埋もれた名文
4月10日(火)
引っ越しのコツは、たぶん「考えずにやること」だと思う。
だが私には、それができない。
本をダンボール箱につめるにしても、いちいち、本の内容ごとに分類しながら、などと考えてしまう。すると、長考に入ってしまうのである。
「どうせ内容ごとに箱につめたって、荷ほどきして本棚に並べるときはバラバラになるんだから」という妻は、「考えない派」である。というか、それが普通のやり方らしい。
私はそれで妻に何度も怒られるが、どうもこの癖はなおらない。困ったものである。
もうひとつ悪い癖は、懐かしい本や冊子が出てくると、つい読みふけってしまうことである。
先日も、ちょうど1年前の職場の広報誌が出て来た。新入生に向けた広報誌である。
つい最近出た、今年の新入生に向けた広報誌と見くらべてみて驚いた。
「これは、いったい…」
とんでもないことに気づいたのだ!こんなことがあっていいのか?!
妻に電話してそのことを話すと、
「そんなことしてるから、作業が進まないんでしょう」
とまた呆れられる。
そうだな。そんなことに気づいているヒマがあったら、ちゃんと手を動かせ、ということだろう。
今日も、少し片づけていると、本棚の奥から、小さい冊子が出てきた。
うちの職場など6つの大学が連携して6年ほど前に作った、編入学をめざす学生のためのガイドブックである。
この冊子には、編入学をめざす学生に対して、多くの同僚たちがメッセージをよせているが、それらにまじって、私と、それに前の職場の同僚だったこぶぎさんも、文章を書いている。
自慢ではないが、この冊子の中の、こぶぎさんの文章と私の文章は、秀逸である!
なかでも、こぶぎさんが書いた文章の中の次の一節は、何度読み返してもよい。
「かつて『学んだことの証しは、ただ一つで何かが変わることである』と林竹二は言いました。変わることはドキドキします。だから本当の勉強をしている時はドキドキします。ワクワクします。そのドキドキやワクワクを味わってみたいですか?貴方は変わりたいですか?世の中をもっとハッピーでよりよい場所に変えてみたいと思いませんか?
もし貴方がそう思っているのであれば、貴方にはさらに勉強を続ける価値があります。たかだか入試で落とされただけで、へこたれるな。単にその大学に見る目がなかっただけかもしれないでしょう。繰り返します。貴方には勉強を続けるだけの価値が十分あるのです」
「学んだことの証しは、ただ一つで何かが変わることである」
いい言葉だなあ。
教育学者・林竹二のこの言葉を、私はこぶぎさんのこの文章を通じて初めて知り、何度か、学生たちにも紹介したことがある。
この言葉をうけての、こぶぎさんのメッセージもいい。この人、ふだんはおバカな文章しか書かないのに、たまに人の心を揺さぶるような文章を書くんだよなあ。
それにしても、この冊子、せっかく苦労して作ったのに、日の目を見たのがたった1年だけとは、何とももったいない。ほかにもいい文章があるのになあ…。
…と読み耽っていると、あっという間に時間がすぎる。
うわっ!!もうこんな時間かっ!!!
と激しく後悔した。
だが、やはり日の目を見ずに埋もれてしまうのは、何とももったいない。そこで、こぶぎさんに無断で紹介させていただきました。許されよ。
| 固定リンク
« 4月の雪・その2 | トップページ | 便利屋稼業 »
「職場の出来事」カテゴリの記事
- めまいがひどかった(2025.03.03)
- めまい(2025.03.01)
- 仕事がまわっておりません(2025.02.15)
- ショック!階段が昇れない!(2025.02.08)
- 明らかに体調が悪い顔(2025.02.08)
コメント
待つ教育
教育とは
つめこむのか、作るのか、育てるのか、否、育つのだ。
育つものは 待たねばならぬ。
先生あなたは待てますか
ほんとうに待つと言うことを知っていますか。
何を待つのだ。
時を待つのだ。
花咲くに時あり
散るに時あり
実るに時あり
潮時だ。
潮時を見つけること
この時を逸しないこと
この時に適(かな)ふこと
待って時に適ふこと、これが教育だと思ふ(以下略)
福原宣明(1998)「魂の点火者-日登教育と加藤歓一郎先生-」より
島根の校長先生だった加藤歓一郎先生が書いたこの詩も、僕の大好きな言葉ですが、ネット上でなかなか見つからなかったので、研究室と自宅の本棚を探し回って、本を見つけ出して、書き抜きました。
埋もれさせてはいけない名文を、このコメント欄を借りて、世界へ向けて、再び送り出します。
投稿: こぶぎ | 2012年4月14日 (土) 23時12分
こぶぎさん、ありがとうございます。
引っ越しの片づけをしていたら、もうひとつ別の小冊子が見つかりました。やはり同じ組織が7年前に編集した、新入生に向けたガイドブックです。
「苦学生風の生活をしてきたからこそ言えることがあるとすれば、それは、学生でいられるうちに学ぶことの「楽しさ」を味わって欲しい、ということだ。天は「学ぶ人」の上に「教える人」をつくるのでも、「教える人」の下に「学ぶ人」をつくるのでもない。「教える人」は同時に「学ぶ人」であり、大学ではみんなが「学ぶ人」である。みなさんと「学ぶこと」の楽しさや苦しさを共有できたなら、それは教師として悦びの極みである」
この小冊子も、たった1年で日の目を見ずに終わりましたが、私はこの方のこの文章がとても好きで、ある時期、文章全体をコピーして学生たちに配ったりしていました。上に引用したのはその一節です。
一度しかお話ししたことはありませんでしたが、研究室に円形のちゃぶ台が置いてあったりして、とても印象の強い方でした。
投稿: onigawaragonzou | 2012年4月15日 (日) 18時05分