老木の桜
5月1日(火)
早朝、ふと思いたって、桜の古木を見に行くことにした。
水上勉の小説『櫻守』を読んで、エドヒガンの古木を見たくなったのである。
このロマンチシズム、誰にも理解されないだろうなあ。
車で1時間ほど行ったところに、エドヒガンの古木が点在する地域がある。人々はこれを「さくら回廊」と名づけている。折しもいまは、満開の時期である。
寝起きのまま車に乗り、とにかく「さくら回廊」に急ぐことにした。
数あるエドヒガンの古木のうち、目的の木は3箇所である。
S町にある、「山なみを背景に屹立する桜」。
やはりS町にある、「お堂の前に屹立する桜」。
N市にある、「満身創痍の桜」。
まずは、S町の「山なみを背景に屹立する桜」を見に行く。樹齢推定800年の古木である。
この桜が好きなのは、背景の山々の残雪とのコントラストが、じつにすばらしいからである。
三脚に一眼レフを据えて、雲や光のタイミングをはかっている人や、桜の前に腰掛けて大きなスケッチブックに絵を描き始める人などがいた。
うーむ。私も一眼レフがほしいなあ。
ここから歩いてすぐの所に、「お堂の前に屹立する桜」がある。樹齢は1200年と推定されている。狭い敷地にひっそりと立っていて、「山なみを背景に屹立する桜」とは、また違った趣がある。古いお堂の前に立っている、というロケーションがじつにいいのだ。
今度は車でN市に移動する。「満身創痍の桜」を見に行くためである。
数年前、「桜について講演してください」という依頼があったのは、この「満身創痍の桜」のある町からである。主催者、というか、仕掛け人だったその知り合いは、この「満身創痍の桜」の樹勢回復を、町をあげておこなうきっかけとして、そのシンポジウムを企画したのである。
桜は老木になると幹の内部が空洞になる。すると幹の内部から新たな根を発生させて地中にのばし、根を太らせ、それを次世代の幹として、若返りをはかるのである。
ところがこの桜は、江戸時代ごろに幹の内部が焼けてしまい、新たな根が出にくい状態になっていた。そこで数年前から、新たな根を発生させるための治療をおこなっていたのである。
つまり若返りをうながすための治療をおこなっている最中なのであるが、樹齢推定1200年の老木は、今年もまた、花を咲かせたのであった。
地元の人たちによって桜の古木が守られる様子は、小説『櫻守』の世界そのものである。
数年前、ほんの少しだけ、そのことにかかわることができたのは、私のひそかな誇りでもある。
だからこの「満身創痍の桜」には、ことのほか、思い入れが深いのである。
しばらくこの桜の周りを歩きながら眺めていると、老夫婦が話している声が聞こえた。
「この桜、薄墨桜よりもいいね」
「そうね」
薄墨桜とは、岐阜県にある「根尾の薄墨桜」のことであろう。どうやら2人は、全国の桜の古木をめぐっているようだった。
「なにより、自分の力で花を咲かせている」
老夫婦のうちの、夫の方が、しみじみと言った。
それはまるで、自分の人生と重ね合わせて出た言葉のようにも聞こえた。
多くの部材に支えられ、幹の内部に特殊な治療をほどこされ、そのうえ幹の部分に、包帯のようにシートをぐるぐる巻きにされ、痛々しい姿を見せながらも、それでもなお、毎年、力をふりしぼるようにして、決まった時期に花を咲かせる。
まるで、私たちとの約束を守るかのように。
この老夫婦は、その「約束」を確かめるために、桜を見に来ているのではないだろうか。
そんなことをぼんやり考えていると、2人は、ゆっくりとした足どりで、私の横を通りすぎていった。
老木の桜には、初夏のような暑い日差しが照りつけていた。
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