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2012年6月

1枚の写真

6月28日(木)

一昨日の「キョスニムと呼ばないで!」の授業で使う写真を選ぼうと、韓国滞在中の写真を整理していたときに、久しぶりに見た1枚の写真。

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語学院の野外授業(遠足)の時に私が撮った写真である。私にとっては最後の野外授業だった。

写っているのはいずれも、中国人留学生である。前にいる男の子が、3級6班の時に一緒だったチ・ヂャオ君。まじめな顔をしながら冗談ばかり言っているやつだった。

その右隣が、チ・ヂャオ君のヨジャチング(ガールフレンド)。私と同じクラスになったことはないが、チ・ヂャオ君を通じて、私のことは知っていたらしい。めちゃくちゃかわいい女の子である!

後ろの左側にいるのがヤン・チャン君。同じ4級3班のチング(友人)である。おとなしい青年だが、私にはよく話しかけてくれた。

その右隣が、リ・チャン君。やはり4級3班のチングで、私によくなついていた。聡明な青年である。ちなみにこの男子3人は、同郷の幼なじみである。

みんな、いい笑顔をしている。

この笑顔が、写真を撮っている私に向けてのものであることに、あるとき気づいた。

彼らの無防備なこの笑顔は、心底から私を信頼してくれている証拠なのだ。そう思うと、この写真が、急に愛おしく思えてきたのである。

なんの変哲もない1枚の写真だが、私にとっては、かけがえのない写真である。

国籍も世代も関係ない。そのことを、彼らに教えられた。

いま、彼らはどうしているのだろう?

おーい!みんな元気かー?

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七夕にはまだ早い!

6月27日(水)

朝イチの授業が終わってから「陸の孤島」(仮住まいの建物)に戻ると、建物の玄関を入ったところに、笹が立てかけてある。その横には机が置いてあって、机の上には、短冊が積んであった。

(もうそんな季節か…)

2階にある仮住まいの研究室から、1階に降り、玄関を通るたびに、笹につるされている「願い事の書いてある短冊」が増えていく。

どうやら、この建物を使用している学生たちが、短冊に願い事を書いて次々と笹につるしているらしい。

それを見ていて、思い出したことがあった。

大学の同じ研究室の2年後輩であるT君のことである。妻にとっては、何年か上の先輩にあたっていたので、私も妻も、よく知っていた。とくに私は、彼と同じサークルで、学生時代の時間の多くをともに過ごしたこともあり、親しい後輩の一人だった。

今は首都圏にある私立大学で、教員をしている。

私は彼とはもう10年くらい会っていないのだが、折しも先日、妻が人づてに聞いたT君の近況を、電話で教えてくれた。

「知ってる?Tさん、いま勤務先の大学で、めちゃめちゃ人気あるらしいよ」

「ほう」

「授業は人気があるし、学生にも慕われているし、同僚の受けもよくていろんな仕事を頼まれたりして、とにかく引っぱりだこらしいよ」

それはそうだろう、と思う。あれだけ優秀で、しかも性格のいい人間を私は知らない。同じ研究室の出身者のうちで、職場の同僚になりたいと思える人間は、彼をおいて他にいないもの。

彼は優秀である反面、それを少しも鼻にかけることはない。というよりむしろ、内省的で、自虐的ですらある。私もそうとうマイナス思考の人間だが、彼のほうが私よりも、もっとマイナス思考なのである。彼とお酒を飲んでいると、「世の中には、かくもマイナス思考の人間がいるのか」と、少し安心するほどである。

といって、決してそれは深刻なものではなく、その「マイナス思考」を「笑い」にかえる天賦の才を持つ。彼の「自虐ネタ」に、何度笑わされたか知れない。仕事ができる上に、そういう性格だから、みんなが安心して彼を信頼するのは、当然のことである。

その彼について忘れられないエピソードが、私やT君が大学院生だった、ある夏のことである。ちょうど、いまの時期だった。

研究室に、誰が持ちこんだのか、笹が立てられていた。やはりその傍らには、白紙の短冊が置いてある。

学生や大学院生たちは、思い思いに短冊に願い事を書き、次々と笹につるしていく。

つるされた短冊を見るとはなしに見ていくうちに、やがてある短冊に目が止まり、そこに書かれた願い事をみて、爆笑してしまった。

T君の書いた短冊である。

ほかの人々は、T君の書いた短冊を、さして気にもとめていなかったようなのだが、私はなぜか、T君の書いた短冊の言葉が、可笑しくて可笑しくて仕方がなかったのである。

(T君らしいなあ…)ほんとうに、T君らしい願い事である。

さて、T君の書いた短冊を見て爆笑した人が、わが研究室にもう1人いた。

それが、いまの私の妻である。

ほかの人は、彼の書いた短冊の面白さにまったく気づかなかったのだが、私と、のちに私の妻になるその後輩だけが、その面白さに気づいていた。

それはともかく、その後も二人の間でT君の話題が出るたびに、そのときの短冊のことを思い出しては、思い出し笑いするのだった。

…そんなことをぼんやり考えていると、通りすがりの同僚が、なぜか私に短冊を渡した。

「下に置いてありましたよ。よかったら書いてみませんか?」

うーむ。どうしよう。

…そうだ!以前T君が短冊に書いた願い事を、私も拝借しよう。つまりネタをパクるのである。

しかし、これを短冊に書いて笹につるすのは、かなり恥ずかしい。

しかも玄関付近は人通りが多いし、ロビーに人が座っていたりするので、なかなか書くチャンスがない。

夕方、人がいなくなった頃を見はからって、1階の玄関に降り、笹の横に置いてある机で、短冊に願い事を書くことにした。

机に向かって書きはじめると、玄関から人が入ってくる音がした。

「あれ?短冊に願い事を書いているんですね?」ふりかえると、さっき私に短冊をくれた同僚である。

私はあわてて、書きかけの短冊をくしゃくしゃに丸めて、ポケットにしまった。

「い、いや、書こうと思ったんですけど、いざとなると、なかなかいい願い事が浮かびませんねえ」

「そうですよね。たしかに、いい大人がうっかりヘンな願い事なんて書いたら、恥ずかしくってオモテを歩けませんからねえ」

いや、その「ヘンな願い事」を、こっちはいま書こうとしていたんだがな。

「…やっぱり浮かびませんね。書くのはやめましょう」私は逃げるように玄関を出た。

あぶねっ!危うく見られるところだった。

それから、ちっともはかどらない仕事をすすめたり、途中でアルトサックスの練習にでかけたりしながら、夜になるのを待ち、人がいなくなった頃を見はからって、短冊を笹につるしに行った。

Photo これなら、誰にも気づかれないだろう。これなら。

…というか、夜中にいったい俺はなにをやっているのだ?陸の孤島で、とうとう壊れてしまったのか?

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「キョスニムと呼ばないで!」、授業になる!

6月26日(火)

陸の孤島生活2日目。陸の孤島の中でも、さらに孤島のような生活に、落ち込むばかりである。

そんなことより今日は、私にとって特別な日である。

ついに「キョスニムと呼ばないで!」が、授業になるのだ!

昨年の終わりだったか、上司からメールが来た。

「来年度、学生たちに海外留学や海外研修へのモチベーションを高めてもらうための授業を、オムニバス形式で行う。ついては、あなたに1コマ分担当してもらい、韓国での体験を学生たちに話したもらいたい」

私は、1つだけ条件をつけた。上司に対して条件をつけるとは、私もそうとう厄介な部下である。

「講義題は、『キョスニムと呼ばないで!』とさせてください」

「わかりました。ぜひそれで」と、上司の返事。たぶん「キョスニム」の意味は、おわかりにならなかっただろうが、上司は即答してくれたのだった。

引き受けてはみたものの、どのような講義にするか、しばらくの間、ずいぶん悩んだ。

悩んだあげく、「私が韓国滞在中に書いた日記を紹介しつつ、韓国での体験を話す」というスタイルにした。つまり、このブログで書いた内容を、そのまま紹介する、というスタイルである。

しかし韓国滞在中に書いた日記は、膨大な量である。とても90分では、紹介し尽くすことはできない。

そこで、私が韓国語の初級クラス(1級1班)のエピソードを中心に、1年間の韓国語の勉強の様子を紹介することにした。

しかしそれもまた、膨大な量である。厳選に厳選を重ね、いくつかのエピソードを選び、それらの日記をパワーポイントにレイアウトすることにした。文章だけではわかりにくいので、登場人物の顔写真や、いろいろな写真をまじえながら、パワーポイントを作成する。

気がつくと、スライドの枚数が、115枚になっていた。

ひゃ、115枚!!??われながら驚いた。

90分の授業では、1枚に1分もかけられないではないか!

しかし、どう頑張っても、これ以上は削りようがない。

仕方がない。これでいくしかない。

とりあげたエピソードは次の通り。

「これは何ですか?」(1級1班)

「リュ・ピン君の挑戦」(1級1班)

「学ばない人たち」(1級1班)

「中国人留学生たちの反乱?」(1級1班)

「誕生日の初舞台」(1級1班)

「インクを飲んだマ・クン君」(1級1班)

「アメとムチ」(1級1班)

「続・学ばない人たち」(1級1班)

「マ・クン君からの手紙」(1級1班)

「さよなら、1級1班!」(1級1班)

「変わりゆく彼ら」(4級3班)

「ペペロデー」(4級3班)

「さよなら、4級3班!」(4級3班)

「最後のあいさつ」

ほとんどが、1級1班の時のエピソードである。

うーむ。これだけでも、かなりの量である。

パワーポイントのレイアウトをずいぶん工夫して、試行錯誤しながら、なんとか仕上がった。

それと、もうひとつ頭を悩ませたのが、レポートの課題である。

この授業では、毎回授業担当者が、学生にレポートを課すことになっている。

ということは、この授業を受けている学生は、毎週レポートを書かなければならないのか。学生もタイヘンだなあ…。

レポートの課題は、授業の前日までに、秘書室にいる秘書の方に、メールで送ることになっていた。それを秘書の方が人数分印刷してくれて、授業開始前に、渡してくれることになっていたのである。

秘書室に電話をかけて聞いてみることにした。

「ほかの先生方は、どのような課題を出されているんでしょうか?」

「いろいろですよ。ご専門に関わる内容が多いと思います」

さあ困った。私が話す内容は、単なる体験談なのである。

といって、「あなたの異文化体験について書きなさい」とかなんとかでは、あまりにも芸がなさすぎる。第一、この授業を聞いているほとんどの学生は、海外に行った経験がないのである。

悩んだあげく、昨晩遅く、ある「テーマ」を思いつき、秘書室にメールで送った。

さて、今日。

時間ギリギリまで、パワーポイントの画面を手直しする。

なんとか終わり、まずは、秘書室に向かう。授業の終わりに学生たちに書いてもらう「感想カード」と、あらかじめ印刷しておいてもらった「レポートの課題」を取りに行くためである。

「こちらが感想カード、そしてこちらが、昨日お送りいただいたレポートの課題を、こちらで印刷したものです」

受け渡しながら、秘書さんが言った。

「このレポートの課題、とっても素敵です」

「…そうですか?」

「Y先生にもお見せしたんですが、とてもいいとおっしゃってました」

Y先生とは、上司のことである。

「そうですか…」

秘書室を出て、教室に向かう。受講生は160人あまりだという。

パワーポイントを使いながら、話しはじめる。スクリーンに映し出された自分の日記を読み上げながら、それに解説を加えていく。自分の書いた日記を音読するのは、なかなか恥ずかしいものである。

最初は少しざわついていた教室が、しだいに静かになっていく。

ふだんの私の授業では考えられないくらい、けっこう真剣に聞いてくれている。

ときどき、笑いがもれた。

あっという間の90分。強引に、115枚のスライドを終わらせた。

(これではまるで漫談だな…)

授業というよりは、漫談である。もっとも、いちど、90分間漫談のような授業をしてみたい、というのが夢だったから、夢が叶ったことになる。

漫談で終わってしまっては申し訳ないので、最後に、次のようなことをつけ加えた。

「講義題にある『キョスニム』とは、韓国語で「教授様」の意味です。私はまわりの人から「キョスニム」と言われていました。

しかし、韓国留学中は、一人の学ぶ人間として、他の学生とまったく同じように勉強したい、と思っていました。だから語学の授業では、先生からも学生からも「キョスニム」と呼んでほしくはなかったのです。

韓国で韓国語を学んで行くにつれ、学ぶことに、年齢はまったく関係ないことに気づきました。要は、「その気になるか、ならないか」の問題だったのです。

韓国語の表現に、「마음만 먹으면(マウム マン モグミョン)」というのがあります。直訳すると「心さえ食べてしまえば」 。日本語でいうところの「その気になれば」という意味です。私は物事を決断するとき、いつもこの言葉が頭に浮かびます。その気になれば、たいていのことは、実現するのです」

後半部分は、先日のこの日記にも書いたことである。さらに続けた。

「真の国際社会とは、どのような社会でしょうか?それは、肌の色、国籍、性別、国の政治的事情などに関係なく、すべての人が、一人の自立した人間として、尊重される社会のことです。

国籍に関係なく、一人の自立した人間として自らを高め、お互いを一人の自立した人間として認め合う姿勢を身につけることが、海外で学ぶことの意味だと、私は思います」

まあ、何ともエラそうなものの言い方だが、ほぼ全編が漫談だっただけに、これくらいのことを言っておかないと、体裁がととのわない。

授業が終わり、部屋に戻ってみんなが書いてくれた感想を読んでみた。

どれも好意的な内容ばかりである。成績にかかわるから、当然といえば当然である。

私にとってのほめ言葉は、「コメディやドキュメンタリーやドラマをみているような気がして、とてもおもしろかったです」「ドラマチックで感動した」「猟奇的な先生に会いたいです」「1級1班の中国人留学生たちとの日々がおもしろかったです」など。

そりゃあそうだ。1級1班のエピソードは、テッパンだもの。

なにより、彼らが、1級1班の学生たちや「猟奇的な先生」に親しみを持ってくれたことが嬉しい。自分の体験したことを、学生たちが追体験するのは、不思議な感じである。

「留学中の先生はとても生き生きしているように見えました」という感想も、何人かいた。

そうだ…。あの頃は、ほんとうに生き生きとしていたのだ。それにくらべたら、今はもう…。

ひとり、「『マ・クン君からの手紙』が印象的でした」と書いてくれた学生がいて、ああ、私の話を真剣に聞いてくれたんだなあ、とも思った。

ともあれ、授業でこんな幸福な体験ができたのは、最初で最後だろう。

そうそう、レポートの課題のことを書くのを忘れていた。

さてさて、あなたなら、どう書くかな?

レポートの課題:「記憶に残る、一枚の写真」

あなたの記憶に残る、一枚の写真の思い出を書いてください。

その一枚の写真が、自分の人生にとってどのような意味を持つものなのか、その一枚の写真を見るたびに、どんなことを思うのか、その一枚の写真が、その後の自分の人生にどのような影響を与えたのか、などを、日本語の表現力を駆使して、書いてください。

日本語を母語とする学生は、日本語以外の言語を母語とする読者を念頭に置いてください。日本語以外を母語とする留学生は、日本語を母語とする読者を念頭に置いてください。

これは、私が韓国滞在中に通っていた大学の語学院で、実際に出された韓国語作文の課題です。

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仮住まい初日

6月25日(月)

仕事部屋の仮住まい初日。

気分が変わったせいか、もといた部屋よりも、はるかに仕事がはかどりそうな感じである。

ただ、一つ問題がある。

それは、印刷室が遠い、ということである。

これまでいたA棟から、大通りをはさんだB棟に、仕事部屋が移ったわけだが、印刷室は、もとのA棟の2階のままである。

仕事に必要な資料をコピーしたり印刷したりするためには、仮住まいのB棟を出て、大通りを渡ってA棟まで行かなければならない。

これがけっこう面倒くさい。

本日、夜10時。

週末の仕事に必要な、配布資料と文献をコピーしようと、B棟にある仮研究室を出て、A棟に向かう。

夜8時を過ぎると、A棟にせよB棟にせよ、建物に入るためには、カードキーが必要になる。

ややこしいことに、A棟に入るためのカードキーと、B棟にはいるためのカードキーが、別々である。つまり、カードキーを2枚持って歩かなければならない。

コピーすべき文献と配布レジュメの原稿を持って、A棟に向かう。A棟の玄関で、カードキーをかざすと、A棟の自動ドアが開き、中に入ることができる。

2階に上がり、印刷室に向かう。

印刷室でもまた、カードキーをかざさなければ、入ることはできない。

ようやく印刷室に入り、コピー機の前に立つ。

あれ???コピーカードを忘れてきた!

A棟を出て、大通りを渡って、仮研究室のあるB棟に向かう。

B棟の玄関で、B棟用のカードキーをかざして、B棟に入る。

仮研究室の鍵を開けて中に入り、コピーカードを取り、再びA棟に向かう。もちろん、大通りをトボトボと歩くのである。

A棟の玄関でカードキーをかざし、中に入る。2階に上がり、印刷室の前でカードキーをかざし、印刷室に入る。

ふたたびコピー機の前に立つ。

あれ?コピーすべき文献を、1冊、忘れてきた!

ふたたびA棟を出て、大通りを渡り、B棟に向かう。

B棟の玄関でカードキーをかざして、中に入り、研究室の鍵を開けて、机の上に置いてあった文献を取り、みたびA棟に向かう。大通りをトボトボと渡る。

A棟の前でカードキーをかざして、中に入り、印刷室の前でカードキーをかざし、印刷室にはいる。

みたびコピー機の前に立つ。

文献をコピーしたあと、こんどは配布する予定のレジュメをコピーしようと思い、レジュメの原稿をよくよく見ると…

(あれ?誤字がある…)

誤字があっては、コピーができない。

みたびB棟に戻り、誤字を直したものをプリントアウトしてA棟の印刷室に持ってきて、コピーしようと思ったが…。

ここで一気に心がボッキリと折れる。

…もういいや、明日にしよう。

気がつくと、ヒンヤリした気候にもかかわらず、なぜか汗だくである。

無駄に3往復するとは、私は印刷室に呪われているのかそうなのか?

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暇つぶしの人生

6月24日(日)

週末、久しぶりに東京に戻ったついでに、実家に立ち寄ることにした。帰りの新幹線までの、わずかな時間である。

実家に立ち寄る目的は、高校生のときに買った、アルトサックス奏者・MALTAのバンドスコア集を探し出して、勤務地に持って帰ることである。たしか実家に置きっぱなしになっていたはずだから、それを探し出して、勤務地に持って帰ろうと思ったのである。

85821 80年代後半、フュージョンが全盛期だったころ、フュージョンのバンドスコア集がけっこう発行されていた。当時人気だったMALTAの楽曲も、アルバムが発売されるたびに、スコア集が出版されたのである。私はいつか、バンドを組んで演奏することを夢見て、そのときのためにスコア集を何冊か買い、その譜面を見ながら、アルトサックスによるメロディ部分を、よく練習していたのであった。

結局、バンドを組んでMALTAの楽曲を演奏するという夢は、今に至るまで実現していない。フュージョンブームも、90年代以降になると急速に衰退し、バンドスコア集も、ほとんど見かけなくなってしまった。

だから私が高校時代に買った、MALTAのバンドスコア集は、とても貴重なのである。

最近アルトサックスの練習を再開した私は、そのバンドスコア集のことを思い出し、実家に取りに行こう、と思ったわけである。

バンドスコア集は、実家の物置に、まだ捨てずに置いてあった。最近は、モノを捨てられない自分に自己嫌悪しか感じていなかったが、こればかりは、捨てずにとっておいてよかった、と思った。

これで目的を達した、と思い、帰ろうとしたが、そういえば、さっきから父の姿が見えない。

「あれ、父さん、どこに行ったの?」母に聞くと、

「もうじき帰ってくると思うわよ。いま、自転車で出かけてるから」という。

しばらく待っていると、父が帰ってきた。

「どこに行ってたの?」

「うん、ちょっとね。自転車でA市まで行ってきた」

「A市!??」

A市とは、私の実家から、車で1時間近くはかかるところである。

「何しに行ったの?」A市は、とくに見るべきところのない、地味な町なのだ。

「最近は、毎日3時間くらい自転車に乗っているんだ。そうすると、A市なんかすぐに着いちゃう」

70歳をすぎた父は、毎日、目的もなく3時間も自転車に乗り続けているらしい。しかも昨年、かなり大きな手術をしたにもかかわらず、である。

サイクリング、というと聞こえはよいが、サイクリング用の自転車ではない。20年以上前に買った、ボロボロのママチャリである。それに、ポロシャツにスラックス、という「普通のいでたち」である。つまりどこかに買い物に行くような感覚で、3時間も自転車に乗り続けているのだ。

暇をもてあますことにかけては人後に落ちない父だが、暇つぶしもここまでくると、尊敬に値する。

呆れて何も言えないが、ふと考えた。

私が最近、意味なくアルトサックスの練習を始めたのも、父が毎日意味なく自転車に乗っていることと、まったく同じ行為ではないだろうか。

私もいつかは父のように、延々と意味のないことに時間を費やすような人生をおくるのかも知れない。でもそれも、意外と悪くない。

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脱出と脱力

6月22日(金)

本日、いよいよ研究室移転が完了した!

思えば、3ヵ月にわたる長い戦いだった。

やはり私は、映画「日本沈没」の「田所博士」ように、最後まであの建物に残ったのだった。

最後は、一人でパソコンを運び、ネットワークに接続して、ようやく終了。

すでに先週、ダンボール箱にして120箱の本を、少しずつあけて、本棚に並べていった。仮移転先とはいえ、ダンボール箱に入れっぱなしでは、仕事にならないからである。

「ようやくおわりました」移転業務担当のK係長に報告した。

「長い間、お疲れさまでした」

「ところで、耐震補強工事が終わるのはいつです?いつ、戻れるんです?」私はK係長に聞いた。

「今年の11月です」

えええぇぇぇぇっ!!!じゅ、11月!?そんなにはやく終わっちゃうの?

せっかくだから、もう少し長くいたいなあ。

…ということは、もし、戻る準備にも3ヵ月かかるとすると…

8月にはまた戻る準備を始めなきゃいけないってことか???

…脱力…。

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今日は夏至だった

6月21日(木)

夕方、いつものように「丘の上の作業場」に行く。

「社会人チーム」の井戸端会議は、いつになく明るい。

話題はといえば、「テレビのない生活」。作業をしていた「社会人チーム」6名のうち、4名が、昨年の地デジ完全移行化以降、テレビを全然見ていないのだ。もちろん、その4人の中には私も含まれている。

「テレビを見ないと、こんなに時間が有効に使えるのか、と思いますよ」とMさん。私も同感である。

「テレビがないと、情報はどうするんですか?」とIさん。

「ラジオがあるじゃないですか」

それから話題は、「もしオリンピック競技をラジオで聞くとしたら、どの競技がわかりにくいか」:へと移る。

「スキーのジャンプでしょう」と世話人代表のKさん。「だって、『いま、前傾姿勢です!』なんて、ラジオで実況されてもねえ」

一同、爆笑した。たしかにそうである。

今日はいつになく、みんなのトークがおもしろい。私も調子に乗っていろいろと話す。

それぞれの持ち場で、ストレスがたまっているのだなあ、と想像した。

だって、私がそうなのだから。

「今日は夏至ですよ」とMさん。

「そういえば、日が長いですよねえ」

「でも、明日からは日が短くなるばっかりです。そうしたら、あっという間に1年なんか終わりますよ」

「そう考えると、なんか、寂しいですねえ」

丘の上から見る夕焼けが、驚くほどきれいだった。

行き交う学生たちが、立ち止まって夕焼けを写真におさめていた。

(私もデジカメを持ってくればよかったな…)

120621_1915010001 携帯電話のカメラで、写真を撮ることにした。

「そろそろ作業を終えましょう」気がつくと、いつもの終了時間をとっくに過ぎていた。

「夏至ですからね。まだ明るいと思って、つい時間を忘れてしまいましたね」

夏至を肌で感じた1日だった。

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丹波総理待望論!

6月20日(水)

昨晩、久しぶりに映画『日本沈没』(森谷司郎監督、1973年)を見る。

田所博士(小林桂樹)を目当てに見はじめたのだが、途中で、総理大臣役の丹波哲郎の演技に釘付けになる。

非常事態が起こってからの、丹波総理の対応が、じつにすばらしい。もちろん、役の上でのことである(総理の役名も「山本総理」なのだが、ここでは「丹波総理」としておく)。

これこそ、学ぶべきリーダーシップではないか!

とくに印象的なのは、丹波総理が、政界のフィクサー(黒幕)である老人(島田正吾)と、日本沈没の可能性について話しあう場面である。

老人は、日本が沈没した場合の、政府がとるべき対応の選択肢を、いくつか提示する。

その一つが、「何もしない方がいい」というものであった。日本に住む人びとは、沈みゆく日本列島と運命をともにすべきである、という意見である。

この選択肢を老人が提示したときの、丹波総理の表情がすばらしい。

自分は一国のリーダーとして、なすすべがないのか、という、無念の表情である。

20060925 老人が語るにつれ、丹波総理の目には涙があふれてくる。

日本映画史に残る屈指の名場面である。

絶望の底から、こんどは丹波総理が老人に語りかける。

自らが世界の国々を説得して、一人でも多くの日本人を受け入れてもらうようにしたい、と。

世界中の人々を説得すれば、日本人を必ず受け入れてくれるだろう、と、丹波総理は考えたのである。そこから、空前の脱出計画がはじまる。

このとき、丹波総理は次のようなことを老人に言う。

「爬虫類の血は冷たかったが、人間の血は暖かい。これを信ずる以外ない」と。

03241636_4f6d7985229b4 この言葉を私が最初に目にしたのは、高校生の時である。高校の時に買った、劇団スーパーエキセントリックシアターのギャグアルバム「ニッポノミクス」の帯に、この言葉が書かれていたのである。

私はてっきり、この言葉は劇団スーパーエキセントリックシアターの「持ちギャグ」か何かだと思っていたのだが、後年、映画「日本沈没」を見て、このセリフからとられたものであることを知った。

ということは…。

この言葉は、脚本家の橋本忍が生み出した言葉だ、ということである。

「爬虫類の血は冷たかったが、人間の血は暖かい」

高校生のころから、何度となく思い出していたこの言葉は、橋本忍によるものだったのだ。

橋本忍の生み出す言葉。それを、映画史に残る印象的な「語り」として高めていく丹波哲郎。

思い出したぞ。

映画「砂の器」(野村芳太郎監督、1974年)も、橋本忍の脚本を、刑事役の丹波哲郎が映画史に残る「語り」にまで高めたのであった。

「言葉」と「語り」の幸福な出会い、というべきだろう。

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気分は田所博士

気分は寅次郎

気分は金田一探偵

6月18日(月)

耐震補強工事による研究室の移転について、最初にこの日記に書いたのが3月28日(水)のことだから、かれこれ2ヵ月半以上もたつ。

いまだ、移転は完了しておりません!

どうなっているんだ、まったく!

私の研究室がある建物は、3階と4階に、同僚の研究室が並んでいる。

工事にともない、同僚たちは、バラバラの場所へ移転することになっている。

まわりの同僚たちは、すでにほとんどが移転先へと移り、残っているのは、数名となってしまった。

私のいる4階は、私を含めて3名が残っている。3階も、おそらく残っているのは3名ほどだろう。

なぜ、まだ移転できないのか?

それは、移転先のネットワーク環境がまだ整っておらず、移転しようにもできないのだ。

決して、それを理由にサボっていたわけではない。私のこれまでの動きをまとめておく。

6月12日(火)、13日(水)…本をつめたダンボール箱約120箱を、学生に手伝ってもらって移転先の部屋に運ぶ。学生たちの底力に感動した。

6月15日(金)…本箱を、業者の手で移転先の部屋に運ぶ。

かくして、主要なものはすべて運び終わり、あとは、ネットワーク環境の整備を待つだけである。

思い出したことがある。

むかし、小松左京という作家が、『日本沈没』という小説を書いた。刊行は1973年である。この小説には、日本列島が沈没するという荒唐無稽な設定の中で、日本に住む人びとが、世界各地に避難する様子が描かれている。空想科学小説だが、昨年の震災や原発事故を経験した私たちにとっては、決して荒唐無稽ばかりとはいえない、重要な意味を持つ小説となった。

この小説は、同じ1973年に森谷司郎監督によって映画化され、さらに翌年、TBSでも連続ドラマが制作された。連続ドラマが制作されたのは、私が小学校にあがる1年前のことだった。

私は子どものころ、このドラマが大好きだった。

移転先が決まり、日本列島沈没を目前に次々と海外へ脱出する日本人たち。

だが、最後まで残った人たちがいた。

A576749e9ca6f227674ab2385ee56c2b80e 主人公の小野寺(村野武範)、玲子(由美かおる)、そして田所博士(小林桂樹)である。

すでにほとんどの同僚の移転先がととのい、避難が完了している中で、私はさながら、取り残された彼らのごとくである。

私はこの3人の中では、田所博士(小林桂樹)である。

田所博士は、日本沈没を予知した科学者だが、異端の学者で、権威にはことごとく抵抗していた。まわりからは、偏屈な学者として煙たがられていた。

今の私はまさに、偏屈なところも、置かれている状況も、田所博士そのものである、と、苦笑せざるを得ない。

よーし。こうなったら田所博士みたいに、最後の最後まで脱出せずに残ってやるぞ!

ところで田所博士を演じた小林桂樹は、黒澤明監督の「椿三十郎」(1962年)や、岡本喜八監督の「江分利満氏の優雅な生活」(1963年)などで見せた飄々とした演技も絶品だが、映画版「日本沈没」、テレビ版「日本沈没」で見せた偏屈で頑固な役柄もまた絶品である。その両方ができる、稀有な役者だった。

さらに言うと、映画「男はつらいよ 葛飾立志篇」(1975年)では、小林桂樹が偏屈な考古学者「田所博士」として登場する。これはもちろん、映画「日本沈没」のパロディである。

以上、まったくワカラナイ話でございました。

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まつりのあとに

6月17日(日)

昨日の日記ではエラそうなことを書いてしまったが、実のところ昨日のイベントは、講師として招いたMさんと、世話人代表のKさんとの間の強い盟友関係により実現したものであり、私はただ、その下働きをしたにすぎない。

今日は朝から、Mさんを「丘の上の作業場」や、そこから50㎞離れた「前の職場」をご案内し、日ごろの私たちの活動を見ていただくことにした。

「丘の上の作業場」のYさんや、「前の職場」のKさんの解説を聞きながら、「丘の上の作業場」や「前の職場」で行われている作業の丁寧さ、そしてその各持ち場をまとめあげるリーダーの存在感、さらにはそこで活動する学生の層の厚さ、などを実感する。また、それらを見つめる、Mさんのまなざしの強さにも、圧倒された。

あらためて自分は、何もわかっていない存在であることを、痛感する。

自分にできることは、何だろう?ひょっとして、何もできないままに、終わってしまいそうな気がする。

午後4時半すぎ、「前の職場」でのイベントが終わり、車で家にもどる道中で考えたことである。

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駆けつけてくれた50人

6月16日(土)

朝から、二日酔いである。

というのも、前日、昨年3月に卒業したSさん同じく昨年3月に卒業し、いまは隣県で就職しているKさん、さらに4年生のN君と4人で、夜12時まで飲んだからである。久々の深酒だった。

集合時間ギリギリに、職場に向かう。

会場準備をしたり、講師のMさんをお迎えしたりしているうちに、午後1時、会が始まった。この会の後半部分、すなわち、午後2時半からのMさんの講演会が、私の担当である。

講演が始まる午後2時半近くになって、ポツリポツリ、と、お客さんがやってきた。そのほとんどが、ふだん一緒にクリーニング作業をやっている仲間たちである。

「娘、連れてきました」

同い年の盟友・Uさんは、小学校5年の娘さんを連れて聴きに来てくれた。

「100名が入る教室って聞いたから、一人でも客が多いほうがいいかなって思って、とりあえず娘に協力を仰ぎました」

月曜日、職場でのクリーニング作業でUさんと会ったとき、「100名入る教室で、人が全然来なかったらどうしよう」と、私は弱音を吐いたのだった。Uさんはそれを聞いて、一人でも客を増やしてやろうと、娘さんを連れてきてくれたのだった。

「ありがとうございます」私はUさんの友情に心から感謝した。

「でも、2時間半でしょう。娘はそこまでもたないかも知れませんよ」

「いえ、来てくれただけで、もう十分です」

Uさんがここまで、この講演会について考えてくれていたことがわかっただけで、もう十分であった。

昨日一緒に飲んだ、卒業生のSさんとKさんも来てくれた。

「この日は、同じ時間に公務員講座があって、出席できないです」と言っていた3年生たちも、講座が終わってから、会場に駆けつけてくれた。

100名入る会場は、ほぼお客さんでうまった。

2時間半におよぶMさんの講演は、思った通り、すばらしいものだった。

少なくとも私は、聞いていて何度も心を揺さぶられた。いろいろな思いがあふれてきて、何度も泣きそうになったが、私はそのあとの司会進行もしなければならなかったので、必死にこらえた。

たぶんあの場にいた多くの人たちも、Mさんの講演に心を揺さぶられたと思う。

「すごいですねえ。聴きに来ていた学生たちが、みんな、熱心に耳を傾けているんですよ。後ろのほうに座っていたんで、その様子がよくわかりました」と、作業仲間のSさんが、あとで私に教えてくれた。

「聴きに来てよかったです。同じ自治体職員として、いろいろなことを考えさせられました」隣県の自治体に勤める卒業生のKさんが、帰り際に、そう言ってくれた。

「この人の話を聞かずして、いったい誰の話を聞くというのか?」という思いは、来てくれた人たちにも伝わったのだと、安堵した。

それに、小学校5年のUさんの娘さんも、当初の予想に反して、最後まで講演を聴いてくれた。彼女の心に、今日のことが何か残ったとすれば、それだけで大成功である。

イベント終了後、夜12時まで、仲間たちと飲んだ。2日連続の、深酒である。

家にもどり、今日来てくれた人の名簿を見返してみた。

今日の参加者は約60名。うち、義務的に参加した同僚を除くと、約50名である。

名前をみると、ほとんど全員の顔が浮かんだ。来てくれた学生のほとんどは私の授業に出ていて、おそらく私がしつこく宣伝したから来てくれたのだろう。そしてあとは、ふだん一緒に活動している仲間たちである。

駆けつけてくれた50人。

これからは、この50人のために頑張ろう、と誓った。

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イベント前日

6月15日(金)

多少、感傷的な話になる。

吉本隆明の『他人は自分が思っているほど、自分のことを思っていない』って言葉、身にしみてわかりますよ」たびたびこの日記にも登場する、世話人代表のKさん。「僕の気持ちがわかったでしょう?」

「ええ、よく分かりました」私も最近、この言葉を噛みしめているのだ。

明日、職場のイベントにお呼びするMさんとは、実はお会いしたことがない。

2カ月ほど前、電話で講演依頼をしたのが初めてだが、初めてお話をするとは思えないくらい、まるで昔からの友人のような、気さくな人であった。

Mさんは昨年3月の震災以降、地元の文化を守る活動を続けてきた。それはおそらく、Mさんの強靱な人間性に裏打ちされた活動だったのだと思う。「いちど、Mさんをこちらにお呼びして、お話を聞きたいですね」とは、Mさんの人間性に惚れ込んだ世話人代表のKさんの言葉である。

ふだん、人の悪口ばかり言っているKさんがほめるのだから、そうとうである。

私に課せられた仕事は、Mさんをお呼びするイベントを成功させることである。

そのためには、自分がやれるだけのことをしよう、と考えた。今日の午後は、そのための準備にあけくれた。

職場の中で一人で準備をしていても、だれ一人、こちらのやっていることに関心を示さない。とくに肩書きの立派な人ほど、そうである。職員さんが、困った私を見かねて手伝ってくれるのが、骨身にしみてありがたい。

周囲のビックリするくらいの無関心さは、いまさら驚くには値しないが、周囲には、私という存在が見えていないのではないか、と、ときおり思うことがある。

お昼にMさんから電話があった。

「明日、楽しみにしています」

「こちらこそ、楽しみにお待ちしています」

明日は、Mさんが喜んでくれるような1日にしよう。

だから、イベントに何人集まろうが、そんなことは、どうでもいい。

昨年12月に「眼福の先生」をお呼びしたときも、そうだった。

自分が本当に信頼する人をお呼びして、お話を聞く。

その人の話を聞かずして、誰の話を聞く、というのか。

私は、自分が信頼する人のためにしか、動かない。

今までだって、そうだったじゃないか。

明日も、同じだ。

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ああ!恥ずかしの練習スタジオ

6月14日(木)

通常の仕事に加え、研究室移転作業、土曜日のイベントの準備など、忙しくて死にそうである。

妻に言わせれば「自業自得」だという。ま、そのとおりである。

そんな中でも、少しでも時間があれば、アルトサックスの練習をしたい。

今日も、夜8時過ぎに「丘の上の作業場」での作業が終わったあと、1時間ほど、練習スタジオでアルトサックスの個人練習をすることにした。

電話で予約し、練習スタジオに向かう。

「またこのオッサンかよ…」と、受付カウンターの「ロックンロール青年」も、呆れ顔である。

カウンターで必要事項を書いていると、後ろから、「先生!」と呼ぶ声がする。

ふり返ると、うちの職場の学生たちである。私を呼んだのは、見慣れない女子学生だった。

「M先生ですよね!」

「そうです」

「どうしたんですか?こんなところで…。あ!サックスの練習ですね」

何で知ってるんだ?

「Kちゃんに聞きましたよ」

Kちゃんというのは、音楽愛好会というサークルに所属する3年生のAさんのことである。実は私は、音楽愛好会の顧問でもあるのだ。

Aさんは私の指導学生で、私がアルトサックスの練習場所を探していると相談したときに、この練習スタジオを紹介してくれた学生である。その女子学生は、Aさんを介してそのことを聞いていたのだろう。

「みなさん、音愛(音楽愛好会)なの?」

「そうです」

どうやらこの4人は、バンド練習が終わって、これから帰るところらしい。

「あなた、楽器は?」私は声をかけてきた女子学生に聞いた。

「私はボーカルです」

そしてその横には、2年生のSさんもいた。私の指導学生である。

「Sさんも音愛だったの?」

「はい」

「ちっとも知らなかった。で、楽器は?」

「私はベースです」

Sさんは、私がここにいるのを見て、ビックリした顔をした。だって、さっきまで私の授業を受けていたんだから。まさか私がアルトサックスを練習しているなどとは、思ってもみなかったのだろう。その様子を見て、ボーカルの女子学生がSさんに言う。

「知らないの?M先生は、今年度からうちの顧問になったのよ」

「そうなんですか?」

顧問の知名度なんて、そんなものである。

ボーカルの女子学生が私に聞いた。

「先生、10月の学園祭に出ることになったんですか?」これも、Aさんから聞いたらしい。

「え?う、うん、…まあ…、そんなことになりそうなんだ…」

「そうですか。がんばってください」

そういって、4人の若者たちは出ていった。

さて、この一部始終を聞いていたのは、受付にいた「ロックンロール青年」である。

彼らと別れて、受付のほうをふり返ると、彼は「半笑い」していた。

いままで私は素性を隠していたが、いまのこのやりとりで、私がこの近くの職場で教員をしていて、バンドサークルの顧問で、学園祭に出たいものだから、一人で必死に個人練習をしていた、という事情が、すべて、知られてしまったのである!

ああ!何という恥ずかしさ!

そして、学生に見つかってしまったことも、恥ずかしい。

あいつらきっと、「あの先生、なに必死で楽器なんか練習してんの?本気で学園祭に出るつもりかね。キモ~イ」とウワサしているに違いない。

う~む。これから、どんな顔をして練習スタジオに行ったらよいものか。「ロックンロール青年」とは、顔なじみになれるのか?

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坂田明だった!

表題は、若いころに読んだ、原田宗典のエッセイ集『十七歳だった!』のパロディだが、たぶん誰もわからないだろうなあ。

最近、世話人代表のKさんの登場頻度が異常に高くて、書いてるこっちもしゃくにさわるのだが、週に2回ほど顔を合わせているのだから、仕方がない。

先々週の金曜日、R市に行ったときのことである

世話人代表のKさんの運転する車の中でかかっていた音楽が、妙に印象に残った。

映画「ひまわり」のテーマ曲とか、「見上げてごらん夜の星を」とか、「遠くへ行きたい」とかといった印象的なメロディを、アルトサックスが奏でているCDである。

私が最近アルトサックスをはじめたことを知ったKさんが、私をからかうつもりでかけているのかな、と、そのときは思い、ここでうっかり触れてしまうと、Kさんの思うつぼになってしまう気がして、何も聞かなかった。

しかし、その後も、あのアルトサックスの奏でる音楽がどうしても気になって仕方がない。

先週の木曜日、丘の上の作業場での作業が終わったあと、kさんと卒業生のT君と3人で「ガスト会議」をしたとき、思い切って聞いてみた。

「あのう、聞こうか聞くまいか迷っていたんですが」

「何です?」

「R市に行く道中で、アルトサックスのCDをかけていたでしょう。『ひまわり』とか、『遠くへ行きたい』とか」

「ええ」

「あのCDは、いったい何です?」

「ああ、あれですか?あれは坂田明です」

「坂田明ですか?!!あの坂田明?」

「そうです。ミジンコを研究している」

私は驚いた。あの、哀愁ただよう、魂のこもったアルトサックスのメロディが、坂田明によるものだったとは!

私が驚いたのも無理はない。坂田明といえば、フリージャズ専門のアルトサックス奏者である。一時期、タモリと一緒にテレビに出たりして(というか、坂田明は、ハナモゲラ語をあやつり、タモリを見出した人物である)、見た目は、何というか、いいかげんそうなオッサンである。

私は学生時代、いちど、新宿のライブハウスに坂田明のライブを聞きに行ったことがある。フリージャズ奏者なので、とにかくメチャクチャを吹きまくるのが持ち味だった。

だから、坂田明が、メロディを「ちゃんと」演奏していることに、驚いたのである。

「意外ですねえ。坂田明がちゃんとした曲を吹くなんて」

「でしょう」

「とくに最初の『ひまわり』はよかった」

「アルバムのタイトルも『ひまわり』ですよ。チェルノブイリやイラクでは、白血病の子供が今もたくさんいるんですが、このCDの売り上げは、子供たちのための医薬品や医療機器を購入することにあてられるそうです」

その話もまた意外だった。どこからどう見ても、いいかげんなオッサンにしか見えない坂田明とは、まったく結びつかないイメージである。およそ、そんな「運動」とは無縁のオッサンのように思えたのである。

「だから親しみやすいメロディの曲を集めたんですね」

「そうです」

映画「ひまわり」のテーマ曲もよかったが、もう一曲、とても印象に残った曲があった。

「あれは、『死んだ男の残したものは』という曲ですよ」とKさん。「谷川俊太郎の詩に、現代音楽の武満徹が曲を付けたものです」

恥ずかしながらはじめて聞いたが、とても印象的な曲だった。武満徹って、本当にすごい作曲家なんだなあと、あらためて思った。

坂田明の話でひとしきりKさんと盛り上がるが、横で聞いていた20代のT君は、ポカーンとしていた。

坂田明って、いま、どのくらいの知名度なんだろう?

51wtr0fz6tl__ss500_ それはともかく、私はKさんのおかげで坂田明のことを久々に思い出し、さっそくアルバム『ひまわり』を買ってみた。

CDのジャケットを見ると、“がんばらない”レーベルとある。それがまた粋である。

あらためてじっくり聞くが、どれもすばらしい。

学生のころ聞いたフリージャズのイメージとは、まったく違う。だが、音色はまったく同じだった。

以下、収録曲をあげる。

1 ひまわり

2 見上げてごらん夜の星を

3 ウェディング・マーチ

4 遠くへ行きたい

5 死んだ男の残したものは

6 早春賦

7 水母

8 G線上のアリア

CDのライナーノーツを見ると、このCDを企画したのは、長野県の医師の鎌田實さんである。鎌田さんが文章を寄せていて、「インターネットで宣伝して欲しい」と書いてあったので、宣伝することにした。

こういうCDに出会うと、アルトサックスが好きでよかったなあ、と、ちょっと誇らしく思う。

学生時代、アルトサックス奏者のライブに行くのが好きだった。

渡辺貞夫、MALTA、坂田明、スクエアの伊東たけし、本多俊之…。

どの奏者も、個性が全然違う。でもいずれも好きだった。

あらためて気づく。

私は音楽よりも、アルトサックスを奏でる人間の個性が好きだったのではないだろうか、と。

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キョスニムの休日

6月10日(日)

休日だが、職場に行ってたまっている仕事を片づけようかな、と、午前中、職場に行く。

たいしてやる気も起きず、お昼前になった。

(せっかく楽器を持ってきたから、練習でもするかな)。

職場の近くにある音楽練習スタジオに電話をする。

「12時から1時間、個人練習室、空いてますか?」「空いてますよ」

楽器を持って歩いていく。

12時から1時間、誰もいない部屋で、一人でアルトサックスを吹く。

だれ一人聴いていない閉ざされた空間で、アルトサックスを吹く、というのも、少しむなしい。「誰もいない荒野に向かってトラメガ(トランジスタメガホン)で叫ぶ」のと同じくらい、むなしい。

1時間がたち、練習室を出た。

楽器を持ってふたたび職場に向かって歩いてゆく。

途中、体育館の前を通ると、にぎやかな歓声が聞こえる。

何だろう、と思って中をのぞいてみると、「先生!」と呼ぶ声がする。

声のする方を見ると、この3月に卒業した、指導学生のKさんである。

「先生、どうしたんですか?」

「うん、ちょっとね」

「あ、楽器の練習の帰りですね」Kさんもブログを読んでいるのか?

「中で何をやっているの?」

「競技ダンス大会です。近隣の県の大学からも集まっているんです。よかったら、見ていってください」

「Kさんはどうしてここに?」

「私、OGなんで、受付をしているんです」

「え?Kさん、ダンス部だったの?」

「そうです」

知らなかった。

ということで、20分ほど、ボーッと見ることになった。

男女のペアが何組も出ていて、体育館の中を所狭しと踊っている。

映画「Shall we ダンス?」で見たことのある光景だ。あと、テレビ番組の企画でも、以前よくやっていたよなあ。

みんな、男子は背が高くて、痩せぎすだなあ。どのペアも、女子より男子の方が背が高い。で、衣装がみんなキマってる。

私は、まずダメだな。背は高くないし、体型が、ね。それに、無類の汗っかきなので、ちょっと踊っただけで大汗をかいてしまい、キモチワルがられるに決まっている。

いつも不思議に思うのだが、これだけたくさんの出場者がいて、審査員は、どうやって審査しているのだろう。

あと、ギャラリーがみんな、ものすごい大きな声で何かを叫んでいる。

20分ほど見て、帰りがけにKさんに聞いてみた。

「みんな、何を叫んでるの?」

「出演者の名前です。名前を叫んで、応援しているんです」

なるほど、大声で応援する、というのがマナーなのか。

体育館を出た。

(お腹がすいたなあ)

家に帰ればごはんが炊いてあるのだが、帰るのも面倒だしなあ。

ということで、近くのコンビニで小さな弁当を買うことにした。

弁当を買って、コンビニを出た。

このときの様子を、偶然車で通りかかった同僚が見ていた。

翌日、同僚が言う。

「昨日のお昼、コンビニで弁当を買ってたでしょう」

「え?」

「ひどく疲れていた様子でしたよ」

なんと!私が野面(のづら)で歩いているところを、しっかりと見られてしまった。完全に油断しているときの顔を、である。野面で歩いているところを見られることほど恥ずかしいものはない。消え入りたくなった。

職場に戻り、弁当を食べるが、これがしょっぱくて美味しくなかった。買わなきゃよかった、と後悔した。

夕方までダラダラと仕事をする。

夕方6時、歩いてふたたび練習スタジオに向かい、誰もいない密閉された部屋で1時間ほどアルトサックスを吹く。

受付にいたロックンロールなあんちゃんが、「また来たよ、このオッサン」みたいな顔をする。

家に戻り、日記を書いているうち、

(そういえば、しばらくスポーツクラブに行っていない!)

ということに気づき、罪悪感にさいなまれる。

あわてて車に乗り、スポーツクラブへと向かう。

夜10時、スポーツクラブで1時間ほど運動する。

こうして、1日が終わる。

どうです?これがキョスニムの休日です。だいたいほかのキョスニムも、似たり寄ったり、こんな休日を過ごしているんですよ、学生諸君。

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反省のスポーツクラブ

6月10日(日)

前回の記事、自分のことを棚に上げて何を言ってるんだ、という気になり、少し反省した。

私も、「忙しい」ことを理由に断ったことがたくさんあります。関係者の方が読んでいるとしたら、本当にごめんなさい。

昨日、オーケストラの演奏会が終わったあと、携帯電話の電源を入れると、留守電が1本入っていた。楽器屋さんからで、「楽器の修理が終わりました」という。

さっそく、楽器屋に向かい、アルトサックスを受けとった。

修理が終わった楽器が、どのくらいよくなったか試してみたい、というのが人情というものである。楽器屋の隣にある音楽練習スタジオに駆け込み、「練習室は空いてますか?」と聞くと、一部屋空いているというので、さっそく1時間ほど練習した。

うーむ。やっぱり、吹き心地が全然違う。修理してよかった。

吹き心地がいいと、また吹きたくものである。翌日、つまり今日も、2時間ほど練習した。

考えてみれば、私は15年間、仕事が忙しいことを理由に、アルトサックスを吹くのを完全にやめてしまった。だがそれは、忙しかったからではない。吹く理由が見つからなくなってしまったからだ。

不思議なことに、いまは楽器が吹きたくて吹きたくてしょうがない。なぜなのかはよくわからない。

これもまた、もう少しすれば、飽きてやめてしまうのかも知れない。

それで思い出した。最近、忙しいことを理由に、スポーツクラブに全然行ってないや。これも、忙しいのが理由なのではなく、たんに行きたくないから行ってないだけであった。

さきほどのエラそうな記事を書いてから、急にそのことを思い出し、あわててスポーツクラブに行って、少しばかり運動した。

楽器の練習に、スポーツクラブ。今日の俺はいったい何をやっているんだ?

最近、自分が何をやりたいのか、皆目わからなくなってきた。

こんなことをしている場合か?とりあえず目の前に山のようにある仕事をどんどん片づけろよ!

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心さえ食べれば

昨年12月に、職場でイベントを企画して以来、なるべく他の人が企画したイベントにも顔を出そうと決めている。

もちろん、自分が信頼している人の企画したイベントだけね。

今度の土曜日(16日)に、私は職場を会場にしたイベントを企画していて、もしそれに100人集まらなかったら、例によって「重大な決意」をすることにしている。

その宣伝を、日ごろ信頼しているある方にメールでお知らせしたら、

「いい企画なので宣伝することはしますが、前日の夜に大事な懇親会があり、翌日行けるかどうか…。加えてその前の日も…ムニャムニャ」

と、とても正直なお返事をいただいた。

そうだよな。ふつう、そうである。

「自分が思うほど、他人は自分のことを思っていない」という吉本隆明の名言を持ち出すまでもなく、自分がいいと思って企画したイベントが、他人の心をまったく動かさないことは、もう何度も経験している。

裏を返せば、私自身もそうである。行こうと思えば行けるのに、行かなかったりするのは、自分の中に優先順位があるからである。だから、その方のことを責めることはできない。

ただ私は、これまでできるだけその方の企画したイベントに参加するようにしていたが、これからは優先順位を下げることにしようと思っただけのことである。

「忙しくってねえ、というのが、理由にならないことが、この(資料救済)活動を通じてわかりました」と、世話人代表のKさんが、先日のクリーニング作業のあとで一緒に食事をしたときに、言った。「忙しくっても、やればできるもんなんですよ」

「そうですね」と私。「わが身をふり返っても、そう思います」

世話人代表のKさんは、昨年の震災以前から、有志によるこの活動をはじめていた。しかし私は、「忙しくって」と理由をつけて、この活動とまったく関わっていなかったのである。

ところが震災以降、私もこの活動に関わることになる。仕事の忙しさからいえば、以前よりも今のほうがはるかに忙しいのにもかかわらず、である。

もちろん、それとひきかえに、「忙しくって」と理由をつけて優先順位を下げてしまったものもある。

韓国語の表現に「마음만 먹으면(マウムマン モグミョン)」というのがある。直訳すると「心さえ食べれば」、日本語で言えば、「その気にさえなれば」という意味である。

私はこの表現が好きで、何かを決めたりするときには、この言葉が頭に浮かぶ。要は「その気になるか、ならないか」の問題なのだ、ということが、韓国での留学を通じて、わかったことだった。

心さえ食べれば、つまりその気にさえなれば、たいていのことは実現できるのだ。

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アルトサックスのアウェイ感

6月9日(土)

うちの職場の学生たちで結成しているオーケストラのサマーコンサートがあるというので、聴きに行くことにした。

といっても、そのオーケストラに、教え子がいるとか、そういうことではない。ふつうこういう場合、知り合いとか教え子とかが招待券をくれて、それで行ったりすることが多い。実際会場に行くと、何人かの同僚や学生と会ったが、たぶんみんな招待券をもらって来ているのだろう。

だが私は知り合いがいないから、当日券500円を払って入場することにした。

聴きに行こうと思った理由は、「アルルの女」が演奏されるからである。「アルルの女」には、クラシックにはめずらしく、アルトサックスが登場する。

クラシック音楽でサックスが登場する、というのはかなりめずらしい。私の知るかぎりでは、あとはラベルの「ボレロ」くらい。それと、ジョージ・ガーシュインの「パリのアメリカ人」とか?あれは純然たるクラシック音楽でなく、「シンフォニック・ジャズ」といわれているから、違うか。

知識がないのでよくわからないが、ともかく、少ないのである。

つまり、アルトサックスにとってオーケストラは、完全な「アウェイ」なのである。

高校時代、吹奏楽部でアルトサックスを吹いていた私の経験から言うと、クラシック音楽のような曲を演奏するとき、サックスはなんとなく居心地が悪い、というか、肩身が狭い。

吹奏楽部には、クラシック音楽が好きな人たちがたくさんいて、そういう人たちからすると、サックスはちょっと異質なのである。なぜなら、そのほかの楽器は、ほとんどがオーケストラに登場する楽器だからである。

だから、サックス以外の楽器の人は、サックスに対してなんとなく優越感を持っているように、私には見えた。ま、これは私の完全な被害妄想だが。

ましてや、オーケストラでアルトサックスを吹くなんぞ、「アウェイ」感がハンパない、と思うのである。

演奏会のプログラムを見ると、アルトサックスの担当の名前の横に「(賛助)」と書いてある。つまり、助っ人である。業界用語では「トラ」(エキストラ)。通常、オーケストラ専属のアルトサックス奏者はいないから、吹奏楽団あたりから、手伝いに来た学生であろうか。

1曲目が終わったあと、アルトサックスを持った1人の青年が下手(しもて)から舞台に入り、所定の席についた。

(やっぱりサックスは浮いているなあ…)

しかも、一人だけというのが、さらに心細い。

(アウェイ感は、ハンパないだろうなあ…)

私は、その青年に同情した。

いよいよ「アルルの女」がはじまる。アルトサックスのソロは、曲の前半のヤマ場ともいえる。なにしろ、アルトサックスでないと、このソロは成り立たないのだ。

アルトサックス青年は、見事にソロを吹き終えた。フルートとの掛け合いも、なかなかよい。

曲は順調に進み、終わりにさしかかる。いよいよ、いちばん盛り上がるラストである。

しかし私は見ていて驚いた。

ラストは、全員が楽器を演奏して、盛り上がって「ジャン!」と終わる。しかし、たった一人、アルトサックスのみ、楽器を演奏しないままなのだ。つまり全員が演奏しているにもかかわらず、サックスだけが仲間はずれなのである(もちろん、楽譜がそうなっているのだが)。

(やっぱり、サックスはアウェイなのか…)

演奏が終わった。会場からは大きな拍手。指揮者は、一番最初にアルトサックス青年を立たせた。

私はひときわ大きな拍手をした。

アルトサックス青年はこのときどんなことを思っているのだろう?と想像した。私だったら、(やっぱりオーケストラはアウェイだったなあ…)という思いと、(でも、俺がいなければ、この曲は成り立たないのだ)という思いが、交錯していたかもしれない。

だがたしかにいえることは、このときオーケストラのメンバーすべてが、アルトサックス青年に敬意を表していた、ということである。

私もいつか、「アルルの女」の演奏に参加してみたい、と思った。

帰りがけに書いて出したアンケートには、「アルトサックス青年よ、アウェイの中でご苦労さまでした。すばらしかったです」とコメントを書いた。

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学芸員冥利!

6月9日(土)

妻から、「エレ片の片桐仁がツタンカーメン展を学芸員の案内で観覧した話をポッドキャストで。学芸員冥利に尽きる高度な感想!」とCメールが来た。

ちょっと解説しておくと、「エレ片」とは、お笑いコンビの「エレキコミック」の2人と、やはりお笑いコンビである「ラーメンズ」の片桐仁の3人によるコントユニットで、その3人が、「エレ片のコント太郎」というラジオ番組をやっている。

で、そのラジオ番組が、ポッドキャストで無料配信されているのである。

…などとエラそうに解説しているが、実は彼らのコントを見たことがなければ、ラジオを聴いたこともない。3人がそれぞれどんな顔をしているのかも、よくわからない。

さっそく聴いてみることにした。

大阪公演の合間、片桐氏は、ツタンカーメン展に連れていっていもらい、そこで、キュレーター(片桐氏によれば、「エジプト考古学に詳しいオッサン」)に、つきっきりで最初から最後まで展示解説をしてもらいながら、展示を見たという。ま、芸能人だからこそのVIP待遇だったのだろう。

片桐氏は、その展示解説に感激した、といって、キュレーターから聞いた解説を、ほぼ正確に、エレキコミックの2人に話しはじめる。

ツタンカーメンとは何か?なぜ、ツタンカーメンの墓は盗掘されなかったのか?ツタンカーメンの墓の調査で、何が明らかになったのか?等々。

いちおう私もその道の端くれなので、その説明がとても正確で、的確であることが、よくわかる。

学芸員の展示解説を、これほど正確にのみこみ、それを自分の表現で人に伝えることができるのは、片桐氏のトーク力はもちろん、その片桐氏を感激させた学芸員の説明によるところも大きかったのではないだろうか。展示解説しても、聞き流されたり、誤解して受けとられすることの多いなか、片桐氏のように、解説に感激してそれを他の人に正確に伝えようとする人がいることは、学芸員にとって励みになる話ではないだろうか。

学芸員冥利に尽きる、とは、まさにこのことである。展示解説した人、このポッドキャスト、聴いたかなあ。

加えてすばらしいのは、それを聞いているエレキコミックの2人の受け答えである。決して茶化すことなく、片桐氏の話を正確に把握し、的確な言葉で返している。

この3人は、本当にまじめなんだなあ、と思う。そして「ツタンカーメン」みたいな話で盛り上がれる3人の関係性を、とてもうらやましく思う。

というわけで、エレ片のファンになりました、とさ。

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トゥルーマンショーか!

6月6日(水)

朝イチの授業の後、いよいよ健康診断である。

例によって最後は、バリウムを飲んで胃の検査である。

「一気に飲んでください!」と渡されたバリウムを飲むたびに、なぜか「帝銀事件」を思い出す

終わってから、下剤を2錠、支給された。バリウムを早く体内から排出しなければ、大変なことになる、ということを、去年、聞いていた。

「水をたくさん飲んでくださいよ。それと、今すぐ、食事をとってください。なるべく早くトイレに行って、バリウムを出しちゃってください」と担当の人に言われた。

あわてて構内のコンビニで弁当と大量の水を買い、コンビニを出ると、「先生!」と呼ぶ声がする。4年生のN君である。

「先生、いまお時間大丈夫ですか?」

「う、うん…。大丈夫だよ」本当は、一刻も早く弁当を食べ、水を飲みたいのだ。

「じゃあこれから研究室にうかがいます。大事な話がありますので」

研究室で、N君の話をしばらく聞いた。

「失礼しました」N君が部屋を出て行った。

これでようやく弁当が食べられる。水も飲めるぞ、と思った瞬間、研究室のドアをたたく音が。

「先生、今よろしいでしょうか」今度は3年生のNさんである。「演習のことで、質問があるんですが」

こっちはそれどころじゃないのになあ…と思いながらも、空いている時間はこの昼休みしかない。

「どうぞ」

「えーっと、ここなんですけどー」

よりによって、ややこしい質問!

なんとか答え終わった。

「ありがとうございました」3年生のNさんは出ていった。

これでようやく弁当が食べられる。水も飲めるぞ、と思った瞬間、また研究室のドアをたたく音が。

「こんにちは~。ヤクルトで~す」

いつもお昼休みにヤクルトを持ってくるヤクルトレディのTさんである。

「すいません。集金してもいいですか」

いつもは、ヤクルトを置いていくだけなのだが、よりによって今日は月に1度の集金である。

財布からお金を出し、支払うと、

「先生、韓国に行ってらしたんですか?」という。

「ええ」

「うらやましいですねえ。私も行ってみたいです」

「やはり、韓流ドラマをごらんになるんですか?」

「ええ」

そこからひとしきり、Tさんは韓流ドラマの話をまくし立てるように話しはじめた。それも、若い男優の話ばかりで、とても私にはついていけない。

そもそも、Tさんはいつもヤクルトを置いていくだけで、ふだんは会話すらしたことがないのだ。それがなぜだ?なぜ、今日に限って、込み入った韓流ドラマの話なんかしはじめるのだ?

ようやく話が終わり、Tさんは次の届け先へと向かった。

なんだこれは?4年生のN君も、3年生のNさんも、ヤクルトレディのTさんも、すべて、タイミングをはかったかように私の前に現れる。彼らは全部仕込みなのか?私をトイレに行かせないようにするための刺客なのか?

まるで、映画「トゥルーマンショー」のようではないか!

時計を見ると、あと20分くらいで重要な会議が始まる時間である。

私はあわてて弁当を食べ、水をがぶ飲みし、トイレに駆け込んだのであった。

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採便キット、海を渡る

6月5日(火)

これから書く話は、とても尾籠な話なので、お食事中の方は絶対に読まないでください。また、この文章を読んで不快に思った方は、ただちにこのブログを読むのをやめてください。

先週土曜日からの出張で、私の心を悩ませていたことがあった。

それは、職場の健康診断のことである。

毎年この時期に受けなければならない職場の健康診断は、1年でも有数の「憂鬱な1日」なのであるが、それに加えて今年は、さらなる心配事があった。

ここからかなり細かい話になりますよ。

私は健康診断の期間中、出張で職場を不在にしており、唯一受診できる日が、最終日の水曜日(6日)である。

金曜日(1日)にR市、土日(2日、3日)に東関東県で研究会、日曜の夜から韓国にわたり、火曜(5日)の午前中まで仕事をしたあと、午後の便で日本に戻り、そこから鉄道と新幹線を乗りついで、夜遅くに勤務地にもどることになっている。

そして前日の夜8時から飲まず食わずのまま、翌水曜日の朝イチの授業をしたあと、健康診断を受診する。朝イチの授業は10時20分に終わり、健康診断の受付は午前11時までだから、この40分のあいだに、絶対に受付をすませなければならない。

つまり、出張から健康診断を受診するまで、まったく時間的余裕がないのだ。しかも、出張続きでクタクタの状態のまま健康診断を受けることになる。これはもはや健康診断ではない。不健康診断である。

電話で妻にこのことを言うと、

「ありのままを診断してもらった方がいいじゃない」

という。たしかにその通りである。不摂生な生活をしている私とかこぶぎさんは、たぶんこの先そんなに命は長くないと思うんだが、ならばごまかさずに、正々堂々と不健康ぶりを診てもらおうではないか。

だが私が心配しているのは、そんなことではない。

健康診断を受診するにあたっては、あらかじめ提出しなければならないものがある。

一つは、尿検査に必要な自分の尿である。

もう一つは、「便潜血なんとか検査」に必要な、自分の大便である。

ところが私は、健康診断の期間のほとんどが、出張で不在である。健康診断最終日の前日の夜遅くに、勤務地にもどるのである。

尿検査の尿は、診断当日の朝に採取するので、とくに問題はない。

問題は、「便潜血なんとか検査」に必要な大便である。

事前の説明によれば、診断の当日までに、できれば2回ほど、自分の大便を「採便キット」に採取して、診断の当日に持っていかなければならない。

前日の夜まで韓国に出張しているから、採便するとすれば、診断の当日の朝しかない。

「できれば2回」とあるので、2回採取できなくてもよい、ということである。となれば、最低でも、健康診断の当日の朝に採取すれば問題はないだろう。

しかしここから、「極度の心配性の私」が姿をあらわす。

もし診断当日、ひどい便秘に襲われたとしたら、どうしよう。

つまりたった1回の採便のチャンスを、逃してしまうことになる。

ここはどうしても、事前に採便をしておきたい。

しかし、土曜日の早朝から勤務地を離れ、東関東県、韓国へと出張に渡り歩くため、事前に採便することもむずかしい。

もういちど説明書を読み直すと、

「診断の4日前までの大便ならば大丈夫です」

とある。診断の4日前といえば、土曜日である。つまり出張に出発する日の早朝に採便すれば問題ないことになる。

しかし説明書は、次のように続く。

「採取した便は、冷暗な所に保管しておいてください。冷蔵庫が望ましいです」と。

つまり、土曜日に採便したとして、水曜日までの4日間は、冷蔵庫に保管しておけ、というのだ!

なんだ?ウンコって、4日間しか日持ちがしない高級菓子みたいなものなのか?

いや、そんなことより、自分の大便を4日間も食品冷蔵庫に入れておく、というのは、何ともキモチワルイ。

ということで、「土曜日採便説」は却下された。

困った私は、担当の事務職員のSさんに相談した。Sさんは、そんなこと相談されても、といった顔で、

「だったら、出張先にキットを持っていったらいかがです?」

と提案した。

やはり、その方法しかないか…。私は、出張に持っていくカバンに「採便キット」をしのばせた。

かくして、「採便キット」は海を渡り、遠く韓国まで運ばれたのであった。

診断の前日の朝に、韓国のホテルで採便すれば、2回のうち1回の採便の義務は、果たしたことになる。これで診断当日にひどい便秘に襲われたとしても、大丈夫である。

だが、採便キットの説明書をよく読んで、ため息をついた。

そもそもこの採便キットは、どのような形で採便するかというと、まず、便器の中に採便用の紙を敷いて、その上に用を足す。紙の上に乗っかった大便を楊枝のような細い棒でこすりとって、それを容器の中に入れるのである。

「採便用の紙」というのは、水溶性の紙で、水に流すと溶けるから、大便と一緒にトイレに流してしまってかまわない、と書いてある。つまり、できるだけふつうに用を足す感じで、採便ができるような配慮がとられているのである。

しかし、ここで一つ問題がある。

韓国のトイレでは、基本的に紙を流してはいけない。流せるのは便だけで、使用したトイレットペーパーは、便器の横に置いてあるゴミ箱に捨てなければならない。韓国のトイレは水圧が低く、すぐに紙をつまらせてしまうからだ、と聞いたことがある。

たぶんこれは「採便用の紙」についても同じだろう。「採便用の紙」をトイレに流すことができないとすれば、便器で用を足すのではなくどこか別の場所で、いったん「採便用の紙」の上に用を足して、それを楊枝みたいな棒でこすりとって容器に入れなければならない。そしてそのあと、「採便用の紙」に乗っかっているウンコを便器の中に流したあと、紙をゴミ箱に捨てなければならないのである。これはじつにメンドウだし、だいいちあまり愉快な方法ではない。

だんだん不安になってきた。不安はそればかりではない。

こうして苦労して採便した容器を、今度はカバンに入れて、日本にまで持って帰らなければならない。

つまり移動中、私のカバンの中にはずーっと、私のウンコが入っていることになるのである。

空港の荷物検査や税関でひっかからないともかぎらない。そのとき「これは何ですか?」と聞かれたら、「これは私のウンコです」と説明しなければならない。

いろいろな心配が頭を駆けまわる。

さて、私は韓国で採便したのか否か?それは、ご想像におまかせすることにしよう。

実は健康診断について、もう一つ、大きな心配がある。

健康診断のすぐあとに、重要な会議がある。

だが、健康診断では、胃の検査のためにバリウムを飲まなければならず、胃の検査が終わったあとは、バリウムをすぐさま体外に排出するために、下剤を飲まされる。

つまり、重要な会議中に、突然もよおす可能性があるのだ!

会議の途中、お腹をおさえながら何度も部屋を出たり入ったりしてトイレに行くのは、何とも格好悪い。

まあ、別にもともとがぶざまな人間なのだから、どうということはないのだが。

はたして、健康診断をうまく乗りきれるだろうか?

…ほら、究極の「どーでもいい話」でしょう?長々と読んでもらったみなさん、ごめんなさい。

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食事について考えるのココロだー!

6月4日(月)

昨日から、韓国南部にあるC市に滞在している。

正確に言えば、土日と、東関東県で研究会があり、それが日曜の3時過ぎに終わったあと、そのまま電車で成田空港まで行き、夕方6時半の釜山空港行きの飛行機に乗り、夜9時に釜山空港に到着。さらにリムジンバスに乗ってC市に向かい、夜10時半、ホテルに到着した、という次第。

今日は朝9時から6時まで、某所で仕事をする。

仕事が終わったあと、日本から来た3人、そして仕事先でお世話になった韓国人2人の計5人で、夕食に行くことになった。

ホテルの近くの「しゃぶしゃぶ屋」さんで、「しゃぶしゃぶフルコース」を頼むことにする。「しゃぶしゃぶ」といっても、日本のそれとは全然違う料理ですからね。興味のある人は、調べてみてください。

なんの変哲もない大衆店なのだが、出てくる料理がいずれもメチャクチャ美味しい。しかも次から次へと料理が出てくるではないか。たちまちお腹がいっぱいになった。

6時半にその店に入った時点では、私たち以外には誰もいなかったのだが、7時少し前になると、とたんに混み出した。たちまち店は満席になる。しかも、たいていが5人から10人といったグループである。

「すごいですねえ。月曜日で、しかもこんなふつうの店なのに、客がいっぱいです」日本から一緒に来た研究仲間が言った。

「そうでしょう。でも、この店のアジュンマ(おばさん)は1人しかいないんです」と韓国人のYさん。

なんと、満席の広い店を、おばちゃんひとりで切り盛りしているのだ。おかげで注文したものがなかなか来ない。そうしたバランスの悪さは、いかにも韓国らしい。

だが30分くらいたつと、あれだけいた客が、潮を引くようにいなくなった。

「変ですねえ。私たちより遅く来て、あんなに料理をたくさん並べていたのに、もう帰ってしまいましたよ」不審に思って聞くと、

「あの人たち、みんな仕事の途中なのです」とYさん。「この近くに市役所があって、市役所の職員たちが夕食を食べに来たのです。このあとまた、みんなで職場に戻るのです」

市役所では、同じフロアの人たちが、一緒に夕食に行くらしい。

「へえ、日本では考えられませんねえ。日本では、仕事の途中にみんなで夕食に行く、ということがまず考えられません。仕事が終わるまで夕食を食べませんから」

「へえ、そうですか。日本はタイヘンですねえ」

「それに、同僚がみんなで夕食に行く、という習慣がありません」

「では、どうやって夕食を食べるんですか?」

これには返答に困った。ふだん単身で生活をしている私にとって、ひとりで食事をとるのはあたりまえだが、そんなことは恥ずかしくてとても韓国人の前では話せないので、黙っていた。

韓国で食事をするたびに思う。食事文化が豊かなのは、日本なのか?韓国なのか?

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宛のない手紙

6月2日(土)

今日から2日間、東関東県で、研究会である。

昨日おとずれたR市で、津波ですべてが失われた土地に咲く花を見て、「あの日」のままに残されている建物に巣を作った小鳥のさえずりを聞いて、キム・グァンソクという歌手の「宛のない手紙」という歌を思い出した。

以前にも書いたが、1964年生まれのキム・グァンソクは、フォークソング歌手として同世代の若者のカリスマ的存在だったが、1996年、31歳の若さで、自ら命を絶って、この世を去る。

彼の遺作が「宛のない手紙」という歌である。この歌は、映画「JSA」のエンディング曲として使われた。

私はこの曲が大好きで、ことあるごとに何度も何度も聞いている。

多少感傷的かも知れないが、この歌の歌詞は、私が昨日R市で見たこと、感じたことを、よくあらわしているようにも思ったので、原詞と翻訳を、メモがわりに書いておく。

'부치지 않은 편지'

풀잎은 쓰러져도 하늘을 보고

꽃피기는 쉬워도 아름답긴 어려워라

시대의 새벽길 홀로 걷다가

사랑과 죽음의 자유를 만나

언 강 바람 속으로 무덤도 없이

세찬 눈보라 속으로 노래도 없이

꽃잎처럼 흘러 흘러 그대 잘가라

그대 눈물 이제 곧 강물되리니

그대 사랑 이제 곧 노래되리니

산을 입에 물고 나는 눈물의 작은 새여

뒤돌아 보지 말고 그대 잘가라

「宛のない手紙」

草の葉は倒れても空を見上げ

花咲くことはたやすくても 美しくあることはむずかしい。

時代の夜明けの道をひとりで歩いていたら

愛と死の自由に出会い

凍てついた川、風の中に 墓もなく

激しい吹雪の中に 歌もない

花びらのように流れ流れ

君よさらば

君の涙はいま 川の流れとなり

君の愛はいま 歌になる

山をくちばしに取って飛ぶ

涙の小さな鳥よ

後ろをふり返らずに

君よさらば

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花は咲き、鳥はさえずる

6月1日(金)

午前11時。

朝イチの授業が終わったあと、世話人代表のKさんの車で、R市に向かう。

世話人代表のKさんに、「いちど、R市に行ってみませんか?」と誘われたのは、今年の3月11日のことだったと思う。いま関わっているボランティア作業と関わりの深いR市に、私はまだ一度も行ったことがなかった。というより、津波で壊滅的な被害にあった沿岸部被災地に、そもそもまだ行ったことがなかった。それはひとえに、無力感から来る私の怠慢にすぎなかったのだが、Kさんはそれを見かねて、私を誘ってくれたのだと思う。考えてみれば、Kさんはいつも私を後押しする。

ダブルkさん(ダブル浅野的な意味で)を含めた総勢7名で、車で4時間ほどかかるR市を訪問した。

目的地は、R市の山あいにある、廃校となった小学校である。

「ずいぶん川の水がきれいですねえ」山里の小学校に向かう道路には、並行して川が流れているのだが、その川の流れは驚くほど透明だった。

「いいところでしょう。合宿するには最高の場所だと思いますよ」とKさん。Kさんはすでに何度かこの場所を訪れていた。「ほんとうに、あの地震が起こったとは思えないくらい、のどかなところです」

午後3時前、小学校に到着した。

この小学校でいろいろなものを見せていただいたり、担当者の方とお話しをさせていただいたりして、いろいろなことを深く考えさせられた。

深く考えさせられた、としか、今の段階では言いようがない。

午後5時、私たちは、貴重な時間を割いてくださった担当者の方に感謝して、小学校をあとにした。

「町におりてみましょう」と世話人代表のKさん。「町」とは、津波で壊滅した沿岸部のことである。この町は、その機能のほとんどが沿岸の低いところにあったため、いわば町全体が津波によって壊滅してしまったのである。

車が町の中心部に入る。「だいぶ瓦礫が片づきましたねえ。でも、それ以外は1年前とほとんど変わっていない」Kさんが運転しながら言った。

ほんとうに、見渡すかぎり何も残っていない。津波は根こそぎ奪ってしまったのだということを、実感した。

Photo さら地となってしまった場所には、小さな花が咲いていた。

だが、ところどころ、建物がそのまま残っている場所がある。

「法律上、公共の建物は自治体が取り壊さなければならないことになっているのです。民間の建物は、自衛隊が取り壊してくれたのだけれど、公共の建物は取り壊せなかったのです」

「すると、いま残っている建物は、みな公共の施設ということですか」

「そうです」

公共の施設が集中している場所に車をとめて、歩いてみることにした。消防署、図書館、体育館、博物館といった公共の施設は、「あの日」のままの状態をとどめていた。津波の被害のすさまじさは、やはり実際に見てみないとわからない。こんなあたりまえなことに、私は1年以上たって、ようやく気づいたのである。

この町は、今後どうなっていくのだろう?本当の意味で復興するのは、いつなのだろう?私には想像もつかない。

鳥のさえずる声がする。

Photo_2 見上げると、建物にたくさんの鳥の巣があった。

「この場所に鳥が巣を作っているなんて、なんか不思議な感じです」

鳥たちが拠るべき場所は、もはや取り残された建物の中にしかないのかも知れない。

「お花をお供えしましょう」とKさん。

用意していたお花をお供えして、私たちは手を合わせた。

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丘の上は裏切らない

5月31日(木)

明日から、怒濤の日々がはじまる。

ま、その話はおいおいと。

日々、小さな失敗のくり返しである。

ああ、あんなことしなきゃよかったとか、あんなこと言わなきゃよかったとか。

疲れていると、なおさら心にのしかかる。世にいう「ストレス」である。

まあ、どうってことないか。別にどう思われたっていいや。

夕方、すでにグッタリと疲労していたが、窓の外を見ると晴れていた。

(丘の上の作業場に行こうか。今日は風が心地よいだろうなあ。夕焼けがきれいだろうなあ)

やや遅れて「丘の上の作業場」に到着すると、空の下で、何人かの人たちが作業をはじめていた。

しだいにその数は増え、20人近くになる。

入学したばかりの学生たちや、仕事帰りの社会人たち。

ハケで本の泥を落としながら、近くで作業している人と時々他愛もない話をする。新入生たちの会話は初々しく、社会人たちの会話はウィットに富んでいる。

7時半が過ぎたころ、「そろそろ作業を終わりにしましょう」と「丘の上の作業場」のリーダーのYさん。

「お疲れさまでした~」と、それぞれが持ち場へと戻ってゆく。

予想通り、風は心地よく、夕焼けはきれいだった。

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