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2012年2月

白菜の呪縛

2月29日(水)

ビックリすることに、今年に入ってから、まだ1回も足が痛くなっていない!

それもこれも、野菜中心の食生活に変えたからである!

私の大好物の「エビ」とか「枝豆」が、じつは私の持病によくない、という衝撃の事実を知ったのは、昨年末くらいのことである。

それ以降、エビフライ(名古屋風にいえばエビふりゃあ)とか、豆もやしとかを、極力控えるようにした。もちろん、「ここぞ!」というときには食べたりするのだが。

ここのところ、家で毎日キムチ鍋、というか唐辛子鍋ばかり作っている。

というのも、先日、東京で山ほど野菜をもらってきたからである

この野菜が、なかなかなくならない。

とくにもらった白菜がビックリするほど大きくて、毎日鍋に入れても、いまだになくならないのである。

では、その作り方をお教えしよう。

Images2 土鍋に水を入れて、そこに韓国ではおなじみの「ダシダ」を入れる。「ダシダ」とは、粉末状の「だし」のことである。韓国に行けば、どこにでも売っていますよ。

それに、コチュカルを、鍋一杯が真っ赤になるまで入れる。「コチュカル」とは、粉唐辛子のことである。これも、韓国のスーパーに行けば必ず売っていますので、容易に手に入ります。

20_159_0_4_small_image あとは、ぶつ切りにした白菜だの、ネギだの、豚のバラ肉だの、エノキだの、マロニーだの、ニラだのをテキトーに入れればよい。

しばらく煮込めば完成。

ホラ、だれでも簡単にできるでしょう。

ポイントは、「ダシダ」と「コチュカル」ですよ!

シメにご飯を入れて、おじやにすれば、もう何も言うことはない。

しかし、ここ1週間以上、ずっとこれである。さすがに飽きてきた。

ああ!はやく白菜の呪縛から解き放たれたい!

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矢野顕子からのYMO

久しぶりに、矢野顕子が20周年を記念して出したアルバム「Hitotsudake the very best of Akiko Yano」(1996年)を聴く。矢野顕子のベスト集である。

久しぶりに聴く矢野顕子は、じつにいい。アルバムのタイトルになった「ひとつだけ」は、やはり代表曲というべき名曲である。歌詞もメロディもすばらしい。

矢野顕子の歌詞には、「遠く離れた友人」に対するメッセージが込められていることが多いような気がする。たんに私が好きな曲がそうなのかも知れないが。

「ひとつだけ」では、

「離れているときでも わたしのこと

忘れないでいてほしい ねえお願い

悲しい気分の時も わたしのこと

すぐに呼びだしてほしいの ねえお願い」

という部分がそうだし、これまた名曲の「David」の、

「果てしなく広がる街から ひとりはなれて

読み返すあなたの手紙 漂う思い出

David 私達は こんなに遠い 時間も場所も」

「大きな声でさけびたい あなたの名前を

わたしのともだち」

などという部分は、まさに遠くにいる友人を思う歌である。

いまは亡きナンシー関さんが、「ひとつだけ」によせて、20周年記念のアルバムの「寄せ書き」にこんな文章を書いている。

「『ひとつだけ』は、矢野顕子の歌唱する力を改めて認識させてくれる曲だと思う。

ハマリすぎなので言うのが、ちょっと恥ずかしいくらいだけど、「ひとつだけ」の入っているアルバムを、上京したての浪人の時に本当によく聴いた。そのうえ、それまで矢野顕子の曲は黙って聴くものだと思っていたのに、いつも一緒に歌ってたりした。別に都会のコンクリートジャングルは冷たいとか思っていたわけではないんだけど」

たぶん私の世代の人たちの中には、矢野顕子の歌に救われた、という人が多かったのではないかと思う。

アルバムには、ユニコーンの「すばらしい日々」のカバーも入っている。

ユニコーンのオリジナルの曲もいいが、矢野顕子の歌う「すばらしい日々」もまた、すばらしい。というか、矢野顕子が歌うことにより、この曲のよさが再認識されたのではないだろうか。

つねづね不思議に思っていたのは、この歌の中の、

「君は僕を忘れるから そのころには君にすぐに会いに行ける」

という歌詞である。

忘れてしまったら、会いに行けないのではないかと、つい、思ってしまうのだが、そういう意味ではないらしい。

これは一説には、奥田民生が、バンドを脱退するメンバーに向けて書いたもので、いろいろなわだかまりを忘れることができたら、またすぐに君に会いに行くことができる、という意味ではないか、という。

真偽のほどは定かではないが、これに関して、なるほど、と思ったことがある。

最近、ある雑誌で坂本龍一が「老い」について語っていて、…というか、もう教授は還暦なんだね…その中で、「年をとってよかったことはほとんどないが、強いて言えば、YMOのメンバーが仲良くなって、自然に音楽を楽しめるようになったこと」みたいなことを言っていた。

YMOの3人の仲がよくなかったことは、当時中学生だった私も感じていたことで、「たしかにそうだよなあ。細野さんと教授が、音楽的にも人間的にも合うわけがないよなあ」などと思っていた。

散開(YMOは、「解散」といわずに「散開」と言った)直前は、3人はほとんど口も聞かなかった、というから、3人の関係は修復不可能なところまで来ていたのではないかと思う。

それが、還暦をすぎて、あの頃のわだかまりもとけて、ようやく3人で音楽を楽しむことができるようになったというのだから、年をとることも悪くない。

年をとってからはじめてわかることが、たくさんあるということなのだろう。

…あれ?矢野顕子の話をしていたのに、いつの間にかYMOの話になってしまったぞ。

ふり返ってみれば、矢野顕子、大貫妙子、松任谷由実が、私の青春時代の「3強」女性歌手だった。

この話は、またいずれ。

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仁寺洞(インサドン)のモーテル

2月26日(日)

私がはじめて韓国に行ったのは、1999年11月のことである。

資料調査と学会出席をかねた旅だったのだが、実を言うと、海外旅行をしたのがこの時が初めてだった。もちろん、韓国語など全くわからない。

韓国に留学経験のある先生が連れていってくれたのだが、そのときは、どこのホテルに泊まるのかも知らされず、というより、予約をしていなかったみたいで、その日その日に、町のモーテルを探して泊まる、という旅だった。

今でこそ、韓国には「ホテルを予約する文化」というものがなく、行った先で飛び込みでモーテルに入ることがよくある、ということを知っている。実際私も、留学中はそのようにして旅行していた。韓国には、日本のようなビジネスホテルがなく、温泉マークの看板のあるモーテルが、それに相当するものなのである。

この頃はまだ、そんなことなどまったく知らないので、てっきりどこかのホテルに泊まるのかと思っていた。だが泊まるところは、日本のラブホテルのようなモーテルばかりである。

さてこの旅で、韓国の釜山から北へ移動してきた私たちは、最終日にソウルに泊まることになった。

ところがソウルに着いたのがすでに夜11時過ぎ。あちこちと宿を探すが、適当な宿が見あたらない。

そして仁寺洞(インサドン)という町で、1軒だけ、人数分の空室があるモーテルが見つかった。だがそこは、これまでで最もボロく、ひどいモーテルだった。

部屋の水回りは悪いし、何より、直前まで部屋にいたカップルの客がチェックアウトしたあとも、掃除をすることなく、そのまま私たちを部屋に案内する始末である。

(最悪だな…)

私の頭の中には、「仁寺洞」という町の名前と、「最悪なモーテル」が、のちのちまで記憶に残った。

さてそれから2年後のことである。

あるところに職を得て、そこで年上のOQさんという同僚と知り合うことになる。OQさんも韓国留学経験のある方で、年に一度の実習で、学生を韓国に連れていっていた。

「Mさんも一緒に行かない?」

韓国に関心を持ちはじめていた私は、ふたつ返事でOKした。学生たちの引率をかねた、ふたたびのソウルである。

この実習では、仁寺洞で自由時間をすごす、という予定が組み込まれていた。仁寺洞は、日本でいえば浅草みたいなところで、外国人観光客が必ず行くといってよい観光スポットである。だが2年前は、そんなことすら知らなかった。

仁寺洞を歩いていて、2年前の記憶がよみがえってきた。

あの、「最悪のモーテル」は、どのあたりだったのだろう?

あのときは、あたりが真っ暗で、自分が仁寺洞のどのあたりを歩いていたのか、まったく記憶にない。

そのことをOQさんに話すと、

「じゃあ、みんなでそのモーテルを見つけに行こう」

ということになり、学生も動員して、「モーテル探し」をすることになった。

私よりも、どちらかといえばOQさんの方が、はりきっていた。

私はわずかな記憶をたよりに、OQさんや学生たちを連れまわして、仁寺洞を歩きまわった。

わずかな記憶とは、狭い路地を入っていったことと、モーテルの前に居酒屋があり、そこでビールを飲んだ、ということくらいである。

しばらく歩きまわり、その記憶に合致するモーテルを見つけた。

「ここですよ!ここ!」

私は思わず叫んだ。

「たしかにボロいねえ」とOQさん。

路地のどん詰まりにある場末のラブホテル、といった感じの、あやしげなモーテルである。2年前は夜に来たからわからなかったが、明るいところで見たら、絶対に泊まりたいとは思わないだろうな。

「せっかくだから、写真を撮ろうよ」OQさんが提案した。

「写真ですか?」

「それもさあ、『いまこのラブホテルから2人が出てきました』という感じで」

そういうと、OQさんは女子学生1人に協力を仰ぎ、モーテルの入口に2人で並んで、ピースサインのポーズをとった。

「じゃあ、撮りまーす」

カシャッ。

「Mさんも撮りなよ」

「僕もですか?」

やはり女子学生の1人が協力してくれて、モーテルの玄関の前に並ぶ。

カシャッ。

かくして、せっかくの仁寺洞の自由時間は、「最悪のモーテル」を探すことに費やされたのであった。

そしてそのモーテルの前で撮ったあやしげな写真は、2枚とも、いまも私のパソコンの中に保存されている。

あれから10年がたち、その間にも、仁寺洞を何度となく訪れたが、あのモーテルを訪れることはなかった。

いまもまだ変わらずに残っているだろうか。あのときの写真を見返しながら、そう思った。

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グラハム・カー的こころ

知らない言葉に出くわしてしまったために起こる珍騒動、というモチーフは、落語によく出てくる。

「転失気(てんしき)」とか「ちょうずまわし」とか。

「転失気」は、小学校6年生の時、NHKのラジオから流れた3代目三遊亭金馬の高座で知った。

私が落語に目覚めたのは、この「転失気」を聞いたのがきっかけだったといっても過言ではない。

お寺の和尚さんが腹痛をおこし、医者に診てもらったところ、「てんしきはおありですかな?」と尋ねられた。和尚は「てんしき」が何かわからないのだが、「知らない」とも言えず、つい「ございません」と答えてしまう。「ではそのように薬を盛ります」と医者に言われ、自分の身体に関わることだとわかりさあ大変。あの手この手を使ってこの言葉の意味をさぐろうとするのだが…。

「ちょうずまわし」は、6代目笑福亭松鶴の高座をCDで聞いた。

丹波の田舎旅館に、都会の大坂からお客さんが泊まりに来る。朝、大坂の客は旅館の仲居さんに「ちょうずをまわしてくれ」と頼むが、仲居さんは「ちょうずをまわす」の意味がわからない。村中総動員してこの意味をさぐろうとするが…。

いずれも、「知ったかぶりがもたらした災難」という結末を迎える。

これは落語の世界だけかと思っていたが、欧米でもこの手の話はあるらしい。

Cagwvhay 私が子どものころ、「グラハム・カーの世界の料理ショー」というカナダの番組が、日本語吹き替えで放送されていた。といっても私は全く記憶になく、以前、DVDが出ていることをこぶぎさんに教えられて、最近見たのである。

この番組は、グラハム・カーというオッサンが、世界の料理を紹介し、スタジオでその料理の腕を披露する番組なのだが、メインの料理よりも、オッサンの軽快なトークが面白いことで人気の番組であった。

料理の前に必ずオープニングトークをするのだが、ある回ではこんな話をしていた。

グラハムの知り合いの女性・コリーさんが、スイスに永住しようと、スイスに行って家を探すことにした。スイスの田舎町に1軒、気に入った家を見つけたが、ところがカナダへ戻ってきてから、その家のトイレがどこにあったのか、どうしても思い出せない。

トイレの位置が気になって仕方がないコリーさんは、スイスの田舎町で知り合った校長先生に、手紙でトイレの位置を問い合わせることにした。だが、まさか「トイレ」と書くわけにいかず、「WCはどこですか」と書くことにした。

ところがこの手紙を受け取ったスイスの校長先生、「WC」の意味がわからない。物知りの教会の牧師さんのところに聞きに行くが、この牧師が、知りもしないくせに知ったかぶりをするタイプで、「『WC』の『C』は『教会』の『C』ですな。つまりWのつく教会です」と教えやがった。

それを真に受けた校長先生、コリーさんに返事を書いた。

「おたずねのWCは家から15㎞離れたところにポツンとございます。たいへん大きく、229名収容できます。ただし木曜と日曜しか開いておりません。夏は大勢ご利用なさるので、お早めにおいでになるようおすすめいたします…」

これもまた、知らない言葉を知ったかぶったことによる「笑い」である。

私の拙い文章ではなかなか伝わりにくいが、吹き替えを聞くかぎり、まるで落語を聞いているかのようである。

では、欧米にも落語に通ずるような話があったのか、というと、ここでひとつ問題が浮上する。

はたしてこの吹き替え、グラハム・カーの言ったセリフを、ちゃんと訳していたのか?という疑念である。

「うぃきぺでぃあ」によると、この番組の日本語版を脚色した人が、伝説の長寿ラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」も手がけていたとあるから、翻訳はそうとう落語の方に寄せていた可能性が高い。というか、グラハム・カーの吹き替えをしている黒沢良さんが、完全に小沢昭一さん的なしゃべり方だもん。

むかしの欧米番組の吹き替えは、もとの番組を換骨奪胎している可能性があるな。

そう!あの「おバカバー」のように。

…というわけで、こぶぎさんにしかわからない話題でございました。

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ディスる

2月21日(火)

「追いコン」のときに、ぜひ学生に聞いてみたいことがあった。

先週の土曜日だったか、東京の家で「携帯電話を使った素人参加型の大喜利番組」を見ていたら、「『チャラいニュース』をアナウンサーが読んだとしたら」というお題があって、まあ、そのお題の意味もよくわからなかったのだが、

「明日の朝は、鼻ピアスがヒンヤリ感じられるような寒さになるでしょう」

みたいなネタを、放送局のアナウンサーがまじめに読んだりしていた。

その中に、

「野党が与党をディスりました」

というネタがあって、この意味が、私も妻もまったくわからない。

「何だい?『ディスる』って」

「さあ」

とにかくそれからというもの、「ディスる」という言葉が、気になって気になって仕方がない。

「しくじる」とかそういう意味かなあ、と思うが、どうもしっくりいかない。

ちょうど折りよく、翌週の火曜日には「追いコン」があって学生がたくさん集まるから、そこで聞いてみよう、ということになったわけである。

「フラグ」の一件以降、私にはまったく意味のわからない言葉を、若者に聞くというのが、いまの私のブームになっているのだ。

まずは3年生のCさんに聞くことにする。Cさんは私に「フラグ」という言葉の存在を教えてくれた学生で、彼女なら何でも知っているだろうと思ったのである。

「『ディスる』ってどんな意味?」

「『ディスる』ですか…。そうですねえ。例えば、先生は『寅さん』が好きですよね」

「うん」

「でも、たとえば近くにいた人が寅さんの話をしていて、『寅さんって、なくね?』みたいに言うことがあったりするじゃないですか」

「……」

「それを、『寅さんをディスった』っていうんです」

「……?」

どうもよくわからない。私にもわかるように例をあげて説明してくれたのだが、かえってそれが意味をわかりにくくしている。だいいち、「寅さんって、なくね?」って、どういう意味だ?

私は必死にCさんの説明を推し量った。

「つまりそれは、…『悪く言う』ってこと?『非難する』って意味?」

「そうそう、そういうことです」

「じゃあ、その「ディスる」の語源は何なの?」

「さあ、それはわかりません」

それがいちばん知りたかったのにな。

埒があかなかったので、今度は3年生のN君を呼んだ。

「『ディスる』って、『非難する』って意味だよね」

「まあ、そんなところです」

「何でそれを『ディスる』って言うの?」

「disrespect(ディスリスペクト)の略ですよ」

「ディスリスペクト?」

「はい。『respect』の反対です」

「なるほどdisが語頭に付くと、意味が反対になるからね」

「だから、軽んじるとか、悪く言うとか、そんな意味です」

なるほど、明快な説明である。だが、そもそもなぜ「disrespect」という単語がクローズアップされて「ディスる」という言葉が流行ったのか、いまだにわからない。そもそも、この言葉、流行っているんだろうか?

でもこれでスッキリした。「野党が与党をディスりました」とは、「野党が与党を非難しました」くらいの意味なんだな。

さて、そんな「ディスる」の話題もすっかり忘れた、2次会の席でのことである。

4年生のSさんが、これまでの授業をふり返って言った。

「論文を読んで議論する、という授業があったでしょう?」

「あったね」

「あれって、先生が論文を選んで、学生に発表させるという形式だったじゃないですか」

「そうそう」

「とっても難しい論文で、必死に調べて発表したあと、先生たちの間で学生そっちのけで議論がはじまっちゃって、『結局、この論文はダメですね』という結論になってましたよね」

「そうそう、最後は必ずそうなっていたね」

「あのとき、『先生が選んできた論文なのに、どうして最後にはその論文をディスってるんだろう?だったら最初からいい論文を選べばいいのに』と思ってしまったんです」

出た!出ました!「ディスる」が!

Sさんは、ごく自然に「ディスる」という言葉を使ったぞ。生(なま)「ディスる」である。

なるほど、そういう風に使うのか。

これだけでも、今年度の「追いコン」は収穫であった。

さて2日後、妻からメールが来た。

「ラジオを聞いていたら、『ディスる』の意味を言っていた」

ふむふむ。やはり妻も気になっていたらしい。

「『This is a pen(ディス イズ ア ペン)の略だって」

はぁ?

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追いコンの憂鬱

2月21日(火)

毎年恒例の、卒論発表会と「追いコン」である。

朝9時から始まった卒論発表会は夕方6時前に終わり、そのあと、「追いコン」へとなだれこむ。

毎年のことだが、この日になると、ひどく憂鬱になる。

理由はよくわからないが、たぶん、この1年間をふりかえって、自分の力不足だとか、至らなさを痛感するからだろう。

他の同僚の指導力にくらべ、俺ときたら…と、いつも軽く死にたくなるのである。

(あーあ、この仕事、やめちゃおっかなあ)といつも思う。

卒論発表会が終わり、「追いコン」へ向かう道すがらも、

(追いコン、サボっちゃおうかなあ)

と、思い、つい足どりも重くなる。毎年そうである。

まあ、風物詩みたいなものだと思えばよい。

「追いコン」では、4年生や、他の同僚たちは、解放感や安堵感、達成感といったものに浸っているのだが、自分はどうも、そういう気にはなれない。

「追いコン」の時に、教員全員がやらされる「4年生に贈る言葉」というのが何よりイヤで、今年もまた精彩を欠く話をしてしまい、やはりここでも軽く死にたくなる。ほかの同僚たちが実のある挨拶をしているだけに、なおさら憂鬱である。

だが、そんな中でも、嬉しいことがいくつかあった。

ひととおり挨拶が終わり、例によって心がどんよりしながら、端っこの方で1人でお酒を飲んでいると、今年卒論を指導した4年生の女子5人がやって来た。

卒論指導のお礼に、といって、チョコレートを作ってきたというのである。

箱を開けてビックリした。

M チョコレートには、私の顔のイラストが描いてあった。

「これ、さっき急いで描いたんです」とSさん。「チョコレートは、昨日の夕方作ったんですけど」

チョコレートも手作りらしい。

「これ、もったいなくて食べられないよ」と私。

「でも、傷んでしまうかも知れないんで、2,3日のうちに食べてください」

3月に卒業する4年生たちのうち、少なくとも5人の学生には支持されていたということか、と考え、この仕事を辞めるのはまだ早いかも、と思いとどまった。

次に3年生のOさんと話をする。

「韓国の留学が正式に決まりました!」とOさん。

「それはおめでとう」

「私が韓国に留学しようと思ったのは、先生のブログを読んだからです」

「え?」

「韓国留学中のことを書いた先生のブログを全部読んで、私も韓国に留学しようと決心したんです」

「……」

このくだらないブログが、人生を変えるきっかけになるなんて…。私はなんだか申し訳ない気持ちがした。

でも、私の留学が、1人の学生の留学を後押ししたのであれば、私の留学は決して無駄ではなかったのだ、と安堵した。

「先生、2次会どうしますか?」1次会のお開きが近づいたころ、幹事の学生が聞いてきた。

今日は憂鬱だったので1次会で帰るつもりだったが、

「せっかくだから、もう少しみんなと話してから帰ろうか」

と、2次会の会場に向かうことにした。

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写真プリントブームの到来!

2月20日(月)

数日前、ある先生に、写真を送る機会があった。

だがその先生は、おそらくパソコンをおやりにならない方なので、写真も、デジタルカメラで撮影したデータをプリントして、郵送でお送りしなければならなかった。

そういえばここ数年はもっぱら、デジカメで撮影し、それをデータで保存してばかりいるので、写真をプリントする、ということを、もう何年もやっていない。

写真屋さんにデータを持っていって、プリントしてもらうことにした。

実に久しぶりに写真屋さんに行ったが、デジタルデータを、あっという間にプリントアウトしてくれるんだね。

しかも、自前のプリンタでプリントするよりも、かなりきれいに色が出る。

その写真屋は、Lサイズが1枚19円。ハガキサイズに拡大しても19円という値段である。

デジカメプリントにすっかり魅了されてしまった。

考えてみれば、ずぼらな性格のゆえか、デジカメで撮った写真をプリントして保存しようなどと、これまで全然考えたこともなかった。

たしかにデジタルデータで保存するというのは場所をとらないから便利だが、やはり思い出に残る写真はプリントして、アルバムに入れて残しておいた方が絶対いいな、と思い直した。

そうだ!まず手はじめに、生まれて2ヵ月になる姪の写真を、妻と私が山ほど撮ったはずだから、それをプリントして、アルバムを作ることにしよう!

東京に戻った先週の土曜(18日)、さっそく妻に提案した。妻のデジカメには、姪の写真が山ほどおさめられているはずである。私も何枚か妻のデジカメで姪を撮影した。

さっそく写真屋さんに行ってプリントしてもらう。東京だと、なぜかLサイズが1枚31円と、やや高いが、70枚近くをプリントし、せっかくだからと、ちゃんとしたアルバムを買って、そこに写真を入れて、義妹夫婦(つまり、姪の両親)にプレゼントした。

義妹の夫は、なぜか浮かない顔である。どうしたのだろう。

「『課長』が御子(おこ)を撮った写真もアルバムにしたそうなんだけど、どれもブレブレらしいのよ」と妻。

「課長」とは、義妹の夫のあだ名である。なぜか学生時代から「課長」と呼ばれている。いまも平社員なのに、「課長」というあだ名は変わらない。

実際にアルバムを見せてもらった。

「たしかにどれもブレブレだねえ。どうやったらこんなにブレるんだろう」

せっかく撮った自分の娘の写真が、どれも全部ブレているのである。これでは思い出も台無しである。カメラの腕がないにもほどがある。

それにひきかえ、妻と私が撮った写真は、表情といい、明るさといい、構図といい、どれもすばらしい。写真集として出版してもおかしくないくらいの出来である。

そうか。自分のカメラの腕のなさと比較されるのがイヤで、それで落ちこんでいたのか。

それでも「課長」は、気を取り直して言った。

「僕が撮ったのと、あまり変わりませんねえ」

明らかに負け惜しみである。

…ということで、私の中で「写真屋さんに行って、いままで撮った写真をプリントするブーム」が到来し、いま頻繁に写真屋さんに訪れている。次は、韓国留学時代の写真を数百枚プリントして、壮大なアルバムを作ってやろう。

完成したあかつきには、親しい人に見せてまわろう。たぶん見せられる方は迷惑だと思うけど。

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野菜難(やさいなん)

2月19日(日)

午後、都内の某大学で、ワークショップである。

午後6時過ぎに終わると、外はすっかり暗くなっていた。

暗いうえに、はじめて来た大学なので、出口がどこかわからない。

まわりを見渡すと、何人かの人が集まっている様子が見えたので、そこに近寄っていって、出口をたずねることにした。

「あのう、すいません。出口はどこでしょうか?」

すると威勢のいいおじさんが出口らしき方角を指さしながら言った。「あっちの方ですよ。それより、野菜を持っていってください」

「え??」

「大丈夫です。もう精算が終わったんで、タダで持っていってもらって大丈夫ですから」

そう言うと、そのおじさんは私にビニール袋を渡した。「どうぞ、好きなだけ持っていってください」

どういうことだ?あらためて見渡すと、どうやら大学の構内で野菜の直売をしていたらしい。夕方になって直売会が終わり、けっこうたくさんの野菜が、売れ残ってしまったようなのである。

「いや、その…。これから新幹線に乗ってかえらなければならないので…」

「まあいいじゃないですか。私らだってこれから帰らなければならないんです」

看板を見ると、この野菜は、東北のある県でとれた野菜を、東北復興のために都内に持ってきて直売しているものであることがわかった。風評被害で売れ行きが不振になったことも影響しているようである。そういうことなら、協力しなければならない。

「わかりました。じゃあ、いただきます」

そう言って、売れ残った野菜をビニール袋にどんどんつめていく。

白菜1株、小松菜2袋、ジャガイモ1袋、玉ねぎ1袋…。

あっという間に、ビニール袋がいっぱいになった。ひとつのビニール袋では足りなくなり、もうひとつのビニール袋をもらう。とくに白菜1株がメチャクチャ大きくて、とにかく重いのだ。

仕事道具だの本だのをいっぱいつめたリュックを背負っていることに加え、両手には野菜のつまったビニール袋を持って、都内某所から東京駅へと移動する。

これではまるで、戦後の闇市で食料を仕入れてきた人みたいではないか!

ま、タダでいただいたのだから、「重い」などと文句を言うのはバチ当たりというものである。うれしい災難、というべきか。

これからしばらくは、白菜を使ったキムチ鍋が続くだろうな。それと、ルクエを使った「小松菜のナムル」にも、当分困らない。

(さすが、東京はオシャレな人が多いなあ…)

そんなオシャレな人たちを横目で見ながら、「闇市へ買い出しに行ったような格好」をした私は、新幹線のホームへと急いだ。

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「笑点」司会者考

芥川賞受賞作でも読んでみようかと思って、今月号の『文藝春秋』を買ってみた。

ところが、ほかの記事が面白くて、なかなか小説にたどり着かない。

巻頭では、私が崇拝している音楽家のナベサダ(渡辺貞夫)さんがエッセイを書いているし、脚本家の倉本聰さんの、いまも続く「脳内『北の国から』」の話も面白い。そして何より桂歌丸師匠が「笑点」について語っている記事が、じつに興味深い。

これを読んで、いろいろな発見があった。

まず、大喜利の初代司会者である立川談志師匠と歌丸師匠は、同い年だったということが驚きだった。談志師匠と歌丸師匠は、芸風が真逆、というイメージがあって、たぶん二人の価値観はお互い相容れないものだったのではないか、と、想像していたのだが、そうでもなかったようである。

それと、大喜利で歌丸師匠とはりあっていた小圓遊師匠は、1980年10月に43歳の若さで急逝したということ。これにも驚いた。43歳といえば、いまの私の年齢ではないか!子どものころ、小圓遊師匠を見て、ずいぶん老けているなあと思っていたが、いまの私と変わらない年齢だったんだな。

歴代の司会者についても、歌丸師匠は抜群の記憶力で語っている。

1966年5月にスタートした「笑点」の初代司会者が談志師匠というのは有名な話だが、その後、短い期間だが1970年の秋に前田武彦が2代目の司会者となり、そのすぐあとの70年の暮れから三波伸介に代わった。ちなみに私にとって「笑点」の司会者は、三波伸介以外には考えられず、1982年12月に三波伸介が急逝してからは、笑点をほとんど見なくなってしまった。

その後、1983年1月に司会は先代の円楽師匠に代わるが、じつはその前に、ショートリリーフとして1度だけ、愛川欽也が司会をした、というのも、今回初めて知った。たぶん私はその回を見ていたと思うのだが、記憶にない。

落語家による大喜利の司会は、安心して見られる反面、どこか自己完結的な感じがして、なんとなくなじめなかった。その点、落語が本業ではない三波伸介の司会は、時に落語家の笑いに共感したり、時に落語家のギャグを突きはなしたりして、その緊張感が、じつに心地よいものだった。三波伸介自身が最高の演芸人であり、落語に愛着を持っていたからだろう。

いま、三波伸介のようなスタンスで大喜利の司会ができる人は、誰かいるだろうか、とたまに夢想することがある。江戸前の落語と演芸に愛着を持ち、「笑点」のあの強固なチームワークの落語家たちの、強烈な個性を軽やかに交わしながら、彼らとうまくわたりあえる司会者。三宅裕司こそ、それにふさわしい司会者だと私は考えているのだが、いかがだろうか。

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心がザワザワする映画

2月17日(金)

朝、職場の廊下を歩いていると、同僚に声をかけられた。

「午後、時間があったら映画を見に来てくださいよ」

「映画?」

そういえば今日の午後は職場で、2本の映画の上映と、そのあとに映画のプロデューサーを招いたシンポジウムをすると聞いていた。声をかけてきた同僚はその企画に関わっていたのである。

私は午後3時の新幹線に乗らなければならなかったから、たぶん見に行けないだろうな、と思ったが、チラシをよく見ると、2本上映される映画のうち、1本目は1時に上映が始まり、2時半くらいに終わるとあった。

1本目の映画を見るだけなら、3時の新幹線には間に合う。

ふだんの私ならそれでも見に行かなかっただろうが、昨年、私も職場のイベントを企画してみて、一人でも多くの人が来てくれると、主催者は嬉しいものだ、と実感した。だからできるだけこういうイベントには参加してみよう、と思ったのである。

それに、1本の映画が人生を変える可能性だってある。映画とはそういうものだ。

ということで、午前中のうちに大急ぎでやるべきことを片づけ、会場に行く。

「歓待」(深田晃司監督、2010年公開)というタイトルの日本映画である。

下町の印刷工場を営む小林一家のもとに、「加川」となのるヒゲ面の男がやってくる。胡散臭そうに見えるその男は、いつしかその印刷工場に住み込み、居座るようになる。不審に思う小林一家をのらりくらりと煙に巻きながら、やがてとんでもない事件に一家を巻き込んでゆく、というストーリー。

出演する俳優は、失礼ながら、だれ一人見たことがない。主人公である小林印刷の社長を演ずる役者が、小日向文世に雰囲気が似ているなあ、と思ったくらいで、あとは、まったくもって新鮮なキャスティングである。

見ているうちに、なんかザワザワする感じがしてきた。

「ザワザワする」としか、いいようのない感想なのである。

上映会のチラシには、「つぎはぎだらけの家族模様を、洗練されたユーモアで包みながら、時にシリアスに問題提起をし、時に爆笑を誘う。共同体と排除の問題を抱える現代日本を鋭く風刺しながら、家族とは何かを問いかけた」「話題作」云々と、この映画を評している。

だが、ちょっと違う感じがするんだよなあ。「ユーモア」でも「シリアス」でもない、「ザワザワ」としかいいようのない感じがするのだ。

ひげ面の「加川」が胡散臭く見えるのはもちろんだが、小林印刷の社長(小日向文世似の俳優)、そして妙に若くてきれいな小林社長の後妻、「加川」の「妻」と称する国籍不詳の金髪の外人女性、「出戻り」で居候している小林社長の妹…。登場人物のすべてが、なにかしらの「やましい部分」とか「闇の部分」をかかえていて、そう、つまりは、全員が「胡散臭い」人びとなのだ。

その胡散臭い人びとが、下町の小さな印刷工場という「一つ屋根の下」で、一見平穏に暮らしている。だがちょっとでもそのバランスが崩れれば、その人の「闇の部分」が見え隠れする。見ているこっちは、なんかザワザワするのだ。

なんだろうこの「ザワザワ感」は?前にもいちど感じたことがあるような…。

そうだ!「ツイン・ピークス」だ!デヴィッド・リンチ監督が手がけた連続テレビドラマ(1990~1991年放映)である。20年以上前に放送された当時、日本でも話題になったドラマである。

ツイン・ピークスというアメリカの小さな田舎町に、一見平穏に生活している人びと。そこで起こった女子学生殺人事件をきっかけに、それまで平穏に暮らしていた人たちの「闇の部分」が姿を現しはじめる。登場するすべての人たちが、胡散臭い人たちとしてたちあらわれてくるのだ。

ドラマを見続けていくにつれて、殺人事件の犯人捜しなどどうでもよくなり、登場人物たちの「胡散臭さ」の方に心をひかれたものだ。「ツイン・ピークス」を見ていたときの、あの「ザワザワ」した感じ。それを、この映画を見ていて思いだしたのである。

この映画の意図は、「ユーモア」でも、「シリアス」でも、「風刺」でもなく、あの「ツイン・ピークス」のような「ザワザワした感じ」を表現したかったのではないか?

…とここまで書いてきて、私は映画評論家には向いていないことがわかる。

なぜなら、この映画を評して「心がザワザワする映画」などと表現しているからである。なんだよ!「心がザワザワする映画」って?評論家なら、もっと気の利いた言葉を使わなければ、伝わらない。

上映後のシンポジウムで、もし私が「この映画は心がザワザワする映画ですね」と言ったら、会場の中でどのくらいの人たちが理解してくれただろうか、と想像した。

たぶん、だれにも理解されないだろうな。

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やる気を出すための奇策

2月16日(木)

今日はもともと、学生たちと後期の授業の打ち上げをやる予定だった。

だが1週間ほど前、幹事の学生が言った。

「すいません。打ち上げ、学生の人数が集まらないので中止になりました」

うーむ。年々、人望がなくなっていく私。ま、それはそれで仕方がない。もうこの先、打ち上げをやることもないだろうな。

その代わりに、というのもヘンな話だが、今日中にどうしても終わらせなければならない仕事があった。かなり根気のいる仕事である。

だが相変わらず、やる気が出ない。

職場では集中できないし、家に帰っても、部屋が寒くって、仕事どころではない。なにより、家で仕事などできるタイプではないのだ。

どうしたものか…。

そこでハタと膝を打った。

「ホテルに缶詰」だ!

有名な作家さんは、締切が近づくと、出版社が用意したホテルに缶詰になって仕事をする、なんて聞いたことがあるぞ。私の場合、自腹だが、この際やむを得ない。

実はこの手の話、前にもこの日記で書いたことがある。私のダメ人間ぶりは、下の日記に書いているので、参照のこと。

神は降りるか

今回は、失敗しないよう、周到に場所を考えなければならない。

ではどんなところがいいか?

まず、ふつうのビジネスホテルはよくない。ビジネスホテルの部屋は、照明が暗いし、それに安いところだと、テーブルが異常に小さく、仕事をするのにかえってストレスがたまるからである。加えてビジネスホテルのお風呂は小さい。これでは疲れがとれない。

理想をいえば、温泉宿の和室がいい。和室だと、部屋の電気は明るいし、なにより温泉に入って、仕事の疲れを癒すことができる。いや、温泉でなくてもいいから、大浴場のある旅館なら、十分である。

だが、旅行サイトで探してみると、周辺の温泉宿はどこも1万円以上の値段の部屋ばかりで、仕事をするためだけに泊まるのには、ちょっともったいない気がする。

いろいろ探してみると、市内に1軒だけ、私の理想とする宿があった。

和室で、バス・トイレ共同だが、少し広めの浴場がある旅館である。しかも1泊2食付きで7000円ちょっとの値段である。インターネット上での評判も、悪くない。

そもそも今日は、学生と授業の打ち上げをするはずの日だったのだ。考えてもごらんなさい。学生と打ち上げをしたら、2次会まで含めて、1万円以上は軽くとんでしまうのだ。それを思えば、1泊2食付きで、しかも懸案の仕事が片づくのであれば、これほどリーズナブルなことはない。打ち上げをしたつもりで、自分に投資すればよいのだ。

…と、自分に言い聞かせて、さっそくここを予約し、今日の夕方、宿に向かった。

宿は、まちなかにある純和風の旅館で、そうねえ、たとえて言えば、映画「男はつらいよ」の中で、寅さんが泊まるような感じの宿、といったらよいか(また始まった)。

実直そうなご主人がいて、家族総出で旅館を切り盛りしている、という感じである。

建物は、かなりの年代物だが、中は掃除が行き届いており、とても清潔である。

夕食も、工夫が凝らされていて、実に美味しい。学生と行く揚げ物ばっかりの居酒屋にくらべたら、はるかに美味しいぞ。

いや、マジで寅さんがこの町に来たら、絶対にこの旅館に泊まるだろうな…、というくらい、風情のある旅館である。

おかげで、懸案の仕事が、予想以上にスムーズにはかどった。これは、本当である。

これからも仕事にいきづまったら、またこの宿に泊まろう。

学生たちよ、私を放っておいてくれてありがとう!

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まだ見ぬ娯楽

人は、自分の関心のないものにはまったく気づかない、というお話。

2月11日(土)

この日は宮崎に行くことになっていて、ずいぶん前に、インターネットの旅行サイトを通じて、宮崎市内のホテルを探すことにした。

ところが、である。

なぜか、この日に宿泊できる宮崎市内のホテルが、1軒もないのである。すでにどのホテルも満室、というわけである。

別の旅行サイトで調べてみても、同じであった。

少し周辺に広げてみても、なかなか見つからない。

あまりの見つからなさに腹が立ち、いっそのこと、高千穂にしてしまえ、と、高千穂に宿を取ることにした。

高千穂は、同じ宮崎県の中でも、秘境と呼ばれる場所である。さすがにここは空いていて、無事に予約することができた。

翌日の日曜日も宮崎でもう一泊する予定だったので、今度は12日(日)のホテルを調べてみると、宮崎市内のホテルは、どこも空室がある。つまり、混んでいるのは11日(土)だけなのだ。

いったいどういうことだろう?この日に限って、なぜ宮崎のホテルは満室なのか?

祝日が祝日だけに、しかも場所が宮崎ということで、その手のお祭りがあるのだろうか?と勘ぐってみたが、どうもそういうわけではないらしい。

そして11日(土)当日。

宮崎空港に到着するや、すぐにレンタカーを借りて、高千穂に向けて出発する。

カーナビの案内音声を聞いて驚いた。

「所要時間は、4時間30分です」

よ、よ、4時間30分????同じ宮崎県内だぞ!

同じ県内だからといって、高千穂をなめてかかっていたのである。

あとで地元の知り合いに聞いた話だが、こんな「宮崎あるある」があるという。

「最近、企業や役所の財政が厳しくて、宮崎市内から高千穂まで日帰り出張をしろと言われるらしい」

「ええぇぇぇ!!そんなの無理じゃん!日帰り出張だったら、むこうで1時間くらいしか仕事できないよ」

つまりそれだけ、同じ県内でも高千穂は秘境だということなのだ。

結果的に、高千穂の秘境は楽しめたし、今回のミッションも達成できたので、悪い話ではなかったのだが。

さて2日目。今度は、宮崎市内のホテルに泊まることができた。

そこで、はじめて気づく。

いまは、プロ野球のキャンプシーズンなのだ!

在京の大手チームが、昔から宮崎をキャンプ地としていることは、有名な話である。

そればかりではない、ほかのプロ野球チームや、さらにはサッカーチームも、宮崎でキャンプをしているというではないか!

昨日の土曜日にホテルが満室だったのは、プロ野球チームやサッカーチームのキャンプを見に、全国から来た人たちが宿泊していたのである!

それを実感したのは、3日目(13日)の朝、宮崎市内のホテルで朝食を食べていたときである。

「朝食無料」が売りのそのホテルは、早朝から、せまい食堂、というかロビーのスペースで、多くの人が朝食をとっていた。

私の隣には、大学生らしい男性。そこに、車いすのおじいさんが、「相席いいですか?」とやってきた。

そこでの会話を聞くとはなしに聞いていると、

「あんた、どっから来たん?」

「滋賀です」

「滋賀かいな。わし大阪や。大学生か?」

「ええ、いま3回生で、この4月から4回生です」

「ほな、就職活動タイヘンやろなあ。キャンプ見に来たん?」

「はい」

「わしもや。わしなんかもう、20年以上も毎年キャンプ見に来とる」

なんと、その車椅子のおじいさんは、20年以上もプロ野球チームのキャンプを見に来ている、というのだ。

そうなのか、と思って、まわりを見渡すと、たぶん私以外のほとんどの人が、キャンプ見学を目的にここに泊まっている人たちであることが、容易にわかったのである。

そのおじいさんも、いつからか足を悪くされたのだろうが、それでもいまだに、大阪から宮崎に、キャンプを見に来ているのだ。

すごい情熱だなあ、と思いながら、車椅子を見て、驚いた。

黒い色の車椅子の部分部分が、オレンジ色に塗られているではないか。

黒にオレンジ…。

在京の大手チームの色ではないか!

なんとその大阪から来たおじいさんは、「在京の大手チーム」のファンなのである。「黒と黄色の縦じまのチーム」ではなく、である。

野球チーム好きが高じて、自分の車椅子をオレンジ色に塗ってしまっているところがすごい。かなりの筋金入りである。

向かいの大学生も大学生だ。大学3年のこの時期っていったら、就職活動まっただ中だろ!宮崎にキャンプを見に来ていて、大丈夫なのか???

私は、プロ野球にもサッカーにも、まったく関心がないのでわからないのだが、キャンプを見に行くって、そんなに面白いことなのか?

そういえば、私と同世代のラジオDJも、野球が好きで、毎年沖縄にプロ野球チームのキャンプを見に行くと言っていた。

これだけ多くの人びとを虜にするプロ野球のキャンプ見学には、何かたまらない快楽があるに違いない。いったいどのような快楽なのだろう?

なぜ、人はキャンプに取り憑かれるのか?

このことを妻に話すと、

「たぶん、あれじゃない?競馬で、レースの前に馬を見たりするでしょう」

「パドック?」

「そうそう、それ」

「そうかあ?」そのたとえも、競馬を知らない私には実感がわかない。

いずれにしても、私にとっては未知の娯楽である。私の知らないところで、そんなに楽しいことが行われているなんて、なんか悔しい。

いつか、プロ野球のキャンプを見に行ってやるぞ!

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渡良瀬橋

風邪をひいて、思い出したことがあった。

いまから12,3年ほど前、週に1度、東京から特急で片道2時間ほどかかる、北関東にある大学に、非常勤講師として1年間通っていた。

北千住から私鉄の特急に乗り、2時間ほどかけて通勤する。大学では3コマほど授業をして、夕方、また特急に乗って東京に戻る、という生活である。

途中、特急は、ある駅に停車する。

その駅のすぐ近くには、渡良瀬川という川が流れていて、特急がその駅に停車するたびに、私はその川を窓越しに眺めていた。

特急がその駅を出発して、ゆっくりと進みはじめると、やがて川に架かる橋が見えてくる。

何度かその光景をぼんやりと眺めているうちに、気がついた。

(ここがあの「渡良瀬橋」か…)

森高千里が歌った「渡良瀬橋」の舞台となった場所である。

私は森高千里のファンだったわけではないが、私と同じ年の生まれということで、無条件に応援することにしていた。

森高千里の作詞のセンスはすばらしく、この「渡良瀬橋」も、彼女の作詞のセンスが遺憾なく発揮されている。語尾が「~わ」で終わる傾向にあるのが、いまの感覚からすると少し面はゆい気もするが、それもまた、彼女らしい言葉の使い方ということなのだろう。

この歌は、東京から私鉄電車で1時間半ほど離れた北関東の小さな町の雰囲気と、そこに住む人びとの思いを、ストレートに伝えている。「遠距離恋愛」とは言えないていどの微妙な距離。だが二人にとっては決して近くはない。なによりその「距離感」に注目したことが、この曲が名曲になった大きな要因のように思う。

「こないだ

渡良瀬川の河原に下りて

ずっと流れ見てたわ

北風がとても冷たくて

風邪をひいちゃいました」

という歌詞が好きで、いつか途中下車をして、渡良瀬川の流れを近くで見てみたい、と思ったものである。

だが1年間その電車に乗り続けたものの、一度も途中下車することはなかった。

この先、あの電車に乗ることもないだろう。渡良瀬川の流れを見る機会は、おとずれるだろうか。

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風邪をひいちゃいました

2月9日(木)の夕方くらいから、ひどく寒気がした。

その寒気は、翌金曜日も続いた。

金曜の午前中で補講を終わらせると、午後には新幹線に乗って東京へ行かなければならない。夕方から研究会なのだ。

その翌日の11日(土)からは、出張で宮崎に行かなければならない。

家で安静にしている時間などないのだ。

たぶん、このところの寒さが、身体にこたえたのだろう、と思った。

駅で体温計を買い、新幹線に乗り込んだ。

さっそくはかってみると、38.5度である。

もはや研究会に参加している場合などではない。

だが、「どうしても出なさい」という主催者の至上命令である。

研究会の幹事にメールを出すことにした。

「風邪をひいたようで、38度以上の熱がありますので、今日の研究会は早めに失礼したいと思います」暗に、研究会の後の飲み会を欠席するという意思表示である。

すると返事が来た。

「無理なさらず、気をつけておいでください」

やはり来い、ということか。

結局、この日は研究会はもちろん、飲み会も最後までつきあわされることになった。

もはや、38.5度ごときの熱では、休む理由にはならないらしい。あとは、みんなの目の前で卒倒するしか手はなさそうだ。

自分の意志の弱さをのろいつつ、家に帰って布団に入る。

翌朝、熱が微熱ていどまで下がり、なんとか宮崎の出張も予定通り行けそうである。

かくして11日(土)の朝、体調不良のまま宮崎に向けて出発し、無事ミッションを終えて13日(月)に帰宅することになるのだが、それはまた、別の話。

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Back to 1989

2月9日(木)

1989年は、映画の当たり年だった。

Img_627299_20774083_0 トム・クルーズ主演「7月4日に生まれて」(ただし日本公開は1990年2月)

ロビン・ウイリアムス主演「いまを生きる」

ケビン・コスナー主演「フィールド・オブ・ドリームス」(ただし日本公開は1990年3月)

いずれも、この年のアカデミー作品賞を受賞している。

当時大学2年生だった私は、この3本を映画館で見た。

B0210196_1903336 どの作品が最優秀作品賞をとってもおかしくないのではないか、と、素人ながら思った。

だが、この年のアカデミー最優秀作品賞は、この3つのどれでもなく、「ドライビング・ミス・デイジー」という、とても地味な映画だった。

私が特に好きだったのは、「いまを生きる」と、「フィールド・オブ・ドリームス」である。私を知る人なら、「いかにも」な映画である。

だが、1989年公開の映画はこれだけではない。

516x1jgwzol イタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」もまた、1989年公開の映画なのである!

これだけ揃えば、1989年が映画の当たり年だ、ということが、納得いただけるだろう。

たぶんこの年は、映画を映画館で見るのに事欠かなかったのではなかったろうか。

この週末など、1989年公開の映画を見るのはいかがでしょう。

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試練のような悪路

疲労困憊と憂鬱の毎日である。

その原因の大半を占めているのが、大雪によって、通勤路が「悪路」と化していることである。

2月4日(土)に大雪が降り、翌5日(日)は、一転してよい天気に恵まれた。6日の夜には、少し雨が降り出した。雨が降るということは、気温が高いということである。

7日(火)の朝、久しぶりに車で通勤しようと思い、家の前の駐車スペースから、道路に車を出してみて驚いた。

とんでもない「悪路」である。道路が、積もった雪と車の深い轍でガタガタなのである。

大雪で道路に雪が降り積もった後、今度は雨が降り、中途半端に雪がとけ始めたところに車の深い轍が残り、さらに早朝の放射冷却現象によってそれが凍るという、最もタチの悪い道路状況なのである。

もし、この世に天候をつかさどる神様がいるのだとしたら、実に地味な、それでいて最もいやらしい嫌がらせをしたものである。

家の前の道路をガタガタと走り始める。頭が天井に付くんじゃないか、というくらいに、車が大きく縦揺れする。

むかし、テレビのバラエティ番組の企画で、「アンコールワットに続く道路が未舗装で悪路だから、その道を舗装しよう!」というのがあって、明日をも見えぬ若者たちが、力を合わせてボコボコでグチャグチャの道を走りやすい道に変えていったが、まさにあんな感じのボコボコ加減である(わかりにくいか)。

やっとのことで、市街地の主要道路に出た。すると、職場に向かう道路が大渋滞である!というか、まったく動く気配がない。

(あきらめよう)

車で職場に行くのをあきらめ、いったん自宅に戻り、自宅から歩いて職場に行くことにした。

(最初からそうしておけばよかったんだ)

後悔しながら、ハンドルを逆に切って、自宅にとって返すことにする。何度もスタックしながら、やっとの思いで自宅に戻り、歩いて職場に向かった。

歩いたら歩いたでまた、これがしんどい。

「アンコールワットへ続く未舗装の道」だって、こんなに歩きにくいことはないんじゃないか、というくらいの、歩きにくさである。ボコボコでツルツルの道である。

ほうほうのていで、職場に到着した。

さて仕事が終わって、夜。

この日(7日)は、DVDマガジン「男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく」の発売日である。本屋さんに寄ってから自宅に戻ろうと思い、職場を出る。

だが、本屋さんは職場と自宅のあいだにあるのではなく、かなり遠回りしなければ、本屋さんに寄ることはできないのだ。

なにもこんな日に買いに行くこともなかろう、と言われればそれまでだが、発売日に買いに行きたいというのが、人情というものである。むかしそうやって、少年漫画雑誌をよく買いに行ったものだ。

例によって、ボコボコでツルツルの道をそろーりそろーりと歩く。1時間以上かけて、ようやく本屋さんに到着した。そして本屋さんから、また30分くらいそろーりそろーりと歩いて自宅に到着。

自宅の前の道路は、「やる気のない除雪車」によって中途半端に除雪されていて、相変わらず歩きにくい。

自宅前の、自分の車が止めてある駐車スペースを見て驚いた。

車の前に、巨大隕石か!と思われるくらいの、大きな雪の塊が転がっているではないか!しかも、カッチカチのやつである。

どういうことだ??これは誰かの嫌がらせなのか?

私が車をとめている駐車スペースのすぐ前は、道路になっている。おそらく昼間、この道路を「やるきのない除雪車」が中途半端な除雪作業をしていたときに、道路の雪を道の両側によけていく過程で、この巨大隕石のような雪塊が、私の車の前に転がってきたのだろう。

まあ、そんな推測などどうでもよい。とにかく、こんな巨大隕石のような雪塊が車の前にどーんと置かれていては、車が出られなくなってしまう。

スコップを持って、雪塊をどかそうとするが、ビックリするくらい重いのと、ビックリするくらいカッチカチなために、雪塊はなかなか動かない。

スコップを何度も振り下ろしながら、まるで撲殺するかのように雪塊を粉砕していく。

(人を撲殺するって、こんな感じなのかなあ…)

と、不謹慎なことを考える。

かくして、雪との戦いはまだまだ続く。

神が与えたもうた試練にしては、地味に嫌がらせが入っているよなあ。

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2万字の死亡フラグ

2月7日(火)

夕方、「3年生のための卒論ガイダンス」を行った。

といっても、これは職場の公式行事でもなんでもなく、私が勝手に(よかれと思って)行っているものである。3年生に、いよいよ卒論を書くんだという自覚を持ってもらおうと、毎年この時期に開催している。

時間の空いている4年生にも出てもらい、3年生に向けて自分の体験を語ってもらうこともしている。

3年生5人、4年生4人が集まってくれた。

4年生の体験がなかなか面白い。卒論提出直前は、精神的にかなりの極限状態にあったことがわかる。あまりの壮絶さに、私も少し引いてしまった。

「あのう、私たちなりの『卒論の心得』というのを考えてきたんですけど、読み上げていいでしょうか」と4年生のSさん。見ると、ノートに箇条書きで、「心得」を書いてきたようだった。

「どうぞ、読んでみてください」

Sさんが「心得」を読みはじめた。いくつか読み進める中で、こんな「心得」があった。

「『2万字に届けばいいんだろ』は死亡フラグ!」

ん?意味がわからない。

「死亡フラグ…。死亡フラグってなに?」

Sさんが説明をはじめる。

「よく映画とかで、『この戦争が終わったら、オレ、彼女と結婚するんだ』というセリフが出てきたりするでしょう」

「ああ、よく兵士が戦場で、ペンダントの中の恋人の写真を見せたりしながら言うセリフね」

「ええ。で、そのあと、その兵士は必ず戦場で死ぬじゃないですか」

「そうだね」

「つまり、そのセリフが出てきた時点で、『死亡フラグが立った』というわけです」

なんとなくわかってきた。そのセリフが出てきたというのは、「こいつ後で死ぬな」の合図、ということである。

「じゃあ、『2万字に届けばいいんだろ』が死亡フラグっていうのは?」

「卒論の本文の指定字数は2万字以上ですよね」

「うん」

「その指定字数ギリギリの2万字に届けばいいや、という気持ちで卒論を書いていると、決して2万字には届かない。つまり卒論が完成しない、ということです」

なるほど。わかったような、わかんないような…。

つまりこういうことか?字数のことばかり気にして、最低限の2万字をクリアさえすればよい、なんて考えていると、痛い目にあう、ということだな。

たしかにそのとおりだ。字数を気にしているようでは、いい論文など書けないのである。

だが、それが言葉で表現されるときに、

「『2万字に届けばいいんだろ』は死亡フラグ!」

となるのが、よくわからない。

だが3年生は、この言葉を聞いて、実にしっくりいったような顔をしている。

つまり、4年生と3年生の間では、この言葉のニュアンスが正確に伝わっているのだ。

あいだにいる私だけが、ポッカーンとしている。

つづけてSさんが「心得」を読み上げた。

「卒論提出直前の、M先生の『無茶ぶり』には気をつけろ!」

「なんだいそれは?」

「提出の直前に先生からメールで、『この部分をもっと(内容を)ふくらませるように』と指導されたじゃないですか。でも、提出日の直前は3連休で、図書館も閉まっていたんです。そこで、提出日の朝に図書館に駆け込んで、大急ぎで先生の言われたところを書き足して、提出したんです」

なるほど、そういうことがあったのか。当の本人である私は、全然そんなこと考えていなかった。

「提出直前に、M先生が『無茶ぶり』をしてきますから、気をつけてください」

そう言われると、今後はわざと「無茶ぶり」をしてみたくなるなあ。

あ、これが、「フラグが立った」ということか?

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自慢話で何が悪い!

2月5日(日)

2日目の講演が終わり、懇親会に参加する。

私は、自分が面白いと思っていることは他人には面白くないのだろう、という被害妄想を常にいだいていて、実際、同業者にはほとんど理解されないことが多い。最近は、まあそういうものなんだろう、と思うことにしている。

講演を聴いていた1人が私のところにやってきた。

「こんにちは。ご挨拶が遅れました」

私よりも10歳くらい若いその男性が、名刺をさしだした。

「Oさんですね。昨年もこの場でお会いしましたね」と私。

「そうですね。でもそのときはご挨拶できませんでした」

この研究発表会は、毎年この時期に行われている。昨年のこの発表会で、Oさんは研究発表をした。その発表が、誰も注目しないような点に注目することを通じて、生身の人間の姿を映しだそうとしていて、とても印象に残っていたのである。

(面白い研究だなあ。でもこの面白さは、おおかたの同業者には理解されないんだろうなあ)

と、そのときに思っていた。

だが、専門分野が違うことに加えて、彼自身が「孤高の人」という雰囲気をかもし出していて、昨年はなんとなくとっつきにくい人のように思えたのだった。だから私自身も、彼と挨拶することができなかったのである。

「あのう、今日のお話…」とOさん。

「はい」

「専門分野はまったく違いましたけど、めざすところは同じだ、と思いました」

「そうですか」

「なんというかこう…あつかっている資料の背後に人間の動きを見るというか、生身の人間の姿を映しだすというか、そういう視点は、僕がめざしていることと同じように思いました」

専門分野の違う人が共鳴してくれるのは、なによりも嬉しいことである。意外に思うかも知れないが、同業者のほとんどは、自分の研究対象の背後にある「生身の人間の姿」を見ようとは決してしない。彼もまた、そういう現状に歯がゆい思いをしてきたのだろう。

「私も去年、あなたの話を聞いてとても面白いと思ったんですよ。でも、その面白さがなかなか他人に理解されないでしょう?私だってそうですもん」

「はい」Oさんは苦笑した。

それからひとしきり、自分たちが考えていることを話して盛り上がった。

「あとで、僕がこれまで書いたものをさし上げますので、ぜひ読んでください」

「わかりました」

Oさんが座をはずしたあと、横で一緒に話をしていた世話人代表のKさんが私に言った。

「いやあ、Oさん、以前はとっつきにくい人だと思っていたんですが、とっつきやすい人だったんですね」

「そうですねえ」

「今日は、それがわかったことがいちばんの収穫でした」

ひょっとして私も、多くの人に「とっつきにくい人」と思われているのかも知れないな、と、Kさんの言葉を聞いて苦笑した。

理解者が1人でもいるというのは、心強いものだ。

…という話を電話で妻に話をしたら、

「ふーん。結局また自慢話ね」

と一蹴された。

そうです。これは自慢話ですよ!

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命がけの講演

2月4日(土)

この週末、まさかの講演2連続である。

初日の午後は、県内でも有数の豪雪地域で講演会である。

ふつうだったら、家から車で1時間半もあれば着く場所だと思うのだが、おりからの豪雪である。大事をとって、朝8時半に家を出ることにした。

雪は、豪雪地域に向かうにつれ、その勢いを増してゆく。

Photo_2 途中、何度も「ホワイトアウト」の状態におちいりながら、目的の町に入る。ほとんど命がけである、というのは少し大げさか。だが、町の大半が雪に覆われていたのはたしかである。

なにしろ、町民の足である鉄道が、数日前から大雪のため運休になっているのだ!途中、踏切をわたると、道路の両側にのびているはずの線路が、人の身長ほどの高さの雪に埋もれていて、まったく見えない。

会場となる建物を探すが、なにせ車道の両側には数メートルの雪の壁が立ちはだかっており、どこに建物があるかもわからない。

Photo ようやく建物を見つけ、車を駐車場にとめるが、この駐車場じたいが「雪捨て場」になっていて、はたして本当にここで講演会をするのか、不安になってきた。

未曾有の豪雪の時に、講演を聞きに来る人なんているんだろうか?そんなことより、雪下ろしをしないと、町中が雪で埋もれてしまうぞ。

建物に入ると、役場の方が迎えてくれた。

「この大雪の中、来ていただいてどうもありがとうございます。大変だったでしょう」

「いえ、思ったほどではなかったです」

「こんな格好ですいません。さっきまで、中学校の屋根の雪下ろしをしていたものですから」

役場の方は、雪まみれであった。講演会なんかよりも雪下ろしを優先してください!と、喉元まで出かかった。

「控室にご案内します」

控室には、今回の講演会の主催の会の「おじいちゃん先生」がすでにいらっしゃった。初対面である。

「よろしくお願い申し上げます」と挨拶すると、

「あいにく、うちの会長がこのところ体調が悪くて今日は来られないそうです。副会長は、友人の葬式に出ておりまして…。で、今日は私が最初の挨拶をつとめさせていただきます」とおっしゃった。

やはりこの寒さだからだろうか、と思った。

「この会も老齢化が進みましてね。なにしろ私も今年で84ですからね」

は、84歳?!未曾有の大雪の日に、わざわざおいでいただいた、ということか。私は恐縮した。ということは、会長も副会長も、それくらいのお歳ということである。

午後1時半、会場となる部屋に行くと、40人くらいの人が座っていた。ほとんどが、ご高齢の方々である。

その中にまじって、いちばん前の席に懐かしい顔があった。

「先生、お久しぶりです」

数年前に卒業したF君である。彼はこの町の出身で、卒業後はこの町の役場ではたらいていたのである。

「久しぶりだねえ。元気だった?」

「はい。先生がいらっしゃるというので、聞きに来ました」

「今日私が来るって、よくわかったねえ」

「そりゃあもう、いま公民館で働いていますから」

この稼業をしていていちばん嬉しい瞬間は、思わぬところで卒業生に再会する時である。しかも、元気そうにしている姿を見るのは、なお嬉しい。

午後4時。2時間にわたる講演は、ひととおり終わった。

終わったあと、F君が来た。

「今日は久しぶりに先生の講義が聴けてよかったです」

「たまには大学にも遊びにおいでよ」

「そうします。今日はありがとうございました」F君は帰っていった。

会場を出て、近くの温泉旅館に向かう。このあとはここでおじいちゃん先生たちとの懇親会があり、そのまま私は、ここに泊まるのである。

午後5時半から、10人ほどのおじいちゃん先生に囲まれて、懇親会である。たぶん、平均年齢は80歳を超えていると思う。

こういう会に出るといつも思うのだが、「東北の男性は寡黙である」というのはウソである。おじいちゃん先生たちは、とにかくよく喋るのである。独特の方言と極端にローカルな話で、内容がわからないこともあるが、それでも聞いていると楽しい。

7時半過ぎに会はお開きとなり、みなさんとお別れしたあと、旅館の温泉に入った。

氷点下の空の下で入る露天風呂は、時間を忘れるね。

それにつけても心配なのは、明日の講演会である。

明日のお昼までに家に戻って、講演会場に向かわなければならない。

はたしてこの豪雪のなか、2日目の講演会場に無事にたどり着けるのか?

2月5日(日)

Photo_3 朝起きると、青空が広がっていた。

朝9時すぎ、旅館を出発して、今日の講演会場に向かう。

午後1時、講演会場に到着し、1時15分開始の講演になんとか間に合った。

ここからまた、夜の懇親会へと続く長い道のりが始まるのだが、それはまた、別の話。

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ロードサービスを待ちながら(追記あり)

2月2日(木)

ひどい二日酔いである。

職場に出かけようと、家のドアを開けてビックリした。

いつの間にこんなに雪が降ったんだ?

今まで経験したことのない大雪である。

なんとか職場に着き、午後、演習室に行くと、

「SさんとAさんは、乗っている汽車が途中で大雪のため止まってしまって、授業に遅れるそうです」という。

アカンアカン。こんなときに授業なんかしてる場合やないで。

…などという常識は、この地では通用しない。どんなに大雪が降っても、予定通り授業はするし、期末試験も行うのだ。10年前、はじめてこの地に来たときには、面食らったものである。

「こんな大雪、10年暮らしていてはじめてだよ」というと、

「20年ぶりの大雪だそうですよ。ニュースでやってました」と3年生のOさん。

どおりではじめて経験する大雪なわけだ。

夜8時すぎ、家に帰って驚愕した。

20120202 家の前の駐車スペースにとめてある私の車が、完全に雪に埋もれてしまっているではないか!

完全に「埋まっている」という状態である。「あそこに埋まっているのは、ひょっとして車かな?」と、うっすらとわかる程度である。こんなこともはじめてである。

スコップを使って、掘り出すことにする。

ほら、円空さんだったっけ?仏像を「彫る」のではなく、木の中にある仏像を「掘り出す」のだ、と言った人は。あんな感じで、雪の中から、車を掘り出してゆく。

だが今回ばかりは、一筋縄ではいかない。なにしろ雪の量が半端ではないのである。今の学生言葉で言えば、「パねえ!」のだ。

ヘトヘトになってしまったので、ある程度のところであきらめ、いったん駐車スペースから車を出したうえで、駐車スペースの雪を片づけようと思い、エンジンをかけて、車を出そうとした。

私のイメージでは、土に埋もれていた宇宙戦艦ヤマトを、発進させるような感覚である。

ところが、いくらエンジンを吹かせても、タイヤが空回りしてしまって、駐車スペースから車が出ていかない。宇宙戦艦ヤマトのようにはいかないのである。

(こまったなあ…)

明後日には、どうしても車を使わなければならない用事がある。このまま車が駐車スペースからピクリとも動かないようでは、困ってしまう。

何度もエンジンを吹かせて試みるが、全然ダメである。

もう雪どけの季節まで車が動かないんじゃないだろうか、という気がしてきた。

(まずいな…)

仕方がないので、ロードサービスの会社に電話をかけた。

「大雪のために車が駐車場から出せなくなったんです」と言うと、会員番号は?車種は?車のナンバーは?住所は?と、まくし立てるように、事務的に聞いてくる。その声は明るいのだが、事務的である。

せめてひと言でも、「ああ、それは大変ですねえ。さぞご不便でしょう」と、一緒になって心配してもらいたいものだ。それほどこっちは、心が折れているのである。

「どのくらいで来ていただけるでしょう?」と聞くと、

「申しわけございません。本日たいへん混み合ってまして、早くても6時間後になると思います」

ろ、6時間後???6時間後といったら、真夜中ではないか!

この時点で心が完全にボッキリと折れて、雪かきをあきらめて家の中にもどった。

はたして車は、駐車スペースから無事出せるだろうか?

(追記)

深夜2時。眠っていると、携帯電話が鳴った。

「ロードサービスの者です。遅くなって申しわけございません」

6時間待ち、というのは、本当だった。ただ、さすがにこの時間は眠い。

「明日の朝、というわけにはいきませんか」

「明日に出直すとなりますと、また何時になるかわかりませんので」

「わかりました。じゃあ今出ます」

外に出ると、ロードサービスのスタッフが、車を牽引するためにすでにロープを用意して待っていた。

この寒い夜中に、1人で奮闘されているスタッフに、心から敬意を表した。

車は牽引され、無事、駐車スペースから出すことができた。

「ありがとうございます」と私。

「車はどうされますか?」

「このまま、また駐車スペースに戻そうと思うんですけど」

「だと、また同じように出られなくなる可能性がありますね」

「じゃあ、どうすれば?」

「駐車スペースは、車が置きっぱなしになっていたんで、地面にほとんど雪がないでしょう。だから、駐車スペースと道路との間に、雪の段差ができて、車が出られなくなったんです」

「はあ、なるほど」

「ですので、まず車を戻す前に、駐車スペースに雪を盛って、足で踏み固めて、道路の雪の高さと同じにする必要があります」

「わかりました。ありがとうございました」

ロードサービスのスタッフが去ってから、今度は1人で、駐車スペースに雪を盛る作業である。

先ほど掻いた雪を、スコップで駐車スペースに戻し、それを足で踏み固めてゆく。

雪を盛っては、足で踏み固める、という作業をくり返す。

ひっそりとした深夜の住宅街で、凍えながらひとりでオレはいったい何をやっているのだろう、しかも、昨日に引き続き、深夜3時になろうとする時間である。駐車スペースで足踏みしながら、涙が出てきた。

それはまるで、地団駄を踏んでいるがごとくである。

「生かにゃあしょうがあるめえ」

私は、南木佳士の小説「冬への順応」に出てくる、老婆の言葉を思い出した。

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午前3時のハイボール

2月1日(水)

夜11時ごろに1次会が終わり、寒い雪の中、同世代のオッサン4人が残された。

「もう1軒、行きましょう」

とりあえず目の前にあった、チェーン店の居酒屋に入った。

すでに1次会で、生ビールと芋焼酎をしこたま飲んでいたが、4人の誰もが、まだ話し足りない、と思っていたらしい。

「飲み物はどうしましょうか」

「ハイボールにしましょう」

ということで、4人ともハイボールを飲みながら、「あの時」から今に至る10カ月あまりをふり返り、これからのことを語り合う。

ときに意見が対立し、ときに意気投合しながら、自画自賛と自問自答をくり返す。

「俺たちは、ウェットなんですよ」という言葉が印象的だった。

「それって、『くどい』ってことですか」

「そうそう。若いヤツらにくらべたら、俺たち、くどいでしょう」

そうだ。4人とも、「ウェット」なのである。それは、そういう世代だからなのか、あるいはオッサンになったからなのかは、わからない。でも、それを十分に確認できた夜だった。

素性も、歩んできた道も異なる4人が、こうしてひとつの席につくことを、1年前は誰が予想していただろう。たまたまこの地に居合わせていた4人が、ひとつの意志を持ちはじめたことを、「奇跡」と呼ぶのは、感傷的にすぎるだろうか。

気がつくと3杯目のハイボールが空いていた。

「そろそろ閉店のお時間です」

時計を見ると、午前3時である。

ご、午前3時???

どんだけ喋ってたんだ??

あわてて店を出ると、外はビックリするくらいの大雪だった。

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