神様に会いにいく
4月23日(月)
2週間ほど前のことである。
職場に置いてあった1枚のチラシを見て、驚愕した。
渡辺貞夫が、わが町に来る!
チラシによれば、4月23日(月)の夜、ナベサダこと渡辺貞夫が、わが町の某所でライブをやるという。
その直後、職員のTさん、ボランティア仲間のSさんとお話しする機会があった。
「それ、何です?」
私は、握りしめていたチラシを二人に見せた。
「今度、渡辺貞夫が来るんですよ!」
「へえ」
「渡辺貞夫は、私にとっては、神様みたいな存在なんです」
それからひとしきり、私がいかに、渡辺貞夫にあこがれていたかをお話しした。
前にもこの日記に書いたと思うが、私が高校時代、アルトサックスをはじめたのは、渡辺貞夫の「ナイスショット」という曲を聴いたのがきっかけである。
高1のとき、友人のコバヤシと2人で、渡辺貞夫のライブを聴きに、六本木のライブハウスに行ったことがあった。
そのとき、「かっこいいオッサンだなあ…」と思い、ゆくゆくはこんなオッサンになりたい、と思った。たぶん、いまの私と同じくらいの年齢だったと思う。
そのころのナベサダは、脂がのりきっているころで、そんな時期の彼に、思春期に出会ったことが、どれほど私の人生に影響を与えたことか。
サックスを吹いている最中は、まさに孤高の求道者、といった表情で、演奏が終わると、これ以上ないくらいの満面の笑みをたたえる。その姿を見ていて、自分がこれからどんな道を歩もうとも、あんな境地に達してみたい、と思ったものである。
だから私にとっては、神様なのである。
「そのライブ、行かれるんですか?」
「どうしようかなあ、と」
「この町でそんな機会、めったにありませんよ。いまから電話して、チケットをおさえましょう」
Tさんはそう言うと、チラシに書いてある連絡先に電話をしてくれた。
「チケット1枚、とれるそうです」
「ありがとうございます」私はTさんに感謝した。「でも、…この日は月曜日でしょう」
毎週月曜日の夕方は、ボランティアの作業をすることになっていた。
「じゃあ、作業日を翌日にしましょう。この週だけ、月曜日ではなく、火曜日に作業することにしましょう」今度はボランティア仲間のSさんが言った。
「いいんでしょうか。私の都合で日程を変えたりして」
「だって、神様が来るんでしょう」
二人に後押しされたおかげで、私はライブに行くことができたのである。
前日、福岡にいる高校時代の友人、コバヤシにメールした。
「明日はわが町に渡辺貞夫が来るので、じつに久しぶりにライブを聴きに行こうと思う。25年ぶりくらいかな」
すると返事が来た。
「渡辺貞夫ですか。高校時代に六本木のライブハウスに一緒に聴きにいったのが懐かしいですね。以前欲しいと言われたブラバスクラブのCDとDVDを貴君にあげようと思いつつすっかり忘れていました。ということで、またそのうち」
やはりコバヤシも、高校時代に渡辺貞夫のライブに行った思い出を、終生忘れることはないのだろうな、と思った。
さて当日。
6時開場、7時開演。
開場前から並んでいたおかげで、前から3列目の席を確保した。
最初に主催者が挨拶。
それによると、ナベサダは、年に1度、この町に来てライブをしているらしい。去年も10月に来たとのことだった。
なあんだ。たんに私がこれまで知らなかっただけか。
そしていよいよ、渡辺貞夫の登場。
約25年ぶりに目の前で見たナベサダは、さすがに年老いたな、という印象だったが、演奏がはじまると、まったくそんなことは感じさせなかった。
「あの」音色、音量、そしてアドリブとも、少しも衰えを感じさせないものである。
演奏しているときの、孤高の求道者のような表情、演奏が終わったあとの笑顔も、まったく変わらない。
しかも、激しい演奏のあとも、汗ひとつかかず、息ひとつ上がらず、曲間のMCをつとめているではないか!
とても79歳とは思えない。
曲と曲のあいだのおしゃべりで印象に残った言葉を2つほど。
1.「少しでも長く音楽を続けたいと思っているので、昨年末から禁煙している」
80歳を前にして、健康を気にして禁煙した、というのがすごい。「少しでも長く音楽を続けたい」という言葉が印象的だった。
2.「今年の1月にアフリカのケニアとタンザニアに、青年海外協力隊の慰問に行ってきた」
79歳のおじいちゃんが、アフリカまで青年海外協力隊の慰問に行く、というのがすごい。ふつう、逆だろう!
不思議なことに、演奏が進むにつれて、ナベサダがどんどん若返っていく。
少なくとも私には、そう見えた。
結局、休憩をとらず、1時間40分吹き続けた。
感激のあまりに涙が出た。
なぜ、ナベサダはかくも魅力的なのだろう?
その理由のひとつは、常にいい仲間に恵まれているからであろう。今回のメンバーは、いずれも私とまったく同年代のミュージシャンたちばかりだったが、どれも素晴らしい才能を持った人たちだった。
いい仲間たちに囲まれて、ジャンルにとらわれず、自分のやりたい音楽を追求している。しかも音楽のジャンルに、優劣をつけていない。ナベサダ自身が、「ジャズ」を本籍としていても、である。どんな無名の音楽でも、いいものはいいと認め、自分の音楽の中に取り入れている。
印象的だったのは、アフリカで出会った音楽の話である。
以前にアフリカに訪れた際、海岸を歩いていると、魚を捕る網を繕っているひとりの少女に出会った。その海岸は、その昔、黒人奴隷を乗せた船が出航した場所であったという。その少女が口ずさんでいる歌は、とても美しいメロディだった。
渡辺貞夫は、その少女に、「その歌は、どんな歌なの?」と尋ねた。
少女は、「いなくなってしまったお父さんとお母さんを想う歌」と答えた。
彼は、その少女が歌っていたメロディを持ち帰り、アレンジして、ひとつの曲を作った。
それから30年ほどたった今年の1月、アフリカを訪れた際に、その曲をアフリカの子どもたちの前で演奏したのだという。
今日は、その曲も演奏していた。
彼が、ジャズだけでなく、アフリカやブラジルの音楽にこだわる理由が、なんとなくわかるような気がした。渡辺貞夫の音楽は、人間に対するまなざしそのものである。
しかもそれを、何の気負いもなく、続けている。
自分もそんなふうに仕事ができたら、どんなにすばらしいことだろう。
やはり渡辺貞夫は、私の生き方を導いてくれる神様なのだ。
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