再度「花咲く春が来れば」
1月16日(月)
まったくもって、絶不調な日である。しばらくは、面白い話なんぞ書けないぞ。
「なぜ、同じ映画をくり返し見るのか?」
と、いつも言われる。
たぶん私は、理解力がいちじるしく欠如しているのだと思う。だから同じ映画も、1度見ただけではよくわからず、何回か見て、ようやく理解できるようになるのであろう。
チェ・ミンシク主演の映画「春が来れば」(原題:花咲く春が来れば」)を、もう一度見た。
いつかオーケストラの一員になりたい、と思いながら、なかなかうまくいかず、中年にさしかかったトランペット奏者・ヒョヌ(チェ・ミンシク)。彼は、ソウルを離れ、炭坑のある、雪の多い地方都市の中学校の吹奏楽部の顧問として赴任する。
雪の多い地方都市にひとりで生活するさえない中年は、吹奏楽部の生徒たちとふれあいながら、しだいに人間的な成長をとげてゆく。
1回目に見たときは、それほどでもなかったのだが、今度は見ているうちに涙があふれてとまらなくなった。
たいした事件がおこるわけでもない。言ってみれば、平凡なストーリーである。だが、ひとつひとつのなんでもないシーンが、とてもよいのだ。
ほんの些細なシーンにも、意味があることに気づく。
たとえば、映画の後半、海岸で、ヒョヌ(チェ・ミンシク)の教え子のジェイル(イ・ジェウン)が吹くトランペットの曲を、ヒョヌの元恋人・ヨニ(キム・ホジョン)が聞く場面。
その曲は、むかしヒョヌがヨニのために作った曲だった。ジェイルはそうと知らず、この曲を気に入り、大好きな祖母に聞かせようと、この曲を練習する。だが、孫の演奏を聞くことなく、祖母は事故で死んでしまう。
祖母に聞かせることができなかった曲を、ヨニの前で演奏するジェイル。そして、かつての恋人が自分のために作ってくれた曲を、ジェイルを通じて、思いがけず聞くことができたヨニ。
何でもないシーンだが、万感の思いがこもった、名シーンである。
…ま、映画を見ていないと、何が何だかわからないだろうな。ちなみに、ジェイル役のイ・ジェウンは、『大統領の理髪師』で主人公のソン・ガンホの息子役もやっている、名子役である。日本の例でわかりやすくたとえるならば、伊嵜充則みたいな感じ。
書き出すときりがないが、わからないついでにもうひとつ。
主人公のさえない中年、ヒョヌ(チェ・ミンシク)が、母親(ユン・ヨジョン)に電話をするシーン。
焼酎を飲んで酔っぱらったヒョヌは、感傷的になったのか、電話の向こうの母に泣きじゃくりながら言う。
「オンマ(お母さん)。オレ、最初からやり直したい。何もかも全部、やり直したい」
母が答える。「これからが始まりじゃないの。何をやり直すことがあるの」
いい年こいたオッサンが、泣きじゃくって母親に電話するなど、若者には想像もつかないだろう。だが同じオッサンには、その気持ちがよくわかる。オッサンだって、泣くのだ。
ひとつひとつのシーンに出てくる、ヒョヌ(チェ・ミンシク)の些細な行動、表情、気持ちの移りかわりが、なぜか手にとるようにわかるのだ。
(ヒョヌは、このオレだ…)
映画は、そのときの体調などによっても印象が変わる。たぶん、いま自分の心が「アレ」だからかも知れない。映画は、見る側のコンディションがずいぶん関係しているのだ。
ああ、久しぶりに楽器を吹いてみたい。
そんなことを思った1日。
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