« 心がザワザワする映画 | トップページ | 野菜難(やさいなん) »

「笑点」司会者考

芥川賞受賞作でも読んでみようかと思って、今月号の『文藝春秋』を買ってみた。

ところが、ほかの記事が面白くて、なかなか小説にたどり着かない。

巻頭では、私が崇拝している音楽家のナベサダ(渡辺貞夫)さんがエッセイを書いているし、脚本家の倉本聰さんの、いまも続く「脳内『北の国から』」の話も面白い。そして何より桂歌丸師匠が「笑点」について語っている記事が、じつに興味深い。

これを読んで、いろいろな発見があった。

まず、大喜利の初代司会者である立川談志師匠と歌丸師匠は、同い年だったということが驚きだった。談志師匠と歌丸師匠は、芸風が真逆、というイメージがあって、たぶん二人の価値観はお互い相容れないものだったのではないか、と、想像していたのだが、そうでもなかったようである。

それと、大喜利で歌丸師匠とはりあっていた小圓遊師匠は、1980年10月に43歳の若さで急逝したということ。これにも驚いた。43歳といえば、いまの私の年齢ではないか!子どものころ、小圓遊師匠を見て、ずいぶん老けているなあと思っていたが、いまの私と変わらない年齢だったんだな。

歴代の司会者についても、歌丸師匠は抜群の記憶力で語っている。

1966年5月にスタートした「笑点」の初代司会者が談志師匠というのは有名な話だが、その後、短い期間だが1970年の秋に前田武彦が2代目の司会者となり、そのすぐあとの70年の暮れから三波伸介に代わった。ちなみに私にとって「笑点」の司会者は、三波伸介以外には考えられず、1982年12月に三波伸介が急逝してからは、笑点をほとんど見なくなってしまった。

その後、1983年1月に司会は先代の円楽師匠に代わるが、じつはその前に、ショートリリーフとして1度だけ、愛川欽也が司会をした、というのも、今回初めて知った。たぶん私はその回を見ていたと思うのだが、記憶にない。

落語家による大喜利の司会は、安心して見られる反面、どこか自己完結的な感じがして、なんとなくなじめなかった。その点、落語が本業ではない三波伸介の司会は、時に落語家の笑いに共感したり、時に落語家のギャグを突きはなしたりして、その緊張感が、じつに心地よいものだった。三波伸介自身が最高の演芸人であり、落語に愛着を持っていたからだろう。

いま、三波伸介のようなスタンスで大喜利の司会ができる人は、誰かいるだろうか、とたまに夢想することがある。江戸前の落語と演芸に愛着を持ち、「笑点」のあの強固なチームワークの落語家たちの、強烈な個性を軽やかに交わしながら、彼らとうまくわたりあえる司会者。三宅裕司こそ、それにふさわしい司会者だと私は考えているのだが、いかがだろうか。

|

« 心がザワザワする映画 | トップページ | 野菜難(やさいなん) »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

三宅裕司といえば「どっちの料理ショー」なる番組を思い出してしまうのは「平成っ子」の宿命でありましょうか。それに、「夜のヒット・パレード」などといってももはや同輩たちには通用しないのでしょうね……。

余談ですが、私はラジオで三宅氏が自分の妻の天然っぷりをさらす企画(たしか、コーナー名は「うちのまこ様」だった気がします)が好きで、腹を抱えて笑っていた覚えがあります(今もまだやっているのだろうか?)。

投稿: パネル制作者T | 2012年2月20日 (月) 00時29分

すみません、間違えました。上記を訂正します。
「夜のヒット・パレード」はいろいろな要素が混ざり合ってしまっていました、すみません。

正しくは「THE夜もヒッパレ」でしたね……、こんなふうに、私にとっても、もはや「過去」の記憶となってしまっているのですね。

投稿: パネル制作者T | 2012年2月20日 (月) 00時36分

あまい!(笑)私は、彼がまだ無名時代に「高橋幸宏のオールナイトニッポン」(1983年)で、ラジオコントをやっていたころから知っています(笑)。劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)がまだ無名だったころの舞台公演も見に行ったことがあります(当時私は中学生)。その後、「ヤングパラダイス」でラジオのカリスマになり、テレビの司会もやるようになりましたが、本来は演芸人なんです。なにしろ、明治大の落研では志の輔師匠の先輩でしたからね。そして、あの渥美清も三宅裕司の芝居を認めていて、それが、松竹の喜劇映画主演のきっかけにもなったと聞いたことがあります。
いつだったか、大学時代の友だちに「おまえの芸風は三宅裕司に似ている」と言われたことがあります。そりゃあそうです。こっちは中学生のころから影響を受けているんですから。
奥さんの天然ネタは有名ですね。最近は忙しくて聴いていませんが、いまでも日曜日の午前にラジオを続けているのはうれしい限りです。
浅草の軽演劇を継承する喜劇役者として、もっと評価すべき人だと思います。

投稿: onigawaragonzou | 2012年2月20日 (月) 01時20分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 心がザワザワする映画 | トップページ | 野菜難(やさいなん) »