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アルトサックスのアウェイ感

6月9日(土)

うちの職場の学生たちで結成しているオーケストラのサマーコンサートがあるというので、聴きに行くことにした。

といっても、そのオーケストラに、教え子がいるとか、そういうことではない。ふつうこういう場合、知り合いとか教え子とかが招待券をくれて、それで行ったりすることが多い。実際会場に行くと、何人かの同僚や学生と会ったが、たぶんみんな招待券をもらって来ているのだろう。

だが私は知り合いがいないから、当日券500円を払って入場することにした。

聴きに行こうと思った理由は、「アルルの女」が演奏されるからである。「アルルの女」には、クラシックにはめずらしく、アルトサックスが登場する。

クラシック音楽でサックスが登場する、というのはかなりめずらしい。私の知るかぎりでは、あとはラベルの「ボレロ」くらい。それと、ジョージ・ガーシュインの「パリのアメリカ人」とか?あれは純然たるクラシック音楽でなく、「シンフォニック・ジャズ」といわれているから、違うか。

知識がないのでよくわからないが、ともかく、少ないのである。

つまり、アルトサックスにとってオーケストラは、完全な「アウェイ」なのである。

高校時代、吹奏楽部でアルトサックスを吹いていた私の経験から言うと、クラシック音楽のような曲を演奏するとき、サックスはなんとなく居心地が悪い、というか、肩身が狭い。

吹奏楽部には、クラシック音楽が好きな人たちがたくさんいて、そういう人たちからすると、サックスはちょっと異質なのである。なぜなら、そのほかの楽器は、ほとんどがオーケストラに登場する楽器だからである。

だから、サックス以外の楽器の人は、サックスに対してなんとなく優越感を持っているように、私には見えた。ま、これは私の完全な被害妄想だが。

ましてや、オーケストラでアルトサックスを吹くなんぞ、「アウェイ」感がハンパない、と思うのである。

演奏会のプログラムを見ると、アルトサックスの担当の名前の横に「(賛助)」と書いてある。つまり、助っ人である。業界用語では「トラ」(エキストラ)。通常、オーケストラ専属のアルトサックス奏者はいないから、吹奏楽団あたりから、手伝いに来た学生であろうか。

1曲目が終わったあと、アルトサックスを持った1人の青年が下手(しもて)から舞台に入り、所定の席についた。

(やっぱりサックスは浮いているなあ…)

しかも、一人だけというのが、さらに心細い。

(アウェイ感は、ハンパないだろうなあ…)

私は、その青年に同情した。

いよいよ「アルルの女」がはじまる。アルトサックスのソロは、曲の前半のヤマ場ともいえる。なにしろ、アルトサックスでないと、このソロは成り立たないのだ。

アルトサックス青年は、見事にソロを吹き終えた。フルートとの掛け合いも、なかなかよい。

曲は順調に進み、終わりにさしかかる。いよいよ、いちばん盛り上がるラストである。

しかし私は見ていて驚いた。

ラストは、全員が楽器を演奏して、盛り上がって「ジャン!」と終わる。しかし、たった一人、アルトサックスのみ、楽器を演奏しないままなのだ。つまり全員が演奏しているにもかかわらず、サックスだけが仲間はずれなのである(もちろん、楽譜がそうなっているのだが)。

(やっぱり、サックスはアウェイなのか…)

演奏が終わった。会場からは大きな拍手。指揮者は、一番最初にアルトサックス青年を立たせた。

私はひときわ大きな拍手をした。

アルトサックス青年はこのときどんなことを思っているのだろう?と想像した。私だったら、(やっぱりオーケストラはアウェイだったなあ…)という思いと、(でも、俺がいなければ、この曲は成り立たないのだ)という思いが、交錯していたかもしれない。

だがたしかにいえることは、このときオーケストラのメンバーすべてが、アルトサックス青年に敬意を表していた、ということである。

私もいつか、「アルルの女」の演奏に参加してみたい、と思った。

帰りがけに書いて出したアンケートには、「アルトサックス青年よ、アウェイの中でご苦労さまでした。すばらしかったです」とコメントを書いた。

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