神様に近づく
7月20日(金)
私と同世代のラジオDJが、自分のことを「面倒くさい性格」と評していて、それをオモシロをまじえながら自虐的に語る話がおもしろい。
まるで、自分を見ているようだからである。
たとえば、頼まれもしない仕事については、一生懸命やる。
それを見ていたある人が、「じゃあ、正式にそれを仕事としてお願いします」と依頼したりすると、とたんにやる気をなくす。
とか、
適当に流せばいいものを、自分の中の「屁理屈お化け」がしだいに体内を支配してきて、言わなくてもいいような青臭いことを言う。
とか。
そんな話は、まるでここ最近の私である。
周囲の人も、私をもてあましはじめているようだ。そのことが手にとるようにわかるのだが、あるいは思いすごしかもしれない。
まあこんな面倒な性格につきあえるのは自分しかいないから、最後は自分でなんとかやっていくしかない。
なかなか気分が晴れないので、今日は思いきって、アルトサックスの練習を2時間することにした。
夜、いつもの練習スタジオに行く。
すれ違うのは、地元の私立高校生ばかり。
いったい俺は何をやっているんだ?のんきなもんだ、と、また落ち込む。
実は、私がアルトサックスを約15年ぶりに再開したのは、動画サイトに上がっていた、1980年代中盤にナベサダ(渡辺貞夫)さんがライブで演奏した「BOA NOITE」という曲を聴いたからである。
この曲を聴いたときは、衝撃を受けた。こんな風にアルトサックスを自由自在に吹けたら、どんなに気持ちいいだろう、と思った。
この曲を聴くたびに、気持ちが晴れていくのがわかった。
だから自分も、この曲を、アドリブまで含めて完璧にコピーしたい、と思ったのである。
まったく、身の程知らずもいいところである。
そもそも、これには楽譜がない。
仕方がないので、耳で聴いて、音をコピーしていくしかない。
気の遠くなるような作業だが、少しずつ、できる部分から、コピーしていく。
最初はゆっくりと指を追いながら吹き、徐々にそのスピードを速めていく。
すると不思議なもので、2時間も練習し続けると、最初は雲を掴むような感じだったものが、次第に、形になってゆく。
明らかに、2時間前とくらべて上達したことが、自分でもわかる。
もちろん、ナベサダさんのアルトサックスは、神業である。
だが、その神業とは、どういうものなのか?
その境地を、少しでも垣間見てみたい、と思った。
(こんな指遣い、ありえねえ~)
「自由自在」に吹くどころではない。水の上を優雅に行くアヒルが、水面下で必死に水をかくがごとくである。自らが追体験することで、ナベサダさんの凄さを、あらためて知るのである。
だが、バッカみたいに何度も何度もくり返し練習すると、神業的な指遣いに、ほんの少し、近づくことができる。
前にも書いたが、これは語学の勉強に似ている。
語学の秘訣は、「情熱」と「ガッツ」である。たとえば、「この人と話がしたい」という強い気持ちが原動力になり、バッカみたいに何時間も勉強することにより、語学は絶対に上達する。
楽器の練習も同じである。ナベサダさんの曲が好きだからこそ、苦にもならずに練習できるのである。
この曲を完全コピーできるまで、アルトサックスの練習を続けよう。
たぶん、生涯、誰にも聴かせることはないだろうけれど。
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コメント
先生の演奏、聴いてみたいです。今のうちに演奏会のチケット、予約させてください(笑い)。楽しみにしてます。
投稿: 元教え子 | 2012年7月21日 (土) 01時11分