不意の消息
4月6日(金)
不思議なこともあるものだ。
昨日読んだ、伊集院静の「“手紙”」というエッセイ。
「シンガー・ソングライターの友人」(おそらくは、井上陽水)が、列車の中でふと伊集院静のことを思い出し、手紙を書いてよこした、という話が印象的だった。
友人のことをふと思い出し、とりとめのない手紙を書く、というのが、じつによい。
私もそんな感じで、誰かに手紙を書いてみようかな。日本人だと照れくさいから、韓国人の友人にでも久しぶりにメッセージを書いてみようか、韓国語の勉強にもなるし、と思い、韓国語版ミクシーともいえる「ミニホムピィ」を久しぶりに開いてみて、驚いた。
韓国語で日記を書かなくなってからは、ほとんど放置していて、ふだんはまったくメッセージなんぞ来ないのに、今日はなぜか、メッセージが1通入っている。
見ると、韓国語3級クラスで教わったナム先生からである。一昨年、ナム先生とそのお姉さんが東京に観光にいらしたときに浅草とお台場をご案内したし、昨年9月に私が大邱を訪れたときは、ナム先生とその姉夫婦と一緒に、ミリャン(密陽)という町までドライブした。ナム先生とその姉夫婦は、いまや韓国の大切な友人である。
「キョスニム
お元気ですか?
春とはいっても、韓国はまだとても肌寒いです。
そうは言っても、やはり春なのか、いつのまにか花がぱっと開きました。 桜の花もレンギョウも今は満開です。 自然とは本当に神秘的です。
韓国では4月11日に選挙があるので、あちこちで選挙運動が行われていて騒がしいです。 語学院は今週、もう中間考査です。 時間はどうしてこんなに早く過ぎ去るのでしょう。「光陰矢のごとし」ということわざを実感する今日この頃です。
今朝、満開になった花を見たら、ふとキョスニムのことを思い出したので、安否を伝えます」
ナム先生は、学期と学期のあいだの休暇の時に、たまにメッセージをくれることがある。学期が始まってしまうと、韓国語の授業に追われ、それどころではないはずなのだが、どういうわけか、学期中にもかかわらず、メッセージをくれたのである。
どうということもない内容だが、「今朝、満開になった花を見たら、ふとキョスニムのことを思い出したので、安否を伝えます」という最後の一文がとてもうれしい。
私が以前、「花咲く春が来れば」という映画が好きだ、と、韓国版ミクシーに書いたからかもしれない。
どうであれ、ふとしたことで私を思い出し、不意に消息をくれる、というのは、何ともありがたい。井上陽水から不意に送られてきた手紙を読んだときの、伊集院静の気持ちが、よくわかる。
ナム先生から消息をいただいてほどなくして、今度はナム先生のヒョンブ(姉の夫)であるヨンギュ氏からも、「今度はいつ大邱にいらっしゃるんですか?」というコメントが来た。
本当の友人とは、ふとしたことで思い出し、思わずひとり語りをしたくなるような存在なのかも知れない。
そんな友人がいるうちは、人生、捨てたもんじゃない、と思う。
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