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矢野顕子からのYMO

久しぶりに、矢野顕子が20周年を記念して出したアルバム「Hitotsudake the very best of Akiko Yano」(1996年)を聴く。矢野顕子のベスト集である。

久しぶりに聴く矢野顕子は、じつにいい。アルバムのタイトルになった「ひとつだけ」は、やはり代表曲というべき名曲である。歌詞もメロディもすばらしい。

矢野顕子の歌詞には、「遠く離れた友人」に対するメッセージが込められていることが多いような気がする。たんに私が好きな曲がそうなのかも知れないが。

「ひとつだけ」では、

「離れているときでも わたしのこと

忘れないでいてほしい ねえお願い

悲しい気分の時も わたしのこと

すぐに呼びだしてほしいの ねえお願い」

という部分がそうだし、これまた名曲の「David」の、

「果てしなく広がる街から ひとりはなれて

読み返すあなたの手紙 漂う思い出

David 私達は こんなに遠い 時間も場所も」

「大きな声でさけびたい あなたの名前を

わたしのともだち」

などという部分は、まさに遠くにいる友人を思う歌である。

いまは亡きナンシー関さんが、「ひとつだけ」によせて、20周年記念のアルバムの「寄せ書き」にこんな文章を書いている。

「『ひとつだけ』は、矢野顕子の歌唱する力を改めて認識させてくれる曲だと思う。

ハマリすぎなので言うのが、ちょっと恥ずかしいくらいだけど、「ひとつだけ」の入っているアルバムを、上京したての浪人の時に本当によく聴いた。そのうえ、それまで矢野顕子の曲は黙って聴くものだと思っていたのに、いつも一緒に歌ってたりした。別に都会のコンクリートジャングルは冷たいとか思っていたわけではないんだけど」

たぶん私の世代の人たちの中には、矢野顕子の歌に救われた、という人が多かったのではないかと思う。

アルバムには、ユニコーンの「すばらしい日々」のカバーも入っている。

ユニコーンのオリジナルの曲もいいが、矢野顕子の歌う「すばらしい日々」もまた、すばらしい。というか、矢野顕子が歌うことにより、この曲のよさが再認識されたのではないだろうか。

つねづね不思議に思っていたのは、この歌の中の、

「君は僕を忘れるから そのころには君にすぐに会いに行ける」

という歌詞である。

忘れてしまったら、会いに行けないのではないかと、つい、思ってしまうのだが、そういう意味ではないらしい。

これは一説には、奥田民生が、バンドを脱退するメンバーに向けて書いたもので、いろいろなわだかまりを忘れることができたら、またすぐに君に会いに行くことができる、という意味ではないか、という。

真偽のほどは定かではないが、これに関して、なるほど、と思ったことがある。

最近、ある雑誌で坂本龍一が「老い」について語っていて、…というか、もう教授は還暦なんだね…その中で、「年をとってよかったことはほとんどないが、強いて言えば、YMOのメンバーが仲良くなって、自然に音楽を楽しめるようになったこと」みたいなことを言っていた。

YMOの3人の仲がよくなかったことは、当時中学生だった私も感じていたことで、「たしかにそうだよなあ。細野さんと教授が、音楽的にも人間的にも合うわけがないよなあ」などと思っていた。

散開(YMOは、「解散」といわずに「散開」と言った)直前は、3人はほとんど口も聞かなかった、というから、3人の関係は修復不可能なところまで来ていたのではないかと思う。

それが、還暦をすぎて、あの頃のわだかまりもとけて、ようやく3人で音楽を楽しむことができるようになったというのだから、年をとることも悪くない。

年をとってからはじめてわかることが、たくさんあるということなのだろう。

…あれ?矢野顕子の話をしていたのに、いつの間にかYMOの話になってしまったぞ。

ふり返ってみれば、矢野顕子、大貫妙子、松任谷由実が、私の青春時代の「3強」女性歌手だった。

この話は、またいずれ。

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