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フォーク歌手と大統領

8月12日(日)

昨年9月、大邱に遊びに行ったとき、語学院で3級のときにお世話になったナム先生と、その姉夫婦と一緒にドライブをした。そのとき、ナム先生のヒョンブ(姉の夫)と、とても親しくなった。

「今度お会いするときは、サムギョプサル(豚の三枚肉の焼肉)を食べながら、焼酎を飲みましょう。きっとですよ」

別れぎわに、ヒョンブがそう言った。

その言葉が、ずっと気にかかっていて、今回の渡航前に、ナム先生と、ナム先生のヒョンブ(姉の夫)であるヨンギュ氏に韓国に行く旨を連絡したところ、

「じゃあ、最後の日は、わが家に招待しますから、泊まっていってください。サムギョプサルを一緒に食べましょう。もし負担に感じるようでしたら、サムギョプサルだけでも一緒に食べましょう」と返事が来た。

他人の家に泊まるのが大の苦手である私は、一瞬、躊躇したが、まあこれも経験だろう、と思い、「もし迷惑でなければ、ぜひひと晩ホームステイしたいです」と返事を書いた。

だがその日が近づくにつれ、やはりやめればよかったかな、と後悔し始めた。ヒョンブとは、まだ1度しか会ったことがないし、それに若い学生ならまだしも、いい歳をしたオッサンがホームステイをする、というのも、何だか気が引けてきた。

そもそも私は、「座持ちが悪い」のだ。招待された家で、気の利いた話ができるわけでもない。

だんだん憂鬱になってきた。

ナム先生とその姉夫婦とは、午後2時に、大邱市内にある「現代百貨店」の前で待ち合わせることになっていた。

約束はしてみたものの、午後2時から夕食の時間まで、どうやって過ごせばいいのかすら、思い浮かばない。

(困ったなあ。これでは間が持たないぞ…)

そうこうしているうちに、午後2時になり、待ち合わせ場所に3人がやってきた。

「久しぶりです」ヒョンブ夫婦とも1年ぶりである。

「昨日お話ししていた、『キム・グァンソクの小路(こみち)』が、すぐ近くなんですよ。まずはそこに行きましょう」とナム先生。

昨日、語学院の先生と食事しながらお話ししたとき、「最近、キム・グァンソクの歌をよく聴いているんです」という話をした。

1964年生まれのキム・グァンソクは、韓国で80年代に活躍し、当時の若者たちにカリスマ的な支持を誇ったフォーク歌手である。だが、1996年、31歳の若さで突然この世を去る。彼の死の原因は、いまだにさまざまな憶測を呼んでいる。日本でいえば、尾崎豊と同じような運命をたどった歌手である。曲調と、そしてそのカリスマ的な存在感は、尾崎豊と長渕剛を合わせたくらいの感じである。

歌詞といい、歌声といい、メロディーといい、心を揺さぶるものばかりである。

そのキム・グァンソクは、大邱で生まれた歌手であることを、昨日の語学院の先生たちの話で、初めて知ったのである。その生家の近くに、「キム・グァンソクの小路」があるという。

「『キム・グァンソクの小路』は、実は私たちもまだ行ったことがないんです。ちょうどいい機会なので、行きましょう」大邱に住んでおられる3人も、まだ行ったことがないのだという。

さっそく、キム・グァンソクの小路を歩く。

小さな市場の横を直線に走る路地が、「キム・グァンソクの小路」である。路地の壁には、キム・グァンソクのことを描いた壁画や、彼のつくった歌詞が、所狭しと並んでいる。

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「すごいですねえ」何より、壁に描かれている絵がどれも機知に富んでいるのだ。

「これはみんな、キム・グァンソクのことが好きな市民が、自発的に作ったんですよ。今でも定期的に、キム・グァンソクを尊敬するミュージシャンたちが、彼の歌を歌うコンサートをしているんです」

彼は死してなお、愛されているのだ。

しかし今日は蒸し暑い。ひととおり小路を歩いたあと、ヒョンブの車に戻る。

「外は蒸し暑いですね。こうなったら、ドライブしましょう。車の中がいちばん涼しいですから」

大邱の郊外にある八公山(パルゴンサン)の方に向かって、あてもなくドライブする。

「そういえば、この近くに、盧泰愚(ノテウ)前大統領の生家があるんですよ。たいしたことないと思いますけど、行くだけでも行ってみますか」とヒョンブ。

盧泰愚前大統領(在任1988~1993)も、大邱出身である。最後の軍人出身大統領であり、引退後は、かつての粛軍クーデターや光州事件を追及され、懲役刑を受けたこともある。

長らく民主化を望んでいた韓国の民衆にとって、軍人出身の大統領にはある「特別な感情」があるのだろう。

生家は思ったより小さかった。

「何にもないでしょう」

「何にもないですね」

「とっとと行きましょう」

たしかに、不親切なほどに、何もない。さきほどの「キム・グァンソクの小路」が、彼に対する愛情にあふれているのに対し、こちらの方は、まるでぶっきらぼうである。

31歳の若さで死してなお、15年以上にわたって民衆に愛されているフォーク歌手。

権力の頂点を極めながら、最後には民衆に背を向けられつつ生き続ける権力者。

いったいどちらが、幸せな人生なのだろう。

すでに5時を過ぎていた。

「ちょうどいい時間ですね。我が家に行きましょう」

車はヒョンブの家へと向かった。(つづく)

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