命を繋ぐ、ということ
ふと、思い出したことがあるので、書きとめておく。
1996年の8月初め。ちょうど今くらいの、暑い盛りのことである。
研究室の同期だったT君が、病気で急逝した。26歳の若さで、である。前の日まで元気だったのに、本当に突然のことであった。
T君はとても優秀な人間で、9人いた研究室の同期の中でいちばん早く就職を決めた。将来を嘱望された人物だった。それは、誰もが認めていたことだった。
だが彼は、その年の4月に就職してわずか4ヵ月にして、亡くなってしまったのである。これからバリバリと活躍していくはずだったのに。
私は、彼とは専攻分野が若干違っていたので、ふだん、それほど話をしたわけではなかった。
それに、正直に告白すると、私は同期の中でいちばんの落ちこぼれで、優秀なT君と話をすることに、気が引けていたのである。むろん、彼はそんなことは微塵も思っていなかったのだろうけれど、当時、コンプレックスの塊のような人間だった私は、なんとなく彼のことを避けていたのである。
彼が亡くなってから、同期の仲間とお宅におじゃまをしたことがあったが、そのときも、ご両親とお話しするのは、もっぱら彼と専攻分野が同じだった連中たちで、私はほとんどご両親とお話しすることもないまま、おいとました。
たぶんご両親は、私のことはほとんどご存じないのだろうな、と思っていた。
それでも毎年、彼のご両親からは年賀状をいただいていた。大変失礼なことだが、私は誰に対しても、例外なく年賀状に個別のメッセージを書かないことにしていて、印刷した年賀状をただお送りしていただけだったのだが、ご両親からは、「二人で元気にやっております」など、メッセージがひとこと書かれた年賀状をいただいた。
その後、私の就職が決まり、東京を離れると、ご両親からの年賀状に、
「就職して東京を離れたそうですね。どうか頑張ってください」
というメッセージをいただいた。たぶん同期の仲間が、ご両親にお話ししたのだろうか、と思った。
さらに3年前、韓国に留学したときにも、
「韓国に留学されていたのですね」
というメッセージをいただいた。
私は彼のご両親とは、告別式と、その後、1周忌のときにお宅におじゃましたくらいで、それ以来、お会いしていないのである。それに、直接お話ししたことも、ほとんどない。だがご両親は、その後もずっと、私のことを気にかけていただいているようなのである。
ひょっとしてご両親にとっては、息子と同期の仲間たちが成長したり、活躍したりすることが、ご自身の支えにもなっているのではないだろうか。
ご両親は、ご自身の息子と重ね合わせるようにして、私たちの成長を見届けておられるのではないだろうか。
あるとき、そのことに気づき、今まで自分がそのことにまったく思い至らなかったことを、恥じた。
残された者が、精一杯生きること。
それが、短かった彼の命に、応えることになるのではないだろうか。ひとり息子を亡くされたご両親を、支えることになるのではないだろうか。
そう思うようになったのである。
彼の卒業論文は、とてもすばらしいものだった。
彼が大学を卒業した翌年、学会誌の巻頭論文として掲載された。卒業論文が学会誌の巻頭を飾るのは、異例のことである。
私は毎年、卒業論文を控えた4年生たちに、彼の卒業論文をコピーして、「卒論のお手本」として配っている。
「本当の卒業論文とは、こういう論文のことをいうのだよ」と。
彼が残してくれた論文は、いまも現役の学生たちの指針になっている。
そしてそのたびに、私も彼のことを思い出す。
こうして彼は、今も生き続けている。
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