G大学の子供たち
人によって、それぞれ「涙のツボ」っていうのが、あると思うんですよ。
たとえば、テレビの「はじめてのおつかい」を見ると涙がとまらなくなったり、犬の映画を見ると涙がとまらなくなったり、高校野球とかサッカーとかラグビーを見て、涙がとまらなくなったり。
自分の場合は何か、というと、「留学もの」ですね。あるいは、「短期研修もの」。
自分が留学を経験して以降、「留学」とか「短期研修」の話に、めっぽう弱くなった。
先日(8月11日)、大邱で、語学院の先生方と再会したときのことである。
午後6時に大学の北門のところに集合し、お店に向かおうとしたら、すれ違った数人の学生にナム先生が気づき、声をかけた。「アンニョンハセヨ?」
「学生ですか?」
「ええ、日本のG大学から来た学生たちです。いま、3週間の短期研修プログラムでこの大学の語学院で勉強しているんですよ」
G大学といえば、東京の私立大学の名門ではないか!私の知り合いの中にも、G大学出身者が多いので、親近感がわいた。
私はG大学の学生たちに、日本語で話しかけた。
「短期研修で、ここの語学院で勉強しているんですね?」
「はい」
「G大学では、学部はどこですか?」
「私は文学部です」「僕は法学部です」
「そうですか。私の先輩も、G大学に勤めているんですがね…。○○先生ってご存じですか?」
「さあ」
そういえば自己紹介するのを忘れていた。
「私、○○大学で教員をやっています。3年ほど前に、この語学院で1年間勉強して、今日はその同窓会なんですよ」
「あ~、日本の方ですか」G大学の学生たちは、私を見て一様に驚いた。
ずっと日本語で喋ってたじゃん!今まで俺を誰だと思って喋っていたんだ?
「この語学院は楽しいし、いい先生ばかりなので、楽しんでいってください」
「はい」
彼らが立ち去ったあと、ナム先生に聞いてみた。
「通常の語学院の授業のほかに、いまは短期研修の学生にも教えているんですか?」
「ええ、私とアン先生がその担当なんです」
アン先生は、私も少しだけ習ったことのある、とても楽しい先生である。二人とも、短期研修の先生としてはうってつけだな、と思った。
「でも、困ったことがあるんです」とナム先生。「G大学の学生の韓国語のレベルが、ひとりひとりあまりにも違いすぎて、同じ教室でどうやって教えたらいいか、わからないんです」
なるほど、それはよくあることである。
「それに、彼らの韓国語のレベルがどのくらいなのかを、事前にまったく知らされていなくて、こちらとしても授業をどのように準備したらいいかわからなくて…」
「でも、大学の短期研修プログラムとして実施しているんでしょう?」
「ええ、大学としては今年度が初めての試みで、中味はすべてこちらに丸投げです。大まかな予定は決まっているんですけど」
そういうと、短期研修プログラムの日程表を見せてくれた。
「毎日語学の授業が半日あって、それ以外は、いくつかの文化体験があるほかは、ほとんどが自由時間なんですよ」
たしかに、日程表はスカスカである。この「公式プログラム」が、いかに「何も考えていないか」が、よくわかる。すべては、語学院に丸投げなのだ。これもまた、ありがちなことである。
私も、自分の職場で同じような短期研修プログラムを、今年度はじめて試みることになっていたので、他人事ではない。
「もっといろいろな文化体験をすればいいと思うんですけどね」と私。「楽しくなければいけませんよ」
「そう思います。でも、これでは、せっかくうちに来ても子供たちが全然楽しめないまま帰国するような気がして…。たぶん、このプログラムは今年度かぎりで終わりでしょうね」ナム先生は、不安そうに言った。
韓国では、「学生たち」のことをしばしば「子供たち」と表現する。いわば慣用表現である。
「そんなことありませんよ。どんな体験でも、学生たちにとっては心に残るはずです」と私。「実際に、私の教え子は、夏休みに韓国のC大学に3週間の短期研修に行って、それがきっかけで、この8月から韓国のC大学に1年間留学することになったのです」
「そうですか」
「ですから、彼らも同じように思うはずです」
昨年、韓国のC大学に短期研修に行ったOさんは、最後の日に別れるのがつらくて、みんなで抱き合って号泣した、と言っていた。
さて、短期研修に参加していたG大学の学生たちは、その後どうなったのだろう?
昨日(8月21日)、ナム先生からメッセージが届いていた。
「キョスニム
今日、G大学の短期研修が終わりました。
心配していたのとは裏腹に、楽しく授業を終えることができ、学生たちも満足そうで、次にまた来たい、と言っていました。彼らと一緒に遊びながら、とても親しくなりました。
ユンノリ(韓国の伝統的な遊び)もして、八公山(パルゴンサン、大邱近郊の山)にも行って、一緒にご飯も食べて、写真も撮って、学生たちにとってよい思い出を作りたかった試みは、ある程度は成功したようです。体はとても疲れていますが、心はとても軽やかです。 そして久しぶりにこの仕事に対するやりがいを感じて、別れの寂しさも感じました。
彼らとはもう会うことができないかもしれませんが、心さえあれば、必ずまた会うことができるだろうと信じています。
ようやく、明日から短い夏休みです」
ナム先生のホームページをのぞいてみると、G大学の学生たちが、とても楽しそうに写っている写真が何枚もあげられていた。
いちばん最後の写真には、「最後の日は、みんなが涙を見せながら挨拶した」とコメントが書いてある。
それを読んで、私も号泣。
ダメだ。やはり私は「留学もの」「短期研修もの」には弱いのだ。
私は、「少しでも楽しんでもらおうとした先生方の心が、学生たちにも伝わったのだと思いますよ。この学生たちのなかから、必ずこの大学に留学したいという人が出てくるでしょう」と、コメントを書いた。
実際、「公式プログラム」にはない、語学院の先生方が考えた非公式なイベントこそが、彼らの心に残ったのだろう。
公式の記録には残らないのだろうが。
たった3週間の短い期間だったけれど、10人あまりのG大学の学生にとっても、そしてナム先生やアン先生にとっても、忘れがたい、大きな意味を持つ時間だったのだろう。
まったく根拠のない話だが、いつかどこかで、私はこのときのG大学の学生たちと、バッタリと会うような気がする。
だって、世間は狭いんだもの。
そのときは、語学院の話で盛り上がろう。
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