謎のオカベさん
5月25日(金)
「往復100㎞の逆襲」と題して、夕方にこぶぎさんやKさんのいる「前の職場」に電撃訪問をした話を書こうと思ったが、すでにこぶぎさんがコメント欄で電光石火のごとくそのときの顛末を書いてしまっているではないか!すっかり先手を打たれてしまった。
まあ、例によって夜の12時近くまでこぶぎさんとKさんと3人で「ガスト会議」をして、コメント欄にあるような話をしていたわけだが、…あ、今日はガストではなく、トンカツ屋だった…、ともかく片道50㎞の道を往復して、帰宅したのが午前1時である。結論、「往復100㎞の友情」は、楽しいけれどかなり疲れる。
うーむ。先手を打たれてしまったので、コメント欄に書かれた内容と別のことを書かなければならない。何を書いたらよいものか…。
先日、研究室の移転準備のために部屋の片づけをしていると、ホッチキスで綴じた、1冊の分厚い冊子が出てきた。
10年ほど前に、前の職場の同僚のOさんが、学生を連れて韓国に実習に行った際に作った、「旅のしおり」である。この時、私と、私の妻、そしてこぶぎさんも同行したのである。
Oさんは、学生を引率して韓国に実習に行くたびに、分厚い「旅のしおり」を作っていた。そこには、実習中の行動計画やその移動方法、さらには見学先の詳細なガイドや、韓国語の基礎知識など、実習に関わるありとあらゆる情報が集成されていた。持っていくのが億劫になるくらい、詳細をきわめた「旅のしおり」である。
しかし、たいていの場合それは、およそ現実的な計画とはいえなかった。Oさんが机上で立てた計画は、無理がありすぎて、計画通りに行ったためしがなかったのである。…いや、正確に言えば、非現実的な計画に現実を無理やり合わせようとして、最終的にはみんながヘトヘトになる。
今から10年ほど前のその旅も、まさにOさんによる「机上の空論の計画」にふりまわされた旅だったのである。
「旅のしおり」のことを、今日の「ガスト会議」でこぶぎさんやKさんに話すと、
「よくとってあったねえ」とこぶぎさんが驚いた。
「こぶぎさんは持ってないの?」
「もう捨てちゃったよ。とっておけばよかった」
こぶぎさんとKさんと私で、Oさんの思い出話に花が咲く。
Kさんは、Oさんの韓国実習に同行したことはなかったのだが、話を逐一Oさんから聞いていて、Oさんの企画した旅がいかにタイヘンなものであるかを、よく知っていた。
さて、この旅の思い出話をしているうちに、こぶぎさんと私と私の妻のほかに、もう1人、外部の参加者がいたことを思い出した。
オカベさん、という謎のオジサンである。
私たちが博多港からフェリーで釜山に着くと、リュックサック一つ背負ったオジサンが待っていて、「やあ」と私たちに挨拶した。
どうやらOさんの知り合いらしかったが、Oさんはその人を、「オカベさんです」と紹介するだけで、オカベさんがどんな人なのか、自分とはどういう関係なのか、などを、まるで説明しない。
オカベさん自身も、自分のことをまったく語らない。
ただ私たちと一緒に旅行して、とりとめのない会話をするばかりである。さらに不思議なことに、唯一の知り合いであるはずのOさんとも、さほど会話をしていないのである。
実習の初日から最終日まで、ずーっと一緒だったのだが、結局、オカベさんが何者なのか、よくわからなかった。
そして最終日、私たちが福岡に渡るビートル(高速船)に乗るために釜山港に到着すると、「それじゃあ」と言って、オカベさんはどこかに去っていった。
オカベさんは、いったい何者だったのだろう?
帰国後、いつしか私たちのあいだでは、その人のことを「謎のオカベさん」と呼ぶようになった。
「話していて、久々に謎のオカベさんのことを思い出しましたよ」と私。
「提案なんだけどさあ」とこぶぎさん。「もし今後、2人のうちのどちらかが韓国に学生を連れていく機会があったとしたら、もう一方が『謎のオカベさん』みたいな感じで、突然現れて、なんの説明もなく一緒に旅をして、最終日の空港あたりで「じゃあ」と言って去っていく、てのはどう?」
「いいですねえ」
「学生たちは、『誰あのオジサン?』って不思議に思うだろうけど、一切説明をしないで一緒に旅をする、というわけだ」
「今度は我々のどちらかが『謎のオカベさん』になるんですね!」
「そう!」
これくらいのことだったら、近いうちに実現しそうな気がする。
そしてもし私が学生を引率して韓国に行く機会があったとしたら…、
Oさんに負けないくらいの、分厚い「旅のしおり」を作ってやろう。
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