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体育会系のユーミン、文化系のター坊

私にとって「夏の音楽」といえば、チューブではなく、大貫妙子である。

「黒のクレール」「夏に恋する女たち」「海と少年」。この3曲は私にとっての「夏の三部作」である。

松任谷由実こと「ユーミン」と、大貫妙子こと「ター坊」は、同時期に活躍した女性ミューシャンである。二人の音楽的才能は、いまさら説明するまでもない。しばしば、ライバル視するむきもある。

むかし聞いていたFMラジオで、坂本龍一が、ユーミンの大衆性と、ター坊の抽象性を、対比していたと記憶している。

単純化していえば、両者ともクオリティの高い音楽を提供しながらも、ユーミンは大衆に支持されるメジャーな存在なのに対し、ター坊はマイナーな存在なのである。

もちろん私はどちらも好きである。ユーミンの歌でいえば、「中央フリーウェイ」の歌詞にある、

「右に見える競馬場 左はビール工場」

は、まさに私の実家のあるその場所のことを歌っていて、いわば私の実家のテーマ曲、といってもいい。

有名な「卒業写真」の

「話しかけるように

揺れる柳の下を

通った道さえ今はもう

電車から見るだけ」

というフレーズは、私が高校時代に、電車から中学校の通学路を見ていた様子を活写している。これはいわば私の中学校のテーマ曲である。

「海を見ていた午後」の、

「ソーダ水の中を貨物船が通る」

という歌詞を聴いたときは、身震いした。もうこのワンフレーズだけで、ユーミンは天才であることがわかる。

しかし、本当のことをいうと私は、ユーミンの音楽よりも、ター坊の音楽の方が好きである。

それはいったい、なぜなのか?

ひと言でいえば、ユーミンは体育会系で、ター坊は文化系である。

つまり私が文化系人間で、ター坊の音楽は、文化系人間の琴線に触れるからではないだろうか。

私のまわりでユーミンの音楽が好きだ、という人は、体育会系の人が多いような気がする。これは偏見だろうか?

ちなみに矢野顕子も大貫妙子と同様、文化系人間の音楽である。

坂本龍一は、大貫妙子や矢野顕子の音楽に惚れこみ、数々の編曲を手がけている。それは彼が、体育会系ではなく、文化系人間だからではないか?

一方、松任谷正隆は、なんとなく体育会系っぽいじゃん。イメージだけだけど。

ひょっとして体育会系人間は、実は大貫妙子とか矢野顕子の音楽を聞いても、あまりピンと来ないのではないか?これもやはり偏見か?

うーむ。この感覚、うまく伝わらないかなあ。ま、どうでもいいか。

…というわけで、しばらく旅に出ます。行き先はもちろん、韓国です。

道中、ユーミンやター坊の音楽を聴きながら。久しぶりに、ユーミンの「ひこうき雲」を聴こう。

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コメント

あまりにも若すぎたと/ただ思うだけ/けれどしあわせ(荒井由実「ひこうき雲」より)――ユーミンのファースト・アルバムのタイトルとしても起用されている「ひこうき雲」は、友人の死がきっかけとなりできあがった曲。

きっと先生は、体育会系のユーミンの歌をききながら、空までつづく白い坂道をかけていった友人、Tさん(先生が配布したTさんの論文は、今でも「卒論のお手本」として保管しています。“いのち”はつながっています。)に思いをはせることでしょうね。

道中お気をつけて。

投稿: しょっちゅう会っている卒業生のT | 2012年8月 5日 (日) 22時44分

「空に憧れて/空を駆けてゆく/あの子の命はひこうき雲」(荒井由実「ひこうき雲」)
この歌を聴くと、空を見上げたくなりますね。

投稿: onigawaragonzou | 2012年8月 6日 (月) 23時22分

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