酒豪先輩
1月28日(土)
午後、東京のある場所で、同業者100人あまりが集まる会合である。私がいちばん苦手とする集まりである。
山崎豊子のドラマに出てくるような、権威的な感じのする会場で、偉い人たちが挨拶をはじめた。
挨拶が終わると、しばしの間、顔合わせをかねた立食形式の昼食である。その後、各グループに分かれて会議をすることになっていた。
会場を見渡すと、懐かしい人たちがたくさんいたので、少し安心した。
学生時代にお世話になったNさんもその1人である。
大学時代、私は悶々とした時間を過ごしていたが、唯一、「青春」っぽい時間を過ごしたのが、夏休みに参加した「山中での調査」である。
この時の思い出については、以前に書いた。
Nさんは、この時の調査で中心的な役割を果たした先輩で、私が大学1年の時、ある大学の大学院生をしていた。
この調査は苛酷だった。電気も水道もない山中にテントをはり、そこで生活をしながら調査をするのである。2週間、いや、長い人は1カ月間も滞在した。
昼間の調査が終わると、当然、何もやることがないので、お酒を飲むか、アカペラで歌を歌うくらいしか楽しみがない。私の「お酒」は、この時に鍛えられたといってよい。
調査を主導するNさんは、当時から「酒豪」として有名であり、この調査にはまさにうってつけの存在だったのである。
当時1年生だった私は、右も左もわからなかったが、Nさんをはじめとする先輩方に、とてもお世話になった。そのご縁で、他大学の、しかもまったく専門分野が違うにもかかわらず、その後もいろいろな調査に連れていってもらったりしていた。といっても、私は調査ではまったく役に立たないから、もっぱら夜になると調査先の民宿でお酒を飲んでいたくらいである。
卒業後はほとんどお会いすることがなかったが、広い意味での「同業者」として、ごくたまに、お会いすることがあった。昨年も、久しぶりにみんなで集まって飲もうと電話をいただいたが、私の方の事情により、その集まりには参加しなかった。だからお会いするのは数年ぶりである。
「久しぶりねえ」とNさん。
「ほんと、久しぶりです」
「今日の出席者の名前を見たら、懐かしい人の名前が多くて嬉しくなっちゃって」
これから会議だというのに、立食形式の昼食にはビールが並んでいた。
ビールを注ぎながら私が言う。
「今でも酔っぱらうとTさんのところに電話をするんでしょう?」
Tさんというのは、やはり学生時代に一緒に調査をした仲間である。Nさんは、酔うと電話をかけるクセがあるらしい。
「何で知ってるの?」
「昨年の夏、Tさんの職場で仕事をしたんですよ」
「ああ、聞いた聞いた。そのときT君からメールが来たのよ。『いま、M君がうちの職場に来ています』って。うらやましいなあって思って」
Tさんもこの仕事のメンバーだったが、今日は都合で来られなかった。
「でも、あのとき飲んだくれていた私たちが、こうしてここまで来たんだねえ。さっきもSさんとそんな話をしていたのよ」
Sさんというのも、その調査の中心メンバーだった先輩である。
私は、いろいろな理由から、今日のこの仕事にあまり気乗りしていなかったが、Nさんのような感慨は私にも許されるだろう、と思った。
立食形式の昼食が終わり、今度はグループに分かれてマジメな会議である。それが2時間ほど続き、午後4時過ぎに会合はお開きになった。
このまますぐに帰るのももったいないので、知り合い数人と、近くの店でビールを飲むことにした。
ビールを飲みながら話をしていると、携帯電話が鳴った。Nさんからである。
「いま、どこにいるの?」
明らかに、酔っている様子である。
「○○○の地下の店です」
「じゃあ飲んでいるのね。それならよろしい」
よろしい、の意味がわからない。
「どちらにいらっしゃるんです?」
「私もね…どっかの建物の地下!」
Nさんは、Nさんのグループで集まって飲んでいるのだろう。
「さっき、ちゃんと挨拶できないまま終わったんで、挨拶しようと思って」とNさん。
「そうですか。また今度、一緒に飲みましょう」
「そうね。絶対だよ」
「わかりました」
電話を切る。時計を見ると、もう帰らなければならない時間である。今日は妻の実家で夕食を食べると宣言していたのだ。
一緒に飲んでいたメンバーと別れ、お店を出ようとすると、「あああああぁぁぁぁ!!!」という声がした。声のする方を見ると、Nさんが私を指さしている。
なんとNさんたちのグループも同じ店にいたのである。Nさんだけではない。そのグループには、懐かしい人たちがたくさんいた。
「なあんだ。同じ店にいたんですか」
「なに、もう帰っちゃうの?」
「ええ、今日は早く帰るって言ってしまったもので」
「せっかく久しぶりだっていうのに…」
まだ夕方6時過ぎだというのに、Nさんはかなりできあがっているようである。
「あんまり飲みすぎないようにしてくださいよ」私はNさんにくぎをさして、店を出た。
翌日、Nさんからメールが来た。
「やっぱり飲みすぎました。でも昨日は、久しぶりにみなさんと会えて、とても嬉しかったのです」
私は、Nさんが「飲みすぎた」様子が目に浮かんだ。たぶん、学生のころとあまり変わっていないのだろう。
もう25年近くも経っているのに、学生時代の関係性が変わらずに続く場合もある。
そういう関係は、たぶん貴重なのだと思う。
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