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「キョスニムと呼ばないで!」、授業になる!

6月26日(火)

陸の孤島生活2日目。陸の孤島の中でも、さらに孤島のような生活に、落ち込むばかりである。

そんなことより今日は、私にとって特別な日である。

ついに「キョスニムと呼ばないで!」が、授業になるのだ!

昨年の終わりだったか、上司からメールが来た。

「来年度、学生たちに海外留学や海外研修へのモチベーションを高めてもらうための授業を、オムニバス形式で行う。ついては、あなたに1コマ分担当してもらい、韓国での体験を学生たちに話したもらいたい」

私は、1つだけ条件をつけた。上司に対して条件をつけるとは、私もそうとう厄介な部下である。

「講義題は、『キョスニムと呼ばないで!』とさせてください」

「わかりました。ぜひそれで」と、上司の返事。たぶん「キョスニム」の意味は、おわかりにならなかっただろうが、上司は即答してくれたのだった。

引き受けてはみたものの、どのような講義にするか、しばらくの間、ずいぶん悩んだ。

悩んだあげく、「私が韓国滞在中に書いた日記を紹介しつつ、韓国での体験を話す」というスタイルにした。つまり、このブログで書いた内容を、そのまま紹介する、というスタイルである。

しかし韓国滞在中に書いた日記は、膨大な量である。とても90分では、紹介し尽くすことはできない。

そこで、私が韓国語の初級クラス(1級1班)のエピソードを中心に、1年間の韓国語の勉強の様子を紹介することにした。

しかしそれもまた、膨大な量である。厳選に厳選を重ね、いくつかのエピソードを選び、それらの日記をパワーポイントにレイアウトすることにした。文章だけではわかりにくいので、登場人物の顔写真や、いろいろな写真をまじえながら、パワーポイントを作成する。

気がつくと、スライドの枚数が、115枚になっていた。

ひゃ、115枚!!??われながら驚いた。

90分の授業では、1枚に1分もかけられないではないか!

しかし、どう頑張っても、これ以上は削りようがない。

仕方がない。これでいくしかない。

とりあげたエピソードは次の通り。

「これは何ですか?」(1級1班)

「リュ・ピン君の挑戦」(1級1班)

「学ばない人たち」(1級1班)

「中国人留学生たちの反乱?」(1級1班)

「誕生日の初舞台」(1級1班)

「インクを飲んだマ・クン君」(1級1班)

「アメとムチ」(1級1班)

「続・学ばない人たち」(1級1班)

「マ・クン君からの手紙」(1級1班)

「さよなら、1級1班!」(1級1班)

「変わりゆく彼ら」(4級3班)

「ペペロデー」(4級3班)

「さよなら、4級3班!」(4級3班)

「最後のあいさつ」

ほとんどが、1級1班の時のエピソードである。

うーむ。これだけでも、かなりの量である。

パワーポイントのレイアウトをずいぶん工夫して、試行錯誤しながら、なんとか仕上がった。

それと、もうひとつ頭を悩ませたのが、レポートの課題である。

この授業では、毎回授業担当者が、学生にレポートを課すことになっている。

ということは、この授業を受けている学生は、毎週レポートを書かなければならないのか。学生もタイヘンだなあ…。

レポートの課題は、授業の前日までに、秘書室にいる秘書の方に、メールで送ることになっていた。それを秘書の方が人数分印刷してくれて、授業開始前に、渡してくれることになっていたのである。

秘書室に電話をかけて聞いてみることにした。

「ほかの先生方は、どのような課題を出されているんでしょうか?」

「いろいろですよ。ご専門に関わる内容が多いと思います」

さあ困った。私が話す内容は、単なる体験談なのである。

といって、「あなたの異文化体験について書きなさい」とかなんとかでは、あまりにも芸がなさすぎる。第一、この授業を聞いているほとんどの学生は、海外に行った経験がないのである。

悩んだあげく、昨晩遅く、ある「テーマ」を思いつき、秘書室にメールで送った。

さて、今日。

時間ギリギリまで、パワーポイントの画面を手直しする。

なんとか終わり、まずは、秘書室に向かう。授業の終わりに学生たちに書いてもらう「感想カード」と、あらかじめ印刷しておいてもらった「レポートの課題」を取りに行くためである。

「こちらが感想カード、そしてこちらが、昨日お送りいただいたレポートの課題を、こちらで印刷したものです」

受け渡しながら、秘書さんが言った。

「このレポートの課題、とっても素敵です」

「…そうですか?」

「Y先生にもお見せしたんですが、とてもいいとおっしゃってました」

Y先生とは、上司のことである。

「そうですか…」

秘書室を出て、教室に向かう。受講生は160人あまりだという。

パワーポイントを使いながら、話しはじめる。スクリーンに映し出された自分の日記を読み上げながら、それに解説を加えていく。自分の書いた日記を音読するのは、なかなか恥ずかしいものである。

最初は少しざわついていた教室が、しだいに静かになっていく。

ふだんの私の授業では考えられないくらい、けっこう真剣に聞いてくれている。

ときどき、笑いがもれた。

あっという間の90分。強引に、115枚のスライドを終わらせた。

(これではまるで漫談だな…)

授業というよりは、漫談である。もっとも、いちど、90分間漫談のような授業をしてみたい、というのが夢だったから、夢が叶ったことになる。

漫談で終わってしまっては申し訳ないので、最後に、次のようなことをつけ加えた。

「講義題にある『キョスニム』とは、韓国語で「教授様」の意味です。私はまわりの人から「キョスニム」と言われていました。

しかし、韓国留学中は、一人の学ぶ人間として、他の学生とまったく同じように勉強したい、と思っていました。だから語学の授業では、先生からも学生からも「キョスニム」と呼んでほしくはなかったのです。

韓国で韓国語を学んで行くにつれ、学ぶことに、年齢はまったく関係ないことに気づきました。要は、「その気になるか、ならないか」の問題だったのです。

韓国語の表現に、「마음만 먹으면(マウム マン モグミョン)」というのがあります。直訳すると「心さえ食べてしまえば」 。日本語でいうところの「その気になれば」という意味です。私は物事を決断するとき、いつもこの言葉が頭に浮かびます。その気になれば、たいていのことは、実現するのです」

後半部分は、先日のこの日記にも書いたことである。さらに続けた。

「真の国際社会とは、どのような社会でしょうか?それは、肌の色、国籍、性別、国の政治的事情などに関係なく、すべての人が、一人の自立した人間として、尊重される社会のことです。

国籍に関係なく、一人の自立した人間として自らを高め、お互いを一人の自立した人間として認め合う姿勢を身につけることが、海外で学ぶことの意味だと、私は思います」

まあ、何ともエラそうなものの言い方だが、ほぼ全編が漫談だっただけに、これくらいのことを言っておかないと、体裁がととのわない。

授業が終わり、部屋に戻ってみんなが書いてくれた感想を読んでみた。

どれも好意的な内容ばかりである。成績にかかわるから、当然といえば当然である。

私にとってのほめ言葉は、「コメディやドキュメンタリーやドラマをみているような気がして、とてもおもしろかったです」「ドラマチックで感動した」「猟奇的な先生に会いたいです」「1級1班の中国人留学生たちとの日々がおもしろかったです」など。

そりゃあそうだ。1級1班のエピソードは、テッパンだもの。

なにより、彼らが、1級1班の学生たちや「猟奇的な先生」に親しみを持ってくれたことが嬉しい。自分の体験したことを、学生たちが追体験するのは、不思議な感じである。

「留学中の先生はとても生き生きしているように見えました」という感想も、何人かいた。

そうだ…。あの頃は、ほんとうに生き生きとしていたのだ。それにくらべたら、今はもう…。

ひとり、「『マ・クン君からの手紙』が印象的でした」と書いてくれた学生がいて、ああ、私の話を真剣に聞いてくれたんだなあ、とも思った。

ともあれ、授業でこんな幸福な体験ができたのは、最初で最後だろう。

そうそう、レポートの課題のことを書くのを忘れていた。

さてさて、あなたなら、どう書くかな?

レポートの課題:「記憶に残る、一枚の写真」

あなたの記憶に残る、一枚の写真の思い出を書いてください。

その一枚の写真が、自分の人生にとってどのような意味を持つものなのか、その一枚の写真を見るたびに、どんなことを思うのか、その一枚の写真が、その後の自分の人生にどのような影響を与えたのか、などを、日本語の表現力を駆使して、書いてください。

日本語を母語とする学生は、日本語以外の言語を母語とする読者を念頭に置いてください。日本語以外を母語とする留学生は、日本語を母語とする読者を念頭に置いてください。

これは、私が韓国滞在中に通っていた大学の語学院で、実際に出された韓国語作文の課題です。

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コメント

(課題レポート)

 僕の思い出の写真は、学生時代に参加した、ある地方応援ツアーの写真である。大学生をバスツアーに招待する代わりに、やがて社会に出たら、是非その地方の応援団になってほしいという、今から思えば、大変太っ腹な企画であった。

 往路は飛行機で現地入り。有名衣料部品メーカーの工場見学や、これも全国区で有名な「盆踊り」の見学を終え、帰路は交通費だけ渡されて各自で帰ることになった。

 そこは貧乏学生のこと、まっすぐ帰るだけではもったいない。せっかくなので、合掌造の村に寄り道してから帰ろうと思い、ふらりと来た電車に乗った。

 電車はやがて終点に着いた。目的地はまだ先だ。人影ない薄暗い待合室に座って、次の電車を待っていた。すると、急に駅長室の扉が開いて、制服姿の男性が出てきた。つかつかとまっすぐ歩み寄って、目の前で止まった。

「○○△△さんですね。すぐに××社に電話して下さい」

 耳を疑った。駅長は、僕の名前を一字違わずフルネームで言ってきたのだ。

 なぜ、僕がココにいることを、この駅長は知っているのだ。何の計画も立てずに乗った電車で、たどり着いた駅だ。僕自身、ここに来ることなんて、ほんの10分前まで思いも着かなかったことなのだ。なのになぜ、初めて会った人から、僕の名前をフルネームで呼ばれるのか。

 ぞっとした。言うにも言えない恐怖感が襲って来た。

 導かれるままに駅長室に入り、電話をかけた。××社とは当時、僕がアルバイトをしていた会社だった。電話をかけると、なんてことはない、「仕事が入ったからすぐ戻ってくるように」という話だった。

 後から聞くと、「前日に合掌造の村への行き方を訊ねていた」という情報をツアー関係者から聞き出した上で、関係諸機関を駆使して、僕が居そうなその地方の駅全てに電話をかけて、網を張っていたそうだ。

 あの時の暗い待合室の雰囲気、ごつごつとした木製ベンチの感触、そして近づいてくる駅長の姿は、どの写真よりも鮮明に記憶の中に焼き付いている。人間は、その気になれば(韓国語的表現で言うと「心さえ食べてしまえば」)、居場所なんて簡単に割り出されてしまう。

 「携帯電話は一生持たない」と心に誓ったのは、この出来事がきっかけである。

投稿: こぶぎ | 2012年6月28日 (木) 01時22分

レポートの締切は1週間後なのに、もう提出するとは、さすがこぶぎさんですな。

それにしても、昔も今も、やっていることは変わりませんなあ、こぶぎさんは。もちろん私も、人のことは言えませんけど。

投稿: onigawaragonzou | 2012年6月28日 (木) 22時14分

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