ワン・ウィンチョ君のこと
夏バテ気味なので、少し思い出めいた話を。
ホームステイをしていたナム先生のヒョンブ(姉の夫)の家で、私が日本から持ってきた「韓国留学時代の写真」を、テレビのモニターに映しながらみんなで見ていたときのことである。
語学院の3級の時の「野外授業」(1学期に1度ある、遠足のようなもの)で、料理学校で料理体験をしたときの写真が映し出された。
このときの料理学校が、いかに頓珍漢で面白かったかについては、過去の日記に書いたことがある。
私の隣に写っているのは、3級の時に同じクラスだった、中国人留学生のワン・ウィンチョ君である。
「いまごろ彼は、どうしているんでしょうかねえ」ナム先生が写真を見ながらつぶやいた。
私が彼をはじめて見たのは、語学院の1級1班(初級クラス)の時である。
1級1班は、留年した中国人留学生ばかりが集まっているとんでもないクラスだったが、この中に1人だけ、女子学生がいた。チャオ・ルーさんである。このチャオ・ルーさんも、決して韓国語を熱心に勉強しているという学生ではなかった。
チャオ・ルーさんのボーイフレンドが、ワン・ウィンチョ君である。しばしば語学院の建物の中で、二人が並んで歩いていたのを見かけたが、第一印象は、「なんてチャラいヤツなんだろう」と思った。
当時は「チャラ男」なんて言葉もないから、「チャラい」という言い方も思い浮かばなかったのだが(当時の日記では、「チャラチャラした」という表現は使っている)、今でいえば、「チャラ男」という言葉がピッタリの、20歳そこそこの青年である。
チャオ・ルーさんは、韓国語の実力がほとんどなかったにもかかわらず、1級(つまり初級)が終わった後、とにかく入れる大学に入りたい、ということで、名も知れぬ専門大学(日本でいう短大に相当する大学)に、早々と入学を決めてしまった。たぶん、ほとんど試験なしに、合格したんだろうと思う。
一方、ワン・ウィンチョ君は、その後も語学院で、韓国語の勉強を続けた。そして3級の時に、私と同じクラスになった。
一緒のクラスになってみて、彼に対する印象は、私の中で急速に変わっていった。
見た目は「チャラ男」だが、とにかく、まじめなのである。
韓国語の能力も、ほかの人よりもすぐれている。そしてそれ相応の努力をしている。
決して、そのまじめさをアピールしているわけではないのだが、授業に対する取り組みは、誠実である。
あるとき、ワン・ウィンチョ君が私に話しかけてきた。
「僕、日本語を勉強したいんです」
私は彼のためにひらがなの「五十音表」を作って、翌日の授業の時に、彼に渡した。
そのとき彼は、韓国語そっちのけで、日本語の勉強をはじめた。
それから私は、彼と急速に親しくなった。
野外授業の「料理教室体験」では、一緒のチームになって料理を作った。その時の様子は、以前、日記に書いたので、くり返さない。
さて、3級の授業も後半にさしかかった、ある日のことである。
ワン・ウィンチョ君は、韓国語の勉強をいまの3級で終わりにして、ガールフレンドのチャオ・ルーさんが通っている専門大学に自分も進みたい、と言いだした。
通常、留学生が韓国の大学に入学するためには、語学院で4級まで進まなければならない。彼はそれを放棄したい、と言いだしたのである。
これには語学院の先生も困った。なぜなら、彼の韓国語の実力は相当なもので、このまま4級に進めば、韓国の有名な国立大学に入学できるほどの能力を持っていたからである。
語学院の先生は、4級まで勉強してもっといい大学に入学するよう、必死に彼を説得した。もちろん私も、彼を説得した。
だが彼は、結局韓国語の勉強を3級まででやめてしまい、ガールフレンドと同じ、まったく無名の専門大学に入学してしまった。
このあたりの経緯についても、すでに過去の日記に書いた。
もったいないなあ、と思ったが、彼自身の選択だったのだから、仕方がない。
たぶん彼は、とことん誠実な人間だったのだ、と思う。彼は、チャオ・ルーさんとの結婚を考えていると言った。当時40歳のオジサンの私から見れば、20歳そこそこで結婚を考えるなんて、まだ早い、と思っていたのだが、彼にとっては真剣な問題だったのだ。
そして、チャオ・ルーさんが進んだ大学の「日本語学科」に進学したという。以前私に「日本語を教えて下さい」と言ったのは、そういう理由だったのか、と、その時知ったのである。
ワン・ウィンチョ君は、外見のチャラチャラした第一印象とは違って、徹頭徹尾誠実な人間だったのだ。そのことを、3級の時の担任だったナム先生に言うと、
「私もそう思っていました。実際に受け持ってみると、最初の印象と全然違って、韓国語をまじめに勉強していたことに驚きました」とおっしゃった。
さてその後、彼はどうなったのだろう?
ナム先生が人づてに聞いた話では、その後彼は、突然脳の深刻な病気におかされ、中国に戻って大きな手術をしたのだ、という。その後、彼がどうしているのかは、まったくわからない。
「いまごろ彼は、どうしているんでしょうかねえ」
写真を見てナム先生がそうつぶやいたのも、そういったことを思い出したからだろう、と思う。
私は彼に教えられた。見た目や外見の印象だけで人間を判断すると、しばしば誤りを犯すことを、である。
日本に戻ってから、たまに彼のことを思い出しながら、そのことを日本の学生に対しても実践しようとつとめているが、学生たちに私がそのような人間として映っているかどうかは、はなはだ心もとない。たぶんまだまだ、修行が足りないのだろう。
そしてそのたびに私は、ワン・ウィンチョ君のことを思い出すだろう。
| 固定リンク
「思い出」カテゴリの記事
- 続・忘れ得ぬ人(2022.09.03)
- 忘れ得ぬ人(2022.09.02)
- ある授業の思い出(2022.07.21)
- ふたたび、卒業文集、のはなし(2022.05.21)
- 時刻表2万キロ(2022.03.16)
コメント