ロードサービスを待ちながら(追記あり)
2月2日(木)
ひどい二日酔いである。
職場に出かけようと、家のドアを開けてビックリした。
いつの間にこんなに雪が降ったんだ?
今まで経験したことのない大雪である。
なんとか職場に着き、午後、演習室に行くと、
「SさんとAさんは、乗っている汽車が途中で大雪のため止まってしまって、授業に遅れるそうです」という。
アカンアカン。こんなときに授業なんかしてる場合やないで。
…などという常識は、この地では通用しない。どんなに大雪が降っても、予定通り授業はするし、期末試験も行うのだ。10年前、はじめてこの地に来たときには、面食らったものである。
「こんな大雪、10年暮らしていてはじめてだよ」というと、
「20年ぶりの大雪だそうですよ。ニュースでやってました」と3年生のOさん。
どおりではじめて経験する大雪なわけだ。
夜8時すぎ、家に帰って驚愕した。
家の前の駐車スペースにとめてある私の車が、完全に雪に埋もれてしまっているではないか!
完全に「埋まっている」という状態である。「あそこに埋まっているのは、ひょっとして車かな?」と、うっすらとわかる程度である。こんなこともはじめてである。
スコップを使って、掘り出すことにする。
ほら、円空さんだったっけ?仏像を「彫る」のではなく、木の中にある仏像を「掘り出す」のだ、と言った人は。あんな感じで、雪の中から、車を掘り出してゆく。
だが今回ばかりは、一筋縄ではいかない。なにしろ雪の量が半端ではないのである。今の学生言葉で言えば、「パねえ!」のだ。
ヘトヘトになってしまったので、ある程度のところであきらめ、いったん駐車スペースから車を出したうえで、駐車スペースの雪を片づけようと思い、エンジンをかけて、車を出そうとした。
私のイメージでは、土に埋もれていた宇宙戦艦ヤマトを、発進させるような感覚である。
ところが、いくらエンジンを吹かせても、タイヤが空回りしてしまって、駐車スペースから車が出ていかない。宇宙戦艦ヤマトのようにはいかないのである。
(こまったなあ…)
明後日には、どうしても車を使わなければならない用事がある。このまま車が駐車スペースからピクリとも動かないようでは、困ってしまう。
何度もエンジンを吹かせて試みるが、全然ダメである。
もう雪どけの季節まで車が動かないんじゃないだろうか、という気がしてきた。
(まずいな…)
仕方がないので、ロードサービスの会社に電話をかけた。
「大雪のために車が駐車場から出せなくなったんです」と言うと、会員番号は?車種は?車のナンバーは?住所は?と、まくし立てるように、事務的に聞いてくる。その声は明るいのだが、事務的である。
せめてひと言でも、「ああ、それは大変ですねえ。さぞご不便でしょう」と、一緒になって心配してもらいたいものだ。それほどこっちは、心が折れているのである。
「どのくらいで来ていただけるでしょう?」と聞くと、
「申しわけございません。本日たいへん混み合ってまして、早くても6時間後になると思います」
ろ、6時間後???6時間後といったら、真夜中ではないか!
この時点で心が完全にボッキリと折れて、雪かきをあきらめて家の中にもどった。
はたして車は、駐車スペースから無事出せるだろうか?
(追記)
深夜2時。眠っていると、携帯電話が鳴った。
「ロードサービスの者です。遅くなって申しわけございません」
6時間待ち、というのは、本当だった。ただ、さすがにこの時間は眠い。
「明日の朝、というわけにはいきませんか」
「明日に出直すとなりますと、また何時になるかわかりませんので」
「わかりました。じゃあ今出ます」
外に出ると、ロードサービスのスタッフが、車を牽引するためにすでにロープを用意して待っていた。
この寒い夜中に、1人で奮闘されているスタッフに、心から敬意を表した。
車は牽引され、無事、駐車スペースから出すことができた。
「ありがとうございます」と私。
「車はどうされますか?」
「このまま、また駐車スペースに戻そうと思うんですけど」
「だと、また同じように出られなくなる可能性がありますね」
「じゃあ、どうすれば?」
「駐車スペースは、車が置きっぱなしになっていたんで、地面にほとんど雪がないでしょう。だから、駐車スペースと道路との間に、雪の段差ができて、車が出られなくなったんです」
「はあ、なるほど」
「ですので、まず車を戻す前に、駐車スペースに雪を盛って、足で踏み固めて、道路の雪の高さと同じにする必要があります」
「わかりました。ありがとうございました」
ロードサービスのスタッフが去ってから、今度は1人で、駐車スペースに雪を盛る作業である。
先ほど掻いた雪を、スコップで駐車スペースに戻し、それを足で踏み固めてゆく。
雪を盛っては、足で踏み固める、という作業をくり返す。
ひっそりとした深夜の住宅街で、凍えながらひとりでオレはいったい何をやっているのだろう、しかも、昨日に引き続き、深夜3時になろうとする時間である。駐車スペースで足踏みしながら、涙が出てきた。
それはまるで、地団駄を踏んでいるがごとくである。
「生かにゃあしょうがあるめえ」
私は、南木佳士の小説「冬への順応」に出てくる、老婆の言葉を思い出した。
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