お釣りはいらない
内舘牧子さんのエッセイ集『男は謀略 女は知略』(小学館文庫)は、人間の微妙な心の動きに対するまなざしが軽妙な文章で語られていて、とてもおもしろい。
この中の「タクシーの釣り銭」というエッセイを読んでいて、思い出したことがあった。
私は大学生の時、九州に一人旅をした。
ある場所に行くのにどうしてもタクシーに乗らなければいけなくて、その時、おそらくはじめて、一人でタクシーに乗ったのである。
いまの学生はどうかわからないが、大学生にとってタクシーに乗るというのは、かなり大きなイベントである。とくに、貧乏旅行ばかりしていた私にとって、それは一大決心だった。
そのとき気になっていたのは、降車するときに、お金の支払いはどうすればいいのだろう?ということだった。
もちろん、メーターに表示された金額を支払えばいいだけなのだが、以前、テレビを見ていたときに、ある落語家が、
「タクシーを降りるときに、『お釣りはいいです』って言うじゃないですか」
と、さも、お釣りを受け取らないことを当然のように言っていたのを思い出し、
(ひょっとして、タクシー料金を払うときに「お釣りはいいです」と言うのが暗黙のルールなのではないか)
と思ってしまったのである。
つまり、タクシー料金を払うときには「お釣りはいらない」というのが大人社会のルールだと思いこんでいたのである。
九州の一人旅では何度かタクシーを使って移動した。しかもけっこうな距離を、である。
そのたびに私は運転手さんに「お釣りはいいです」と言って、いくらか余計に支払っていたのである。
(おかしいな。こんなことをしていては、いくらあってもお金が足りなくなるぞ)
それからしばらくして、タクシーに乗るときに「お釣りはいらない」というのは、別に大人のルールでも何でもないことがわかった。それからというものは、メーターの料金どおり、きっちり支払うことにしている。
とくに外国でタクシーに乗るときなどは、「お釣りはいらない」どころか、「ボラれるんじゃないか」と、常にメーターとにらめっこしながら警戒している始末である。
韓国に留学していたときに、こんなことがあった。
ある観光地から、少し離れた観光地まで、交通手段がないのでタクシーで行くことになった。
タクシーに乗り込むと、運転手さんが「35000ウォンでいいよ」という。
つまり、メーターを使わずに、料金を提示してきたのである。
(35000ウォン!絶対にボラれてる!)
妻は、こういうことに対してはとてもキビシイ。「メーターを使え」と運転手に言った。
「いや、オレは何度も往復しているからわかるんだ。これくらいでちょうどいいのだ」と運転手が反論する。
だが妻もあとにひかない。
私は、(35000ウォンくらい、もう払えばいいじゃん)と思いはじめているのだが、「だからお金が貯まらないのだ」と、攻撃の矛先がこっちに来そうなので、黙っていた。
押し問答の末、運転手は渋々、メーターを使ったのであった。
さて、目的の観光地に着いたとき、メーターは
「36000ウォン」
を示していた。つまり、ボラれていたわけでも何でもなかったのである。むしろ、運転手の提示した額の方が安かったのだ。本当はいけないことなのだろうが、運転手自身と私たちの利益のために、彼は少し安めの額を提示していたのである。
なんとなく、バツの悪い感じで、タクシーを降りた。運転手がよかれと思って提案してくれたことを疑って否定した上に、こちらが損をする、というのは、二重の意味で後味が悪かった。
タクシーって、ホントに難しい。大人の乗り物だよ、あれは。
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