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2012年4月

今こそ読め、『櫻守』

4月29日(日)

9067_img_1「大型連休前半」でしたことのひとつは、昨年韓国で公開され、このたびようやく日本で公開された韓国映画「ワンドゥギ」を、劇場で見たことである。

感想については、以前書いたことがあるので書かないが、やはりキム・ユンソクの演技はとてもすばらしい、の一言に尽きる。

もう一つは、水上勉の小説『櫻守』(新潮文庫)を読んだことである。

以前にも読んだことがあったが、もういちど、読んでみることにした。

114109 この小説は、桜の木の保護に生涯を捧げた櫻守・竹部庸太郎(モデルは実在の人物、笹部新太郎)、その竹部の園丁をつとめた北弥吉という人物が主人公であるが、実はこの小説は、弟子の弥吉から見た、師匠・竹部の物語であるともいえる。

この中で竹部は、弥吉により理想的な師として語られている。桜に取り憑かれた男、竹部は、桜のことしか頭にない。だが、桜と向き合うことを通じて、誰よりも人生の本質をつく、魅力的な人物として描かれている。

桜に関するさまざまなエピソードもまた、印象深いものばかりである。

その中でも、岐阜・根尾の薄墨桜のくだりは印象的である。いまでは「日本三大巨桜」のひとつと呼ばれる、樹齢1500年のこのエドヒガンは、かつて、学者も役人も見放した老木であった。それを守りぬいたのは、学者でも役人でもない、地元の人びとであった。

いまこのくだりを読み返すと、老桜を後世に残していこうという人びとの思いが、昨年の震災で損なわれた資料を守り、伝えていこうという、いまの私の仲間たちの思いと、重なって見えてしまうから不思議である。このたびの資料救済活動を通じて痛感したことは、「学者や行政は、ほとんど頼りにならない」ということだった。「守ろうと思う人が守らなければ、守るべきものは守れない」というのが、今回の震災を通じて私たちが学んだことである。それは、根尾の薄墨桜のときと、まったく同じである。

そしてこの小説を貫くテーマも、そこにあるような気がしてならない。滅びゆく自然を、少しでも長らえさせたい、という者たちの思いが、櫻守を通じて、語られるのである。

岐阜の荘川桜のくだりも、いい。

ダムの底に沈む村。そこに二本の桜の老木があった。竹部は地元の人の熱意にほだされ、ダムの底に沈んでしまう前に、その桜の老木を別の場所に移植することを引き受ける。

だが、学者たちはこれに反対した。なにしろ、1つの老木だけで40トンもあるからである。これを、傷つけることなく移植することは、不可能であると考えられていたのである。愚挙である、と批判する者もいた。

しかし、桜の移植は、それほど愚挙だろうか。むしろ、祖先の土地、幼時から愛着をもってきた村であるからこそ、菩提寺の庭に育った桜を移植したいのである。四百年近くも生きた桜であればこそ、村の魂ではないのか。おそらく、あの二本の巨桜は、いま、水没反対を叫んでいる人たちよりも古く生き、長いあいだ、荘川の流れを眺めてきているはずだった。大事にしなければならないのが生命だとしたら、あの桜こそ大切なのではないか」(『櫻守』)

もちろん、ダムによって失われたものは数多くある。守るべきものは、ほかにもあったのかも知れない。だがいまでも、移植された二本の巨大な老桜を見に訪れる者があとを絶たないのは、「守りたいという強い思いが、この桜を守った」という物語が、桜とともに語り継がれているからである。

以前に読んだときには、考えもしなかったことである。やはり名作は、何度でも読むべきである。

主人公の弥吉は、48歳の若さで死んでしまう。師である竹部よりも早く死んだのである。誰もが、弥吉の死を惜しんだ。そのときの竹部の言葉が、印象的である。

人間、死んでしまうと、なあんも残らしまへん。灰になるか、土になるかして、この世に何も残しません。けど、いまわたしは、気づいたことがおす。人間はなにも残さんで死ぬようにみえても、じつは一つだけ残すもんがあります。それは徳ですな……人間が死んで、その瞬間から徳が生きはじめます……北さん(弥吉)を桜の根へ埋めたげようという村の人らも、わたしらも、北さんの徳を抱いておるからこそやおへんか。これは大事なこっとすわ

人間に対するあたたかい眼差しが、美しい京言葉と、誇り高い筆致で綴られている。

くり返していう。何度でも読むべきである。

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二本の桜

4月26日(木)

20120425220638_61870782_2ようやく桜が満開になった。

今年の冬はとくに寒かったので、桜の開花も遅かったように思ったが、昨年もたしか、ちょうど同じ時期に満開になったのだった。

心なしか、昨年の桜の方が鮮やかである。

「悲しみや困難を乗り越えた先には希望がある」という、ナベサダさんの言葉を思い出した。

数年前、ある自治体から「桜について講演してください」という依頼があった。

それまでは、桜などにぜんぜん関心もなかったのだが、そのときに桜について調べて以来、春になると、なんとなく桜が気になる。

ソメイヨシノよりも、エドヒガンの方が好きである。私の住む町から車で1時間ほど行くと、エドヒガンの古木をいくつも見ることができるのだが、最近は時間がとれず、職場の桜の木を眺めるのがせいぜいである。

この時期になると思い出すのが、「二本の桜」(1991年放送)という、NHKの単発ドラマである。

岐阜の荘川桜をモチーフにしたドラマで、とても地味な内容だった。

銀行の支店長だったある男(江守徹)が、ある日突然、銀行を辞めて造園業をはじめる、と言い出す。家族は驚き、反対するが、結局、男は銀行を辞めてしまう。彼が造園業をはじめようと思ったのは、腕のいい植木職人で、今はすっかりうだつの上がらなくなった兄(長門裕之)に、もう一度、植木職人としての誇りを取り戻してもらいたいと思ったためであった。

…たしかこんな内容だったと思う。とにかく地味な内容で、しかもドラマに描かれている家族観は、今にして思えばやや古めかしいところもなくはないのだが、全体に丁寧な脚本と演出で、長く印象に残ったドラマだった。

ソフト化されていないので、いってみればまぼろしのドラマなのであるが、このドラマの脚本を書いた冨川元文は、このドラマで第10回の向田邦子賞を受賞している。

あのドラマを見て以来、一度、岐阜の荘川桜を見てみたい、と思っているのだが、はたしてそんな機会が訪れるだろうか。

岐阜の荘川桜といえば、水上勉の小説『櫻守』も印象深い。桜について調べなければ、出会えなかった小説である。

久しぶりに、読んでみようか。

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ナベサダさん

4月24日(水)

もう少し、ナベサダさん(渡辺貞夫)について書く。

じつは、私が「ナベサダ」を熱心に聴いていたのは、80年代後半である。90年代以降になると、次第に遠ざかっていった。

だから私の中でのナベサダは、80年代で止まっていたのである。もっぱら聴いていたのも、80年代のものばかりである。

今回のライブでは、私が熱心に聴いていた80年代の曲は全くなく、そのほとんどが、最近のアルバムからのものであった。

過去の楽曲にこだわることなく、常にオリジナルを作り続け、発信し続けている。

80年代の楽曲にこだわり続けている私の方が、むしろ保守的で、退行的である。

ナベサダさんの若さの秘訣は、そこにあるのではないか、と思う。

若い頃に聴いたナベサダもいいが、本当は、今のナベサダをこそ、聴くべきなのだ。いまだにオリジナルを追求しつづけているナベサダを、である。

51uw82ykeul__ss500_ ライブが終わったあと、久しぶりに、ナベサダさんのCDを買い求めた。昨年(2011年)10月に発売された、「Come Today」という最新作である。

ナベサダさんは毎回、CDジャケットに、短いメッセージを寄せているが、このアルバムには、次のようなメッセージを寄せている。

冬の土の奥に

芽生えのときを待つ生命があるように、

悲しみや困難を乗り越えた先には

希望があります。

『痛みの度合いは 喜びの深さを知るためにある』

これはチベットの格言ですが、

僕のそうした想いを、このアルバムに

感じてもらえればと願っています。

おそらく、昨年3月の東日本大震災を念頭に置いたメッセージだろう、ということは、容易に想像できる。

しかしそこには、「がんばろう○○」といった狭小な表現は、微塵もみられない。

この世界で悲しみや困難に立ち向かっている、すべての人へのメッセージである。

チベットの格言を引用するあたりがナベサダさんらしい。困難を乗り越えるヒントが、世界中にあることを、私たちに教えてくれる。

音楽もまた、その一つかもしれない。

でも、音楽を通じて、強烈かつ特定のメッセージを発することを、ナベサダさんはたぶん、好まない。

それは、聞く側の感性にゆだねているからだと思う。聞く側の感性を、尊重しているのだ。

だからナベサダさんの音楽は、いつ、どんなときも軽やかである。

そしてその軽やかさは、さまざまな困難をつきぬけたあかつきに、ようやく手に入れることができるもののように思うのだ。

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神様に会いにいく

4月23日(月)

2週間ほど前のことである。

職場に置いてあった1枚のチラシを見て、驚愕した。

渡辺貞夫が、わが町に来る!

チラシによれば、4月23日(月)の夜、ナベサダこと渡辺貞夫が、わが町の某所でライブをやるという。

その直後、職員のTさん、ボランティア仲間のSさんとお話しする機会があった。

「それ、何です?」

私は、握りしめていたチラシを二人に見せた。

「今度、渡辺貞夫が来るんですよ!」

「へえ」

「渡辺貞夫は、私にとっては、神様みたいな存在なんです」

それからひとしきり、私がいかに、渡辺貞夫にあこがれていたかをお話しした。

前にもこの日記に書いたと思うが、私が高校時代、アルトサックスをはじめたのは、渡辺貞夫の「ナイスショット」という曲を聴いたのがきっかけである。

高1のとき、友人のコバヤシと2人で、渡辺貞夫のライブを聴きに、六本木のライブハウスに行ったことがあった。

そのとき、「かっこいいオッサンだなあ…」と思い、ゆくゆくはこんなオッサンになりたい、と思った。たぶん、いまの私と同じくらいの年齢だったと思う。

そのころのナベサダは、脂がのりきっているころで、そんな時期の彼に、思春期に出会ったことが、どれほど私の人生に影響を与えたことか。

サックスを吹いている最中は、まさに孤高の求道者、といった表情で、演奏が終わると、これ以上ないくらいの満面の笑みをたたえる。その姿を見ていて、自分がこれからどんな道を歩もうとも、あんな境地に達してみたい、と思ったものである。

だから私にとっては、神様なのである。

「そのライブ、行かれるんですか?」

「どうしようかなあ、と」

「この町でそんな機会、めったにありませんよ。いまから電話して、チケットをおさえましょう」

Tさんはそう言うと、チラシに書いてある連絡先に電話をしてくれた。

「チケット1枚、とれるそうです」

「ありがとうございます」私はTさんに感謝した。「でも、…この日は月曜日でしょう」

毎週月曜日の夕方は、ボランティアの作業をすることになっていた。

「じゃあ、作業日を翌日にしましょう。この週だけ、月曜日ではなく、火曜日に作業することにしましょう」今度はボランティア仲間のSさんが言った。

「いいんでしょうか。私の都合で日程を変えたりして」

「だって、神様が来るんでしょう」

二人に後押しされたおかげで、私はライブに行くことができたのである。

前日、福岡にいる高校時代の友人、コバヤシにメールした。

「明日はわが町に渡辺貞夫が来るので、じつに久しぶりにライブを聴きに行こうと思う。25年ぶりくらいかな」

すると返事が来た。

「渡辺貞夫ですか。高校時代に六本木のライブハウスに一緒に聴きにいったのが懐かしいですね。以前欲しいと言われたブラバスクラブのCDとDVDを貴君にあげようと思いつつすっかり忘れていました。ということで、またそのうち」

やはりコバヤシも、高校時代に渡辺貞夫のライブに行った思い出を、終生忘れることはないのだろうな、と思った。

さて当日。

6時開場、7時開演。

開場前から並んでいたおかげで、前から3列目の席を確保した。

最初に主催者が挨拶。

それによると、ナベサダは、年に1度、この町に来てライブをしているらしい。去年も10月に来たとのことだった。

なあんだ。たんに私がこれまで知らなかっただけか。

そしていよいよ、渡辺貞夫の登場。

約25年ぶりに目の前で見たナベサダは、さすがに年老いたな、という印象だったが、演奏がはじまると、まったくそんなことは感じさせなかった。

「あの」音色、音量、そしてアドリブとも、少しも衰えを感じさせないものである。

演奏しているときの、孤高の求道者のような表情、演奏が終わったあとの笑顔も、まったく変わらない。

しかも、激しい演奏のあとも、汗ひとつかかず、息ひとつ上がらず、曲間のMCをつとめているではないか!

とても79歳とは思えない。

曲と曲のあいだのおしゃべりで印象に残った言葉を2つほど。

1.「少しでも長く音楽を続けたいと思っているので、昨年末から禁煙している」

80歳を前にして、健康を気にして禁煙した、というのがすごい。「少しでも長く音楽を続けたい」という言葉が印象的だった。

2.「今年の1月にアフリカのケニアとタンザニアに、青年海外協力隊の慰問に行ってきた」

79歳のおじいちゃんが、アフリカまで青年海外協力隊の慰問に行く、というのがすごい。ふつう、逆だろう!

不思議なことに、演奏が進むにつれて、ナベサダがどんどん若返っていく。

少なくとも私には、そう見えた。

結局、休憩をとらず、1時間40分吹き続けた。

感激のあまりに涙が出た。

なぜ、ナベサダはかくも魅力的なのだろう?

その理由のひとつは、常にいい仲間に恵まれているからであろう。今回のメンバーは、いずれも私とまったく同年代のミュージシャンたちばかりだったが、どれも素晴らしい才能を持った人たちだった。

いい仲間たちに囲まれて、ジャンルにとらわれず、自分のやりたい音楽を追求している。しかも音楽のジャンルに、優劣をつけていない。ナベサダ自身が、「ジャズ」を本籍としていても、である。どんな無名の音楽でも、いいものはいいと認め、自分の音楽の中に取り入れている。

印象的だったのは、アフリカで出会った音楽の話である。

以前にアフリカに訪れた際、海岸を歩いていると、魚を捕る網を繕っているひとりの少女に出会った。その海岸は、その昔、黒人奴隷を乗せた船が出航した場所であったという。その少女が口ずさんでいる歌は、とても美しいメロディだった。

渡辺貞夫は、その少女に、「その歌は、どんな歌なの?」と尋ねた。

少女は、「いなくなってしまったお父さんとお母さんを想う歌」と答えた。

彼は、その少女が歌っていたメロディを持ち帰り、アレンジして、ひとつの曲を作った。

それから30年ほどたった今年の1月、アフリカを訪れた際に、その曲をアフリカの子どもたちの前で演奏したのだという。

今日は、その曲も演奏していた。

彼が、ジャズだけでなく、アフリカやブラジルの音楽にこだわる理由が、なんとなくわかるような気がした。渡辺貞夫の音楽は、人間に対するまなざしそのものである。

しかもそれを、何の気負いもなく、続けている。

自分もそんなふうに仕事ができたら、どんなにすばらしいことだろう。

やはり渡辺貞夫は、私の生き方を導いてくれる神様なのだ。

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車は人なり

4月22日(日)

自分の車を車検に出した。

私は、車というものに、まったく思い入れがない。

世に、どのような名前の車が走っているかなど、まったく関心がないのである。

車の名前に興味を持つとすれば、その車に乗っている人に興味を持った場合である。

だから順番としては、その人に興味を持ち、その結果として、その人の乗っている車に興味を持つのである。

それで思い出したことがあった。

前の職場の同僚だった、Oさんの車である。

Oさんは、この日記でもたびたび登場する、私に韓国留学のきっかけを与えてくれた人である。

10年ほど前の話である。Oさんが乗っている車は、靴でいえば履きたおして靴底がすり減った感じの、「乗りたおした」感じの車だった。

で、ときどき、よく故障した。

その車にまつわるエピソードはたくさんあったが、覚えている範囲で書くと…、

ある夏の日のことである。Oさんは東京に出張に行くため、車を、駅の近くの河川敷にとめた。

本当はそんなところに駐車してはいけないのだが、駅前の有料駐車場の代金を惜しんだOさんは、(2、3日のことだから、まあいいだろう)と、気にもせずに駐車したのである。

数日後、出張から帰ったOさんは、車を止めておいた河川敷に行って驚愕した。

車が、駐車したはずの場所からかなり離れた場所にあり、しかも横転しているではないか!

どういうこっちゃ?と思っていろいろ調べてみると、Oさんが東京出張している間、この河川敷で、大規模な花火大会が行われた。

河川敷には当然、屋台が出る。

屋台を出すはずの場所に、不法に駐車している車があるではないか。

これはジャマだ!どかしてしまえ!ということで、オッチャンたちが、ヨイショヨイショと車を押して移動させ、最後、怒りにまかせて横転させた、というわけである。

この顛末に、Oさんは怒り心頭だったが、そもそもそんなところに駐車した方が悪い、と、その話を聞きながら思った。

そんなふうに手荒く扱われている車だから、当然、ガタがくる。

あるとき、Oさんが職場から家に帰ってきて、家の駐車スペースに車を止めると、車が走ってきたルートに、1本の液体の筋ができている。

よく見ると、ガソリンである。

どうやら、ガソリンがタンクから漏れていたのである。

さっそく修理しに行こうと思ったが、

(待てよ、いまうっかりエンジンをかけると、漏れたガソリンに引火して、車が爆発するかもしれない)

と思い、そう思うととたんに恐くなって、

(そうだ、ここはいったん、一晩かけてガソリンを全部出してしまおう)

ということで、一晩待つことにした。

翌日、車のガソリンタンクからガソリンがすっかり漏れだしたことを確認した上で、その車を修理工場へ持っていった、という。

家の駐車スペースをガソリンびたしにする方がよっぽど危険ではないか?と、話を聞きながら思ったものである。

そうやって、だましだましその満身創痍の車に乗り続けたが、あるとき、隣県に向かう高速道路を走行中、急に煙を吹いて、車がピクリとも動かなくなってしまった。そしてついに、その車とお別れすることになってしまったのである。

私にとっても、見慣れていていた車だっただけに、その車とのお別れは少し寂しかった。

それからほどなくして、Oさんは亡くなってしまった。私は、Oさんが乗っていたのと同じ車を町で見かけるたびに、ひょっとしてOさんが乗っているのではないか、などと思ったりした。いまではすっかりモデルチェンジしてしまって、見かけることはほとんどなくなった。

…ところで、あの車の名前は、何だったっけなあ?

数日前から、そのことばかり考えている。

当時は名前を覚えていたのだが、いまはその車を見かけることもほとんどなくなったので、忘れてしまった。メーカーも分からない。

ワゴンタイプの車だった、ということと、「ふてぶてしい感じの車だった」ということくらいしか、手がかりがない。

こういうときが、いちばん困る。

たしか「C」ではじまったような…。そこまでは何となく思い出した。「キャラバン」っていったかな?いや、ちょっと違うな…。

車の形や色は鮮明に覚えているのだが、後ろに書いてあったロゴが何だったのかが、どうしても思い出せない。

親しかった元同僚のこぶぎさんに聞こうと思ったが、こぶぎさんは携帯電話を持っていないし、やはり親しかった元同僚のKさんは、車に興味があるとも思えない。

(困ったなあ…。これを思い出せないことには、仕事が先に進まない…)

数日間、悶々とした日が続き、今日、職場の駐車場にとめてある車を見て、思い出した。

「カリブだ!」

職場の駐車場には、なぜかふだん見ない「カリブ」がとまっていたのだ!モデルチェンジしたあとの車ではあったが、ふてぶてしい感じは、相変わらずである。

これからも、「カリブ」を見るたびに、Oさんのことを思い出すだろう。

「カリブ」という名前を忘れないために、ここに記しておく。

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安請け合いは後悔の元

4月21日(土)

研究室の引っ越しは、自分の部屋だけをすれば済むわけではない。

建物まるまるを耐震工事するわけだから、個人の研究室だけでなく、共用している部屋にある荷物も、全部避難させなければならないのである。

1 同じ建物には、専門誌などがおいてある共有の「資料室」もあって、そこには数十年かけて蓄積されてきた膨大な量の本や雑誌が、所狭しと置いてある。これらも、耐震工事がはじまる前に別の場所に避難させなければならない。

先週、「ダンボール箱と学生アルバイトは、私の方で手配しますよ」と、つい安請け合いしてしまった。これがいけない。

自分の研究室すらまともに片づけられないのに、なぜ、他の部屋まで自分で請け負おうとするのか???

つい、できると思って、安請け合いするのである。で、あとで後悔する、というのが、いつものパターンである。

この治らない性格を熟知しているのは、福岡に住む高校時代の友人、コバヤシと、私の妻の2人である。妻などは、今に始まったことではない、と最近は諦めがちである。

つい最近も、ある演奏会の司会を頼まれた。親しい友人からの依頼なので安請け合いしてしまったものの、どう考えても、今回ばかりは、それを成し遂げる自信がない。

申し訳ないと思いつつも、直前になって、司会のお話をお断りすることにした。

すると昨日、今度は知り合いの同業者から、「7月に開催する国際シンポジウムのパネルディスカッションで司会をしてほしい」と、依頼された。

自分にはとうてい無理な役回りなのだが、引き受けなければおさまりがつかない状況になり、結局、引き受けることになった。人生とはまことに、「イッテコイ」である。

妻に電話で相談したら、「お好きにしたら」と、すっかりサジを投げている様子である。

まあそんな自分に自己嫌悪の毎日なのだが、引っ越しの準備だけは、済まさなければならない。

学生アルバイトを募集したところ、4人の女子学生が手をあげてくれた。しかも4人とも、華奢である。

2_2 力仕事なので大丈夫だろうか、と心配したが、さにあらず。午後1時から5時までの4時間で、80箱のダンボール箱に次々と本を詰めていった。

おかげで資料室は、半分くらいが片づいた。

秘訣は、3つであると悟った。

1.司令塔を置き、役割分担をしっかり決めること。

2.何も考えずに箱に詰めていくこと。

3.その部屋に思い入れのない第三者が片づけること。

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愛があれば、字幕なんて

4月20日(金)

先日(16日)、前の職場の同僚のこぶぎさんとKさんが、突然、私の職場に「引っ越しの手伝い」と称してやってきて、そのあと「ガスト会議」をやったことは、すでに書いた

こぶぎさんとKさんは、気の合う友人どうしなのだが、趣味、という点でいうと、まったく合わない。

こぶぎさんは、韓流ドラマやK-Popアイドルが好きで、その話をすると止まらなくなるのだが、Kさんは、その方面に関する知識も興味もない。

他方、Kさんの方は、古典芸能とか、むかしのドラマの劇伴作曲家とか、そういうものに興味があるのだが、こぶぎさんは、その方面に関する興味がない。

これほど趣味の合わない2人が、ふだん、どんな会話をしているんだろう?

で、私は、というと、どちらにも、そこそこの知識がある。

「そこそこ」と言ったのは、2人があまりにもマニアックで、興味のない人にとってみたら、まったくワカラナイ話なのだが、私は、2人の出す話題に、「そこそこ」ついていけるのである。

こぶぎさんが、まくしたてるように、K-popの話をしはじめる。で、おもむろに私が、

「『少女時代』のメンバーの名前を、少し覚えましたよ」と言う。

「へえ」

「元リーダーのテヨン、マンネ(末っ子)のソヒョン、『永遠のセンター』のユナ、日本語が達者なスヨン。この4人なら、顔と名前が一致します」

「すごいねえ。じゃあ、あと残るは5人だね」

とか、

こぶぎ「最近、キム・グラの司会ぶりも毒が薄まったね」

私「そうですか?『不朽の名曲2』の司会は、相変わらず毒があって面白いと思いますけど」

みたいな会話。

韓国の毒舌司会者であるキム・グラについて話をしている人なんて、日本中のファミレスを探しても、ここだけなんじゃないか。

しばらくそんな話をしていると、Kさんが退屈してくる。私が話題を変える。

「この前、久しぶりに映画『悪魔が来りて笛を吹く』を見たんですよ。西田敏行が金田一耕助をやっているやつです」

「へえ」

「映画の内容自体は今ひとつだったんですが、音楽がよかったんです。山本邦山という人が劇伴を担当していましてね」

「山本邦山!」kさんがその言葉に反応した。

「山本邦山といったら、有名な尺八演奏家ではないですか!」

「そうなんですか?」恥ずかしながら、私は知らなかった。

「え?え?どうして、山本邦山が『悪魔が来りて笛を吹く』の劇伴を担当しているんです?」

「わかりませんよ。でも、たしかに山本邦山でしたよ」

「…あ、そうか…。山本邦山は、尺八だけではなくて、ジャズにも造詣が深いから、ありうるかもしれない…」Kさんは、ひとりで納得した。

そこから、ひとしきり、Kさんの独壇場。私もできる限り、その話についていく。

こんどはこぶぎさんが、キョトン、とした感じになる。

…とまあこんな感じで、気がつくと夜11時半になってしまうのである。

さて、この日のおしゃべりで、こぶぎさんは名言を残した。

「こぶぎさん、字幕もなくて、よく韓国のバラエティ番組とかドラマとかを見られますね」

「愛があれば、字幕なんていらないんだよ」

なるほど、愛があれば字幕なんて、か。

翌日。

この夏から韓国の大学に留学する予定のOさんが、研究室にやってきた。

ひとしきり、韓国語の勉強の話や、K-Popアイドルの話になる。

Oさんは、シャイニーという男性アイドルグループの大ファンらしい。

「先生も、ぜひ聞いてみてください。絶対いいですから」

「そうするよ」

「いま、アイドルが出ているバラエティ番組を字幕なしで見ながら、韓国語の勉強をしているんです」

「それはいいことだよ」と私。

「どういうことです?」

「好きな人が話していたら、一生懸命その人の言っていることを聞こうと思うでしょう」

「ええ」

「つまり、愛があれば、字幕なんていらないんです」私はこぶぎさんの名言をいただいた。

「なるほど」

Oさんは、我が意を得たり、という顔をした。

「ところで先生」

「何です?」

「実は、留学先の大学に出す推薦書を書いていただきたいんです」

「いいですよ」

「これです」といって出した紙には、英語しか書かれていない。

「なんだいこれは?」

「留学先の大学が用意した、推薦書の様式です」

「英語しか書いてないじゃないの」

「ええ、ですから、英語で推薦書を書いてほしいそうです」

「ええぇぇぇ???」恥ずかしながら、私は英語がまったくダメなのだ。

「もし英語でなければ、韓国語でもいいそうです」

英語よりはマシだが、それもなあ。

もういちど推薦書の様式をじっくりと見た。

何度見ても、英語しか書かれていない。

うーむ。愛がないなあ、愛が。

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丘の上の作業場、再開

4月19日(木)

木曜日は、いちばんキツイ。夕方、ヘトヘトになった。

夕方6時。今日はそういえば、今年度最初の「丘の上のクリーニング作業」ではないか。

あわてて車を走らせ、「丘の上の作業場」に到着。

「お久しぶりです」と、昨年からの学生さんたち。「今年度もよろしくお願いします」

約3ヵ月ぶりくらいの、丘の上での作業である。

片道50㎞をかけて、世話人代表のKさんもやってきた。ホント、よく動く人だ。「往復100㎞の熱情」である。

4月半ばとはいえ、まだ寒い。空の下で作業をするにはまだ早い、ということで、建物の中での作業である。

もう少ししたら、空の下で作業ができる。

それが楽しみである。

丘の上から夕焼け空を見ながら作業をする。これほど清々することはない。

やはり作業場は、「丘の上」にかぎる。

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断る勇気

4月18日(水)

朝起きたら、左足が痛い。

久しぶりに、例の「アレ」が来たな、と思った。

不摂生な生活を続けたり、ストレスがたまったりすると、左足が痛くなるという例の奇病である。

実際、ここ1、2週間ほどは、不摂生な生活が続いていた。

いったんこの痛みが起こると、何をするにも億劫になる。ふだんの3分の1くらいの力しか出ない。

歩くスピードも、ふだんの3分の1くらいになる。

まあ、人間、誰しも「痛み」というのをかかえていて、ある人はそれが偏頭痛だったり、胃痛だったり、ひどい肩こりだったりするのだろう。私の場合、その「痛み」がたまたま左足に出ているにすぎない。

(今日の職場の宴会はキャンセルだな…)

今日は、新年度を迎えての職場の懇親会なのである。

朝イチの授業が終わったあと、事務室に行って、キャンセルを告げた。

「どうしたんです?」

「ええ、ちょっと、体調が悪くて…」

「大丈夫ですか?」

こういう時、「痛風の発作が出ちゃって…」とは、言いづらい。

「不摂生な生活がたたって、左足が痛くなっちゃったんです」としか言えない。

午後、会議が終わり、廊下を歩いていると、事務職員さんに言われる。

「本当に行かないんですか?いまから欠席を取り消すことだってできますよ」

「いえ、ほんとうにいいんです」

「残念ですねえ」

そうは言われるが、実際、懇親会場に行ったって、ほとんど人と話すわけでもないし、まあ、行ったところで、どうということもない。

今度は別の職員さんとすれ違う。

「今日は、懇親会に行かれるんでしょう?」私はその職員さんに聞いた。

「ええ」

「私も行くつもりだったんですが、欠席することにしました」

「えええぇぇぇ!どうしてですかぁ?」

「不摂生な生活が続いて、足が痛くなっちゃって」

「それってひょっとして、『ぜいたく病』といわれているあの病気…」勘がいい人だ。

「ええ、まあ」ぜいたく病と思われるから、この病名を言いたくないのだ。

「残念ですねえ。今日お出になれないと、次は忘年会ですよ」

何度も言うが、仮に今日出席したからといって、とりたてて人と話をするわけでもない。

「ノンアルコールで参加されたらどうですか」

「それも考えたんですが…やっぱりやめておきます」

「そうですか。…あ~、残念ですねえ」

社交辞令とはいえ、そこまで言われると、少し心が動いてしまう。だがもしそんな言葉にうっかりそそのかされて行ってしまったら、意志が弱い私は、まず間違いなく、ビールを飲んでしまうだろうな。

「今日は飲めないんです」

「いいじゃないですか、1杯くらい。まあまあ」

「そうですか。じゃあ、1杯だけ」

そうなるともう、命取りである。

1杯が2杯、3杯になる。そのうち「じゃあ焼酎でも」とかいって、焼酎のお湯わりなんかを飲み出す。「え、赤ワインもあるんですか。じゃあいただきましょう」ってな感じで、結局いつものように飲んでしまう。職場の懇親会などの、私にとっては気まずい雰囲気の中では、なおさらアルコールが進むのである。

映画「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」で、こんな場面があった。

備中高梁のお寺に一晩泊まった寅次郎が、翌朝、旅に出ようとすると、お寺の娘、朋子(竹下景子)が、せめて朝ご飯だけでも食べていってください、とひきとめる場面である。

朋子「今すぐ朝ごはんの支度しますので、せめてごはんだけでも」

寅「はい、そのお気持ちはありがとうございます。でもキリがありませんから」

朋子「どうして?」

寅「はい、朝ごはんをいただいたあとに、食後のお茶を飲みながら、バカっぱなしをしているうちに、すぐお昼です。『おそばにしますか?おうどんにしますか?』『そうですねえ、おそばでもいただきましょうか』

そんなことしているうちに、三時のおやつですから。薄切りの羊羹にお薄をいただいているうちに、今度は夜です。『もう1杯どうですか?』『いえいえ』、2杯が3杯、4杯、またこちらへ泊まるようなことになります。それじゃキリがありませんから」

朋子「そこまで考えることはないと思いますけど…」

寅「いや、考えちゃうんですね、性分として」

結局このあと、寅次郎はこのお寺に住みついてしまうのである。

たぶん私も、こんな感じになるはずである。

だから、絶対に出席するわけにはいかないのだ。

私には珍しく「断る」という姿勢を貫き、職場に残って、ひとり寂しく、こまごまとした事務仕事を、ふだんの3分の1くらいのペースで片づけていった。

宴会が始まったであろう時間には、足の痛みもかなりひいてきた。

(やっぱり出席すればよかったかな…。いや、ここで油断してうっかり出席したら、結局、元の木阿弥だ)

さまざまな心の葛藤を経て、夜9時、ようやく気持ちの整理がついたのであった。

…というわけで、今日の話をまとめると、痛風の発作が出たオッサンが、職場の宴会を欠席した、という報告でございました。

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続・往復100㎞の友情

往復100㎞の友情

4月16日(月)

午後の授業が終わった4時過ぎ、研究室でひと息ついていると、扉をたたく音がした。

「はい、どうぞ」

「どーもー」

と研究室に入ってきたのは、こぶぎさんと、Kさんであった。ともに、「前の職場」の同僚だった友人である。

「こ、こぶぎさん…。ど、どうしたんですか?」

私はこぶぎさんの突然の登場にビックリした。

「手伝いに来たんですよ。引っ越しの」

「まさか…」

「本当ですよ」こぶぎさんの後ろで、Kさんも笑っていた。

Photo 「だって、手伝ってくれって、ブログでフラグが立ってましたから」こぶぎさんはそう言うと、カバンの中から、ハタキを取り出した。「私の母親手製のハタキも、ほら、こうして持ってきました」

あまりに突然のことでビックリである。だって、こぶぎさんとKさんの職場から、うちの職場までは、片道50㎞もあるのだ。おいそれと来られる距離ではない。

「さ、やりましょう。何からしましょうか」

2 そう言うと、こぶぎさんは、本棚にハタキをかけ出した。

「いやいやいや、ちょっと待ってください。突然そんなこと言われても」

「でも、せっかく来たんですから、手伝わせてください」

どうやら、本気である。

「じゃあ、ダンボール箱を作ってください」

とりあえず、ダンボール箱を作ってもらうことにした。

2_3 ただ、ダンボール箱を作る空間がないので、廊下で作るしかない。

こぶぎさんとKさんが廊下でダンボール箱を作っていると、同僚たちが、「どこの業者さんなのか?」みたいな不審な者を見るような目で通り過ぎる。

「ダンボール箱作り、楽しいですねえ」とKさん。「この仕事に向いているかもしれません」

廊下で、二人が楽しげにダンボール箱を作れば作るほど、こちらは、周りの目が気になって仕方がない。

Photo_3 ダンボールを作っている姿を見ながら、たずねた。

「あのう、…本当は、今日は何かのついでに来たんでしょ?」

「いや違いますよ。本当にこのために来たんです。だからあらかじめ、そちらの学生さんにMさんの予定を聞いて、この時間ならいるようだ、というので、来たんです」

言ってみれば「ドッキリ」である。いずれにしても、私を驚かすためだけに、わざわざ片道50㎞の道を、車を走らせて引っ越しの手伝いに来てくれたんだな。私は、二人の「往復100㎞の友情」に感謝した。

そうこうしているうちに、6時近くになった。今日は6時から、新年度最初の、クリーニング作業の日なのだ。

「せっかくですから、新しくなった作業場を見ていってくださいよ」と私。

引っ越しのお手伝いを終えてもらい、Kさんとこぶぎさんを、新しい作業場に案内する。Kさんは、この活動の主要メンバーだからみんなに知られていたが、こぶぎさんをはじめて見た人が多かったようである。

2人が帰ってから、メンバーの1人であるSさんが私に聞いた。

「Kさんの隣にいた方は、どなたなんです?」

「あの方ですか?こぶぎさんですよ」

「ああ!あの方がこぶぎさんなんですか!」

すでにこぶぎさんは、「こぶぎさん」の名前で有名人であった。

「二人はどうしていらしたんです?」と、世話人代表のKさん。

「私の引っ越しを手伝いにきてくれたんですよ」

そう答えると、世話人代表のKさんは言った。

「なんか先を越されたようで、悔しいですねえ。私も手伝おうと思っていたのに…。あの二人、点数を稼ごうとしているんでしょう」

「何の点数ですか!?」点数を稼ぐ、の意味がわからない。

「今度は絶対、私も手伝いますからね」世話人代表のKさんは言った。

クリーニング作業が終わり、午後8時に解散したあと、元同僚のKさんから電話がかかってきた。

「まだこちらにいるんで、一緒に夕食をとりましょう」

いつものファミレスで、夕食をとりながら、いつものように、マニアックな話をする。

「少女時代」から「山本邦山」まで。

気がつくと夜11時半になっていた。

「もう引っ越しの手伝いはしないけれど、またいずれ」とこぶぎさん。

「気をつけて」

二人は、片道50㎞の道を、車で帰っていった。

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おせっかいな人たち

4月14日(土)

ある会社の重役のブログを読んでいたら、

「居酒屋で美味しいお酒を飲みながら、若者たちとの会話を楽しんだ」

みたいなことが、自慢げに書いてあって、

(この人、何にもわかっていないんだなあ。楽しいと思っているのは、アンタだけなのに)

と思った。

部下にとって、上司と飲むお酒ほど、楽しくない酒はない。

学生が教員と飲む酒もまた、同じである。

そういえば、この日記でも、学生とお酒を飲んだ時のことをしばしば書いているが、まさか「楽しかった」なんてノーテンキなこと書いていなかっただろうな。

急に不安になり、過去の日記を読み返してみた。

「楽しかった」と書いている日記が1カ所だけあり、猛省。

それに対して、同世代の友人や仲間と飲む酒は、気兼ねがない。

午後4時から2時間、同世代の仲間が集まって、新年度の活動の展望とか、懸案の事項などについて話し合った。片道100㎞かけて来てくれた人もいた。

午後6時すぎ、会議が終わると、居酒屋に場所を移して、話し合いが続く。

「この活動にも、マスコットキャラクターが必要ですよ」誰かが言いだした。

「そうそう、あの学生が書いてくれたやつなんてどうですか?」

「何です?」

「ほら、ブログで紹介されていたでしょう」

どうやら、今年の卒業生が書いてくれた、あの絵のことらしい。

「ほら、これですよ」

と、「前の職場」の同僚のKさんが、自身の携帯電話に保存していた画像を、みんなに見せてまわした。

なんとKさんは、あの画像を保存していたのだ!

「やめてくださいよ!いやですよ、そんなの」と私。

「大丈夫ですよ。誰の顔だかわかりゃしませんよ…。…あ、わかるか…」画像を見ながら世話人代表のKさんが言った。

ま、お酒の席の会話なんて、そんなものである。

1次会が終わり、シメはラーメン屋で、ビールに餃子、そしてラーメンである。

ここでも、オッサンたちの会話は続く。

いや、オッサンたちにまじって、20代前半の若者が1人いたぞ。

彼には、オッサンたちの会話が、どんな風に聞こえたのだろう。

あんまりオッサンたちの会話に慣れない方がいいと思うぞ。

みんなと別れた帰り道、いつだったか、世話人代表のKさんが私に言っていたことを思い出した。

「Mさんひょっとして、おせっかいな方でしょう」

「私がですか?」

「ええ」

「そんなことありませんよ」

「いえ、おせっかいなはずです」

「そうでしょうか」

「ここに集まってくる人たち、みんな、おせっかいな人たちです。そうでなきゃ、この活動は続きません」

なるほど、そういうものかも知れない、と思った。

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便利屋稼業

4月13日(金)

昨日からいよいよ新年度の授業がはじまった。今年度は1年生の担任もすることになった。みんな、初々しいなあ。

昨日は終日授業、今日は午前に授業があり、昼食後、少し時間が空いたと思ったら、例の「引っ越し」について同僚から問い合わせが来た。

「私たちが共同で使用している部屋に大量の本や雑誌が置いてあるでしょう。あれ、どうやって引っ越ししたらいいでしょうかね」

「わかりました」

ということで、ダンボールの調達と、学生アルバイトの手配を請け負うことになった。

「6月に開催する職場のイベントで、ゲスト講師を呼びたいんですが」と、また別の同僚。

「わかりました」

ということで、面識のなかった方に電話をかけて、講演の約束をとりつけた。

するとこんどは、3年生のT君が研究室にやってきた。

「いま、別の先生の演習の準備をしていて、辞典をさがしているんですけれど…」

「その先生に聞けばいいじゃない」

「先生がいらっしゃらないんです」

「どんな辞典?」

「緑色の表紙で、分厚くて、10巻くらいあるものです」

「ああ、○○学事典ね」

「あ、そうそう、それです!」

「それだったら、図書館にあるでしょう」

「図書館は、辞典類をおいてある部屋がいま工事中で、辞典が全部書庫に入ってしまったんです。しかも学生は書庫に入れないし」

「必要なのは、どの巻なの?」

「全巻見てみないことには…」

「わかった」

ということで、T君と一緒に図書館に行って、カウンターの人に交渉して○○学事典を書庫から全巻出してもらった。

「これで思う存分調べられるでしょう」

「ありがとうございました」

ということで、あっという間に時間がすぎた。

まるで便利屋だな。

意外と便利屋とかに向いているのかもしれない、と苦笑した。

…今日書きたいのは、そんなことではない。

職場のホームページを見ていたら、私が写っている写真を見つけた。

先日、うちの職場で映画の上映会をやったときの写真である。

「映画の上映会をやりました」という報告記事なのだが、その中に、上映会を主催した同僚が開催趣旨を説明している後ろで、開いている教室の扉の外から、私が中をのぞき込んでいる写真が載っている。「家政婦は見た!」みたいに。

この写真を見て思い出した。

この時私は、少し遅れて、会場の教室に到着した。

すでに、主催者のひとりである同僚Aの説明がはじまっている。

教室の扉から中をのぞき込むと、もう1人の主催者である同僚Bが私に気がついた。

「どうしたの?」

「あの、遅れちゃったんですけど、いまからでも入れますかね」

「大丈夫ですよ。どうぞどうぞ」

まさにその瞬間の光景が写真に撮られていたのである。説明している同僚Aを撮るつもりが、私もその後ろに写り込んじゃったわけである。

写真に吹き出しをつけるとすれば、

「入っていいっすか?(小声)」

「どうぞどうぞ(小声)」

となるだろう。

よりによって、なんでこんな写真を選んでホームページに載せちゃったんだろう?

すげえ恥ずかしい。

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埋もれた名文

4月10日(火)

引っ越しのコツは、たぶん「考えずにやること」だと思う。

だが私には、それができない。

本をダンボール箱につめるにしても、いちいち、本の内容ごとに分類しながら、などと考えてしまう。すると、長考に入ってしまうのである。

「どうせ内容ごとに箱につめたって、荷ほどきして本棚に並べるときはバラバラになるんだから」という妻は、「考えない派」である。というか、それが普通のやり方らしい。

私はそれで妻に何度も怒られるが、どうもこの癖はなおらない。困ったものである。

もうひとつ悪い癖は、懐かしい本や冊子が出てくると、つい読みふけってしまうことである。

先日も、ちょうど1年前の職場の広報誌が出て来た。新入生に向けた広報誌である。

つい最近出た、今年の新入生に向けた広報誌と見くらべてみて驚いた。

「これは、いったい…」

とんでもないことに気づいたのだ!こんなことがあっていいのか?!

妻に電話してそのことを話すと、

「そんなことしてるから、作業が進まないんでしょう」

とまた呆れられる。

そうだな。そんなことに気づいているヒマがあったら、ちゃんと手を動かせ、ということだろう。

今日も、少し片づけていると、本棚の奥から、小さい冊子が出てきた。

うちの職場など6つの大学が連携して6年ほど前に作った、編入学をめざす学生のためのガイドブックである。

この冊子には、編入学をめざす学生に対して、多くの同僚たちがメッセージをよせているが、それらにまじって、私と、それに前の職場の同僚だったこぶぎさんも、文章を書いている。

自慢ではないが、この冊子の中の、こぶぎさんの文章と私の文章は、秀逸である!

なかでも、こぶぎさんが書いた文章の中の次の一節は、何度読み返してもよい。

「かつて『学んだことの証しは、ただ一つで何かが変わることである』と林竹二は言いました。変わることはドキドキします。だから本当の勉強をしている時はドキドキします。ワクワクします。そのドキドキやワクワクを味わってみたいですか?貴方は変わりたいですか?世の中をもっとハッピーでよりよい場所に変えてみたいと思いませんか?

 もし貴方がそう思っているのであれば、貴方にはさらに勉強を続ける価値があります。たかだか入試で落とされただけで、へこたれるな。単にその大学に見る目がなかっただけかもしれないでしょう。繰り返します。貴方には勉強を続けるだけの価値が十分あるのです」

「学んだことの証しは、ただ一つで何かが変わることである」

いい言葉だなあ。

教育学者・林竹二のこの言葉を、私はこぶぎさんのこの文章を通じて初めて知り、何度か、学生たちにも紹介したことがある。

この言葉をうけての、こぶぎさんのメッセージもいい。この人、ふだんはおバカな文章しか書かないのに、たまに人の心を揺さぶるような文章を書くんだよなあ。

それにしても、この冊子、せっかく苦労して作ったのに、日の目を見たのがたった1年だけとは、何とももったいない。ほかにもいい文章があるのになあ…。

…と読み耽っていると、あっという間に時間がすぎる。

うわっ!!もうこんな時間かっ!!!

と激しく後悔した。

だが、やはり日の目を見ずに埋もれてしまうのは、何とももったいない。そこで、こぶぎさんに無断で紹介させていただきました。許されよ。

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4月の雪・その2

4月7日(土)、8日(日)

この週末は、2日間とも、午後に本の箱詰めの作業を行った。

新3年生のNさんとSさんが、献身的に、手伝ってくれた。

月曜日から休みなく箱詰め作業をしていたため、私自身、かなり疲労していたが、2人が手伝ってくれたおかげで、心が折れることもなく、作業を続けることができた。

おかげで、現在のところ140箱ほどの箱詰めが終わった。ようやく半分、といった感じである。

ただ、ショックなことが、ひとつあった。

それは、NさんとSさんがなにげなく交わしている会話の内容が、私には、まったくもって意味不明だ、ということである!

二人が、何か会話をしながら楽しげに作業をしてくれるのは、こちらとしてもうれしいのだが、二人の会話の内容が、皆目わからない。

おそらく、ゲームか、アニメか、テレビか、ラジオか、…そんなような話題をしていると思うのだが、何を話しているのか、ひとっつもわからないのである!

こんなにわからないことは、たぶん、生まれてはじめてである。

あまりにわからないので、思わず2人に言った。

「2人が話している会話、意味がぜんぜんわからないよ」

そう言うと、2人は爆笑して答えた。

「あたりまえです。先生がわかったら、むしろ恐いです」

それがどういう意味なのか、よくわからないが、何か深い世界の話題である、ということなのだろうか。

いよいよ、同じ日本語を話していても、わかりあえない世代が、やってきたのか?

ちょうど、外の「新入生歓迎フェスティバル」では、アカペラサークルが、プリンセス・プリンセスの「Diamonds (ダイアモンド) 」を歌っていた。これが、けっこう上手い。

3年生のNさんに聞いた。

「いま外で歌われてる曲、知ってる?」

「なんでしょう?」Nさんは耳を澄ませた。

「『Diamonds (ダイアモンド)』という曲」

「ああ、知ってます」

「知ってるの?」私はすこし安心した。

「はい。だって、最近よく、テレビの懐メロの特集とかで、聞きますから」

な、な、懐メロ…!!??

たしかに、この曲は1989年にリリースされたから、生まれる前の曲、というわけか。

嗚呼!これから学生と飲み会をするときには、どうすればよいのだろう?

それこそ、ハナ肇の銅像みたいに、黙っているしかないのかもしれないな。

…ちょっと待て、「ハナ肇の銅像」というたとえも、若者たちには意味不明、ということか。

ということは、このブログじたい、若者たちには、まったくもって意味不明な内容なのかもしれない。

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4月の雪

4月7日(土)

外へ出ると、雪が降っていた。そしてかなり寒い。

今日もまた、午後から、職場の研究室の引っ越しのための箱詰め作業である。

メールで学生に呼びかけたところ、幸いにも新3年生のNさんとSさんが、手伝ってもいいという返事をくれた。

職場に着くと、構内は「新入生歓迎フェスティバル」で賑わっていた。舞台を設営して、さまざまなサークルが出し物をしたり、その周りにはテントを設営して、さまざまなサークルが、新入生にサークルの勧誘をしたりしている。

昨年もたしかこの日に、職場で仕事をしていた。

昨年の日記に、「せっかくなので窓を開けて外の様子を聞きながら仕事をすることにした」と書いたところ、それを読んだ卒業生のSさんが、「窓を開けながら仕事をしたなんて、先生くらいなものですよ。毎年、先生方から『ギャーギャーとうるさい』と、クレームが来るんですから」とメールをくれた。Sさんは学生時代、「新入生歓迎フェスティバル」の実行委員長をつとめていたから、教員からのクレームに頭を悩ませていたのだろう。

そういえば、私が顧問をつとめている、手芸サークルはどうなっているだろう。

構内を歩きまわると、すぐに見つかった。

「あ!先生!」

サークルの新会長の2年生が、看板を持って立っていた。ほかにも数人がいた。

「今年はテント、使わせてもらえたんだねえ」

昨年は、新設のサークルだったためか、テントすら支給されなかったのである

「ええ。でも、とんだ天気になってしまいました。雪が降っているんですよ!」新会長は寒さでふるえていた。

たしか、昨年の「新入生歓迎フェスティバル」も、雨が降っていて寒かったという記憶がある。

「新入生の反応はどうですか?」

「はじまって1時間で、新入生が5人も名前を書いてくれました!今年は手応えありです」

「それはよかった」

サークルの学生は、いずれも私の知らない学生ばかり。たぶん、私の授業も受けたことがないのだろう。1,2度しか会ったことがないから、名前もよくわからない。

だが、看板を見て驚いた。

Photo 「なんだい、これは?」

「これ、先生をイメージして作ったんです。アハハ、そっくりです!」

学生たちは、看板と私の顔をあらためて見くらべて、笑っていた。

学生たちには、私の顔がクマに見えるらしい。

それにしても、かわいらしくていい子たちばかりである。

手芸をする人に悪い人はいないんじゃないか、と錯覚させるくらい、素直な子たちであった。

そうこうしているうちに、学生との約束の時間が来た。午後からは引っ越しのための箱詰め作業である。

(続く)

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不意の消息

4月6日(金)

不思議なこともあるものだ。

昨日読んだ、伊集院静の「“手紙”」というエッセイ

「シンガー・ソングライターの友人」(おそらくは、井上陽水)が、列車の中でふと伊集院静のことを思い出し、手紙を書いてよこした、という話が印象的だった。

友人のことをふと思い出し、とりとめのない手紙を書く、というのが、じつによい。

私もそんな感じで、誰かに手紙を書いてみようかな。日本人だと照れくさいから、韓国人の友人にでも久しぶりにメッセージを書いてみようか、韓国語の勉強にもなるし、と思い、韓国語版ミクシーともいえる「ミニホムピィ」を久しぶりに開いてみて、驚いた。

韓国語で日記を書かなくなってからは、ほとんど放置していて、ふだんはまったくメッセージなんぞ来ないのに、今日はなぜか、メッセージが1通入っている。

見ると、韓国語3級クラスで教わったナム先生からである。一昨年、ナム先生とそのお姉さんが東京に観光にいらしたときに浅草とお台場をご案内したし、昨年9月に私が大邱を訪れたときは、ナム先生とその姉夫婦と一緒に、ミリャン(密陽)という町までドライブした。ナム先生とその姉夫婦は、いまや韓国の大切な友人である。

「キョスニム

お元気ですか?

春とはいっても、韓国はまだとても肌寒いです。

そうは言っても、やはり春なのか、いつのまにか花がぱっと開きました。 桜の花もレンギョウも今は満開です。 自然とは本当に神秘的です。

韓国では4月11日に選挙があるので、あちこちで選挙運動が行われていて騒がしいです。 語学院は今週、もう中間考査です。 時間はどうしてこんなに早く過ぎ去るのでしょう。「光陰矢のごとし」ということわざを実感する今日この頃です。

今朝、満開になった花を見たら、ふとキョスニムのことを思い出したので、安否を伝えます」

ナム先生は、学期と学期のあいだの休暇の時に、たまにメッセージをくれることがある。学期が始まってしまうと、韓国語の授業に追われ、それどころではないはずなのだが、どういうわけか、学期中にもかかわらず、メッセージをくれたのである。

どうということもない内容だが、「今朝、満開になった花を見たら、ふとキョスニムのことを思い出したので、安否を伝えます」という最後の一文がとてもうれしい。

私が以前、「花咲く春が来れば」という映画が好きだ、と、韓国版ミクシーに書いたからかもしれない。

どうであれ、ふとしたことで私を思い出し、不意に消息をくれる、というのは、何ともありがたい。井上陽水から不意に送られてきた手紙を読んだときの、伊集院静の気持ちが、よくわかる。

ナム先生から消息をいただいてほどなくして、今度はナム先生のヒョンブ(姉の夫)であるヨンギュ氏からも、「今度はいつ大邱にいらっしゃるんですか?」というコメントが来た。

本当の友人とは、ふとしたことで思い出し、思わずひとり語りをしたくなるような存在なのかも知れない。

そんな友人がいるうちは、人生、捨てたもんじゃない、と思う。

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静と光と陽水と

新幹線で移動するとき、たまにオッサンが読むような週刊誌を買うことがある。ま、私も十分オッサンなのだが。

ある週刊誌では、作家の伊集院静が悩み相談にこたえるという見開きのコーナーがあって、それがなかなか面白い。

あるとき、

「伊集院さん、『伊集院党』を作っていまの政治に渇を入れてください」

みたいな質問があって、それに対して、

「バカヤロウ。『伊集院党』を作ったって、静と光の2人しかいないじゃないか」

みたいに答えていて、それがずいぶんと可笑しかった。

同じ伊集院でも、静と光では、人間のタイプが真逆である。断然私は、「光」の側である

私は最近、以前だったら絶対に読まなかっただろうな、という作家の文章を、読んでみたいと思うようになった。

五木寛之とか、伊集院静とか。

いずれも、私とは絶対に違う価値観の持ち主だろうな、と、勝手なイメージを持っていた作家である。食わず嫌い、とでもいおうか。

19934045 伊集院静のエッセイ集『水のうつわ』(幻冬舎文庫)を読みはじめた。作者が40歳の時に書いたものである。今の私とほぼ同じくらいの年齢の時に書かれたもの。

たしかに読んでいると、私とはぜんぜん違うなあ、と思う。

だいいち私は、ひとりでお酒を飲みにバーに行ったり、寿司屋に行ったりはしない(回転ずしにはよくひとりで行くけれど)。まるで絵に描いたような、「ダンディな大人」の生活である。そういった場所で、ごく自然にふるまい、人びとと交流する、というのも、私には決してまねができない。なにもかもが、かっこよすぎるのだ。

だが、根底に見え隠れする、なにか鬱屈した感情というか、妄想というか、自虐性というか、そういったものは、読んでいてとてもよくわかる。

その点において、一見真逆なタイプにみえる「静」と「光」も、本質的には変わらないのではないか、とも思う。

この本の中に、「“手紙”」というタイトルのエッセイがある。

あるとき作者は、めったに手紙をくれない「シンガー・ソングライターの友人」から手紙をもらう。中を開いて読むと、次のようなことが書いてあった。

「手紙は思い立ったときにすぐに書くのが良いと聞いたことがあるので、筆無精の自分は今列車の中でこの手紙を書いている。字は元々、悪筆なのはかんべんして欲しい。先日は忙しいところを有難う。あなたのことを先刻から考えていた…」

この手紙を引用したあと、作者はひと言、「いい手紙だった」と、述懐した。

さて、この「シンガー・ソングライターの友人」とは、いったい誰だろう。文章は次のように続く。

「二年前、彼がつくった歌を私はよく口ずさんでいた。河のほとりにあるホテルを舞台にした男と女の歌だった。同じ歳回りなのに才能のある人間は違うなと、感心したり嬉しくなったりしたのを覚えている」

「シンガー・ソングライターの友人」とは、井上陽水であることが、この記述からわかる。

B00002ddh8_09_lzzzzzzz_2 このエピソードを読んで思い出したのが、井上陽水の「長い坂の絵のフレーム」という曲である。

この曲は、人間の人生の「後半期の生き方」について歌った歌で(少なくとも私はそう解釈しているが)、ひどく悩んだりしたときにこの歌を聴くと、なんとなく悟りを開いたような気分になるから不思議である。たぶん陽水の歌の中で、いちばん好きな歌かも知れない。

この歌の歌い出しが、

「この頃は友だちに 手紙ばかりを書いている

ありふれた想い出と 言葉ばかりを並べてる

夢見がちな 子どもたちに 笑われても」

という歌詞から始まっていて、伊集院静のこの文章を読んだとき、まっさきにこの歌詞を思い出したのである。

「夢見がちな 子どもたちに 笑われても」という部分が、ずっと気になっていたが、ひょっとしたら、列車にゆられながら手紙を書いている姿を見て、同じ列車に乗り合わせている子どもたちが笑いながら見ていることを意味しているのかな、と想像した。

陽水は、この歌詞のように、列車の中で友人に手紙を書いていたんだな。

私は、かなりな筆無精で、というか、もう何年も、手書きで手紙なんぞを書いたことがない。メールというものに、すっかり慣れてしまったからだ。

ただ、もっと年をとったら、ありふれた想い出と言葉ばかりを並べた手紙を、友人たちに書いてみたい、とも思う。なにしろ、「長い坂の絵のフレーム」に歌われたような生き方が、私の理想の生き方なのだから。

そのためには、手紙を読んでもらえる友人を確保しておく必要があるわな。

それと、極上の万年筆も。

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全身女優

4月5日(木)

昨日は心がボッキリと折れて、思いのほか取り乱した文章になってしまいましたが、今日はいささか心が持ちなおしました。

もう、引っ越しについての愚痴を言うのはやめよう、と反省した次第。

なので、今日は韓国映画の話題である。

先月、韓国で「ハウリング」という映画を見てから、ますます女優イ・ナヨンのファンになった。

イ・ナヨンは、ひと言で言えば、「かっこいい女性」である。

そのことを妻に言うと、妻もイ・ナヨンのファンだったらしく、「だったらこれを見れば」と、「フー・アー・ユー?」という映画をすすめてくれた。

Whoareu 言ってみれば平凡なラブストーリーだが、演じているイ・ナヨンが、やはりかっこいい。

イ・ナヨンの役柄は、元国家代表の水泳選手で、いまは水族館の専属ダイバーとして、「人魚ショー」をヒットさせるために日夜努力を続けている女性。

その泳ぎがまた、みごとなのだ。

全身で演じている、という感じである。

内容的には平凡な映画なのだが、それでも全力で演じているイ・ナヨンの姿は、美しい。

「全身小説家」という映画があったが、それになぞらえれば、「全身女優」である。

私の中で、

イ・ナヨンは「全身女優」。

ペ・ドゥナは「憑依女優」。

キム・ハヌルは「ザ・女優」

いまのところ、私の中ではこの3人が最強だな。

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引っ越しは私を破壊する!

ことわっておきますけど、これからしばらくは引っ越しの愚痴しか書きませんよ。

4月4日(水)

引っ越しの準備作業を始めて3日目。

朝から晩まで、ひたすら研究室の整理をしているが、ぜんぜん進まない。

とりあえず、3日間でダンボール60箱分の本をつめた。

ということは、朝から晩までコンつめて作業して、1日平均20箱である。

職員さんの目算では、私の研究室の荷物は、ダンボール300箱分くらいだろう、ということだったので、5分の1が終わった計算になる。だが、見た目には、決して、5分の1が整理されたとは思えない。ダンボールにつめてもつめても、研究室はあいかわらず、本であふれかえっている。

3年ほど前、韓国に留学するときに、必要な本を10箱のダンボールにつめて日本から送ったのだが、韓国でもそうとうな数の本を買い、日本に帰ったときは、38箱に増えていた。その中に妻の買った本が含まれているとしても、私が韓国で買った本は、だいたいダンボール20箱分である。

つまり私は、1年間に平均、ダンボール20箱分の本を買っていることになる。

これが10年続くと200箱。私は約10年間この地に勤めているから、ざっと200箱分の本が増えたのである。

…こんな計算、意味がないな。考えるだけでも憂鬱になる。

そう、こんなことに気を病んでばかりいるから、私は心がボッキリと折れてしまったのだ。

昨日、アルバイトしてくれる人を募集しようと、学生に呼びかけたが、今のところ、手伝ってくれると名のりをあげてくれた人はいない。ま、新4年生は就活でそれどころではないし、新3年生もアルバイトやらなんやらで忙しいのだろう。

自分の人望のなさをのろうばかりだが、そんなことを悔やんでいても仕方がない。自分の蒔いた種、身から出たサビである。ほかにまったくあてがない以上、ひとりでやるしかない。

唯一、引っ越しのことを気にかけてくれているのは、先日の日記にコメントをくれたこぶぎさんである。あいかわらずおバカなコメントだが、気の利いた言葉をかけてくれるだけでもありがたい。

ひょっとして、こぶぎさんこそが、この10年で得た、ただひとりの友人なのかもしれないな。

…そんな卑屈になるくらい、いまの私は、そうとう追いつめられているのだ。ああ人間破壊!

とまあ、落ち込むことばかりだが、いいニュースもひとつだけある。

先日買った、「ウエスト120㎝のズボン」の寸法詰めがようやく終わったので、お店に取りに行き、はいてみることにした。

寸法詰めをしてもブカブカであることには変わりなかったが、ベルトをきつく締めれば、ふつうにはくことができる。そればかりか、非常にゆったりしたはき心地で、引っ越しの荷作り作業をするのに、とても動きやすいのだ!

そうか。ウエスト120㎝のズボンは、引っ越しの準備のために、神様がくれたプレゼントだったんだな。

それが、ここ最近でいちばんよかったことである。

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引っ越しは私を破壊するか

4月2日(月)

職場の建物の耐震工事のため、研究室を引っ越さなければならない。あけわたしの期限はよくわからないが、たぶん、5月の連休明けくらいだろうか。

そのときまでに、研究室を整理して、仮住まいの場所に運ばなければならない。

中学生のころ、定期試験が近づくと、友達とのあいだで決まって交わされた会話が、次のようなものだった。

「あ~、ぜんぜん試験の準備してねえや。おまえ、してる?」

「いや、ぜんぜんしてない。まったくしていないよ」

そう言いながら、裏で必死で試験の準備をしていたのが、中学生のころの私である。

「そろそろ引っ越しの準備をしないといけませんね。もうはじめてます?」

「いえ、まったくしていません」

そう言いながら、中学生のころのように、同僚を出し抜いて引っ越し準備を進めようと思ったが、今回ばかりは、とてもそんなことができない。なにしろ、研究室の中の本が、尋常な量ではないのだ。

各部局を含めて、この職場に教員が何人いるんだろう?数百人くらいか?とにかく、その中でいちばん本の量が多いのは、この私である。これは、断言できる。本の冊数ではない。本の重量である。

ま、あまり自慢できることではない。

今日から1週間、引っ越しの準備に専念することに決めたが、本をダンボールにつめてもつめても、あとからあとから泉のように本が湧いてくる。

どうなってんだ、まったく!

「先生お一人じゃ絶対に無理ですよ」と、引っ越し担当の職員さんにも言われるが、そう言われても、手伝ってくれる人など、どこにもいない。学生に手伝ってもらうのはしのびないし。なにしろ私は、友達が少ないのだ。

だいたい私は片づけにむいていない。むしろ、モノをため込むようにできているようである。

韓国の有名な随筆集に、ポプチョンという僧侶が書いた『無所有』という本がある。たぶん、韓国人なら誰でも読んだことのある本である。内容はその名の通り、すべての物欲を捨てて潔く生きることの大切さを説いている。

私はその『無所有』という本を、韓国語の原版、日本語翻訳版、そして韓国語小説版と、合計3冊も持っているのである。この時点ですでに私は、「無所有」という考えに反しているのだ。

先日、職場のゴミ置き場に、ゴミ箱が捨ててあった。

「廃棄」と書かれた紙が貼られているが、まだ、ぜんぜん使えるではないか。

しかも、これから引っ越しの準備ということになると、ゴミもたくさん出ることだし、ゴミ箱は絶対に必要だな。

…そう思った私は、そのゴミ箱を拾って、自分の研究室に持っていったのであった。自分の研究室に同じ形のゴミ箱があるにもかかわらず、である。これで、ゴミ箱は2つになってしまった。

かくして、研究室にはどんどんモノがたまっていく。

こんな調子で、はたして引っ越しの準備は進むのか?

心が破壊されずに、引っ越しの準備を続けられるだろうか?

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エイプリル・フール

4月1日(日)

気の利いたウソもつけないので、エイプリル・フールに関する話題をふたつほど。

アメリカのポピュラー音楽の偉大な作曲家に、バート・バカラックという人がいる。映画「明日に向かって撃て」(1969年公開)の挿入歌に「雨に濡れても」という名曲があるけれど、この曲を作曲したのがバート・バカラックである。これは誰でも知ってる曲だよね。おっと、1969年といえば、私が生まれた年。私より上の世代の人だったら、たぶん誰でも知っているくらい、有名な作曲家だと思う。

その、バート・バカラックが、やはり1969年に作曲した「エイプリル・フール(The April Fools」という曲があって、これがたいへん名曲なのである!

41yjj4eed3l__sl500_aa300_ 実を言えば、私がこの曲を知ったのは、YMOのメンバーだった高橋幸宏が、自身のソロアルバム『薔薇色の明日』(1983年発表)で、この曲をカバーして歌っているのを聴いてからである。

この高橋幸宏の歌う「The April Fools」が、じつに素晴らしいのだ!近藤達郎のひくピアノ伴奏の美しさ、高橋幸宏の丁寧で誠実な歌い方、どれひとつとっても素晴らしい。

そしてなにより、メロディーが美しい。

私は高橋幸宏の歌う「The April Fools」を聴いて、バート・バカラックってすげえ、と思うようになった。同じYMOのメンバーだった坂本龍一も、実はバート・バカラックにあこがれていたことを、当時聴いていたFMラジオで言っていた。彼が編曲を手がけた大貫妙子の「夏に恋する女たち」は、ぜったい、バート・バカラックの影響を受けていると思う。

それはともかく。

この曲を作詞したハル・デヴィッドの歌詞も、わかりやすくて素晴らしい。当時中学生だった私は、歌いながらこれで英語を覚えたもんだ。いまでも、歌詞カードを見ずに歌えるぞ。

久しぶりに、iPodに入っているこの曲を聴いてみるとするか。

Yokomizo46 もうひとつ、エイプリル・フールといえば、これまた私の好きな作家・横溝正史が1921年に発表したデビュー作が、「恐ろしき四月馬鹿」という短編小説で、これが、日本でエイプリル・フールについてとりあげた最初の作品かも知れない。先日、古本屋で売っていたので買って読んでみたが、たしかにデビュー作だな、といった感じの作品だった。

エイプリル・フールに関するとりとめのない話でございました。

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