映画的余韻・金田一映画篇
5月14日(月)
映画「悪霊島」を見返してみた。
横溝正史のおどろおどろしい世界観をビートルズで煮しめたことはさておきですよ。
…いや、さておかないぞ。
企画会議で、
「設定は1960年代後半だし、…どうだろう。ビートルズ世代にうったえかける意味で、ビートルズの音楽を使う、というのは」
「いいですね!グッドアイデアですよ!金田一耕助にビートルズ…。斬新じゃないですか!金田一耕助をヒッピーに見立てるんですね!」
みたいな会話が、したり顔で行われていたかと思うと、ちょっと脱力するなあ。
とはいえ、当時中学1年生だった私はまんまとその戦略にのせられ、ビートルズの音楽が頭から離れなくなったわけであるから、結果的には成功したんだろう。
それよりも、映画「悪霊島」の演出がなじめなかった理由が、わかった。
それは、「心の声」をセリフにしているからである!
周囲に誰もいないのにもかかわらず、
「おや、これは○○ではないか。おかしいなあ。何でこんなところに、こんなものがあるんだろう?」
みたいな独り言を言っているシーンがあって、それがいかにも、とってつけたような説明口調のセリフなのだ。
ふだんの生活で、そんな独り言なんぞ言わないだろ!と思ってしまうと、もうその時点で、映画にはのめり込めなくなってしまう。
あと、金田一耕助(加賀丈史)が、磯川警部(室田日出男)から電話を受けるシーン。
「そうですか…。死因は墜落死だけじゃない。その前に首を絞められた形跡がある…。」
磯川警部の言ったことを、電話口で復唱するのである。これもまた、説明口調のセリフで、リアリティがない。
演出をしている時点で、そのリアリティのなさに、気づかなかったのだろうか?
それとも、それを承知で、あえて説明口調のセリフを入れたのか?
どちらにしても、私にとっては残念な演出である。
そう思うと、市川昆監督による初期の金田一映画はよかった。
とくに、映画「悪魔の手毬歌」のラストシーンは、日本の映画史上に残る名シーンである!
事件が解決し、駅のホームで金田一耕助(石坂浩二)が磯川警部(若山富三郎)と別れる場面。
金田一耕助が磯川警部に「あるセリフ」を言ったあと、汽車が走り出す。
走り去る汽車のデッキに立つ金田一耕助は、駅のホームで見送る磯川警部に2回ほど、実直に頭を下げる。
この、2回頭を下げるのがいいんだよなあ。
うーむ。思い出すだけで涙が出てくる。
オープニングのタイトルバックで、金田一耕助が沼のほとりを歩いている映像も、見ているだけでゾクゾクする。
そしてそこに流れる村井邦彦作曲の「哀しみのバラード」。
それだけで、もうその世界観にのめり込んでしまう。
映画の本質とはやはり、「映画的余韻」なのだ。
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