人の顔で通じをつけるな!
1月4日(水)
年末年始の休みも終わり、勤務地にもどると、陽水じゃないが「吹雪、吹雪、氷の世界」だ。これが現実というものか。
先月の半ばに、義妹に女の子が生まれた。つまり名実ともに私は「おじさん」になったのである。
しばらくの間、義妹と御子(おこ)は、実家ですごすという。私も年末年始は妻の実家ですごすから、つまりは赤子(あかご)と一緒に暮らす、ということである。
赤子というのは、よく泣く。とくに夜型のせいか、夜泣きが激しい。
「聞いてはいたけど、夜泣きがすごいねえ」
「そちらのイビキもすごかったですよ」と妻。
義妹は、赤子の夜泣きと、隣の部屋から聞こえてくる私の大イビキのダブル攻撃に、かなり閉口しているらしい。
昼間も、よく泣く。
ダッコをしても泣きやまないことがある。
「どれどれ、じゃあ私がダッコしてみましょうか」と私。初ダッコである。
御子(おこ)を抱くと、ウソのように泣きやんだ。
「どうだい。泣きやみましたよ」
「すごいねえ。御子もじっと顔を見てるねえ」
ひょっとして、この子、俺のことが気に入ったんじゃないだろうか?と思った瞬間のことである。
ブリブリブリッ!
と音がした。
「な、何だ何だ!!??」
私が慌てると、
「あ、ウンコしたんですね」と義妹。
しっ、失礼な!!初ダッコのご挨拶が、ウンコだとは!!
「顔を見て、便意をもよおしたんじゃないの?」と妻。
何だ?じゃあ俺の顔は、赤ちゃんにとって「もよおす顔」なのか!?
まるで落語だな。以下、立川談志「雑俳」より抜粋。
ご隠居「気が合う、てえのか、合縁奇縁てえかねえ、お前さんとなんとなく日に一度会わないと、どうも御膳が旨くないような心持ちよ」
八っつぁん「そうでしょ。あっしもそうなんだ。隠居さんの気が合う、てえのかねえ。日に一度顔を見ないというと、その日なんとなく『通じ』がなくてしょうがなくってね」
ご隠居「人の顔で『通じ』をつけやがる。どうもあきれたねえ」
…年ごろになったら、「はじめてダッコしたときに、挨拶がわりにウンコしたんだぞ」と言ってやろう。
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コメント
この雪で三が日は一歩も外に出ず、放っておいた「心理学を変えた40の研究」を読んでいました。
それによると、これでは偶然抱いた時にうんちをしただけで、まだ心理学的には「通じのついた顔」とは言えません。行動主義の立場からすると、赤ん坊がうんちをする度に必ず抱く、といったことを根気強く繰り返していけば、スキナー箱の中のネズミのごとく、その行動は強化されて、心理学的にみても太鼓判が押せるほどの「もよおす顔」になれると思いますので、ぜひ実家にお帰りの際はお試し下さい。
ただ、この過程を逆の立場から見ると、鬼瓦さんの方が、心理学的に見て「うんちした赤ん坊を見ると抱きしめたくなる」人として条件づけされた、とも考えられますので、お気をつけ下さい。
投稿: こぶぎ | 2012年1月 6日 (金) 07時19分
なるほど(笑)。というか、ラジオのフリートークに対してリスナーがくれたハガキみたいな感じの文章で、さすがハガキ職人ですな、とヘンに感心してしまいました。どこまでが真面目で、どこからがネタなのかわからないので、私もその「心理学を変えた40の研究」を読んでみたいと思います。
投稿: onigawaragonzou | 2012年1月 7日 (土) 00時39分
誕生日おめでとうございます。コメント欄止めてスネていないで、やはり不惑を過ぎてからは、わたくしめのように、自分でケーキを買って、それをエサに学生に泣きついて誕生日会を開いてもらうとよいのではないでしょうか(頼むのにも体力が入りますので、最近はやっていませんけど)。「暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょう(by 世の光)」の心もちですな(バースディケーキなだけに)。
まあ、卒論締め切りも毎年同時期にあるのでしょうから、「締め切り日はオレの誕生日とする」(とジャイアン口調で)宣言しておけば、多少は学生も気づくのではないでしょうか。
さて、プレゼント代わりに、いまさらなドラマをご紹介します。昨年夏にやっていた「勇者ヨシヒコと魔王の城」といいまして、ドラクエのパロディらしいのですが、モンティ・パイソンが多少入っているんで、ドラクエを全く知らない私も楽しめました。
大体「私は勇者だ」と真顔で言い放つ山田孝之(世界の中心で愛をさけんだ人)に呵々大笑、チープでしょーもないギャクの応酬に、昨日見つけたのにその日のうちに全12話を見終わる始末。しかもロケ地もとても親近感の沸く光景です。DVDも出ているようですので、浮き世の憂さを嗤い飛ばしたい時には、ぜひ。
「心理学を変えた40の研究」はワトソンのアルバート坊やの実験あたりを読むとよいでしょう。そちらの記事が談志で落としていましたので、こちらも「考えオチ」でまとめた次第で。
投稿: こぶぎ | 2012年1月10日 (火) 09時40分
ありがとうございます。
べつにスネたからコメント欄を閉じたんじゃありませんよ(笑)。
こぶぎさんもうすうす感づいていると思いますが、あの日記のテーマは「たった一度しか会ったことのない人との、国境を越えた友情」です。
だから、ヨンギュさんからメッセージが来た時点で、祈るように(頼むからもう誰も「誕生日おめでとう」と言わないでくれ)と思ったんです。誰か他の人からも来てしまったら、このエピソードは成立しなくなってしまいますからね。
夜、妻にメールしたら、「あ、忘れてた」と。そうそう、それでいいんだ、と思いました(笑)。
で、その翌日と翌々日も誰からもメッセージが来ないことを確かめた上で、あのエピソードを書いたわけです。
コメント欄を閉じたのは、そのへんの趣旨が伝わらずに、気を遣ってお祝いのメッセージを書いていただくようなことがないようにするためだったのです。
どうです?面倒くさい性格でしょう?
もうひとつのテーマは、「オッサンの悲哀」を描くこと。これは、数日前にチェ・ミンシク主演の映画「春が来れば」を見たせいです。
どうです?これもわかりにくいでしょう?
ま、こういう面倒くさくてわかりにくい性格ですが、今後ともよろしくおつきあいください。
ちなみにこぶぎさんとはすでに「往復100㎞の友情」が成立していますので、ご心配なく(笑)。
投稿: onigawaragonzou | 2012年1月10日 (火) 23時42分
演出上のコメント欄閉鎖とは、「吹きだまり」の世界観を守りたいこぶぎとしては、無粋なコメントを書きました。
ちなみに「花咲く春が来れば(原題)」は、韓国に買い出しに行ったときにVCD買って持ってます(でも字幕なしなのでよく分からなかった)。吹奏楽の話で、映画「今を生きる」に似た話なので、鬼瓦ごのみの映画でしょう。シュリの時のチェ・ミンシクも若くていいですなあ。
あと「40の研究」は、ピグマリオン効果の辺りも読んで下さいね。
投稿: こぶぎ | 2012年1月11日 (水) 08時21分
いえいえ、無粋なのは、ネタバラシを書いた私の方です。「誕生日にスネているオッサン」というほうで引っぱった方がよかったかも。
投稿: onigawaragonzou | 2012年1月11日 (水) 23時41分