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2012年3月

粗忽ぬりえ

3月29日(木)

職場の身のまわりでは、引っ越しの準備で慌ただしくなりだした。

ところが私はといえば、あまりの本の多さにただただ呆然として、片づけがいっこうに進まない。

それに加えて、春休みまでに何とかしなければいけない原稿もある。

このままだと、どちらも終わらずに自滅してしまうだろうな。

24 片づけに飽きたので、100円ショップに行って、クレヨンを買うことにした。

昨日こぶぎさんから送ってもらった「大人のぬりえ」に、ぬりえをするためである。

24色入り100円というクレヨンセットを買い、さっそくぬりはじめる。

Photo ぬりながら、「オレはいったい、何をやっているんだろう」と、わけがわからなくなった。

「ぬられている顔はたしかにオレだが、ぬってるオレは誰だろう?」

このセリフ、元ネタはわかるかな?そう!落語ファンなら誰でも知っている、「粗忽長屋」のオチのセリフをもじったものだ。

Photo_2 実際のところ、ぬっていると、あの落語「粗忽長屋」のようなイリュージョン的な感じになってしまうから不思議である。

ぬりおわって、いくつかのことに気がついた。

まずこれは、「大人のぬりえ」でも何でもない。「大人のぬりえ」って、もっと複雑だったり、微妙な色合いを出したりするものなんじゃないのか?

それに、「大人のぬりえ」にはすこし色っぽい感じのぬりえがあったりして、それが若返りの効果をもたらすのだ、と聞いたことがあるぞ。

だがこのぬりえは、そんな要素がまったくない。

くり返しこの顔をぬったところで、なんの達成感もないことに気づいた。

もうひとつ気づいたことがある。

Photo_3 それは、このぬりえの原画は、4年生のSさんが書いた元画とは、微妙に異なることである。つまり、制作者のこぶぎさん自身が、原画を描いたものであることがわかる。

にもかかわらず、Sさんの描いた元画と、とてもよく似ている、というか、そっくりである。

ということは、この似顔絵は、誰でも簡単に描ける、ということなのか?

…いや、そんなことはどうでもよい。

ぬられている顔はたしかにオレだが、ぬってるオレは、忙しいにもかかわらず何をしているんだろう?

こんなことをしている場合ではないのだ!

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大人のぬりえ

3月28日(水)

職場の建物の耐震工事のため、いままで先送りしていた研究室の引っ越しの準備を、いよいよ始めなければいけなくなった。

私の研究室は、尋常ではないくらいの大量の本があるので、作業を始めたとたん、途方に暮れてしまった。

加えて、この春休みをメドに仕上げなければならない原稿もあって、それがぜんぜん進んでいない。

…そんなこともあって、「卒業祝賀会フリートーク」をもって、この日記を少しお休みしようと思っていたのだが、そう思っていた矢先に、職場に郵便が送られてきた。

7 封筒のオモテには、

無料見本誌進呈(20枚落書き用紙サービス)

と、殴り書きのような字で朱書きしている。

裏面には差出人の名前として、

「キャラクターグッズのこぶぎ 商品開発部」

とある。

8

こぶぎさんの仕業だ!

封筒を開けると、

3 「大人のぬりえ ゆるキャラ大集合!」

と書かれた表紙の、仮製本された冊子が入っていた。

そして中身は、

先日、4年生のSさんが書いた私の似顔絵をぬり絵用に加工したものが 製本されているではないか!

4 しかも、同じものが30頁も綴られている!

これだけ同じ顔が続くと、さすがにキモチワルイ。

それだけではない。「20枚落書き用紙サービス」と封筒の表書きに書いていたように、バラで20枚ほど、同じものが同封されていた。しかも紙がもったいないと思ったのか、職場で不要になった事務書類の裏面を使っている。

6 ここまでされたら、ここで紹介せざるを得ないではないか!

以前も、私がこの日記を少し休もう、と思ったときに、こぶぎさんから妙なものが職場に郵送されてきた

これは、偶然なのか?それとも、休筆しようという私の思いを感じとったのか?よくわからない。

こぶぎさんにしても、このブログがなくなったら、「遊び場」がなくなってしまう、ということなのか。

その気持ちはよくわかった。だが、職場にジョークグッズを郵送することだけは、勘弁してほしい。郵便物をメールボックスに振り分ける職員さんに、ヘンな趣味の人だと思われるではないか!

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ソン・ガンホは「寅さん」をめざすのか

3月25日(日)

夕方6時から、ホテルの大会場で、同業者が200人ほど集まるパーティーがある。人づきあいが苦手な私にとっては、とても気が重い。

夕方まで時間があるので、映画館で映画を見ることにした。

3001 おりしも、いま日本で、私の大好きな俳優、ソン・ガンホが主演する映画「青い塩」を公開中である。監督は、あのチョン・ジヒョン主演の「イルマーレ」を撮った監督である。

この映画はたしか、昨年の夏に韓国で公開された映画である。昨年夏、韓国の大邱で、語学院でお世話になったナム先生御一行とドライブに行ったとき、この映画の話題が出たことを思い出した。そのときの会話。

「キョスニム、ソン・ガンホが好きだ、っておっしゃってたでしょう」

「ええ」

「いま、ソン・ガンホの映画が公開中ですよ」

「そうですか」

「相手役は、シン・セギョンです」

「ああ、『屋根を突き抜けてハイキック』の」

「そうです。あのかわいい女の子です」

「それは面白そうですね」

「そうでしょう。この映画はね…」

と、あろうことか、ナム先生は、ネタバレになるようなストーリーを話しはじめたのである。

「ネタバレ」になるような話を聞くことは、韓国でそれまでにも何度か経験したことがあって、韓国の人たちは、映画の「ネタバレ」に関して、日本ほど神経質でないのだな、と思った。

それはともかく。

さて、映画の感想だが…。

51lj8xcsgll 以前、山田洋次監督がソン・ガンホの映画を見て「韓国にも渥美清みたいな俳優がいるんだね」と評したことがある、と、このブログでも紹介したことがある。私の大好きな映画であるソン・ガンホ主演の「大統領の理髪師」は、渥美清主演の映画「拝啓天皇陛下様」(野村芳太郎監督)を彷彿とさせる、ということも、前に書いた

ソン・ガンホは、「渥美清」化してるなあ、というのが、この映画を見ての感想。

どうだ、わからないでしょう。

ある人が、日本映画「男はつらいよ」を評して、

「暴力のないやくざ映画」

と言った。けだし名言である。

それに対して、ソン・ガンホがやくざに扮する映画は、

「暴力のある寅さん映画」

というべきものである。

554218 たとえば、以前に彼が主演した映画「優雅な世界」がそうである。映画の中にあらわれている「暴力」の要素を除けば、彼の孤軍奮闘ぶりは、寅さんを彷彿とさせる。

今回の映画もそうである。

ソン・ガンホが、あまりにも「いい人」すぎるのである。相手役のシン・セギョンに対するまなざし、というか、愛情の注ぎ方、というのは、「寅さん」のそれとまったく一緒である。逆に、若き女性、シン・セギョンの「アジョッシ(おじさん)」に対するまなざしも、マドンナの寅さんに対するまなざしによく似ている。

つまりは、ソン・ガンホの「聖化」がはじまっているのではないか。それは、当初、暴力的で破天荒だった寅さんが、しだいに「いい人」になり、「聖化」されていったのと、同じように、である。

この映画のソン・ガンホは、たしかに、とてもかっこいい。以前にくらべて、体型も締まっており、先日見た映画「犯罪との戦争」で、チェ・ミンシクがすっかり中年太りになってしまったのとは、対照的である。正直言って、私もこんなアジョッシ(おじさん)になりたい、と思ったくらいである。ここ最近のソン・ガンホは、かつてのような「ぶざまな部分」が消え、「理想のアジョッシ(おじさん)」に「神格化」されつつあるように思えてならないのだ。

ソン・ガンホは、これからどこに向かうのか。

もう少し、注目していこう。

…ここまで読んでくれた人、ごめんなさい。何が何だかぜんぜんわからなかったでしょう。文章もこなれていないし。たぶんこの映画を見てこんな感想を抱く人は、誰もいないと思います。

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卒業祝賀会フリートーク・その3

3月23日(金)

会場には、10人くらいが座ることのできる円卓がいくつも並べられている。正面に向かって左側がうちの学科、右側が隣の学科であり、それぞれが自分の学科のテーブルにつかなければならない。ただし、席は決まっているわけではなく、自由席である。

私の左隣に座った女子学生は、私の授業を受けたことがないという。私も、その学生の名前を知らない。

4月からの進路を聞くと、ある民間企業に決まり、配属先は、自社の製品を売るために大手家電量販店に派遣されるのだという。

「だから、自社の製品を売るために、大声を出さなければいけないんです。家電量販店って、店内が騒々しいでしょう。それに負けないくらい大きな声を出さないといけなくて、いまその練習をしているんです」

「たとえばどんな?」

「寅さんの映画を見て、バナナのたたき売りの口上なんかを練習しようかと」

寅さんは、別に「バナナのたたき売り」などしていないんだけどな、と思いつつ、私はその「寅さん」という言葉に反応した。

「寅さんの口上なら、学生時代に映画を見て一生懸命覚えたぞ」

「え?ほんとですか」

私は学生時代に覚えた口上を披露した。

「赤木屋、黒木屋、白木屋さんで、べにおしろいつけたお姉ちゃんに、くださいな、ちょうだいな、とお願いしたら5000や6000はくだらない品!今日はそれだけくださいなとは言いません!なぜなら神田は六法堂という古本屋が、わずか30万円の税金で、泣きの涙で投げ出した品だい!」

「さんさんろっぽで引け目がない。さんで死んだが三島のおせん。おせんばかりがおなごじゃないよ。かの有名な小野小町が、三日三晩飲まず食わずで死んだのが三十三!」

「七つ長野の善光寺、八つ谷中の奥寺で、竹の柱に茅の屋根。手鍋さげてもわしゃいとやせぬ。信州信濃の新そばよりも、あたしゃあなたのそばがよい。あなた百までわしゃ九十九まで、ともにシラミのたかるまで、ときやがったい!」

「四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れるお茶の水…」

学生は、あっけにとられていた。

「す、すごいですね…」

「でもこれ、覚えたって何の役にも立たないよ。今までこれが役に立ったことは一度もない」

「でもいま、こうして披露できたじゃないですか」

なるほど、それはそうだ。

「今日、先生とお話できてよかったです。私も寅さんの口上を頑張って練習します!」

何か、ヘンな影響を与えてしまったな。

さて、料理のあとは余興である。恒例のビンゴ大会である。

たまに、空気を読まない教員が「ビンゴ!」とかなんとかいって、いい賞品を持っていったりするのがイヤなので、私は参加しなかった。

私の右隣に座っていたのは、私の指導学生だったMさんである。

数字が読み上げられるたびに、Mさんのカードは好調に数字が空いていく。

やがてすぐに「リーチ」になった。

「リーチの人は立ってください!」と司会者がマイクで言ったので、Mさんはその場で立ち上がった。

「すごいね。もうリーチだね」と私。

「いえ、これは絶対にフラグですよ。このあとしばらく来ないというフラグです」

リーチなんだから、素直に喜べばいいのに、と思うのだが、Mさんも私と同じで、疑り深いのである。

その後もMさんのカードは、バンバンと数字があいていき、ダブルリーチ、トリプルリーチと続いていくのだが、肝心の最後のひとつが出ない。

「ほら、言ったとおりでしょう。絶対に当たるはずがないんです!」Mさんはかなり意気消沈している。「しかも、こんなに長い時間立たされて、『あいつ、リーチだからって、張りきって立ってるよ』なんてみんなに思われて、はずかしめを受けているんです」

Mさんの被害妄想は、さらに広がっていく。「ああ、もう死にたいです」

おいおい、たかがビンゴゲームぐらいで、軽く死にたい気分になるのか?

私にまさるとも劣らない、マイナス思考である。

というか、考えてみれば私の指導学生のほとんどは、こんな感じのマイナス思考人間たちなのだ。

「学生は教員の鏡」とは、よく言ったもんだ。

ビンゴ大会は終わり、結局、Mさんは何の賞品も獲得できなかった。

「ほら、言ったとおりでしょう。結局最後はこうなるんです」

Mさんはうなだれて席に座った。

ビンゴ大会のあと、ひょっとしてカラオケの時間でもあるのかな、と思ったが、若い事務職員が福山雅治の歌を歌い、とくに盛り上がることもなく終わった。

(なあんだ。「微笑がえし」を歌おうと思ったのに…)

卒業祝賀会は2時間で終わり、午後3時すぎには解散となった。

帰ろうとすると、指導学生たちが私の前にズラッとやって来た。

「先生、最後の挨拶です」とSさん。

「私たち、また先生のところに遊びに行くと思います」

「いつでも来てください」

「たぶん、仕事で愚痴がたまると思うんで、愚痴をこぼしに行きます」

おいおいこいつらもかよ、と、心の中で苦笑した。私はやはり、愚痴を受けとめるマシーンにすぎないんだな。

「そういえばこの前、昨年の卒業生たちと温泉に行ったときも、やつら、仕事の愚痴ばっかり言ってたぞ」と私。

「そうでしたか。…そうか!みんなで温泉に行けばいいんですね。そうしましょう。T君、こんど企画してよ」とSさん。

「また僕ですか…」とT君は苦笑した。T君を見ていると、学生時代の私を見ているような気がする。こりゃあ将来、私と同じような苦悩を味わうことになるぞ。それが心配でもあり、楽しみでもある。

さてさて、次にみんなに会えるのは、いつだろう。会場を去る彼らの後ろ姿を目で追いながら、私は蝶ネクタイをはずした。

(完)

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卒業祝賀会フリートーク・その2

3月23日(金)

12時半にホテルに着くと、会場ではすでに集合写真を撮影する準備が始まっていた。

集合写真を撮り終えたあと、同じ場所で祝賀会が行われるので、会場設営に少し時間がかかる。そのあいだは、着かざった学生たちと、廊下や階段で「写真撮影タイム」である。

最初は普通のネクタイ(というか少し派手な色のネクタイ)をしていたが、やはりどうも、背広の右ポケットに入っている「蝶ネクタイ」が気になる。

SさんとMさんが「一緒に写真を撮りましょう」と言ったときに、意を決して、提案することにした。

「実はこんなものがあるんだが…」

私は右ポケットから蝶ネクタイをとりだして見せた。

「普通のネクタイよりも、蝶ネクタイの方が絶対いいです」2人が口をそろえて言う。

そりゃあ、絵的にはそうだろう。

結局、SさんやMさんに後押しされる形で、蝶ネクタイに変えることにした。

「あくまでも、撮影用ね、撮影用」

自分に言い聞かせるように、ネクタイをつけかえた。

「あ、いいですねえ。絶対に蝶ネクタイの方がいいですよ」と、SさんとMさんが言う。

だが、疑り深い私は、その言葉を素直には信じない。

「そんなこと言って、私を陥れようとしているんだろ」

「そんなことありませんよ!」

「いや、絶対に心の中ではバカにしているはずだ」

「そんなことありませんって!」

そう言うと、Sさんは通りかかる学生をつかまえては、

「ねえねえ、蝶ネクタイの方がいいよね」

とみんなに確認させる。

私はだんだん恥ずかしくなった。

ただ、それがあまり恥ずかしくなくなったのは、会場の設営が終わり、みんなが着席して、祝賀会が始まってからである。

料理を運んでくるホテルの従業員たちは、みんな蝶ネクタイをしているではないか!

(なあんだ。蝶ネクタイをしたくらいで恥ずかしがっていたら、このホテルの従業員はつとまらないぞ)

そう思うと、少し気が楽になった。

気が楽になるどころか、少し気が大きくなりだした。偉い方々の挨拶が終わって祝宴がはじまると、会場を無意味に歩きまわって同僚に自慢したり、一緒に写真を撮ったりと、結局、まんざらでもない感じになった。

(こんなことなら、最初っから蝶ネクタイをしてくればよかった)

まったく、厄介な性格である。

…あれ?まだ料理を食べてないぞ!

この続きは、次回に。

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卒業祝賀会フリートーク・その1

最初にことわっておきますけど、この話、かなり長くなりますよ。

3月23日(金)

今日は卒業祝賀会の日である。

卒業祝賀会には、あまりいい思い出がない。

昨年は震災の影響で祝賀会じたいが中止になってしまったし、その前の年は、ぜんぜん知り合いのいない、いちばん端の席に追いやられ、いたたまれなくなって途中で帰ってしまった。さらにその前の年は、韓国に留学中で、祝賀会には出られなかった。

それにもともと、儀式ばったことが大嫌いな私は、ああいう場所にいるといたたまれなくなるのだ。

だがしかし、大人なんだから、卒業生たちをちゃんと祝福しなければならない。

テンションを上げるために、会場となるホテルまで歩きながら、iPodに入っているキャンディーズの「春一番」と「微笑がえし」を聞くことにする。ここ最近、キャンディーズのベスト盤を頻繁に聴いているのだ。

キャンディーズこそは、私の「アイドル原体験」である。

といっても、そのときまだ私は小学生であった。歌よりもむしろ、「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」というバラエティ番組で、伊東四朗や小松政夫と一緒にコントをしていたキャンディーズが大好きだったのである。

いま、そのときの映像を見かえしてみても、キャンディーズは、じつに芸達者な人たちだったんだなあ、と思う。ちなみに私は、ランちゃん派であった。

そのキャンディーズが解散したのは、小学校4年くらいの時である。この時はじめて「解散」という言葉を知った。

キャンディーズで「解散」を知り、山口百恵で「引退」を知ったのだった

あまりにもキャンディーズの原体験が強すぎて、その後の女性アイドルグループは、どれも色あせて見えてしまった。だからその後のアイドルグループには、ほとんど関心がない。「少女時代」が出てくるまでは、である。

ベスト盤はシングルレコードの発売順に曲が並べられていて、よく聴いてみると、「年下の男の子」から、ガラッと雰囲気が変わったことがわかる。

最初は、歌の一番うまいスーちゃんがセンターにいたのだが、この「年下の男の子」から、ランちゃんがセンターとなり、よりアイドル性の強いグループへと変貌をとげてゆく。

それが功を奏して、この「年下の男の子」が爆発的にヒットしたのである。

「年下の男の子」も名曲だが、今日は卒業式の日なので、「春一番」と「微笑がえし」だけをくり返し聴くことにした。

「春一番」はいまの時期にピッタリの曲だ。この曲を聴くだけでテンションが上がる。

キャンディーズが解散前、最後に発売した曲「微笑がえし」は、阿木耀子の作った職人技的な歌詞が光る名曲である。なにしろ、それまでキャンディーズが歌った歌のタイトルを歌詞の中に織り込みつつ、ひとつの「世界観」を作りあげているからだ。

それでいて、別れの曲なのに、ちっとも悲壮感がない。「可笑しくって涙が出そう」なんていうフレーズ、ホントすごいよなあ。

(そうだ!もし万が一、卒業祝賀会の余興かなにかで、「先生、何か1曲、カラオケをお願いします」かなんか言われたときは、この「微笑がえし」を歌おう)

そんなことを思いながら「微笑がえし」をくり返し聞いた。

さて、会場に向かう道すがら、もうひとつ考えなければならないことがあった。

それは、「蝶ネクタイをしめるかどうか」である。

いちどはあきらめた蝶ネクタイだが、やはり未練が残る。

いちおう、普通のネクタイをしめて行くことにしたが、スーツのポケットには蝶ネクタイをしのばせておいた。

なぜ、私が「蝶ネクタイ」にこだわるのか。

それは、ドラマ「刑事コロンボ」とかかわりがある。

刑事コロンボ(ピーター・フォーク)といえば、うだつが上がらなそうな外見が有名であり、ふだんの私も、そんな格好に近い。

だが「刑事コロンボ 忘れられたスター」というエピソードの中に、コロンボがミュージカルスターの招待を受けて、黒いスーツに蝶ネクタイという格好で家を訪問する、という場面があった。

そのときの格好が、けっこうサマになっていたのである。

私はその場面を見て以来、ふだんの外見が「アレ」でも、何かの折に「蝶ネクタイ」をしたら、それなりにサマになるのではないか、と、ずっと思っていたのである。

(でも、いきなり蝶ネクタイなんかしたら、「あいつ、なに勘違いしてんの?バッカじゃねえの」と思われるかもしれないなあ)

例によって「自意識過剰虫」が騒ぎ出した。

(はるか、まるか。はるか、まるか…)

はるか、まるか」とは、韓国語で「しようか、するまいか」という意味である。

(はるか、まるか。はるか、まるか。はるか、まるか…)

歩調に合わせて、心の中でそう言いながら、祝賀会の会場へと向かった。

…あれ?まだ卒業祝賀会の会場に着いてないぞ!

この続きは、次回に。

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お釣りはいらない

内舘牧子さんのエッセイ集『男は謀略 女は知略』(小学館文庫)は、人間の微妙な心の動きに対するまなざしが軽妙な文章で語られていて、とてもおもしろい。

この中の「タクシーの釣り銭」というエッセイを読んでいて、思い出したことがあった。

私は大学生の時、九州に一人旅をした。

ある場所に行くのにどうしてもタクシーに乗らなければいけなくて、その時、おそらくはじめて、一人でタクシーに乗ったのである。

いまの学生はどうかわからないが、大学生にとってタクシーに乗るというのは、かなり大きなイベントである。とくに、貧乏旅行ばかりしていた私にとって、それは一大決心だった。

そのとき気になっていたのは、降車するときに、お金の支払いはどうすればいいのだろう?ということだった。

もちろん、メーターに表示された金額を支払えばいいだけなのだが、以前、テレビを見ていたときに、ある落語家が、

「タクシーを降りるときに、『お釣りはいいです』って言うじゃないですか」

と、さも、お釣りを受け取らないことを当然のように言っていたのを思い出し、

(ひょっとして、タクシー料金を払うときに「お釣りはいいです」と言うのが暗黙のルールなのではないか)

と思ってしまったのである。

つまり、タクシー料金を払うときには「お釣りはいらない」というのが大人社会のルールだと思いこんでいたのである。

九州の一人旅では何度かタクシーを使って移動した。しかもけっこうな距離を、である。

そのたびに私は運転手さんに「お釣りはいいです」と言って、いくらか余計に支払っていたのである。

(おかしいな。こんなことをしていては、いくらあってもお金が足りなくなるぞ)

それからしばらくして、タクシーに乗るときに「お釣りはいらない」というのは、別に大人のルールでも何でもないことがわかった。それからというものは、メーターの料金どおり、きっちり支払うことにしている。

とくに外国でタクシーに乗るときなどは、「お釣りはいらない」どころか、「ボラれるんじゃないか」と、常にメーターとにらめっこしながら警戒している始末である。

韓国に留学していたときに、こんなことがあった。

ある観光地から、少し離れた観光地まで、交通手段がないのでタクシーで行くことになった。

タクシーに乗り込むと、運転手さんが「35000ウォンでいいよ」という。

つまり、メーターを使わずに、料金を提示してきたのである。

(35000ウォン!絶対にボラれてる!)

妻は、こういうことに対してはとてもキビシイ。「メーターを使え」と運転手に言った。

「いや、オレは何度も往復しているからわかるんだ。これくらいでちょうどいいのだ」と運転手が反論する。

だが妻もあとにひかない。

私は、(35000ウォンくらい、もう払えばいいじゃん)と思いはじめているのだが、「だからお金が貯まらないのだ」と、攻撃の矛先がこっちに来そうなので、黙っていた。

押し問答の末、運転手は渋々、メーターを使ったのであった。

さて、目的の観光地に着いたとき、メーターは

「36000ウォン」

を示していた。つまり、ボラれていたわけでも何でもなかったのである。むしろ、運転手の提示した額の方が安かったのだ。本当はいけないことなのだろうが、運転手自身と私たちの利益のために、彼は少し安めの額を提示していたのである。

なんとなく、バツの悪い感じで、タクシーを降りた。運転手がよかれと思って提案してくれたことを疑って否定した上に、こちらが損をする、というのは、二重の意味で後味が悪かった。

タクシーって、ホントに難しい。大人の乗り物だよ、あれは。

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ウエスト120㎝の投げ売りズボン

3月21日(水)

2日後の卒業祝賀会に着ていく服がない!

見渡すと、「刑事コロンボ」みたいな服しかないではないか。

ということで、紳士服量販店に行くことにした。

おりしも、ここ最近は気持ちがどんよりしていて、これをなんとかしないと、仕事にも差し支えてしまう。

そういうときには、新しい服を買うに限るのである。ここはひとつ、新しい服で気持ちをリセットさせよう。

「どんなものをお探しでしょうか」と、女性の店員さん。

「フォーマルな服を探しているんですけど」

「礼服でしょうか」

「いや、礼服ってほどではないんですが」

「結婚式かなにかですか」

「ええ」面倒くさいので、「卒業祝賀会です」とは言わなかった。

「お友だちの結婚式でしょうか。それとも会社のご同僚の結婚式でしょうか」

そんな細かいところまで聞いてくるとは、かえって面倒なことになった。

「友だちです」

「そうですか」そういうと、店員さんは、いくつか候補を選び出した。

といっても、私は太っているので、じつは選択肢があまりないのである。

「それでいいです」と、店員がすすめたものに決めた。

「Yシャツとかはいかがでしょうか」想定内の質問である。

じつは、考えていたことがあった。

それは、卒業祝賀会に蝶ネクタイをしてみんなを驚かす、という計画である。

以前に、演奏会の司会で蝶ネクタイをしたことがあったが、じつは蝶ネクタイには、それに合うシャツが必要だ、ということを、最近知ったのである。

「あのう…」

「何でしょうか」

「たとえば…、たとえばですよ。蝶ネクタイに合うシャツなんてものがありますか?」私はおそるおそる聞いた。

「ございます。ウィングカラーのシャツですね」

「そうそう、そのウィングカラーです」

礼服のコーナーに行くと、マネキンにそのウィングカラーのシャツが着せてあった。

「これですこれです」と私。

「少々お待ちください。いま在庫を調べますので」

そういうと、店員さんは店内の在庫を探しはじめた。しばらくして私に言う。

「申し訳ございません。お客様のサイズに合うウィングカラーのシャツは、ただいま在庫をきらしております」

つまり、デブに合うウィングカラーのシャツはない、ということか。「お前に着せるウィングカラーはねえ!」という「次長課長」のギャグそのものである。たしかに、私のようなデブがウイングカラーのシャツを着ていたら、滑稽そのものである。マネキンくらい細身でないと、ウィングカラーのシャツは似合わないのだ。

ということで、「卒業祝賀会で蝶ネクタイをする計画」は、あえなく撃沈した。

仕方がないので、ふつうのYシャツを何枚か買うことにしてレジの方に行くと、レジの前に「処分品」と書いてあるワゴンが置いてある。

そこに、ビックリするくらい大きなズボンが1着、置いてあった。

「お客様」今度は、レジにいた男性の店員が私に話しかけてきた。

「このスラックス、お安くしておきますのでいかがでしょうか」店員はあろうことか、そのビックリするくらい大きいズボンを私にすすめてきたのである。

見ると、「ウエスト120㎝」と書いてあるではないか。

ひゃっ、ひゃっ、120㎝!!!???

「いくらなんでも大きすぎます」私が言った。

「いえお客様。腰まわりをつめれば大丈夫です。お直しの作業は、もちろん当方でいたしますから」今度は、女性の店員。

男性店員と、女性店員の、双方からの攻撃である。

「いや、でも…」私が渋っていると、

「では、お値段を1000円にいたします。もちろん、お直しの料金は無料にいたします」

どうしても、このズボンを売りたいらしい。

これが、意志の強い人なら断るのだろうが、気の弱い私は、もはや断るすべもない。

「わかりました」私は根負けした。

「ありがとうございます。じつはこのサイズのズボン、なかなか売れなくて困っていたんです。お客様のような方がいて助かりました」と店員。

つまり、私のようなデブは、ここにめったに来ないということか?私のようなデブが来たのはめったにないことなので、このチャンスを逃すまい、と必死だったのだろう。

「とりあえず、はいてみてはいかがでしょう」と店員にうながされ、試着室で、ウエスト120㎝のズボンをはくことにした。

はきおわって、試着室のカーテンを開ける。

「いかがでしょうか」と店員。

「ブカブカですよ!」

赤ん坊の頭が1つ入るくらい、ブカブカである。

「腰まわりをつめれば大丈夫です」店員はそういうと、どのくらいつめることができるか、シミュレーションをはじめた。

だが、どう頑張ってつめようとしても、やはりブカブカである。

「つめるって言ったって、限度があるでしょう」と私。

「ええ。でも、大丈夫です。なんとかします」店員は、このズボンを売るためなら、もうなりふりかまわない。だがどう頑張ってつめても、ブカブカのままであることは変わりないのだ。

「どうでしょう。このスラックスは厚手で冬用ですから、来年の冬に着るというのは」

つまり、来年の冬には、お前はもっと太っているだろうから、その頃にはサイズがピッタリになるだろう、ということか?

あ~あ。1000円だという口車に乗せられて、買うんじゃなかった。私はひどく後悔した。

それもこれも、私の体型の不徳の致すところである。

気持ちをリセットしたつもりが、さらにどんよりして、店を出た。

この日の晩、久しぶりにスポーツクラブに行って汗を流したことは、言うまでもない。これからまたスポーツクラブに通いはじめるぞ!と決意を新たにしたのであった。

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「思想界の巨人」の言葉

3月19日(月)

先日この世を去った吉本隆明は、「思想界の巨人」といわれる。

学生時代、少し背伸びをして吉本隆明の文章を読んでみたが、どうにも難解で理解できなかった。

ところがここ数年、糸井重里さんが、吉本隆明の話を聞きに行ったり、その仕事をまとめる仕事をしているのを「ほぼ日」なんかでみていて、

そろそろ、吉本隆明かなあ。

Ph2 などと思っていた。 で、先日、古本屋で吉本隆明・糸井重里『悪人正機』(新潮文庫)を買って読んでみたら、これがもうじつに面白い。

面白い、というのは語弊があるか。語られている言葉が、胸にストンと落ちる、という感じなのである。

吉本隆明が糸井さんのインタビューに答える、という形式で作られた本だと思うが、本の中で糸井さんはインタビュアーとしては登場せず、吉本隆明による「語りおろし」という形がとられている。糸井さんは、各章の最初に「前口上」として、簡単な解説というか、絵解きをしている。

何気ない言葉がすごくよい。

「他人ってのは、自分が自分を考えているほど、君のことを考えているわけじゃないんだぜ」(「「生きる」ってなんだ?」)

これは正確には吉本隆明の言葉ではなく、彼が若い頃に言われた言葉だそうだが、自意識過剰の私には、はっと気づかされる言葉である。

「結局、そういう幼い時の、小学生くらいの友だちっていうのは、離ればなれに、もうどうしようもないくらいに別々になっちゃうんですね。その経験で僕が思ったのは「そいつがいい目にあってずっと生活できていればそれでいいや。以後、会うことはないかも知れないけどそれでいいんじゃないか」ってことなんですね」(「「友だち」ってなんだ?」)

小学生の時の友だちに限らず、離ればなれになっている友人のことは、この考え方をすればずいぶん気が楽になる。

「大学に行くってことは失恋を経験するみたいなもんで、がっかりすることが重要なんです。こんなもんかって見当がつくようになりますからね」(「「教育」ってなんだ?」)

そうそう。私も大学に入って、大学院に進んで、こんなもんかってがっかりしたもんなあ。その感覚は、間違っていなかったのだ。

「結局、靴屋さんでも作家でも同じで、10年やれば誰でも一丁前になるんです。だから、10年やればいいんですよ。それだけでいい」(「「素質」ってなんだ?」)

これは、糸井さんが最も気に入っている言葉のようである。素質を云々するよりも、一生懸命でなくてもいいから10年続けろ、というのは、学業、仕事、趣味、いずれにもあてはまる。私もこの稼業、もう10年も続けてるもんね。

「自分の、自己評価より上に見られるようなことをやっちゃいけないんですよ」(「「素質」ってなんだ?」)

これもわかるなあ。けっこう身のまわりにそういう人が多かったりするし、自分も、ともすればそうなりがちだからね。

文脈から切り離してしまうとなかなか伝わりにくいかも知れないが、言葉のひとつひとつがストンと胸に落ちる感じがするのだ。実際には、糸井さんがうまく話を引き出しているのだろう。

「思想界の巨人」の言葉が、中学生以上であれば、誰でも読める、というのは、ある意味すごいことである。これ、大学に入学したての1年生に読ませて、少人数の演習で討論させたら、面白いんじゃないだろうか、などと、また仕事に引きつけて考えてしまう。

それに、吉本隆明は、さかのぼればうちの職場の卒業生だぞ。もう少し、うちの職場でとりあげてもいいんじゃないの?ちょっと冷たすぎやしないか?

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リアルブラウニーの赤っ恥

3月16日(金)

先週、韓国出張の最終日(9日)のこと。

金浦空港近くのスーパーで、日ごろお世話になっている職場の同僚や職員さんたちに渡すお土産を買うことにした。空港のおみやげ屋さんで買うより、スーパーで買った方が安くてよいものが多いので、最近はすっかり御用達なのである。

1 なにか気の利いたお菓子がよいだろうと思い、妻に聞いてみると、「いまは、リアルブラウニーというお菓子が美味しくて、韓国でいちばん売れているお菓子なので、それを買えばよい」とアドバイスされた。もちろん妻も、自分の職場にそのお菓子を買っていくことにしていた。

私も妻にならって、「リアルブラウニー」というお菓子を買っていき、帰国してから、お世話になっている同僚や職員さんたちに渡したのである。

ところが今日、というか、さっき、近所のコンビニに行って何気なくお菓子の棚を見ていてビックリした。

リアルブラウニーが売っているではないか!

それも、輸入品にもかかわらずけっこう手ごろな値段で!

つまり私は、近所のコンビニで手軽に買えるお菓子を、わざわざ韓国土産だといって、得意げに渡していたのである!職員さんたちにいたっては、1つの箱を「みんなで分けてください」などと言って渡してしまったものだから、もう顔から火が出る思いである。

おりしもつい最近、DVDで、映画「男はつらいよ 寅次郎春の夢」を見たばかりであった。その中にこんなシーンがあった。

柴又の「とらや」に、甲府の知り合いからダンボール箱いっぱいのブドウが送られてくる。「こんなに送られてどうしましょう」などと言っていると、そこに寅次郎が旅先から帰ってくる。

寅次郎は、旅先で買った、小さなかごに入った少量のブドウをお土産に持ってきたのだ。

「このブドウ、裏の社長にもおすそ分けしてやりな」と寅次郎は得意げにブドウの入った小さなかごを妹のさくらに渡す。

このあと、「とらや」に大量のブドウが送られていたことを知り、寅次郎は赤っ恥をかくのだが、いまの私は、その寅次郎とまったく同じ心境である!(あいかわらずわかりにくいたとえだ)

これではまるで、私が赤っ恥をかいたようなものではないか!

あわてて妻に電話した。

「リアルブラウニーが近所のコンビニで売ってたぞ!」

「知ってたよ」

「し、知ってた???」

なんと、妻はすでに知っていたのだ!

「おかげで、赤っ恥をかいてしまったじゃないか!」

だが妻は動じない。

「いいじゃない。もらう方にしても、得体の知れないお土産をもらうよりも安心でしょう」

たしかにリアルブラウニーは、合成着色料ゼロで、素材のままを生かして作られている。しかも美味しいから、お土産としては最適なのだ。

「でもこれじゃあ、本当に韓国で買ったものかどうか、疑われるじゃないか!」

と、ここまで言って考えた。考えてみれば、韓国のりも、「ダシダ」も、辛ラーメンも、コチュジャンも、いまや日本の至るところで手軽に買えるのだ。なにもリアルブラウニーに限ったことではないのだ。

とすると、私が本当に韓国に行って買ったということは、どうやって証明すればよいのか?

…というか、こんなことで気に病む私は、どうかしているのか?

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覚えやすい顔なのか?

3月16日(金)

夜、研究室にいると、この3月に卒業する、4年生のSさんとTさんがやってきた。

「先生、いらっしゃったんですね。いらっしゃらないかと思いました」

そう言うとSさんは、カバンからクリアファイルを取り出した。

Photo 「これ、さっき描いたんです」

見ると、なんとクリアファイルに私の顔のイラストが描かれており、しかもご丁寧に色まで塗っているではないか!

実は、2月21日に行われた「追いコン」でも、Sさんはクリアファイルに私の顔のイラストを描いて、私にプレゼントしてくれていた。つまり、その第2弾である。

Photo_2 私の似顔絵、というより、もはや完全に独自のキャラクターと化している。

興味深いのは、私を「トトロ」になぞらえていることである。

韓国留学中も、語学院の先生や中国人学生たちの間で、私がトトロに似ていると言われたことがある。

語学院4級クラスのとき、所用で授業を1日休んだことがあった。翌日登校すると、私の席のうしろの壁に、「トトロ」のイラストが貼ってあった。

1_3 「キョスニム(私のこと)がお休みだったので、代わりに「トトロ」を貼っておきました」と、語学院の先生が言うと、クラスにいた中国人留学生たちは、爆笑した。どうやら私の姿形に対する認識は万国共通らしい。

「ずいぶん描き慣れてるねえ」私が言うと、

「これを描くと、なぜか気持ちが落ち着くんです。卒論を書いていたときも、せっぱ詰まったりしたときはよくこれを描いて気持ちを落ち着けていました」とSさん。

なんだなんだ?私の似顔絵を描くのは写経するのと同じ効果があるのか?

2_2 「だからいまは、学生研究室のあちこちに、先生のイラストが貼ってあったりするんです」とTさん。

その様子を想像すると、少しキモチワルイ。

描きやすい顔ということなのだろうか。

それで思い出した。

私はよく、声をかけられる。

先日行った韓国でも、博物館で仕事をしていると、「ソンセンニム!(先生)」と、声をかけられた。

声のする方を見ると、大邱の大学に留学していたときに知り合った大学院生の女性である(名前は失念してしまった)。

「お久しぶりです。ビックリしました。どうしてここにいらっしゃるんです?」

「資料調査に来たんですよ。で、あなたは?」

「いま、ここでアルバイトしているんです」ソウルと大邱は、東京と大阪くらい距離が離れているから、ここで会うというのは、かなり偶然的である。

留学していたとき以来だから、2年ぶりの再会である。それほど頻繁にお話ししたわけでもないのだが、よく私の顔を覚えていたものだ。

同じ日、博物館の図書室で文献のコピーをとっていると、今度は、以前お世話になった博物館の研究員の女性にも声をかけられる(やはり名前は失念)。

「ソンセンニム!今日はどうしたんですか?」

「ええ、資料調査に来たんですよ」

一部始終を見ていた妻が呆れて言う。

「よっぽど覚えられやすい顔なんだね」

なるほど、そうなのかも知れない。こっちは忘れていても、向こうが覚えている、という経験は、これまでに何度もあったのだ。

1月に運転免許の書きかえに行ったときもそうだ。

受付で免許証を提示して、お金を払おうとすると、受付の女性が言う。

「あのう、○○大の○○先生でしょうか」

「そうですけど」

「私、○○大(前の職場)で以前、1回だけ、先生の講義を受けたことがあります」

数年前まで、前の職場で1年に1度、1時間だけ授業をする機会があったのだが、その授業を受けていたらしい。

1度しか授業を受けてない人の顔を、よく覚えているものだ。私だったら、そんな人の顔、絶対忘れているぞ。

それもいま思えば、私が「覚えやすい顔」だからか?

覚えやすい顔とはすなわち、描きやすい顔、ということなのか?

あらためて、Sさんの描いたイラストを見なおしてみた。彼らには、私がこんなふうに映っているのか、と思うと、それはそれでおもしろい。

「…しかしまあ、よく描けているねえ。いっそこれを商品化したらどうだろうか」私も調子に乗って提案する。

「いいですねえ。商品化したら、絶対に私たちに連絡ください」SさんとTさんはそう言い残し、帰っていった。

クリアファイルに印刷するのって、どのくらいのコストがかかるのだろう?などとなかば本気で考えはじめた私であった。

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卒業生へのメッセージその2・蒼い時

3月15日(木)

前回、「その1」と書いてしまったから、「その2」を書かなければいけなくなった。

諸君は、山口百恵という人を知っているだろうか。

私が小学生の頃の人気アイドル歌手である。映画やドラマにもたくさん出演していた。

その山口百恵は、21歳の時に、電撃引退する。映画やドラマで共演していた、三浦友和と結婚するためである。

1980年、当時小学校6年生だった私は、この時はじめて「引退」という言葉を知った(ちなみに長嶋茂雄が現役を「引退」したのは、1974年のことで、その時の記憶はない)。

Images1 その山口百恵が、引退する21歳の時に書いた本が、『蒼い時』(集英社文庫)である。

この本を、大人になってから読んだ時に、衝撃を受けた。

とても、21歳の人が書いた文章とは思えなかったのである。

ゴーストライターが書いたのではないか、という説があるが、私はその説はとらない。なぜなら、あの文章は、ゴーストライターなんぞが書けるような代物ではないからだ。

単なる「タレント本」でも、「告白本」でもない。

21歳の女性の屈折した思いや過去への内省が、赤裸々に語られている。

その驚くべき「筆力」には、ただただ圧倒されるばかりである。

個人的には、三浦友和との結婚を決めるに至る心の動きを書いた章(「結婚」)が秀逸である。

「…何という馬鹿なことを言ってしまったのか。可愛気のない女だと思われてしまったに違いない。気まずい雰囲気の中で、地の底へ落ちて行くような自分を感じた。私は彼に誰よりも嫌われてしまったと思いこんだ。

自分の発した言葉によって、自分の望まない方向へ状況を流してしまったことに対する自己嫌悪は、それからしばらく私の心を支配した。私は彼の視線を敬遠し、彼の視線は遠ざかった。だから、彼から初めて気持ちを打ち明けられた時の私の戸惑いは、大きかった」

このあたりの記述は、何度読んでもよい。

21歳といえば、諸君とほぼ同じ年齢ではないか。ぜひ、卒業する諸君に読んでほしい。30年前の21歳の女性が書いた文章を読んで、諸君は何を感じるだろうか。

そして、21歳のみずみずしい感性を、いまの諸君がこれほどの筆力で書くことができるのかも、私にとっては興味深い問題である。

余談だが、いわゆる「タレント」が書いた本で、その筆力に圧倒されたものは、この『蒼い時』と、唐沢寿明の『ふたり』(幻冬舎文庫)くらいである。

…ん?あんまり、卒業生へのメッセージになっていないな。まあいいか。

余談ついでにもうひとつ。以前、ある論文集に論文を載せたことがあったが、その論文集の本を装丁した人が、この『蒼い時』の本を装丁した人と同じであった。

つまり、あの『蒼い時』を装丁した人が、私がかかわった本の装丁もしていたのである!

たぶん、その本に論文を載せたほかの同業者たちは、誰も気づかなかっただろうし、関心もなかっただろうと思うが、私にとっては、中身よりもそのことだけがひそかな自慢である。

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卒業生へのメッセージその1・元少年の歌

3月14日(水)

卒業の季節である。

ということで、卒業生が読んでいるかはわからないが、20年ほど長く生きているおじさんから、卒業生に向けたメッセージを書いてみることにしよう。

私がそうとうなマイナス思考の人間であることは、このブログの読者ならお気づきのはずである。

クヨクヨ悩むことにかけては、人後に落ちないのである。悩みすぎて、仕事が手につかなくなることがある。

とくに人間関係ではよく悩んだりする。

中学生とか高校生のときからそうだった。

はじめっから苦手な人の場合は、かかわらないようにすればいいのだからどうってことはないのだが、むしろ親しい人との人間関係に、悩んだりすることがある。

なにかがきっかけで、親しいと思っている人が私を「ウザイ」と思っているのではないか、という妄想にとらわれることがよくある。

これは、被害妄想というべきものかもしれないが、正確に言えば、「こちらがなにか気に障るようなことを言ったのではないか?あまりにも親しさを押しつけてしまい、馴れ馴れしくしてしまったからではないか」などと、こちらが原因でそうなっているのではないか、と思っているのだから、見方によっては、加害妄想かもしれない。

自分の過去の言動をたどり、ああでもない、こうでもない、と悶々とした時間を過ごす。

そして、「どうせ疎まれているんだろうから」などと考えてしまい、その人と話をするのを意識的にひかえようとしたりする。

そうすると、今度はその人が、こちらをヘンに思い、向こうもこちらに話しかけてこなくなる。

そうやって、中学時代や高校時代には、それまでとても親しかった友人と、突然口をきかなくなる、ということが、何度かあった。

しばらくして、親しい関係はもとに戻るのだが、あの、被害妄想とも加害妄想ともつかない妄想は、いったい何だったんだろう?と、今でもふと思うことがある。

そしてビックリすることに、40歳を過ぎたいまでも私は、時たまそんな妄想にとらわれて思い悩むことがあるのだ。完全な「一人相撲」である。

諸君は、大人になれば常識をわきまえた人づきあいができるから、人間関係に思い悩むことなんてないだろう、なんて、思っているのではないだろうか。

そんなことはないぞ、諸君。20年たっても、いまと同じような悩みはつきまとうぞ。ひょっとしたら、諸君のお父さんやお母さんも、諸君と同じように思い悩んでいるのかもしれないぞ。寅さんだってよく言っているではないか。「理屈じゃないんだよ」と。

ただ大人は、そのことをオモテに出さない才覚があるだけなのである。

人間関係だけでなく、自分の至らなさに悩むことなんて、日常茶飯事だ。

そのたびに、妻に「オレなんか死んだ方がマシだ」と弱音を吐く。

すると妻は、「死ぬ前に部屋を片づけてください」と切り返す。

散らかっている部屋を片づけるのが面倒だからという理由で、仕方なく死ぬのを思いとどまる。というか、このみごとな切り返しには、ぐうの音も出ない。

…よし、それなら!と、今日、一念発起して、部屋を片づけはじめた。

しかし、あまりに散らかっていて、ぜんぜん片づかない。

そのうち、まあいいや、と、悩みもどこかへ行ってしまう。

ほら、いまの諸君と、あまり変わらないだろう。

つまりいまの諸君の悩みは、20年たっても続くから、いまのうちに悩み慣れしておけ、ということなのである。

最後に、諸君にフラワーカンパニーズの「元少年の歌」の歌詞(作詞:鈴木圭介)を贈ろう。

「大人だって泣くぜ 大人だって恐いぜ

大人だって寂しいぜ 大人だってはしゃぐぜ

大人だって愚痴るぜ 大人だって逃げるぜ

大人だって遊ぶぜ 大人だって子供だったんだぜ」

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イ・ナヨンの颯爽、ソン・ガンホの迷走

3月9日(金)

日本への帰国の日。

少し時間があったので、やはり映画を見ることにした。

ソン・ガンホ主演の映画が公開中とあれば、是が非でも見に行かなければならない。

しかも、イ・ナヨンとの共演である!

イ・ナヨンという女優は、ひと言で言えば、「かっこいい女性」である。いつ見ても、「かっこいいなあ」と惚れ惚れしてしまう。私は、「かっこいい女性」がタイプなので、つまりは、大好きな女優だ、ということである。

_1_1 映画のタイトルは「ハウリング」。日本の作家・乃南アサの『凍える牙』が原作である。

ソン・ガンホとイ・ナヨンは、ともに刑事で、先輩と後輩、という関係である。

韓国で刑事ドラマというと、必ず捜査チーム内部での激しい対立、という設定がつきものである。この映画でも、捜査チームとイ・ナヨン扮する女性刑事との間には、激しい対立がある。

それを見守っているのがソン・ガンホなのだが、このソン・ガンホの立ち位置がよくわからない。中途半端な位置なのである。

そういう役柄なためか、ソン・ガンホもいまひとつ役にのりきれていないように感じる。ソン・ガンホの真骨頂であるコミカルな演技があまり見られないのも少し残念である。

そもそも最近のソン・ガンホは、ちょっとかっこよすぎるのが、私にとってはあまりよろしくない。

「どうだった?」映画を見終わって妻に聞くと、

「うーん。イマイチでしたな」

やはり、稀代の辛口批評家の評価はキビシイ。私は、ソン・ガンホとイ・ナヨンが見られただけで、ひとまず満足なのだが。

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チェ・ミンシクの風格、ハ・ジョンウの悪漢

3月7日(水)

「できるだけぶざまで情けない中年」をめざしている私にとって、いまは「チェ・ミンシク」ブームである。

少し前のことだったか、韓国の友人、ヨンギュ氏からコメントが届いた。

2011120810355041094_1「先日封切りしたチェ・ミンシク主演の映画『犯罪との戦争』を映画館で見ました。やはりチェ・ミンシクはいいですね。 他の俳優をエキストラにしてしまうほどの完璧な演技のカリスマで、 私がソン・ガンホの次に好きな俳優です。『犯罪との戦争』、必ず見て下さい!本当におもしろいですよ。 韓国の現代史を理解するのにも役に立ちます」

ソン・ガンホの次に好きな俳優がチェ・ミンシクだなんて、まったく、どこまで私と趣味が合う人なんだろう。

このコメントをもらってから、仕事でソウルに行ったときにもしまだ公開していたら、「犯罪との戦争」を見に行こう、と決めていた。

この日、仕事が終わった夕方、ソウルのコエックスモールの映画館「メガバクス」に向かった。仕事に同行した妻も一緒である。

映画は、1980年代の釜山を舞台にした暴力団抗争の話で、実話をもとにしている。若き「ナンバー1」(ハ・ジョンウ)と、才覚だけで暴力団幹部にのぼりつめる男(チェ・ミンシク)を軸に、物語が展開する。

Imagescasds2z5 ハ・ジョンウは、映画「国家代表」のスキージャンプの選手役として有名だが、本来は悪役をやらせると光る役者なのである。これまた私が好きな、キム・ユンソク主演の映画「追撃者」(邦題:チェイサー)での、ハ・ジョンウの悪役ぶりもすばらしかった。

そして、チェ・ミンシクの変わりよう!完全な中年太りのオッサンになっているではないか。

C0030640_4f2bd10037f90 チェ・ミンシクの中年太りは、「花咲く春がくれば」(2004年)から始まっているが、その時点では、「役作りのために少し太り気味にした」と、インタビューで語っている。今回はさらにパワーアップしているが、これが役作りのためなのか、それとも、自然とそうなってしまったのかは、わからない。いずれにしても、ぶざまさにさらに磨きがかかっていることだけは、間違いない。

映画を見終わった妻が言った。「これ、おもしろいねえ。どうしてこの映画を見ようと思ったの?」稀代の辛口批評家である妻がほめたのだから、そうとうおもしろい映画だ、ということである。

「実は、ヨンギュ氏にすすめられたんだ」

「ヨンギュ氏、見る目があるねえ。お礼を言っておいて」

ほら、やはり鑑識眼のたしかな友人を持つことは、重要なのだ。

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どうでもいい話

3月11日(日)

交流会の席で、世話人代表のKさんが私に言った。

「『韓国国立中央図書館の攻略法』、読みました」

「そうですか」

「あれ、はっきり言って、『どぉーでもいい話』ですなあ」

「そうでしょう。だって、そのつもりでねらって書いたんですもん」

「うっかり最後まで読んでしまったじゃないですか!」

「そうですか」

「で、最後まで真剣に読んで、『あ~、時間の無駄だった!』と激しく後悔しました」

「なんの役にも立たない話でしょう?」

「そうですよ!だって、韓国の図書館の利用法なんて、たぶん、一生役に立つことなんてないですもん。おかげでこっちは、せっかくの会合の準備の時間を、すっかり無駄にしてしまいました」Kさんは頭を抱えた。

「私のブログは、それがねらいですよ」

「そうでしょう。そうだと思いました。なんか、罠にはまった感じです」

「だれにも、なんにも関係ない、どうでもいい話を書く、というのがポリシーです」

「ほんと、『どぉーでもいい話』ばかりですよね」

同じ指摘は、福岡に住む高校時代の友人、コバヤシからも受けたことがある。「お前のブログを読むと、時間を損した気分になる」と。

そう、わからない人にはわからないように書いているのだ。

前回書いた記事だって、関係のない人が読んだら「しゃらくさい」と思うに違いないし。

だから、悪いことは言いません。時間を無駄にしたくない、と思ったら、このブログを読まないことです。

閑話休題。

3次会の席で、学生たちが「きゃりーぱみゅぱみゅ」の話題をしていた。

「何だい、『きゃりーぱみゅぱみゅ』って?アイドルグループか何かか?」

「きゃりーぱみゅぱみゅ」という言葉じたいはラジオで聞いたことがあったが、テレビを見ていないので、それが何だかわからない。

「知らないんですか?とっても可愛いカリスマファッションモデルですよ」と3年生のUさん。

「へえ」

「益若つばさみたいな感じです」

そのたとえも私にはよくわからない。

「『きゃりーぱみゅぱみゅ』は、FMのDJ泣かせなんですよ。曲紹介なんかで、『きゃりーぱみゅぱみゅ』を絶対に噛むんです」と卒業生のT君。

歌も歌っている人なのか。たしかに「きゃりーぱみゅぱみゅ」は言いづらい。それに、ワープロでも打ちにくい。

「あ、でもそれ、アクセントを変えれば簡単に言えるようになりますよ。『きゃりーみゅみゅ』ではなくて、『きゃりーぱみゅみゅ』と言えばいいんです」と3年生のO君。

みんなで、O君の言ったとおりに「きゃりーぱみゅみゅ」と復唱した。

「あ、ほんとだ。言えた」

なんと、この短時間で「きゃりーぱみゅぱみゅを噛まずに言える裏技」までマスターしたぞ!

「こんな早口言葉はどうだい?」私が思いついた。

「赤ぱみゅぱみゅ 青ぱみゅぱみゅ 黄ぱみゅぱみゅ」

一同爆笑。こうなると、もう私は止まらなくなる。

「カエルぱみゅぱみゅ三ぱみゅぱみゅ 合わせてぱみゅぱみゅ六ぱみゅぱみゅ」

「あのぱみゅぱみゅに、ぱみゅぱみゅしたかったのは、ぱみゅぱみゅしたかったからぱみゅぱみゅしたのです」

3次会ともなると、こんなくだらないことがどんどんと出てくる。

どうです?どうでもいい話の極致でしょう?

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それぞれの3月11日

3月11日(日)

午前10時。熱が少し下がったので、会合の会場に向かうことにした。

午前10時から始まった会合に1時間ほど遅れて到着すると、会場には60人ほどの人が集まっていた。その多くは、学生を中心とする若者たちである。あれから1年がたって、60人もの人がこの会合に参加することを、だれが予想していただろう。

この1年間、後方支援、という形で、被災資料のクリーニング作業にかかわってきた。甚大な被害を受けた資料をお預かりして、クリーニングをする、という作業である。今日は、この1年の節目の会合であった。

講義教室のように並んでいる机をあえて使用せず、それらをとりかこむように、車座になって話し合いが行われていた。世話人代表のKさんらしいアイデアである。会場は、「静かな熱気」につつまれていた。

午前の部が終わり、数人で昼食を食べていたとき、水損した本をクリーニングしたあとの保管方法について話題になった。

「洋装の本の場合は、平積みではなく、本箱の中に立てて保管しておくのが本のためにもよいと言われたんですが、それだと、本の中の湿気がなかなか抜けないと思うんです。和装本だと、平積みにして保管しているのでそれほど問題ないんですが」

「本箱にすき間なくならべているのですか?」

「ええ」

「それだとたしかに通気性が悪いですね。ブックスタンドのようなもので、本と本とのあいだにすき間をあけて並べたらどうです?」

「いや、ブックスタンドを使うと、下の部分に凸凹ができてしまうので、本にとってはあまりよくないそうです」

「じゃあ、背表紙の部分を下にして並べたらどうでしょう。そうしたら、いくらかでも通気性がよくなるんじゃありませんか」

昼食の話題にしては、ずいぶんマニアックな話である。

「いま、『水損した図書をどのように保管するか』を昼食の話題にしているのは、世界中でここだけかも知れませんね」世話人代表のKさんが言った。

考えてみれば、この1年、集まればそんな話ばかりをしてきたのだ。

午後も現状と課題についての話し合いが続き、2時46分には黙祷を捧げた。そして4時過ぎ、会合は終了した。

午後5時からは、交流会である。この1年間、頑張ってくれた学生たち、とくにこの3月で卒業する学生たちの労をねぎらう意味で企画された。

駅近くの居酒屋で行われた交流会には40名ほどが参加した。圧巻なのは、県内3大学の学生と教員有志、それに社会人が、一堂に会し、一体となった雰囲気の中で会が進んだことである。こんな草の根的な「連携」ができるのは、たぶん県内ではうちの団体くらいしかないのではないか。それだけは、誰にも負けない、大きな誇りである。

「知ってる顔を見れば、安心するものですよ」とは、世話人代表のKさんの口癖である。知っている人たちがクリーニング作業で顔を合わせ、そこでまた知らない人同士が顔を合わせて、「知っている顔」になる。今日集まった人たちは、そのような人たちばかりである。だから、この場に来ると安心するのだ。

「これまで、人の集まらない企画ばかりやっていましたよねえ」世話人代表のKさんが感慨深げに言う。これまでは、Kさんが提案した草の根的な企画に私が賛同すると、ほとんど人が集まらない、というジンクスがあったが、今回は違った。震災が契機になったというのは、何とも複雑な思いがする。

交流会に参加した人びとは、みんな、いい表情だった。

「2次会に行きましょう」

風邪が治っていないため、1次会を途中で失礼しようと思っていたつもりが、なぜか2次会へ向かう道の先頭を歩いていた。

2次会では、チューハイを飲みながらよもやま話をする。話の内容はもっぱら、これからの活動についてである。卒業生のT君や4年生のT君の語る「これから先の話」が、私にとってはとても心地よいものだった。

「さっき、職場から来たメールを確認したら、明日の朝までに絶対に仕上げなければならない書類ができてしまったんですよ。だから今日は早く帰ります」と言っていた「丘の上の作業場」のリーダー、Yさんは、結局2次会の最後までつきあってくれた。Yさんも、私と同世代の「おっさん」だが、この活動がなければ、お話しする機会もあまりなかっただろう。

この活動を牽引してきたのは、もちろんダブルKさん(ダブル浅野的な意味の)だが、さまざまな技術的な問題は、Yさんがいなければ決して解決しなかった。だから私は、Yさんを、ひそかに「宇宙戦艦ヤマト」に登場する「真田工場長」になぞらえていた。

そうすると、ダブルKさんは、古代進と島大介か?

じゃあ私は…、佐渡酒造あたりだろうか?

…などという妄想をしているうちに、2次会が終了した。

「3次会に行きましょう」

「じゃあ、もう少しだけつきあいますか」

最後は、卒業生のT君、4年生のT君、3年生のAさん、O君、Uさんが残り、場所を移動する。ここでもよもやま話をしているうちに、気がつくと時間は深夜12時をまわっていた。

「いかん!明日は朝から重要な仕事があるんだった!」慌てて帰り支度をする。

「先生、風邪は大丈夫なんですか?」

「不思議なことに、もうなんともないよ」

外は雪がちらついていて寒かったが、体のだるさはすっかりなくなっていた。

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風邪は治るか

3月10日(土)

引き続き、誰にもわからないような韓国ネタを書こうと思っているが、どうも体調がすぐれない。

9日(金)の夜10時に羽田空港に着き、そこから、重いスーツケースとリュックを抱えて、10日(土)に行われる研究会会場の近くのホテルに着いたのが、夜12時半過ぎ。そして翌朝10時から、終日研究会である。

お昼にいただいた弁当を食べてからというもの、急に脂汗をかいて、気分が悪くなった。

(弁当にあたったのかなあ)

でも、他の方は、大丈夫な様子である。

おかげで、午後の研究会は、最悪の体調のまま終わった。

「どうしたの?顔色がすごく悪いよ」と、畏友のTさん。

「ええ、このところ休みがなかったもので」と私。

このあとに行われる懇親会を休みたかったが、師匠がいる手前、断るわけにもいかない。

先日、38度以上の熱があるにもかかわらず、研究会のあとの飲み会に参加させられたパターンと同じである。メンバーも、そのときの人たちとほぼ重なっているので、「またかよ!いつも会うたびに体調が悪いよな。体調管理が悪いんじゃないの?」と思われてしまうのも、ちょっと悔しい。

だが懇親会では、偉い先生方のお話に相づちを打つだけで精一杯で、お酒や料理が、一口も入らないのである。

最終の新幹線で地元に帰らなければならなかったので、懇親会を早めに失礼した。

師匠も、私の体調の悪さを見かねたのか、「体に気をつけろよ」と別れぎわにおっしゃった。「お体にお気をつけください」とは、本来私が師匠に言うべきセリフである。

ビックリするくらい重いスーツケースとリュックサックを運びながら、なんとか東京駅に到着する。最終の新幹線の中で熱をはかると、またもや38度越え。

(やはり風邪かなあ)

妻にメールをすると、韓国に同行した妻も同様に「風邪のひきはじめの症状」で、食欲がすぐれないという。

ということは、韓国での疲れが出た、ということか。たしかに、韓国での仕事はそれなりにハードだった。

明日(11日)は、朝10時から終日、会合である。その後も、休みなく予定が続く。

はたして風邪は治るのか?

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開け!青春の門

3月6日(火)

ソウルに着いた日の夜、さっそく、地下鉄5号線光化門駅近くにある、教保文庫(キョボムンゴ)に行くことにする。

キョボムンゴはいまさら説明するまでもない。韓国でいちばん有名な大型書店である。

ここで、「読みもしない本」をたくさん買うことが、ソウルに来たときの習慣になってしまったのだ。

250_38129_2206335_2 新刊本のコーナーを見ると、あの『ワンドゥギ』の原作者、キム・リョリョンが、2年ぶりに新作長編小説を発表したという。タイトルは、『カシコベク』。日本語訳すると『いばらの告白』というくらいの意味になろうか。

この前ソウルに来たときは、『ワンドゥギ』の原作小説を買ったのだが、じつはまだ読んでいない。にもかかわらず、『カシコベク』も買うことにした。

平積みになっている『カシコベグ』を1冊取りあげたときに気づいた。

18013203_001_3 『カシゴベク』の左隣には同じ作家の青春小説『ワンドゥギ』が平積みになっているが、右隣には、なんと五木寛之原作の『青春の門』の韓国語訳版が平積みになっているではないか!

そしてその一角は、青春小説を並べているらしく、韓国語で、

「開け!青春の門」

というキャッチフレーズのプレートが立てられているのである。

以前この日記で、映画「ワンドゥギ」を「韓国版・青春の門」と評したが、韓国の人たちも、同じようにキム・リョリョンの描く青春小説を、五木寛之の『青春の門』になぞらえていたのである。

しかもいま、青春小説が「隠れたブーム」らしい。

どうだい!オレの鑑識眼も、まんざら捨てたものではないぞ。

でも、たしかに『青春の門』は古典的名作だが、いまの日本の若い学生で、この小説を読んだことのある人はどれくらいいるか、と思うと、ちょっと心細い。それに、いまの韓国の若者たちには、受け入れられるのだろうか。それとも、私のようなオッサンが読むのだろうか。いずれにしても、いま『青春の門』が韓国の人たちに受け入れられているというのは、なかなか興味深い問題である。

20080417051809_142_0_2 あ、あと、小川洋子さんの『博士の愛した数式』が韓国語訳されていたので、即買いしました。青春小説とは関係ありませんが、たぶんこちらの方を、先に読むだろうな。

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韓国国立中央図書館の攻略法

3月7日(水)

韓国のソウルに、国立中央図書館という大きな図書館があります。日本でいうところの、国立国会図書館のようなものでしょうか。

今回は、その利用法について、ご説明いたしましょう。

まず入館時に、利用証(ICカード)を発行してもらうため、入口に設置されているパソコンで、必要事項を入力します。外国人の場合は、「Sign Up」というところをクリックすると、入力画面が出てきます。そこに、名前や旅券番号などの必要事項を入力します。

それが終わると今度は、「利用証発行カウンター」で、利用証を発行してもらうことになりますが、その際、IDとパスワードを登録しなければなりません。IDとパスワードは、任意のものでかまいません。

登録が終わると、利用証が発行されます。

次に、荷物をロッカーに入れます。ここで必要なのは、「コイン」ではなく、IDとパスワードです。つまり、利用証が発行されないと、荷物をロッカーに入れることもできないのです。

さて、いよいよ入館です。入口は自動改札機のようになっていて、利用証を「SUICA」のように入口にかざすと、入館できます。

開架されているものは自由に閲覧できますが、実際には開架されているものはあまりなく、多くの本は書庫にあります。開架にないものは、web上で申請することになります。図書館には、至るところにパソコンが置いてあり、図書名や雑誌名を検索して、目的の本を申請するのです。

まず、IDとパスワードを入力して、図書館のウェブサイトにログインします。

次に、希望の本や雑誌の候補を検索して、自分の「かご」に入れます。amazonでいうところの「カートに入れる」というやつです。

ここで問題なのは、書庫から借り出せる図書は、1人1日5点までと決まっているということです。無制限に借り出すことはできないので、カートに入れたものの中から、優先順位の高いもの、5点までを選ばなければなりません。選んだら、「当日貸出申請」をクリックします。

これで、申請手続きは終了です。

あとは、カウンターの上にある電光掲示板に、自分の名前が出るのを待ちます。名前が出ると、カウンターに本を取りに行きます。そう、ちょうど韓国のフードコートで、自分が注文した料理ができあがると、電光掲示板に自分の番号が出るでしょう。あれと同じような感覚です。

ここで注意すべきことは、本の「ジャンル」によって、受け取りに行くフロアーが異なるということです。申請自体はウェブ上でまとめて行うことができますが、本を取りに行く際には、その本が配架されている階のカウンターに取りに行かなくてはなりません。

カウンターに利用証を提示して、本を受け取ります。

さて、次に借りだした本をコピーする方法です。

図書館の各階に、コピー機が置いてある「複写室」が設置されています。そこに入るとまず、「サイバーマネー充填機」という機械に、IDとパスワードを入力して、コピーに必要な分のお金を入金します。ちょうど、韓国の「交通カード」に、お金を充填するのと、同じような感覚です。

注意しなければならないのは、1000ウォン単位でしか入金できず、しかも、おつりは戻ってきません。ですので、コピーが何枚くらい必要かを考えながら、入金する必要があります。ちなみにコピー代は、1枚40ウォンです。

入金が終わると、空いているコピー機を探して、コピーをとります。コピー機のところで、IDとパスワードを入力すると、充填したお金の残額が表示されます。充填したお金がゼロになるまで、コピーをすることができます。もしコピーがまだ終わらないにもかかわらず、残金がゼロになってしまった場合は、「サイバーマネー充填機」のところに行って、同じように入金作業をくり返せば、引き続きコピーができます。

こうして、荷物をロッカーに預けることから始まり、申請、複写、すべてにわたって利用証のIDとパスワードが必要で、徹底的に電子化されているのです。

利用してみて、なかなか面白いシステムだなあ、と思いましたが、図書館には、お年寄りが利用することも多く、パソコンや機械に慣れていない年配の方にはかなり難しいだろうなあと思いました。

日本の図書館ともかなり違うなあ、という印象を受け、とても興味深かったです。

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物置、横転!

3月5日(月)

明日から韓国に出張である。朝、羽田空港から出発するので、今日のうちに新幹線で東京に向かわなければならない。

仕事を終え、いったんアパートに戻り、途中になっていた荷造りをすませ、駅に向かう、という段取りである。要領が悪いせいか、仕事が思いのほか長びき、アパートに戻ったら15分くらいで荷造りを終わらせて出なければならなくなった。雪と雨でグチャグチャになっている道を歩きながら、家路へと急いだ。

アパートの前まで来て、目の前の光景にわが目を疑った。

アパートの前に並んでいる物置のうちの1つが、90度横転しているではないか!かなり大きな物置が、なぎ倒されたみたいになっているのである!

私が住んでいるアパートは、部屋ごとにたたみ2畳分くらいの広さの物置が割りあてられる。その物置は、アパートの前に並んでいる。

そしてビックリしたことに、そのなぎ倒された物置というのは、私の部屋の物置だったのだ!

見事なまでの横転っぷりである。人間にたとえれば、あお向けにバサッと倒れた状態、といった感じの、いさぎよい倒され方である。

いったいこれはどういうことだ?

横転した物置の横に、男性2人がいた。1人はおじさん、もう1人は、その息子さんくらいの年齢の人。

「いったいどうしたんです?」と私。

「上に積もった雪の重みで物置が倒れたみたいなんですよ」そのおじさんは答えた。「お昼ごろ、このアパートの住人の方から連絡をもらいましてね」

倒れたときは、さぞ大きい音がしただろう、と想像した。

「これ、じつは私の部屋の物置なんです」

「あなたでしたか。私は大家です」おじさんは、大家さんだった。「いま、応援を2人ほど頼んで、倒れた物置を立てようとするところです」

(物置って、100人のっても大丈夫じゃなかったのかよ!)

というツッコミはさておき。

厄介なことになった。私はこのあと、荷造りをして新幹線に乗らなくては、明日の出発に間に合わない。横転した物置にかかわっている時間は、まったくないのだ。よりによって、何でこんな忙しいときに、うちの物置が倒れたんだ?しかも倒れたのは、なぜかうちの物置だけである。

「あのう、…すいません。私、これからすぐに出張に行かなくてはいけなくて、しかも帰ってくるのは11日なんです。どうしたらいいでしょう」

「大丈夫ですよ。私たちでやっておきますから、ご心配なく」

優しい大家さんだ。私は大家さんのお言葉に甘えて、アパートの部屋に入り、途中だった荷造りをすすめた。

15分後、荷造りを終えてアパートの外に出ると、倒れていた物置は、もとの通りに立てられていた。どうやら応援の2人が来てくれたらしい。

「ありがとうございました」と私。「こんなことって、あるんですねえ」

「私も長年大家をやっていますが、こんなことは初めてです」

やはり今年の雪は尋常ではなかったのだ。

やれやれ、と駅に向かい、新幹線に乗る。

それにしても、上に積もった雪の重みで物置が横転するなんて、この先見ることもないだろうな、写真でも撮ればよかったかな、などと、不謹慎なことを考えた。

そしてなぜか、横転した物置を見たときに、赤川次郎の『三毛猫ホームズの推理』を思い出したのであった。

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初体験!女性誌を買う

3月4日(日)

またまた温泉旅行でのこと。

卒業生のKさんが「私、雑誌に載ったんです」という。

なんでも、「震災から1年が経った今、被災地の女性が想うこと」という特集で、被災地で働く女性の1人としてKさんが取材を受けたのだという。

「それ、絶対買うよ」と私。

「でもそれ、女性誌ですよ」

一瞬、躊躇したが、買うと言ってしまった以上、買うしかない。

Photo_5 温泉旅館でみんなで別れたあと、午後の仕事まで少し時間があったので、書店に行って、さっそく言われたとおりの雑誌を買うことにする。

女性誌を買う、というのは、生まれて初めての経験である。

しかも、この手の女性誌は、妻もまったく読んでないので、どんなことが書いてあるのか、中を見たことすらない。何から何まで初めての体験である。

レジで少し恥ずかしい思いをしながら、女性誌を買った。

中を見ると、若い女性のファッションの記事ばかりである。

Photo_6 そればかりではない。「春の京都へ乙女旅」なんて特集もある。

何だよ?「乙女旅」って!

これを40歳を過ぎたオッサンが買うというのは、そうとうキモチワルイなあ。レジの人は、絶対キモチワルイと思ったろうなあ。

だが、卒業生の記事のためなのだから、仕方がない。

卒業生の記事は、たしかに確認できたのでよかったのだが、もうひとつ問題が…。

Photo_7 それは、特別付録として雑誌にはさみこんである、「ジュエリーケース」なるものである。

何だよジュエリーケースって!

40歳を過ぎたオッサンには、絶対に必要ない付録だ。

妻にあげようかとも思うが、ジュエリーケースに入れるジュエリーが全くない。

それに、妻がヘンに思うかも知れないしなあ。

どうしよう、このジュエリーケース。

…って、オレはいったい何を悩んでいるのだ?

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露天風呂の怪

3月3日(土)

さて、その温泉旅行でのこと。

夜12時過ぎ、ひとしきり宴会でのお喋りが終わり、寝る前に一風呂浴びようと、露天風呂に行ったときのことである。

すでに卒業生のA君が露天風呂にいて、誰かと話をしている。

私が露天風呂に入ると、話していた2人の男性は、「ではお先に」と風呂を出た。

「知ってる人?」私はA君に聞いた。

「いえ、いま露天風呂に入っていたら、話しかけられたんです。隣県の私大の4年生と、高校生の弟だそうです」

「ほう」

「それが不思議なんです」

「何が」

「その4年生が、『どこのゼミですか?』と聞くので、先生の苗字を出したら、『○○○○先生ですか?』と、先生のフルネームを言ったんです」

「え?ということは、その人は、私のことを知っていたってこと?」

「そればかりじゃありません。僕が『○○先生です』といった瞬間、その人と、その人の弟が同時に、『○○○○先生ですか?』と、先生のフルネームを言ってきたんです」

「ええぇぇ!!??ということは、その高校生の弟も、私のことを知っていた、ってこと?」

「たぶんそうです。同時でしたから」

うーむ。おかしい。隣県の私大には、私の知り合いは1人もいないのだ。なのに、私のフルネームまで知っている、というのは、どういうわけだろう?

そればかりか、高校生の弟まで私の名前を知っているとは、ますます不可解である。高校に出前講義に行った記憶もないし…。

メディアに出たこともないし、そもそも職場の中でも、同じ苗字の別の先生と間違えられることがしょっちゅうなのだ。私はいまの職場でも、かなり無名の方である。

何かとんでもないルートで、私の名が知られているということなのか?

それとも、キツネにつままれたのだろうか???

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キョスニムと呼ばないで!御一行様・ふたたび

3月3日(土)

1ヵ月以上前のことだったか、昨年卒業したA君(ラムネ3兄弟の1人)から、メールが来た。

「今年もみんなで、昨年泊まった温泉に行こうと思います。先生もご参加ください」

彼らは昨年の1月、卒業論文を提出した2日後に、打ち上げと称して、日本でも5本の指に入る温泉旅館に宿泊した。そのとき私も、なぜかつきあわされたのである。

今年もまた、そのときのメンバーで同じ旅館に泊まりに行くという。

それにしても、卒業生たちだけで行けばいいものを、なぜ私をさそうのかがわからない。

日程調整の結果、3月3日(土)、4日(日)の一泊二日ということになった。

さて当日。

午後3時過ぎ、リーダーのSさん、ラムネ3兄弟のA君、Kさん、Nさん、しっかり者のSさん、画伯のSさんの6人が職場にあらわれた。遠くからもわかる笑い声は、社会人になっても変わらない。

「学生研究室を見せてください」という。「学生研究室」とは、彼らが卒論を書くのに使っていた部屋で、彼らにとっては「思い出の場所」である。

6人はしばし学生研究室で思い出にひたったあと、私の研究室にやってきた。

「気は済みましたか?」

「ハイ、済みました」

午後4時、いよいよ、温泉旅館に向けて出発である。車で30分ほどで、温泉旅館に到着した。何度も書くが、日本で5本の指に入るといわれる有名旅館である。

Photo 旅館の玄関に入ると、「○○ゼミ慰労会 御一行様」という札がかかっていた。

「すいません。今回は『キョスニムと呼ばないで!御一行様』ではありません」とリーダーのSさん。

おそらく、「キョスニムと呼ばないで!」というグループ名で予約するのが恥ずかしかったのだろう。

温泉で一風呂浴びたあと、夕食である。

じつはこの旅館のすぐ裏手には、Sさん(リーダー)の実家がある。Sさんは学生時代、実家からこの旅館に通ってアルバイトをしていたのだった。

Photo_2 そんな関係もあり、料理長は私達のために腕をふるってくれたらしい。どれひとつとってみても、料理は美味しいものだった。  

夕食のあとは、そのまま部屋で2次会である。というか、たんにお酒を飲みながら、ひたすらしゃべる。

しゃべっている内容は、おもに大学時代の思い出話である。つまり、話題は昨年とほとんど変わらない。それでも、彼らはその話に笑い転げた。

変わったことといえば、仕事の愚痴を言うようになったことか。これから先も、彼らは「思い出話」に笑い転げ、「会社の愚痴」に「うんうん、わかるわかる」とうなずき続けるのだろう。

それにしても不思議なのは、連中は、私がいないものと思って、リラックスしてしゃべっていることである。さながら私は「ハナ肇の銅像」である。私は自分がなぜこの場にいるのか、不思議でならなかった。

宴会は、夜12時ごろまで続いた。

さて翌朝(4日)

午前10時、チェックアウトをすませたあと、リーダーのSさんが言う。

「このあと、少し山に登ります」

「山?」

「はい。じつは、旅館の裏手にあるうちの実家の横の山道をずっと上がっていくと、『恋人の聖地』があるんです」

「恋人の聖地?」

「そこに『幸福の鐘』というのがあって、そこから眺める景色が最高なんです」

そういえば、そんな話を前に聞いたことがある。以前私は、その山の山頂にある神社を調査するために、老先生たちとこの山を登ったのだった。そのとき、途中にたしかそんなような鐘があったことを思い出したのである。

しかし、いまは冬である。山道はまだ雪深く、ふつうに歩けるような感じではない。

「では、行きましょう」

卒業生たちはどんどん歩いていくので、仕方なくついていくことにした。

Photo_3 だが予想したとおり、山道は雪深く、まるで八甲田山の雪中行軍のようである。

例によって大汗をかきながら、ようやくその「恋人の聖地」に到着した。

Photo_4 苦労した甲斐もあり、眺めがすばらしい。

卒業生たちは、きゃあきゃあ笑いながら、「幸せの鐘」をならしていた。恋人同士というわけではないのに。

なんか、青春だなあ。私の学生時代には、そんなことはなかったぞ。

きゃあきゃあ言いながらひとしきり写真を撮り、また雪山を下りると、ふもとでSさんのお母さん、そしておじいさんとおばあさんが待っていた。

「先生、せっかくですから、うちで一服していってください」

時計を見ると午前11時過ぎ。私は午後から、職場主催のイベントに出なければならなかった。

「すいません。このあと、午後から仕事なもので」

「そうですか。残念ですね」Sさんのお母さんは、こんどはみんなに向かって言った。「卒業してもみんなで集まるっていいですねえ。いつまでも友だちでいてくださいね」

「はーい」とみんなの返事。

(ちょっと待て!オレは友だちじゃないぞ!)私は心の中でつぶやいた。

「また来年もみんなで泊まりに来てくださいね」とSさんのお母さん。まるで旅館の女将のような言い回しが、ちょっと可笑しかった。

別れのとき、いつまでも手を振っていたSさんのお母さんとおばあちゃんが印象的だった。

午後11時半、私は卒業生たちと別れ、午後の仕事場に向かった。

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終わらない○○はない

私がときおり呪文のように唱える言葉がある。

「終わらない○○はない」

「○○」のところに、「いま抱えていること」を入れればよい。「仕事」とか、「原稿」とか。

「終わらない仕事はない」

「終わらない原稿はない」

学生なら、「卒論」とか「就活」とか。

「終わらない卒論はない」

「終わらない就活はない」

この言葉を何回か唱えてみると、あら不思議、なんとなく気が楽になる。

以前、あるテレビ番組を見ていたら、ロケ時間のあまりの長さに出演者とスタッフ全員が憔悴しきっているのを見かねた、北海道出身の人気タレントが、

「終わらないロケはないじゃない」

と、自分に言い聞かせているのを見て、いい言葉だな、と思い、応用してみたのである。

「終わらない○○はない」

これはある意味、哲学的な言葉である。

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ヒマか?ヒマなのか?

3月2日(金)

1週間ほど前、高校時代の部活の1年後輩のモリカワさんからメールが来た。

「先輩、お元気ですか?

3月は忙しいと思いますが、ぜんちゃん企画の3月の飲み会が、31日(土)に決まりましたので、連絡しました。今回は、S先輩にも声をかけているので、先輩の代で来てくれる人が何人かいるかも知れません。ですので、お忙しいと思いますが、前向きにご検討ください!」

メールに出てくる「ぜんちゃん」とは、やはり高校の部活の1年後輩のフジイさんのことである。ほら、昨年の震災の翌日に、高校時代の部活の同期のオオキと結婚したフジイさんですよ。私が結婚式で漫才スピーチをするはずだった

このメンバーとは、昨年末にも「忘年会」と称して新宿で飲んだばっかりである。そのときもこの二人が企画したのであった。

モリカワさんもフジイさんも、こういうことにかけては、ずいぶんと熱心である。モリカワさんの息子も高校2年生になったので、子育てが一段落したということなのだろうか。

だがこっちは、地方に住んでいるし、仕事もけっこう忙しい。31日も東京で仕事があり、その日の夜まで続く可能性がある。

先日、福岡に住む高校時代の友人であるコバヤシに電話したときにも、「オレのところにもメールが来たよ」と言っていた。

「モリカワさん、福岡から東京の飲み会に簡単に参加できると思っているらしい。往復で10万もかかるんだぜ」コバヤシも呆れた様子であった。

私はモリカワさんに、この日は予定がふさがっていて、参加できそうにない旨を返事した。

すると返事が来た。

「残念です。2月にT先輩が広島から東京に仕事で来たのに合わせて、S先輩が飲み会を開き、W先輩、U先輩、N先輩も参加され、ぜんちゃん、タナカ君、そして私もまぎれて参加しちゃいました。そのときに、3月にまた同期で集まろうと話されていたので、先輩たちの代の集まりもありそうでしたよ!31日も、少しでも顔を出せそうだったら来てください」

おいおい、2月にも集まって飲んでいたのか???

というか、広島からTが上京したから同期で飲み会を開くなんて情報、ぜんぜん知らなかったぞ。オレの知らないところで、みんな頻繁に会っているんだな。「ははぁ~ん。さてはオレのいないところで、寿司食ってたな」みたいなこと、よくあるでしょう。あんな心境である。

それにしても、30代の頃は、高校時代の仲間が集まるなんてことはほとんどなかったのに、ここへきて、かなりの頻度で集まっているではないか。

みんな、ヒマか?ヒマなのか?

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鑑識眼

2月29日(水)

用事があって、久しぶりに福岡に住む高校時代の友人、コバヤシに電話した。

たまにこのブログを読んでいるようで、いつものようにダメ出しが始まる。いわく、

「前置きが長すぎる」「長い。くどい。もっと短くしろ」「学生とのやりとりは、当事者は面白いかも知れないが、関係のない人間が読まされても、別にどうということはない」「韓国映画とむかしの歌謡曲の話は、興味がないので読み飛ばしている」「たかだか学生との飲み会の席でいじけるのはみっともない。高校時代から何も変わっていない」等々。

「あんなもの、マジメに読む人の気が知れない」とコバヤシ。「たまにいいことを書いてはいるんだが」

「たまに、かよ!」

「そう、たまに」

「たとえばどんな話?」

「忘れた」

そのていどのものらしい。

長電話が終わり、電話を切ったあと、私の膨大なCDコレクションの中から、矢野顕子のCDを探すことにした。

先日、久しぶりにベスト盤を聴いてからというもの、ふたたび矢野顕子の歌にはまってしまったのである。

だが、実は矢野顕子のCDをそれほど持っているわけではない。「峠のわが家」と、「Super Folk Song」くらいである。

膨大なCDコレクションの中から、ようやくこの2枚を見つけ出した。

そこで、思い出した。

「峠のわが家」は、私の大好きな「David」という曲が入っていたから買ったのだが、「Super Fork Song」は、コバヤシにすすめられて買ったのだった。

大学生のころだったか、コバヤシが私に言った。

「おい、矢野顕子の『Super Folk Song』、そうとういいぞ!」

日本のミュージシャンをめったにほめないコバヤシが言うのだから、これはそうとういいのだろう、と思い、CDを買ったのである。

だがそのときは、まだ「ピアノ弾き語り」というのが、今ひとつピンと来なかった。どちらかといえば、「峠のわが家」的な、つまりYMO的な編曲の方が好きだったのである。

この年齢になって、いまあらためて『Super Folk Song』を聞くと、そうとういい。

もちろん、コバヤシでなくとも、このアルバムがそうとういいことは多くの人が認めていることなのだが、あの時点でのコバヤシの鑑識眼がたしかなものであったことは、間違いないのである。

そして私が、コバヤシにすすめられるがままに買ったということは、音楽に対するコバヤシの鑑識眼に全幅の信頼を置いていたからだろう。

いま私が、妻の韓国映画評に全幅の信頼を置いているがごとく、である。

大事なことは、「鑑識眼のたしかな友人」を持つことだ。これで、人生の大半はなんとかなる。

これが今日の結論。

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