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向田邦子への恋文

数年前、漫才師の太田光が、数回にわたって向田邦子について語る、というテレビ番組があった。

その番組を見て以来、「あの」太田光が熱っぽく語る向田邦子とはどういう人なのか、なぜ向田邦子はいまだに愛され続けているのか、に興味を持った。

向田邦子は、脚本家である。

私がちゃんと見たドラマは、NHKで放映した「阿修羅のごとく」くらいしかない。

ドラマよりも、人物に興味を持ったのである。

演出家の久世光彦が書いた『向田邦子との二十年』(ちくま文庫)を読んで、その興味はさらに高まった。

この本は、全編が向田邦子に対する「思い」にあふれている。ひとりの人間に対して、これほどの思いを込めて書いた本を、私は知らない。

向田和子著『向田邦子の恋文』(新潮文庫)もまた、衝撃的である。

向田邦子は、飛行機事故で突如この世を去る。今から30年も前のことである。

遺品を整理していた妹の和子は、ひとつの茶封筒を見つける。

没後20年たって、気持ちの整理がついた妹の和子は、ようやくその茶封筒をあける。そこには、ある時期に交際していたN氏に宛てた手紙、そして、N氏から向田邦子に宛てた手紙、さらには、N氏の日記が入っていた。家族も知らなかった向田邦子の意外な一面である。

『向田邦子の恋文』の前半は、向田邦子がN氏に宛てた5通の手紙と、それに対するN氏の返事、さらには、向田邦子に関わるN氏の日記で構成される。そして後半は、妹・和子の姉に対する思いが語られる。

「恋文」といっても、情熱的な表現にあふれているわけではない。日常の、ごくありふれた生活を書きつづった手紙である。だが、たった5通の手紙の中に、おそらく誰にも見せなかったであろう、向田邦子の「素」の部分があらわれている。

誰に見せるつもりでもない文章が、これほどみずみずしいとは。ごく短い表現の中に、N氏に対する気遣いが伝わってくる。

…いや、こんな野暮な解説はよそう。この文庫の解説で、太田光が、これ以上にない最高の文章を書いているのだ。その解説を読めば、十分である。

太田光の解説は、向田邦子に対する「思い」にあふれている。会ったことがないにもかかわらず、である。これほどまでに自分のことを思ってくれる人がいるという向田邦子は、幸福である。

あらためて気づく。これこそが、向田邦子に対する太田光の「恋文」ではないか。

なぜ、向田邦子はかくも愛されるのか。

私には、まだわからない。

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コメント

向田文学を読み解く鍵は、邦子の恋にある。
とNHKで放送されたドラマで語られる。
ビデオに録画して、関連の本を読んでも
邦子の恋は、私にはよく分からない。

上野たま子著『向日葵と黒い帽子』を
読んで、邦子とN氏のなりそめは
分かった。映画ストーリと言う雑誌の
編集者だったときに、写真、写真機、
撮影技術が二人の仲を結びつけた。
その後、邦子(28歳)さんは、N氏と別れる
決心をした。これは、たま子と向田迪子の二人が
語っているので信憑性は高いと思う。
その後が、興味深い。一度別れると
決めた邦子さんが、なぜ再びN氏へ
恋文を書くに至ったのか。それは
迪子の推理によると、N氏は脳梗塞
で右足が麻痺、東北から老母が上京
して、一軒家を借り、N氏を看病。
母は母屋に、N氏は離れに住む。
邦子さんが訪れ易いように・・・。
N氏は邦子さんが忘れられず、酒に
溺れる。見かねた老母は、邦子さんに
助けを求めたと迪子は言う。邦子は
中原家の為に一肌脱いだと言うのだ。
向田邦子の恋文164頁、迪子は
言う。妻子ある男性とわかって、
一度は自分から距離を置いた。
以前、Nさんが酒に溺れかけ、
困り果てたお母さんが邦子さんに
会いに来た、って話しをしたわよね。
彼のお母さんの方にも、何とか
してあげたかったんじゃない。
自分はどこまでやれるか、自分に
挑戦してみる。
邦子の挑戦に対して、彼は自殺で
報いた。邦子34歳、男性47歳。

そうなら普通の恋愛に於ける、ラブレター
じゃない。実に興味深くて、ますます
分からなくなった。東北の名家のお坊ちゃん
で我が儘、13歳歳上だけど、邦子さんの
方がづーっと大人。リハビリも全くやって
ないような甘えん坊に、どうして邦子さん
ともあろう女性が・・・と考えてしまう。

当時の邦子さんが、男の本質をどれだけ
知っていたのか、それが向田文学をどう
読み解く鍵になるのか、興味は尽きない。


投稿: としお | 2020年1月13日 (月) 21時00分

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