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2012年7月

打ち上げ、からのアルトサックス

7月31日(火)

「陸の孤島の、そのまた孤島」生活を痛感する毎週火曜日は、物忌みすることにしているのだが、今日はそうはいかない。学期末の帳尻を合わせるために月曜日と同じ仕事をしろ、という日である。

こう見えて、けっこう忙しい。

生来ずぼらな私も、朝からマジメに仕事をしているのだが、終わる気がしない。いくつもの仕事を、同時並行的にしているからなおさらである。

午後、ある部局に所用で行くと、事務職員さんが言う。

「あれ?首もと、痩せましたね」

「そうですか?」

そういえば、一昨日も、若者たちに同じことを言われていた。悪い気はしない。

思いあたる理由は一つだけである。

「最近アルトサックスの練習をしていて、首もとの筋肉を使っているからですかねえ」と私が言うと、

「なるほど。たしかに、首から下は変わってませんからねえ」

うーむ。「悪い気はしない」は撤回。

夕方6時半、先日の補講の打ち上げをするというので、居酒屋に行く。

局長のSさんが気をきかせて、打ち上げを企画してくれたのである。

しかし最近、若者たちと何を話していいのか、皆目分からなくなってしまった。

私と同世代のラジオDJが、「先日、20歳の女性アイドルとカラオケに行ったのだが、まったく聴いたことのない歌を歌っていて、愕然とした:」みたいなことを言っていて、共通の話題がないことをこぼしていた。

たぶん、そういう年齢になってしまったんだろう。

若者たちは、私が話す「寅さん」とか「ドリフ」とかの話に合わせてくれるのだが、相当気を遣ってくれているんだろうな。

そう思うと、少々落ち込んできた。

飲み放題コースの2時間が終わり、8時15分に解散。

「2次会はありません」と、Sさん。少し遅くなるかな、と覚悟していたが、Sさんの配慮で、少し時間をトクした気分になった。

(よし、時間が空いたから、アルトサックスを練習しに行こう)

何を思ったか、生ビール2杯とハイボール1杯を飲んでかなり酔っぱらったにもかかわらず、楽器を持って千鳥足で練習スタジオに行くことにした。

生まれてはじめての酒気帯び練習である。

1時間ほど練習して、おかげで少し、ストレスが解消された。最近の私の楽しみは、これしかないのだ。

ん?

これって、お酒を飲んだ後にカラオケに行くようなものか?

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送別会ではなく、壮行会

7月29日(日)

若者は、ときに残酷である。

4年生のCさんから、この8月から韓国と台湾に1年間留学するOさんとSさんの送別会をしたいので、ついては私にも参加してほしい、と頼まれた。

「送別会ではなくて、壮行会だよ。送別会は、もう会えない人を送るときの会のことだ」

「へえ、そうなんですか」

先生の予定に合わせますから、と言われ、今日の日を指定したところ、集まったのは5人。

いつも不思議に思うのだが、若者たちに混じって私なんかが居たところで、面白くも何ともないと思うんだが。若者同士で気兼ねなくやればいいのに。

午後6時半に歓送会が始まった。

Oさんが言う。

「先生にお会いしたら、絶対に言わなきゃ、て思ってたことがあったんです」

「何です?」

「汗には、かいて痩せる汗と、かいても痩せない汗があるそうなんです」

「ほう」

「先生は、玉のような汗をかくでしょう」

「うん」

「それは、かいても痩せない汗なんです」

「……」

私がふだん大汗をかいているにもかかわらず、ちっとも痩せずに太ったままなのは、かいても痩せない汗をかいているから、ということらしい。

ということは、若者たちの目には、私が「汗をかいてもちっとも痩せない太ったオジサン」と映っているということである。

「つまり、新陳代謝が悪いんですよ」Cさんがたたみかけるように言う。

「で、痩せる汗をかくには、どうしたらいいの?」

「さあ、それはわかりません」

なんだよ!結局、たんに私のことを「汗をかいてもちっとも痩せない太ったオジサン」と指摘しただけだったのか!

話題は芸能人の話に移る。このあたりから、私はそっちのけである。

「芸能人なんて、みんなイジっている(整形している)のよ。顔の皺だって人工的に伸ばしたりしているんだから」とOさん。

「でもFさんはちがうでしょう」とSさん。「F」とは、私と同い年の、二枚目俳優のことである。

「Fだって、イジっているわよ。だって、あの年であんなに若いなんて、絶対おかしいじゃない。本当は顔だって皺だらけなんだから」Oさんが主張する。

おいおい!仮にも俳優Fは、私と同い年なんだぞ!

さらに話は続く。

「あ~。カッコいいオジサンに憧れるよなあ」とO君。

「ほんと、カッコいいオジサンて、いいよねえ」3人の女子が同意する。

「オジサンっていったって、カッコよくなくちゃダメだよねえ」

「そうよ。『カッコいいオジサン』っていうのがいいのよ」

おい!横に俺がいるんだぞ!話題に気を遣えよ!私はだんだん居たたまれなくなった。

「ささ、明日も朝から仕事があるんでね」と私。一刻も早くこの場から立ち去りたくなった。

気がつくと午前0時をまわっていた。

いったい私は何のために呼ばれたのか?

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卒業生のチカラ

7月28日(土)

朝からビックリするくらい暑い。

職場では今日、年に1度の「職場公開」である。

朝8時ごろから高校生たちがひっきりなしに訪れてきて、構内は大混乱であった。

この日に合わせて、懸案の「補講」を行うことにした。どうせなら来てくれた高校生たちにも公開しよう。これが本当の意味での「職場公開」である!

学生に急ごしらえの看板を置いてもらったり、教室の扉も開けたままにしたりした。

我ながらいいアイデアだと思ったのだが、どうやらそう思っていたのは、私だけだったようである。

朝9時から始まった補講には、待てど暮らせど、高校生が見学に来ない。

いや、正確には、高校生のグループが何度も教室の前は通りすぎるのだが、誰一人、中に入ろうとしないのである。

休憩時間に、高校生のグループを引率しているスタッフに聞いてみた。

「うちの授業、高校生に見てもらってもいいんですよ。公開しているんですから」

「それがダメなんです」

「どうしてです?」

「学内ツアーは、予定がびっちり詰まっていて、他の場所に立ち寄る余裕なんて、全然ないんです」

そういうと、そのスタッフは「学内ツアー引率マニュアル」を見せてくれた。

各所見学に5分、移動に2分とか、事細かに書いてある。

「分刻みのスケジュールですね」

「でしょう。だからこちらも遅れるわけにはいかないんです」

ということで、私の試みは、あえなく失敗した。

その代わり、午後の補講をしている最中、別のお客さんが来た。

この3月に卒業し、いまは隣県にある会社に勤めているSさんである。Sさんは休暇をとって昨日こちらにやってきて、同期の人たちと再会して久しぶりにみんなで飲んだ後、そのままこちらのホテルに宿泊したのであった。

昨日、「もし時間があったら補講に顔を出してよ」とお願いしていたのだが、ありがたいことに、友達を連れて、わざわざ来てくれたのである。

「番組の途中ですが、ここでゲストを紹介します」

私はそう言って、Sさんを紹介した。

Sさんには急遽、先輩として、そして社会人として、学生たちにメッセージを言ってもらうことにした。

Sさんのメッセージは、卒業した先輩だからこそ、言えるメッセージだった。

20人ほどいる学生たちが、みな真剣に話を聞いている。

(なんだよぉ)私は少し落ち込んだ。(学生たちは、私の言うことなんていつもテキトーに聞き流してばかりいるくせに、先輩の話となるとちゃんと聞くんだな…)

もっとも、私が学生だったとしても、そうだろう。

もっとこういう機会を増やせば、聞き流される私の話なんかよりも、かなり効き目があるのかもしれない。

Sさんには、少しの時間だったが、授業にも出てもらった。Sさんにとってみても、久しぶりに授業を受けて、学生時代にもどった気分になれたはずである。

「職場公開」といいつつ、スタッフたちにも高校生たちにも一顧だにされなかった「公開補講」だったが、もはやそんなことはどうでもよかった。今日の「職場公開」にあわせて「公開補講」をしたことは、本当によかったと思った。

夕方5時半、補講は終了した。

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卒業生はいつも突然やってくる

7月27日(金)

明日は、年に一度の「職場公開」のイベントである。1日、その準備で職場は慌ただしい。

私にとってはそんなことより、明日は朝9時からまる1日、補講である。

一度も休講にしていないのに、割りあてていた発表が終わらず、9人ほどが残ってしまった。

1人1時間発表するとして、少なくとも9時間は補講をしなければならない。

考えたあげく、どうせなら、「職場公開」の日に補講をぶつけてしまえ、と思いついた。

「模擬授業ではなく、実際の授業を高校生に公開する。これこそ本当の『職場公開』です!」

と主張したが、誰ひとりとりあってはくれなかった。ま、所詮、そのていどのものなのだろう。

夕方、明日の「職場公開」のイベントで展示するパネルの準備をしていると、「先生!」と呼ぶ声がする。

見ると、この3月に卒業したSさんである。

「どうしたの?」Sさんは、隣県で社会人1年生として働いている。

「まさか、仕事がつらくなってやめたんじゃ…」今日は金曜日である。

「違います。今日は休みを取って来たんです」

まったく卒業生というやつは、いつも突然やって来るものだ。

「先生、全然変わりませんね」

「当たり前でしょう!まだ卒業して4ヵ月しかたっていないんだから」

同じくこの3月に卒業し、今はこの職場に勤めているT君も合流して、しばし歓談する。

かなり仕事の愚痴がたまっていたらしく、立て板に水のごとく喋りはじめた。

「先生、このあと私たち同期が集まって飲みに行くので、よかったらぜひ来てください」

「わかった。仕事が片づいたら顔を出します」

そして夜8時、駅の近くのお店に向かう。

この3月に卒業した4名が集まっていた。T君とは今も頻繁に会っているが、3人の女子とこうしてお酒を飲むのは、卒業式以来である。

社会人1年生の3人の女子による、会社の愚痴が、たまらなく面白く、興味深い。みんな、自分の身のまわりにそのはけ口がないことを嘆いていた。

「社会人が、こんなに孤独なものとは思いませんでした」

「そうでしょう」私がもうずいぶん前から感じていたことだ。

「卒論を書いていたころが懐かしいです。卒論を書いていたころが、いちばん充実していました」Sさんがしみじみ言った。

「その言葉、今の4年生に聞かせてやりたいよ」と私。たぶん今の4年生には、まったく実感のわかない言葉だろう。

いま目の前でくり広げられている、3人の女子による、職場の愚痴の言い合い。

これが、ホンモノの女子会、というものだろうか。

気がつくと、深夜0時を過ぎていた。

「まだ話し足りませんね。次回はみんなで温泉に行きましょう」Sさんが提案した。

やはり私は、愚痴を受けとめるマシーンなんだな、と苦笑した。

横でT君も、苦笑していた。

「卒業生はいつも突然やってくる 会社の愚痴をおみやげにして」

なんてね。

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夜空の下の卒論中間発表会

7月26日(木)

夜7時、遅れて「丘の上の作業場」に行く。

作業場に、見慣れない親子がいた。

「この方、高校の先生です。で、こちらがその息子さん」と世話人代表のKさんが紹介した。

「どうもはじめまして」私はその先生にあいさつした。

「昨年も生徒を連れて、クリーニング作業を見学に来たんですが、今年もまた来ました」

「そうですか」

「もう日が暮れてしまったので生徒たちは帰宅させたんですけど、私と息子は、少しお手伝いしようと思って」

「どうぞどうぞ、大歓迎です」

息子さんは、小学生である。

「しかし、あれですねえ」と先生。「大学って、研究だけじゃなくって、こういうこともするんですね」

「いや、大学では、けっこう珍しいことだと思いますよ」と私。

「でも、こういう作業を大学でやっているということを知ったら、生徒たちも、大学にもっと興味を持つと思うんです」

それは私も同感だった。大学の中で、もっと当たり前にこういう作業ができることが、私の理想なのだ。

「去年も1回、息子がクリーニング作業に参加させてもらったのですが、今日も参加させていただいて、これを夏休みの自由研究にしたいと思っています」

小学生の息子さんは、ハケと筆と竹ぐしを持って、さっそく本のクリーニング作業をはじめた。

その作業は、ずいぶんと手慣れていた。去年のたった1度だけの経験でも、作業の手順というのは忘れないものらしい。

7時半になった。

作業が終わった後、みなさんちょっと残ってくださいと、「丘の上の作業場」のリーダーであるYさんが言う。

「実は私の指導学生である4年生のRさんが、これから卒論中間発表をするので、皆さんに聞いてもらいたいんです」

「ここでですか?」

「ええ」

なんと、夜空の下の卒論中間発表である。

「ぜひ発表を聞いていただいて、皆さんからのご意見をいただきたいんです」と、指導教員のYさん。Yさんはその道の専門家で、私たちはド素人である。でも、そのド素人の私たちにも、指導学生の卒論の構想を聞いてもらおうというYさんの姿勢は、なかなかまねできるものではない。

4年生のRさんは、この「丘の上の作業場」でのクリーニング作業が始まった最初の頃から、この作業に中心的にかかわってきた学生である。卒論のテーマも、このクリーニング作業と関わりの深い、化学分析にかかわるものだった。昨年から一緒に作業をしている私たちも、彼女にはいい卒論を書いてもらいたいと思っているのだ。

Photo 夜空の下で、卒論中間発表会がはじまった。

聴衆は、同じゼミの後輩学生やOB、他の大学の畑違いの教員(つまり私)、自治体職員や高校の先生、そして小学生。

こんなバラエティに富んだ聴衆のいる卒論中間発表会は、おそらく全国のどこをさがしてもないだろう。しかも夜空の下で、である。

短い時間だったが、この貴重な時間を、かみしめた。

「今日で、『丘の上の作業場』の作業は、ひとまずお休みです」と、世話人代表のKさん。8月と9月は夏休みに入るのだ。

「また、大人たちだけでビールでも飲みたいですねえ」

「いいですねえ。またやりましょう」

「いまは忙しいから、1カ月後ぐらいなんかどうでしょう」

「そうしましょう」

というオジサンたちの会話。

そういえば、もうここ10日ばかりビールを飲んでいない。

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ため息をどうするわけでもないけれど

7月25日(水)

Pkg40 こんなことをしている場合ではないのだが、映画「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」(シリーズ第40作、1988年12月公開)を、つい見てしまう。

早稲田大学のロケのシーンで、こぶぎさんがエキストラで出演した、というので、それを確かめるためである。

本編ではカットされた、と、以前聞いていたが、万が一ってこともある。念のため、じっくりとそのシーンを確認することにした。

…しかし、やはりこぶぎさんは確認できなかった。残念!

私見によれば、「寅次郎サラダ記念日」は、「男はつらいよ」シリーズの曲がり角となった作品である。

渥美清の体力の衰えがはっきりとみてとれるのもその一因だが、なにより時代がバブル経済のまっただ中で、寅さんの世界観が時代とまったく乖離してしまったことが大きな原因である。

劇中では、バブル経済を謳歌している大学生が登場する。

実はこぶぎさんも、そしてこの私もその時代の大学生だったわけだが、私は映画に出てくるような大学生とは似てもにつかないくらい、悶々とした大学生活を過ごした。

だから当時映画を見ていて、「早稲田大学は、こんなにも楽しい大学なのか…」と思ったものである。

またそこに出てくるのが、尾美としのりだもの。

尾美としのりは、私たちの世代にとっては、ジュブナイル映画に欠かせない俳優である。言ってみれば、映画の中における私の「分身」である。その尾美としのりが寅さん映画の中で、「今どき」の爽やかな大学生の青年を演じる、というのが、尾美と同世代の私の心をくすぐったのである。

あらためて作品を見返してみると、たしかに以前に比べるとパワーダウンしたとはいえ、相変わらず、演出が丁寧であることには変わりがない。寅さん版「ジュブナイル映画」だと思えば、それはそれで楽しめるのである。

それに、なぜ「寅さん」に『サラダ記念日』?と、当時は思ったが、すっかり時代と乖離してしまった寅さんが、時代にとけ込んでいくためには、当時流行していたこの歌集を持ち出すしかなかったのかもしれない、とも思う。

『サラダ記念日』なんて言ったって、いまの若い人はわかんないだろうなあ。俵万智という歌人の、短歌集である。バブル経済まっただ中の1987年当時、めちゃくちゃ流行った短歌集だったんだから。

…ん?まてよ。まさか、山田洋次監督は、寅さんの啖呵(たんか)と、俵万智の短歌を掛けたんじゃ…!?。…まさかねえ。

映画を見て懐かしくなり、大手古本屋チェーン店に駆け込んで、『サラダ記念日』を買って久しぶりに読んでみることにした。

…そんなことやっている暇あるのか?

いま読むと、まあなんと甘ったるい短歌だろう、と思う。バブル期だから許されたのかなあ、とも思う。

でも告白すると、私は嫌いではない。

気になった短歌をいくつか。

「金曜の六時に君と会うために始まっている月曜の朝」

「文庫本読んで私を待っている背中見つけて少しくやしい」

「あなたにはあなたの土曜があるものね 見て見ぬふりの我の土曜日」

「中二日(なかふつか)あけて手紙を書いている今シーズンをのりきるために」

うーむ。かなり甘ったるいなあ。でも言葉のチョイスが素晴らしい。

さて、劇中でも紹介されていたものだが、

「ため息をどうするわけでもないけれど少し厚めにハム切ってみる」

という歌がある。この「ため息をどうするわけでもないけれど」というフレーズが、なんとなく好きである。

そこで今日のお題は、「ため息をどうするわけでもないけれど」。このあとに続く下の句を、考えてみようではないか。

…うーん。むずかしいな。

ため息をどうするわけでもないけれど

さあて仕事にもどるとするか

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求む!英語上達法

7月24日(火)

8月の後半に、ベトナムと中国から30人ほどの学生が、2週間ほどうちの職場に短期研修に来ることになった。サマースクール、というやつである。

うちの職場でも初めての試みなので、どんなことをしていいかわからない。

先日、上司からメールが来た。

「こんな感じでプログラムの原案考えてみたんだけど、意見ちょうだいよ」

原案をみると、じつにマジメなプログラムである。これでは、せっかく日本に来た学生たちは、ツマラナイだろう。

「これではマジメすぎてつまらないですよ。もっと楽しいプログラムにしないと」

いろいろなアイデアをメールに書いた。

さっそく上司から返事。「ありがとう。参考にさせてもらいます」

さて、今日はその打ち合わせである。

原案は大幅に作り直され、私が提案した数々のアイデアが、ほぼそのまま採用されていた。

「モノは相談なんだが、あなたが出してくれた、あの企画ねえ」

「ああ、あの企画ですね」私が出したアイデアのうちの、目玉企画のことである。

「あれをぜひやりたいんだが、当日はあなたが全部仕切ってくんないかなあ」

「え?私がですか?」

「あなたがやり方を一番よく知っているんだし」

「そんなぁ…」実はいたずらに考えた企画で、私だって、やったことはないのだ。

「まる1日の仕事になるけど、朝イチの企画の趣旨説明から、夕方の発表会の仕切り、それに最後のまとめまで、頼むよ」

「…はあ」まあ、言い出しっぺだから仕方がないか、とあきらめた。それにしても、言い出しっぺが担当しなければならないというこの職場の仕組みは、なんとかならないものか。

「あのう…」

「何か?」

「日本語で説明していいんですよねえ」不安になった私は聞いた。ベトナムと中国から来る30人の学生は、日本語がわかるのかどうか不安だったからである。

「そりゃあ、当然英語でしょう。だって、日本語がわかる学生なんて、ごくわずかだもん」

ええええぇぇぇぇぇぇ!!!!

え、え、英語???

最後に英語で話をしたのなんて、何年前だろう。

たしか大学院生の時、夏休みの1カ月間、とある地方のユースホステルで暮らしていて、そのときにたまたま同室だった海外からの旅行客とカタコトの英会話をしたのが最後だったから…。

20年前だ!

英語なんて、絶対にしゃべれないぞ!

困った。本当に、困った(映画「男はつらいよ」の、笠智衆扮する御前様の口調で)。

これからどうしよう?

1年以上前のことだったか、英語が堪能な友人にすすめられて、ラジオ講座を聴きはじめようと思ったが、なんと聴く前から挫折してしまった。

あの時、マジメに始めておけば、こんな思いはしなかったのに…。

誰か英語が堪能な人、1カ月で英語が上達する方法を教えて下さい!

ただし、うちにはテレビがないので、テレビを使った勉強法はダメです。

英会話学校に行く時間もありません。

使える機材は、ラジオとiPodとパソコン。

いちおう、「パックンマックン」の英会話講座のPodcastは聴こうと思っています。それ以外に、何かいいアイデアはありませんか?

さあ、今日のお題は「最も効果的な英語上達法」だ。たのむぜ、スティーブ!(「世界の料理ショー」風に)。

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勝負はこの週末

7月22日(日)

私の業界を「お笑い業界」にたとえると、私は中堅のお笑い芸人である。

そうねえ。「さま~ず」とか、「くりーむしちゅー」とか、そんなランクである。

夏休みに、お笑い芸人たちが集まる合宿ライブをやることになった(もちろん、これはたとえ話)。

ネタをするのもお笑い芸人なら、客もお笑い芸人である。

主催者の友人から、「8月の合宿ライブで、お笑い芸人全員の前でネタをしてください」と言われた。

大勢の同業者の前でネタをするのは、本当に久しぶりなので、どうしていいかわからない。すっかり、やり方を忘れてしまった。

「どんな人が来るんです?」

「おもに若い人ですが、今年はベテランの人もそろって来られるそうです」

つまり、若手の後輩芸人と、ベテランの先輩芸人、ということである。

これは困った。

若手のお笑い芸人からは、「あいつ、先輩ヅラしているけど、実力はあんなもんか、フフフ」とバカにされそうだし、ベテランの先輩芸人からは、「アイツの芸は、基礎がなっておらん。俺たちのころは、もっと勉強したもんだ」などと、説教されかねない。

つまり今回引き受けた仕事は、私にとってまったくトクにならない、ということである。

こりゃあ、ヘタなネタを出せないなあ。

しかも主催者の友人からは、「今月末までに、どんなネタをやるか(つまり、発表原稿)を、絶対にこちらに送って下さいよ」という。なんでもそれを冊子にして当日来た人に配るので、印刷と製本の都合上、締切が今月末だというのである。

もうあまり時間がない。今月の最終週は、ビックリするくらい仕事を抱えているから、やれるとしたら、この週末しかない。

ということで、この週末は、引きこもってこのときのネタを考えることにした。

21日(土)

朝から必死に考えても、ネタが思いつかない。

(こまったなあ。神様が降りてこないなあ)

引きこもってばかりでは仕方ないので、お昼から午後にかけて、やはり私と同様、ネタ作りに追い込まれて職場に来ていた同僚と話をしたり、知り合いの仕事現場の公開説明会があるというので、出かけていって、そこでまたいろいろな知り合いと話をしたりする。

おかげで午後になって、ようやく、神様が降りてきた。

降りてきた神様は、正しい方向に導いてくれるのかどうかわからないが、とりあえず、この神様のお告げにしたがって進んでいくしかない、と思い、ネタを考えはじめる。

22日(日)

1日、職場に引きこもり、昨日降りてきた神様のお告げにしたがって、ネタを作り上げる。

しかし、耳元で悪魔がささやく。

「髪の毛が伸びてきたよ。そろそろ散髪屋に行ったら?」

「履いている靴が破けてボロボロだねえ。そろそろ買いかえないと、夏休みを乗り切れないぞ」

「せっかくの休日なんだから、アルトサックスを練習しないとねえ」

さあ困った。こういう時にかぎって、ほかのことをやりたくなってしまう。

(どうしよう…)

考えたあげく、夕方、靴を買いに行くことにした。

けっこう気に入った靴が買え、気分がよくなった。

(ついでだから、1時間だけ、アルトサックスを練習しよう)

一昨日に引き続き、ナベサダさんの「BOA NOITE」のアドリブ部分の練習。

すると、ビックリするくらい調子がいい。

(今日は音もよく出るし、指もよくまわるなあ)

あっという間に1時間がたってしまった。

この勢いで続けて練習したら、飛躍的に技術が上達するぞ。

練習時間をもう1時間延長したい、と思ったが、グッとこらえた。

どうして、絶対にやらなければならないことがある時にかぎって、それを差し置いてほかのことがはかどるのか?

これは、人類永遠のテーマである。

さて、かんじんの「ネタ作り」。はたしてうまくいくのか?

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神様に近づく

7月20日(金)

私と同世代のラジオDJが、自分のことを「面倒くさい性格」と評していて、それをオモシロをまじえながら自虐的に語る話がおもしろい。

まるで、自分を見ているようだからである。

たとえば、頼まれもしない仕事については、一生懸命やる。

それを見ていたある人が、「じゃあ、正式にそれを仕事としてお願いします」と依頼したりすると、とたんにやる気をなくす。

とか、

適当に流せばいいものを、自分の中の「屁理屈お化け」がしだいに体内を支配してきて、言わなくてもいいような青臭いことを言う。

とか。

そんな話は、まるでここ最近の私である。

周囲の人も、私をもてあましはじめているようだ。そのことが手にとるようにわかるのだが、あるいは思いすごしかもしれない。

まあこんな面倒な性格につきあえるのは自分しかいないから、最後は自分でなんとかやっていくしかない。

なかなか気分が晴れないので、今日は思いきって、アルトサックスの練習を2時間することにした。

夜、いつもの練習スタジオに行く。

すれ違うのは、地元の私立高校生ばかり。

いったい俺は何をやっているんだ?のんきなもんだ、と、また落ち込む。

実は、私がアルトサックスを約15年ぶりに再開したのは、動画サイトに上がっていた、1980年代中盤にナベサダ(渡辺貞夫)さんがライブで演奏した「BOA NOITE」という曲を聴いたからである。

この曲を聴いたときは、衝撃を受けた。こんな風にアルトサックスを自由自在に吹けたら、どんなに気持ちいいだろう、と思った。

この曲を聴くたびに、気持ちが晴れていくのがわかった。

だから自分も、この曲を、アドリブまで含めて完璧にコピーしたい、と思ったのである。

まったく、身の程知らずもいいところである。

そもそも、これには楽譜がない。

仕方がないので、耳で聴いて、音をコピーしていくしかない。

気の遠くなるような作業だが、少しずつ、できる部分から、コピーしていく。

最初はゆっくりと指を追いながら吹き、徐々にそのスピードを速めていく。

すると不思議なもので、2時間も練習し続けると、最初は雲を掴むような感じだったものが、次第に、形になってゆく。

明らかに、2時間前とくらべて上達したことが、自分でもわかる。

もちろん、ナベサダさんのアルトサックスは、神業である。

だが、その神業とは、どういうものなのか?

その境地を、少しでも垣間見てみたい、と思った。

(こんな指遣い、ありえねえ~)

「自由自在」に吹くどころではない。水の上を優雅に行くアヒルが、水面下で必死に水をかくがごとくである。自らが追体験することで、ナベサダさんの凄さを、あらためて知るのである。

だが、バッカみたいに何度も何度もくり返し練習すると、神業的な指遣いに、ほんの少し、近づくことができる。

前にも書いたが、これは語学の勉強に似ている。

語学の秘訣は、「情熱」と「ガッツ」である。たとえば、「この人と話がしたい」という強い気持ちが原動力になり、バッカみたいに何時間も勉強することにより、語学は絶対に上達する。

楽器の練習も同じである。ナベサダさんの曲が好きだからこそ、苦にもならずに練習できるのである。

この曲を完全コピーできるまで、アルトサックスの練習を続けよう。

たぶん、生涯、誰にも聴かせることはないだろうけれど。

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聖化の完成

7月19日(木)

120719_1951030001 夜、「丘の上の作業場」での作業が終わったあと、所用があって「前の職場」の同僚だったKさんに電話をする。

「これからこぶぎさんと食事に行こうと思っていたところです」とKさん。すぐ横にこぶぎさんがいるらしい。「替わりましょうか?」

あのゲストハウス、ヒント出し過ぎだよ」と、替わるなり、さっそくこぶぎさんが言う。

「やはりわかりましたか」

「あれだけヒントを出されれば、すぐにわかるよ」

それからひとしきり、その話題になる。こぶぎさんは私のブログをきっかけに、そのゲストハウスのことをかなり調べていた。

私のブログをどんだけ精読しているんだ?これほど私のブログを読み込んでいる読者は、他にいないだろう。

「ま、連休中にもかかわらず予約が入っていないゲストハウスには、気をつけろってことですな」これまで数々のゲストハウスに泊まってきたこぶぎさんならではのアドバイスである。

「ところで、DVDマガジンの『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』はいつ出るの?自分が出演しているのかいないのか、確認したくってね」一昨日私が書いたコメントを受けて、こぶぎさんが質問した。

こぶぎさんはなんと、映画「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」にエキストラで出演していたのである

ただし、撮影は行われたものの、編集段階でカットされたという。「山田洋次監督は、見る目がないよなあ。私の演技をカットするなんて」というのが、こぶぎさんの口癖である。

で、本当にカットされたのか、ひょっとしてカットされていなかったんじゃないか、そのことを確認したいというのである。

M0432992801 「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」はシリーズ40作目で、その前の作品が「男はつらいよ 寅次郎物語」である。先日、この「寅次郎物語」を見返した。

ある日、小さい男の子が寅次郎を訪ねて柴又にやってくる。彼は、寅次郎のテキ屋仲間の息子なのだが、彼の父親、つまり寅次郎の友人が死んでしまい、身より頼りのない彼が、寅次郎を頼ってやって来たのである。彼には生き別れた母がいた。寅次郎は、その息子とともに、母をさがす旅に出る。

寅次郎版「母を訪ねて三千里」である。

この映画をあらためて見なおすと、この時期のシリーズ作品の中では、ずば抜けた名作である。

寅次郎は、シリーズ作品を重ねるごとに、「どうしようもない厄介者」から、「いい人」へと変貌していく。これを評論家たちは「テキ屋の聖化」と呼んだが、この映画は、その「寅次郎の聖化」が極まった作品である。

帝釈天の「御前様」である笠智衆と、妹のさくら(倍賞千恵子)との会話に、それが端的に表れている。

御前様「よかった。ほんとうによかった。仏さまが寅の姿を借りてその子を助けられたのでしょうなあ」

さくら「もったいない。兄みたいな愚かな人間が仏さまだなんて・・・罰が当たりますよ、御前様」

御前様「いや。そんなことはない。仏さまは愚者を愛しておられます。もしかしたら私のような中途半端な坊主より、寅の方をお好きじゃないかと、そう思うことがありますよ、さくらさん」

さくら「おそれ入ります」

文字に起こすとそのセリフの妙味がなかなか伝わりにくいが、これを笠智衆が語ると、じつに印象的なセリフになる。

ここでは寅次郎が「仏さまに愛された人物」と評されるが、そこに思い至る御前様のまなざしこそが、すばらしい。

もうひとつ、シリーズ中屈指の名シーンがある。終盤、寅次郎が甥の満男に見送られて、柴又駅から旅に出ようとするシーンである。

思春期真っ直中の満男がふいに、伯父の寅次郎に聞く。

満男「おじさん」

寅次郎「なんだ」

満男「人間てさあ・・・」

寅次郎「人間? 人間がどうした」

満男「人間は、何のために生きてんのかなあ?」

寅次郎「ん?おまえ、難しいこと聞くなあ。え?、うん、何ていうかなあ、ほら、ああ、生まれてきてよかったなあって思うことが、何べんかあるじゃない、そんなために生きてんじゃねえのか?」

満男「ふ~ん」

寅次郎「そのうちお前にもそういう時が来るよ。なあ。まあ頑張れ!」

そして、寅次郎が柴又駅に向かって去っていくのだが、その去ってゆく後ろ姿が、じつに格好いいのだ。それはまるで、ひとりの思索者のようである。

この作品で、「寅次郎の聖化」が完成した、といってよい。

この作品を見るたびに思う。「この作品でシリーズを終わらせていたら、有終の美を飾れたのではないか」と。

それだけこの作品は、後期のシリーズの中では屈指の名作だと、私は思うのだ。

だが、こうも思う。

もしこの作品が最後の作品になっていたとしたら、次回作でこぶぎさんがエキストラとして出演する機会も、永遠に失われてしまっただろう。

そう思うと、続いてよかった、とも思う。

そんなシリーズ第40作「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」のDVDマガジンは、7月24日発売ですよ!こぶぎさん。

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冷や麦生活

7月18日(水)

仕事でいやなストレスがたまったときは、お酒を飲む、のではなく、アルトサックスを吹く!

これに限るね。ストレスがたまった日ほど、楽器の調子のいいこと!今日なんか、とくに調子がよくって、ふだん出にくい音が出たりするもんね。

あまりに調子がいいのがもったいなくて、いつも1時間練習するところを、もう1時間延長しようか、と思ったほどである。

相変わらず、サックスの練習は続けているのだが、最近、もうひとつ凝りはじめたのが…。

そう!冷や麦!

一昨日、冷や麦が食いたい!と思い、スーパーで、冷や麦と、めんつゆと、ネギと、ミョウガと、大葉と、オクラと、ショウガを、大量に買いこむ。

で、薬味をたっぷりと作って、冷や麦を食う。

今週は、毎日冷や麦である。

本当は、お昼に冷や麦を食べたいのだが、職場で冷や麦を茹でるわけにもいかない。

先日、「そうめんよりも冷や麦の方がいい」なんてことを書いたら、ブログを読んだ卒業生が昨日、地元の業者が作っている冷や麦を買って遊びに来てくれた。ありがたいことである。

今月いっぱいは、冷や麦生活を送ることにしよう。

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陸の孤島、ここに極まる

7月17日(火)

朝、職場のパソコンをつけると、ネットワークがつながらない。

つまり、メールもインターネットも見られない、ということである。

(とうとう陸の孤島も、ここに極まれり、だな…)

いま私がいる建物は、管轄している部局が、よくわからない。

1週間ほど前、階段のところの掃除が、全くなされていなかったり、階段の踊り場の電気が切れていたりしていることに気がついた。誰に言ったらいいのだろう?

この建物はKという部局が管轄しているらしいのだが、建物じたいは、Rという部局の建物と地続きである。

で、ややこしいことに私はJという部局に属している。J部局の人にこのことを言うと、「あの建物は、うちの管轄ではありませんから、うちがあれこれ口出しすることはできないんです」という。

しかたがないので、「階段の電気が切れているので、交換してください」と、K部局に言ったところ、「それはR部局の管轄です」と言われた。

R部局からすれば、たまたま建物が地続きなだけで、R部局とはいっさい関係のない人たちが集まっている建物にすぎない。「なんで俺たちが、お前らの面倒を見なければならないんだ?」と、心の底では思っているに違いない。

地続きになっている廊下を見ると、R部局の建物はピッカピカなのに対し、私がいる建物は、およそ掃除をしてくれている気配がない。その様子を見るにつけ、「ああ、やはり陸の孤島だ…」と、憂鬱になる。

「すいません。階段の電気が切れているので、直してください。できれば、廊下や階段の掃除もお願いしたいんですが」

「はあ、わかりました」

R部局の係の人はそう言うが、「あとでやります」と言った雰囲気で、はたして本当に対応してくれるのかどうか、わからない。

そして今日は、ネットワークの不具合である。

いろいろ聞いてみると、この件は、J部局でもR部局でもK部局でもなく、N部局が管轄らしい。

やっとのことでN部局にお願いしてみると、「午後にでも対応します」という。これも、本当に対応してくれるのかどうか不安である。

ま、1日くらいネットワークがつながらなくても、それはそれでいいか、と思いなおし、研究室にこもって、6月末締切だったはずの、原稿にとりかかることにした。

ネットワークがつながらないおかげで、原稿が進む進む。ネットワークは午後に復旧したが、そんなことも忘れて書き続けた。

ネットワークがつながらないのも、まんざら悪いことではない。

4000字の原稿をなんとか書き終えた。

夜、階段の踊り場の電気がつくか、スイッチをつけてみる。

パチッ!

ついた!R部局の人が、電灯を交換してくれたんだな。

「陸の孤島」は、見捨てられてはいなかったのだ。

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注文の多いゲストハウス

7月15日(日)

新幹線で、西に向かう。

3連休のためか、その町のほとんどのホテルが満室であった。

妻がインターネットの旅行予約サイトで、とあるゲストハウスを見つける。

古い民家を改装してゲストハウスとしたもので、1泊3000円ほどの格安の宿である。

「貸し切りですので他のお客様を気にされることなく、自分たちだけの空間をのんびりゆったり満喫できます」とある。考えようによっては、雰囲気のいいところかも知れない。

ものは試しに、ということで、予約することにした。

予約をすませた画面に、「注意事項」というのがあった。

「お荷物のお預かりは前日までに到着時間をお知らせください。連絡なしにお越しいただいても不在の場合がございます」

「男性のみのご利用及び、未成年の方のみのご利用はできません」

「館内火気厳禁にて、全館禁煙です」

「ご近所での路上喫煙も絶対にしないでください」

「暴れたり騒いだりなど、ご近所にご迷惑をかける行為は絶対にしないでください」

「違反された場合は即時ご退去いただきます(いただいた宿泊料金はお返しいたしません)」

「違反行為による設備等の破損や営業上の損失については損害賠償請求をさせていただくことがあります」

「さらに、違反行為による損害や怪我、疾病等について一切責任を負いません」

ずいぶんといろいろな注意事項が書かれている。最初に書かれていた「のんびりゆったり満喫できます」という宣伝文句とのギャップにおどろいた。

もとより、違反行為などする気はさらさらないのだが、これだけ書かれると、どんなに厳しいところなんだろう、と、身構えてしまう。

ほら、よくラーメン屋さんとかうどん屋さんとかで、「味に集中してもらうために、店内禁煙です」とか、「ほかのお客様のご迷惑にならないよう、私語は慎んでください」みたいな貼り紙がいっぱいあるお店があるでしょう。あんな感じのプレッシャーである。

さて当日の夕方。

ホームページからプリントアウトした地図を頼りに、目的のゲストハウスに向かう。

だが周囲は、ゲストハウスがあるとは思えないような、住宅地である。

「大丈夫かなあ」と地図を片手にした妻が言った。「もしかして、ネットタヌキなんじゃない?」

「ネットタヌキ?」

妻によれば、インターネット上で、タヌキに化かされたのではないか、というのである。

しばらく歩くと、玄関にゲストハウスの名前が書かれたのれんがかかっている家を発見した。扉の横に、「本日貸切」と小さく書かれた木の札がかかっている。

「ほ、ほら見てみな。ちゃんとあるじゃない」と私。

しかしながら、ずいぶんと小さな家である。

おそるおそる入ると、ひとりの若い男性がいた。私たちは、頑固オヤジの主人を想像していたのだが、予想とはまったく違った、気の弱そうな若主人だった。

「あのう…、今日、予約した者ですけど…。お知らせしたチェックインの時間より早いんですけど、大丈夫でしょうか」たしか注意事項には、あらかじめ連絡したチェックインの時間より早く来ても、荷物は預かれない可能性がある、と書いてあったので、ビクビクしながら聞いた。

「ええ、大丈夫ですよ。ただ、いまから友達が来る予定なんでね」

と、友達?どうやら、私たちのチェックイン予定時間までのあいだ、ここで友達の寄合が行われることになっていたらしい。

「いえ、とりあえず荷物だけ置かせてもらって、私たちこれから夕食に出ますので」そう言って、とりあえず荷物だけ置かせてもらうことにした。

「どうぞこちらです」

ふつうの居間のような畳部屋に案内された。

「ここが、共用スペースになる居間です。ここに荷物を置いておいてください」

次に奥の部屋に案内された。ここが寝室です、といって案内された部屋には、2段ベッドが置いてあった。

「今日は貸し切りですので、2段ベッドが窮屈な場合は、先ほどの居間に布団を持っていって寝ていただいてもかまいませんよ。ただし、その隣の部屋で私が寝ておりますので」

えええぇぇぇ!?ふすまをはさんだ隣の部屋が、あんたの寝室かい!

どうもよくわからない。

「あのう…ひとつ聞いてもいいですか?」

「何でしょう?」

「男性のみの宿泊はお断り、と、注意書きに書かれていたんですが、これはまたどうしてでしょう?」

「以前、とんでもないことが起こりまして…」若主人は、それ以上のことは言わなかった。

いったい何があったのか?気になって仕方がなかったが、それ以上のことは聞ける雰囲気ではなかった。

「いちおう、合い鍵をお渡しします」若主人が私に合い鍵を渡した。「万が一、私が不在の場合もありますので」

「はあ」

「明日の朝も、もしチェックアウト時に私がいない場合は、外から鍵をかけていただいて、鍵を郵便受けに放り込んでおいてください」

「はあ、わかりました」

私たちは夕食に出た。

夕食から帰ると、ゲストハウスに鍵がかかっている。

「おかしいな…。たしか、若主人が友達と寄合をする、と言っていたはずだが…」

合い鍵を使って入り、居間に行くと、ちゃぶ台の上に置き手紙らしきものがあった。

「今日はこれから不在にしますので、何かありましたら、以下の番号にご連絡ください。もし何もない場合は、明日の朝8時半にこちらにまいります」

どうもわからないことばかりだが、とりあえず、今晩、若主人はこの家に泊まらないのだな、ということだけはわかった。

「本当かなあ」と妻。

「何が?」

「実は、ふすまをはさんだ隣の部屋にいたりして」

「まさか…」

ふすまを開けて隣の部屋を見てみたい、という衝動にかられたが、開けて、何かとんでもないものを見てしまったら怖い、と思って、開けることはできなかった。

その晩は、暑さと疲れで奥の部屋の2段ベッドでぐっすりと寝てしまった。

さて翌朝。

朝8時半に若主人が来る、と言っていたが、8時頃には出発の準備がととのってしまった。

私たちは昨日の若主人の置き手紙の裏に「お世話になりました」とだけ書いて、出発することにした。若主人に言われたとおり、玄関の鍵を外からかけて、その鍵を、郵便受けの中に投げ込んだ。

結局、ゲストハウスの若主人に会ったのは、チェックインしたときの1度きりである。

泊まり心地は悪くなかった。むしろ旅行予約サイトの宣伝文句のとおり「のんびりゆったり満喫」できたのである。掃除も行き届いていて、古い民家ながらも、清潔だった。

しかし私は心のどこかで、妻が言った「ネットタヌキ」という言葉が、ひっかかっていた。

あの置き手紙は、いまごろ「木の葉」に変わっていたりして。

次に来たときには、あの家が廃屋だったりして。

そしてあの気の弱そうな若主人はやはり…。

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社交性のない二人

7月14日(土)

W大学を会場にした、国際シンポジウムに参加する。

といっても、今回は聴衆として、である。

私は同業者の間では、ビックリするくらい社交性がない。

午前の部が終わってお昼休みとなるが、誰にも昼食に誘われない。妻は発表者の1人なので、別室で昼食が出るという。

仕方がないので、ひとりであてもなくW大の界隈で食べる場所を探すことにする。

ほどなくして、「W軒」という中華料理屋を見つける。

いい感じで年季の入った中華料理屋である。

(こういう年季の入った中華料理屋は、きっと美味いに決まっているぞ)

期待して五目チャーハンを注文したが、なんというか、フツーの味である。

そして、さほど安くもない。

こんなことなら、あらかじめこぶぎさんにおすすめの店を聞いておくべきだったな、と後悔した。

夕方、シンポジウムが終わり、懇親会、2次会と続く。

1次会では、相変わらず社交性のなさを痛感するが、2次会では、妻とふたりで、韓国からいらしたお二人の先生の隣に座り、いろいろとお話を聞く。お二人の先生は、日本語がわからないので、話し相手といったら、私たちくらいしかいなかったのである。

初めてお会いする先生だが、とても気さくなお二人だった。お二人の先生は、とても楽しそうに私たちにお話しされ、私たちは聞き役に徹した。その内容は、お昼のシンポジウムではとても聞けないような、とびきり面白い裏話だった。

あっという間に夜11時近くになり、2次会もお開きとなった。

「先生、楽しんでいただけましたか?」

主催者の先生が、2人の先生に韓国語でお聞きになる。主催者の先生は、ほかの方とのお話しに忙しく、2人の先生のことは私たちに任せっきりだったのである。

「ええ、若い人たちとお話しできたおかげで、楽しかったですよ」先生のうちのお一人がおっしゃった。「若い人たち」とは、どうやら私たちのことらしかった。

「私たち、そんなに若くないですよ」妻は笑いながら韓国語で答えた。

不思議である。

私も妻も、業界内で社交性がないことにかけては右に出る者がいないのだが、韓国語だと、それほど苦にはならないのだ。

「またお会いしましょう」

タクシーでホテルに戻られるお二人の先生を、私たちはお見送りした。

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汗だるまの悩み

「汗だるま」という言葉は、おそらく「血だるま」から連想して作られた言葉だと思うが、汗かき(それも、尋常じゃない汗かき)の特徴を、よくとらえている。

私はまさに、「汗だるま」なのだ。

「汗だるま」につらい季節がやってきた。

研究室が「陸の孤島」に移ってからというもの、教室のある建物との往復が、けっこう面倒である。いったんおもてに出て、大通りを渡らなければならないからだ。

うっかり、授業に持っていくプリントを忘れたりすると、そのたびに「陸の孤島」に取りにもどらなければならない。

そんなことをくり返すうち、とたんに汗だくである。

まったく、不便な身体である。

汗を拭くための、やや大きめのタオルハンカチが欠かせないが、拭いても拭いても、次から次へとドクドク汗が出てくるので、常に右手にはタオルハンカチが手放せない。

ふだんはズボンのポケットに入れているのだが、それが妻に見つかると、ひどく怒られる。

「タオルハンカチをズボンのポケットに入れるんじゃない!」と。

タオルハンカチをズボンのポケットに入れると、ポケットがふくらんで、不格好に見える、というのだ。

しかし、ふだんのクセで、つい、ズボンのポケットにつっこんでしまう。

そのたびに、「コラッ!」と怒られる。

でも、ポケットに入れないとすると、じゃあどうすればいいんだ?

カバンに入れろ、といわれるが、汗は一刻の猶予もなく、ドクドクと流れるのである。カバンから取りだしている間にも、汗は流れつづける。それに「カバンからタオルハンカチを出す」という手間のかかる仕草が、より汗の量を増幅させるのである。

では、ポケットに入れず、常に右手に持っていろ、ということか?

あるいは、タオルハンカチを入れるためのウェストポーチを買って、それを常に装着していろ、ということか?

そっちの方が不格好な気がするぞ。

あとは、右手にタオルハンカチを直接縫いつけるとか、あるいは、右手の掌を、タオル地にしてもらうように整形手術をするとか、考えられることは、それくらいしかない。

タオルハンカチを、ズボンのポケットに入れることなく、ドクドクと流れ出る汗を拭うために瞬時に取りだせる方法が発明されたら、それは「ノーベル汗だるま賞」級の発明である。

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丘の上の男子会

7月12日(木)

夕方7時すぎ、かなり遅れて「丘の上の作業場」に着く。

忙しいことに加え、完全に心が折れた1日だった。少しの時間でも「丘の上の作業場」で作業をしながら、気持ちをリセットしなければならない。

今日の作業場は、いつもにくらべてだいぶ人数が少なかった。それでも9人は来ていた。

おどろいたことに、そのほとんどは、社会人のオッサンと青年である。

世話人代表のKさん、社会人チームのMさんとAさん、「丘の上の作業場」のリーダーのYさん、Nさん、そしてこの3月に大学を卒業した社会人1年生のT君。

考えてみれば私が最年長か…。T君を除くと、アラフォーとかアラサーといわれる世代である。今日はさながら「丘の上の男子会」である。

みんな、あたりまえのようにやって来て、黙々と作業をはじめる。もう、すっかり顔なじみである。最初はぎこちなかった井戸端会議も、いまでは自然と会話が生まれる。

ある人が、この作業メンバーを評して「地元の消防団」にたとえたが、まさにそんな感じの、ユルイつながりである。

この人たちは、最後の最後まで、信頼できる人たちなのかも知れない。作業をしながら、そんなことを考える。

「丘の上の作業場」は、清々しい場所である。

だがそれ以上に、ここに集まってくる人たちが清々しいのだ。

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韓流は人生を豊かにする

妻に言わせると、自分が韓流のドラマや映画を見たりしていることを、あまり他人には言えないものらしい。

妻は、ビックリするくらいの数の映画やドラマを見ているのだが、それを、なかなか他人に言うことができないという。

理由は、周りが「どん引き」するからである。

だから自分の近くに韓流ファンがいても、なかなか気づかないものである。

いつもクリーニング作業に来る社会人のAさんは、好青年といった感じの若者である。

クリーニング作業をしながらよもやま話をしていると、映画の話になった。

私が韓国映画をよく見る、と言ったら、Aさんが言った。

「ちょっと前に、『ポエトリー』という映画を公開していましたね」

「『ポエトリー』?」

「『シークレットサンシャイン』を撮った監督の最新作ですよ」

私は驚いた。「シークレットサンシャイン」は、韓国の原題を「ミリャン」といい、私の大好きな映画だからである。昨年の9月には、わざわざロケ地のミリャン(密陽)までおとずれたほどである

「『シークレットサンシャイン』、見たんですか?」私はAさんに思わず聞いた。

「ええ」

「あの映画、いいでしょう」

「いいですねえ。なんというか、喜怒哀楽のどれにも属さない感じの映画ですよねえ」

なるほど、上手い表現である。私も同感だった。

ひとしきり、韓国映画の話になる。

「『殺人の追憶』は名作ですねえ」

「ええ、最高です」

こういう話をするときは、「同士を得た」という感じになるから、不思議である。

さて、最近職場に1人、韓流ファンがいることがわかった。

こう言っては失礼かもしれないが、見た目はごくふつうの主婦、といった感じの方である。決して派手ではなく、むしろふだんは地道に仕事をされている。

あるとき事務室で何とはなしにお話をしていると、その方が韓流のドラマや映画をかなり見ていることが分かった。

ふだん、よけいな話はいっさいしないタイプの方なのだが、韓流の映画やドラマに出てくる俳優の名前などが、どんどん出てくる。

たぶん妻と同様で、まわりに話したところで理解されないと思い、ふだんはご自分から話すことはないのだろう。

私も、職場ではなるべくそういう話題を出さないことにしているのだが、あるとき、印刷をしようと印刷室に入ると、その方がいたので、思いきって聞いてみた。

「韓国の俳優では誰のファンなんですか?」

するとその方は答えた。

「実は、○○のファンなんです」その方は、あるアイドル歌手の名前をあげた。「その歌手があるドラマで主演しているのを見てからファンになったんです。それ以来、コンサートを見に、韓国はもちろん、ラスベガスとか、タイとかにも追っかけていきました」

「ラスベガス!?タイ!?」

私は驚いた。ふだんは、およそそんなアクティブな感じにはみえなかったからである。

「おかげで、ラスベガスとかタイとか、今までだったら絶対に行かなかっただろうな、というところにも行けたんです。私の世界が広がったんです」

「とてもすばらしいです!」私は感動した。「絶対に、ファンを続けるべきです」

数年前に韓国で放映されたドラマに、「主婦キム・グァンジャの第3活動」というのがあった。主人公の主婦を演じたのは、ドラマ「チャングムの誓い」で、ハンサングンを演じたヤン・ミギョンである。

平凡な主婦、キム・グァンジャが、あるとき、タクシーの中で流れていたアイドルの歌を聴き、それをきっかけに、そのアイドルにのめり込む。

それまで全く関心のなかったパソコンを勉強しはじめ、ファンサイトにアクセスして、ファンとチャットをはじめたりして、どんどんとパソコンの技術を習得していく。やがてファンの中でも、カリスマ的な存在になっていくのである。

私はその方の話を聞いて、このドラマのことを思い出したのである。

韓流の素晴らしさとは何か?

それは、自分の世界が広がることである。人生の幅が広がることである。

いや、きっかけは韓流でなくともよい。

自分の世界を広げたり、人生の幅を広げたりすることが、素晴らしいのだ。

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老先生との対話

7月10日(火)

相変わらずの「陸の孤島」の中の、さらにまた「孤島」の生活である。

午後は、その「陸の孤島の中の孤島」を飛び出して、60㎞離れた城下町に向かう。城下町に住む、老先生にお会いするためである。

私たちがこれから、新たな活動をしていく上で、どうしても先生にご相談しなければならないことが生じたのである。

世話人代表のKさんとともに、先生のお宅にうかがう。

齢八十をこえるその先生は、地元の高校で長らく教師をしておられ、地元の人々からの信頼も厚い。もちろん、教え子たちもいまだに先生のことを慕っている。

前もってお手紙で相談内容を簡単に記しておいたのだが、先生は相談内容に対する回答を、あらかじめメモにして準備しておられ、そのメモにもとづいて、じつに明快にお答えになった。

私は、これまで3度ほど、お目にかかってお話ししただけであるが、そんな私にも、じつに懇切にお話くださる。おそらく誰に対しても、公平に接しておられれるのだな、ということがよくわかる。先生が多くの人々に慕われている理由は、まさにその点だろう。

私が、たとえば学生から相談を受けたとして、これほどのメモを準備してのぞむことは、なかなかできないだろう。

私たちの趣旨をきちんと理解してくださり、適切なアドバイスをくださる。

謙虚で、物腰の柔らかなお方だが、確乎たる信念をお持ちである。

帰り際に、今度出版される予定のご本のお話を、ポツリポツリとなさるが、その内容が、じつに面白い。

そのお話をうかがいながら思う。この先生の最大の魅力は、人間に対する共感に溢れているところにあるのだ、と。

「人間に対する共感」。これこそが、先生がこれまで手がけてきた数多くの仕事の、原点なのではないか。

だから多くの人々が、先生のお話に共感するのである。

向かい合って座り、先生のお話をじっくりと聞く。1時間程度でおいとまするつもりが、気がついたら、2時間半が過ぎていた。

これからもたびたび、先生にご相談するだろう。

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そうめんか、冷や麦か

7月8日(日)

義妹夫婦が、新築のマンションに引っ越した、というので、遊びに行くことにする。目的は、6ヵ月になる姪に会いに行くためである。

姪は、会うといつも私の顔をじっと見つめる。おそらく私のことが大好きなのだろう。姪は私に会いたがっているに違いない。

「お昼はどうする?向こう(義妹の家)で一緒に食べようと思うんだけど」と妻。

「そうめんが食べたい」と私。

「そうめん?」

「七夕といえばそうめんだろう。昔からそう決まっているんだ。昨日食べられなかったからね」

妻が妹に電話をする。

「あのさあ。お昼、そうめんがいいっていうんだけど、そっちにある?」

電話のやりとりから察するに、どうやらないらしい。

「冷や麦ならあるって」妻が言う。

「ダメだよ、そうめんでないと。七夕といったらそうめんなんだ」

「ふーん」

ということで、義妹の家の近くにあるスーパーでそうめんを買ってから、いよいよ新居訪問である。

300グラムのそうめんを3袋、買う。

「どのくらい茹でたらいいかなあ?」と妻。

「ぜんぶ茹でたらいいじゃん」

「え?900グラムも?だって、1人分は100グラムって書いてあるよ」

ここにいるのは、私と妻と妻の母、そして義妹夫婦の5人である。つまり500グラムあれば十分なはずなのだ。

だが私は主張した。

「そうめん100グラムなんて、病気の小鳥が食うくらいの量だよ。5人もいれば900グラムなんてすぐなくなるよ」

妻が呆れた顔をして、提案する。

「じゃあ、とりあえず2袋(600グラム)茹でて、もし足りなかったら、もう一袋茹でるということにしたら?」

仕方なく同意した。

さて、実際に茹で上がり、そうめんを食べてみると、5人で600グラムは、食べても食べてもなかなか減らない。

それもそのはずである。そうめんのほかに、家から作って持ってきたおにぎりを3つも食べたのだ。たちまちお腹いっぱいになった。

「どうする?もうひと袋茹でる?」

「いえ、けっこうです」

私以外の4人は、ほら見ろ、という顔をした。

食べ終わった私が、ポツリと言った。

「そうめんじゃなくて、やっぱり冷や麦の方がよかったな…」

私以外の4人が、どないやねん!という顔をした。

「冷や麦だったら、うちにあったのに」さすがの義妹も呆れ顔である。

そうめんとおにぎりを腹一杯食べたら、急に眠くなった。

「少し横になったらどうです?」眠そうな顔を見かねたのか、義妹が言う。

「じゃあそうさせてもらうわ」

リビングに寝ている6ヵ月の姪の横で、姪と同じ姿勢で横になった。

すると、5分もたたないうちに大きなイビキをかいたらしい。

新築のマンションで、やれそうめんがいいだの冷や麦がいいだの駄々をこねたあげく、腹一杯食って、みんなの見ている前で大イビキをかいて昼寝をする。

なんとまあ、傍若無人な「長女の婿」だろう。

しばらくして目覚めると、姪はすでに起きていて、妻の母にだっこされていた。

(私のイビキで起きたのかな…)

私はいたたまれなくなり、「新幹線の時間があるので…」といってマンションを出たのであった。

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七夕の再会

7月7日(土)

このところ気分がどんよりしていた理由の1つは、とある国際シンポジウムで、パネルディスカッションの司会を頼まれていたためである。

その分野にド素人の私ごときが、その分野の第一人者ばかりをパネラーに迎えたシンポジウムを、仕切ることなんてできるのか?

そのことを思うと、夜も眠れない。

しかしその日は迫ってきた。前日は「にわか勉強」をして、(どんなふうに討論を進めていこうか…)などとシミュレーションをしてみたが、考えれば考えるほど、わからなくなってくる。

さて当日。

会場に少し早く着いて建物内を歩いていると、パネラーのお一人である、中国から来たJ先生とお会いした。

「やあ」J先生は、私に握手を求めてきた。

J先生とお会いするのは、これで3度目である。昨年12月、仕事で中国に行ったときに、北京で夕食をご一緒したのが初めてで、このときは、他のメンバーも一緒だったので、大勢のうちの一人としてお会いした。

今年の3月に、東京で行われたあるシンポジウムで、J先生がパネラーとして出席されたおり、休憩時間にご挨拶したのが、2度目である。

いずれも短い時間のことだったが、J先生は私のことを覚えていらした。

J先生は、今回のシンポジウムのテーマに関する、中国側の第一人者である。日本語はペラペラである。

J先生は、私に会うなり、さっそく学問の話をされた。その物腰はとても柔らかで、根っからの学者なんだなあ、と思う。

「今日は、久しぶりにT先生にお会いできるのを、楽しみにしてまいりました」J先生が言う。「T先生」とは、昨年以来、私がたいへんお世話になっている、「眼福の先生」である。

T先生もまた、この分野の第一人者である。つまり今日は、この分野を世界的に牽引してきた、日本のT先生と中国のJ先生が久しぶりに再会する、歴史的な日なのである。

奇しくも今日は、中国でも日本でもよく知られた、七夕である。

「そろそろ打ち合わせ会場にまいりましょう」

建物の廊下を歩いていると、今度はT先生がお見えになる。

J先生とT先生は、会うなり、かたい握手を交わした。

「今日は、T先生にお会いすることだけを楽しみにしてまいりました」とJ先生。長幼の序を重んじるJ先生は、年上のT先生に敬意を表していた。

「あなたにはいつも教えられることばかりです。いつもお便りを送ってくれてありがとう」とT先生。

8年ぶりの再会だ、というその様子は、そばで見ていて、感動的ですらあった。

11時半、昼食のお弁当を食べながら、シンポジウムの進行についての打ち合わせをする。

ところが、これがまったく打ち合わせにならない。

J先生とT先生が、すっかりと話し込んでしまっているのである。もちろん、研究に関する話である。

「本当の友人とは、久しぶりに会っても、まるで昨日の話の続きをするかのように話をすることができる人のことだ」と、あるラジオDJが言っていた。

いま、私の目の前に座っているお二人は、まさにそのような感じである。

もう、打ち合わせなんかどうでもいいや、と思った。

パネルディスカッションをどのように進めるか、などという私の思惑なんぞ、この際、どうでもよい。このお二人の学問的情熱を前にして、そんなことはまったく意味のないことである。

私はお二人で話し込んでいる様子を、写真におさめた。

この分野の第一人者であるお二人が、国の立場を越えて議論をしている姿は貴重であるし、同じ志を持ち、おたがいを尊重しあいながら議論をしている姿は、私自身にとっても、励みになるのである。

お二人は、根っからの学者だなあ、と思う。

私は仕事柄、多くの学者を見てきたが、そのほとんどは「俗物」である。私はその「俗物」たちを見るたびに、学問というものに失望するのだが、本物の学者にお会いすると、それまで多く見てきた「俗物」がかすんでしまうくらい、学問っていいなあ、と思う。

だからどんな分野であれ、本物に出会うというのは、生きる勇気を与えてくれるのだ。

私にとっては、この打ち合わせの席に出られただけで、もう十分であった。それだけで、今日来た甲斐があった。

午後1時に始まったシンポジウムは、80名ほどの参加者を得て、無事終了した。

J先生とT先生と、同じ壇上に並ぶことができたことが、これからも私を勇気づけるだろう。

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15分でテンションを上げる方法

7月5日(木)

クラシック音楽でアルトサックスが使われている曲は、「アルルの女」と「ボレロ」である、と以前に書いた

ラヴェルの「ボレロ」は、私の好きな曲の一つである。久しぶりに私の中で「ボレロ」ブームが到来した。

一つ一つの小さな楽器が執拗に同じメロディをくり返し、やがていろいろな楽器の加勢を受けて一つの大きなメロディになっていく。それは、最初はたった一人の顧みられない意見であっても、執拗に言いつづけることで大きな力になることを信じている私に、希望を与えてくれる。

アルトサックスもまた、この曲の中では、たった一人でメロディを奏でる一つの楽器にすぎない。

毎年、大晦日から元日にかけて、テレビ東京という放送局で「ジルベスターコンサート」というのをやっている。年越しの瞬間は、この番組を見ることにしている。

この番組は、オーケストラが、元日の午前0時、つまり、新年に変わる瞬間にむけて、カウントダウン曲を演奏する。そのカウントダウン曲が終わる瞬間に、新年を迎えるように、タイミングをはかりながら演奏するのである。時間ピッタリに終わらせるのが、指揮者の腕の見せ所で、その演奏は、見ていてなかなかスリリングである。

毎年、演奏される曲は異なるが、昨年から今年にかけての「カウントダウン曲」は、「ボレロ」だった。

曲の終盤に向かうにつれて盛り上がりを見せ、最も盛り上がったところで曲が終わる「ボレロ」は、年末のカウントダウン曲として演奏するにはじつにふさわしい。実際、「ボレロ」は、「ジルベスターコンサート」のカウントダウン曲として、これまで何度か使われているらしい。

だが今年は、「ボレロ」の終わる瞬間と、午前0時の時報のタイミングが合わず、少し残念な結果になった。

まあそれはよい。

ハタと思いついたことがある。

いま、自分の精神状況は鬱のどん底だが、「ボレロ」によってテンションを上げられるのではないか、と。

たとえば、目的地に着く15分前から、「ボレロ」を聞き始める。

「ボレロ」は、15分の曲である。最初は、聞こえるか聞こえないかくらいだったメロディが、次第にその音を大きくしていく。それはあたかも、どん底だった気持ちを少しずつ少しずつ高ぶらせていくがごとくである。

そして目的地についた瞬間、曲は最高潮に達し、それに合わせてテンションもMAXになる。

試してみると、なかなか効果的である。よし、これからはこの方法で、精神のどん底からテンションを上げていくことにしよう。そしてこれを「ジルベスター方式」と呼ぶことにしよう!

…というかこの程度のことで何とかなるのであれば、気持ちの落ち込みようなど、たいしたことではないのだろう。なにより、こんなバカげたことを考えているうちは、どん底とはいえない。

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記憶に残る、1枚の写真

7月4日(水)

相変わらず、本当の意味での「陸の孤島」生活である。

本当の友人はいつも一緒にいるアルトサックスだけだな、というと、何かカッコイイ感じがするが、リアルにそうなのだから仕方がない。

お昼から、会議の連続である。

ある会議では、ミスを連発する。

こういうときの対応は、早ければ早いほどよい。研究室に戻ってから、メールで各方面に謝罪する。

なにやってるんだろうなあ、まったく。

あたりもすっかり暗くなってしまった。

そういえば今日は、先週の火曜日の授業「キョスニムと呼ばないで!」の時に出したレポート課題が提出され、私の手もとに来ていたんだった。

テーマは、「記憶に残る、1枚の写真」。

150名以上の学生から提出された文章を、一つ一つ読みはじめた。

読みはじめていくうちに、涙がとまらなくなった。

なんだよおい!みんな、めちゃくちゃいい文章を書くじゃねえか!

もちろん、このテーマのためにムリクリにひねり出した「思い出の1枚」もかなり多い。だが、珠玉の作品が意外にも多かったのだ。

なかには、とても内容の重い文章もある。泣きながら書いたんじゃないだろうか。だって読んでる私だって、号泣したもの。

もちろん、読後感が爽やかなものもある。

鬱入っているせいもあり、1枚1枚読みながら、涙があふれ出す。

すっかり夜も更けた誰もいない「陸の孤島」で、学生の書いたレポートをオッサンが読みながら、嗚咽しているなんて、誰が想像するだろう。

もし私がラジオ番組を持っていたら、絶対に読み上げたいなあ、と思う文章がいくつもあるのだ。

それほど、彼らの表現力は、すばらしい。

ふだん、学生が書いたビックリするくらい意味不明な文章を苦痛に耐えながら大量に読まされている私からすれば、このギャップは何なのか?と、不思議でならない。

ここで私は気づく。

心を動かす文章を書く秘訣は、上手いか下手かではない。「伝えたい気持ちがどれだけ強いか」である。

本当に伝えたいことがあれば、それだけで、人の心を動かすことができるのである。

一枚の写真が、自分にとって大切であればあるほど、それを人にちゃんと伝えたい、と思うものなのだ。

そのことを、彼らの文章は教えてくれる。

嗚呼、珠玉の作品たちを、ここで紹介したいなあ。

ま、しばらくは自分だけの楽しみにしておこう。

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憧れと絶望の1日

気分は金田一探偵

7月3日(火)

「いちど、僕たちの調査場所を見に来ていただけませんか」

別の職場につとめるOさんからそう言われたのが、1カ月ぐらい前だろうか。

今学期は火曜日が比較的余裕があるので、火曜日ならば大丈夫です、と返事した。

朝9時、Oさんの運転する車で、現地に向かう。

Photo 車で1時間ほどのその場所は、見晴らしのよい丘の上である。そこからみえる川の流れが、心を落ち着かせた。

目的は、そこにあるお堂の内部を調査することである。

ひっそりとしたお堂の中で、時間が止まったような感覚におちいる。板壁には、びっしりと古びた絵が掛けられている。

なんか久しぶりだなあ、この感覚は。

私は、この感覚がたまらなく好きなのだ。

たぶん子どもの頃から、横溝正史の世界に憧れていたためだろう。

Oさんがお堂の内部を撮影する。Oさんは芸術家で、私とはまったく違う世界の方である。だがそれだけに、その仕事ぶりにも憧れてしまう。

「このお堂の横に川が流れていますでしょう?地元の伝承によりますと、あの川の真ん中に獅子頭の形をした大きな岩があって、もともとはその岩の上にお堂が建っていたっていうんです。それがあるとき、川が氾濫してお堂が流されそうになったんで、川岸のこの小高い丘にお堂を移築したそうなんです」Oさんが私に言う。

「うーむ。興味深い話ですねえ」ますます金田一チックな世界である!「今日の調査をもとに、いろいろと考えてみたいと思います」

誰も光をあてないところに光をあて、その語り部となる。つまり私は、狂言まわしである。

これこそ、私が少年の頃に憧れていた、金田一探偵ではないか。

少年の頃に憧れていた探偵にはなれなかったが、それに近いことをやっている。人間とは、自分の憧れるスタイルに、自分を近づけていくものらしい。

夕方までかかると思われていた調査が、お昼ごろに終わり、職場の研究室に戻った。

少し時間に余裕ができたので、得した気分になったとたん、猛烈に眠気が襲ってきた。

このところ、疲れていたからなあ。

イスに座り、足を投げ出しているうちに、うつらうつらと、というより、本格的に眠りだした。

しばらくして、トントン、と、ドアをノックする音で目が覚める。

はっ!今、鼾をかいていたんではないだろうか!?

私は眠ると、ビックリするくらい大きな鼾をかくのである。

慌てて、寝ていなかったふりをするが、たぶん、バレバレだっただろう。

その後も何人かの来客とお話ししているうちに、あっという間に夕方7時である。

(そういえば、今週はまだ、アルトサックスの練習に行っていないな…)

ということで、1時間ばかり練習をする。

再び職場に戻ると、「依頼していた研究発表の原稿、7月31日までに絶対に送ってください。絶対ですよ」と、催促のメールが来ていた。まだ全然手をつけていない。

こんなことなら、アルトサックスの練習なんか、するんじゃなかった。

あー。俺はいったい何をしているのだ?!午前中はあんなに充実して、しかも午後に思いもかけず時間ができたっていうのに、結局は、元の木阿弥である。

1日というのは、こんなものである。

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オーラのない星の下

7月2日(月)

とにかく忙しい。

どうしてこんなに忙しいのか?と、よくよく考えてみると、「頼まれた仕事」に加え、「頼まれもしない仕事」をたくさんしているからだ、ということがわかった。

毎週月曜の夕方は、いつものクリーニング作業である。

今日はついに、学生が一人も来なかった。まあそんな日もある。そんな今日でも、むちゃくちゃ忙しい社会人たちが6人ほど集まった。なかでも私と同世代の世話人代表のKさんと作業仲間のSさんは、疲労の色が隠せない。もちろん、私もである。

作業が終わり、夜8時から、世話人代表のKさん、卒業生のT君と3人で、今後の活動方針を話し合う「ガスト会議」(まじめな会議)をすることにした。

世話人代表のKさんは、昨日、本業の方の仕事で、あるイベントを開催した。そのイベントには町民約600人が集まったという。小さい町で600人を集めた、というのは、かなりの快挙である。

「すごいですねえ」

「こう見えても私、名プロデューサーですから」とKさん。

しかし私は、一昨年に彼と2人で企画したあるイベントのことを思い出した。

そのときは、お客さんが5人しか集まらなかったのである。

「Kさんのプロデュースとしては、異例の集客数ではありませんか?これまで手がけてきた企画は、ほとんど人が集まらなかったでしょう」

「そんなことはありませんよ」とKさん。「Mさんと組むと、人が集まらないのです」

なんと!人が集まらないのは、私のせいだ、というのだ。

「Mさんが地味すぎるんですよ。言ってみれば私はシェフです。いくらシェフの腕がよくても、素材(私)が悪くってはねえ…」

そうか…。集客力がないのは、やはり私が元凶だったのか…。

これまでの人生をふり返っても、思いあたるふしばかりである。

ひどく落ち込んだ。

しかし、落ち込んでばかりいても仕方がない。

明日もまた、ほとんど誰にも知られることのない、地味な仕事が待ちかまえているのだ。

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ミーハー講師控室

6月30日(土)

東京のカルチャースクールの講師をつとめることになった。昨年12月に続き、二度目である。ただし今回は、都内の超高層ビル街の一角にある教室でである。

午後3時半から開始だが、少し早めに会場に着いた。担当のMさんにご挨拶して、講師控室に入る。

都内でもいちばんの集客数をほこる教室だが、講師控室は意外と狭かった。講義の前の予習をしていると、おそらく私と同じ時間に講義をされる先生方が、その狭い控室に次々とやってくる。なかには、テレビによく出る「有名教授」もいた。

(さすが、大手のカルチャースクールは違うよなあ…)

だんだん緊張してきてトイレに行きたくなった。3時すぎにトイレに行って、控室に戻ってみると、その狭い控室のソファーに、ビックリするくらいオーラのある人が座っていた。

私は見てすぐ気がついた。

Untitled (…俳優の篠井英介さんだ!)

なんと、俳優の篠井英介さんが、マネージャーらしき人と座っているではないか!

私は最近まったくテレビを見ていないが、以前テレビを見ていたころは、ドラマで強烈な印象を残す篠井さんの芝居に、これまで幾度となく、胸を打たれてきたのだ。

10年以上前に見た私の大好きなドラマ「すいか」(日本テレビ)で、性転換をした元人類学者、という役でゲスト出演していて、その回を何度も見ては、篠井さんの芝居に泣かされたものである。

もう、自分の講義の準備どころではない。

(話しかけていいものだろうか…)

こんな機会は、めったにないのだ。

しかし、ああいうときって、全然勇気が出ないものである。すぐ近くにいるにもかかわらず、話しかけることなど、できるものではない。

講義の10分前になって、担当のMさんが控室にやってきた。

「先生、教室のプロジェクタの確認をしますので、いったん教室までお願いします」

Mさんに導かれ、控室を出て、教室に向かった。

控室を出たとたん、私はMさんに聞いた。

「あのう…いま控室にいた方、篠井さんですよね」

「そうです。ご存じですか」

「ええ、そりゃあもう。大ファンですから」

「そうでしたか」

「篠井さんも、カルチャースクールの講師なんですか?」

「ええ。たしか今日が最終日です。先生と同じ時間を担当されていて、ちょうど教室は隣です。…そうだ、先生、もしよろしかったら、あとでご紹介しますよ」

「えええぇぇぇ!!」私はとたんに緊張した。「ご迷惑になりますから…」

「いえ、せっかくですし。これもなにかのご縁でしょうから」

プロジェクタの設定が終わり、講師控室に戻ると、すでに篠井さんはいなかった。

「ひとあし遅かったですね。もう篠井先生は教室に行かれたみたいです」とMさん。

そして3時半になり、講義を開始した。今回は40名ほどの受講生である。

5時半までの2時間、ノンストップで講義をして、あっという間に終わった。

講義が終わると、いちばん前に座っていた高齢の女性が、私のところにやってきた。

「先生、覚えていらっしゃいますでしょうか?」

たしかに、どこかで見た顔である。

「私、以前、韓国のツアーで、お世話になった者です」

思い出した!いまから3年前、大学の大先輩が、カルチャースクールの受講生さんたちを30名ほど連れて韓国の慶州を訪れたときに、当時韓国留学中だった私と妻は、1日だけ、みなさんとツアーをご一緒したことがあった。最後は、慶州のホテルでみなさんと夕食をご一緒にしたのだが、そのときに、私の隣に座っておられた齢80歳の方が、なんと今日、私の講義を聴きに来られたのだった。

「覚えております」

「その節はありがとうございました。今日は先生のお話が聞けるというので、やってきました」

「そうでしたか。ありがとうございます」

「とても楽しかったです。奥様にもよろしくお伝えください」そう言って、その方は教室を出ていかれた。

受講生のみなさんが教室を出たあと、私が教室を出ると、廊下に人びとが列を作って並んでいた。並んでいる人の先を見ると、篠井さんがサイン会をしている。並んでいるのは全員女性で、どうやら篠井さんの講座を聴きに来た受講生の方々のようである。

担当のMさんが私に言う。

「よかった。まだ篠井先生、いらっしゃいましたね。少しお待ちいただければ、あとでご紹介いたしますよ」

その言葉に、ふたたび私は恐縮した。

「いえ、その…。それより、…私もこのサイン会の列に並んでもよろしいでしょうか」

一瞬、担当のMさんはとまどった顔をされた。それはそうだろう。講師がサイン会をする、というのは、ここではよくあることなのだろうが、講師がほかの講師のサイン会に並ぶ、というのは、おそらく前代未聞だからである。

「大丈夫ですよ。並んでください。何かサインを書いていただく紙をお持ちでしょうか」

私は、カバンから大学ノートを取り出した。

「これにサインしてもらおうと思うんですが、失礼にあたらないでしょうか?」

「大丈夫だと思いますよ」とMさん。

それにしても、サイン会の列に並んでいるのは、全員女性である。その中で一人、オッサンが並んでいるのは、どう考えても恥ずかしい。

他の人は、どんなモノにサインをしてもらっているのだろう?と見てみると、手帳であったり、携帯電話であったり、本日の受講カードであったり、とさまざまである。なかには、なぜか文庫本にサインをしてもらっている人もいる。

全然違う作家の文庫本に、篠井さんのサインをもらうのは、失礼にあたらないのだろうか、と、そのときは思った。

篠井さんは、受講生とおぼしき人たちが持ってきた思い思いのモノにサインをしながら、ひとりひとりに丁寧に言葉をかけておられた。

そして、列のいちばん最後は、私である。

受講生とおぼしき人たちのサインがすべて終わり、私の番である。

「こちら、先ほどまで、隣の教室で講義されていた、講師の先生です」Mさんは篠井さんに私を紹介した。「ご専門は○○○でいらっしゃいます」なんとMさんは、私の専門分野まで紹介したのだ。

「まあ、そうですか。先生ですか」と篠井さんは私の方を見て言った。そのお話ぶりは、テレビで見るのと、まったく同じ印象である。そしてビックリするほどオーラが出ている。

「さ、さきほど、講師控室でお見かけしたもので、ぜひサインをいただこうと、お、思いまして…」私は、こう言うのが精一杯である。

「ファンだそうですよ」Mさんが篠井さんに言う。

「まあ、ありがとうございます。○○○がご専門ですか。わたくしもぜひ講義を聴きたかったです」

お世辞だとわかっていても、うれしい言葉である。

Mさんは、緊張している私を見かねたのか、私のフルネームを書いて、篠井さんに渡した。

篠井さんはそれを見て、大学ノートに「○○○○先生へ 篠井英介」とサインを書いた。

「ありがとうございます」と私。

「またご縁がありましたら、お会いしましょう」篠井さんはそう言って、私と握手した。

めちゃめちゃいい人だ!これからも、篠井さんを応援しつづけるぞ!と思った。

興奮状態のまま、講師控室に戻る。

「先生、今日はよかったですね。私もなぜかうれしくなりました」とMさん。たぶん、こんなミーハーな講師は、長年のMさんの経験からみても、めずらしかったのだろう。

「こんなことってあるんですねえ」と私。「帰ったら、みんなに自慢します」

「先生、また機会がありましたら、講座の方もぜひよろしくお願い申し上げます」

「こちらこそ。またご縁がありましたら」私は、さきほどの篠井さんの言葉を思い出して言った。

さて、このことを帰ってから妻に言って、サインを見せると、妻はむちゃくちゃうらやましがった。妻もまた、篠井さんのファンだったらしい。

ところで篠井さんは、どんな講座をされていたのだろう?

あとで調べてみると、泉鏡花の小説を朗読・解説する、というものであった。

なるほど。だから泉鏡花の文庫本にサインをしてもらっていた人がいたのか。

篠井さんによる泉鏡花の朗読。私も受講したかったなあ。

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