七夕の再会
7月7日(土)
このところ気分がどんよりしていた理由の1つは、とある国際シンポジウムで、パネルディスカッションの司会を頼まれていたためである。
その分野にド素人の私ごときが、その分野の第一人者ばかりをパネラーに迎えたシンポジウムを、仕切ることなんてできるのか?
そのことを思うと、夜も眠れない。
しかしその日は迫ってきた。前日は「にわか勉強」をして、(どんなふうに討論を進めていこうか…)などとシミュレーションをしてみたが、考えれば考えるほど、わからなくなってくる。
さて当日。
会場に少し早く着いて建物内を歩いていると、パネラーのお一人である、中国から来たJ先生とお会いした。
「やあ」J先生は、私に握手を求めてきた。
J先生とお会いするのは、これで3度目である。昨年12月、仕事で中国に行ったときに、北京で夕食をご一緒したのが初めてで、このときは、他のメンバーも一緒だったので、大勢のうちの一人としてお会いした。
今年の3月に、東京で行われたあるシンポジウムで、J先生がパネラーとして出席されたおり、休憩時間にご挨拶したのが、2度目である。
いずれも短い時間のことだったが、J先生は私のことを覚えていらした。
J先生は、今回のシンポジウムのテーマに関する、中国側の第一人者である。日本語はペラペラである。
J先生は、私に会うなり、さっそく学問の話をされた。その物腰はとても柔らかで、根っからの学者なんだなあ、と思う。
「今日は、久しぶりにT先生にお会いできるのを、楽しみにしてまいりました」J先生が言う。「T先生」とは、昨年以来、私がたいへんお世話になっている、「眼福の先生」である。
T先生もまた、この分野の第一人者である。つまり今日は、この分野を世界的に牽引してきた、日本のT先生と中国のJ先生が久しぶりに再会する、歴史的な日なのである。
奇しくも今日は、中国でも日本でもよく知られた、七夕である。
「そろそろ打ち合わせ会場にまいりましょう」
建物の廊下を歩いていると、今度はT先生がお見えになる。
J先生とT先生は、会うなり、かたい握手を交わした。
「今日は、T先生にお会いすることだけを楽しみにしてまいりました」とJ先生。長幼の序を重んじるJ先生は、年上のT先生に敬意を表していた。
「あなたにはいつも教えられることばかりです。いつもお便りを送ってくれてありがとう」とT先生。
8年ぶりの再会だ、というその様子は、そばで見ていて、感動的ですらあった。
11時半、昼食のお弁当を食べながら、シンポジウムの進行についての打ち合わせをする。
ところが、これがまったく打ち合わせにならない。
J先生とT先生が、すっかりと話し込んでしまっているのである。もちろん、研究に関する話である。
「本当の友人とは、久しぶりに会っても、まるで昨日の話の続きをするかのように話をすることができる人のことだ」と、あるラジオDJが言っていた。
いま、私の目の前に座っているお二人は、まさにそのような感じである。
もう、打ち合わせなんかどうでもいいや、と思った。
パネルディスカッションをどのように進めるか、などという私の思惑なんぞ、この際、どうでもよい。このお二人の学問的情熱を前にして、そんなことはまったく意味のないことである。
私はお二人で話し込んでいる様子を、写真におさめた。
この分野の第一人者であるお二人が、国の立場を越えて議論をしている姿は貴重であるし、同じ志を持ち、おたがいを尊重しあいながら議論をしている姿は、私自身にとっても、励みになるのである。
お二人は、根っからの学者だなあ、と思う。
私は仕事柄、多くの学者を見てきたが、そのほとんどは「俗物」である。私はその「俗物」たちを見るたびに、学問というものに失望するのだが、本物の学者にお会いすると、それまで多く見てきた「俗物」がかすんでしまうくらい、学問っていいなあ、と思う。
だからどんな分野であれ、本物に出会うというのは、生きる勇気を与えてくれるのだ。
私にとっては、この打ち合わせの席に出られただけで、もう十分であった。それだけで、今日来た甲斐があった。
午後1時に始まったシンポジウムは、80名ほどの参加者を得て、無事終了した。
J先生とT先生と、同じ壇上に並ぶことができたことが、これからも私を勇気づけるだろう。
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