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ミーハー講師控室

6月30日(土)

東京のカルチャースクールの講師をつとめることになった。昨年12月に続き、二度目である。ただし今回は、都内の超高層ビル街の一角にある教室でである。

午後3時半から開始だが、少し早めに会場に着いた。担当のMさんにご挨拶して、講師控室に入る。

都内でもいちばんの集客数をほこる教室だが、講師控室は意外と狭かった。講義の前の予習をしていると、おそらく私と同じ時間に講義をされる先生方が、その狭い控室に次々とやってくる。なかには、テレビによく出る「有名教授」もいた。

(さすが、大手のカルチャースクールは違うよなあ…)

だんだん緊張してきてトイレに行きたくなった。3時すぎにトイレに行って、控室に戻ってみると、その狭い控室のソファーに、ビックリするくらいオーラのある人が座っていた。

私は見てすぐ気がついた。

Untitled (…俳優の篠井英介さんだ!)

なんと、俳優の篠井英介さんが、マネージャーらしき人と座っているではないか!

私は最近まったくテレビを見ていないが、以前テレビを見ていたころは、ドラマで強烈な印象を残す篠井さんの芝居に、これまで幾度となく、胸を打たれてきたのだ。

10年以上前に見た私の大好きなドラマ「すいか」(日本テレビ)で、性転換をした元人類学者、という役でゲスト出演していて、その回を何度も見ては、篠井さんの芝居に泣かされたものである。

もう、自分の講義の準備どころではない。

(話しかけていいものだろうか…)

こんな機会は、めったにないのだ。

しかし、ああいうときって、全然勇気が出ないものである。すぐ近くにいるにもかかわらず、話しかけることなど、できるものではない。

講義の10分前になって、担当のMさんが控室にやってきた。

「先生、教室のプロジェクタの確認をしますので、いったん教室までお願いします」

Mさんに導かれ、控室を出て、教室に向かった。

控室を出たとたん、私はMさんに聞いた。

「あのう…いま控室にいた方、篠井さんですよね」

「そうです。ご存じですか」

「ええ、そりゃあもう。大ファンですから」

「そうでしたか」

「篠井さんも、カルチャースクールの講師なんですか?」

「ええ。たしか今日が最終日です。先生と同じ時間を担当されていて、ちょうど教室は隣です。…そうだ、先生、もしよろしかったら、あとでご紹介しますよ」

「えええぇぇぇ!!」私はとたんに緊張した。「ご迷惑になりますから…」

「いえ、せっかくですし。これもなにかのご縁でしょうから」

プロジェクタの設定が終わり、講師控室に戻ると、すでに篠井さんはいなかった。

「ひとあし遅かったですね。もう篠井先生は教室に行かれたみたいです」とMさん。

そして3時半になり、講義を開始した。今回は40名ほどの受講生である。

5時半までの2時間、ノンストップで講義をして、あっという間に終わった。

講義が終わると、いちばん前に座っていた高齢の女性が、私のところにやってきた。

「先生、覚えていらっしゃいますでしょうか?」

たしかに、どこかで見た顔である。

「私、以前、韓国のツアーで、お世話になった者です」

思い出した!いまから3年前、大学の大先輩が、カルチャースクールの受講生さんたちを30名ほど連れて韓国の慶州を訪れたときに、当時韓国留学中だった私と妻は、1日だけ、みなさんとツアーをご一緒したことがあった。最後は、慶州のホテルでみなさんと夕食をご一緒にしたのだが、そのときに、私の隣に座っておられた齢80歳の方が、なんと今日、私の講義を聴きに来られたのだった。

「覚えております」

「その節はありがとうございました。今日は先生のお話が聞けるというので、やってきました」

「そうでしたか。ありがとうございます」

「とても楽しかったです。奥様にもよろしくお伝えください」そう言って、その方は教室を出ていかれた。

受講生のみなさんが教室を出たあと、私が教室を出ると、廊下に人びとが列を作って並んでいた。並んでいる人の先を見ると、篠井さんがサイン会をしている。並んでいるのは全員女性で、どうやら篠井さんの講座を聴きに来た受講生の方々のようである。

担当のMさんが私に言う。

「よかった。まだ篠井先生、いらっしゃいましたね。少しお待ちいただければ、あとでご紹介いたしますよ」

その言葉に、ふたたび私は恐縮した。

「いえ、その…。それより、…私もこのサイン会の列に並んでもよろしいでしょうか」

一瞬、担当のMさんはとまどった顔をされた。それはそうだろう。講師がサイン会をする、というのは、ここではよくあることなのだろうが、講師がほかの講師のサイン会に並ぶ、というのは、おそらく前代未聞だからである。

「大丈夫ですよ。並んでください。何かサインを書いていただく紙をお持ちでしょうか」

私は、カバンから大学ノートを取り出した。

「これにサインしてもらおうと思うんですが、失礼にあたらないでしょうか?」

「大丈夫だと思いますよ」とMさん。

それにしても、サイン会の列に並んでいるのは、全員女性である。その中で一人、オッサンが並んでいるのは、どう考えても恥ずかしい。

他の人は、どんなモノにサインをしてもらっているのだろう?と見てみると、手帳であったり、携帯電話であったり、本日の受講カードであったり、とさまざまである。なかには、なぜか文庫本にサインをしてもらっている人もいる。

全然違う作家の文庫本に、篠井さんのサインをもらうのは、失礼にあたらないのだろうか、と、そのときは思った。

篠井さんは、受講生とおぼしき人たちが持ってきた思い思いのモノにサインをしながら、ひとりひとりに丁寧に言葉をかけておられた。

そして、列のいちばん最後は、私である。

受講生とおぼしき人たちのサインがすべて終わり、私の番である。

「こちら、先ほどまで、隣の教室で講義されていた、講師の先生です」Mさんは篠井さんに私を紹介した。「ご専門は○○○でいらっしゃいます」なんとMさんは、私の専門分野まで紹介したのだ。

「まあ、そうですか。先生ですか」と篠井さんは私の方を見て言った。そのお話ぶりは、テレビで見るのと、まったく同じ印象である。そしてビックリするほどオーラが出ている。

「さ、さきほど、講師控室でお見かけしたもので、ぜひサインをいただこうと、お、思いまして…」私は、こう言うのが精一杯である。

「ファンだそうですよ」Mさんが篠井さんに言う。

「まあ、ありがとうございます。○○○がご専門ですか。わたくしもぜひ講義を聴きたかったです」

お世辞だとわかっていても、うれしい言葉である。

Mさんは、緊張している私を見かねたのか、私のフルネームを書いて、篠井さんに渡した。

篠井さんはそれを見て、大学ノートに「○○○○先生へ 篠井英介」とサインを書いた。

「ありがとうございます」と私。

「またご縁がありましたら、お会いしましょう」篠井さんはそう言って、私と握手した。

めちゃめちゃいい人だ!これからも、篠井さんを応援しつづけるぞ!と思った。

興奮状態のまま、講師控室に戻る。

「先生、今日はよかったですね。私もなぜかうれしくなりました」とMさん。たぶん、こんなミーハーな講師は、長年のMさんの経験からみても、めずらしかったのだろう。

「こんなことってあるんですねえ」と私。「帰ったら、みんなに自慢します」

「先生、また機会がありましたら、講座の方もぜひよろしくお願い申し上げます」

「こちらこそ。またご縁がありましたら」私は、さきほどの篠井さんの言葉を思い出して言った。

さて、このことを帰ってから妻に言って、サインを見せると、妻はむちゃくちゃうらやましがった。妻もまた、篠井さんのファンだったらしい。

ところで篠井さんは、どんな講座をされていたのだろう?

あとで調べてみると、泉鏡花の小説を朗読・解説する、というものであった。

なるほど。だから泉鏡花の文庫本にサインをしてもらっていた人がいたのか。

篠井さんによる泉鏡花の朗読。私も受講したかったなあ。

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コメント

何を隠そう、鈴木祥子のファンである。
20年前に「Swallow」という曲に出会って以来だから、K-POPよりもファン歴が長い。

実はCDアルバムも持っているし、ライブに行ったこともある。
だから、「鈴木祥子」という学生が授業をとっているのを知って、恥を忍んでサインを貰いに行った。

断られた。

ちゃんと本物の鈴木祥子のサインの写真を用意して、「この通り書いて欲しい」とお願いしたのに。


(BGM) 鈴木祥子「風に折れない花」
http://www.youtube.com/watch?v=vMQyycdElZQ

投稿: 風に折れないこぶぎ | 2012年7月 4日 (水) 04時09分

鈴木祥子は、「特売ワゴンのその中に」で第4位にランクインしていましたよね。
こぶぎさんらしいエピソードだなあ。
ちなみに妻は、中学だか高校だかの修学旅行の時の新幹線の中で、ジャッキー・チェンを発見し、思いきって「サインを下さい」と手帳を出したところ、カタカナで「ジャッキ・チェン」と殴り書きされたそうです。その話を聞いて私は、「カタカナで書くなんて、絶対に本人ではない。ニセモノだ」と主張したのですが、妻は、たしかにあの人は本物だったと頑なに信じています。今となっては、もらったサインもどこかに行ってしまったそうなので、真相は薮の中です。あれだけジャッキー・チェンのファンだったのに、なぜサインをなくしちゃったんでしょう。

投稿: onigawaragonzou | 2012年7月 5日 (木) 00時05分

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