やはりカオスな送別会
8月30日(木)
ベトナムと中国の学生30人が、いよいよ明日、帰国する。
夕方は、そのフェアウェルパーティである。
午後5時、会場に行く。10日前の歓迎会の時とくらべると、みんなかなり仲よくなっていることがわかる。
あの「一楽ラーメン」のK君が近づいてきた。
「先生のこと、さがしていたんです。先生、どこに行ったんだろうって」
「仕事があったからね」
K君は、すっかり私になついているようである。
「先生、いつ、中国に来ますか?」K君のいる大学は、中国でも北の方の、Eという町にある。
「一度行ってみたいと思うんだがね」これは、本当のことである。
「もしいらっしゃることがあったら、連絡ください。私が仲間と一緒にご案内しますから」
連絡先を交換する。
「日本語で私に連絡ちょうだいよ。日本語の勉強にもなるから」
「わかりました」
みんなと一緒に写真を撮ったり、連絡先を交換したりする。
送別会には、ホームステイを受け入れたご家族の方々も招待されていた。
今回は、ホームステイ先があまり見つからず、実際にホームステイができた学生は、30人中、5,6名、といったところだった。
幸運にもホームステイをすることができた中国の女子学生、ベトナムの女子学生は、みんなの前で最後のスピーチをしたあと、ホームステイでお世話になった「お母さん」のもとに次々と駆けより、抱き合って号泣した。
「バカねえ。泣くんじゃないの」そういうお母さんも号泣。
近くでそれを見ていた私も、もらい泣きする。
やっぱり、ホームステイって、いいなあ。
「言葉なんて、関係ないのよ」3人の女子学生を受け入れた家のお母さんが私に言った。「心が通じてさえいればね」
「いま拝見していて、それがよくわかりました」と、涙目の私。
「肝っ玉母さん」みたいなお母さんが続ける。「本当は、もっとうちが広ければ、何人でも泊まってもらいたかったんだけどねえ。…だって、ホームステイができた子もいれば、できなかった子もいるなんて、あんまりにも不公平じゃないの!そんなことをしたら、絶対ダメよ!」
それはまったくそのとおりだった。
急ごしらえのプログラムは、いろいろと問題はあったものの、確実に、彼らと、そして私たちに、何かを残したのだ。
会がお開きになり、日本の学生のひとりが叫ぶ。
「これから2次会に行きま~す」
数年前の私だったら2次会についていったのにな、と思いながら、会場をあとにした。
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