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仁寺洞(インサドン)のモーテル

2月26日(日)

私がはじめて韓国に行ったのは、1999年11月のことである。

資料調査と学会出席をかねた旅だったのだが、実を言うと、海外旅行をしたのがこの時が初めてだった。もちろん、韓国語など全くわからない。

韓国に留学経験のある先生が連れていってくれたのだが、そのときは、どこのホテルに泊まるのかも知らされず、というより、予約をしていなかったみたいで、その日その日に、町のモーテルを探して泊まる、という旅だった。

今でこそ、韓国には「ホテルを予約する文化」というものがなく、行った先で飛び込みでモーテルに入ることがよくある、ということを知っている。実際私も、留学中はそのようにして旅行していた。韓国には、日本のようなビジネスホテルがなく、温泉マークの看板のあるモーテルが、それに相当するものなのである。

この頃はまだ、そんなことなどまったく知らないので、てっきりどこかのホテルに泊まるのかと思っていた。だが泊まるところは、日本のラブホテルのようなモーテルばかりである。

さてこの旅で、韓国の釜山から北へ移動してきた私たちは、最終日にソウルに泊まることになった。

ところがソウルに着いたのがすでに夜11時過ぎ。あちこちと宿を探すが、適当な宿が見あたらない。

そして仁寺洞(インサドン)という町で、1軒だけ、人数分の空室があるモーテルが見つかった。だがそこは、これまでで最もボロく、ひどいモーテルだった。

部屋の水回りは悪いし、何より、直前まで部屋にいたカップルの客がチェックアウトしたあとも、掃除をすることなく、そのまま私たちを部屋に案内する始末である。

(最悪だな…)

私の頭の中には、「仁寺洞」という町の名前と、「最悪なモーテル」が、のちのちまで記憶に残った。

さてそれから2年後のことである。

あるところに職を得て、そこで年上のOQさんという同僚と知り合うことになる。OQさんも韓国留学経験のある方で、年に一度の実習で、学生を韓国に連れていっていた。

「Mさんも一緒に行かない?」

韓国に関心を持ちはじめていた私は、ふたつ返事でOKした。学生たちの引率をかねた、ふたたびのソウルである。

この実習では、仁寺洞で自由時間をすごす、という予定が組み込まれていた。仁寺洞は、日本でいえば浅草みたいなところで、外国人観光客が必ず行くといってよい観光スポットである。だが2年前は、そんなことすら知らなかった。

仁寺洞を歩いていて、2年前の記憶がよみがえってきた。

あの、「最悪のモーテル」は、どのあたりだったのだろう?

あのときは、あたりが真っ暗で、自分が仁寺洞のどのあたりを歩いていたのか、まったく記憶にない。

そのことをOQさんに話すと、

「じゃあ、みんなでそのモーテルを見つけに行こう」

ということになり、学生も動員して、「モーテル探し」をすることになった。

私よりも、どちらかといえばOQさんの方が、はりきっていた。

私はわずかな記憶をたよりに、OQさんや学生たちを連れまわして、仁寺洞を歩きまわった。

わずかな記憶とは、狭い路地を入っていったことと、モーテルの前に居酒屋があり、そこでビールを飲んだ、ということくらいである。

しばらく歩きまわり、その記憶に合致するモーテルを見つけた。

「ここですよ!ここ!」

私は思わず叫んだ。

「たしかにボロいねえ」とOQさん。

路地のどん詰まりにある場末のラブホテル、といった感じの、あやしげなモーテルである。2年前は夜に来たからわからなかったが、明るいところで見たら、絶対に泊まりたいとは思わないだろうな。

「せっかくだから、写真を撮ろうよ」OQさんが提案した。

「写真ですか?」

「それもさあ、『いまこのラブホテルから2人が出てきました』という感じで」

そういうと、OQさんは女子学生1人に協力を仰ぎ、モーテルの入口に2人で並んで、ピースサインのポーズをとった。

「じゃあ、撮りまーす」

カシャッ。

「Mさんも撮りなよ」

「僕もですか?」

やはり女子学生の1人が協力してくれて、モーテルの玄関の前に並ぶ。

カシャッ。

かくして、せっかくの仁寺洞の自由時間は、「最悪のモーテル」を探すことに費やされたのであった。

そしてそのモーテルの前で撮ったあやしげな写真は、2枚とも、いまも私のパソコンの中に保存されている。

あれから10年がたち、その間にも、仁寺洞を何度となく訪れたが、あのモーテルを訪れることはなかった。

いまもまだ変わらずに残っているだろうか。あのときの写真を見返しながら、そう思った。

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コメント

 娘さんが合流して、仁寺洞で韓定食を食べた回でしたっけ? 多分その頃、僕は別行動で、教保(キョンボ)文庫のレコード店あたりに買い出しに行ってたんでしょうね。本隊が曹渓寺(チョゲサ)へ行く際は、こちらはいつも自由行動でしたから。

投稿: こぶぎ | 2012年2月28日 (火) 15時21分

いや、この年はカンファド(江華島)ツアーをしたときでしたから、こぶぎさんは参加していなかった回でしたよ。この次の年くらいから、こぶぎさんも参加するようになったんじゃなかったでしたっけ。

投稿: onigawaragonzou | 2012年2月28日 (火) 22時34分

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