいたんですか」

「なに、もう帰っちゃうの?」

「ええ、今日は早く帰るって言ってしまったもので」

「せっかく久しぶりだっていうのに…」

まだ夕方6時過ぎだというのに、Nさんはかなりできあがっているようである。

「あんまり飲みすぎないようにしてくださいよ」私はNさんにくぎをさして、店を出た。

翌日、Nさんからメールが来た。

「やっぱり飲みすぎました。でも昨日は、久しぶりにみなさんと会えて、とても嬉しかったのです」

私は、Nさんが「飲みすぎた」様子が目に浮かんだ。たぶん、学生のころとあまり変わっていないのだろう。

もう25年近くも経っているのに、学生時代の関係性が変わらずに続く場合もある。

そういう関係は、たぶん貴重なのだと思う。

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ルクエは私を救うか

1月27日(金)

昨年、足の痛みにさんざん悩まされた。

その反省から、今年の目標は、「健康的な食事」である。

とにかく、このままの生活を続けていては、生命に関わるのである。

なので最近は、家で料理をするときは、「キャベツの蒸し焼き」ばかりを作っている。

かぐや姫ではないが、「キャベツばかりをかじってた」(「赤ちょうちん」)といった心境である。

「ルクエがいいですよ」と、知り合いにすすめられた。

「ルクエ?」

ルクエとは、シリコン素材の蒸し器で、電子レンジで簡単に調理ができるという。

「ブロッコリーなんて簡単に調理できて、しかも味がぜんぜん違うんですから」

駅前のデパートに売っているという情報を聞いた。

買いに行くとしたら、今日くらいしか時間がないなあ。

インターネットで、開店時間を調べてみると、午後6時半まで、とある。

ろ、6時半???

デパートって、そんなに早く閉まったっけ?

夕方、職場を早く出て、歩いて駅前のデパートに向かうことにした。

おりしも外は、大雪である。

(まあ仕方ない。今日くらいしか買いに行く時間がないんだからな)

それにしても、商品名が覚えにくい。

近ごろめっきり記憶力が低下したせいもあるが、何より「意味のわからないカタカナ3文字」が、ぜんぜん覚えられないのだ。

(ルではじまることは覚えているんだが…)

ルケラ?ルケア?ルキエ?ルピカ?ルタオ?

出かける前にもういちど確認。ルクエである。

雪道を、商品名を忘れないように、

(ルクエ、ルクエ、ルクエ、ルクエ…)

と唱えながら歩くことにする。まるで「はじめてのおつかい」だな。

吹雪の中、ようやくデパートに着いた。

7階の食器売場に行くと、シリコン素材の蒸し器は並んでいるのだが、いずれも他社のもので、ルクエが見つからない。

(ひょっとして、ガセか?せっかくここまで歩いてきたのに…)

店員さんに聞いてみることにした。

「あのう、ルクエってどこにありますか?」

「何でしょうか?」

「ルクエです」

「ルクエ…」

店員さんは知らない様子である。

「電子レンジで調理する、シリコン素材の容器なんですけど」

「ああ、わかりました。こちらです」

さっき私が見た場所に案内された。

「いまだと、ここらへんがよく売れてますよ」店員さんは、他社の容器を指さした。

「ルクエじゃなきゃダメなんです!」と私。

店員さんが必死に探すと、一番下に、まるで陰に隠れるように、ルクエがあった。

「ありました」

こんな、一番下に置かれていて、ルクエって、本当に有名なのか?

「大きいルクエと、小さいルクエがありますが、どちらになさいますか?」と店員。

これが昔話だったら、「小さいつづら」を選んだ方が幸せになる、というものである。

だが私は、欲張り爺さんなのだ。「大きい方にします」と言って、大きい方を手にした。

「ありがとうございます。5000円です」

ご、5000円???

そういえば、ルクエがいくらするかなんて、気にもとめていなかった。まさか、あんなプニョプニョの容器が5000円もするなんて。だいいち、1000円以上の調理器具なんて、これまでほとんど買ったことがないのだ。

だが、私の生命に関わることなので、大きいルクエを買うことにした。

そうなると、すぐに家に帰って、ブロッコリーを調理したくなるものである。

だが私には、まだやることがあった。散髪屋に行ったり、駐車場の雪かきをしたり、車にガソリンを入れたり、いろいろと忙しいのだ。

散髪している間も、頭の中はルクエとブロッコリーのことでいっぱいである。

ぶ、ぶ、ぶ…

ぶろっこりいいいぃぃぃぃぃー!

と叫びたい気分である。

ようやく散髪が終わり、駐車場の雪かきをして、車にガソリンも入れて、スーパーにブロッコリーを買いに行く。ほかにも、ルクエで調理できそうな野菜を買ったりする。

家に戻り、いよいよ調理開始である。

切ったブロッコリーをルクエに入れて、オリーブオイルを少しかけて、電子レンジで1分ちょっと。

あっという間に完成である。

付属のレシピに書かれているとおり、塩こしょうをかけて、粉チーズを少し振りかけて、食べてみる。

これが、ビックリするくらい美味しい!!!

あっという間に平らげる。

次に、小松菜を切ってルクエに入れ、ごま油を少しと、塩少々。電子レンジで2分。

これも美味しい!完全な「ナムル」である。

今度は、スライスしたジャガイモとベーコンを入れて、ルクエに入れて電子レンジへ。

これもまた、簡単で美味しい。

そんなことをくり返していくうちに、あっという間にお腹いっぱいになって動けなくなってしまった。

ルクエの難点を、1つだけ発見した。

つい、食べすぎてしまう、ということである。

…あ、これはオレの問題か。

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灰色の男、羊の木

1月26日(木)

東京で学生をしていたころ、「シティボーイズ」という3人組のコントライブを、よく見に行っていた。

若い人は、「シティボーイズ」なんていったって、わからないだろうな。

大竹まこと、きたろう、斉木しげる、というおじさん3人組のコントグループである。

まだ20代のころ、「けったいなおじさんたちがいるもんだ」と思っていたが、いまや私も、そのころの3人の年齢になっていて、十分に「けったいなおじさん」である。

私が好きなコントに、「灰色の男」と題するものがある。

ある団地に、「幼女誘拐殺人」の容疑者として逮捕された一人の男(斉木しげる)が住んでいた。のちにその男は裁判で無罪になった。

だが団地の自治会で、そのことが問題となり、その男に団地から退去してもらうことが決まった。

自治会から選ばれた2人(きたろう、大竹まこと)が、何とかその男に退去してもらおうと、説得にあたることになる。

2人のうちの1人(きたろう)は、無罪となったその「男」をあいかわらず犯罪者あつかいして、団地から何とか追い出そうと思っている。だが「犯罪者」という偏見が、逆に彼を震え上がらせて、妄想が広がってゆく。

それに対して、もう1人(大竹まこと)は、これに真っ向から反対する。無罪だということは、一般市民と同じであり、偏見の目をもって団地から追い出すことは、許されないことだからである。そこで彼は、「男」に対する極端なまでの偏見をとりのぞこうと、必死に反論する。こうして、2人は口論になる。

その二人のやりとりが、実におもしろい。おもしろい、というか、考えさせられるのである。自分がこの立場だったら、どう考えるだろうか。やはり偏見のまなざしで見るだろうか、それとも、そうした偏見にとらわれないでいられるだろうか…。

当然自分は後者だ、と誰しも思うだろう。だが、斉木しげる演じる「灰色の男」の、妙に神経質で、時折見せる狂気の表情は、「あるいはひょっとして…」という気にさせるのである。この3人の芝居は、見事というほかない。

もはやこれはコントではない。日常にひそむ、ちょっとしたホラーである。

どうしてこのコントを思い出したかというと、最近、山上たつひこ原作・いがらしみきお作画の『羊の木』という漫画を読みはじめたからである。まだ1巻しか出ていないが。

山上たつひこ、若い人は知らないだろうなあ。『がきデカ』を描いた漫画家。

人口減少に悩む地方都市が、あるプロジェクトをたちあげる。それは、刑期を終えた犯罪者11名を町で受け入れて、一般市民として住まわせる、というプロジェクトである。

出所した人たちはいずれも、凶悪な事件を起こした人たちばかりである。

このプロジェクトについて知っているのは、町長を含む3名。それ以外の市民は、この事実を知らない。つまり彼らの素性を知るのは、3人のみである。

だが彼らの素性を知る3人は、「刑期を終えたのだからもはや一般市民なのだ」と思いながらも、心のどこかで、また何か事件をおこすのではないか、と恐怖を感じている。一方で、いやいやそれは偏見なのだ、ふつうに接しなければダメなのだ、と強く思う。その2つの感情の間で、激しく揺れ動くのである。

何かが起こりそうで起こらない。「笑い」とも「恐怖」ともつかない感覚。この微妙な感覚が、さきの「灰色の男」のコントと通ずるのである。

はたして自分は、自分の中にある「偏見」をどれだけ自覚しているだろうか。それを試されているような気がしてならない。

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些細な発見

1月25日(水)

同じものをくり返し読んで、よくもまあ飽きないものだ。

と言われそうだが、何でもくり返し読むと、些細なことだが、発見がある。

山本周五郎の短編小説に、「夜の蝶」という名作がある。

詳しい内容は書かないが、下町の居酒屋で、酔っぱらった老人が、「おめえたちはなんにもわかってねえ」といって、次のようなことを叫ぶ。

「人間なんて悲しくって、ばかで、わけの知れねえもんだ。人間なんてものは、みんな聾で盲目で、おっちょこちょいなもんだ。ざまあみやがれ」

このセリフは、この作品全体を貫くテーマを語ったものともいえるが、今回読み返して、思い出したことがある。

黒澤明監督の映画「七人の侍」の、菊千代(三船敏郎)のセリフである(また「七人の侍」の話かよ!)。

「百姓ってのはな…けちんぼで、ずるくて、泣虫で、意地悪で、間抜けで、人殺しだア!!ハハハハ…おかしくって涙が出らア!!」

菊千代のセリフはこのあと、「でもな…そんなけち臭いけだものを作ったのは誰だ?…お前たちだぜ!…侍だってんだよッ!」と続く。

農民出身である菊千代が、侍たちに対して、自虐的に語る「百姓」観は、「夜の蝶」で酔っぱらいの老人が叫ぶ、「人間の弱さ」に対する眼差しと、じつによく通じている。

ひょっとして、この菊千代のセリフは、「夜の蝶」のこのセリフが意識されているのではないか?

黒澤明監督が、山本周五郎の愛読者だったことはよく知られている。実際、のちに黒澤監督は、「椿三十郎」「赤ひげ」「どですかでん」など、山本周五郎の小説を次々と映画化している。黒澤監督の脚本を、没後に別の監督が映画化した「雨あがる」(小泉堯史監督作品)「海は見ていた」(熊井啓監督作品)は、いずれも山本周五郎の小説が原作である。

しかし、よく調べてみると、そう一筋縄にはいかない。

「夜の蝶」が最初に発表されたのは、雑誌「家の光」1954年6月号である。対して、「七人の侍」が公開されたのも、1954年4月である。つまり、両作品は、ほとんど同時期に発表されているのだ。

つまり、どちらかがどちらかを参照したとは考えられないのである。

もちろん、この手のセリフは、ありがちのセリフである。だから両者には何の関係もない、と言ってしまえばそれまでだが、私にはどうもそうとは思えない。

山本周五郎の作品を自らの血肉としている黒澤明だからこそ、このようなセリフが書けたのではないか、と思う。それはつまりは、人間に対する眼差しという点において、二人は同じ視点に立っている、ということなのだ。

それが、ほぼ同時期に、似たようなセリフを生みだしたのである。

私はそこに、山本周五郎と黒澤明の、想像以上に深いつながりを感じてしまうのである。

…ま、そんな発見をしたところで、別にどうということでもない。

だが、どうということのない発見の中にこそ、作品の本質があらわれているように思えるのだが、まあ、これは負け惜しみかも知れない。

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上野の森に「あいつ」がやってきた

1月22日(日)

上野の森に、中国から「あいつ」がやってきた。日本初上陸である。

正月2日から、今度の火曜日まで見ることができるという。

先日、正月休みに見に行こうと、妻に提案したが、

「バッカじゃないの。正月の2日とか3日なんていったら、混んでいて見られるわけないじゃないの」と一蹴され、諦めた。

この週末が、私にとってのラストチャンスである。

「日曜日に見に行きたいんだが」と、ふたたび妻に提案すると、

「この前、平日の水曜日の午前中に、後輩たちが見に行ったんだって」

「ほう」

「そしたら、240分待ちだったって」

に、240分待ち???

「ふつう、『240分待ち』だなんて言われても、実際には意外とスムーズに列が進んで、それほど待たされなかった、なんてことがあるでしょう」

「うん」

「でも、そのときはその通り『240分待ち』だったんだって」

「平日に?」

「そう。開館前から並んでいたそうなんだけど…。そうそう、『240分待ち』っていったって、建物に入ってからの待ち時間ね」

「どういうこと?」

「外で待っている時間は別。それは70分待ち」

な、70分待ち???

「つまり、キンキンに冷えた外で70分待って、それから建物の中で240分待つ、ということ」

妻は、明らかに行きたくなさそうである。

「それに、聞いた話では、『それ』はガラスケースの中にあって、小さくてよく見えないし、しかも係の人がトラメガ(トランジスタ・メガホン)で『立ち止まらないでくださーい』と叫んでいるから、立ち止まったら怒られるみたいよ」

うーむ。これではまるで、日本に初めて来たときのパンダと同じではないか。

私が小学生のころ、上野の森に初めてパンダがやってきた。

そのときも、ビックリするくらいの行列ができて、ずいぶん長い間待たされた記憶がある。係の人が「立ち止まらないでくださーい」とトラメガで叫ぶから、止まらずにパンダをチラ見しただけだったのだが、パンダは遠くの方にいて、やる気のなさそうな感じだったし、なんだかよくわからなかったことを思い出した。

あと、大阪万博の時の「月の石」ね。こちらの方は、私がまだ生まれて間もないころなので記憶はないが。

「どうするの?行くつもりなの?」

「そうねえ。せっかくだからねえ」と私。

「たんに並んで見に行ったことを自慢したいだけなんじゃないの。見に行った後輩たちもそんな感じだったし」

いつもながら図星である。

「どうしようかなあ」例によって私が迷っていると、

「私は行きませんけど、行きたいのなら、どうぞおひとりで行ってください。ま、考えようによっては、建物の中で240分待たされるのにくらべると、東京でこの冬いちばんの寒さといわれているこの週末に、外ではたった70分しか待たされないんだし」

「たった70分しか待たされないんだし」という逆説的な言い方が、ズキっと心に突き刺さる。

「それに、やっと目の前に来たと思ったら、立ち止まらずにさーっと見ることができるんだからねえ」

ま、結局は「行くな」ということである。

「ちなみに、正月の2日と3日は、ほとんど並ばずに見られたらしいよ」

ええええぇぇぇぇっ!

ということで、見に行くことを諦めた、というお話でございました。

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もよおす顔

1月21日(土)

金曜日の夕方に東京で研究会があり、翌土曜日も朝から夕方まで研究会があったため、すっかり疲れてしまった。

それにつけても癒されるのは、生後1カ月ほどになる姪である。

お正月に会って以来、20日ぶりくらいであるが、ずいぶんとふっくらしてきた。

いま、私の携帯電話の待ち受け画面は、姪の寝顔である。

この日の夜、久しぶりに対面した姪の写真を撮って、新しい待ち受け画面にしてやろうと、携帯電話を構えた。

せっかくだから、寝顔ではなく、目が開いている表情を撮ろうとするが、なかなかうまくいかない。

「お、いま目が開いたぞ!チャンスチャンス」

しかし、それまで涼しげな表情だった顔が、シャッターを押す瞬間になると、なぜか「うつろな目」になる。

「ったく、めんどくせーな」

と言わんばかりの表情になるのである。

思い切り顔に近づけて何度かシャッターを押すが、やはりいい表情が撮れない。

うーむ。嫌われてるのかなあ。

と思った瞬間、

ブリブリブリブリブリッ!

な、なんだなんだ???

またやりましたな」と妻。

御子(おこ)は澄まし顔で、

ブリブリブリブリブリッ!

と何度も音をさせている。

急いでおむつをとると、ビックリするくらいの量のうんちである。

「これまでに見たことのない量のうんこですよ」と義妹。

やはり私は、「もよおす顔」だったか。

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ジュブナイル名画

1月20日(金)

午前の授業で、魂が別の肉体に宿る、という昔話を紹介した。

…というか、授業で何の話をしてるんだ?

その話を紹介しているうちに、私が中学生の時に見た映画「転校生」のことを、急に思い出した。

男の子と女の子の心と体が入れ替わる、というお話。

ま、我々の世代にとって、最高の青春映画である。もちろん、私の大好きな映画である。

なにしろ大学生の時に、尾道まで行ってロケ地めぐりしたもんね。

そのことを急に思い出したので、学生たちに話してみた。

「みなさん、『転校生』って映画、知っていますか?」

しーん。

そりゃそうだ。だって今の学生たちが生まれるはるか前の映画だもの。

するといちばん前に座っていた3年生のN君が、ポツリと言った。

「知ってます。小林聡美が出ていた映画ですよね」

「そう!その通り。あと尾美としのりね」

というか、N君は何でそんな古い映画を知ってるんだ?

今の大学3年生が、1990年に生まれたとして、「転校生」は1982年に公開されたから、生まれる8年前の映画である。

これを自分に置きかえてみる。

生まれる8年前に日本で公開された映画というと、

黒澤明監督「悪い奴ほどよく眠る」、ビリー・ワイルダー監督、ジャック・レモン主演の「アパートの鍵貸します」、アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」など。

「アパートの鍵貸します」や「太陽がいっぱい」は、古きよき名画として、大学生のときにたぶん見ていたと思う。「悪い奴ほどよく眠る」は、さすがに大学生の時には見ていないが、ほかの黒澤映画は見ていたかも知れない。

ということは、彼らにとっての「転校生」は、私にとっての「アパートの鍵貸します」くらいの感覚の映画なのか。

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長生きしたもん勝ち

1月19日(木)

夕方、久しぶりに「丘の上の作業場」に行く。今年に入って初めてである。

世話人代表のKさんと会うのも久しぶりである。

「年末に、泊まりがけで『おじいちゃん先生』たちの集まる忘年会に参加したんですよ」とKさん。

「ああ、他の方に聞きました。なんでも深夜3時ごろまで飲んでたって話じゃないですか」

「とにかくおじいちゃん先生たち、よく喋るんですよ。まあ楽しかったんですけどね」

「みなさんお元気ですねえ」

「それで、ひとつ発見したんです」

「何をです?」

「大学生の若者たちって、まだ20年くらいしか生きてないじゃないですか。だから、そんなに喋る話題もないと思うんですよ」

「ほう」

「でも、おじいちゃんたちって、80年も生きていますからね。思い出話にしたって、80年分あるわけですよ。だからまあ話題の尽きないこと!もうビックリしました」

「なるほどねえ」

つまりは、「長生きしたもん勝ち」ということである。

そう考えると、老いるのも楽しいかも。おじいちゃんになったら、いろんな人たちと茶飲み話をして、喋りたおしてやろう。

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冬の若葉

1月18日(水)

さだまさしの「夢の吹く頃」は、私が高校生のころに見た時代劇「五稜郭」の主題歌だった。

その中に、

「時代(とき)を越えて生き続けて

今枯れかけた大きな樹

けれどもその枝さきで

今年の若葉が生まれてる」

という歌詞がある。

何でこんなことを思い出したかというと、4年生の卒論が一段落して、今度は3年生が、進路に向けて大きく動き出しているからである。

毎年この光景を見ている私にとっては、まるで新しい若葉が芽吹いていくような感覚にとらわれるのである(といっても、4年生を「枯れかけた木」にたとえているというわけではないので、誤解なきよう)。

この前の月曜日(16日)は、新年最初のクリーニング作業だった。1年生から4年生までの数名が来てくれた。

しばらくあいだが空いてしまったが、それでも忘れずに来てくれるのはありがたい。

作業の当初から中心になって活躍してくれた4年生のT君も、もうすぐ卒業である。あとは、うまく後輩に引きついでくれるのを祈るのみである。

久しぶりに来てくれた3年生のN君がいう。

「明日、企業の説明会で東京に行くんです」

作業をしながら、「就活」の話になる。

「交通費や宿泊費もバカにならないでしょう」

「ですのでネットカフェに泊まっています」

なるほど。

「でも、つい漫画を読んじゃって、結局寝不足になったりするんです」

それで説明会で爆睡なんかしたら、何のために東京に行ったのかわからない。

ま、タフで前向きなところが取り柄のN君だから、大丈夫だとは思うが。

さて今日の夕方、図書館でコピーをとっていると、今度は3年生のUさんが通りかかった。

「あ、先生こんにちは」

「やあ」

元気そうな様子である。

「あのう、明日と明後日に企業の説明会があるので、授業を欠席させていただきます。すいません」

「わかりました。もうはじまっているんだね。そういえば、今度の28日と29日に…」

「合同説明会ですよね。もちろんそれにも行きます!」

どこまでも前向きなUさんである。

「じゃあ、がんばってください」

「はい、がんばります!」Uさんはニッコリ笑って小さくガッツポーズをとった。

明るくて前向きだなあ。なんか、ここ2,3日のどんよりした気持ちが、すげー癒されたわ。

いつも思うが、励まされるのは、むしろ私の方なのである。

外は雪に覆われているが、その下には若葉が芽吹いているのかも知れない。

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再度「花咲く春が来れば」

1月16日(月)

まったくもって、絶不調な日である。しばらくは、面白い話なんぞ書けないぞ。

「なぜ、同じ映画をくり返し見るのか?」

と、いつも言われる。

たぶん私は、理解力がいちじるしく欠如しているのだと思う。だから同じ映画も、1度見ただけではよくわからず、何回か見て、ようやく理解できるようになるのであろう。

B58b20f9ddb5fec9caeb28454a134f2e チェ・ミンシク主演の映画「春が来れば」(原題:花咲く春が来れば」)を、もう一度見た。

いつかオーケストラの一員になりたい、と思いながら、なかなかうまくいかず、中年にさしかかったトランペット奏者・ヒョヌ(チェ・ミンシク)。彼は、ソウルを離れ、炭坑のある、雪の多い地方都市の中学校の吹奏楽部の顧問として赴任する。

雪の多い地方都市にひとりで生活するさえない中年は、吹奏楽部の生徒たちとふれあいながら、しだいに人間的な成長をとげてゆく。

1回目に見たときは、それほどでもなかったのだが、今度は見ているうちに涙があふれてとまらなくなった。

たいした事件がおこるわけでもない。言ってみれば、平凡なストーリーである。だが、ひとつひとつのなんでもないシーンが、とてもよいのだ。

ほんの些細なシーンにも、意味があることに気づく。

たとえば、映画の後半、海岸で、ヒョヌ(チェ・ミンシク)の教え子のジェイル(イ・ジェウン)が吹くトランペットの曲を、ヒョヌの元恋人・ヨニ(キム・ホジョン)が聞く場面。

その曲は、むかしヒョヌがヨニのために作った曲だった。ジェイルはそうと知らず、この曲を気に入り、大好きな祖母に聞かせようと、この曲を練習する。だが、孫の演奏を聞くことなく、祖母は事故で死んでしまう。

祖母に聞かせることができなかった曲を、ヨニの前で演奏するジェイル。そして、かつての恋人が自分のために作ってくれた曲を、ジェイルを通じて、思いがけず聞くことができたヨニ。

何でもないシーンだが、万感の思いがこもった、名シーンである。

…ま、映画を見ていないと、何が何だかわからないだろうな。ちなみに、ジェイル役のイ・ジェウンは、『大統領の理髪師』で主人公のソン・ガンホの息子役もやっている、名子役である。日本の例でわかりやすくたとえるならば、伊嵜充則みたいな感じ。

書き出すときりがないが、わからないついでにもうひとつ。

主人公のさえない中年、ヒョヌ(チェ・ミンシク)が、母親(ユン・ヨジョン)に電話をするシーン。

焼酎を飲んで酔っぱらったヒョヌは、感傷的になったのか、電話の向こうの母に泣きじゃくりながら言う。

「オンマ(お母さん)。オレ、最初からやり直したい。何もかも全部、やり直したい」

母が答える。「これからが始まりじゃないの。何をやり直すことがあるの」

いい年こいたオッサンが、泣きじゃくって母親に電話するなど、若者には想像もつかないだろう。だが同じオッサンには、その気持ちがよくわかる。オッサンだって、泣くのだ。

ひとつひとつのシーンに出てくる、ヒョヌ(チェ・ミンシク)の些細な行動、表情、気持ちの移りかわりが、なぜか手にとるようにわかるのだ。

(ヒョヌは、このオレだ…)

映画は、そのときの体調などによっても印象が変わる。たぶん、いま自分の心が「アレ」だからかも知れない。映画は、見る側のコンディションがずいぶん関係しているのだ。

ああ、久しぶりに楽器を吹いてみたい。

そんなことを思った1日。

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向田邦子への恋文

数年前、漫才師の太田光が、数回にわたって向田邦子について語る、というテレビ番組があった。

その番組を見て以来、「あの」太田光が熱っぽく語る向田邦子とはどういう人なのか、なぜ向田邦子はいまだに愛され続けているのか、に興味を持った。

向田邦子は、脚本家である。

私がちゃんと見たドラマは、NHKで放映した「阿修羅のごとく」くらいしかない。

ドラマよりも、人物に興味を持ったのである。

演出家の久世光彦が書いた『向田邦子との二十年』(ちくま文庫)を読んで、その興味はさらに高まった。

この本は、全編が向田邦子に対する「思い」にあふれている。ひとりの人間に対して、これほどの思いを込めて書いた本を、私は知らない。

向田和子著『向田邦子の恋文』(新潮文庫)もまた、衝撃的である。

向田邦子は、飛行機事故で突如この世を去る。今から30年も前のことである。

遺品を整理していた妹の和子は、ひとつの茶封筒を見つける。

没後20年たって、気持ちの整理がついた妹の和子は、ようやくその茶封筒をあける。そこには、ある時期に交際していたN氏に宛てた手紙、そして、N氏から向田邦子に宛てた手紙、さらには、N氏の日記が入っていた。家族も知らなかった向田邦子の意外な一面である。

『向田邦子の恋文』の前半は、向田邦子がN氏に宛てた5通の手紙と、それに対するN氏の返事、さらには、向田邦子に関わるN氏の日記で構成される。そして後半は、妹・和子の姉に対する思いが語られる。

「恋文」といっても、情熱的な表現にあふれているわけではない。日常の、ごくありふれた生活を書きつづった手紙である。だが、たった5通の手紙の中に、おそらく誰にも見せなかったであろう、向田邦子の「素」の部分があらわれている。

誰に見せるつもりでもない文章が、これほどみずみずしいとは。ごく短い表現の中に、N氏に対する気遣いが伝わってくる。

…いや、こんな野暮な解説はよそう。この文庫の解説で、太田光が、これ以上にない最高の文章を書いているのだ。その解説を読めば、十分である。

太田光の解説は、向田邦子に対する「思い」にあふれている。会ったことがないにもかかわらず、である。これほどまでに自分のことを思ってくれる人がいるという向田邦子は、幸福である。

あらためて気づく。これこそが、向田邦子に対する太田光の「恋文」ではないか。

なぜ、向田邦子はかくも愛されるのか。

私には、まだわからない。

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瓢箪からBMK

韓国KBS放送の人気番組「不朽の名曲2」は、K-POPアイドル歌手が、かつて韓国で一世を風靡した「伝説の歌手」の歌を、それぞれの個性に合わせてアレンジして歌い、優劣を競うという歌番組である。

要は、アイドル歌手が懐メロを歌って、誰がいちばん上手かったかを競う番組なのである。

K-POPアイドルの、歌やダンスに対するプロ意識がかいま見られて、とても面白い。そして司会のキム・グラの毒舌が冴えわたる。

おかげで、Sisterのヒョリンとか、2AMのチャンミンとか、MBLAQのジオとか、4minuteのジユンとか、覚えたぞ。

あるとき、番組の中で、アイドルと実力派歌手がデュエットして、その優劣を競うという企画があった。実力派歌手、というのは、当然、アイドルよりも年上のベテランである。

2PMの人と、「ソウルの女王」と呼ばれている歌手のデュエットが、とてもよかった。若い男性と、少し年上の女性の情熱的なデュエットは、歌の内容とも相まって、それはそれはすばらしいものだった。

昨年、韓国に行ったおりに、その「ソウルの女王」のCDを買おうと思ったが、名前が思い出せない。

9343soulfoodi95dふと見ると、「BMK」という女性歌手の「Soul Food」というアルバムがあった。ジャケットは、BMKの横顔をデザインしている。

(この人だな。テレビで見たことある人だし。しかも「ソウルの女王」っぽいし)

と思ってさっそく購入した。

日本に戻って聞いてみると、これがすげーいい。

とくに、「花咲く春が来れば」という曲と、「後ろ姿」という曲がいい。

新幹線の中でiPodで聞いていたら、魂のこもった歌声に涙が止まらなくなった。

ほとんど号泣である。

(ええなあ…)

それからというもの、この人の歌を聴くたびに号泣である。

妻にすすめたら、例によって「ふーん」という反応。

「この『花咲く春が来れば』って、映画の主題歌なんじゃないの」

そういえば、チェ・ミンシク主演の映画「花咲く春が来れば」と、同じタイトルである。

この時点で私は、まだこの映画を見ていなかった。そういえば、以前から見ろ見ろといわれていたこの映画も、そろそろ見なければならないな。

ところが、「不朽の名曲2」のデュエット特集をあらためて見直してみて驚いた。

2PMの人と歌っていた「ソウルの女王」は、BMKではなかったのだ。

「Big mama(ビッグママ)」という女性4人組グループのうちの1人だった。

(なんだ、全然別人だったのか…)

私がBMKをテレビで見た、というのは、韓国MBC放送でやっている「私は歌手だ」という番組の方だったことを思い出した。

さらにそのあと、こんどは、チェ・ミンシク主演の映画「花咲く春が来れば」を見た。

エンディングの曲を期待したが、これも、BMKの歌ではなかった。

(なんだ、同じタイトルだけど、まったく関係ない歌か)

結局、BMKとはひとっつも関係ないものばかりだった。

でも、瓢箪から駒である。思わぬ勘違いがきっかけで、BMKの歌と出会ったのだ。

これからもBMKを応援していこう。

それと、こんどはBig mamaにも注目しよう。

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アサカワ君とジロー君

チェ・ミンシク主演の映画「春が来れば」を見て、思い出したことがあった。

高校時代の吹奏楽部の後輩、アサカワとジローのことである。

アサカワは私より1学年下、ジローは2学年下である。

先日の忘年会で、久しぶりに会った。

二人は高校卒業後、それぞれの大学でジャズ研究会に入り、卒業後は、ずーっと音楽を続けている。

彼らによれば、大学卒業後、音楽を続けたのは、先輩である、私とコバヤシの影響があるのだという。

たぶん、「好きな道を続けなさい」とか何とか、言ったんだと思う。私はあまり覚えていないが。

結果、二人は好きな道を続けることになった。

ただ、今のところそれほど有名ではないし、音楽で飯を食っている、という感じでもない。

小さなライブハウスで演奏したり、路上ライブをしたりすることもあるようだ。

ジローは、路上ライブをしているときに熱心に聞きに来ていた女性ファンと、数年前に結婚した。

今はとあるバンドの一員で、CDを何枚か出している。

この前の忘年会に自分のCDを何枚か持ってきた。

「買うよ。その代わりサインしてくれよ」

CD2枚を買って、サインをしてもらった。

「前に、漫画家のU先生がCDデビューを出したときに、一緒にレコーディングしたんです」とジロー。

「ええええぇぇぇぇっ!あの『マスターキートン』を書いた人?」

「そうです」

バックで演奏したらしい。

うらやましい。U先生なんて、私なんか逆立ちしても会えない人だ。

さて、もうひとりのアサカワ。

大学時代にジャズ研に入っていたが、その後、ボサノヴァに目覚め、ブラジルによく行ったりしている。ジローよりも彼の方が、文字通りフーテンである。

どうやって稼いでいるんだろう。

「いま何してるの?」

「電話のオペレーターのバイトです。でも1月末に契約が切れるんで、そのあとはわかりません」

相変わらずである。

「東京に、川を埋め立てて作った道があるんですよ。最近は、その川のあとをずーっと追っかけて歩いたりしています」

そういうと、写真を見せてくれた。

よく、鉄道の廃線跡をたどる趣味の人がいるでしょう。あれと同じ感じで、「廃川」の跡をたどるのが趣味らしい。

時間が有り余っているんだろうな。

「そうそう、この前、タモさんとお話ししましたよ」とアサカワ。

「えええぇぇぇっ!!!タモさんって、タモリさんのこと?」

「そうです」

「何でまた?」

「タモさん、大学のジャズ研の大先輩なんですよ。で、この前歴代のジャーマネ(マネージャー)の集まりがあって、そこに来ていたんです。とてもいい人でしたよ」

そういうと、ツーショットの写真を見せてくれた。

う、うらやましい…。

タモリさんなんて、逆立ちしたって会えないぞ。

つくづく考える。

幸せな生き方とは、何なのか?

二人は、大学を卒業してから、自分の好きな道を歩んだ。

収入は不安定だが、20年経ったいまも、なんとかやっている。好きなことを続けながら。

有名になる保証もないし、好きな音楽だけで飯が食えているわけでもないのだが、それでも続けている。

私があのとき、いたずらに「好きな道を続けた方がいい」と言ったことは、はたしてよかったのか、悪かったのか。

…そんなことを考えていると、アサカワが言った。

「先輩、AKO47って、知ってますか?」

「なんだいそれ。AKB48なら聞いたことがあるぞ」

「違います。AKO47ですよ」

「知らないなあ」

「赤穂浪士四十七士のことです」

「くだらなすぎるよ!」

やっぱり、幸せなやつだ。

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lamentable=ラーメン食べる

1月11日(水)

むかし、予備校の英語の先生が、「lamentable」という単語の意味の覚え方として、

「ラーメン食べる悲しい受験生」

と教えてくれた。おかげで、この単語の意味は今でも忘れていない。

ラーメンを食べることがなぜ悲しいのか?

いつか、談志師匠が落語のマクラでこんなことを言っていた。

「ラーメンは400円までだな。500円のラーメンだったら、高いと思って食わなきゃダメだ。ラーメンなんてのは、むかしは貧乏人が食うもんだったんだ」

今でこそ、日本のラーメンは「グルメ」になってしまったが、むかしのラーメンは、お金のあまりないときに食べるものだったらしい。

そういえば、映画「男はつらいよ」で、寅さんは、上野駅の食堂でいつもラーメンばかり食べていた。

かつてラーメンは、「財布の中身が寂しい人」の食事だったのだ。

だからラーメンを食べる受験生は悲しいのである。

なんでこんなことを思い出したのかというと、先日、チェ・ミンシク主演の「花咲く春が来れば(邦題:春が来れば)」を見たからである。

Babbc6f7bdbac5cd いつかオーケストラの一員になりたい、と思いながら、なかなかうまくいかず、中年にさしかかったトランペット奏者(チェ・ミンシク)。彼は、ソウルを離れ、炭坑のある田舎町の中学校の吹奏楽部の顧問として赴任する。そこで、さまざまな人にふれながら、心を開いていく、というお話。

「ぜったいそちらの好みの映画だと思いますよ。私にはイマイチだったけど」と、ずいぶん前に妻にすすめられた。

こぶぎさんにも、好みの映画でしょう、と指摘される。

なにしろ、主人公が都会を追われて田舎町で教師をやる。しかもそこに吹奏楽がからんでくるハートウォーミング映画だとなると、私をよく知る人なら、「ぜったい好みの映画だよな」と思うはずである。

で、いよいよ実際に見てみた。

まわりからいろいろいわれているうちに、どんどんハードルが上がってしまったせいか、思ったほどではなかったなあ。

ところどころグッと来るシーンはあるが、全体として心があまり揺さぶられなかった。

チェ・ミンシクが中年太りの役作りをしていたが、やはり「シュリ」とか「オールドボーイ」のイメージが消えなかったからかも知れない。

だが、演技はすばらしい。

インスタントラーメンを食べるシーンなんか、オッサンの悲哀がよく出ている。

韓国では、インスタントラーメンが、やはりお金がないときの食事の代名詞なのである。

あと、ジャージャー麺ね。

ソン・ガンホ主演の映画『優雅な世界』のラストで、アメリカに暮らす家族たちのビデオを観ながら、ソン・ガンホがひとりでジャージャー麺を食べるシーンも、オッサンの悲哀がよく出た名場面である。

チェ・ミンシクがひとりでインスタントラーメンを食べている姿なんて、ふだんの私の姿そのものだもんね。

ふだんの私って、あんな感じなんですよ。

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「シュリ」にかえれ!

1月10日(火)

誕生日のことをブログに書いたら、ケーキやプレゼントを持ってきてくれた人がいた。

とてもありがたくて嬉しいのだが、そんなつもりで書いたワケではないので、ひたすら恐縮する。

やはりこれも「フラグが立った!」と思われたのだろうか???これではまるで、私が正真正銘の「かまってちゃん」みたいではないか!高校時代の友人、フクザワの指摘したとおりになってしまう。

ああ、みんなにそう思われているんだな、と思い、ひどく落ち込む。書くんじゃなかった。祝われれば祝われるほど、落ち込むのである。

それもこれも、こっそりと書いているこのブログが読まれてしまっているからである。読者を減らすために、今後はまったくワカラナイ話を書いてやろう。

200603290000361insert_1 映画「シュリ」(1999年公開。日本公開は2000年)を久しぶりに見なおしてみた。映画「JSA」を見て、「シュリ」のことを思い出したからである。

あらためて見直してみると、一昨年に日本でも放映したイ・ビョンホン主演のドラマ「アイリス」は、「シュリ」とモチーフがよく似ているなあ、と思う。

で、調べてみると、「アイリス」は「シュリ」のテレビドラマ版だ、と評価されているようだった。

それに「アイリス」の表記「IRIS」を、逆からならべると「シュリ」になるのだという。へえ。なるほどねえ。

時間が経ってから、もういちど「シュリ」を観ていると、それまで全然気づかなかったことに気づいたりする。

いま、ちらっと映った北朝鮮の特殊部隊の兵士役の一人、あれ、キム・スロじゃないか?

もう一度よくみると、たしかにキム・スロである。

2008052913 キム・スロは、私が好きなドラマ「ドラゴン桜 韓国版」で、主人公の弁護士役を務めた役者である。コメディ映画を中心に、強烈な印象を残す俳優として、いまでは知られている。もちろん、私が好きな俳優のひとりである。

いまや押しも押されぬ人気のキム・スロ。そのキム・スロが、「シュリ」にちょい役で出ていたんだな。

わかりやすくたとえるならば、映画「八甲田山」に無名時代の大竹まことがちょい役で出ているようなものだ。

ひとり興奮して、また調べてみると、「シュリ」には、キム・スロの実の妹もちょい役で出ているのだという。兄妹の出演、しかも劇中では二人ともあっさりと死んでしまう。

これらの発見を、したり顔で妻に電話で話すと、「ふーん」という反応。

「べつに『シュリ』と『アイリス』は、ストーリーが似てないじゃん」

「韓国語で『キム・スロ シュリ』で検索すると、山ほど出てくるよ。妹のこともね」

と、「たいした発見ではない」と一蹴。

「というか、なんで一度見た映画ばっかり見るの?まだ見ていない映画やドラマが山ほどあるっていうのに」

と、私の保守的な映画の見方を批判する。

しかし、「シュリ」は、韓国映画が海外で広く知られるようになった原点の作品である。

「原点にかえれ」という言葉があるだろう。

原点の「シュリ」を見れば、それから10年以上たったいまの韓国の映画やドラマとの違いに、思いを馳せることができるではないか。

だから、ときどき「シュリ」を見るべきなのだ。

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喜劇と悲劇が交錯する

1月7日(土)

さて、まったくもってさびしい誕生日に、仕方がないので、夜、閉店間際のケーキ屋さんに駆け込んで、自分のためにショートケーキを買うことにした。

オッサンがひとりで、自分のためのショートケーキを買うことほど、ミジメなものはない。

奇しくもこの日、DVDマガジン「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」が入荷されていたので、書店でさっそく購入する。

誕生日に入荷されるとは、まさにこれは自分への誕生日プレゼントだな。

世にいう「傑作」と、自分の中の「ベスト」が異なる、というのは、よくあることである。

たとえば、作家の小林信彦氏は、黒澤明監督の映画で自分の中のベストをあげるとすれば「野良犬」である、と書いている。「七人の侍」ではなく、である。

それと同じで、「男はつらいよ」シリーズの中で、私の中のベストをあげるとすれば、この「寅次郎純情詩集」なのである。

一般には、「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」か、「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」が、シリーズ中のベスト、と考えられているだろう。私もこの2作は、たしかに傑作だ、と思う。

だが、個人的なベストをあげるとすれば、この地味な「純情詩集」なのである。

「相合い傘」が恋愛劇、「夕焼け小焼け」が人情劇だとすれば、「純情詩集」は悲劇である。

寅次郎は、自分より10歳ほど年上の、旧家の「お嬢様」(京マチ子)に恋をする。

ところが、この「お嬢様」は、余命幾ばくもない。

映画の中盤で、「お嬢様」の娘(壇ふみ)が、寅次郎の妹・さくら(倍賞千恵子)にこの事実を打ちあけることで、映画の観客も同時に知ることになる。だが本人はもちろん、寅次郎やその他の人たちにも、このことは知らされない。

つまり、「お嬢様」の娘、さくら、そして観客だけが、このことを知っているのである。何も知らない寅次郎は、「お嬢様」を元気づけようと、バカな話をして笑わせたりする。

いつもなら笑えるのだが、観客は、このあと起こるであろう悲劇を予想しているので、寅次郎の語る笑い話が、よけいに悲しく思えてくる。

つまりここで、観客は、妹のさくらに感情移入して、寅次郎を眺めることになるのである。

かくして、シリーズ中で最も悲しい結末を迎えることになるのだが、前半部で劇中劇として登場する徳富蘆花の「不如帰」がその後の展開を暗示させるなど、喜劇と悲劇が交錯する演出は、山田監督の真骨頂である。

そう、喜劇と悲劇は紙一重なのである。

そして私がこの作品をベストにあげるもうひとつの理由は、旅の一座である「板東鶴八郎一座」がここでも登場するからである。

長野県の別所温泉で、寅次郎は偶然、旅の一座と再会する。寅次郎は、彼らの芝居「不如帰」を見たあと、金もないのに、座員たちにごちそうをふるまい、彼らを勇気づける。

一晩かぎりの再会。翌朝早く、旅の一座は次の公演先に移動する。トラックの荷台に乗った座員たちが、旅館の2階にいる寅次郎に別れの挨拶をする。

旅館の窓から寅次郎が手をふってさけぶ。

「しっかりやれよ。またいつか日本のどこかで、きっと会おうな」

お互い、どこの誰かもよくわからない。次はいつ会えるのかもわからない。

たぶん、誰にでもそんな人はいるだろう。

だから私は、このささやかなエピソードに共感してしまうのだ。

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たったひとりの友人

1月7日(土)

ビックリすることに、この日は誕生日だというのに、誰からもお祝いのメッセージがない。妻に至っては、すっかり忘れているらしい。

この日は、卒業論文の添削のためにずっと職場の研究室にいた。入れ替わり立ち替わり学生たちが卒論の下書きをもってくるのだが、誰ひとりとして、「誕生日おめでとうございます」という者がいない。

ま、今日が誕生日だということを学生に言わなかったのがいちばんの原因だろうが。

よし!こうなったら、今日は誰にも何にも言わないぞ。妻にだって言ってやるものか!もしお祝いのメッセージが来たら、これからはその人だけを本当の友人として信じることにしよう。

するとたったひとりだけ、メッセージが来ました!

韓国版ミクシーともいうべき「ミニホムピィ」を開いたら、韓国語の語学学校で3級のときに教わったナム先生、そのヒョンブ(姉の夫)こと、ヨンギュ氏から、お祝いのメッセージが届いたのである!ヨンギュ氏とは、昨年の9月にはじめてお会いした

ミニホムピィは、友だちとして登録している人に対しては、端っこの方にちっちゃく誕生日が表示されるしくみになっているから、それを見て今日が私の誕生日であることを知り、メッセージをくれたのだろう。それにしても、よく気がついたものだ。

あんまり嬉しいので、そのメッセージを翻訳して載せちゃおう。

「キョスニム~~!!!

お誕生日を心よりお祝い申し上げます~~!!!!!!!

大邱(テグ)は小寒をすぎたためかとても寒いです。日本はどうですか?

私は79年生まれですから、私よりちょうど10才年上ですね。

今日は何か特別な計画がありますか?

美味しいものをたくさん食べて思い出に残る誕生日になるようお祈りします。

お誕生日心よりお祝い申し上げます~~!!

お元気で~~」

いやあ、ほんとうに嬉しい。ふだんは別に誕生日なんぞ祝ってほしくないと思っているのだが、こうやってメッセージをくれると、やはり嬉しいものである。

韓国では、誕生日には友人たちを家に呼んで誕生日会をするのがふつうだから、誕生日をとても大切なものと考えている。だからヨンギュ氏からすれば、誕生日にメッセージを出すというのは、ふつうのことなのだろう。

私は正直に返事を書いた。

「お祝いのメッセージを下さって本当にありがとうございます。

今日は卒業論文指導のために職場の研究室に一人でいます。学生たちが入れ替わり論文の下書きを持ってきましたが、贈り物を持ってきた学生は1人もいなかったです(笑)。おめでとうございますという言葉もないんですよ(涙)。たぶん私が学生たちに誕生日のことを何も話さなかったためでしょう。

しかも今日は家族が待っている東京に帰ることもできなくて、一人で誕生日をすごすことになりました(涙)。

私が住んでいるところはこのごろ雪がたくさん降ります。毎日毎日大変ですが、元気に過ごしています。今年は特に天気が寒いようです。

ヨンギュさんも元気にお過ごしになって下さい。

P.S. このごろはキム・グァンソクという歌手がとても気に入っていて、歌を聞いています。映画「JSA」は何度見てもいいですね」

誕生日をひとりで過ごすというのは、韓国人の感覚からすれば、かなり寂しいものらしい。またそのあと、すぐに返事が来た。

「キョスニム~~

学生たちに誕生日のことを言っておかないと!!

おひとりですごす誕生日ですが、キム・グァンソクの歌を聞きながら憂鬱さをなぐさめられたらと思います。

私は個人的に「ホコリになって」という歌がいちばん好きです。

ギターを弾いて歌うと自然と涙が出てきます。

キム・グァンソク氏の歌は何か魂をゆさぶる力があるんですよね。

それにしてもキョスニムとはいろいろ共通点が多くて驚きです。

そして私が韓国映画の中で最も深く感銘を受けた映画がまさに「JSA」なんです。

もう10回くらい見ています。

南北分断の現実を最もよく映しだした構成と内容、そして俳優たちの熱演など、最高の映画だと思います。

キョスニムがお好きだとおっしゃったので、私ももう一度見てみたいですね。

大邱も先週に雪が降りましたがみなとけてしまいました。 それほど寒くないからすぐとけてしまうんですね。

キョスニムのおられるところにも一度行ってみたいですね。

もう一度お誕生日をお祝い申し上げます!!!!!!

風邪に気をつけて下さい~~!」

可哀想だと思ったのか、もういちど、祝いのメッセージをくれたぞ。

それにしても、たった一度しか会ったことがないヨンギュ氏が、これほど誕生日を気にかけてくれていたとはね。もうそれだけで十分である。

ずっと一緒にいることが、友人の条件ではない。

たった一度しか会ったことがなくても、

遠く離れていたとしても、

生涯の友になることだって、あるのだ。

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いまさらレディ・ガガ

昨年7月末の地デジ完全移行化以後、私はテレビを見ていない。

昨年末、妻の実家で久しぶりに地上派のテレビを見た。NHKの紅白歌合戦である。

そこで私の目を釘付けにしたのが、レディ・ガガである。

「レディ・ガガ」という名前は、以前からなんとなく聞いていたが、奇抜な衣装がどーのこーの、という話ばかりで、実際にどんな人なのか、正直なところ、よくわからなかった。どうやら歌手らしい、ということも、なんとなく知っていたが、どんな歌を歌っているのかも知らない。

それでも、まわりでレディ・ガガの話題が出ると、

「えっ?あのレディ・ガガが日本に来たんですか!」

とか、

「いやあ、彼女のアーティスティックなメッセージは、すばらしいですよね」

などと、何もわからないまま、話を合わせていた。

だから、いまさら「レディ・ガガ」ってどんな人ですか?などとは、恥ずかしくて聞けなくなってしまったのである。

そしていよいよ、レディ・ガガをテレビで見る機会が訪れた。「BORN THIS WAY」という曲である。

す、すばらしい…。

歌が終わって、私は言った。

「この人、ぜったい売れるね」

すると妻は呆れた顔をして言った。

「もうとっくに売れてるよ」

「えっ?……」

「なに『俺が見いだした』みたいなこと言ってんの?」

そうか、全世界でレディ・ガガのすごさを知らなかったのは、私だけだったのか。

…ということで、これからはレディ・ガガに注目しよう、と思った次第。

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10年後に「JSA」を見る

どうも最近、このブログの熱心な読者はこぶぎさんしかいないのではないか、という気がしてきた。

今年は、ブログ本来の目的に立ち返って、韓国文化に関する記事に力を入れることにしよう。

Jsa いまさらだが、韓国映画「JSA」は、やはりいい。

「JSA」とは、「JOINT SECURITY AREA」の略で、韓国語で「共同警備区域」という。日本では、「板門店」という言葉の方がなじみがあるかも知れない。

そのタイトル通り、南北分断という、この国が背負っている政治問題が、この映画の底流に流れている。それにこの当時の「太陽政策」との関わりも、考えられなくもない。だが、単なる政治映画ではないことは、いうまでもない。

監督は、「オールド・ボーイ」などの「復讐三部作」や、「こうもり(邦題:渇き)」で知られるパク・チャヌクである。

私の中で、ボン・ジュノは「巨匠」、パク・チャヌクは「奇才」というイメージがある。パク・チャヌクは、細部のリアリティにこだわりをもっているようで、この映画でも、リアリティへのこだわりが存分に見てとれる。

調べてみたら、この監督、1963年生まれで、いわゆる「386世代」なんだな。「386世代」とは、韓国における世代の呼び方のひとつで、1990年代に30代(3)で、1980年代(8)に大学生で学生運動に参加し、1960年代生まれ(6)である人びとをさす。この映画で歌が流れていたキム・グァンソク(1964ー1996)は、386世代のカリスマ、といわれた歌手だから、キム・グァンソクに対する監督の思い入れも、並々ならぬものだったのだろう。この映画は、まさに386世代のための映画であるといってもよい。

俳優陣に注目すると、ソン・ガンホ、イ・ビョンホン、イ・ヨンエといった、韓国を代表する俳優の競演、というのが豪華である。

地味だが、ソン・ガンホの部下を演じたシン・ハギュンもいい。シン・ハギュンは、パク・チャヌク監督の映画「復讐者に憐れみを」と「こうもり」においても、ソン・ガンホと共演している。昨年(2011年)末のKBS演技大賞では、大賞を受賞した、実力派俳優である。

そして、このころのイ・ヨンエの美しさは異常である。アジアでいちばん美しい女性ではないだろうか。

おもしろいと思うのは、今でこそ、イ・ビョンホンもイ・ヨンエも日本では有名だが、この映画が日本で公開された2001年当時、2人はほとんど無名であったことである。

イ・ビョンホン主演のドラマ「オール・イン」が日本で放送されたのが2004年、イ・ヨンエ主演のドラマ「チャングムの誓い」が地上波で放送されたのが2005年だったから、2人の大ブレイクは、これ以降、ということになる。

つまり主演の3人のうち、当時は唯一ソン・ガンホだけが、映画「シュリ」に出演していたことで、その名が日本に知られていた。だから公開当時、この映画はソン・ガンホをメインに売りだした映画だったのである。いまでは、とても考えられない。

そう考えると、この10年のあいだに、驚くほどのスピードで韓国の映画、ドラマ、俳優が、日本に浸透していったことがわかる。

そんなことを考えながら、10年前の「JSA」を見るのも、また味わい深い。

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人の顔で通じをつけるな!

1月4日(水)

年末年始の休みも終わり、勤務地にもどると、陽水じゃないが「吹雪、吹雪、氷の世界」だ。これが現実というものか。

先月の半ばに、義妹に女の子が生まれた。つまり名実ともに私は「おじさん」になったのである。

しばらくの間、義妹と御子(おこ)は、実家ですごすという。私も年末年始は妻の実家ですごすから、つまりは赤子(あかご)と一緒に暮らす、ということである。

赤子というのは、よく泣く。とくに夜型のせいか、夜泣きが激しい。

「聞いてはいたけど、夜泣きがすごいねえ」

「そちらのイビキもすごかったですよ」と妻。

義妹は、赤子の夜泣きと、隣の部屋から聞こえてくる私の大イビキのダブル攻撃に、かなり閉口しているらしい。

昼間も、よく泣く。

ダッコをしても泣きやまないことがある。

「どれどれ、じゃあ私がダッコしてみましょうか」と私。初ダッコである。

御子(おこ)を抱くと、ウソのように泣きやんだ。

「どうだい。泣きやみましたよ」

「すごいねえ。御子もじっと顔を見てるねえ」

ひょっとして、この子、俺のことが気に入ったんじゃないだろうか?と思った瞬間のことである。

ブリブリブリッ!

と音がした。

「な、何だ何だ!!??」

私が慌てると、

「あ、ウンコしたんですね」と義妹。

しっ、失礼な!!初ダッコのご挨拶が、ウンコだとは!!

「顔を見て、便意をもよおしたんじゃないの?」と妻。

何だ?じゃあ俺の顔は、赤ちゃんにとって「もよおす顔」なのか!?

まるで落語だな。以下、立川談志「雑俳」より抜粋。

ご隠居「気が合う、てえのか、合縁奇縁てえかねえ、お前さんとなんとなく日に一度会わないと、どうも御膳が旨くないような心持ちよ」

八っつぁん「そうでしょ。あっしもそうなんだ。隠居さんの気が合う、てえのかねえ。日に一度顔を見ないというと、その日なんとなく『通じ』がなくてしょうがなくってね」

ご隠居「人の顔で『通じ』をつけやがる。どうもあきれたねえ」

…年ごろになったら、「はじめてダッコしたときに、挨拶がわりにウンコしたんだぞ」と言ってやろう。

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いまさらキム・グァンソク

昨年夏、遅ればせながら韓国映画「JSA」をはじめて見た。

2000年に韓国で公開されたこの映画は、翌2001年に日本でも公開され、映画「シュリ」に続き、韓国映画の底力を認識させる映画として、好評を博した。監督は、「オールドボーイ」などの「復讐三部作」の作品で知られる、パク・チャヌクである。

ソン・ガンホのファンである私が、いままでどうしてこの有名な映画を見ていなかったのか、不思議というほかないが、まあそれはよい。

映画もよかったが、エンディングで流れる歌も、とてもよかった。そこでOST(サントラ)を買って、iPodに入れた。

OSTには、「二等兵の手紙」というタイトルの歌と、「宛てのない手紙」というタイトルの歌が入っていて、この2曲がとても好きだったので、くり返しくり返し、聞いていた。日本でいう「フォークソング」で、郷愁をさそう、名曲である。

ところがこれまで、この2曲が、誰が歌った歌なのか、さして気にもとめずに聞いていた。iPodにも、映画音楽の担当者の名前は出てくるが、歌手の名前が出てこない。CDの解説を見ればすぐにわかるのだろうが、その努力も、怠っていた。

で、今日(正月2日)、録りだめしていた韓国KBS放送の人気番組「不朽の名曲2」を見ていて、その歌手の名前がわかった。

「不朽の名曲2」とは、韓国で一世を風靡した「伝説の歌手」を毎回1人取りあげて、その人の歌を若いアイドルが歌って優劣を競うという番組である。韓国の80年代や90年代に一世を風靡した歌手の歌と、いまのアイドル歌手の名前をまとめて知ることのできる、一挙両得の番組なのである。

そのなかで、「キム・グァンソク特集」という回があったのだが、キム・グァンソクこそが、「二等兵の手紙」「宛てのない手紙」を歌った歌手である、ということが、ようやくわかったのである。

なんという遠回り!

1964年生まれのキム・グァンソクは、フォークソング歌手として同世代の若者のカリスマ的存在だったが、1996年、31歳の若さで、自ら命を絶って、この世を去る。

私とほとんど同世代の人だったんだな。

これで、いくつか思い出したことが。

韓国留学中、語学学校の4級の文法のチェ先生が、授業中にある歌手の話をされた。その歌手は、チェ先生が学生だったころのカリスマ的存在で、あるとき、突然この世を去ってしまったのだという。

「とてもいい歌を歌っている歌手だから、みなさんも機会があったらぜひ聞いてみてください」とチェ先生。

「その歌手の名前はなんですか?」私は質問した。

「○○○です」と、先生は答え、私はその名前をどこかにメモしたはずなのだが、そのメモもどこかに行ってしまい、聞いた名前もすっかり忘れてしまった。

いま思えば、チェ先生が言っていた歌手とは、キム・グァンソクのことだったんだな。

もうひとつ。

昨年9月はじめ、韓国の大邱に行ったときのことである。韓国語3級の授業でお世話になったナム先生とその姉夫婦とで、密陽(ミリャン)にドライブに行った際、ナム先生のヒョンブ(姉の夫)と、映画の話になった。

「『JSA』は見ましたか?」とヒョンブ。

「ええ、見ました」と私。

「あれは私の好きな映画です。とくにあの映画の中に出てくる歌がすばらしい」

「私もそう思いました」

「なにしろ、○○○の歌は、僕らの世代にとっては忘れられない歌ですから」

と、そのとき、ヒョンブが歌手の名前を言っていたのだが、聞き流してしまった。

いま思えば、これもまたキム・グァンソクだったんだな。

そして「JSA」は、韓国のある世代の人たちに、郷愁を呼び起こす映画だったのだ。

今さらながらこんなことに気づくとは遅すぎる。私はいままであまりに無頓着であったことを恥じた。

こんど韓国に行ったら、忘れずにキム・グァンソクのCDを手に入れよう。

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イ・スグンの年、キム・スンウの時代

A「今年も、年末恒例の韓国のKBS芸能大賞が終わりましたなあ」

B「韓国では、3大放送局が年の瀬に、1年間放送した番組の出演者の中から、放送局に貢献した人を表彰するプログラムがあるんですよね。バラエティ系の番組は『芸能大賞』、ドラマは『演技大賞』です。簡単に言えば、『芸能大賞』はお笑い芸人やMCたちの祭典で、『演技大賞』は俳優たちの祭典です」

A「今年(2011)のKBS大賞は、個人ではなく、『1泊2日(イルパクイイル)』に与えられました。個人ではなく団体に与えられるというのは、珍しいようですね」

B「『1泊2日』はKBSの看板番組ですからね。でも今年の後半に、番組を強烈にリードしてきた大黒柱、カン・ホドンが脱税スキャンダルでテレビ出演を自粛し、残る5人で頑張ってきたわけです。それに対する慰労の意味でしょうね」

A「カン・ホドンの謹慎はかなり痛い話ですよね。なにしろ、韓国を代表するMCでしたから」

B「メインの不在、という中での番組継続は大きなダメージでしたね。でもその過程で、新レギュラーのオム・テウンはかなり成長したと思いますよ」

A「たしかにそうです。バラエティとは無縁の生活を送っていた俳優のオム・テウンは、最初はほとんど存在感もなくて、大丈夫かと心配でしたが、ここへきて、ずいぶんと喋りもうまくなってきました」

B「カン・ホドンは番組の中で『俳優という自分の殻を打ち破って、自分を変えようとしているオム・テウンはすごい』と言っていました。オム・テウンの方もカン・ホドンに全幅の信頼を寄せて、バラエティ番組のノウハウを学ぼうとしていたのでしょう。その矢先にあの事件です。オム・テウンは、カン・ホドンのためにも、自分の殻を打ち破ろうと、この間必死だったのでしょう」

A「カン・ホドンが抜けたのは大変な痛手ですが、『1泊2日』はなんとかこのメンバーで続けてほしいものです」

B「お笑い担当のイ・スグンと、末っ子優等生キャラのイ・スンギのふたりが2トップ、これに、悪知恵がはたらくウン・ジウォン、「天然」のキム・ジョンミン、そして不器用な2枚目のオム・テウンが揃って、やっと、それぞれのキャラクターが定着したところですからね」

A「ところで、バラエティMC部門の最優秀賞は、イ・スグンでしたね」

B「当然でしょう。カン・ホドンの抜けた穴を、イ・スグンが懸命に埋めてきたわけですから。今年は、イ・スグンの年だったといってよいでしょうね」

A「最優秀賞受賞のときの挨拶で、最後に万感の思いを込めて『私が尊敬するカン・ホドン先輩にこの賞を捧げます』と言っていたのは印象的でした。そのあと『1泊2日』が大賞を受賞したときも、『(カン・ホドン)先輩!この賞をたずさえてあなたに会いに行きます』と、やはり最後に挨拶していましたね」

B「あれは感動的でしたね。いまの放送業界でカン・ホドンの名前を出すのは勇気がいることでしょう。でもイ・スグンは、挨拶の中で2度ほど、ギャグマンの先輩であるカン・ホドンに呼びかけたのです。彼の義理堅い性格が表れているといえるでしょうね」

A「次に、MC部門の優秀賞はキム・スンウでしたね」

B「スンスンチャング(乗勝長駆)での司会が認められたのでしょう」

A「キム・スンウといえば、主役をはることもできる、韓国を代表する俳優です。その彼が、トーク番組の司会をする、と聞いたときは驚きましたが、最近はすっかり板についてきたのでしょうね」

B「受賞のとき、司会者がキム・スンウに『バラエティ番組のエリートコースを歩んでますね』と声をかけていましたが、キム・スンウは、本当に仕事が手堅いですね」

A「なにしろ、受賞のときのスピーチは流暢ですばらしかった。あのスピーチで、彼のトークの底力がわかります。受賞者は、挨拶のときに自分が世話になった人の名前を延々と挙げて感謝の気持ちを述べるのがふつうなのですが、あれは聞いている側からするとちょっと鬱陶しい。キム・スンウは、そういった挨拶はせずに、短くてわかりやすい挨拶をしたのです」

B「2009年のKBS演技大賞で、ドラマ『アイリス』の演技が認められて優秀演技賞を受賞したときのスピーチも、短くて印象的なスピーチでした。あのときは、番組じたいの時間が押していたこともあって、自分のスピーチを短めにしたんでしょうね。そういう配慮が、スタッフに好かれる要因かも知れません」

A「それにしても、演技大賞でも優秀演技賞をとって、芸能大賞でもMC部門優秀賞をとったということは、ドラマとバラエティの両部門で『エリートコース』を歩んでいるということです。まさにいま、キム・スンウの『ひとり勝ち』といった状況でしょうか」

B「韓国のバラエティ番組は、もう何年もMCの顔ぶれが変わっていませんからね。視聴者は新しいMCの登場を求めているのではないでしょうか。その意味で、キム・スンウは今後も重宝されるでしょうね」

A「なるほど。一流の俳優がバラエティに進出すると、これまでのMCたちにとってはかなり脅威になるかも知れませんね」

…と、こぶぎさんのマネをして、会話形式で韓国芸能界を論評してみました。なにぶんこの分野の知識がほとんどないので、ほとんど思いこみと妄想が入り交じった、かなりいいかげんなものですので悪しからず。

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